- 1121/10/23(土) 06:15:50
- 2121/10/23(土) 06:16:35
カツカツと、自分の靴が床を鳴らす音だけが廊下に響く。その間隔は忙しなく、しかし時折、躊躇うかのようにゆっくりと。
まるで私、アグネスタキオンの心中を表すかのように混沌としていた。
今日見た光景が、その時感じた胸を掻きむしるかのような痛みと熱が、何度もフラッシュバックする。まさか、自分をここまでコントロールできなくなるなど想像もしていなかった。
いずれは彼女が"そこ"に達することは予測できていたことであり、自身もそれを望んでいたはずなのに、だ。
「フゥ………」
未だ胸中の嵐は治らないまま、目的の部屋の前へと立つ。
ポケットに手を入れ、先程のメールでのやりとりを確認する。
自分から送った内容は極々短く、『会いたい』の一言だけ。
向こうからの返事も、これまた『トレーナー室で』と素っ気ない。
私が彼にした仕打ちを考えれば仕方のないことではあるが、やはり少し寂しかった。
とはいえ、いつまでも部屋の前にいるわけにもいかない。覚悟を決めてドアを開ける。
夕日の差し込む室内には、人影が一つ。私の来訪に気づき、こちらへと顔を向ける。
「久しぶり、タキオン」
その変わらぬ姿に、意外なほどホッとしながら私も声を返す。
「久しぶりだね、トレーナー君」 - 3121/10/23(土) 06:17:24
ーーーーーー
『レースへの出走を、無期限で停止する』
その決断を下したのは、やはり皐月賞が原因だった。
あのレースで私は、確かに素晴らしい走りをした。それは客観的にも確かに間違いのない事実だろう。
だが同時に、それは私自身への見切りをつける結果にも繋がってしまった。
かねてより感じていた脚への不安。それと折り合いをつけつつ、皐月賞以上の走りを見せることは不可能であると、あの時の私は結論づけた。
それはすなわち、私の目標である『ウマ娘の限界』を私自身が体現する「プランA」の終了を意味していた。
他のウマ娘、この場合はカフェにあたるわけだが、彼女をその領域まで引き上げる『プランB』への移行に伴い、トレーナーへは契約の解消を申し出た。 - 4121/10/23(土) 06:18:00
当然だろう。私はもうレースを走るつもりはなかったのだし、そんなウマ娘といつまでも契約を結ぶバ鹿もいないはずだ。
なのに彼の返答は、
『嫌だ。君との契約は継続する』
だった。
それはもう、何故こんなにも頑ななのかと疑問に思うほど彼の意志は固かった。
もしや私をレースに出したいのかと思えば、出走を強制はしないと来たものだ。
正直、意味がわからない行動だった。私も妙にムキになって、何とか関係を断とうと我ながらひどい言葉をぶつけてしまったと思う。
…………今だから言えるが、あの時の私が断とうとしたの、きっとトレーナーとの関係ではなく未練だったのだろう。
レースに出られなくなれば、プランAにみっともなくしがみつくこともなくなる。そう考えていたのだ。
結局、トレーナー契約は引き続き結ぶことになり、しかし顔を合わせることのない日々が続いていった。
私はカフェとそのトレーナーと共にレースへと挑み、研究を充実させていった。その間、トレーナー君が果たしてどんな時間を過ごしていたのかは……あまり想像したくはない。
自分が見出したウマ娘には裏切られ、当の本人は別の居場所でのうのうと生きている。
そう、アレは裏切りだったのだ。カフェのトレーナーが、変化した夢のためにかつての誓いを破ったのとは違う。
私自身の、弱さと強欲さ故に行った、ひどく醜い裏切りだ。
そうして、その末路がこれなのである。 - 5121/10/23(土) 06:18:38
ーーーーーー
「驚いたよ、タキオンからメールが届くなんて」
「何を言っているんだい、メールなら毎日のようにやりとりしていたじゃないか」
嘘ではない。私自身の研究のため、実験結果やカフェのトレーニングの数値などは逐一報告してまとめてもらっていた。今思えば、我ながら恥知らずな真似をしていたものだ。
「そりゃまあ、僕はタキオンの助手でもあるからね」
そういうトレーナーの顔からは、怒りや嫌悪は感じられない。その事実に、少し胸が軽くなるのを感じる。
「それで、今日は一体なんの用だい?データをまとめたものなら、つい先日そっちに送ったと思うけど」
「ああ、あれは問題なく届いたよ。君のデータ管理スキルも板についてきたね、とても分かりやすくまとめられていた。さて、それで用件なんだが……」
そこまで口にしたところで、言葉に詰まった。続きを言うことができない。
なぜだ?自分が行おうとしていることが無茶苦茶であることぐらい、とっくに理解している。そしてそれは、今までだってそうだった。でも、そんなことを気にせず自身の信念に従って行動できていたはずだ。
それが、急にどうして。
言葉に窮している私を見て、トレーナーがゆっくりと口を開く。 - 6121/10/23(土) 06:19:12
「……………レースに、出たいのかい?」
それはまさに、私にとっては救いの言葉だった。
「そうなんだよ!だいぶ長い休養期間になってしまったが、ようやく走れると確信してね!ブランクは心配かもしれないが、なんてことはない!夏の合宿だってあるし、十分取り戻せるとも!」
堰を切ったように溢れ出てくる言葉たち。まるで、誰かに、あるいは何かに必死で言い訳をしているようだ。
「具体的に、目標とするレースは?」
「そ、そうだね。合宿で体を元に戻すとして、そこからレース勘などを取り戻すとなると……ジャパンカップはどうだろう?」
「…………ジャパンカップ、か」
含みのある口調で、トレーナーは呟く。
いや、これは自然な選択であるはずだ。私自身は中・長距離が得意だし、秋の初めに模擬レースや重賞レースを何度か経験すればブランクを埋めることは不可能ではない。
間違いじゃない。間違ってはいない。
なのに何故だ。何故、目の前の彼は険しい表情を浮かべているのだ。
「その、トレーナー君……」
「その前に、聞かせてほしいことがある」
私の言葉を遮り、トレーナーが問いかける。
「どうして、レースに出たいの?」 - 7121/10/23(土) 06:19:47
その質問は、私の胸に深く突き刺さった。
今さら、どうして?そう聞かれている気がした。
やはり、彼は私を許してなどいなかったのかもしれない。当たり前、かもしれないけれど。
「その、トレーナー君。あの時、勝手に無期限出走停止なんて決めてしまったのは悪かったと思っているよ。でも、私は今こうして」
「僕はそんな事を聞いてはいないよ、タキオン」
またも、私の言い訳は遮られる。
彼の目を見ることができない。もしそこに、怒りが、あるいは憎悪が浮かんでいたらと思うと、目を伏せ口をつぐむことしか出来なかった。
黙りこくる私を見て、トレーナーが小さくため息をつく。
「聞かせてほしいんだ、タキオン。一度は走ることをやめた君に、熱を与えたのは何なのかを」
今度は少しだけ優しく、トレーナーは問いかけてきた。
真っ先に思い浮かんだのは、「プランB」のためという言葉だった。
限界へと挑むウマ娘。彼女、あるいは彼女たちのためにあらゆるデータが必要だ。そしてそれは、私が走ることで手に入ることもある。
そのことは以前から考えていたし、決して間違いじゃない。そう、間違いではないのだ。
だが── - 8121/10/23(土) 06:20:27
だが──
「正しいわけでは、ない……」
思わず口をついて出てきた台詞に、私自身驚いた。しかし同時に、確信もしていた。
ここでこの"間違いじゃない言葉"を言ってしまえば、私はまたトレーナーを裏切ることになる、と。
「……………………悔しかったんだ」
呟くように、あるいは絞り出すように告げる。
一度言葉にしてしまえば、あとはまるで雪崩か何かのようだった。
「今日のレースで、カフェは素晴らしい走りを見せてくれた
「あれこそ、私が夢見ていた領域で、彼女はそこに足をかけた
「私が見たかったものの片鱗を、確かに目にすることができた
「だけど……
「だけど私じゃない……!そこに踏み込めるのが私じゃないんだ……!
