- 1二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 00:53:22
- 2二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 00:57:01
77世代なら少しだけ語れる
- 3二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 00:57:35
よし頼む
- 4二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 01:02:42
83世代ならそれなりにわかるが具体的に何を語ればいいのかわからん
- 5二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 01:03:42
まあなんでもいい
- 6二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 01:11:27
シーバードいいよね…
- 7二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 01:12:13
77世代と言われて真っ先に上がる名前はおそらくマルゼンスキーでしょう。
その次にはいわゆる『不幸な世代(個人的にこの扱い方は好きじゃない)』の代表としてハードバージやカネミノブ、お隣の国に輸出されたプレストウコウやラッキールーラなどの名前が挙がると思います。
ただ、その辺りは既にあにまん掲示板では語り尽くされている内容。なので今回は少し主流から外れた話をしようと思います。
というわけで、『77世代の内国産馬』について。 - 8二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 01:27:06
当時の日本競馬は輸入種牡馬バンザイ!の時代でした。種牡馬のリーディングを見ても上位はほとんどが外国馬、内国産は9位にかろうじてシンザンが引っ掛かっていてその次は19位のアローエクスプレス…(76年のランキング)といった壊滅的状況。
マルゼンスキーみたいなマル外が締め出される制度はそんな世情の中で誕生してしまったわけなのですが、まあ仕方のない出来事だったのかもな、と言えます。種牡馬リーディングのTOP50に内国産種牡馬が5頭しかいないのは酷すぎた。
生産者側からすれば内国産種牡馬の存在価値がゼロに等しいのは由々しき問題でしたが、しかしファン目線からは違いました。
父が内国産の馬は、いわば『レアキャラ』。時代の逆境にも負けずに、大和魂で海外血統をぶちのめす馬が現れようものなら、判官贔屓で人気を集めること間違いなしでした。
マルゼンスキーという海外血統の暴力みたいな馬が君臨した77世代にも、「内国産」の期待を集める馬が何頭か存在しました。今回はその中から3頭をピックアップします。
1.ヒシスピード
2.リュウキコウ
3.アローバンガード
眠くなってきたので巻きで紹介していきます - 9二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 01:43:59
1.ヒシスピード
マルゼンスキーと3度戦ってすべて2着だった馬。マルゼンスキーをハナ差に追い詰めた馬。まあ色々とエピソードがあるので彼は有名でしょう。
彼のサイアーラインを見ていくと、父がヒシマサヒデ、父父がヒシマサル、三代父がライジングフレームとなっています。ライジングフレームは1950年代に輸入されてきた種牡馬で、1958~60年にリーディングを取るような名種牡馬でした。
そこから生まれたヒシマサルは安田記念や毎日王冠を勝った名スプリンターだったけれど、3代しか子を残せずに事故で急死。その僅かな世代から生まれたのがヒシマサヒデでした。こちらも安田記念を勝っています。ちなみに両者の馬主はヒシアマゾン/ヒシアケボノの馬主の父親です。
そのヒシマサヒデから生まれたのがヒシスピード。零細もいいところの血統でした。父内国産ってだけで珍しい(しかも大して強くない)のに父父まで内国産ってどれだけよ?って話。
血統表だけ見れば秒で馬券から外すような馬です。
が、ヒシスピードは名前負けしないスピードの持ち主でした。マルゼンスキーとの対決は置いておくとして、皐月賞を前に東京4歳→京成杯と重賞2連勝。
いずれもプレストウコウやラッキールーラといった後のクラシック馬を蹴散らしての勝利ということで、「内国産なのに強いな……えっ、ライジングフレーム!?」とファンの注目を大いに集め、一躍スター馬のひとりにまで上り詰めていたのです。
当時の優駿を見ても『内国産ホープのヒシスピード』『内国産バンザイ』なんて書かれていたりして、期待の大きさを窺えます。
そして迎えた皐月賞もなんと1番人気。代々のスプリンター血統なのでどう考えても皐月賞は距離が長すぎるのですが、「こいつなら何かやってくれるかもしれないぞ」とファンに思わせるほどの魅力があったのでしょう。まあ、案の定2000mは長すぎて負けてしまいましたが……
とはいえ、父子3代内国産でクラシック戦線に殴り込むという、当時の競馬ファンに夢を見せた存在がヒシスピードだったのです。マルゼンスキーにはボッコボコにされたけどな! - 10二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 01:51:15
