ここだけダンジョンがある世界のSSスレ・Ω

  • 1保険のハルサキ◆PE/kpaaw1s22/10/22(土) 20:45:33

    ここは「ここだけダンジョンがある世界の掲示板」の番外編みたいなスレです。本スレ、関連スレ以外へのコテハン・話題を持ち込むのは原則禁止。


    現行スレ

    ここだけダンジョンがある世界の掲示板 第2483層|あにまん掲示板https://bbs.animanch.com/board/1167850/前スレhttps://bbs.animanch.com/board/1130927/脳内設定スレhttps://bbs.a…bbs.animanch.com

    ・SSスレのフォーマットがふわふわしたまま立てているので、何か問題点などありましたら遠慮なくご指摘ください。

    ・他感想など頂けると喜ぶに決まってる。


    【あらすじ】

    冒険者相手に保険を売りつける変な会社の日常や過去について。基本的には不穏が居た頃の話です。

  • 2保険のハルサキ◆PE/kpaaw1s22/10/22(土) 20:56:31

    【保険のハルサキについて】
    ・会社概要
     武器や身体、健康に保険を掛け、一定期間ごとの保険料と引き換えに、対象の品に異常が発生したらそれを持ち主の元へと返したり、修復を行って弁償するという冒険者向けサービスを行っている、(多分)初の保険会社。三還四穏という七つの部署が独立して業務を行っている。
    ・奪還部
     無くしたり盗まれたりした物品を取り返す部署。ダンジョンに潜ることが多い。部長は元冒険者であり、喪服のドレスに身を包んだ麗人(男性)。
    ・生還部
     契約者の生命に危険が生じた際、急行して救助を行う部署。防衛や医療技術に優れる。部長は創業時のメンバーであり、かつて近衛兵長をしていた騎士の女性。
    ・還元部
     破損・完全に喪失した物品や重篤な怪我などについて修復を行う部署。魔術や工学など様々な技術を用いる。部長は若干十一歳の白髪の少女。お菓子とギャンブル依存症。
    ・穏便部
     保険の営業や契約に関する事柄を扱う部署。交渉において矢面に立つ。部長は極東出身、酒好きの元天才少年。
    ・平穏部
     契約の物品に対し、破損や喪失を未然に防ぐため措置を行う部署。貧乏くじを引くことが多い。部長は異様にネガティブ思考な、やんごとなき血統の竜血鬼。
    ・穏匿部
     表には出ず、会社自体や顧客、ライバル会社等の情報を取り扱う部署。部長は創業時のメンバーであり、社長に絶対に忠誠を誓っている男性。
    ・不穏部
     会社が悪意ある契約によってトラブルに巻き込まれた時の為に用意された自己防衛手段。対外的には存在しない。部長は自称アイドルの少女だった。

  • 3保険のハルサキ◆PE/kpaaw1s22/10/22(土) 20:59:14

    【賭博少女のポケットイン】

     カジノ。
     欲望と陰謀、取得と損失、欣喜と哀絶が入り乱れる混沌の場。全てが運によって支配される、運命の坩堝。
     花札、丁半、バカラ、ポーカー、そして手本引き。そのどれもが怪しい情報量でいっぱいに輝いている。そして私は、誘蛾灯に誘われる虫のようにふらふらとそちらへ……
    「還元!!」「はっ」
     信頼する彼の声で私は我に帰った。ギャンブルを見ると、つい夢中になってしまう。私の悪癖だ。
    「全く、ただでさえこんな場所なんだから……ふらふら歩き回らないで頂戴、危ないわ」「心配いらない……私も自分の身くらいは護れるし、次はきっと勝てる」「もう一度言うわ、絶対に離れないで」
     喪服の麗人と十歳前後の幼女という組み合わせは、明らかにこの場に不似合いだろう。しかし私はまるで家でも歩くかのように悠々と、カジノの奥へと歩を進める。
     やがてカジノを通り抜け、人気の少ない通路へと辿り着く。極東風の木製の梁組みがむき出しになった、薄暗く細長い廊下の先には扉があり、サングラスを着けた屈強な大男が二人、そこを護るように待ち構えている。
     どう見ても愉快な雰囲気ではない彼らは、そちらへと歩みを進める私達二人を認識するや否やすぐに近づいて来て……
    「「お嬢、お久しぶりです」」
     私に向かって、二人一斉に頭を下げた。
    「ん。久しぶり」「……どうも」
     何処か居心地の悪そうな同行者を先導するように、私は男の片方が開けてくれた扉を通って、カジノの最奥へと足を踏み入れた。

  • 4保険のハルサキ◆PE/kpaaw1s22/10/22(土) 21:00:42

     最奥に用意されているのは、カジノの豪勢さに比べて割合質素な部屋。極東の人間が好む草を編んだフローリングに、目立つ家具と言えば机と椅子くらいのものだ。
     その中央では、こちらに背を向けるように、一人の恰幅の良い男が胡坐をかいていた。こちらには気が付いているようだが、振り向く素振りは無い。
     私達は礼儀に則って履物を脱いでから正座し、その背中に呼び掛ける。
    「ご当家お座敷に失礼でござんす。手前は過ぎ行く春先の風に吹きおろす渡世人、昨日を切っては明日も知れぬ旅中の連れ立ち」
     口上を読み上げると、男はあぐらを組み直して一つ膝を叩く。『上がれ』の合図だ。
    「ご丁寧に有難う御座ぁす、軒の下は徒然に連れ立ち、勝手知ったるこの身なればどうぞお上がんなさい」
    「引いては有難う存じます、普段は鉄火に賽振る末席の保険屋、今は一抹のまろうど、何卒御免なすって……」
     この長い挨拶は、極東の一部地域で使われているマナーだ。私にとっては立て板に水のようなものだが、隣で黙っている彼にとっては未知の呪文のように聞こえるのだろう。相変わらず居心地が悪そうな顔をしている。

     それから数回のやり取りを繰り返した後、男はもう一度膝を叩いてこちらに向き直った。
    「叔父上! 久しぶり!」
    「ブランシュ! よう来たのぉ!」
     挨拶を終えると、彼はその相好を崩して私を歓迎してくれた。
     彼はこのカジノのオーナーに当たる人物であり、『路地裏の互助組織』の首長。私に縁深い人の一人でもある。今日やって来た目的は、所謂『里帰り』だ。
     私は鞄から、ラッピングした小さな箱を取り出して開けてみせる。入っているのは、青く光る水晶で出来た賽……冒険者や同僚の協力を得て作り出したプレゼント。
    「叔父上、お土産を持ってきた。賽子……私が自分で採って来た鉱石を、加工してみたの。……どう?」
    「こりゃ、掘るんは相当難儀したろぃ? 本当にええんか」
    「構わない。渡す為に持ってきたものだから」
    「ありがてぇ! しかも済んだ青色、極東の海の色だ。流石俺の好みを見透かしてらぁ」「と、当然」
     話したいことが沢山あった。暫く会わない間に、私がどんな経験をしたのか。新たな居場所はどんな所なのか。仲間たちはどんな人物なのか。

  • 5保険のハルサキ◆PE/kpaaw1s22/10/22(土) 21:05:54

    「それで……最近は冒険者ギルドで……劇場が変形して巨大ロボが……」「おう、おう」
    「……はあ」「お疲れですか、姐さん? それとも、兄さんとお呼びした方が?」「……構わないわ、どちらでも」
     私達二人が会話に夢中になっている間、後ろからは『奪還』の声が聴こえて来る。
    「言っておくけれど、貴方達の事を信用してる訳では無いから」「ああ、全く。路地裏を可能限り真っ当に生きようとする我々の努力を見て頂きたいものです」
     私が里帰りすると言ったらやけに心配してこうして付いてきたが、どうやら馴染めているようでうれしい。

