【SS】ウマ逍遙

  • 1二次元好きの匿名さん22/10/24(月) 20:48:35

     
     タキオンは寮を出た。徹夜明けで、ひどく目が冴えていた。ひと休みしようにも、少し体を動かさなければ、とても眠れそうにない。だから歩くことにした。
     いつもの服装では、やや肌寒い。羽織るものが必要だった。実家から拝借してきたバルマカーンコートは、タキオンの体型に比べて大きい。ぶかぶかだ。袖は余り、着丈は臀部を通り越して膝裏まで届いている。サイズが合っていないこともあるが、そもそものデザインにゆとりがある。現代的なシェイプはなく、時代を感じさせるシルエットになっている。事実年代物だが、質はかなり高い。防水布で作られており、ウールのライナーと組み合わせることで、秋の終わりから春の始まりまで、長い間着用することができる。
     颯爽と呼ぶには、その一着はくたびれている。サイズが合っていないから、ポケットの位置も低い。必然、ポケットに手を入れたタキオンは背中を丸めた姿勢で歩くことになる。爽やかな秋晴れの朝、吹く風は冷たい。チンストラップが揺れる。ともあれ、首もとまでボタンを止めるにはまだ早い。
     試みにすれ違う人びとの服装を観察してみると、人通りが少ないなりに、バリエーションがある。トレンチコート、テーラードジャケット、トラックジャケット、スウェットパーカー、ナイロンパーカー、ウールカーディガン。中には半袖のポロシャツ一枚で闊歩する強者もいたが、たいていが何かを羽織っていた。
     街路樹は紅葉、ないし黄葉を始めている。マロニエの葉は、そろそろ半分ほどが色づきつつあった。この木は別名「ウマ栗」と呼ばれる。クリと誤解されたことと、その実がかつて治療薬としてウマ娘に与えられていたことから、そのような名がついたのだと言う。

  • 2二次元好きの匿名さん22/10/24(月) 20:50:05

     科学の歴史とは、すなわち修正の歴史でもある。観察から仮説を立て、それを実地に検証する。理論と方法のいずれか、あるいはいずれもが不完全で、誤った理解が広まることはよくある。マロニエにしても同じことだ。今はこの木がクリではないことがわかっている。クリはブナ科で、マロニエはセイヨウトチノキ、そのままトチノキ科に属する。もっとも、今後どうなるかはわからない。分類は有用だが、あくまで分類でしかない。
     真理なるものが仮にあったとして、それはドングリのように道ばたには落ちていないだろう。つやつやと光沢が魅力的だったとしても、ドングリはドングリだ。個人にとっての価値は否定されるべきでないが、その判断を一般化しようとするなら話は別になる。あるいは人間の認識には限界があり、古くさいラテン語の格言に従うなら、「われわれは知らない、知ることがないだろう」となる。思考の“果て”にある景色は誰も見ることがない。

  • 3二次元好きの匿名さん22/10/24(月) 20:51:01

     ドングリをつま先で蹴飛ばし、マロニエの木の下を歩きながら、タキオンはそんなことを考える。いや、実は考えていない。それは思考と呼ぶにはまとまりのない意識の流れで、蓄積された知識のほんの一部分が短絡と飛躍を繰り返す。せいぜいが連想、もしくはこの場合、逍遙とするのが適切になる。
     プラトンは考えながら歩き、歩きながら考えた。この方法は弟子のアリストテレスにも受け継がれ、そこから連なる哲学者のある一門は、逍遙学派とも呼ばれる。考える者は歩くものか。反証として、ロダンの彫刻を挙げることもできる。しかし歩く者もまた多い。先の賢人二名のほか、エンペドクレス、プロタゴラス、ピュロン、ディオゲネス、セネカ、アポロニウス、ブッダ、老子、孔子、ヒレル、シャンカラ、ミラレパ、ウィリアム・オッカム、モンテーニュ、デカルト、ディドロ、ルソー、カント、ヘーゲル、チョーマ・ド・ケーレス、マルクス、ソロー、キルケゴール、ニーチェ、ウィトゲンシュタイン、そしてロジェ=ポル・ドロワ。おおざっぱに二十六名を挙げることができる。淀から遠いが京都には哲学の道があり、西田幾多郎の名は広く知られている。古来から思考と歩行は並べて捉えられるものであり、動物である以上、並木のように根を張って立ったままではいられないのかもしれない。

  • 4二次元好きの匿名さん22/10/24(月) 20:51:21

     だいぶ眠たくなってきたようだとタキオンは思う。
     思考が混濁している。一服をつけて、寮へと戻るのがいいだろう。すると、朝早くから開店している一軒のカフェが目に入る。紅茶を取り扱っているらしいので、持ち帰って飲みながら歩くことに決める。
    「カフェはいないが」レジの横でスタッフが紅茶を淹れるのを待ちながら、タキオンは呟く。「カフェがある」
     クックック、とくぐもった笑いをこぼす。スタッフが訝しそうに見てくるが、気にしない。タキオンにしてからも、何がおかしいのかはよくわかっていない。
    「砂糖をたくさん入れてくれたまえ」と、注文する。「もっと」スタッフが動揺しているのがわかるが、気にしない。「もっとだ」
     カップを受け取り、代金を支払って店を出る。
     少しずつ昇っていく日差しは、想像していたよりも強い。昼頃になれば、コートがいらないくらいの暖かさになるだろう。紙製のカップに息をふぅふぅと吹きかけ、よく、よく冷ましてからそっと口をつける。素直にいい香りだと感じる。茶葉もそうだが、スタッフの教育が行き届いているのだろう、機会があればまた立ち寄るのも悪くない。甘さは物足りないが。
     ふらふらと覚束ない足取りで、タキオンは寮へと戻る。半ば眠ったような心地で自室の扉を開くと、コートも脱がずにそのままベッドに飛び込んだ。不思議なことに、ベッドの上にはルームメイトであるアグネスデジタルの姿が見えたようだが、夜ふかし気味のおぼろな意識による勘違いだろう、──やはり気にせず、そのまま眠った。

  • 5二次元好きの匿名さん22/10/24(月) 20:52:49

    以上です
    ウマさんぽ、いいですね
    ぶかぶかのコート、タキオンに似合いそうですね
    だから着てふらふら歩いてもらいたかったんです。そんな感じです
    秋は紅茶色ですね

  • 6二次元好きの匿名さん22/10/24(月) 21:06:01

    あっすき
    適当な格好でうろつくタキオンの姿が目に見える

  • 7二次元好きの匿名さん22/10/24(月) 21:06:08

    文体が好き
    デジたんを軽率に殺すな!!

  • 8二次元好きの匿名さん22/10/24(月) 21:12:55

    好き

  • 9二次元好きの匿名さん22/10/24(月) 21:41:40

    読んでくださってありがとうございます
    タキオンはざっくり羽織れるものが好きだろうなあと、ジャンルを気にせずアイテムを選びそうなイメージがあります
    実際に頓着はないんでしょうけど、それはそれとして無自覚に選ぶことはしているような、なんかそういう感じです
    マックコートみたいなフォーマル寄りのアイテムではなく、モッズコートとかスタジャンとかも着てみせてほしいんですが、いかんせん絵が描けません
    オチをどうしようかと考えたところ、デジたんがいたので、召されていただきました
    おやすみなさい

オススメ

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています