【ウマ娘】雷鳴の如く【ss】

  • 1二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 21:58:51

    このssは恐らくウマ娘にならないであろう競走馬を勝手にキャラ付けしたものになります。
    また時系列としてはメインストーリー4章、原作でいうところの1995年~1996年をメインとして進行し、シリウスのトレーナー、ライスシャワーとナリタブライアン、オグリキャップが登場します。
    他にもヒシアケボノ、ビコーペガサス、ヒシアマゾンも出ますが、筆者が引けてないのでキャラが違う言動をする可能性があります。
    それらが嫌な方はプラウザバックをお勧めします。

  • 2二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 21:59:48

    ウマ娘にとって一番の無念とは何か。

    勝てないことか?
    否。
    私にとっては、走れなくなることだ。

    幼少期とそして2年前、私は脚を2度も折った。
    だが私はここにいる。
    まだ私は走れるのだ。


    『――2番手争いもう1度エアチャリオット!エアチャリオット!2番手出てきた!』

    芝でもダートでも構わない。
    ただここに立ち、駆け抜ける。

    『外からヤエノジョオーもやってくるが三番手の争い!』

    勝とうが負けようが構わない。
    一番の目的は、

    『勝ったのは8番トロットサンダー! アイルランドトロフィーを制しました!』

    私は私を証明するためにここにいる。

    "トロットサンダー"

    それが私の名だ。

  • 3二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:00:56

    「トロットサンダー、か」

    眼下には今この瞬間にゴール板を駆け抜けた鹿毛のウマ娘の姿があった。

    「気になる?」
    「あぁ。彼女も地方から中央に来たと知ったんだ。私と同じだな」
    「……ウラワでは9戦8勝、2着1回。骨折で1年療養してたけど復帰戦で勝利、そして中央入り」

    スラスラと手元の資料から情報を読み上げる同行者。今の時代にタブレット端末ではなく紙を使うのもこの人くらいだろう。

    「実を言うとスカウトしたかったんだ。だけど先を越されちゃって」
    「そうなのか?」
    「うん。いい刺激になると思って。でも残念だ。今の彼女の末脚と走りと勝利への執念、それこそ今のチームにはちょうど必要そうだから」

    少しばかり瞳に憂いを帯びる同行者、もといトレーナー。

    「……トレーナー」
    「トロットサンダーの次のレースはマイルチャンピオンシップだそうだよ。僕は見に行くけど、ついてくる?」
    「……そうさせてもらおう」

    食いぎみに自分の発言を遮ったトレーナーに上手くかける言葉が見つからない。
    自分はウマ娘で、ドリームトロフィーリーグを走る選手で、トレーナーではない。

    「次のレースもある。パドックへと行こうか。"オグリキャップ"」

    そう言うとオグリキャップの同行者……"シリウス"のトレーナーは目元を伏せ観客席から去っていった。

  • 4二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:02:17

    アイルランドTから数日。
    私は美浦寮の敷地の外れにあるベンチでただただぼーっとしていた。

    「……暇」

    今日はオフだ。
    本当は走っていたいが、過去に2度も折れている事からトレーナーからは「オフの日は絶対に走るな」と強く言われている。
    かといって他にやるべきことがあるわけでもなく、こうして1人でぼんやりとベンチから空を眺めることくらいしかない。
    お陰でこのベンチは私の特等席だ。中央に来てから1年半ほど経ち、四季を問わずオフの日はここで暇を潰しているからか「謎の鹿毛の子のベンチ」として妙に近寄り難いものになっているらしい。ありがたいと言えばありがたいのだが、お陰で他人と会話する機会が失われてしまった。

    「知ってる?今日ブライアン先輩が練習してるらしいよ」
    「そうなの!? ちょっと見に行ってもいい? 握手とかして貰えるかなぁ!」
    「アンタ、ブライアン先輩の大ファンだもんね~」

    近くを歩くウマ娘たちの会話。何気ないものだが私はそんなことを話す友人は……いない。
    中央に高等部になってから編入した私には今さら友人を作るのはハードルが高すぎる……。障害競争も走ったことないし。

    「今さらチームの子とも、ね」

    同じチームの子ともあまり話さない。
    そういえば、たまに私の知らないチームの子がレースに出ているが私がオフの日に練習したりしているのだろうか。
    流石にチームメイトを覚えていないほど薄情ものではないと思っていたが、どうやら私はそうらしい。

    「もう帰ろう……」

    なんだか惨めになってきた。
    ここに来た頃は走れればいいと思っていたがそうでもなくなってしまった。
    他人との触れあいと、まだ言語化出来ていない"何か"。
    走れば走るほど沸いてくる"何か"を求めて、明日からも頑張ろう。

  • 5二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:03:39

    寮に帰ると私のルームメイトが既に戻ってきていた。

    「トロットさん聞きましたよ!マイルチャンピオンシップに出るそうですね!」

    この黒鹿毛の子……チヨノカツラとは同じ部屋なだけあってそれなりに話す。もっとも部屋の中だけであってここから出れば彼女にはたくさんの友達がいるのだが。

    「マイルCSにはボノちゃんやビコーちゃんたちも出るけど、トロットさんの事を応援します!」
    「それはその、嬉しいけど、友達を応援してあげたら?」
    「もちろん応援します。でもルームメイトがG1出るならもっと応援しますよ! それと私はトロットさんと友達だと思ってたんですけど、違うんですか……?」
    「いや、友達、だと思う……」

    瞳をうるうるとさせた上にじりっとにじり寄られ、相手は中等部だというのにタジタジにされてしまう。中央の子はこれほどまでに進んでいるのか……ウラワとは違う……隣の県なのに……。

    「なら良かったです! そうだ、今からボノちゃんたちと併走するんですけど、トロットさんも来ますか?」
    「いや、行かない。行きたくないんじゃなくて、チヨノが応援してくれるなら頑張りたいから」
    「そうですか……わかりました。でもしたくなったらいつでも仰ってくださいね。ボノちゃんもビコーちゃんも喜ぶと思います!」