    「そんでよぉ……今も賽、振っとんか? 保険屋はそういうことを嫌いそうだと、それだけが心配で──」
    「ふふふ……渡世人として、中央のギルドでもその名を轟かせている。ギャンブラーと言えば、私だと。一流のランカーにも引けを取らない実力だと」
    「おぅ、流石!」「よっ、賭場の姫様!」「物は言いようね……」
     私が賭博をするのは、自分の為だ。己の衝動に従っているだけ。それが一般的にはあまり好ましくない事も分かってはいるが、止められない。
     他人に認められるためにやっている訳ではないが、それでも彼らが喜んでくれるのは嬉しかった。

  • 6保険のハルサキ◆PE/kpaaw1s22/10/22(土) 21:15:37

    「それでね叔父上、この前は──」「叔父貴! 失礼しぁす!」
     話を続けようとしたところで、外から駆け込んできた声に遮られた。
    「ん……」「あら……?」
    「おいハチ、客人がお出でだぞ。無礼だろうが、後にしろ」「いや……構わない。仕事を優先して欲しい」「はっ、御免こうむります、ちょいと今、厄介な客が来てまして」
     厄介な客。
     この場所は王国から認可を受けてはいる。そうでなければ運営できない。しかし、特徴上どうしてもアングラな要素が含まれるのも致し方が無い事だ。
     彼が此処を運営しているのは、『表を歩けない人間の行き場』たる為であり、だから私のような人間をも受け入れてくれた。そしてその代償として、このカジノには時折こういう危険が訪れる。
    「卓は」「花札です……奴め、まるで見えているみたいに次々と役を。このままじゃ金庫が吸い尽くされまさあ」「適当に理由を付けて、追い出す訳にはいかないのかしら?」「そうは行かねえ、サマやってねえ限りは受け入れるのがここの掟だ。で、ハチ」「はい、今目付を三人やってますが……目覗きもサクラもとんと尻尾を掴ませねえで」
     彼らもプロだ。普通の人間なら、どれだけ生来の幸運の持ち主であっても限界があるという事を熟知している。
     そんな人間が此処に駆け込んでくるというのは、つまりイカサマをほぼ確信しているという意味。そして、その観察眼を以てしてもなお、イカサマを見抜くことが出来ていないという意味でもある。

  • 7保険のハルサキ◆PE/kpaaw1s22/10/22(土) 21:30:02

     首長は一つ舌打ちをして、考え込んだ。この場所が今まで運営できていたのは、こういう事態に対処するノウハウがあるからだ。知識と経験はマニュアル化され、ここに入って一週間足らずの人間でも、素人のイカサマなら彼に報告を届けるまでもなく容易く見破れる。
     それをわざわざ報告しに来るというのは、事態はその処理能力を超越しているという事を意味しているのだ。こういう状況で打てる手はそう多くは無い。金か、信頼か……何かを犠牲にする選択肢しか残されていない。

    「私が行く」

     今日が偶然里帰りの日でなければ、そうなっていたのだろう。つくづく私は運が良いな、と思った。
    「ブランシュ、それは駄目だ。お前は娑婆の人間で……」「ここに世話になって、一宿一飯では済まない恩義を受けた。それなのに、十分に礼を返せていない。これは……保険会社の社員としても、渡世人としても、認められない」
     彼は黙り込んだ。代わりに声を発したのは私の同僚だ。
    「還元、貴方……ひょっとして……」「ん、当然、勝ち負けについては心配しなくていい」
     本職の人間を全員騙す玄人相手に無策で挑んでも、勝ち目など無いだろう。私にイカサマの技術は無い。ついでに言うと、それを見抜く技術も、それ自体は持っていない。
    「『本を開く』つもりだから」
     だが、能力なら持ち合わせている。
    「……大丈夫なの?」「そうだ……アレはそう気軽に使えるモンじゃあないと聞いてるぞ」「問題ない。最近は調子が良い、制御にも慣れて来た」
     これは気休めでは無く本当だ。私は……私はその時、こう思っていた。
     親代わりのような、二人の大切な人に、自分の成長を見て貰いたいと。

     親の目の前でピアノのお遊戯会に出る子供のように、それよりも悠然とした立ち居振る舞いで……私は鉄火場へと足を運んだ。

  • 8保険のハルサキ◆PE/kpaaw1s22/10/22(土) 22:01:12

    「おい……客を待たせ過ぎじゃねえのか? ディーラーは何処だよ、逃げたのか?」
     件の花札の卓に近づくと、想像していたよりもずっと若い男の声が聴こえた。
     サクラ……複数人で情報をやり取りすることを警戒して、他の客は組員が別の卓へと誘導した筈だから、彼が問題の客だ。
    「いえいえ、今『白の座敷に金庫の鍵を取りに行っている』ところでして。いやあ、お客様がツキにツイておられるもんで、これは足りんぞと大慌てでさぁ」
    「フン、まあな。さっさと鍵を取って来いよ、そっちの予想通り……今日の俺はツイてんだよ」
     白の座敷に金庫の鍵を取りに行く。
     このカジノでは、関係者のみに現状を伝えるための符牒……暗号が使われている。今の台詞はその一つだ。私が出て行った後のこの場所については詳しくないが、きっと暫くの間使われていなかった言葉の筈である。何故なら、その意味は……
    「ディーラーは暫く居ませんが、その間他のお客様とサシで遊ばれてみては?」
     『ブランシュが出る』。

    「失礼」
     座敷に入って来た私の姿を見て、客は明らかに鼻白んだ。
     彼も玄人なら、ここで突然他の客が入って来る意味は分かっているだろう。客というのは建前、ここで出て来るのはカジノの息のかかった人物だと。カジノが子飼いの真剣師を持ち出して負け分を取り返そうとする事は珍しい事ではない。
     だが、それが未だ初等教育の中途にしか見えない少女だとは想像できなかったのだろう。
     更に、後から入って来るのは喪服の麗人と、先程まで彼と話し込んでいた組員……このカジノのナンバー2だ。彼にとっては尋常では無い状況だろう。
    「……おい、ここは幼稚園か? いつからガキの遊び場になった?」「ウチは幅広い客層がモットーでして」
     当然の反応だ。私は特に気を悪くする事も無く、その言葉にはただ一抹の懐かしさだけがあった。
     相手の姿に驚いたのは私の方もだった。てっきり老獪な渡世人とばかり思っていたが、そこに居た男はせいぜい16程度、青年と少年の境目くらいの年齢だったから。

  • 9保険のハルサキ◆PE/kpaaw1s22/10/22(土) 22:23:40

    「心配しなくても、掛け金は持っている。年若いのが気に食わないのなら、貴方も大して変わりは無い」「……良いぜ、相手がカジノだろうとガキだろうと、金持ってんならな」
     そう言って、男は座敷に膝を立てたまま座り直す。私もその対面に正座して、ディーラーが札を配り始めるのを待った。
    「親は貴方から、ルールはこいこい。これで良い?」「これで良い? だと……それはこっちの台詞だが」
     底意地の悪い笑い声が返って来る。
     こいこいは花札のもっとも代表的なルールの一つだ。大きな特徴の一つは、一つのゲームが終了した際に『こいこい』……簡単に言えば、ダブルアップを宣言出来る事。こいこいを宣言する度最終的な得点は積み上がり、そしてその回数には際限がない。
     つまり、勝ち続ける人間がこいこいを宣言する限り、相手は膨れ上がる掛け金から逃れることが出来ないのだ。
    「勝負は平等、掛け金は多ければ多い程……楽しい。問題は無い」「楽しい……いやあ、最近のお遊戯会は随分アングラだな、おい?」
     後ろで見守っている同僚が明らかに緊張しているのが分かった。私は特に気負う事も無く、ただ……
     『本のページを開く』。

  • 10保険のハルサキ◆PE/kpaaw1s22/10/22(土) 23:22:01

     松に鶴、桜に幕、芒に月。梅に鶯、松に赤短、牡丹に青短。藤、芒、桜、萩、菊……
    「三光だ」
     彼は着々と役を揃えて行った。
    「こいこい」
     そしてこいこいを宣言し、掛け金を積み上げる。
     対して私の手札に来るのはどうしようもない札ばかり。まあ、これはイカサマとは関係なく私の運のせいかもしれない。
    「はは……花見で一杯、こいこいだ!」
     彼は私の事を、完全にカモとして認識していた。世間知らずの金持ちの娘が危ない夜遊びに手を出しているとか、そういう物語を自分の中で作り上げているのだろう。今まで一度も勝てていない私は……
     心の中で、静かに落胆の溜息をついた。
     どうやら彼は、イカサマを抜きにしても、勝負師としては半人前も良い所だった。
     余りに呆気なく、勝負に乗って来る。普通ある程度勝負勘がある人間ならば、この状況に違和感を感じてしかるべきだ。彼の技術はかつて応対した客の誰よりも巧妙だが、その精神性はその誰よりも未熟だった。

  • 11保険のハルサキ22/10/23(日) 00:00:22

    「へへ……運が無かったな……コレも社会勉強だと思いなよ、こいこいだ……」
     彼は年若い。こういう場に来ること自体、初めてなのかもしれない。一体どうしてこんな場所に来て金を稼ごうとしているのだろう?
     ……どんな取り返しのつかない運命が、彼を襲ったのだろう?
     こいこいで膨れ上がる賭け金には完全に興味を無くした私は、彼という人間に興味を持ち始めていた。
    「おい、嬢ちゃんの番だぜ、捲りな……」「……」
     ボーっとしていたようで、彼から急かされる。
    「まあ、呆然とする気持ちは分かるがよ、コレも勝負だ、金はきっちりと……」「……これは、渡世人としてのアドバイスだけれど」「は?」
     私は畳に広げられた札から、無造作に目当ての物を拾い上げた。……それが正解だと、分かっていた。
     コレは初めからギャンブルではない。だから、つまらない、酷く退屈な……作業だ。
     魔力というのは様々な形がある。人間の中にあるものもあれば、空気中を漂っている種類もある。殆どに共通しているのは、特別な技術を持った人間でないとそれを感じ取ることは出来ないこと。
    「勝って勝って、只管に勝ち続ける時……その先には必ず、絶望的な未来が待っているもの。運命はいつでも残酷だから」「……何を言ってんだ?」
     札の絵柄は桜に幕。
    「そしてもう一つ、これは保険の専門家としてのアドバイスだけど」
     札を捲る。絵柄は芒に月。
    「保険というのは……それ自体に寄りかかってはいけない。ただ貴方の隣にあるだけだから」
     札を捲る。桐に鳳凰、そして、柳に詩人。
     私の手札は見えない筈の彼の顔が、そこで急に蒼くなった。
    「おい……」「私達はそれを、モラルハザードと呼ぶ……」
     保険に依存した人間に、未来は無い。
    「松に鶴。桜に幕、芒に月、柳に詩人、桐に鳳凰」
     最後に捲った札を、手札の四枚と一緒に放り出す。
     揃った役は五光。花札において、最高の得点を持つ最強の役だ。
     それが一発で揃うことなど、本来のギャンブルならあり得ない確率だと断言していい。

  • 12保険のハルサキ◆PE/kpaaw1s22/10/23(日) 00:12:38

    「お、お前……お前……!」「魔力を目印にガン付け……単純だけど巧妙な手段」
     絡繰りは単純明快。他の人間には見えない魔力を固め、札の裏側から絵柄を見通せるようにしていたのだ。
     本来は空気中に霧散してしまう魔力を一定の形に維持し続ける技術は、並大抵のものでは無い。専業魔術師としての訓練を積んだ人間でなければ出来ない芸当だ。
     今私が役を揃えたことで、こいこいで膨れ上がった得点はすべて私のものとなった。ここで私がゲームの終了を宣言すれば、彼はイカサマを見破られた上、多額の返済を負う事になる。
    「……ここで、こいこいを宣言しなければ。終わるのだけれど」「……」
     蒼白な表情で黙ってしまった少年に、私は笑いかける。

    「退屈だと思わない?」

     しかしもはや、そんな事はどうだっていい。想像していたよりもずっと低レベルな茶番に付き合わされた私は、些か苛立っていた。気晴らしに最適なのは……ゲームだ。
    「今から魔力の目印を全て消す……イカサマの出来ない状況で、最後の一勝負。目印も情報も無い、純粋な運勝負……」「おい、止せ、お前……」「そうしたら……どうなるのだろう」
    「知りたいの……全てを奪う運命に喰らわれる、貴方の味……!」「還元!!!」「はっ」
     信頼する彼の声で私は我に帰った。ギャンブルをしていると、つい夢中になってしまう。私の悪癖だ。
     もうイカサマは見破ったのだから、私の仕事は終わり。ゲームはお預け。仕方が無い。しかし彼はもはや冷静な判断力を失っているようで……しかし何かを思い出して、私に指を突き立てた。
    「……思い出した……お前、消えたんじゃなかったのかよ……!」
    「『暴食の賭姫』!」
    「……」
     その名前を呼ばれるのも、久しぶりだった。

  • 13保険のハルサキ◆PE/kpaaw1s22/10/23(日) 00:31:30

    「な、何のことかワカラナイ」「おい!!!」「兎に角。イカサマは見破った。貴方はここのルールを破った」
     どんな組織、どんな共同体にもルールがある。王国の法律を破れば憲兵に捕らえられるように……ここのルールを破れば、ここのルールに基づいた責任を負う事になる。
    「いやあお客様、申し訳ございません。まさかイカサマだとは」
     今まで沈黙を貫いていたナンバー2が、ここで白々しく宣言した。
    「彼の身柄は、我々が貰い受けても?」「……」
     彼には今回カジノから不正な手段で巻き上げた金の賠償と、今の勝負で私に対して支払う責任が課せられている。見たところ裕福ではない彼には事実上不可能な支払い……カジノが暴力的な手段に訴えることは無いとしても、この路地裏で生きる事は出来なくなるだろう。
     私は暫く考え込んだ。札を捲る時のあの手つき、自分が勝てるという確信に隠された感情……
    「……私が貰い受けても良い?」「えっ」「ほう」「はあ!?」
     反応は三者三様だった。
    「今回の支払いに関しては、私が受け持つ。勿論、最終的には彼が返す形にしてもらう……働いて」「我々としては、そこのがサマで持って行った分が戻って来るのなら、それで構いませんが」「おいこらガキ……何処に連れてく気だ、俺を……」
     覇気のない声で虚勢を張る少年に、私はもう一度微笑んで見せる。彼の肩が怯えたように竦む。……笑顔は難しい。

  • 14保険のハルサキ◆PE/kpaaw1s22/10/23(日) 00:33:20

    「心配しなくても。身体を売るとか奴隷とか、そういうのではない。真っ当な企業。貴方の技術があれば、十分やって行ける」「は、はあ……?」「私は貴方に興味がある」
     還元部の仕事は修復再現。傷を癒し、破れ目を繕い、どんな物でも直す部署。しかしそれでも、心は治せない。一度空いた穴は、それからどんな素晴らしい人生が降り注いでも、それを漏れ出させてしまう。賢い人間は、あて布をしてまた新しい器を作り出すことが出来るが、完全に治すのは不可能だ。
     そして私達は……壊れた器を抱えて、そのまま歩く道を選んだ者たちだ。彼にはその素質があった。震える手、快哉を叫ぶ笑顔、こちらを見る眼差しを薄く覆い隠している……抑えきれない、運命への絶望。
     あの日、彼女が私にしたように。可能な限り淡々と、私は言葉を紡いでみた。
    「貴方の中身を見せて欲しい。そして……」
     一緒に地獄の最果てに行こう。そこを美しい色で塗ろう。
     どうせ絶望的な賽の目ならば、そうと分かっていた方が楽しめるから。


    保険のハルサキ、還元部部長より。
    新入社員候補を一人採用。向こうもこちらでの労働に乗り気であり、気力十分。一定期間研修を行う事に付き、期間中の業務への支障が生じる由了承されたし。

    許諾 保険のハルサキ代表取締役社長ハルサキ

  • 15保険のハルサキ◆PE/kpaaw1s22/10/23(日) 00:38:58

    「ブランシュ……今日は世話ぁなった」「構わない。こちらも貴重な人材を確保できた」
     里帰りも終わり。私は親代わりの彼に別れを告げる。手を振ると、腕輪にあしらわれた賽のオーナメントが小さな音を鳴らす。
    「また来るから……その時まで、元気で」「ああ……なあ、最後に一つ聞いても良いかぃ」「どうしたの?」
    「ギャンブルは……好きか?」「……好きだよ」
     それを聞くと、彼は安心したように一つ息をついて、こちらに背を向けて仕事に戻った。私達も一つ礼をして、部屋を後にする。
     彼はギャンブルを愛している。極東で出会った賭博という娯楽に魅せられ、それをあくまで楽しみとして提供しようと苦心している。だから不安だったのだろう。『暴食の賭姫』の現在が。

     宙を舞うコイン、トランプの並び、転がる賽を見る度に、救われたあの日の事を思い出す。
     永遠に消えない苦痛を呑み込んで、ぼろぼろの身体で歩み始めたあの日の事を。
     だから、ギャンブルが好きだ。

    「ついでにもう一勝負くらいしてから……」「帰るわよ!!!!」「ううぅ」

     このカジノを出て保険会社に就職して以来、私が行ったギャンブルは小さい物も含めると3627回。
     うち、最終的な結果が赤字以外で終わったのは延べ58回。
     これは、私の今の人生における最大の未解疑問だ。

  • 16二次元好きの匿名さん22/10/23(日) 01:18:08

    読了しました!
    実況スレでも書き込んだけどすげーーーよかった!!ダンスレ本スレでもダイスに一喜一憂してるけどこの還元ちゃんの背後にジャラジャラと何度も振られて雨のように鳴る賽子を幻視しました。
    普通の少女と狂気のギャンブラーが綺麗に成立してる〜!少女が絶望して救われた過去…なんだろね…キニナルネ…
    「これは、私の今の人生における最大の未解疑問だ。」この締めにゾクゾク来た〜自分が赤字にならないってことは絶望まで行き着く前に引き戻させられたことにほかならず、そのギャンブルの運命の果てを見ることが出来なかったという悔いなんだろな〜って勝手に解釈してギャンブルを愛しすぎる還元ちゃんサイコーってなりました!!!!

  • 17二次元好きの匿名さん22/10/23(日) 01:25:14

    ハルサキ関連だから超超警戒してたけど読後感マックス良すぎてうっは〜〜ってなりましたうっは〜〜って。強い幼女が好きなので還元ちゃんのクールかつ狂気的な一面が見れて感激しましたやっぱ役職持ちぶっ壊れてるんやなって。

    そしてそんな幹部達より頭おかしい疑惑が出てた一般社員達のストーリーも知りたかったので嬉しみ。特に自己肯定感バグってる姉妹が私とても気になります。

    不穏ちゃんと平穏ちゃんのストーリーに怯えながら今日を生きよう……

  • 18暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/23(日) 23:20:26

    『世界の運命が私から全てを奪うのなら、私が運命となって全てを喰らい尽くそう。』

    【黒い湖の出来事】

  • 19暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/23(日) 23:22:08

    『ヘルマーは一人ぼっちで泣きました。一人ぼっちで泣きました。一人ぼっちで泣きましたもう誰も来ないのです。黒い湖に一人ぼっちで誰も来ないのです。ヘルマーは一人で。』


     反響反響反響する誰かの声に揺さぶられるかのように、目を覚ました。
     記憶が曖昧だ。ここがどこかも分からない。……なのに、不思議と意識が鮮明だ。見覚えのない煉瓦造りの部屋の、その煉瓦の一つ一つに至るまで正確に見分けられる。未だ目覚め切っていない脳には、薄暗い筈の地下室が眩しすぎるくらいに見えて、不快感を覚える。
     混乱する私の耳に、男の声が入って来る。読書会の人間の声……私から家族を奪った……しかし、次の瞬間私の思考は粉々に吹き飛んだ。

    「や」「あ」

     例えば。
     自分の耳元で一斉に、百人の人間が声を出したら。きっと人はそれを理解できない筈だ。一つ一つは意味のある文章であったとしても、ただの雑音としてしか認識できないだろう。
     その瞬間起こったのは、まさにそういう事だった。

    「起」「き」「た」「「ん」」「「だ」」「「ね」」

     なんて事は無い筈のその一言、一言が。私の耳元で大量の爆竹を鳴らすかのように。圧倒的な情報量を以て、脳を支配した。
     私は悲鳴を上げて思わず耳を塞いだが、その悲鳴が、吐息の振動が、血管の音が、更なる情報量となって私の脳を揺らす。

    「「「大」」」「「「丈」」」「「「夫」」」「「「で」」」

    ──私の意識は、そこで再び途切れる。

  • 20暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/23(日) 23:24:43

     自立学習型読本『F.L.Y.』。
     私を拉致し、家族を目の前で殺した読書会の人間が私に植え付けたそれは、意志を持ち、成長する呪いの一種。
    「"互助会"の人には『今までに無い、成長する本を読むための鍵』だと説明されたのです」
     それは、情報を喰らうことで生きる。だから只管に情報を求める。私の感覚器官が知覚する情報を、全て喰らい尽くす。蓄えられた情報量は、当然私にも押し付けられる。
     本来なら知覚から認識になる過程で捨てられる情報が、全て脳に詰め込まれるのだ。
     宿主の理性と精神をも擦り減らしながら肥え太り、最後には宿主と共に死ぬ、最悪の寄生虫……

    「こんな代物だとは思いませんでした。付き合わせてしまって本当に申し訳ない」
     己の所業について説明した後、読書会の人間は彼らにこれを与えた"互助会"への怒りと私への謝罪の気持ちを露わにした。
     口調や生理状況から相手の感情を完璧に理解することが出来た私には、その情報量に吐き気を覚えつつも、彼らの本当の感情が手に取るように分かった。
    「人間に情報を詰め込んで、本にするなんて……信じられない。酷い所業です。今まで犠牲にして来た子供たちにも、申し訳が立たない……」
     彼らの言葉には、一片の偽りも無いと。

     そうして、どこにでもいるごく普通の10歳の少女だった"それ"は、取り返しのつかない地獄へと堕ちた。親も友人も全てを失い、情報を喰らい尽くす悪魔のような"プログラム"の形代と成り果てる。
     何が悪かったわけではない。明確な理由があってこうなった訳ではない。これはただ運命、運命だった。何の理由もなくやって来て、過ぎ去ってしまって二度とは帰らない。
     頭の中で、五月蠅く賽の転がる音がする。

  • 21暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/23(日) 23:28:38

    『辞典は必要だが、辞典のような人間は要らない』
     読書会から出る事を許された私は、吐き気を堪えながらスラムでの数日を凌ぎ、腰を落ち着けられる場所を探し出す。
     黒蠅組は、裏路地に数多存在するギャングの一つだ。主な収入は、カジノ。

    「此処はな、嬢ちゃんみたいな子が来るような場所じゃねえんだよ。菓子でもやるから帰んな」

     入口の見張りが私を見咎めて外に追い出そうと近づいて来る。捨てられた子供は、裏路地ではそう珍しくは無い。その一人だと思われたのだろう。
     時間切れになる前に、私は今まであえて散漫にしていた意識を集中させる。
     カジノ中の情報……満ち満ちたざわめき叫び声酒の匂い足音煙草の熱振動息遣い灯り虫の羽音満ちた情報量情報量情報……
     えずきながらそばの壁に手をついて。

    「おい……さっきから何やってんだ……」「三番テーブル……」
     だが、この機会を逃すわけにはいかない。
    「壺の中の賽子の目は、3と2……二番テーブルの女性客は今から、半に十五枚賭ける……ポーカーのテーブル、ディーラーから見て一番右の男……ダイヤの3を入れ替えて、揃える、う……」
    「ロイヤル、ストレート……」
     私が言い終わるのとほぼ同時に、
    「ロイヤルストレートフラッシュだ!」
     快哉を叫ぶ声が、カジノの扉の向こうから私の耳朶を打つ。きっと目の前の男にも聴こえた筈だ。思わずぎょっとしてそちらを振り返っているから。
     私に認識できたのは、そこまでだった。私は壁に手をついたまま、ゆっくりと意識が刈り取られていくのを感じた……

  • 22暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/24(月) 00:04:32

    「……起きたかィ、嬢ちゃん」

     次に目を覚ましたのは、知らない部屋、知らない声に呼び起こされてのものだった。私は革張りのソファに寝かされていた。
     目の前で私を見下ろしている大柄な男は、黒蠅組を取り仕切る顔役。ほんの数年前に裏路地で旗揚げしたばかりの新参者で、本業の"治安維持"やカジノの運営など金の工面に苦心している……裏路地に飛び交う有象無象の情報をかき集めて、私は彼の人柄を完全に把握していた。この人物なら、私を此処まで招き入れもするだろう、と。
    「入り口で訳の分からんことを言ったと思ったら、急にぶっ倒れたと……な。間違ってないかぃ?」「……」
     私は黙って頷いた。舌も喉も熱病に罹ったかのように痛む。自分行動で情報を増やしたりするのは時間と精神の無駄だから、極力何も言いたくなかった。
     私が返した薄い反応に、男は一つ溜息をつくと、言葉を続けた。
    「嬢さんが何を言ったかも、入り口から聞いた。……どんな絡繰りを使ったかは知らんが、こんな馬鹿馬鹿しい仕込みをするとも思えん」
    「……」
    「で……結局嬢さんは、一体ここに何をしに来たんだぃ?」
     確率には祈らない。人情には縋らない。こうなると分かっていた。淡々と計画を進めに来た。
     大きく息を吸い、声を絞り出す。
    「……私と……取引、を」
    「取引……?」
    「私の力が……必要、でしょう?」

    「厄介な客を……相手してあげる」

     利益をちらつかせれば、人間は簡単に踊るのだ。

  • 23暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/25(火) 23:27:19

     カジノ。
     欲望と陰謀、取得と損失、欣喜と哀絶が入り乱れる混沌の場。全てが運によって支配される、運命の坩堝。
     そして……私の餌場。

    「レイズ」
     掛け金を吊り上げれば、対面の椅子に座った男の動揺が手に取るように分かった。彼の手札は、7-ハイのストレート……かなりの強さだが、それで勝負に出る事に及び腰になっている。
     結局、男は金を払ってゲームから降りた。私は何の役も出来上がっていない手札を放り出し、男に見せつける。彼の顔が苦痛と屈辱で歪み、すぐさま次の勝負を申し出た。
     その心境は見え透いている。次、私がレイズしたら……彼はどんな手札だろうと、徹底的に食らいついて勝負してくるだろう。先程の『本当なら勝っていた』負けを取り返す為に。
    「レイズ」「……コールだ!!」
     自棄になったように叫ぶ。もはや理性や利益衡量ではなく、闘争本能だけが彼を突き動かしていた。
     現実に『本当』なんて存在しないのに。あるのは現実だけ。取り返しのつかない現実だけ。
    「フルハウス!!!」
     ああ、可哀想な人。
     この卓に座った瞬間から、もはや全ては決まっていたのだ。彼がここまで勝負を続ける事、ここでフルハウスを引き当てる事、そして……
    「……フォー・オブ・ア・カインド」
     その賭けが裏目に出る事。
     財産、感情、運命……その全てを、私が喰らい尽くす事。
     青ざめた獲物に向かって、私は笑みを浮かべる。
    「いただきます……」

  • 24暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/26(水) 02:26:48

     視線。呼吸。声色。脈拍。
     人間は所詮、その内に秘めた"感情"まで含めて、全て数値化出来る情報の塊に過ぎない。
     周囲の環境の情報を収集すれば、コインの表裏すら弾く前から分かる。
     私に宿ったのは、運命を手中に収める力だった。賭博を道具として扱える。だがカジノの客として稼ぐのは胴元とのトラブルを招く可能性がある為、敢えてその中に潜り込んだ。カジノお抱えのギャンブラーが存在することは、その手の世界では常識らしい。

    「今日の……利益、だよ……はい……」
    「お嬢、大丈夫で──」「うるさい……話しかけ、ないで……」

     一日の仕事を終え、戦利品を纏めて担当の人間に放り投げると、私はすぐにトイレに駆け込む。蓄積した情報がもたらす吐き気を解放しようと、中身が無くなった後も暫く呻いていた。
     頭の中では常に、何かが喧しく騒ぎ立てる。
     もっと強烈な情報を!
     もっと鮮烈な感情を!
     苦しい。辛い。悲しい。……帰りたい。しかし、呪いは消えない。運命の焼き印は私の脳の奥深くにまで染み着いてしまった。

  • 25暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/26(水) 02:27:04

     私に掛けられた呪いが、それを強制した理不尽な運命が、飢えを感じて止まないのなら。
     私が全てを喰らい尽くそう。自らを運命の奔流と化し、全ての人間が私と同じように『取り返しのつかない』どん底に堕ちてしまうように。情報も、感情も、財産も、全てを奪い、吞み込んでしまおう。
     この貪食が、世界への復讐だ。

     ──いつしか、黒蠅組の運営するカジノにはこんな噂が立つようになった。
     あそこには『暴食の賭姫』がいる。一度胃袋に入ってしまえば、逃れる術は存在しない、と。

  • 26二次元好きの匿名さん22/10/28(金) 21:01:48

    保守

  • 27暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/29(土) 20:43:54

    「お嬢、お気分は?」「……」
     世話役として宛がわれた新入りの女性が、私に声をかけて来る。
    「お嬢」「……放って、おいて……仕事はする」「……後程、あの方がお呼びです」
     それだけ言うと、彼女はまた定位置……私を監視できる場所に立って静止した。
     ここに来てから一か月と少しになる。頭が痛い。吐き気も止まない。蓄積された情報の全てが私の頭に重しをかける。その中でも特に鮮明なのは、あの過去の瞬間の回想、振るわれる刃物の煌めきも、大事な人が今わの際に叫んだ私の名前も、全てが手に取るように鮮明に鮮明に鮮明に思い出せて……
    「けほっ、けほっ……」「お嬢、やはり具合が」「……あの人に会いに行く」
     また何か言いだして無駄な情報を蓄積する前に、私は重たい体をベッドから引きずり下ろした。

    「よお新入り、案内ご苦労」「……」
     黒蠅組の当主に呼び出された。理由は何だ? 私との契約を今反故にされるわけにはいかない。ここで十分な資金と情報を集め、目的を果たす足掛かりとしなければならない。
    「あー、その何だ。嬢ちゃん、よく来てくれたな。無理してねぇか? 随分働いてくれているようだが……」
     目の前の男は私の焦りを意に介していないのか気が付いていないのか、世間話を始める。私の脳のざわめきが強くなり、苛立ちが募る。
    「っ……用があるなら、早く……して欲しい」「ああ、済まん。やっぱりまだ調子は良くないのかぃ? こんな場所だとマトモに薬も用意してやれ……」
     なおも無関係の話を続けようとしたが、私の瞳をちらりとのぞき込むと口をつぐんだ。