ありがとうございます
- 11二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 01:59:45
2.リュウキコウ
父リュウファーロス、母リュウアイアンス。馬主の三浦氏はオーナーブリーダーです(ヒシ冠の阿部さんもオーナー兼ブリーダー)。父のリュウファーロスはスピードシンボリと同世代で、阪神大賞典に勝ったこともありますが、どちらかと言えば地味で味わい深い馬でした。
リュウキコウについてさらに特筆すべきは青森県産馬であること。まだ当時は北海道以外の馬も活躍している時代でした。
そのリュウキコウが最も輝いたのはきららぎ賞ですね。終始後方につけて最終直線で一気にゴボウ抜きという強い勝ちっぷりで重賞を2連勝。前走の阪神3歳(今のジュベナイルフィリーズ)でも危なげない勝ち方でしたが勝ちっぷりで言えばきさらぎ賞の方が強烈です。
そして面白いことに、このきさらぎ賞と同日に行われた東京4歳でヒシスピードが勝っていたんです。関西と関東の重賞でどちらも内国産馬が勝ったということで、競馬ファンは『内国産馬の波が来ている』と大盛り上がりです。
次走のスプリングSでは負けてしまいましたが、それでも皐月賞ではヒシスピードに次ぐ2番人気。クラシック競争の人気上位2頭がどちらも内国産馬という大変めずらしい状況になっていたんです。
マルゼンスキー世代と言われがちな77世代は、対照的に内国産馬がファンの期待を集めた世代でもあったんですね。 - 12二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 02:20:22
3.アローバンガード
父はアローエクスプレス。アローエクスプレスは戦績ググったらわかるけどクソ強馬です。デビュー後からの連勝がやべえ。
このアローバンガードを語るためには、ひとりの騎手の話をしなくてはなりません。それはご存じ柴田政人騎手です。ウイニングチケットでダービーを勝った人ですね。
彼がアローエクスプレスと出会ったのはまだ4年目の若手時代でした。
超特急の名に恥じない素晴らしい馬だったアローエクスプレスは、若き柴田政人とコンビを組んで連勝街道を突き進みましたが、いざ皐月賞というタイミングで運命が彼らを引き裂きました。
「馬主の意向で、皐月賞は若手の柴田ではなくベテランの加賀武見に乗ってもらうことになった」
若き柴田政人はアローエクスプレスの調教師である高松氏に詰め寄りましたが、馬主の意向とあってはどうしようもありません。「いつか加賀武見を超える日本一の騎手になって見返してやる」と心に誓った彼は、その後グングンと成長を遂げて一流騎手の仲間入りを果たしました──
というのが、柴田政人とアローエクスプレスとの縁です。
1977年にはとっくに一流騎手に成長していた柴田政人は、奇遇にも皐月賞でアローエクスプレスの息子であるアローバンガードに乗ることになりました。
しかし、このアローバンガードはぱっとしない馬でした。朝日杯ではマルゼンスキーにボコられ、かといって他のレースでも大していいところを見せられず、皐月賞の出走も賞金がギリギリ足りるかどうかといった塩梅。
レース当日は13番人気で全く注目されず、ヒシスピードやリュウキコウみたいな凄い内国産馬とはお世辞にも言えませんでした。
だから、なのでしょうか。柴田政人騎手はこの皐月賞で凄まじい騎乗を見せます。
この年の皐月賞といえば福永祐一-ハードバージの神業じみたイン付きが有名ですが、その少し後ろで洋一の騎乗にも引けを取らない大胆なイン付きをする馬がいました。アローバンガードと柴田政人です。
「俺はエクスプレスから色んなものを貰った。こんどは俺がこいつを助けてやる番だ」
とでも言わんばかりに、柴田政人が引っ張ったアローバンガードは13番人気を覆して3着に入ったのです。
その後も柴田政人はアローエクスプレスに乗り続け、引退レースのカブトヤマ記念では無事に勝利して有終の美を収めたそうな。
めでたしめでたし - 13二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 02:20:36
おわり!おやすみ!
- 14二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 02:21:02
ありがとう!!!!
- 15二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 10:49:23
TTG
- 16二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 16:43:55
カブラヤオーすき
- 17二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 16:44:37
語れねぇなら無駄な保守するなよ
- 18二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 16:46:12
語ろうにもwiki程度の知識しかないのがこの時代の馬においては普通だろうからなあ
僕はヒカリデユールが好きです - 19二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 16:46:18
- 20二次元好きの匿名さん22/11/12(土) 16:59:10
存分に語れ語れ