    礼を言いつつチヨノカを見送り、今までのマイルCSの情報がまとめられたノートを取り出す。
    次はG1だ。今までも重賞は走ってきた。だがG1は違う。誰もが手が届く舞台ではない。

    「ヒシアケボノ、ビコーペガサス、レガシーワールド……」

    ライバルたちは全員強力だ。重賞をとったウマ娘たちが何人もいる。中にはG1を獲った子さえも。
    それと比べて私は重賞に手は届いていない。
    だがマイルCSの1600mという距離は私の得意な距離そのものだ。1600mの感覚というのはわかっている。京都ではまだ走ったことはないがコースの情報と私の感覚、それを合わせれば勝つのも不可能ではない。

    「やってみせる、絶対に」

    淀の舞台でも私の名を轟かせるために。

  • 6二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:05:02

    11月19日、京都競バ場。天気は晴れ、バ場も良。最高のコンディションだ。

    「ふーっ」

    ついにきた、マイルCSの舞台。
    なんでも私は4番人気とのことだ。重賞未勝利ながら1600mでは無敗なのが評価らしい。
    勝負服は黄色をベースに腕部にピンク、胴体に黒いラインを引いものにスカートは白。何故かはわからないが、これが一番ピンと来た。

    「いたいた、トロットさん!」
    「うん?」

    地下バ道で声をかけられた。

    「ヒシアケボノとビコーペガサス……」
    「話はいつもあの子聞いてるよ~。今日はとってもボーノなレースにしようね!」
    「アンタがトロットサンダーだな! めちゃくちゃ強いみたいだけど今日はアタシが勝つ!」

    なんというか、身長差がすごい。見上げたり見下ろしたりで首が疲れる。

    「うん。よろしく」

    ルームメイトを通じて2人の人柄はよく知っている。そして実力も。

    「クールだな!なんか前のメーレマンみたいだ!」

    誰……?

    「ビコーちゃんそろそろ行こう~。トロットさんまた後でね~!」

    先にコースへと向かう2人を見送り、もう1度深呼吸。よし、行こう。

  • 7二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:06:19

    『ゲート、全員揃いました』

    スタート直前、私の中に様々なことが過ぎ去っていく。
    2度折れたこと、ウラワの皆に助けられてまた走れるようになったこと、そして中央にスカウトされて皆に送り出されたこと。
    右足に力を込める。
    ガコン!とゲートが開いた。

    『スタートしました!揃いました18人のウマ娘!』

    まずは先頭争いをするのを後ろから見る。

    『まず先頭争いに入りますがやはり間エイシンワシントンです。エイシンワシントンがまず先手を奪いました。あと2番手からは内ヒシアケボノが上がって、ポットリチャード3番手』

    ヒシアケボノは先行しているようだ。あの大きな体で前に居られるというだけで威圧感がある。

    『ニホンピロプリウスが後方から6、7人目。そのあとビコーペガサスとトロットサンダー。さらにはメイショウテゾロと追走です。後方はトーワダーリンにレガシーワールド最後方』

    内側のビコーペガサス、外側にメイショウテゾロと挟まれて後方からレースを組み立てていく。
    ふと右に目を向けるとビコーペガサスと目があった。「負けない」と言いたいのだと口に出されずともわかる。

    『各ウマ娘第3コーナー登りに向かいますが先頭は、エイシンワシントンリードは2馬身くらい。ヒシアケボノが単独2番手で坂の頂上に向かいます。あとポットリチャードが3番手800の標識を通過。スターバレリーナ、ドージマムテキが4番手5番手』

    坂を登る。ここからが勝負だ。私の末脚は最後の直線に貯めておく。

    『――あとまだビコーペガサスは後方集団の一角です』

    外から第4コーナー目掛けて突っ走る。

  • 8二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:07:06

    『各ウマ娘第4のカーブに入ってエイシンワシントン、エイシンワシントン先頭!』

    最終直線に賭ける。

    『2番手ヒシアケボノ、ヒシアケボノ! ドージマムテキが早めに来た! スターバレリーナが4番手くらい!』

    今しかない。
    私の全力を以てこのレースを走りきってやるッ!

    『そのあとメイショウテゾロ! ビコーペガサスはまだ中段の中!先頭はヒシアケボノ!! ヒシアケボノ先頭だ! あとドージマムテキ2番手か! 内からエイシンワシントン粘っている!』

    右足に全力を込める。

    「ああああぁぁぁぁッ!!」

    なりふり構わない絶叫とともにラストスパートをかけた。

    その、瞬間だった。

  • 9二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:08:06

    後に、このレースを見た者は口を揃えてこう言ったという。

    「トロットサンダーが踏み込んだ瞬間、爆発音が聞こえた」

    音声記録にはそんなものは入っていない。実況のマイクもそんな音は拾っていない。
    だが観客だけでなく、実際にレースに出ていたウマ娘たち、実況解説に京都競バ場の職員、URAの上役等々、その場にいた誰しもの耳に焼き付いたという。

    トロットサンダーから発した爆発音。
    そしてその爆発音を全員がこう例えた。


    ――まるで"雷鳴"のようだった、と。

  • 10二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:09:38

    『追い込み勢から、トロットサンダー!!』

    身体を焼くような痛みと共に光にでもなったかのような感覚。
    1歩、また1歩と踏み込む度に私の身体を駆け抜けるそれに名前を与えるとするならば、"雷"だった。

    『トロットサンダー!トロットサンダー!! メイショウテゾロ突っ込んできた!』

    気付けば笑っていた。
    どうだ、見たか。何度折れても私はここに立つ。そして今まさに頂上へと手が届く。
    やはりレースは楽しい。こんな高揚感は他では味わえない。

