[再掲]蒼穹の果てを目指して〔ss〕

  • 1二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 17:28:28
  • 2二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 17:29:14

    菊花賞は、逃げ切れない。いつからなのかそれが当たり前だった。

    ゆっくり走って、最後にスパートをかけるんだ。スタミナを絞りきって、最初にゴールを駆け抜けた者が、その世代最初のステイヤーとして名を挙げる。

    誰も逃げ切れない。脚を使えば最後は沈み、脚を溜めれば届かない。
    38年もの時間が、“それ”を証明してしまった。

  • 3二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 17:30:36

    京都レース場の選手控え室。準備運動も終わり、爽やかな汗は綺麗さっぱり拭き取ったはずが、未だに少しだけ滲み出て来る。温まった身体から発せられるものだけではない。それは秋の季節らしくひんやりした空気と混じり合い、湿っぽく肌に纏わりついてくる。時折聞こえる大歓声が、それを助長させた。
    間違いなく、この後始まる大一番の緊張感によって生み出されたもの。クラシック3冠、その最後の冠……菊花賞は、間もなくその幕を開ける。

    「もうすぐだな。最後に要点を整理しよう」

    入場前の今が、トレーナーさんと話を交わす最後の機会。2人で話し合ったものを、もう一度意識付けておこう。

    「まず、逃げられるなら、逃げたほうがいい。自分のペースに持ち込んでいこう」

    これが1つめ。前走の京都大賞典で、菊花賞を意識しながら逃げ切った。当然今回も、目指す先は逃げ切りだ。

    「次に、無理に溜めなくてもいい。いっその事、ぶっ飛ばしてしまってもいいと思う」

    2つめは、京都大賞典からの逆算。あの結果を元に考えた、菊花賞を逃げ切る作戦。

    「あとは君に任せる。どんなペースで走るのかは、スカイの感覚で行くのが一番良い」

    3つめは……まあいつもの事ではあるんだけどね。
    私のペースは、私が決める。ただそれだけ。

    「……入場の時間か。今のスカイなら勝てるよ、この距離も問題ない。自身を持って、コースを回ってくればいい」

    このレースで私は2番人気。1番人気はぶっちぎりでスペちゃん。私の逃げ切りは、少々部の悪い賭け、なんてところだろうか。
    京都大賞典で先輩方から逃げ切っても、距離不安の声は覆らず……手品は見破られておしまい、逃げ切れるわけないと言う声が大多数。でも中には、私が勝つと本気で思ってる人もいたりして……そもそも、逃げると思っていないのかもね?まあ、そんな数字だった。

  • 4二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 17:31:45

    ターフを踏みしめ、最後の調整を行う。今日の馬場の状態はかなり良い。綺麗に生い茂った芝の上を気持ちよく駆け抜ける。身体を慣らせば、みんなでゲート入りをして──3000mという長い旅路のスタートだ。

    心臓の鼓動は落ち着きを払っている。上ずることもなく、萎みすぎてもいない。何事もなく、ただ確かに存在感を放っていた。これならしっかり走れそうだ。

    ……口笛でも吹きながら、今か今かと待ちわびる。そうしていれば、ファンファーレが鳴り響き始めて──いよいよレースの始まりだ。

    「菊花賞、スタートの準備が行われていますが、すごい大歓声ですね!もうファンファーレが聞こえないですよ。……さあ、各ウマ娘がゲートに入っていきます」
    「スムーズですね。落ち着いていて、早くもゲート入りが終わりそうです」

    すんなりとゲートに入る。ふっふっふ、今日の私は絶好調。ゲート入りもドンと来いってね。

    「よーい!」

    ガチャン、スターターの声が響き、鉄の門が開く音──あ、出遅れた。

  • 5二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 17:32:54

    “──逃げられるなら、逃げたほうがいい”

    待て待て待て、ハナは私の指定席。
    先頭に立ったのはレオリュウホウ──レオちゃんか。セントライト記念の勝者。
    さあ競りかけろ、ハナの奪い合いは……あっさりと終わった。彼女は控え、簡単に先頭へ立つことができた。
    やっぱり無理はしてこない。先は長い、ハナを取り合うくらいなら、私をペースメーカーにしたいのだろう。

