【SS】無感動なトレーナー

  • 1二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 20:33:02

    「はい…ではそういうことで…ありがとうございます…」
    プツリと電話が切れると同時に深いため息を吐く。トレセンに来てもう12ヶ月、俺は担当を見つけられず回される仕事は当たり前だが誰もやりたがらないものばかりだった。
    勝負服の追加受注の電話なんて誰がやりたくてやるのだろうか。そもそも受注ミスしたのは『担当持ちの』新人であって、何も悪くない俺に嫌そうな声で通話するのはやめて頂きたい。

    レース出走リストと練習場使用予定表をまとめてたづなさんに提出する。書類を確認し、適切なフォルダーに収納すると「お疲れ様です」と言われるが、事務ばかりやっている俺は知っている。このヒトのノルマが俺の仕事の二倍は超えているということを。愛想笑いでお疲れ様ですとだけ返しすと、荷物をまとめて練習場へ向かった。

    俺はこのまま順調に担当無しでここにいるとそろそろクビになる。もちろん多少強引に担当をつくることだって出来るがそんなことしたって誰も幸せにならないからやらない。
    正直別にクビになったところで困ることはあまりないのだが、あれだけ勉強して一年でクビになるのが癪なのもまた事実だった。

    別にG1で戦える強い担当がほしいとか、そういうので担当を決められない訳ではない。実際今まで何回かトレーナーになってくれと評判の良い子に言われたことはある。
    『心を動かされるようなもの』に出会えない。それが俺が担当を持たない理由だった。

    小さい頃、親父が現役でトレーナーをやっていたときに俺はよくレースを観に行った。
    当時の記憶なんてほとんどないが、小さい俺にはすごい刺激的で楽しいものだったことだけは覚えている。だからトレーナーになるために勉強したし、レース関連の本はなんでも読み漁った。
    そしてちょうど一年前にトレーナーになり、練習を見て選抜レース前に良さげな子に声をかけた。そして待ちに待ったトレーナーとして見る初めての選抜レース。結果は、

    ひどくつまらないものだった。俺が声をかけた子は一着だったが、惹かれるようなものを何も持っていなかったのだ。その後のレースも全て見たが、何ひとつとして心に響く走りはなかった。次の選抜レースもそうだったし、その次もそうだった。

  • 2二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 20:33:43

    最初は同期からモテないなどと冷やかされたり、早く担当を持てとか言われると笑って誤魔化していたが、最近はスカウトについて俺に声を掛けるのは生徒だけになっていた。もちろん全て断っているが。

    こんなことを続けていればプライドが高い男なんて呼ばれかねないので、俺はよくトレーナーがついていない子達を指導している。担当がいないのに練習場に来たのはそのためだ。
    担当がいなくて唯一良かったことは、めんどくさくて誰もやらない練習場の予約を俺が担当しているため、比較的大きなコースを自由開放という名の下で俺の指導教室にできることだった。

    「あっ、トレーナーさん。今日も来てくれたんですか?」
    この子はトモエナゲ。大柄で優しそうな顔をした娘で、よくここへ来ている。
    「なんせ担当がいなくて暇だからね。」そういうと後ろのウマ娘たちが笑い始めた。

    「だったらあたしをスカウトしてよ。早くレースに出たいし。」綺麗な桃色の髪をしたビーカイザーが言う。
    「また今度ね。」というと「もうそれ何回も聞いた!」と怒られた。

    「今日もアドバイスほしい子は見るからそれぞれ各自で練習していいよ。」そういうと全員が真面目な顔になる。
    レースで勝ちたいという気持ちは皆同じだし、彼女らも真剣なのだ。だからここで教えるのは別にいやではないのだった。

    「お疲れ、じゃあ今日はこれでおしまいね。」最後のアドバイスを終えて各自解散とする。
    「えー、まだ走り足りないんだけど…」ビーカイザーが食い下がるが、『休むのも練習だ』とかベタなことを言って誤魔化す。担当じゃないため責任が持てない以上、身体を壊されては困る。

    日が沈み、練習場には俺とトモエナゲ、ビーカイザーしかいなくなった。そのときトモエナゲが俺に聞いた。

    「…トレーナーさん。『トレーナーは16ヶ月以内に担当を持たないといけない』って聞いたんですけど、本当なんですか?」

    その通り、その期限までにスカウトできない環境ではないし、わざわざその規則を意識しているトレーナーは俺ぐらいだろう。
    「私じゃ、だめですか?確かに他の子と比べたらまだまだかもしれないですけど。」

    俺は目線を伏せる。正直、レースに感動できなくなってしまってもこの仕事は楽しい。でも俺が担当を作るとなると話は変わる。
    担当の大事なレースに感動できない奴トレーナーなど俺は許せない。だから俺は担当を『持てない』

  • 3二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 20:34:07

    しばらくの間沈黙が続いた後、その嫌な静けさを破ったのはビーカイザーだった。

    「アンタ知ってる?トモエナゲは最近スカウトされたのよ……でも断ったわ。誰でもないアンタのためにね。」
    ビーカイザーが真っ赤になった目でこちらを睨む。
    「あたしだったら泣いて喜んだと思うし、正直悔しかったけど、でもそれ以上に驚いたわ。あんだけスカウトを断ってるアンタをまだ信じてたんだもの。私にはできないわ。」
    立ち尽くしている俺の目の前にきて顔を見上げる。その目には涙が浮かんでいた。

    「引き受けるかアンタが決めるべきなのはわかってる。でもトモエナゲの気持ちも考えてあげて」

    ビーカイザーの頬を一粒の涙が伝う。
    俺はそんな、他者を信じ、他者の為に涙を流せるウマ娘に

    『心を動かされた』


    「俺の負けだよ。」

    ため息を吐く。ずっと俺はここではレースこそが心を動かせるモノだと信じていたし、それ以外に目を向けたことなどなかった。でもそれだけではなかった。
    こんないい年して気づくような事ではないんだろう。でも今の俺にとって一番重要なことのような気がした。
    トモエナゲが驚いた顔をした後、その頬をもうひとつの涙が伝う。ビーカイザーがこちらを見て優しく微笑んでいた。


    「でも他の子たちの練習は誰がみることになるんでしょう?」ひと段落ついた後トモエナゲが言った。
    「もういっそのことみんなでチーム作っちゃおうよ。私もレース出たいし。」ビーカイザーが無責任なことを言い始める。
    「仕事量的に無理だな流石に。」と返すが、
    「でも担当できたら事務は減るんでしょ。」と痛いところを突かれる。
    「トレーナーさん、私これからもみんなと高め合いたいです!」とトモエナゲが言うと「じゃあ決まり!みんなに伝えてくるね!」と言ってビーカイザーが寮へ駆け出す。捕まえようとして伸ばした手は届かない。

    翌週、いつもの練習場へ俺は大量のウマ娘を連れ向かうことになるが、それはまた別の話。

  • 4二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 20:38:01

    読んでくれてありがとうございます。並盛SSです。練習はじめと終わりをカットしたところが不自然でした。ごめんなさい。

  • 5二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 21:15:44

    称賛ッ!

  • 6二次元好きの匿名さん22/09/11(日) 21:24:58

    めっちゃ良かったです

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