    『さぁトロットサンダー! ヒシアケボノ!メイショウテゾロ!』

    どんどん速くなっていく。後続は私についてこれない。
    ここは私の独壇場だ。私が輝くレースだ。

    『トロットサンダー!』

    そうだ、私の名を呼べ。

    「私の名を焼き付けろッ!!」

    咆哮と共にゴール板を駆け抜けた。

    『トロットサンダー先頭ゴールイン! 2番手はメイショウテゾロとヒシアケボノ!』

  • 11二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:13:04

    「あの雷鳴とあの眼光……彼女は、"領域"に入ったのか」

    自身の経験を振り返りオグリキャップはそう呟く。流石に雷鳴は鳴らしたことはないが、あの末脚と捕食者のような表情はオグリキャップも覚えがある。
    トロットサンダーの今後がますます楽しみになった。彼女はきっとまだ強くなる。

    「トレーナー」

    後ろにいる"シリウス"のトレーナーに声をかけるが、そのトレーナーはオグリキャップの声は入っていないようだ。

    「アンタはこのレースを見せてどうしたいんだ」
    「……凄い末脚だったでしょ?」
    「確かにそうだが、聞きたいのはそういうことじゃない」

    トレーナーの隣にはナリタブライアンと、車椅子に乗ったライスシャワーがいる。

    「そうだね、君たち2人には必要なものだと思ったんだ。彼女の……トロットサンダーのレースは」
    「ライスたちに……?」

    レースと聞いてライスシャワーは無意識に折れた左足を撫でた。

  • 12二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:14:17

    「トロットサンダーは2度、足が折れている」
    「……!」
    「でもああして立ち上がり、G1という大舞台に登りそして掴み獲った」

    ライスシャワーもナリタブライアンも今年になって足に問題が発生した。
    特にライスシャワーに至っては命こそ取り留めたが、未だに車椅子生活を余儀なくされている。

    「トレーナーさん……ら、ライスはもう走れないんじゃ……」
    「……ライスはどうしたい? もう走りたくない?」
    「ライスは、ライスは……」

    知っている。ライスシャワーの闘志はまだ残っていることなど。
    でなければ"シリウス"に残っていない。でなければ誘ってもここには来なかった。

    「また、走りたいです。もう1度だけでも、ターフに立って、この足で……!」
    「そう言ってくれて良かった。ライスがまた走れるまで、僕でよければ力を貸すよ」

    ライスシャワーに足りなかったのはあと1歩踏み出すこと。その1歩をあのウマ娘が後押ししてくれた。足が折れてどこか駄目だと思ってしまった彼女を、2度折れてもG1で走れると証明したウマ娘がいる。

  • 13二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:16:04

    「ブライアン」
    「言いたいことはわかっている。アンタは私にあの執念を学べと言いたいんだろう」

    ナリタブライアンは怪我明けの天皇賞(秋)を落としてしまっている。獰猛な獣のような走りはどこへ行ってしまったのか、あのレースを見た者の多くが口にした。

    「あの勝ちに……いや、"走る"ことへの異常な執着心。アイツは勝ちを見ていない。自分自身があの場で駆けることで己を証明しようとしている。そうか、私に必要なのはその執念と執着心。……『私の名を焼き付けろ』か」

    渇望とも言い換えられるその執着心。その強い渇望を目にしてナリタブライアンの渇きにまた滾る何かが流れ込む。

    「トレーナー、明日からのメニューはもっとキツいものを用意してくれ」
    「わかった。でも無理はさせないからね」
    「あぁ」
    短く答えるナリタブライアンの瞳には先ほどまでとは違い、それこそ獰猛な獣そのものの力が宿っていた。

    「ありがとう、トロットサンダー。君のお陰で僕も救われた」
    「トレーナー」

    漸く安堵の目を見せた"シリウス"トレーナーに、オグリキャップは静かに声をかけた。

    「ごめん。さっきは無視しちゃったね」
    「いや、トレーナーは凄いな。あの2人を震い立たせるなんて」
    「僕は何もしていないよ。ライスとブライアンをたきつけたのは彼女だ」

    トレーナーの視線の先には勝利インタビューを受けるトロットサンダーの姿があった。

    「それでもだ。……私もトレーナーになれば後輩たちに助言出来るのだろうか?」
    「オグリキャップなら出来るよ。将来はトレーナーにでもなる?」
    「引退後の事は考えたことはなかったが、それも良さそうだ」

    オグリキャップなら良いトレーナーになるだろう、"シリウス"のトレーナーはそう確信していた。

  • 14二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:17:08

    マイルCSを制してから私の生活は激変した。まずあの後ヒシアケボノやビコーペガサスと仲良くなった。
    そして私のお気に入りのベンチが使えなくなった。いや、正確には使えることには使えるんだけど……。

    「ここで待ってたらトロットさんが来るってほんと!? マイルCSでファンになっちゃった!」 「……『私の名を焼き付けろ!』 かっこいい……」 「あのキリッとした目とクールな性格、いいよね……」

    ……何やら有名になってしまったらしく、私のベンチにはミーハー気質な子たちが屯するようになってしまった。これでは落ち着いて空を眺められない。
    ……それに、『私の名を焼き付けろ』はなんかこう、テンション上がって言っちゃっただけなので、今になって恥ずかしくなってるし、なんなら言ったことを取り消したい。

    「トロットさんトロットさん」
    「チヨノ?」

    影から私のベンチを眺めているとどうやって私の場所がわかったのか、チヨノに見つかってしまった。

    「その、驚かないでほしいんですけど」
    「うん」
    「オグリキャップさんが呼んでます」
    「はぁ!?」

    思わず大声をあげてしまう。なにせ相手が相手だ。知らぬ者はいないウマ娘、オグリキャップ。『芦毛の怪物』『アイドルウマ娘』などなど、彼女を讃える二つ名は枚挙に暇がない。そんなウマ娘が、私を?

    「トロットさん! 大声出したから気付かれちゃいましたよ!」
    「えっ」

    ベンチの方向から何人ものウマ娘が私の方へと駆け寄ってきている。「トロットさーん!」「サインお願いします!」「あの台詞もう1回言ってくださいー!」……やばい。

    「ごめんチヨノ、オグリキャップさんどこにいるの!?」
    「美浦寮の前です」
    「わかったありがとう!」

    どうしたってそんな目立つ所にと疑問にはなるが今はオグリキャップさんに会うのが先だ。

  • 15二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:18:03

    美浦寮の前に辿りとくと案の定人集りとそれから発せられる歓声が出来ていた。その黄色い声の中心にいるのは間違いなくオグリキャップさんだろう。

    「……む、すまない皆。約束していたウマ娘が来た」
    「誰ですか!?」
    「トロットサンダー、君だ」

    全員の視線が私に注がれる。レースではもっと大勢の人に見られているはずなのになんだか気まずい。

    「その……お待たせしました」
    「私もさっき来た所だ」
    「そうでしたっけ」
    「では行こうか。カフェテリアで良いか?」
    「あっはい……」

    同じ地方から中央へと殴り込んだという共通点から、勝手ながらオグリキャップさんを目標にしてきた。いつか会って話してみたいと考えていたが実際に目の前にすると何を話して良いかわからない。……いや、何を話して良いかわからないのは普段からだった。

    「急に呼び出してすまない。どうしても話したかったんだ」
    「いえ、その……」

    会話にならない会話を繰り返し、なんとかカフェテリアに辿りつく。カフェテリアに到着した途端、オグリキャップさんはあっという間に大量の皿を抱えて近くの席に座った。

    「君も何か食べるといい。食事しながらの会話は捗るとトレーナーが言っていたからな」

    緊張やばくて何も入りそうにない。とりあえず軽いものを用意してオグリキャップさんの前に座る。

    「それで、その、話というのは」
    「あぁ。マイルCS、おめでとう」
    「あ、ありがとうございます……」

    それだけ言うとオグリキャップさんは無言で2皿ほど一瞬で平らげた。ええ……。

  • 16二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:19:35

    「あ、すまない。まだ話したいのとは色々あるんだ」

    ジョッキに入ったにんじんジュースを飲み干し、オグリキャップさんは私の方向を向く。うわ、顔がいい……。

    「私と君はカサマツとウラワという違いはあるが、同じ地方からきただろう? だから妙に親近感が沸いたんだ」
    「だから私を探していたんですか?」
    「それともうひとつ。お礼を言いたかったんだ」

    お礼? 初対面のオグリキャップさんにお礼を言われるようなことは何もないと思う。

    「君の走りで"シリウス"の皆が再起してくれたんだ。あのマイルCSの走りで」

    "シリウス"というチームは私でも知っている。数年前に新人のサブトレーナーに変わったばかりだというのに、かのチームに所属するチームはG1ウマ娘だらけというおかしいチーム。
    そうか、オグリキャップさんも"シリウス"に所属していたんだっけ。

    「君が足を2度折っても走り、そしてG1を勝ったというのは偉業だ。これならも君の走りを楽しみにしてる」

    勝った……そういえば私は勝ったんだった。
    今まで走ることしか考えてなかったけど……そっか、勝てば他にも何かあるんだ。

    「はい! これからも走って、勝っていきます!」
    「応援しているよ、トロット。……ごちそうさま」

    気がつけばあれだけ大量にあった食べ物が全て消えていた。なんでそんなに入るんだろう。

    「もっと話していたいんだが、すまない。これから用事があるんだ」
    「い、いえ。その楽しかったです。また、機会があれば一緒に食事してくれすか?」

    そう聞くとオグリキャップさんは笑顔で「いつでもいいぞ」とだけ言った。

  • 17二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:20:43

    「ねぇ、チヨノ」
    「なんでしょう」

    その日の晩、どうしても気になることがあってチヨノに尋ねた。

    「勝つと嬉しい?」
    「嬉しいです、トロットさんは違うんですか?」
    「……わからない。今まではレースで走るだけで良かった。でも今日私が勝ったことで変わったウマ娘がいるって知った。その時の感情がよくわからなかったんだ」

    多分嬉しい、だと思う。でもこれはレースとは関係ない。
    それにレースを走る度に感じる"何か"とは明確に異なるって言える。

    「……そうですか。ならトロットさん、これからも勝ってみては?」
    「難しいこと言うなぁ。でもチヨノの言う通り勝てばわかるかもしれない」

    ならこれからも勝とうと、軽率な気持ちで決めてしまった。
    だが、現実はそう簡単ではないと私はすぐに知ることになる。

  • 18二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:22:16

    『トロットサンダー1着!』

    年が明け、まず最初に挑んだ東京新聞杯には勝てた。だが次の京王杯スプリングカップは――、

    『ハートレイク先頭でゴールイン!2着はタイキブリザードかトロットサンダーか!』

    結果は3着。
    距離が得意距離より200m短いからとかではない。実力で負けたのだ。
    レースに負けた瞬間異常なまでの激情が私を突き抜けた。別にはじめて負けたわけではない。別にはじめて重賞に出たわけでもない。
    なのにどうして、こうも突き上げるような吐き気が抑えられない。

    「トロットさん!」

    ふらつきながら控え室に戻る私の下にチヨノがやってきた。

    「体調が優れないんですか!?」

    違う、なんだこの感覚は。

    「ごめんチヨノ……勝てなかった」
    「どうして、どうしてトロットさんが謝るんですか。負けて悔しいのはあなたじゃないですか! なのになんで私に謝るんですか!?」
    「悔しい……?」
    「まるで私のために走っているかのような事を言わないでください! トロットさんは自分のために走っているんじゃないんですか!?」

    チヨノがここまで感情を露にしたのははじめて見た。

    「……っ、ごめんなさい、言い過ぎました……」
    「待っ……」

    俯いたまま走り去るチヨノを私は追えなかった。

  • 19二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:23:36

    その日のライブはまぁ酷いものだった。特にハートレイクとタイキブリザードには悪いことをしてしまった、明日謝りに行こう。
    京王杯スプリングカップは府中での開催だ。そのお陰でその日には美浦寮には帰ってこれる。しかし私とチヨノの部屋には帰れなかった。チヨノにあんなことを言わせてしまって、どんな顔をして一緒の部屋にいればいいかわからない。
    すっかり夜だ。門限はとっくに過ぎているし、どうせ怒られるなら今から急いで戻ったところで意味がない。

    ――自分のために走っているんじゃないんですか!?
    ――負けて悔しいのはあなたじゃないですか!