    それじゃあ遠慮なく、私のペースで走らせてもらおうか。

    もちろん逃げますとも、“ハイペース”で。
    下り坂から勢い良く、快足を飛ばして引っ張っていく。
    ……足音が近い。ついてきているな。“あの時”〈京都大賞典〉のように大逃げにはならない。1度見せた手品、簡単に逃がしてはくれなさそうだ。

    なら、さらに飛ばしていこうか。

    ギアを少し引き上げる。スタンド前の直線、湧き上がる歓声を耳にしながら、風のように駆け抜ける。ここはペースが落ちるポイント?大丈夫、大丈夫。私の感覚がそう言ってるから、大丈夫。
    足音が遠退いていく。よしよし、ついてこれるものならついてきてみろ──

    「──1000mを通過しました。先頭はセイウンスカイ、セイウンスカイが逃げて、どんどん縦長の展開になっていきます。通過タイムは59.6!速い速い、菊花賞歴代最速の通過タイムで、間もなく第1コーナーに差し掛かります!」

  • 6二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 17:34:10

    ……よし、ここでペースダウン。
    どんどん緩めながら第1コーナーへ。そして第2コーナーを回っていく。菊花賞の中間地点、ここで定石通り息を入れ、エンジンを休ませていく。……落ち着いていけ、しっかり13秒台まで落とすんだ。

    聞こえてくる足音は1つ。レオちゃんだろうな、まだついてきている。でも、近づくことも遠ざかることもない。他に音は聞こえてこない。みんな落ち着いている。掛かっている娘は居なさそうだ。

    もうすぐ向正面へ。そこから少しずつ、流れが戻り始める。そこでみんな、きっとこう考えているだろう。

    『アレだけ飛ばしていたんだ、セイウンスカイは向正面でも息を入れるだろう。そこでリードを詰めればいい』
    “──いっその事、ぶっ飛ばしてしまっても良いと思う”

    息を吐く。向正面、少しだけギアを引き上げた。

    「ッ……!?」

    息の乱れる声、足音は聞こえなくなっていく。
    それでいい。ついてきたいのなら、リードを詰めたいのなら、そうすればいい。あなたのレースはそこでおしまい。

    流れが少し戻った中で、追い上げて来るのは誰だ?誰も捕まえに来ないのか?
    誰もが死に役にはなりたくない。まだまだ中盤、ここでペースを乱したくはないだろう。そのまま無理せず走ればいい──リードが、縮まらない。

  • 7二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 17:36:20

    向正面の途中、淀の坂に差し掛かった。
    目の前に続く急勾配、ここを上りきっても坂は続く。少しだけ緩やかになったそこを通れば、今度は急な下り坂。これが京都レース場の名物だ。

    ここで無理はしない。流れのまま坂を上っていく。そうすれば当然、少しペースも緩まるわけで──聞こえてきた。沢山の足音が、まだまだ遠いけど、しっかりと聞こえてきた。
    ここを乗り越えて残り1000m地点になれば、みんな溜め込んだ脚を徐々に使い始める。休むのを止めペースを戻し、下り坂に突っ込んでいく。

    1000mを通過した。息を整え、軽く歯を噛み合わせる。また少しだけ、ギアを引き上げた。

    音が近づいてこない。私とみんなのペースが同じだから。“私がペースを戻したから”
    休むのはもうおしまい。あれで十分。上り坂の頂点を過ぎ、下り坂の続く第3コーナーへ──リードは、縮まらない。

  • 8二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 17:38:59

    長距離をハイペースで逃げてはダメだとか、そんなの関係ないでしょう?
    大事なのは、“誰が一番上手く、最後の直線を迎えたのか”──つまり、ここからが勝負だ。

    「第3コーナーを回って、各ウマ娘が勢い良く坂を下っていきます!先頭は変わらずセイウンスカイ、セイウンスカイのリードが……さらに広がっておおよそ8バ身!ここでスペシャルウィークが仕掛けてきた!」

    勢いはどんどん増していく。坂を思い切りよく下っていく。コーナーの終わりが見えた、そこを曲がれば直線だ。
    無理に抑える必要なんてない。流れに身を任せるんだ、雲のように、マイペースに。

    「セイウンスカイが逃げ切るのか!ハククラマ以来の逃げ切りになるのか!?」

    勢い良く下り切った。思いっきり膨らみながら直線へ。
    それでいいんだ。流れを掴め。弧を描きながら直線に真っ直ぐ向いていく。コーナリングで傾けた身体を前へと向ける。

    「39年ぶりの逃げ切りかセイウンスカイ!」

    後ろの足音が聞こえてくる。坂の勢いで必死に追い上げてきてるんだろうな。でも、まだまだ遠い。
    あとはこの道を真っ直ぐ駆け抜けるだけ。さあフルスロットル、ギアを限界まで引き上げろ──追いつけるものなら、追いついてみろ。私の本領はここからだ!

