ハヤヒデの距離がめちゃくちゃ近い日

  • 1二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:17:42

    土曜の朝。トレーニング用のコースにはウマ娘たちが続々と集まり始め、各々のトレーナーやチームメンバーと練習を始める時間帯。
    トレーニングコースへと走るウマ娘たちの流れに沿って俺もその場所へと向かっていた。

    先日大きなレースを制した俺たちはしばらく休みを挟み、今日はほぼ一週間ぶりのトレーニングだ。
    オフの間は彼女とLANEを使って会話することはあっても、顔を合わせることはなかったので久しぶりに会うのが楽しみに感じていた。

    門をくぐり、階段を登ると目の前には青いターフの映える大きなコースが待ち構えている。

    「……あ、いたいた」

    くるりと視線を動かすと、端の方に芦毛のウマ娘が立っているのが見えた。

    ビワハヤヒデ。
    数日ぶりに姿を見た彼女は、いつものようにその場所で待っていた。
    ふわふわした髪が印象的で、赤い眼鏡のよく似合うウマ娘だ。腰あたりまであろうかというほどに長いふわふわの芦毛のおかげで、彼女を探すのに手間はかからない。
    ハヤヒデ自身はその髪に手間をかけさせられているようだが……俺は好きなんだけど、あの髪。

    通路を渡って彼女の方へ近づいていくと、俺は彼女の様子に違和感を覚えた。
    何が違うのかと考えながら歩いていると、どうやら眼鏡をかけていないようだった。

    コンタクトに変えたのだろうか?
    そんなことを心の中で考えながら、

    「おはようハヤヒデ。イメチェンしたの?」

    俺は手を振りながら彼女へと声をかけるが……────

    「……?」

    ハヤヒデはキョロキョロとしきりに辺りを見回して、何かを探すようなそぶりを見せ始めた。

  • 2二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:19:19

    よく聞こえなかったんだろうか?
    そうかと思えば視線をこちらへ向けたり、明後日の方向へやったりとなんだか忙しない様子だ。
    挙動不審すぎる彼女にどう声をかけていいのか分からないままそばまで辿り着くと、ようやくハヤヒデは俺に気づいたのか、俺を見上げながら口を開いた。


    ……────なぜかものすごく睨みつけながら。


    「キミ、すまない……私のトレーナーを見なかっただろうか。近くで声がしたかと思うんだが……」

    そしてそんなことを口にした。穴が開くのかと思うほどに力強く睨みながら。

    「……ハヤヒデ?」

    俺のことがわかってないのか?
    慣れないコンタクトでよく見えないのだろうか? それとも度があっていないとか……────

    「…………ん……その声は……?」

    ハヤヒデが突然立ち上がり、こちらへ顔を寄せてきた。

    待って、なんか近くないか?
    会うのが久しぶりすぎて俺の顔忘れちゃった? ……いや、そんなわけないか。
    ハヤヒデはぴこぴこと耳を動かしながら、ずずずと俺へ顔を寄せてくる。

  • 3二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:20:57

    近づいてくる彼女の目つきは、近づくにつれて更に悪くなっていく。眉間に寄った皺が数えられそうなほどだ。流石に不安になった俺は声をかけざるを得なかった。

    「……大丈夫?」

    「ぁ、ああ……んん……? キミは……」

    ハヤヒデは更に俺の顔へむかって頭を近づけてきて、鼻と鼻がぶつかりそうになるくらいまで来てからようやく動きが止まった。
    ……いや、待ってくれ。近い、近すぎる。
    今までこんなにも近い距離感で話したことはなかったし、彼女の綺麗な顔をここまで近づけられると流石に男としてドキドキしてしまう。
    かなり目つきが悪いことを抜きにしても、ハヤヒデは美人だ。そんな彼女の顔が文字通り目と鼻の先まで近づけられてドキドキしない男はいない。