    チヨノの言葉が頭から離れない。気がつけばお気に入りのベンチに辿り着いていた。そういえば最近はここに来ていなかった。ミーハー気質な子もマイルCSから半年も経てば見えなくなっているのに。

    「はぁ……」

    どっさり腰を下ろして深くため息。未だあの吐き気の理由が掴めていない。まるで今まで謎のままでわからない"何か"と一緒のようだ。

    「一緒?」

    点と点が繋がった。
    そうか、そういうことか。

    「私は……勝ちたかったんだ」

    走れば走るほど沸く"何か"、それが勝ちたいと言う欲求なら、私が今日感じた感情も説明がつく。

    「――"悔しい"っ……!」

    そうわかった途端、涙が滝のように流れ出してきた。勝ちたかった、またゴール板を最初に駆け抜けたかった。

    「トロットさん!」
    「お、いたいた。門限破りは反省文ってわかってんだろうね!」

    近づく声と足音がふたつ。

  • 20二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:25:03

    「チヨノ……ヒシアマさん……」

    チヨノはどうやら焦燥しきっているようで、探している最中に転びでもしたのか手や膝に土がついてしまっている。

    「トロットさんが帰ってこなかったから、何かあったんじゃないかって、心配で……!」

    瞳から涙が溢れて、それを隠すかのように私に抱きついてきた。

    「……涙でぐちゃぐちゃだよ。ハンカチ貸すからこれで拭いて」
    「嫌です。トロットさんの服で拭きます。心配させた仕返しです。それにトロットさんも同じじゃないですか」
    「……そうだね」

    チヨノが私の制服で涙を拭くまでヒシアマさんは無言で待ってくれていた。

    「すみませんヒシアマさん。門限を無視してしまって」
    「チヨノから一通り事情は聞いてるけど規則は規則だからね、反省文は書いてもらうよ」

    そう言うとヒシアマさんは用紙を取り出し、そのまま破いた。

    「おっと力加減を間違えちまったよ」
    「ヒシアマさん?」
    「用紙がないんじゃ反省文も書けないね。その代わりチヨノとじっくり話すんだね」
    「……ありがとうございます」

    ヒシアマさんの気遣いに感謝しつつ、チヨノに向き合う。
    言いたいことがあるんだ。

  • 21二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:26:41

    「チヨノ」
    「はい」
    「……チヨノには色んなことを教えてもらった」

    中央のこと、美浦寮のルール、トレセン周辺の飲食店……他にも色々。

    「そして今日になって"悔しい"って感情も、教わった。でもこれは知りたくなかったな」

    こんなにも苦しいものだなんて知りたくなかった。まだ走るだけでいいと思えた時が良かったと考えてしまう私がいる。

    「だから今度は勝つよ。安田記念で。チヨノには最前列で見てもらう」

    レースで走り続けたい。そしてもう負けたくない。なら勝ち続けるしかない。
    チヨノにはそんなことを決めさせた責任をとってもらう。

    「……わかりました。勝ってくださいね」
    「うん」
    「はっはっは! 勝つとは大きく出たね! 安田記念にはアタシも出る、例えアンタでも、今の宣言を聞いたとしても負けてやる気は一切ないからね!」

    ヒシアマさんを前にして勝つと言うのは勇気がいることだったけど、言わなければならなかった。

    「私も負けるつもりはありません。ヒシアマさんには悪いですけど、あなた含めて全員バックダンサーにしてやります」
    「いいね、気に入った!」

    何よりも私のために。

  • 22二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:28:07

    6月9日、東京競バ場。

    フジノマッケンオー
    ヒシアケボノ
    シャンクシー
    フラワーパーク
    ダンスパートナー
    ビコーペガサス
    メイショウユウシ
    タイキブリザード
    ジュニュイン
    ヒシアマゾン
    ゼネラリスト
    トロットサンダー
    オースミタイクーン
    ヤマニンパラダイス
    ハートレイク
    トーワウィナー
    トウホーケリー

    豪華メンバーと謳われるのも納得だ。G1ウマ娘が8人も集まるのもそうそうないとトレーナーが言っていた。
    そんな舞台で私は今から走る。走り、そして勝つ。
    都合のいいことに京王杯で私に勝ったハートレイクもタイキブリザードもいる。リベンジしてやろう。

    「トロットさん」

    コースへと向かう地下バ道には既にチヨノがいた。

    「応援、してます」
    「勝ってくる」

  • 23二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:29:05

    ファンファーレと共に歓声が鳴り響く。

    『想像以上の拍手に歓声。やはりG1ウマ娘8人という豪華さ、期待度が凄いということでしょうか』

    ゲートの前で待機しながらライバルたちの顔を見る。
    誰もが勝つと言わんばかりの表情だ。

    「ふーっ」

    肩の力を抜く。
    やることは変わらない。最後に全員差し切る。1600mは私の舞台だ。普段通りやれば勝てる。
    後ろからポンと肩を叩かれた。振り返るとヒシアマさんが無言で笑いかけてきた。
    言葉にせずとも言いたいことはわかった。
    ――良いレースにしよう。