    歯を食いしばれ、息を吐け、リズムを整えた踏み込みで、さらに前へと弾け飛べ──!

  • 9二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 17:40:34

    「セイウンスカイが逃げた!逃げた、逃げた、逃げた!どんどん後続を突き放していく!」

    芝を蹴り飛ばし、前へ前へと突き進む。聞こえてくるのは異常などよめきだけで、後ろからの音が聞こえない。後続は完全に遠ざかった。

    でも、まだだ。

    どうせ来るんだから。物凄い勢いで、あっという間に迫ってくるんだから。まだ終わりじゃない。まだ足りない。
    もっとだ、もっとギアを引き上げろ。あそこにあるゴールを最初に横切るのは私だ!

    距離不安だの、逃げ切れないレースだの、お前には無理だの、やる前から全てを分かりきったつもりになって、あなたには未来でも見えてるの?
    私が勝つと、逃げ切ってしまうと言った人たちは、何も分かっていないとでも言うの?“本当につまらない”──だから私が、私が勝つんだ!

    焚べられた薪を燃やし、カラダの底から熱が湧き上がってくる。そうだこの感覚だ!まだ行ける、私の脚はまだまだ動くぞ!
    視界は澄み渡り、余計な音は聞こえない。“ゴールの先に広がっている、雲のたゆたう大海原”へ、全身全霊の集中力で飛び込んでいけ!

    残り200m、最後の正念場、噛み砕くようにして息を絞る──来たら勝負だ。もう一度スパートをかけろ。さあ来い!いつでもかかってこい!

  • 10二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 17:41:19

    「エモシオン!エモシオンが2番手に上がってきた!」

    来ない。

    「最内キングヘイロー!外からメジロランバートが突っ込んでくる!」

    ……来ない?

    「その外からスペシャル!ここでようやくスペシャルウィークが上がってきた!しかし先頭はセイウンスカイだ!」

    ──来ない。何も来ない。

    一体どうなっているんだ?チラリとターフビジョンを見れば、後続は遥かに後方、完全に独走状態。

    ……ああ、勝ったな、これは。

  • 11二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 17:43:28

    気が抜けたように緩んでいく。熱はどんどん醒めていく。本当に、こんなもので良いのだろうか?このまま余裕綽々で駆け抜けてしまうぞ?

    まあいいや。勝ちは勝ちだし、このままゴールに飛び込もう。
    ようやくドタバタと足音が聞こえてきたところでゴールイン。決めポーズなんてとっちゃったりして?

    「逃げ切った!逃げ切った!39年ぶりに逃げ切ったセイウンスカイ!京都のレース場、今日は青空だ!」

    おお〜……実況の人が、洒落たこと言ってますなあ。
    見上げれば、確かに広がる大海原。手を伸ばしても届かない、遠く高く果ての果て。うん、快晴快勝ってね☆

    「3分3秒2!レコードタイムの赤いランプが灯りました!」

    ……え?そんなに速かったの?
    ……わ〜お。こりゃ、中々の大物だね。

    「スカイ〜!」

    トレーナーさんの声が聞こえた。声がぴょんぴょん跳ね上がってるよ。興奮冷めやらぬ、って感じ?
    ……まあ、私もそうなんだけどね。何というか、真っ白。とりあえずアレだ。

    「勝ったよ、私」

    ステイヤーではないけれど、菊花賞は、逃げ切れる。

    ……ところで、“あの景色”は何だったんだろう?

    おしまい。

  • 12二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 17:45:16

    あとがき
    スッキリした。次は有馬記念書きたいな。せっかくエアグルーヴやドーベルとの絡みがあるんだし。完。

オススメ

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています