【SS】うたを、感じる

  • 1二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 00:50:09

    信じられないくらいに足が軽い。
    爪の不安は少しもなくて、跳ねるように芝を蹴る。
    追いすがる他の子達、けれど、誰もあたしに並ぶことすら出来ない。
    まっさらな景色を誰にも譲らないまま、あたしはゴールラインを駆け抜けた。
    360度の大歓声。これが全部あたしのもん。
    テンションマジぶちアゲ、やっぱあたししか勝たん!
    この感情を今にもぶつけてしまいたくて、あたしを待つ彼の姿を探した。
    「あれ……?」
    けれど、どこを見渡してもその姿は見えない。
    「トレーナー!どこいったんー?」
    そうこうしているうちに、あとからゴールしてきた子はみんな各々のトレーナーと合流し、レース場を去っていく。
    「トレーナー……?ねえ!」
    あれだけあたしにエールを送ってくれた観客も、レースが終われば赤の他人。興味をさっぱり失って席を立っていく。
    控え室も通路も、隅から隅まで探し回って、けれどトレーナーはどこにも居なくて。

  • 2二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 00:50:31

    「ねえ……出てきてよ……」
    日も暮れて、寒々しい夜が訪れようとしていた。
    ヘトヘトになり、がらんとしたパドックの端に力なく座り込む。
    「ぐすっ……」
    悲しくて、苦しくて涙が出てくる。
    レースで勝って勝ちまくって、どんだけビッグになったって。その最後は果てしない『空っぽ』。
    堪えきれず、あたしは声をあげて泣いた。
    もしかしたらトレーナーに気づいてもらえるかもなんて、そんな叶うはずもない希望に縋ってさ。
    ひとしきり泣いて泣いて泣きじゃくって、涙も枯れ果ててしまった頃、漸く気づくんだ。
    『これで、ジョーダンとトレーナーとしての関係は終わりだ』
    そう、叶うはずもない。
    『君はもう、ひとりで飛び立てる』
    あたしのトレーナーだった人は、もう傍にいないんだって━━━━

  • 3二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 00:51:01

    「━━━━っ!?!?」
    布団から飛び起きる。心臓が痛いほどに脈をうっていた。
    チケゾーさんはお腹丸出しでグースカ気持ちよさそうに寝ている、起こさずには済んだみたいだった。
    パジャマは汗でぐっしょりとしていて気持ち悪い。二度寝をする気にも慣れず、ベッドを降りた。
    「……またかよ」
    最近、よく夢を見る。
    秋だからだろうか、そろそろ身の振り方を考えなきゃいけない時期だ。
    「はぁ……」
    胸のつっかえをため息にして吐き出す。けれど、あたしを蝕む暗い気持ちは無くなることはない。
    あと半年足らずの関係、その時が来たら自然と覚悟もできるようになってると、そう高をくくっていたけど。
    「全然ダメじゃん……あたし」
    もうごまかせないのはわかってる。けど、『その時』は避けられないもの。
    頭の中で考えがぐるぐるまぜっこになって、結局結論は出せないまま。一日がまた過ぎていく。
    全てをババっと解決してくれる策なんて、バカの頭じゃ思いつくわけもない。
    どうしようもなくて、心の底に蓋をするように涙の跡を拭った。

  • 4二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 00:51:40

    「ウケる。なーんもわからん」
    肩も疲れてきて、ぐぐっと背を伸ばす。ボキボキと体が悲鳴をあげる。重力に任せてそのまま机に突っ伏した。
    「課題終わんね〜……」
    過ぎていく日々の中でも、やらなきゃいけないことはある。課題もそのひとつ……なんだけど。
    古典があまりにもイミフで心が折れそう、てか折れた。夕方になっても少しもページが進まない。千年も前に生きてた人の気持ちなんかわかる訳ねーし。
    たまにはマジメに進めれば悩みを忘れられると思ったのに、減るどころか増えてんだけど。
    やっぱガラじゃないことなんてするもんじゃねーべ。
    「ん……?」
    その時、机の端に置いていたスマホが鳴る。
    開いてみると、珍しくトレーナーからのLANEだった。突然の連絡、今朝の夢見を思い出し変に胸が締め付けられた。恐る恐る画面をタップする。

    『課題の進捗はどうかな。今日は十五夜だから、疲れたら気分転換に月を見上げてみるといいかもしれません。天気もいいから綺麗に見えると思うよ』

    「月て……おじーちゃんかよ」
    そんなん数分見たら飽きるくね?ウマトックの方が100万倍アガるっしょ。
    ほんとおカタいよね、トレーナーって。
    ……けど、今はなんでもいいから外の空気を吸いたかった。
    外出してしまえば何かが変わるかもしれない。そんなはずないのに、それでも……もしかしたら。あたしは引き出しから1枚の紙を取り出した。

