- 1二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 19:07:44
- 2二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 19:07:59
窓の外から聞こえる鳥のさえずりで目を覚ます。
カーテンの隙間から微かに日の光が差し込んで、薄暗い部屋の中、埃がちらちらと舞っているのが照らされている。
ベッドに貼りついたように重い体を力ずくで引き剥がし、足元のスリッパに足を預ける。
一つ扉を開けれて寝室を出れば、そこはもう日常を過ごすリビング。
別段目立った装飾もなく、こざっぱりとした味気のない、四畳ほどの小さな居間。そのすぐ隣には棚を挟んでキッチンがある。
一人で使うには充分な広さ。
戸棚からコーヒーの粉と、マキネッタと呼ばれる直火式のエスプレッソを抽出するためのポットを取り出す。
複数のパーツが組み合わさったポットを分解し、粉と水を中に詰めて火にかける。
いつまで経っても、コーヒーを飲む時にはエスプレッソの濃厚な味わいと、それを作るこの一手間がやめられない。
火にかけてしばらくすると、
じゅっじゅっと水分が蒸発する音が聞こえ、抽出が始まる。
狭い部屋の中に温かなコーヒーの香りがいっぱいに広がって、目が覚めてからまだ寝ぼけている体に朝の訪れを告げる。
ポットの蓋がかちゃかちゃ揺れ、完成の合図。
一人分のカップにとろとろしたコクのありそうな黒い液体が注がれて、香りが今まで以上に強くダイレクトに鼻腔に届く。
最後に角砂糖を好みの分だけカップに落とし、それを持って居間のソファへとゆっくり足を運ぶ。
熱々の液体をずず、と音を立てて口に含む。
濃厚に苦味と砂糖の混じるほのかな甘味。鼻へと抜けるコーヒーの香りが口の中にいっぱいになる。
ほぅ、と一息ついて肩の力が抜けるのを感じる。
朝の一時。朝食も取らずに過ごす、この一人の時間。
今はこれが日常となった。
誰もいない、一人の日常。 - 3二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 19:08:28
「今日は、映画を観ましょう」
おぉー、たきなからなんて、珍しい。
「ただ、いつも千束が見ているような、派手なアクション映画ではありません。」
というと。
「映画を見るならこれは外せない、と評価の高かったものの中から、選んでおきました」
無難だねぇ。どれも名作ばっかりだ。
「千束は見たことあるんですか?」
いくつかはねー。映画ファンなら絶対見ろって評価。私も少し気にしたことあって。
「へぇ、千束にもそんな時期があったんですね。それで、どうでした」
肌に合わなかったね! やっぱり好きなものま見るのが一番!
「では、これはわたしが一人で観ますね」
あぁん……そんな冷たいこと言わないで一緒にま観よ~よぉ……。
「肌に合わないと思いますよ」
平気、たきなと一緒なら、なんだって楽しめるのが千束だよ。
「……そうですか」
照れてる照れてる。
「照れてません」
ひひひ
「もういいです、とりあえずこれを観ます」
お、それは私も観たことないね。
「なら丁度いいですね。後で感想を聞かせてください」
ほいほい、たきなもね。
「ええ」
- 4二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 19:08:51
窓の外を見ると既に日は沈みかけていて、一日が終わりへと向けて歩んでいた。
また一日中、ほとんど動かないでいたからか、ソファから立ち上がるだけで身体中がぎしっと軋む。
今日はお昼にピザを頼んでそれを半分食べた残りがある。
それと冷蔵庫から適当な惣菜でも見繕って、夕御飯とすることにした。
健康に悪いが、まあいいだろう。
最近は食への関心はとんと減ってしまい、その時なんとなく食べたいものを食べて過ごしている。
ネットで注文すればなんだって届く時代。
それは食べ物も同じで、昔では到底運べなかったような鮮度命の食べ物から、果てはコース料理まで。時代は進むものだなぁ。
でも、今はそんな気分じゃない。
買ってあったキャベツの千切りと大雑把に千切ったレタス、プチトマトを乗せて簡単なサラダを作り、残りのピザを温める。
好きなものを食べようにも、最近は食欲も細って何を食べようにも以前ほどに多彩に味を感じることがない。
自分の中にあった大切なものが抜け落ちて、それに釣られて付属した様々な感情まで抜けていってしまったみたいだ。
自分がこんな姿になることを想像なんてしたことはなかった。
手に取ったピザをもそもそと食べ進めながら、そういえば夜になるのにカーテンを閉め忘れたなと窓を眺める。
室内の明かりに照らされて、窓ガラスが鏡のようにこの姿を反射して映し出す。
独り自分の姿を眺める老婆が、そこにはいた。 - 5二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 19:10:49
「もう少し食生活には気を遣ってください」
『んー……でもさぁ……ご飯は自由に食べたいなぁって』
「それならせめて、もう少し楽しそうに食べられないんですか」
『…………たきなと、一緒に食べられたら、なんでも美味しいんだけどね』
「…………すみません」
『こっちこそ、ごめん。たきなのせいじゃないのに』
「わたしが、もっと一緒にいられたら、千束に寂しい思いをさせずに済んだのに……」
『でもさ、私はたきなが先でよかったって思ったよ』
「どうして?」
『案外、たきなの方が私より寂しがりだからねぇ。たきな一人にしたら、何するかわかんないじゃん』
「……いつまでも子ども扱いしないでください」
『子どもだよ。ほら、私なんてこんなしわくちゃ』
「それは……千束はまだ、生きてる」
『うん。まさかこの心臓のお陰で、誰よりも長生きしちゃうなんてねぇ。誰よりも早く死ぬと思ってたのにさ』
「わたしも、同じ心臓にすればよかったですかね」
『たきなは心臓じゃなくて脳だったから』
「まあ、歳でしたからね」
『痛かった?』
「さあ……ただ、最期まで千束が手を握ってくれていたことは覚えています。だから、痛くなかったと思います」
「じゃあ私の時は誰もいないから、痛いかな」
「……怖いですか?」
「痛いのは、怖い。でも、そん時はたきなに会えるって思えば、怖くない」
「今だって会えてるじゃないですか」
「そうだけどさ、やっぱり隣って感じはしないんだよね。見た目とか、たきなばっかり若くってズルい」
「自分で決めたわけじゃないです」
