- 1二次元好きの匿名さん22/10/02(日) 05:05:14
- 2二次元好きの匿名さん22/10/02(日) 05:07:04
京都レース場の選手控え室。準備運動も終わり、爽やかな汗は綺麗さっぱり拭き取ったはずが、未だに少しだけ滲み出て来る。温まった身体から発せられるものだけではない。それは秋の季節らしくひんやりした空気と混じり合い、湿っぽく肌に纏わりついてくる。時折聞こえる大歓声が、それを助長させた。
間違いなく、この後始まる大一番の緊張感によって生み出されたもの。クラシック3冠、その最後の冠……菊花賞は、間もなくその幕を開ける。
「もうすぐだな。最後に要点を整理しよう」
入場前の今が、トレーナーさんと話を交わす最後の機会。2人で話し合ったものを、もう一度意識付けておこう。
「まず、逃げられるなら、逃げたほうがいい。自分のペースに持ち込んでいこう」
これが1つめ。前走の京都大賞典で、菊花賞を意識しながら逃げ切った。当然今回も、目指す先は逃げ切りだ。
「次に、無理に溜めなくてもいい。いっその事、ぶっ飛ばしてしまってもいいと思う」
2つめは、京都大賞典からの逆算。あの結果を元に考えた、菊花賞を逃げ切る作戦。
「あとは君に任せる。どんなペースで走るのかは、スカイの感覚で行くのが一番良い」
3つめは……まあいつもの事ではあるんだけどね。
私のペースは、私が決める。ただそれだけ。
「……入場の時間か。今のスカイなら勝てるよ、この距離も問題ない。自身を持って、コースを回ってくればいい」 - 3二次元好きの匿名さん22/10/02(日) 05:09:50
ターフを踏みしめ、最後の調整を行う。今日の馬場の状態はかなり良い。綺麗に生い茂った芝の上を気持ちよく駆け抜ける。身体を慣らせば、みんなでゲート入りをして──3000mという長い旅路のスタートだ。
心臓の鼓動は落ち着きを払っている。上ずることもなく、萎みすぎてもいない。何事もなく、ただ確かに存在感を放っていた。これならしっかり走れそうだ。
……口笛でも吹きながら、今か今かと待ちわびる。そうしていれば、ファンファーレが鳴り響き始めて──いよいよレースの始まりだ。
「菊花賞、スタートの準備が行われていますが、すごい大歓声ですね!もうファンファーレが聞こえないほどですよ。……さあ、各ウマ娘がゲートに入っていきます」
「スムーズですね。落ち着いていて、早くもゲート入りが終わりそうです」
すんなりとゲートに入る。ふっふっふ、今日の私は絶好調。ゲート入りもドンと来いってね。
「よーい!」
ガチャン、スターターの声が響き、鉄の門が開く音──あ、出遅れた。 - 4二次元好きの匿名さん22/10/02(日) 05:13:35
“──逃げられるなら、逃げたほうがいい”
待て待て待て、ハナは私の指定席。
先頭に立ったのはレオリュウホウ──レオちゃんか。セントライト記念の勝者。
さあ競りかけろ、ハナの奪い合いは……あっさりと終わった。彼女は控え、簡単に先頭へ立つことができた。
やっぱり無理はしてこない。先は長い、ハナを取り合うくらいなら、私をペースメーカーにしたいのだろう。
それじゃあ遠慮なく、私のペースで走らせてもらおうか。
もちろん逃げますとも、“ハイペース”で。
下り坂から勢い良く、快足を飛ばして引っ張っていく。
……足音が近い。ついてきているな。“あの時”〈京都大賞典〉のように大逃げにはならない。1度見せた手品、簡単に逃がしてはくれなさそうだ。
なら、さらに飛ばしていこうか。
ギアを少し引き上げる。スタンド前の直線、湧き上がる歓声を耳にしながら、風のように駆け抜けていく。ここはペースが落ちるポイント?大丈夫、大丈夫。私の感覚がそう言ってるから、大丈夫。
足音が遠退いていく。よしよし、ついてこれるものならついてきてみろ──
「──1000mを通過しました。先頭はセイウンスカイ、セイウンスカイが逃げて、どんどん縦長の展開になっていきます。通過タイムは59.6!速い速い、菊花賞歴代最速の通過タイムで、間もなく第1コーナーに差し掛かります!」 - 5二次元好きの匿名さん22/10/02(日) 05:15:42
……よし、ここでペースダウン。
どんどん緩めながら第1コーナーへ。そして第2コーナーを回っていく。菊花賞の中間地点、ここで定石通り息を入れて、エンジンを休ませていく。……落ち着いていけ、しっかり13秒台まで落とすんだ。
聞こえてくる足音は1つ。レオちゃんだろうな、まだついてきている。でも、近づくことも遠ざかることもない。他に音は聞こえてこない。みんな落ち着いている。掛かっている娘は居なさそうだ。
もうすぐ向正面へ。そこから少しずつ、流れが戻り始める。そこでみんな、きっとこう考えているだろう。
『アレだけ飛ばしていたんだ、セイウンスカイは向正面でも息を入れるだろう。そこでリードを詰めればいい』
“──いっその事、ぶっ飛ばしてしまっても良いと思う”
息を吐く。向正面、少しだけギアを引き上げた。
「ッ……!?」
息の乱れる声、足音は聞こえなくなっていく。
それでいい。ついてきたいのなら、リードを詰めたいのなら、そうすればいい。貴方のレースはそこでおしまい。
流れが少し戻った中で、追い上げて来るのは誰だ?誰も捕まえに来ないのか?