「どうして彼女なんだ!?いや分かってる!理由なんて分かりきってる!
「私じゃない理由も、十分すぎるほど分かってる!
「今さらだなんて聞きたくない!針を壊したのは私自身だ!それでも!!
「それでも……それでも……
「トレーナー君……
「勝ちたいんだ……!!」
涙でぐしゃぐしゃの顔を、トレーナーの方へと向ける。
目の前の彼は、静かに微笑んでいた。 - 9121/10/23(土) 06:21:04
ーーーーーー
「なんだか、とてつもなく恥ずかしい姿を見せた気がするよ……」
すっかり暗くなった部屋の電気をつけたトレーナーに向けて、私は呟いた。
あれから、私の涙が止まるまで彼はずっと黙ったままだった。
「ねえトレーナー君、怒ってはいないのかい?」
どうしても気になってしまい、恐る恐る尋ねてみる。
「それは、どっちのことに対して?」
「…………どっちのことも、さ」
走ることを勝手に止めたことと、また走らせてほしいと頼んだこと。どちらもひどい我儘だ。
「別に怒ってはいないよ…………本当だよ?」
私の表情を見て、トレーナーは付け加えた。
「君の足のことも、夢のことも、全部あの時教えてくれただろ?だから一度は納得したさ」
「一度は……かい?」
「ああ、うん……一度は、だ。やっぱり、君の走る姿をまた見たいと思ってしまった。たとえ、みっともなく君との契約に縋りついてもね」
彼があんなにも私との契約解消を拒んだのはそう言う理由かららしかった。
「そこまでして、私にこだわる必要なんてあったのかい?立場だって良くはなかっただろうに」
「確かに、方々から色々と言われはしたけどね。いい加減別の娘と契約しろ、一生を棒に振る気か、とか」
「まあ、だろうね。でもだったらなぜ?」
「決まっているだろう。────僕が、君の走りに魅せられたからさ」
そう言って笑う彼の瞳には、いつか見た"狂った色"がまだ残っていた。 - 10121/10/23(土) 06:21:35
「フフフ……ハハハハハ!!!」
そのことが何故かとても嬉しくて、思わず笑みが溢れる。
笑われたことが不満なのか少し口を尖らせる彼の姿がまた、笑いを誘う。
ひとしきり笑った後、私は改めてトレーナーと向き合った。
「トレーナー君、私はマンハッタンカフェという強いウマ娘に勝ちたい」
「ああ」
「彼女に勝って、私が目指した場所へと私自身が辿り着きたい」
「ああ」
「その夢のため、協力してくれるかい?」
「もちろん」
彼が、私に向かって手を差し出す。
「君の走りを、また世界へと見せつけよう。アグネスタキオン」
その手をしっかりと握りしめ、高らかに宣言する。
「「さあ、実験開始だ!」」
ーーーーーー
「はぁ、はぁ、はぁ…………」
「うーん、思ったよりブランクの影響は大きいな……」
「ま、まだまだぁ……ウプッ」
「…………目標は、有馬記念に変更しよう」
「…………うん」 - 11121/10/23(土) 06:24:08
カフェの育成シナリオの宝塚記念が最高すぎて衝動的に書きました
タキオンのファンがまた増えちゃうよコレ……と思いながらプレイしてました
眠いので寝ます
駄文・長文によるお目汚し失礼しました - 12二次元好きの匿名さん21/10/23(土) 07:06:45
ロジックやら建前やらを全部ぶっちぎって想いが溢れてくるのほんと熱い…。
- 13二次元好きの匿名さん21/10/23(土) 07:47:17
いいよね、見てみたいなぁ瞳の色。
- 14二次元好きの匿名さん21/10/23(土) 07:57:01
ええやん…ええやん
- 15二次元好きの匿名さん21/10/23(土) 14:50:29
SSで検索掛けたら引っ掛かってくれた……
こういうのが裏であったと考えるのも良いね……