    「……ありがとうヒシアマさん」

    先にゲートに入るヒシアマさんに続き、私もゲートに入る。
    この瞬間が一番緊張する。

    『17人だて、最後トウホーケリーの枠入りを待ちます』

    右足に力を込める。
    私のために走りそして勝つ。

    『競うべきはかつての勲章ではなく今の実力だ安田記念――スタートしました!』

  • 24二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:30:53

    『スタートしました、ばらついたスタート。ヒシアマゾン出が良くありません』

    横目に出遅れるヒシアマさんを見つつ、まずは先頭争いをする前の集団を見送る。

    『高スタートはトウホーケリー、初G1のウマ娘。後ろをチラっと振り返って思いきって行くのみ。内からヒシアケボノが詰めてくる。そしてじわっとフラワーパークも詰めてくる』

    やはりヒシアケボノは先行したみたいだ。彼女を如何にして差し切るかもまた重要だ。

    『先頭変わってヒシアケボノ、フラワーパーク3番手。内からフジノマッケンオーも早め。そしてヤマニンパラダイス、レコード娘。真ん中からタイキブリザード今日は早めに行った。そしてトーワウィナーです』

    タイキブリザードが少し早めに動く。
    だがまだ我慢だ。まだ貯めるときだ。

    『そして内々ビコーペガサス。その後ろならは7番のメイショウユウシがつけています。あとはジュニュイン。内からぴったりとマドモアゼル、シャンクシー』

    ヒシアマさんが動いた。
    早すぎる気がするけど――。

    『ヒシアマゾンここでグーっと上がっていった、ちょっとかかりぎみなのか? そしてその後ろ6枠の2人。トロットサンダーが一番外を行く黄色の勝負服、この手応えこの手応え。そしてゼネラリスト』

    ヒシアマさんが早めに動いたのに気が引っ張られそうになるが、ここは自分のレースを貫く。
    そのためにまず外に出て直線の準備に入る。

    『真ん中をつくウマ娘がダンスパートナー、G1の舞い再びなるか。そしてハートレイク、ハートレイクは後ろの方から進んでいます。最後方13番のオースミタイクーンという形』

  • 25二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:32:08

    『大欅の向こう各ウマ娘が通過しました。さぁ残り半分だ。マイル、府中のマイルで果たしてどんな、どんな熾烈なレースを見せくれるんだ』

    最終コーナーに差し掛かる。
    勝負処に向けて最後の準備を図る。

    『ウマ娘の想いが問われます4コーナー。さぁ17人のウマ娘、17つの夢がいざ勝負!』

    コーナーを曲がったところで見えたのはヒシアケボノの体。大きい分、見やすくて目標にしやすい。
    そして彼女が一番を走ってくれているのなら――!

    『府中の直線500m安田記念!』

    直線に入った!
    ここからが勝負だ!

    『先頭はまだヒシアケボノだ頑張っている!頑張っているが最後の坂が課題だ!400を通過する!』

    マイルCSの様に足に全身全霊を込める。またあの雷鳴を、この府中に轟かせるッ!

    『横一線!横一線! 横一線の中まだヒシアケボノが先頭か内から内からフラワーパークが出てこようとしているが! 外からタイキ!外からタイキ!』

    タイキブリザードの姿を捉えた。
    その瞬間、全身全霊を以て芝を蹴り上げるッ!

  • 26二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:33:31

    『一番外!一番外! 黄色の勝負服トロットサンダー!! この曇り空の府中に雷鳴が轟いている!』

    雷に身を焦がし、雷光となってコースを駆け抜ける。
    そうだこの感覚だ!

    『しかしヒシアケボノ頑張る!』

    ヒシアケボノが最後の粘りを見せる。マイルCSのようには抜かせてくれないようだ。
    負けてたまるかとヒシアケボノの大きな背中は無言でそう語る。
    だがそれは私も同じだ!

    『外からトロット!外からトロット!! 真ん中タイキ!真ん中タイキ!ジュニュインも来ている!』

    タイキブリザードと並んだ。

    『しかし先頭ヒシアケボノ!』

    いや、先頭は――私だ!

    『外から懸命に追う!』

    しかしタイキブリザードが引き離せない。歯を食い縛り、目を見開いている。相手も負けたくないのだ。誰だってそうなのだろう。私にも理解出来たのだから。
    一瞬だけ外に目を動かすとチヨノの姿が見えた。
    負けるわけにはいかない。負けないと誓ったのだから。チヨノと、何より自分自身に。

    ――だから。

  • 27二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:35:41

    「私が勝つんだああああああああぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」


    『外からトロット!! 外からトロット!! 真ん中タイキ!』

    ゴール板を過ぎ去った。

    『2人並んだぁぁぁ!! 僅かに外か! しかし微妙だ!』

    駆け抜けて、しばらくは茫然自失として何も考えられなかった。
    そして写真判定の後、浮かび上がったのは1着12番の数字。

    「やった……やった……!」

    最前列のチヨノの下へ駆け寄る。

    「チヨノ……!」
    「見てましたよずっとずっと!」

    勢い余ってそのまま抱きつく。
    後々何か言われそうだけど、構うものか。

    「勝った……勝ったんだよ私! こんなに嬉しいんだ、勝つって!」
    「はい……!」

    その後係員さんに離れろと言われるまで、私とチヨノは抱き合っていた。
    やっぱり噂になったけど勝って嬉しい気持ちは抑えられないのだから仕方ない。

    ――このまま勝って、勝ち続けていきたかった。

  • 28二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:37:09

    「……トロットサンダーさん、いらっしゃいますか?」

    安田記念から少したった後、私とチヨノの部屋にたづなさんが訪れた。
    たづなさんに叱られるようなことはしていないはずだ、この間はじめて門限破ったくらいには真面目に学生としても生活していたはずだけど……。

    「なんですかたづなさん?」

    扉を開けて見たたづなさんの顔は、いつもの朗らかなそれとは違った。

    「……名義貸し?」
    「はい。簡単に言いますとトレーナー資格を持たない人のために資格を持つ人に名義を貸すことになります」
    「その……それの何がいけないんですか?」
    「URAの公平性に反しています。貴女の場合は中央の資格を持たないウラワのトレーナーが、中央に移籍させた後も実質的なトレーナーとして中央トレーナーに指示を出しておりました。これは明確な違反行為となり」

    ウラワ?ウラワにいた時のトレーナーが違反行為をしていた?