誰もが死に役にはなりたくない。まだまだ中盤、ここでペースを乱したくはないだろう。そのまま無理せず走ればいい──リードは、縮まらない。 - 6二次元好きの匿名さん22/10/02(日) 05:18:12
向正面の途中、淀の坂に差し掛かった。
目の前に続く急勾配、ここを上りきっても坂は続く。少しだけ緩やかになったそこを通れば、今度は急な下り坂。これが淀の名物だ。
ここで無理はしない。流れのまま坂を上っていく。そうすれば当然、少しペースも緩まるわけで──聞こえてきた。沢山の足音が、まだまだ遠いけど、しっかりと聞こえてきた。
当然リードは縮まってくる。ここを乗り越えて残り1000m地点になれば、みんな溜め込んだ脚を徐々に使い始める。休むのを止めペースを戻し、下り坂に突っ込んでいく。
1000mを通過した。息を整え、軽く歯を噛み合わせる。また少しだけ、ギアを引き上げた。
音が近づいてこない。私とみんなのペースが同じだから。“私がペースを戻したから”
休むのはもうおしまい。あれで十分。上り坂の頂点を過ぎ、下り坂の続く第3コーナーへ──リードが、縮まらない。 - 7二次元好きの匿名さん22/10/02(日) 05:19:50
長距離をハイペースで逃げてはダメだとか、そんなの関係ないでしょう?
大事なのは、“誰が一番上手く、最後の直線を迎えたのか”──つまり、ここからが勝負だ。
「第3コーナーを回って、各ウマ娘が勢い良く坂を下っていきます!先頭は変わらずセイウンスカイ、セイウンスカイのリードが……さらに広がっておおよそ8バ身!ここでスペシャルウィークが仕掛けてきた!」
勢いはどんどん増していく。坂を思い切りよく下っていく。コーナーの終わりが見えた、そこを曲がれば直線だ。
無理に抑える必要なんてない。流れに身を任せるんだ、雲のように、マイペースに。
「セイウンスカイが逃げ切るのか!ハククラマ以来の逃げ切りになるのか!?」
勢い良く下り切った。思いっきり膨らみながら直線へ。
それでいいんだ。流れを掴め。弧を描きながら直線に真っ直ぐ向いていく。コーナリングで傾けた身体を前へと向ける。
「39年ぶりの逃げ切りかセイウンスカイ!」
後ろの足音が聞こえてくる。坂の勢いで必死に追い上げてきてるんだろうな。でも、まだまだ遠い。
あとはこの道を真っ直ぐ駆け抜けるだけ。さあフルスロットル、ギアを限界まで引き上げろ──追いつけるものなら、追いついてみろ。私の本領はここからだ!
歯を食いしばれ、息を吐け、リズムを整えた踏み込みで、さらに前へと弾け飛べ──! - 8二次元好きの匿名さん22/10/02(日) 05:21:40
「セイウンスカイが逃げた!逃げた、逃げた、逃げた!どんどん後続を突き放していく!」
芝を蹴り飛ばし、前へ前へと突き進む。聞こえてくるのはスタンドからの異常などよめきだけで、後ろからの音が聞こえない。後続は完全に遠ざかった。
でも、まだだ。
どうせ来るんだから。物凄い勢いで、あっという間に迫ってくるんだから。まだ終わりじゃない。まだ足りない。
もっとだ、もっとギアを引き上げろ。あそこにあるゴールを最初に横切るのは私だ!