  • 5二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 00:52:20

    高台への階段を登りきる。夜中の公園は怖いほどに静まり返って、人影すら見えない。
    ベンチに腰掛け、空を見上げる。
    遠く夜空のその向こう、ぽつんと月がぼんやりと光を放っていた。
    「アンタもぼっちか」
    月からの返事は無い。返ってくるのは肌を刺す冷たい秋風と、鈴虫の歌声だけ。
    「でも、アンタはあたしと違ってなーんも悩みなんて無さそうだよね」
    その無邪気な光が眩しくなってきて目を閉じる。初めは静かでつまらないと思っていたけど、夜の世界は思ったよりも騒がしい。
    虫たちの合唱はバラバラなようでひとつのメロディーになってる気もするし、吹きつける風は木々をささやかに鳴らしてる。
    「これも、エモいっていうんかな」
    さっきまで手をつけてた課題が頭をよぎった。
    多分昔の人も見てる月は同じハズで、エモいわって思って和歌?俳句?とか書いたんだろーな……昔版ウマッター的な?
    「あたしもなんか言えたりしてね」
    夜の空気に当てられたのか、いつの間にか心の中はまっさらにリセットされてた。改めて、奥底に潜む想いと向き合ってみる。
    「トレーナー……」
    余分なものが削ぎ落とされてるから、行きつく先はほんとに単純、ぽつりとその名前を呟く。
    そりゃそうだよね。あたし難しいことなんて全然考えられんし。
    彼の声が、顔が、思い出が……こんなにも積み重なってる。
    今更手放すにはもう大きくなりすぎちゃってんの。
    「今、何してんのかな……会いたいな」

  • 6二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 00:53:28

    「来たぞ、ジョーダン」
    「はひゃっ!?!?」
    一瞬幻聴かと思った。だって、普通来るなんて考えもしねーじゃん?
    声の方向に視線を向けると、幻じゃない本物のトレーナーが確かにそこにいた。
    「……すとーかー?」
    「違う違う。外泊届が出されたってフジキセキに連絡を受けたから迎えに来たんだ。LANEを送った自分の責任もあるし」
    そう言ってトレーナーは申し訳なさそうに頭をかく。
    「どーして、ここ……」
    「学園から行ける範囲で、月がよく見えるスポットを片っ端から回るつもりだっただけさ。まさか一箇所目でビンゴとは思わなかったけど」
    そう言いながらゆっくりとあたしの隣に腰掛ける。
    「迎えに来たんじゃなかったん?」
    「それも半分。もう半分は、俺も月を見に来たんだ」
    「ははっ、なんそれ」

  • 7二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 00:53:59

    トレーナーのキョーミは空に移ったけど、あたしはその横顔を見つめて……髪とか爪とかいじって俯いて、月へ視線を戻したりもして。
    とにかく落ち着かない。
    完全に無防備だったところに張本人がやってきて、心の準備なんてできてるはずもなく。
    しかもさっきの呟き多分聞かれたよね、どうすんのこれ。顔あーつい。
    てかなんでなんも言わんのさトレーナーは。月見に来たってマジでそんだけなん?ザケんなし。
    「……相談があるなら、乗るよ?」
    視線に気づいても呑気そうにしてんの。
    話したいことなんて……数え切れないほどある。
    苛立ちとか、不安とか、エグいくらいのドキドキとかさ。子供のワガママみたいに、そんな全部をぶつけてしまいたくなったから。

  • 8二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 00:54:37

    「……マジうぜー」
    「ご、ごめ━━」
    「離れんなし」
    「…………」
    「いーから、座ってろ」
    離れかけた腕をとり、数センチの隙間を埋める。
    寒空に凍えたカラダが、ちょっとだけ暖まった。
    「あたしさ」
    「うん?」
    「わかっちゃったんだわ」
    「何を?」
    「課題」
    「……それは、良かったな?」
    「……ん」
    イミフな会話にきっとトレーナーは困惑してるだろう。怪しまれないように、言い訳もしとく。
    「だからごほーびねこれ。まだ、帰んないから」
    「ああ、了解」
    肩越しの熱を感じる、忘れないように。
    「……ジョーダンが言いたくなったら、聞くから」
    「……ん、ありがと」

    これからあたしがどうして行けばいいのか。なんも答えは出てないけど。
    バカなりに考えてわかったこと、ふたつ。
    あたしの気持ちと、古典の課題。
    過去と今、そしてあたしの未来を繋ぐように……はるか昔の詩に、思いを馳せた。

    虫のねも 月のひかりも風のおとも わが恋ますは秋にぞありける━━━

  • 9二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 00:57:12
  • 10二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 00:57:34

    めっっっちゃ良かった…ありがとう…

  • 11二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 00:58:55

    文体でなんとなく誰かわかるよねエモいねすき

  • 12122/09/11(日) 01:12:04
    能因法師 千人万首www.asahi-net.or.jp

    能因法師の和歌を使わせて頂きました

    俳句和歌を読み漁るのもたまには良いな……


    『名月を とってくれろと 泣く子かな』小林一茶

  • 13おまけ22/09/11(日) 09:38:00

    「帰りたくねー」
    「それはだめ。こっちは大人としてジョーダンを寮まで送り届ける責任があるんだ」
    「でも外泊届出しちゃってるわけよ?ねえ……?」
    「泊めてってのもダメだぞ、まだ学生なんだから」
    「……けち」

    「寂しくなったら友達の所にでも━━痛い痛い抓らないで!?」
    「……あたしよりバカじゃん、アンタ」

    (……これくらいで気持ちが冷めるなら、苦労してねーつっの)

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