    そんな俺の心中を知ってか知らずか、ハヤヒデは数秒悩むように眉を顰めてからようやく何かに気づいたと言いたそうに首を傾げて、

    「……ああ、トレーナー君か……?」

    「うん、そうだけど……」

    「あ、ああ……そうか。キミだったか。いや、すまない」

    ハヤヒデは申し訳なさそうな表情をしながら俺に頭を下げた。俺はそんなことよりも彼女の目元にいない真っ赤な眼鏡のことが気になっていた。

    「今日はコンタクトにしたの?」

    「ああ……それなんだが……」

    ずっと気になっていたことを問い質すと、ハヤヒデは少し恥ずかしそうに頬を掻いた。

    「実は眼鏡を踏み潰してしまってね……」

    イメチェンではなかったらしい。

  • 4二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:22:39

    どうやら朝起きた時、机に乗せてあった眼鏡を取ろうとして落としてしまい、拾い上げようとして踏んづけてしまったそうだ。

    「予備の眼鏡はなかったの?」

    「慌てて予備の眼鏡を取り出そうとして……いや、もう言わせないでくれ。恥ずかしさで頭がおかしくなりそうだ」

    つまり予備の眼鏡も踏みつけてしまったみたい。

    言われて気づいたけれど、今日の彼女は髪の手入れがどこかおざなりなようだった。飾りの位置も少しおかしいし、鏡がよく見えなかったであろうことが窺えた。
    ちなみに同室のオペラオーは昨晩から外泊をして兵庫県は宝塚へ歌劇を見にいって不在だったららしい。チケットとタイシンもそれぞれの予定があって頼れなかったとのこと。

    ブライアンには恥ずかしくて言えないのだそう。

    というか俺の顔もギリギリまで近づかないといけないくらい見えないのに、よくここまで来れたな……。

    「ぼんやりと景色は判るからな。ヒトにぶつからないよう周りをよく見ていれば、方角と景色で何とかここへ辿り着くことは可能だ」

    なのでトレーニングにも大きな支障はないと私は思っている────……そうハヤヒデは言葉を締めくくった。

    ふむ、支障はないというが……。

    「……おや、トレーナーくん? どこだ? 急に居なくなるのはやめてくれないか……」

    「いや目の前にいるよ……」

    支障……きたしまくりだと思います、ハヤヒデさん。
    聡明なハヤヒデだからそれに気づかないはずはないのだが……さて、当の本人はトレーニングをやる気満々だ。

  • 5二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:24:29

    「キミが来るまでの間に準備運動と柔軟は済ませてある。まずは軽く一本……計測を頼んだよトレーナーくん」

    目つきの悪いハヤヒデはいつものように美しい髪を靡かせて立ち上がると、ベンチに躓きそうになったり、階段から落ちないよう手すりに捕まりながらゆっくりとコースへ降りていった。
    もうこの時点で俺の胸は不安でいっぱいだったが、走り始めてすぐに内ラチへダイビングをかました瞬間に俺はハヤヒデにトレーニング終了を言い渡した。

    「すまない……」

    ふわふわの髪に芝をたくさん絡ませたまま、とぼとぼと俺の元へ戻ってきたハヤヒデは普段よりも幾分小さく見えた。誤解のないように言っておくと身長が、だ。

    「らしくないよ、無理に走ろうとするなんて」

    ベンチで小さくなってしまったハヤヒデに俺は言葉をかける。あんな危ないところを見せられては、流石に注意するしかない。

    「ハヤヒデなら視界不良がどれだけ危ないか誰よりも知ってるはずでしょ? それなのに走ろうとするなんて……」

    「……久しぶりのトレーニングだったんだ、浮かれてしまうのも分かってくれるだろう? キミに会うのも久しぶりだったわけだからな」

    「それを言われると俺も弱いよ。……気持ちはわかるけどね、それで怪我されたら元も子もないんだから、今日はトレーニング中止だよ」

    「……ああ、そうするべきだな」

    名残惜しそうに俯くハヤヒデは、年相応の少女のように見えた。
    俺も久しぶりの彼女とのトレーニングを楽しみにしていたから、それが出来なくなるのはとても残念だ。

    昼にはカフェテリアで一緒にランチもと考えていたので、このまま解散というのは未練が後を引く。
    せっかくだしミーティングを理由にトレーナー室でオフの間の話を聞くのも……────

  • 6二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:24:53

    「あ、そうだ」

    「……どうした?」

    「ハヤヒデ、トレーニングは中止になったら今から予定はないよね?」

    「あ……ああ、今日はキミとの時間に使うつもりだったからな。持て余した時間は……怪我をしないよう部屋に篭っているとするよ」

    「つまり暇ってことだよね?」

    「む、その言い方は意地が悪いぞ。確かに私の不注意の結果だが────」

    「じゃあ今から出かけようよ。久しぶりに会ったんだし、俺もハヤヒデとの時間にしたい。ついでに眼鏡も買ってさ」

    「……────!」

    こうして俺とハヤヒデは、彼女の眼鏡を買いに街へ出ることにした。

  • 7二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:25:41

    ・・・

    「……ま、待たせたかなトレーナーくん」

    解散して二時間後、ハヤヒデは彼女らしい大人びた私服でトレセン学園の校門前に現れた。

    見えないことを考慮して時間を余分に取った甲斐はあったらしく、今朝とは比べ物にならないほど身だしなみは整えられているし服装や髪飾りに乱れも見られない。

    眼鏡がないことを除けば、誰が見ても普段通りのビワハヤヒデだ。

    ……というより、むしろいつもより気合が入っているような────

    「大丈夫、俺もいま来たところだよ」

    日頃より丁寧に整えられた髪に、大人っぽく彩られたメイク。着ている服は初めて見るものだから、この休みの間に友人と買ったものなのかもしれない。

    「綺麗だね。よく似合ってる」

    「っ!? …………そ、そうか……」

    あまりに直球すぎたのか、ハヤヒデは恥ずかしそうに目を背けてしまった。少し赤くなった頬が芦毛の髪に映えているが、これ以上は何を言っても怒られてしまいそうだ。

    「それじゃあ行こうか」

    切り替えるように手を叩いて出発を促すと、

    「ま……待て、トレー」

    ナーくん、と言いかけてハヤヒデは門柱に頭をぶつけた。

  • 8二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:27:45

    ・・・

    いまのハヤヒデの視界は相当悪いらしく、景色はぼんやりと見える……────とはいえ、ほとんど色だけで判別しているだけらしかった。

    トレーニングコースまで辿り着いたのも、ぼんやり見える色と通い慣れた方向感覚だけを頼りにようやく────といった様子だったらしい。
    それでも普段の倍ほどの時間はかかっていたようで。

    慣れた学園の中でさえそれなのだ、こんな状態で学外に出ては無事では済まないことは明白だった。
    それでも代わりの眼鏡のために出かけることは避けられない。
    そこで俺が考えついた作戦は────

    「よし、これでいこう」

    「……ん、んん……? なんだ……トレーナーくん」

    「手、繋ごう」

    「……て……んんん……? て?」

    そう、俺が徹頭徹尾サポートするのだ。歩くときは手を繋ぎ、階段があれば伝えて登れるように支える。
    ブラインドマラソンにおける伴走者のようなものだ。

    だから手を繋いでいこう、ハヤヒデ。

    「は…………? ……、……? …………手!!?」

    俺の言葉を咀嚼するのにたっぷりと時間を使ってから、差し出した俺の手をほとんど触れそうなくらいの距離で数秒眺めていたハヤヒデはまた顔を赤くして離れてしまった。

  • 9二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:30:10

    「そのままじゃ歩いていけないでしょ?」

    「そ、そんなことはないぞ!!? 学外とはいえ歩いて20分ほどの距離なんだそれくらいならば手を繋いで行くほどの距離ではあるまいそもそも私は高等部だぞ相手がトレーナーくんとはいえ手を引かれて歩く子供のような扱いをされるほど周りが見えないわけじゃないんだだから」

    「すごい早口でなに言ってるかわかんないけど、今日はハヤヒデの意見は聞かないよ。今日は手を繋いでいきます」

    「くっ……学友に出会わないことを祈る……っ」

    そうして俺とハヤヒデは手を繋いで眼鏡屋へ向けて歩き始めた。
    彼女の行きつけの眼鏡屋は府中駅のすぐそばにあるらしく、学園からも歩いてそう時間のかからない距離だ。

    ゆっくりと歩きながら駅への道を進んでいく。

    「早くない?」

    チラリと隣の彼女へ視線を送りつつ確認する。歩幅を合わせているつもりだが、無理はさせていないだろうか。

    「ああ、大丈夫だよ」

    無理をしているようには感じられないので、ひとまず安心か。
    歩き始めてしまえばハヤヒデもそちらに集中するのか、恥ずかしがるそぶりを見せることはなくなっていた。