  • 28暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/29(土) 20:49:55

    「あー、まあなんだ、ちょいと聞きたいことがあっただけで……そう身構えなさんな」「……」「その……ギャンブルは好きかぃ?」
     何を聞くかと思えば。
    「それは私達の仕事に関係のある事柄?」「……いや、そういう訳じゃ無いんだが──」
     計画を早めるべきかもしれない、と私は思った。能力を持っていてもそれを発揮する場の管理者がこんな風では、出来る事も出来なくなってしまう。
    「好きでも。嫌いでも。仕事はこなす。十分な成果はあげている」
     まずは、黒蠅組を乗っ取る。この男を何らかの形で退場させ、資金で戦力を集め、新しく編成し直す。資金と戦力、そしてこの能力さえあれば、裏社会の経済を握るのは容易い。
     そして、そして……全ての人間の運命を。私自身が運命となって。喰らい尽くす。
     私の返答を聞いて、男は黙ってしまった。どう思っているのかは知らない。今はそれに割くリソースすら勿体ない。

  • 29暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/29(土) 23:52:29

    「お嬢、入り口から連絡が。お客から指名があったと」
    「……すぐに行く……」
     名が知れ渡ってから、こういうことも珍しくは無くなった。賭博者というのは死地に飛び込む習性でもあるらしい。効率が良いから構わない。或いは己の運を信じ、また或いは完璧な手管を信じていたが、いずれも運命の前に散った。
    「おい……」「まだ何か?」「……いんや」
     私はもはや男への興味を失い、踵を返して足早に部屋を出た。
     飢えが収まらない。渇きが止まない。その為に金を手に入れる。情報を手に入れる。全てを手に入れる。運命を掌握する。
     脳内で叫ぶ欲求と憎悪に急かされて、狩りに向かった。


    「……済まないな新入り、難しいシゴト任せて。ウチは男所帯だから、どうにも」
    「いえ、やりがいのある仕事ですよ。お嬢の為に出来る事を全力でやっています」
    「……へェ、そうかい。呼び止めて悪かったな、行ってやれ」
    「……はい、ボス」

    「今日の賭場は……荒れそうだ」

  • 30暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/30(日) 00:19:15

    「卓は?」「ポーカーです。麒麟の間に通しています」「……そこまでする必要があるの?」「呼び出しの時、随分な金を積まれたみたいで……」
     移動しつつ、世話係と手短に情報共有を行う。麒麟の間は上客への接待や、それに相応の大きな勝負を行うために設けられた場だ。
     世話係が扉を開くと、電飾で過剰なまでに照らされた室内と、壁に飾り付けられた不似合いな極東の剣が目に飛び込んでくる。私の頭痛はより一層酷くなるが、それを表情には出さずに挨拶をする。

    「失礼します。私に何か御用で──」「だからよぉスタッフさぁん! 俺ぁ酔ってねえし……イカサマとかサクラとかそういうんでもねぇし、何より酔ってねぇからよぉ!」「その、お客様。困ります……」
     入るなり、とんでもない大声で耳を貫かれた。私は思わずふらつき、新入りに支えられて何とか踏みとどまる。
    「麒麟の間の賭博は、勝負する二人の他にはスタッフ二人以外誰も入ってはいけない規則でして……」「誰も酔ってねえし! それに俺と姐さんは一心同体だぞ!」「お引き取りを……」
     極東風の着物を着た男性が、酒瓶を抱えながらスタッフに連れ出されていた。会話の内容からして今回の客の同行者のようだが……
     私は疑問を持った。本当に彼らが、私の獲物に足るだけの上客なのか?
    「うおっお姫さん美人さん! 幼げでクールな顔立ちがグッド! ねぇねぇ後でスクロールの番号交換し」
     今摘まみ出された男など、良くてどこかの会社の社員かギルドの冒険者崩れが関の山に見えた。

  • 31暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/30(日) 00:32:25

    「高貴な人間を迎えるには相応の振舞いがあるものです」
     余りにも強烈な情報量に暫く気を取られていた私は、先客の女の声で意識を取り戻した。
    「先ほどは連れの男が、失礼をしまして。お詫び申し上げますよ、"姫様"」「……構わない……」
     私は気を取り直す。この部屋に案内される以上は、それなりの額を余暇に費やすことの出来る人間であることには違いないのだ。
    「それでは僭越ながら自分が、手札を配らせて頂きます。そこの二人は見届け人です。勝負は五本、掛け金は100枚から……よござんすね?」
     黒服のスタッフ二人が扉の前の定位置につき、案内役の女がトランプを切りながら口上を唱えるのと同時に、私は席に着く。私が出る試合の時には、いつも彼女にディーラーを任せる事になっている。私が彼女を重用しているのは、黒蠅とのつながりが未だ薄い新入りだから。そして、仕事は確かな人間であると知っているから。
     無造作に配られる手札。イカサマは仕込んでいない、そんな小細工は無価値だ。この部屋に来るような人間相手にとって無価値という以上に、この私にとって無価値だという事。そんなものが無くても、この力があれば運命を掌握することは容易いのだ。
    「それでは一本目、勝負」
     感情思念歴史信念尊厳財産理想……希望。全て見せろ。私が貰い受けよう。世話役の掛け声とともに私は視線を上げ、その全てを

  • 32暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/30(日) 00:33:30

     
     
     
     
                       絶望
     
     
     
     
     

  • 33暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/30(日) 01:02:29

    「……は?」

     声を出したことに気が付いていなかった。私自身が声を出していたことに。声を漏らしていたことに。
     目の前にいる……目の前で座ってカードを眺めている"それ"が。その中身が。まるで……まるでただ闇を覗き込んでいるかのような錯覚に陥る。思考が混乱するほどに、一色。
     絶望の色に染まっている。
     空虚。虚ろ。欲望も希望も思念も、どこを探しても、どの情報を精査しても、欠片も見つからない。対面しているそれを人形と錯覚させるほどの、純粋で真っ黒な絶望。息をして、人間のようにトランプを握っているのが信じ難い程、ただただ。

    「……お嬢、手札交換はどうしましょうか?」「……っ!」
     世話役に促され、私は意識を取り戻した。見れば扉の前の二人も、怪訝そうな顔で私を見つめている。私は慌てて自分の手札を確認した。
     3とJのツーペア。悪くは無い。しかし相手の手札が分からない。見ようとすれば……
    「……」
     相も変わらず、そこには何もない。情報量が少なすぎて、彼女自体存在しないと錯覚してしまう程に。脳が悲鳴を上げている。今までとは違い、信じがたい下手物を口にしてしまった事で、捕食を拒んている。……こんなことは初めてだ。
     私は震える声を何とか留めながら選択を告げた。
    「……こ、のままで」「私もこのままで」
     女はそう言いながら、事も無げに抱えたチップを全て前に押し出した。オール・インだ。私は選択を後悔する。降りるのが正解だったか、いやしかしブラフでは無いか。
     唯一の足掛かりであった呪いが頼りにならなくなった今、私はただの何の取りえもない少女でしかなかった。

  • 34暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/30(日) 01:22:11

    「お見せください」
     世話役の掛け声とともに、手札が公開される。
    「っ……!」「運が良いですね」
     ダイヤ、ダイヤ、ダイヤ、ダイヤ、ダイヤ……ダイヤのストレート。同じスートを揃えて出来上がる役……揃う確率は5%以下。当然私の負けだ。
     冷静に思い出すと、この女は手札交換をしている素振りが無かった。一発でこれを引き当てたと言うのか? 配られたカードだけで?
     コインが移動する。私の財産が奪われる。理解も追い付かないまま……また奪われる。