    「ウラワと中央のトレーナーはトレーナー資格を剥奪、トロットサンダーさんが所属しているチームは解散となります」
    「えっ。じゃあ無所属のウマ娘に?」

    脳が理解を拒む。ウラワと中央でお世話になってきたトレーナーたちが違反行為して剥奪。
    これが重大な事はわかる。

    「そうなります。知っておいででしょうが、チームに所属していないウマ娘はレースに出走できません」
    「私は走れないんですか!?」
    「再び新しいチームに入ればまた走れます」

    それならば話は早い。新しいチームを探してまたそこで走ればいい。たづなさんにお礼を言って早速新しいチームを探しに方々のチームを訪れた。

    ――しかし、新しいチームは見つからなかった。

  • 29二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:39:32

    何日経っても新しいチームは見つからなかった。同じチームの子のほとんどが新しいところに所属しまた走り直しているというのに。
    訪れたチーム全てに断られた。スカウトしてきたチームも無かった。
    自惚れかもしれないけどG1を2つも勝ったし、実力的には申し分無いという自信もあった。だが入れなかった。

    疲れはて、お気に入りのベンチに腰を降ろす。

    気付けば1ヶ月経っていた。
    チヨノ曰くかなり窶れているらしく、確かに鏡の中の私はまるで別人の様だった。安田記念を勝った時とはまるで別人だ。笑いさえ出てくる。

    「……厄ネタには関わりたくない、か」

    そして1ヶ月チームを探して出た答えがこれだ。名義貸しとやらの中心は私だ。言ってしまえば私のせいで2人はトレーナー資格を剥奪された。
    そんな私をチームに入れてたら今度は自分が疑われる、そう考えるトレーナーが出てくるのは自然だろう。
    そしてもうひとつ。私の年齢だ。
    私は中等部の時に本格化を迎えた。そして今は高等部。ウマ娘のアスリートとしての寿命は短い。私が全盛期を過ぎ衰え始めているとここのトレーナーたちは考えているらしい。

    「走りたいだけだったのになぁ……」

    私はただレースで走りたかっただけだ。ただその辺を走るのとはわけが違う。あの興奮と熱狂の場でこそ私は走りたい。
    それでも何れ引退をしコースから去る日が来るのはわかっていた。それでも私が満足して去れるのなら、それはそれで良かった。だというのに、これでは余りにも理不尽だ。
    目の前の私の足と近くにある拳大の石を見て、薄汚れた考えが思い付く。

    「……もう、いらないか」

    私たちウマ娘の力なら、石でも使えば足くらい潰せるはず。もう使えないのなら、使わせてもらえないのなら、こんなものはもういらない。
    疲れたんだ、もう。そうして振りかぶって、足に向かって振り下ろし――。

    「やめろ!」

    ――たはずの手は誰かに止められた。

  • 30二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:40:46

    「オグリキャップさん……?」

    私の腕を掴んだのはオグリキャップさんだった。

    「チヨノに言われて来てみれば、どうしてこんなことをするんだ! 君の足が潰れてしまうところだったんだぞ!?」

    はじめてお会いしてから何度か食事を共にすることが出来たけどここまで感情的になっているのははじめて見た。

    「もう、いいんです。もう走れないので、使う必要はないので……」
    「本当にそう思っているのか?」
    「だって、誰も私を走らせてくれないんです……! やっと、やっと勝てる喜びがわかったのに!」

    私が何をしたって言うんだ。
    私はただ走れれば良かったのに、それすら奪われてどうしろって言うんだ。

    「はぁ……はぁ……トロット、さん……」

    遅れてチヨノが息も絶え絶えといった様子でやってきた。

    「君の足が無事なのはチヨノのお陰だ。最近君の様子が変だと私に相談してくれていたんだ。そして今日予定が空いたから来てみれば君が足を潰そうとしていた」
    「そんな、無事じゃなくても」
    「そういう物言いは君と君を想うチヨノと君が戦ってきたライバルたちに失礼だ」
    「でも……」
    「……君に会わせたい人がいる」

    そう言うとオグリキャップさんは自分とチヨノが来た方向に向いた。
    そこから人影がひとつ、近付いてくる。

  • 31二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:41:42

    「はじめまして、トロットサンダー」

    スーツ姿に襟元にトレーナーバッチ。
    間違いない、この学園のトレーナーだ。今さらトレーナーが何だと言うんだ。

    「ごめんね、関西の方に出張やらライスの復帰戦に研修にでここを長く空けていたんだ。すぐにでも駆けつけたかったのに時間がかかってしまった」

    オグリキャップさんと同じくらいの背のこのトレーナーはまるで子どもかのように笑顔でこちらに話しかける。

    「名乗っていなかったね、僕は、チーム"シリウス"のトレーナーだ」

    トレセン学園にいて"シリウス"の名を知らないウマ娘はいないだろう。

    「"シリウス"と言えば超強豪チームでしょう。そんな人が私に何の用事ですか?」
    「……ここにトレーナーバッチを持った人がいて、そしてここにフリーのウマ娘が1人いる。ならやるべきことはひとつじゃないかい?」