    「そういえば先日の話なんだが、ブライアンが────」

    「あはは、なんだそれ────」

    せっかくだからとこの休みの間にあった出来事を話しながら、のんびり通りを歩いていく。

  • 10二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:31:45

    もうすぐ11月になろうという頃合い。景色の変化も多く、会話の種には困りそうにないが……今のハヤヒデには景観の話をしても伝わらない。
    その話は眼鏡を購入した帰りにするとして……────

    「ひゃっ!!?」

    唐突に、隣から悲鳴のような声が聞こえた。

    「ハヤヒデ!?」

    俺が考え事をしている間に、ハヤヒデに何かがあったのか。
    すぐに隣に視線を送って彼女の無事を確認すると────

    「ど、どこに行った!? と、トレーナーくん助けてくれ〜!!」

    ハヤヒデが虫と戦いを繰り広げていた。

    ぶんぶんと彼女の頭の周りを飛び回る虫。ハヤヒデはおそらく音だけが聞こえていて、虫の姿は見えていない。
    ハヤヒデは繋いでいない方の手で虫を払うように顔の周りで動かすけど────そっちに虫はいないぞ……!

    わたわたと慌てふためくハヤヒデを助けなくてはいけないのだが、その様子が少し面白くて眺めていたくなった。
    ────とはいえそのままにしておくのは可哀想だ。そもそも彼女をサポートすると決めたのにその仕打ちはあんまりだろう。

    「トレーナーくんどこだ!? 虫はどこに……ひいい! まだ音がするじゃないか!」

    虫を追い払おうにもハヤヒデが暴れるのでなかなかうまく払えない。

    どうしたものか……────

    「うわぁぁっ!! いま耳元に!!?」

  • 11二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:33:21

    「────………………、」

    「と、トレーナーくん……」

    虫に慌てたハヤヒデが俺の胸に飛び込んできていた。
    耳をへにゃへにゃと折りたたみ、俺の肩に頭を埋めて震えている。
    うん、音しか聞こえない虫の強襲って怖いよな。

    「大丈夫だよ」

    大丈夫、大丈夫。俺も落ち着け。

    「すぐ追い払うから」

    空いた手でハヤヒデの頭をぽんぽんと優しく叩いてから、虫を追い払った。
    ハヤヒデったら驚きすぎだよ、全く。

    …………全く。

    「もう大丈夫だよ」

    震える彼女の頭を優しく撫で、虫がいなくなったことを伝える。
    ふるふると持ち上げられたハヤヒデの険しい目の端にはうっすらと涙が溜まっており、相当驚いていたことが窺えた。

    「……泣くほど怖かったの?」

    「ち、違うぞ!? こ……これは耳しか聞こえない状態で虫に襲われてみろ、流石の私でもこうなる! ブライアンなんてお弁当に野菜が入っているだけで泣くんだからな!?」

    言い訳で暴露される妹よ……心の中でブライアンに謝っておいた。

  • 12二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:35:17

    ・・・

    「いらっしゃいませ、ビワハヤヒデさま」

    「いつもお世話になっています。……あ、こちらは私のトレーナーで」

    「どうも、彼女のトレーナーの────」

    駅前の眼鏡屋に到着すると、店先にいた女性店員が俺たちへと声をかけてきた。
    どうやらハヤヒデの担当をいつもしてくれているらしく、軽く挨拶を交わして来店理由を伝えるとすぐに対応をしてくれた。

    「視力検査は完了しました。前回作成された時から大きく変わってはいませんので、同じ度数で作成させていただきますね」

    「お願いします」

    「それでは2時間ほどお時間をいただきます」

    丁寧にお辞儀をして、店員さんは店の奥へと消えていった。
    この店は注文から出来上がりまで、早ければ1時間ほどで済んでしまうらしい。
    視力検査でレンズを測り、フレームはいつも使っているものと同じものをハヤヒデは指定していた。

    赤いアンダーリムの眼鏡、気に入ってるのかもしれない。俺も彼女のトレードマークとして気に入っている。

    「さて……2時間か」

    どうしたものかと腕時計を確認すると、針が頂点を少し超えていて、お腹も悲鳴をあげ始める時間になっていた。

    「トレーナーくん、今のうちに食事にしないか?」

    どうやらハヤヒデも同じだったようで、近くにあるお洒落なカフェに入ることにした。

  • 13二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:36:28

    選んだ店はお昼時だからか少し混んでいて、景色のいいテラス席へと通された。少し寒いからか、この時期になると人気がないらしい。

    「あ、ちょっと待って……はい。座っていいよ」

    「すまない……やはり眼鏡がないと足元が覚束ないな。キミがいてくれて助かるよ」

    「ハヤヒデをサポートするのが役目だから」

    「ウマ娘のメンタルケアや体調管理もトレーナーの仕事だったな」

    「え? いや今は仕事のつもりじゃなかったけど」

    「……うん?」

    あ、ハヤヒデの険しい目つきが更に悪くなった。

    「ハヤヒデ何食べたい? ここパスタがおすすめらしいけど。上から順番に言っていこうか」

    「あ、ああ……すまない、頼むよ。いや待ってくれ、今の仕事のつもりじゃないとはどういう意味だ?」

    「まずはトマトソースからだけど、ペスカトーレにボロネーゼに……ん? 言葉通りの意味だけど。それで次は────」

    「言葉、通り……?」

    俺がメニュー表を読み終わるまでハヤヒデはずっと目つきが悪いままだった。……いや最初からずっと悪いままだけど。

    結局彼女が注文したのはカルボナーラで、俺はシンプルなボロネーゼ。

  • 14二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:37:28

    「……ふふ、いい香りだ。せっかくの料理を目で楽しめないのは残念だが……」

    注文してから数分、テーブルに並べられた料理が醸す美味しそうな香りにハヤヒデの目つきも少しだけ和らいでいるような気がした。

    「いただきます」

    2人で声を揃えて手を合わせ、フォークを手に取ると────

    「それにしても、キミとレース以外で出かけるのはずいぶんと久しぶりだな」

    ハヤヒデは少しだけ嬉しそうな顔で、フォークをテーブルに突き立てた。
    どうやら照準を誤ったらしい。何事もなかったようにフォークを持ち上げて、

    「……ここ1ヶ月、休みの日は自分のケアを優先させていたからな。せっかくのトレーニング日和だったが、キミに手を引いてもらうのも悪くはない気がするよ」

    もう一度テーブルに突き刺した。

    「…………」

    だめだ、ハヤヒデが頭を抱えてしまった……。
    ……仕方ない、これも俺の仕事だ。

    「ハヤヒデ、隣失礼するよ」

    俺は座席を立ち、ハヤヒデのすぐ隣に移動した。

    「な、なんだトレーナーくん……トレーナーくんか?」

    じ……っと顔を俺の方へ寄せて確認するハヤヒデ。ちゃんと声かけたはずなんだけどな。
    鋭い目つきで近づいてくるハヤヒデに、いっそ自分から顔を近づけてやる。また鼻が触れそうなほどに近距離までくると、ようやく彼女も納得したらしい。

