- 1二次元好きの匿名さん22/11/09(水) 00:08:18
「どうしたんですか?ジャージなんて着て」
ある日の早朝。怪訝そうなスズカ────サイレンススズカの視線の先には、トレーナーが身にまとっているトレセン指定のものとは色違いのジャージ。そして足には運動靴。走る側ではなく走りを観察する側のトレーナーにはあまり馴染みのない服装だ。
実際、今までスズカが見てきた彼はいつもスーツ姿だった。その事実を指摘すると、トレーナーは少し得意げに頷く。
「ああ、これ?このところ運動不足だったし久々に走ろうかと思ってな。何分かしたら戻るから、スズカは今の間にアップしててくれ」
「ええ……分かりました」
指示通りにストレッチを始めたスズカを尻目に、トレーナーはトレーニング用のコースへ足を踏み入れる。早朝ゆえにコースには誰の姿もなく、ゆっくり走っていても迷惑をかける心配はなさそうだった。
はっ、はっ、はっ、となるべく規則正しい呼吸を心掛けながら少しづつペースを上げていく。
ターフを走るウマ娘たちの動きはよく理解しているつもりだが、やはり実際に走ってみるとアスファルトや土の上とは幾分か勝手が違うことが分かった。
一歩一歩確かめるように足を進めていると、ふと後方から軽やかにこちらへ向かってくる足音が聞こえた。
それはあっという間にトレーナーに並び立ち、彼の隣で大きく勢いを緩める。
「スズカ?」
「なんだかトレーナーさんが走ってるのを見ていたら私も走りたくなって……一緒に走ってもいいですか?」
そう、音の主は先ほど待っているように言ったばかりのスズカである。走りたがりの彼女のことだから抑えが利かないのはある程度予想通りだったが、どういうわけか自分と併走したがるというのはトレーナーには解せない行動だった。
「いいけど……スズカにとっては歩いてるようなものだろ。練習にならないと思うぞ」
「気にしないでください。私が好きでやってるんですから」
かくして、人間とウマ娘の奇妙な合同トレーニングが幕を開けたのである。 - 2二次元好きの匿名さん22/11/09(水) 00:08:50
走り始めてからしばらくして、トレーナーの隣を走っていたスズカがふと、距離にして半バ身ほど前に出た。こんなジョギングでも先頭に立ちたがるのは流石の気質だ。サイレンススズカとはそうでなくては。
隊列が決まり、彼女の背を追うこと数十秒。トレーナーはふと思い立って、少しペースを上げてスズカに並びかけた。
「トレーナーさん?」
「競走しよう、競走」
「いいですけど……無理はしないでくださいね?」
そう言って僅かに微笑むと、スズカはさらにペースを上げて再びトレーナーの前に出る。負けじとトレーナーも食らいつき、またスズカが前に出て、そんな応酬が何度か続いただろうか。
とはいえ、限界というのはある。圧倒的実力差を伴ったマッチレースはやがて終わりを迎え────
「げほっ……ギブ、ギブアップ……!」
当然、音を上げるのはトレーナーの方である。咳き込みながらコースの外によろよろと逸れていった彼は、外ラチまで歩いたところで仰向けに倒れこんだ。
青空を見上げながらしばらく息を整えていると、彼を置き去りにしてコースを1周してきたらしいスズカが、ひょっこりと視界に入り込んできた。
「どうしたんですか、急に競り合ってきて」
「いや、生き物の本能というか、なんというか……やっぱり別格だなあ、ウマ娘って。スズカは汗ひとつかいてないもんな」
「それはそうだと思いますけど……でも、楽しかったですよ。トレーナーさんと競走ができて」
「本当に?」
スズカは良くも悪くも表裏のない性格だ。気を遣って言ってくれているわけではないことはトレーナーにも分かった。
「はい。トレーナーさんさえよければまた走ってみたいです」
「おう、次は負けないぞ~……」
大人が子供の遊びに付き合っているようなものなのに、彼女は本当に楽しんでくれている。
なんていい子なのだろうと密かに感動すら覚えつつ、トレーナーはゆっくりと身体を起こ────そうとして、再びターフに倒れこんだ。
「ごめん、ちょっと休む……久々に思いっきり走ったもんだから脇腹が痛くって」
「ふふっ、もう……だから言ったのに。私はまた走ってきますね」 - 3二次元好きの匿名さん22/11/09(水) 00:09:21
そう言って苦笑いして、スズカは再びコースへと戻っていった。
思わぬサプライズがあったが、ここからはいつも通りのトレーニングが始まる。─────そう、いつも通りの。
スズカは走っていた。ターフの上を誰に邪魔されることもなく、自由に。しかし、どうにもいつものように心が落ち着かない。
調子が悪いというわけではない。睡眠と朝食はしっかり摂ったし、どこかに痛みがあるわけでもない。しかし、どこか釈然としないというか、物足りないというか、得も言われぬもやもやとした気持ちがあった。
(どうしたのかしら、さっきまで楽しく走っていたはずなのに……トレーナーさんと走っていたときはこんな気持ちじゃなかった)
そう、さっきまでは楽しかったはずなのだ。────そう、ゴール前、コースの向こう正面で今もくたびれているはずの彼と走っていたときまでは。
もしや、と思い至る。
(────もしかして、トレーナーさんがいないから寂しいの?)
ほんのくだらない思い付き。だが、否定をしようにもその材料が思い浮かばない。
彼の顔を真っ赤にして自分に食らいつこうとしてくる様子、後ろを着いてくる気配、荒い息遣い────先ほどまで感じていたものを思い起こす度に鼓動が高鳴る。
(ゴールで、待っていてさえくれればよかったはずなのに……どうしてそんなわがままになってしまったのかしら)
いつも気持ちよく切っていたはずの風が、今日はなんだか頬に冷たく沁みる。
ゴール前で待っているであろう彼にどんな顔を向けたものかと思うと────スズカは珍しく、少しだけ足を緩めたくなった。 - 4二次元好きの匿名さん22/11/09(水) 00:10:32
オワリ。スレタイは適当につけました。
最近ろくにSS書いてないので頑張ろうと思います。 - 5二次元好きの匿名さん22/11/09(水) 00:26:11