    「次の試合です。お配りします」
     世話役は淡々とゲームを進行する。
     配られた手札は、完全に役無し。私は手や身体の震えを悟られないのに必死だった。何とかしなければならない。負ける事はあってはならない。
     私は必死に目の前にいるソレから目を逸らし、世話役が抱える山札を観察して、その中身を見透かそうとする。傷、折れ目、汚れ、付着する微粒子まで見極めれば、全てのカードの柄が分かる。どれと交換すれば役が出来上がるか。それさえわかれば勝機はある……
    『ねぇねぇ後でスクロールの番号』「くっ……!」
     思考に妙な男の声が乱入して、集中が続かなかった。世話役が私を見ている。黒服二人も先程から私の様子に注視しているはずだ。これ以上は誤魔化しが効かない。
     諦めて適当な手札を交換に出すが、役は出来上がらなかった。対する相手はまたもオール・インし、その手札は……フラッシュ。更に低確率の役を揃えて来る。
     私は歯噛みした。相手は確実に何かイカサマをしている。二回連続交換もせずに役が揃うなんてあり得ない。今までならどんなイカサマでも本人の意識を辿れば簡単に見抜けたが、今日は上手くいかない。目の前の人間に対する衝撃、そして出て行った男が妙に脳裏にちらついて集中できない。私は不愉快をになる。あんんあ何を考えているか分からないような男に……
     ……何を考えているか分からない。
     そう言えば。あの男は何を考えていた? 思い返せば。部屋から出る時ちらりと見えたその顔には、その顔にあったのは、満ちていたのは、それは……

  • 35暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/30(日) 01:43:23

     思考が纏まってしまう前に、絶望が口を開く。
    「どうしました? 姫様」「ひっ……!」「次のゲームに参ります」
     ゲームは進む。淡々と進む。私に頓着せずに。
     二回程度負ける事なら、今までいくらでもあった。情報を収集するにも時間とデータが必要だ。一度完全に掌握してしまえば、その程度の負け分はどうとでもなる。
     だが……今進行している事態がそういう類のものでは無い事は、もはやこの部屋の全員の目に明らかだった。
     オール・イン。フルハウス。またも大量のコインが移動する。私の財産が。今まで得た人生の意味が。希望が。

    「些か冷静でないようですね、姫様」
     声が聴こえた。闇の中に、声が。女の声だ。
    「運命に……絶望しているのですか?」
    「っ……! 黙れ……黙れ……!」
     思わず声が出る。耐えがたい頭痛も熱も忘れて、私は叫んでいた。
    「全てを奪われたんだから……私が全てを奪ってやる、う、奪ってやるんだ!」
     黒蠅も、王国も、セントラリアも。全てから全てを奪って、飢えを満たす。それが世界への復讐。私の運命。絶望の運命たる私の、運命。
     配られた運命は……ハート、ダイヤ、クラブの3に、ハート、スペードの9。フルハウスだ。勝てる。ここに来て運が回って来た……目前の女は相変わらず、眉一つひそめるような事もなくカードを握って、黙ってオール・インの姿勢を示している。
     その眼は、その眼に満ちた感情は、その絶望は……何に絶望している?
     私の……運命を前にした私の、矮小さに?
    「そんな目で……私を見るなァッ!」
     叫びながらフルハウスを叩き付ける。私は知っている。それが初手に揃う確率は1%に満たないという事。負けることなど到底考えられないという事を。私は知っている。
    「フォー・オブ・アカインド。と言うのでしょう」
     ……絶望とは、ただそこにある、その人間の事を指すと。

  • 36暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/30(日) 01:53:47

    「はあっ、あ、あうっ……!」
     奪われる。また奪われる。全てが消える。今までの全てが。私の怒り。苦しみ。哀しみ。全てが奪われる。後に残るのは……
     ……
     ……あれ?
    「……どうやら、賭け金が足りないようですね」
     目の前の女が何気なく呟いた言葉で、我に帰る。仮にも一般の参加者と言う体で賭けを行っていた私のチップは、既にこのゲームを続けるのに十分な量にも達していなかった。
    「……ええっと、お客様」「構いませんよ、ええ。ようやく本題に入れそうなので」
     スタッフが何と言ったらいいか分からないながら、躊躇いがちに発した言葉を切り捨てて、女は手札を要求しながら事も無げに言った。

    「次のチップは、貴女の身柄という事にしましょう。このチップ全てを賭ければ十分な量だと思いますが」

     部屋の中の空気は、何度目か分からない硬直を迎えた。
    「このゲームに私が勝ったら、"暴食の賭姫"様。貴女の身柄を頂きます。少し用がありまして」
     まるで最初からこれを計画していたかのように、平然と。表情を変えず。
     スタッフ二人は、重なる異常事態に明らかに思考を停止していたが……私の思考は止むことは無かった。むしろ、始めた時よりも冴えていた。
     さっきの感覚は。何だったのだろうか? 全てを無くした私に、何かが残っているかのような。温かい友人に、声をかけて貰った時のような。その声は誰かに似ていた。誰かに。良く知っている誰かに……
    「……何か、見えたのではありませんか?」
     目の前にいる、女に。よく似ている声が聴こえた。

  • 37暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/30(日) 02:03:27

    「何が……」
    「いえ、その話は後にしましょう。兎に角、今は最後の勝負です。さあ、彼女に手札を……」「お客さん、どうもこんばんは」
     突然、今までそこになかった声が会話に入り込んできた。聞き覚えがある……
    「兄貴!」「……オーナーですか」「いやぁ、何やら面白い事になっているそうで。不躾とは分かっていますが、好奇心を抑えられんくなりましてな」
     黒蠅組の長。賭場の管理者。そして……私と契約を結んでいる相手。
    「……何の御用でしょう?」「いやぁ、用という程のものじゃありゃせんです。ただ……その賭けについては少し、ここの主として言っておかにゃならん事がありましてね」
     男は語りながら、私の椅子の後ろへと移動した。
    「ま、分かってるとぁ思いますがね……単刀直入に申し上げましょう、この子は当カジノの肝いりです。引いて言や、ウチの財産の一部だ」「……ええ。そしてその財産を、カジノとの賭けによって貰い受けようと言うまでです。……彼女本人にはどうやら、異議は無いようですよ」「!」
     女に指摘されて、初めて気が付いた。私が手札を握っている事に。あんな滅茶苦茶な条件を出された直後に、私は勝負に応じる姿勢を見せてしまっていたのだ。
    「これはっ……!」「……」
     慌てる私を、主は冷淡な眼で見降ろす。

  • 38暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/30(日) 02:15:11

    「ま、そうみたいですがね。何せ賭けているものが大きすぎる。そんな勝負、サクッと始めちまうのは勿体ねぇ……そう思う次第でさ」「……何でしょう」「こちらは単刀直入に申し上げました、ですのでお客さんもここぁ腹割って貰いたい。何せ、妙な連中とこんな額の賭けをするのは避けたいところでして……教えて貰いたい、一体誰なんです、姉さんは? それから、廊下で酔っ払ってたお連れさんも。カジノに殴り込んで、とんでもない額を賭けて女の子一人かどわかそうとする理由、お聞かせ願いたいもんですな」
     私はもはや完全に、二人の会話から弾き出されてしまっていた。あの人の形をした絶望相手に、一歩も引かずに弁舌を振るう姿。
     彼の情報を収集しきっていた筈の私が、知らない姿だった。
    「……良いでしょう。それで認めて頂けるのなら」
     女は一度手札を伏せて、今までの冷淡とも傲慢とも取れる態度を改めると、真面目腐った口調で言う。