  • 15二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:38:14

    「フォーク借りるね」

    「あっ」

    俺の顔を確認するのに手間取っていたハヤヒデからフォークを奪い取ると、彼女のパスタに刺してくるくると絡めとる。

    「な、何をする気だトレーナーくん……! まさか……!」

    「仕方ないでしょ? ほら、あーん」

    「…………う、ぅあ……っ……ほ、本当なのか……!?」

    「動いたら髪刺しちゃうよ。ほら、早くしないと落ちちゃう」

    「くっ……見えないからと弱みに漬け込むようなことをするとは、ひどいトレーナーもいたものだな!」

    「ほら、はやく」

    「覚えておくぞトレーナーくん! 今日キミにされたことは……ずっと、覚えておくぞ……」

    「あーん」

    「そもそも周りの目があるだろう!? これをサポートとは言うまいな、私は別にひとりで……」

    「この席は俺たちだけだよ。ほら落ちる落ちる。あーん」

    「っ……あー…………、む」

  • 16二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:38:52

    ゆでだこのように顔を真っ赤にさせたハヤヒデがようやく口を開き、俺はそこへフォークで丸めたパスタを放り込む。

    もくもくと咀嚼し始めたのを確認してフォークを引き抜き、次の準備をする。

    「美味しい?」

    「…………おいしい」

    「よかった。大きさは大丈夫?」

    「んむ……ああ、問題ない。でも大丈夫だ、次からは自分で────」

    「あーん」

    「ぁ、あ……む」

    パスタはハヤヒデに有無を言わせずに全部食べさせた。
    平静を装ってはいたが、正直内心は恥ずかしさで俺は死にそうだった。

    恥ずかしそうに顔を赤くするハヤヒデに……彼女の口元にフォークを差し出す俺。小さな子供を相手にするならまだ分かるが、彼女はもう大人と言っても遜色はない。

    それもハヤヒデのような美女相手に、こんなことを……────彼女が眼鏡をしていなくてよかったと俺は心から安堵した。

    普段通りの彼女にこんなことをしたら……きっと、しばらく目を合わせることはできなかったと思うから。

  • 17二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:40:57

    ・・・

    「……ああ、全てが見えるようだよトレーナーくん」

    食事を終えた頃────
    時間帯もちょうどいい頃合いだったので俺たちは眼鏡屋へ赴き、完成したハヤヒデの新しい眼鏡を受け取った。
    そして出来たての眼鏡をかけた瞬間のハヤヒデの台詞が今のもの。

    「やはり目が見えるというのは素晴らしいな。まるで数式が空中に浮いているようにすら感じるよ」

    「それはちょっとよく分からないけど……これで明日からはまたトレーニングできるね」

    「ああ、むしろ今すぐにでも戻って走りたいくらいさ」

    目が見えるようになっただけでこの言いようだ。
    ようやくいつものハヤヒデに戻ったような気がする。ずっと不安で仕方なかったんだろうな……嬉しそうでよかった。

    「本当にそうするにしろ、休むにしろ学園には戻らないとね。行こうか」

    「…………、ぁ」

    俺はさっきまでと同じように、ハヤヒデの手を取って店を出た。
    戻る頃には何時ごろになるだろうか。行きで40分ほどだったから、帰りもほとんど同じくらいか。
    帰る頃には時間は夕方に差し掛かっているが……1時間くらいなら走れるだろうか。
    コースは使えないかもしれないけど、外周くらいなら出来るかもしれない。
    あとはハヤヒデが実際どう思っているか、だ。その確認を取ろうと振り返って。

    「ねえ、ハヤヒデ。帰ってからだけど────」

    ハヤヒデが茹で蛸のように赤くなっていた。……何が起きたんだ?

  • 18二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:42:33

    「ハヤヒデ!?」

    「ぁ……は、な……何かな!?」

    「いや……何かなは俺のセリフで……────」

    そうして、気づく。
    そういえば俺、ハヤヒデと手を繋いだままだ。
    眼鏡屋を出る時、これまでと同じようにナチュラルに手を繋いでいた。
    もうハヤヒデは目が見えるんだから繋ぐ必要はないというのに。

    「……ごめん! 眼鏡のこと忘れて手繋いでた!」

    「いぁ、い……いや、大丈夫だ。私もすぐに指摘しなかったから……うん。気にしないでくれ、もう少し繋いでいたかったわけじゃないからな」

    「そ、そう……? 本当にごめんな……」

    「構わないさ、うん……構わないよ」

    よかった、事故だしね……許してもらえて助かった。
    ハヤヒデはたまにそういうことに厳しい時があるから、実は昼食を食べさせるのも怒られるかと内心ヒヤヒヤだったのだ。
    何事もなく済んだしよかった。

    それから俺たちは40分かけて学園まで歩いて帰り、新調した眼鏡をかけたハヤヒデが走りたそうだったので1時間だけ軽く流して今日は解散になった。

    何度もお礼を言われたけど、トレーナーとして支えただけだから気にしないでもいいのにな……と心の中で思いながらお礼の言葉を受け取っておいた。
    それに目つきが恐ろしく悪いハヤヒデ……なんて珍しいものも見れたしね。