    そうして笑顔でこちらに右腕を差し出す。

    「君を、スカウトしに来た」

  • 32二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:43:21

    スカウト。
    待ち望んだ言葉だというのに、私はそれを信じられずにいた。

    「今さら……!」
    「信じられないかい? ならその石で僕の手でも足でも潰せばいい。それで信じられるのならそうしてもいい」

    何をバカなことを。
    ウマ娘の力で人の手足を石でも使って殴ればミンチにでもなってしまう。
    それだけ本気ということなのか、この人は。

    「……なら何故私をスカウトしようとしたんですか」
    「僕はウマ娘の走る姿が好きなんだ。そして無念の内にレースを去る姿が一番嫌いだ」

    君のようなね、とさっきまでの笑顔は消え真剣そのものの表情で私を見てくる。

  • 33二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:45:07

    「満足して去るのなら僕に止める資格はない。だけどまだ走りたいのに、走れない。それが怪我であれ何であれ。そんな子を僕は見過ごせない、見過ごすわけにはいかないんだ」
    「なら何故私を? 私は自分の足を潰そうとしたのに? そんなウマ娘、あなたのチームにいても邪魔になるだけではないですか?」

    どうにかして差し伸べられた腕を払おうと乱暴な言葉を投げ掛ける。しかし目の前の人は決して腕を動かさない。

    「……でも君はまだ、走りたいだろう?」
    「……それは」

    ダメだ。この気持ちに嘘なんてつけない。
    そうだ、私は走りたい。
    走れるというのなら、いくらでも。

    「それだけじゃない。君はこうも想っているはずだ。"勝ちたい"と」
    「……勝ちたい」

    "勝ちたい"。
    私にも最近漸くそれがわかった。
    そしてそれが複数あることも。

    レースに。

    ライバルに。

    そして私自身に。

    「――"勝ちたい"!」

    差し伸べられた手をとる。

    「僕も、君と"勝ちたい"」

  • 34二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:47:06

    ――1年後。

    『トロットサンダー、1年ぶりのレースとなります。前年の覇者はこの府中の舞台で再び雷鳴を轟かせることが出来るのか』

    実況からの声を聞きながらオグリキャップと"シリウス"のトレーナーはそれを感慨深い想いで見つめる。

    「色々と時間がかかってしまったけど、こうして彼女は再びレースの舞台に立っている。君のお陰だ」
    「私はただトロットをトレーナーに紹介しただけだ」
    「僕は何もしていないよ。前に進むと、夢を叶えるとそう言ったのは君たちだ。僕はそれを信じただけ」

    謙遜するトレーナーにオグリキャップはそれでもと反論する。

    「トロットだけじゃない。ライスを再び淀に咲かせたのも、ブライアンの姉妹喧嘩も全てトレーナーの手腕だ」
    「……そういうことにしておこうか。でもこれだけは言わせて欲しい。ウマ娘を信じるのが僕らの役目だ。例え折れてもまた立ち上がりたいのならそれを支えるのが義務だ。夢を夢のまま終わらせてはならない」

    それがこのトレーナーの強さなのだろう。
    ウマ娘と共に歩み、信じ、支える。
    夢はきっと叶うからと言い続ける。

    「……将来、トレーナーになろうと想うんだ」
    「君なら叶えられるよ」
    「ありがとう。……私もいつか引退する時がくる、その後どうするかずっと考えていた。それで今回の件でその後がわかった。……私も誰かの夢を信じる立場でありたい」

    "シリウス"のトレーナーの様にはいかないかもしれない。
    けれど誰か1人でも支えられるはずだ。

    「いつか私のところから、皆の"ヒーロー"や"アイドル"になる、そんな子を育てられたら。そう想うと楽しいんだ」
    「そっか。その時はライバルだね。お手柔らかに頼むよ」
    「あぁ。容赦はしない!」
    「お手柔らかに、頼むよ……」

  • 35二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:48:30

    ――数年後、トレセン学園に新しいチームが誕生する。
    芦毛の怪物が率いるその名は"プロキオン"。
    そしてその門を叩くウマ娘が2人。

    「ミンナノヒーローと言います!あたしを"プロキオン"に入れてください! あたしオグリキャップさんの大ファンなんです!」
    「レディアイコです。姉が心配なので私も"プロキオンに入れてください」

    芦毛の姉妹に何か特別な縁を感じたオグリキャップは二つ返事でそれを許可した。

    「"プロキオン"のオグリキャップだ。よろしく頼む」

    駆け出しの一等星がどんな風を生み出すのか、それはまだ誰も知らない。

  • 36二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:49:38

    『ヒシアケボノ既に400を通過! ジュニュインもそれに続く!』

    体が熱い。
    この興奮、この熱狂。
    ここにいると私に伝えてくる。

    『そして大外からトロットサンダー!! マイルの雷帝が1年の時を越えて雷鳴を轟かせる!!』

    私はここにいる。生きている。

    『タイキブリザードが突っ込んできた!! 前年の雪辱なるか!? トロットとタイキ並んだ!』

    奇しくも去年と同じ形になった。
    なら私が今年も勝つ!

    「待ってたぜトロットサンダー! 今日はアタシが勝つけどなァ!」
    「いや、私だッ!」

    私は私を証明するためにここにいる。

    『トロット!タイキ! ジュニュインか!しかしトロットとタイキ!タイキブリザードかトロットサンダーか! 今縺れあってゴール!』

    "トロットサンダー"。

    それが私の名だ。

  • 37二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 22:53:56

    以上となります。ありがとうございました。
    ssを通じてトロットサンダーと浦和競馬に少しでも興味を惹いていただければ幸いです。
    ちなみに来月、11月23日に浦和記念(JpnⅡ)が開催され、東京大賞典への前哨戦の立ち位置(1位2位に優先出走権付与)なので是非とも見てください。

  • 38二次元好きの匿名さん21/10/25(月) 23:17:27

    いや凄すぎんか、1もトロサンも
    文章から熱が伝わってきたよ
    すげえ良かった、ありがとう

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