    「保険のハルサキ、代表取締役社長。ハルサキと申します」

    「ほけん……」「保険会社です」

    「……いやぁ、益々ピンと来ねえな。どうして保険会社がこんな事を?」「うん……」
    「そちらの方に保険が掛けられていたからです。……随分と遅くなりましたが」
     そう言いながら、女は手で私を示す。保険?
    「親御さんから、彼女に生命保険を。彼女の身体・精神に生命にかかわる大きなダメージが発生する見込みがあるまたは発生した場合、我々はその対処を行う、という契約を行っていました」
    「……それで、ここまで?」「契約ですから」
     初耳だった。そう言えば確かに両親がそんな話をしていたかもしれない。最近物騒だからとか、お金が余ってるから安全を買うためにどうこうとか。
     だからと言って、普通ここまでするだろうか。
    「随分遅くなってしまいましたが。ようやく足取りが掴めたので、こうして保護しに参りました。危難に晒されている間契約を履行できなかったことに関しては、正式に謝罪させて頂きます」
     女はあくまで真面目だ。能力を使うまでもなく、嘘でないと直感できるほどに。だからと言って納得は附随しなかった。

  • 39暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/30(日) 02:41:07

     先程までとは性質の違う奇妙な沈黙を破ったのは、黒蠅の男だった。
    「ハハッハ! そうか、保険会社でね。成程ねぇ」
     心底愉快という風に笑う。女はにこりともせずにそれを見ている。私は理解が追いつかないでいる。
    「いやぁ分かりぁした、事情はね」「それでは、彼女をこのまま引き渡していただいても?」

    「それは駄目だ」

     彼は私の肩に手を置いて、静かに言った。静かだが断固とした口調だった。
    「分かるでしょう? 此処は賭場だ。掛け金は出た、お互いの了承もある。なら後は……賽だけが決めるんじゃありませんか」
     女はそれを聞くと、何を言う事も無く手札を拾い上げた。会話を終えた男は、私の肩に手を置いたまま力強く言い放つ。
    「なあ賭場の姫さんよ、分かってんな? 最後のゲームだ。"此処に残りたいのなら、絶対に勝て"」
     言葉をやけに協調すると、彼は世話役の後ろに椅子を用意して座った。あくまでこの試合を見届けるつもりらしい。

     私は思案しながら、世話役が渡して来た手札を見る。ハートのAと6。ダイヤの3、スペードのQ、クラブの2。ワンペアの手札だ。私は手札を睨みつけながら考え続ける。思考はゲームが始まった時に比べて、格段に落ち着いていた。
     此処に残りたいのなら、絶対に勝て。裏を返せば……私には選択権が与えられているのではないだろうか?
     女の台詞を思い返す。運命に対する絶望……それを征服し、勝利し、復讐する。自らが運命を制御し、運命そのものになる。それだけが今までの私の存在理由だった。やれることは何でもして来た。全てを犠牲にする覚悟もあった。
     しかし……そんな絶望的な希望すら奪われた、あの瞬間。聞こえた声、見えた景色……

    「絶望の先には……何かが、あるの?」

  • 40暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/30(日) 02:54:28

    「私は……」
     ハートのAも6も含めて、全てを世話役に渡した。
     ワンペアを捨て、全てのカードを引き直す事になる。当然マトモな役は揃わない。
     だが、それで良いと思った。

    「……」「……」
     女は相変わらず手札を入れ替える事もせずオール・イン、見守る男はこちらも何も言わずただじっとゲームを観察している。
     再び手札が配られ始める。
    (……これが、私の運命……私が決める、運命……)
     誰に言うでも無く一人で呟く。運命。カード、サイコロ、ルーレット……そして気まぐれで邪悪で純粋な読書会。私の人生を今まで弄んで来た運命。
     その全てを、私は手放すことにした。自らの意志で。
     そうして私は、絶望の運命から解き放たれる。新しい運命が、私の手に揃い始める。
     ダイヤのA。ダイヤの10。ダイヤのJ。ダイヤのQ、そして……

    「……」

     今まで数多の運命を呪った。
     嘆いて、恨んで、悩んで、怒って、悲しんできた。
     しかし、その日。その瞬間。その瞬間程、私が運命を呪った日は無かった。
    「フォー・オブ・アカインドです。どうでしょうか?」
     女の声も耳に入らない。私は視線を中空に彷徨わせたまま呆然と唇を震わせていた。その指からカードが零れ落ちる。
     エース。10個並んだ宝石に、騎士、そして女王。そして最後に姿を現したのが、王の絵柄。ダイヤのK。
    「ロイヤル……ストレート……」
     ロイヤルストレートフラッシュ。最良にして、最上の天運。
     私は。私という人間は。
     本当に、ツイていない。

  • 41暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/30(日) 03:12:19

     部屋中の空気が、今度こそ静止した。

     運命を手放したと思っていたのは、私一人だった。
     相手はもっと狡猾な手段で、私を弄んでいたに過ぎなかったのだ。
     矮小だ。無力だ。滑稽だ。私は、私は、私は……!

    「負けてしまいましたか」
     女はそこで、初めて表情を動かした、目を僅かに細め、吐き捨てるように呟く。
    「……こりゃまァ、数奇な事だ」
     男は椅子から腰をあげずに、感情の読めない声で呟く。
     私にはもう、何も出来ない。何もない。もはや運命に逆らう道は無かったのだ、初めから。私は何処まで行っても、運命の操り人形に過ぎなかった。私は永遠に、永遠に……
    「それでどうしますお客さん、姫様はやれんが」「勿論、頂いて帰ります」
     そう言って女が二度手を打ち鳴らすと、ポーカーをしていたテーブルが吹き飛んだ。
     えっ?

     その瞬間、ダイヤのロイヤルストレートフラッシュが舞い散るその部屋にいた人間で、状況を呑み込めていなかったと私が断言できるのは二人。
     一人は私だ。私自身の思考はよく覚えている。何が何だか理解が追いつかなかった。女が妙な魔術を使ったようにしか見えなかったが、実際はそうではなかった。
     もう一人は、質の良い黒檀製の机がモロに顔面に直撃してしまった、運の悪い扉そばのスタッフの片方である。

     そして反対にその瞬間状況を確実に理解していたのは……こちらも二人。一人は、今までテーブルの向かい側に座っていた女。
     そしてもう一人は……
    「はいはい了解っ!」
     机を蹴り飛ばした下手人。いやに甲高い声の主。
     先程までそこでディーラーをしていた少女、私の世話係として三週間ほど連れ添っていた組織の新入りが……
    「やっとようやく、アイドルのオンステージ! だねっ☆」
     目を爛々と輝かせ、別人のような様相でそこに居た。

  • 42暴食の保険屋◆PE/kpaaw1s22/10/31(月) 20:21:50

     『新入り』の行動は、迅速だった。
     大声で部屋の注意を惹き付け、素早く右手を掲げる。そしてそのまま……意識の空隙となった左手で懐から何かを取り出す。
    「、てめぇ!」
     一呼吸遅れてようやく『新入りとして仕事をしていた彼女は、自分たちに敵意を持っている』という事実を認識したもう片側の男は、そう叫ぶと武器を取り出して応戦しようとする。しかし、もはや大勢は決していた……床を蹴って宙返りした彼女は、遠心力に載せて先程取り出した小さな針をその首筋に投擲。敵を取り押さえようとした男は前につんのめり、動かなくなってしまう。
    「興奮する気持ちは分かるけど、ステージ上にはお触り禁止! だよっ☆」
     相変わらず素っ頓狂な事を叫びながら、彼女は部屋に飾られていた剣を抜き放ちオーナーの首筋に付き付けた。
    「という訳で、特等席の子はお行儀よく! 演目が終わるまで暴れたりしたらダメ、だからねっ?」
    「……どうも、保険屋ってのは俺が思っていた以上に大変な仕事らしいな」「契約に失敗はありません。これが保険の世界です」
     敵対的な勢力に生死を握られた状況にもかかわらず、彼は落ち着いているようだった。
     私の方と言えば、呪いの情報処理能力のお陰で何が起こったのかだけは完璧に把握できていたが、だから何をどうすることも出来ず、ただ事態の進行を黙って見守るしかなかった。

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