    結構可愛かったな……なんて思っても口にしてはダメだ。もう彼女は大人の女性なんだから。

  • 19二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:46:03

    「おい姉貴」

    「ブライアン? どうした、わざわざ夜に」

    「いや……後輩から聞いたんだが、今日トレーナーと出かけたらしいな」

    「え゛っ……あ、あー……ああ、眼鏡を新調しに付き添ってもらったんだよ」

    「……なに? 私はデートだと聞いたぞ」

    「で、デート!? だ! 誰だそんなことを言ったのは全くけしからんな私とトレーナーくんはまだそこまでの関係ではないというのに健全な付き合いをしているんだぞまず私と彼はいわば教師と教え子でそういうのは卒業するまではダメだと相場が決まっているんだからそんなことをするはずがないだろう何を言ってるんだブライアン本当に姉として恥ずかしいぞ全く」

    「早口で捲し立てるな、やかましい。なら私が聞いたのは気のせいか?」

    「ああ、気のせいだとも」

    「校門前から手を繋いで歩いて行ったという話も気のせいか」

    「そそそそそうだな!?」

    「トレーニングコースのあたりでキスをしていたとも聞いた」

    「キスはしていないぞ!? ……近くまで顔は寄せたがな? 見えなかったからだぞ、見えなかったから」

  • 20二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:47:10

    「それから駅前でトレーナーに抱きついたり」

    「うぐっ!?」

    「カフェで飯を食わせてもらったり」

    「ふぐっ!?」

    「眼鏡を新調したあとも手を繋いで駅前を歩いていたり」

    「ぐうっ!?」

    「全て気のせいなんだな」

    「きのせいだとおもうぞぶらいあん」

    「そうか。いや、姉貴たちの関係をどうこういうつもりはない。ただ姉貴がようやくやる気を出したのかと冷やかしに来ただけだ。実際はそうじゃなかったらしいが」

    「ははは、しかたないやつだなー」

    「用はそれだけだ。じゃあな姉貴」

    「ああおやすみ」

    「おやすみ」

    「……」

    ハヤヒデは眠れない夜を過ごしたのだった。次は眼鏡を無くしてみようか……などと考えながら。

  • 21二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:47:29

    おしまい
    長すぎるわ……ごめんね

  • 22二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 01:49:37

    タイトル「メガネクラッシャービワハヤヒデ」と迷ったけどネタに走る勇気が出なかった…

  • 23二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 02:02:26

    非常に良い……
    この日から数日くらいの間トレーナーが自分と一緒に行動する時につい手を繋ぎそうになっては直前で気づいて手を引っ込めるから意を決したハヤヒデが「……たまには、繋いでも構わないよ」とか言って普段から時々手を繋ぐようになってほしい〜!!

  • 24二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 06:25:33

    もっと多くの人に読んで欲しいあげ

  • 25二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 06:33:01

    朝からいいもん見た

  • 26二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 07:31:57

    長いか?もっと長くてもいいんじゃないか?
    とにかく良いものだ

  • 27二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 10:02:48

    あげげ

  • 28二次元好きの匿名さん22/10/27(木) 14:34:15

    眼鏡がないとポンコツになる姉貴は私性合

  • 29二次元好きの匿名さん22/10/28(金) 02:31:14

    ハヤヒデさん可愛いよね…。

  • 30二次元好きの匿名さん22/10/28(金) 03:14:53

    スレ主でございます
    たくさん感想ありがとうございます!
    自分では納得いってないのにこんなに優しく言葉もらえて凄く嬉しいです
    渋に加筆修正したもの乗せましたので、もしどこかでお会いした際には補完くらいの気持ちでチラ見してあげてください

    姉貴……姉貴いいですね、姉貴

  • 31二次元好きの匿名さん22/10/28(金) 10:14:00

    渋にも投稿してくれたってマ?ブクマしときますわ。

  • 32二次元好きの匿名さん22/10/28(金) 11:15:27

    味をしめようとする姉貴…流石だな…

  • 33二次元好きの匿名さん22/10/28(金) 11:29:05

    いいね……姉貴……いい……

  • 34二次元好きの匿名さん22/10/28(金) 12:06:12

    あにまんでこんな名作が読めるなんて……

    最近嫌なことばっかだったけどお陰様ですごい元気出たよ ありがとう

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