「私も若い方がいい」
「でも、千束はまだ、生きてる」
「…………」
「わたしは、千束が生きていてくれるなら、それが何より嬉しい」
「…………」 - 6二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 19:11:16
「千束が死ぬのは、いやだ」
「でもさ、人はいつか死ぬんだよ」
「でも、それは今日じゃない……結局その歳まで生きられてるじゃないですか」
『……はは、本当。何年一人で生きてるんだろ』
「わたしとお別れしてからは、三年と一ヶ月ですね」
『マジか、もう十年は一人でいた気分だわ』
「なら、あと七年ですね」
『ムリムリ、どうせあと一年くらいだよ。心臓もさ、取り替えてないし』
「何事も受け入れて全力、案外生きられるかもしれませんよ。それに……」
『ん?』
「どうせ、なんて言葉は、言わないんですよ。千束」
『……』
「さ、今日はもうお休みです。久しぶりに散歩でも行ったらどうですか」
『うーん、そうだなぁ……。
「近所の人にも会えますよ」
知らん人ばっかになっちゃったな。
「これから知ればいいんです。遅すぎることなんてない、ですよね」
……そうだね。うん、そうだ。
「それじゃあ、もう少し頑張れますね?」
たきなは……。
「はい?」
また、会いに来てくれる?
「当たり前じゃないですか。いつでも会えますよ」
そっか。じゃあ、頑張る。
「はい」
たきな。
「はい」
大好き。
「わたしもです」
またね。 - 7二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 19:11:41
目を覚ますと、カーテンの隙間から日の光が差し込んでいる。
ベッドに貼りついたように重たい体を力ずくでたたき起こし、窓の外を見る。
空には雲一つない快晴。
通学路を子どもたちがはしゃぎながら歩いて、犬を連れた老人と挨拶を交わしている。
ベッドを降りると、いつもは痛む脚が今日はやけに軽い。まるで誰かに支えられているかのように。
まさに絶好の散歩日和。
目的もなく過ごしていた独りの日常。
この歳になって、そこにまた一つ新しい光が差した気がした。
リビングに出て、寝覚めのコーヒーを淹れる。
体は次第に目を覚まし、今までにない活力が沸いてくるようだった。
久しぶりに外出用の着替えをタンスから取り出し、髪を整えて外に出る。
痛いぐらいに目映い日光に迎えられて踏み出した足は、どこまでも歩いていけそうなほどに、自由に動いていた。 - 8二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 19:12:30
今日はね、隣の須々木さんとこのおじいさんと
話ししてきたのよ。
「どうでしたか?」
映画が好きらしくってね、年甲斐もなく盛り上がっちゃった!
「千束の趣味と合うなんて、よかったじゃないですか」
だねぇ、やっぱ外に出てみるもんだ。
「だから言ったじゃないですか。千束は
そういう人です」
本当。たきなは私のことわかってるね。
「何年一緒にいたと思ってるんですか」
何年だろうね。
「自分で数えてくださいね」
いじわるだな。
「千束ほどではないです」
……なんかしたっけ?
「わたしはいいお嫁さんになれるって」
あー。そっちはいい人いないの?
「……わたしは、千束だけですよ。永遠にだって」
……照れるな。
「それで、他には何かないんですか? 今日のお話、聞かせてください」
聞いてるだけで、たきなは楽しい?
「ええ、千束の話を聞いていれば、一緒に歩いている気分になれます」
そっか、じゃあもっと聞かせてあげる! 散歩も人付き合いもまだまだ頑張っちゃおう!
「ええ、無理しない程度に頑張ってください」
心配性だなぁ、たきなは。
「なにせ千束ですからね」
むぅ……
「ふふ……さ、千束。話の続きを聞かせて一緒に連れていってください。わたしが生きられなかった世界まで、見たことのない星まで」
よっしゃ、千束さんに任せなさい!
いくぞ相棒! - 9二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 19:13:30
風船葛(ふうせんかずら)
花言葉は
『一緒に飛びたい』『自由な心』『永遠にあなたとともに』『多忙』 - 10二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 19:14:59
すごく寂しい感じだけどどこか幸せを感じる
- 11二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 19:24:31
死語も千束を助けてくれるたきな…
- 12二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 19:44:13
人工心臓の技術次第で一番長生きする可能性はあるよね
- 13二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 19:46:17
たしかに心臓が衰えないってのは長生きする上で大きな意味を持ちそう
- 14二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 19:56:50
死別(大往生)
- 15二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 21:18:27
「」で千束とたきなの距離が変わってるのか…
- 16二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 22:34:32
切ないけど、最後まで幸せな死別だな…
- 17二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 22:38:10
自分が先に死ぬと思ってた千束が周りから置いていかれて逆に一人だけ生きることで孤独を感じるってのは本編の一人で逃げたのと逆の状況でそういうのもいいなって…
- 18二次元好きの匿名さん22/10/04(火) 22:46:17
クルミすら寿命からは逃れられなかったのか…
- 19二次元好きの匿名さん22/10/05(水) 00:12:43
一人残されてよわよわになった千束を夢から助けられるたきなは凄いな…
- 20二次元好きの匿名さん22/10/05(水) 00:58:36
夢の中で永遠に一緒にいられるのいい