距離不安だの、逃げ切れないレースだの、お前には無理だの、やる前から全てを分かりきったつもりになって、貴方には未来でも見えてるの?
私が勝つと、逃げ切ってしまうと言った人たちは、何も分かっていないとでも言うの?本当につまらない──だから私が、私が勝つんだ!
焚べられた薪を燃やし、カラダの底から熱が湧き上がってくる。そうだこの感覚だ!まだ行ける、私の脚はまだまだ動くぞ!
残り200m、最後の正念場。視界は澄み渡り、余計な音は聞こえない。目の前のゴールへ飛び込む事に全身全霊の集中力をかけ、噛み砕くようにして息を絞る──来たら勝負だ。もう一度スパートをかけろ。さあ来い!いつでもかかってこい! - 9二次元好きの匿名さん22/10/02(日) 05:22:44
「エモシオン!エモシオンが2番手に上がってきた!」
来ない。
「最内キングヘイロー!外からメジロランバートが突っ込んでくる!」
……来ない?
「その外からスペシャル!ここでようやくスペシャルウィークが上がってきた!しかし先頭はセイウンスカイだ!」
──来ない。何も来ない。
一体どうなっているんだ?チラリとターフビジョンを見れば、後続は遥かに後方、完全に独走状態。
……ああ、勝ったな、これは。 - 10二次元好きの匿名さん22/10/02(日) 05:24:27
気が抜けたように緩んでいく。熱はどんどん醒めていく。本当に、こんなもので良いのだろうか?このまま余裕綽々で駆け抜けてしまうぞ?
まあいいや。勝ちは勝ちだし、このままゴールに飛び込もう。
ようやくドタバタと足音が聞こえてきたところでゴールイン。決めポーズなんてとっちゃったりして?
「逃げ切った!逃げ切った!39年ぶりに逃げ切ったセイウンスカイ!京都のレース場、今日は青空だ!」
おお〜……実況の人が、洒落たこと言ってますなあ。見上げれば、確かに広がる大海原。快晴快勝ってね☆
「3分3秒2!レコードタイムの赤いランプが灯りました!」
……え?そんなに速かったの?
……わ〜お。こりゃ、中々の大物だね。
「スカイ〜!」
トレーナーさんの声が聞こえた。声がぴょんぴょん跳ね上がってるよ。興奮冷めやらぬ、って感じ?
……まあ、私もそうなんだけどね。何というか、真っ白。とりあえずアレだ。
「勝ったよ、私」
菊花賞は、逃げ切れるんだ。
おしまい。 - 11二次元好きの匿名さん22/10/02(日) 05:26:36
あとがき
レースを書いてみたくなったので書きました。史実ネタです。
いろんなドラマがあるけれど、史実だからすごい!でもウマ娘で取り扱うのが難しい…見たいなネタってあるよね。ウオッカのダービーとか。
セイちゃんだと、ゲート再試験になるレベルで大暴れしたのにしれっと勝つとか、自分で考えて走ってたと言われる人間らしさとか。不思議なお馬さんだったよ。トリックスターはそこ由来かな?
盛り込むにしても、そうなった過程だとか、設定を色々考えないといけなくて大変だよね。かといって無視するわけにもいかない。それじゃあ面白くないもの。
面白いと言えばシングレ!領域とかカッケー!ってな感じで興奮する。
セイちゃんの領域ってどうかなー、とイメージしても中々思い浮かばず、かといって領域に入らないってのも違うな〜と。あの菊は間違いなく時代を変えるものだった。
悩んだ末にしっくり来たのが、瞬発力で逃げると称されたギアチェン能力…二の脚・三の脚を繰り出して突き放すアレ。あれにしてみよう、みたいな。
デビュー戦の頃から感覚があって、その感覚を色々ありながら徐々に掴んでいって、京都大賞典ではもう殆ど入りかけていて…菊花賞のラスト1ハロンで遂に突入するも、必要としなかったためすぐに途切れてしまう。その後は色々あって入ることは…みたいな。そんなイメージ。もっと考えたら、もっと面白くなるんだろうな。 - 12二次元好きの匿名さん22/10/02(日) 05:27:54
凱旋門賞めっちゃ楽しみ。それまでにこのss完成させたくて、突貫工事になっちゃった。来週だと勘違いしてた。
日本のエースどころか、ヒーローになってしまえ。がんばれタイトルホルダー!完。 - 13二次元好きの匿名さん22/10/02(日) 09:30:58
いいやん……