- 1二次元好きの匿名さん22/11/13(日) 12:23:10
- 2二次元好きの匿名さん22/11/13(日) 12:23:24
掌中で賽子を転がす。スタンダードな六面はいつか年上に貰ったものだった。言っておくが『先生』じゃねぇ。レースの世界に身を置くことを決め、足を洗う前、多少世話になったそういう界隈の年上、だ。使い込まれた壺(ダイスカップ)やら木札まで押し付けられそうになったが、それは丁重にお断りした。そりゃァ、丁半を投じたくなる事も出てくるかもしれないが、足を洗った私が壺を振ることがあるとすれば籐の壺じゃあなくてせいぜい食堂だとか寮に置いてある紙コップ。木札の代わりになるのは食後のデザートだとかコンビニスイーツとかか? 随分と可愛らしい。まぁ、ゴールドシップあたりが相手なら、もっと可笑しな賭けができる気もするが。
雨音に包まれたトレーナー室はただひたすらに静かだ。季節外れの嵐がノロノロと近づいてきているらしく、時折、強い風が吹きつける。設置されているテレビは先程まで情報番組を垂れ流しにしていたが、ただのノイズと化していたから黙らせた。掌の中で踊らせる二つの賽子だけがかすかに音を立てるが、部屋の奥で書類仕事に向かうトレーナーの耳には、恐らく入ってはいまい。
こんな嵐の日だ。当然、予定としていたトレーニングは中止。私たちのレースは雨だろうと雪だろうと靄が立ち込めようと行われるから、そういったイレギュラーに対応できるようにグラウンドに立とうとする命知らずもいたかもしれなかったが、そんな天候やバ場を想定してトレーニングに打ち込み、身体を冷やして風邪なんて引いてみろ。大バ鹿以前の問題でしかない。
もっとも……窓の外、立ち込めた暗雲の向こうから、ゴロゴロとご機嫌な猫が喉でも鳴らしてるような放電を続けている。ソファに身を沈め手遊びに興じ、目を離していた隙に軽い落雷があったのかもしれない。ウマ娘は人間以上に雷に恐怖する者もいる。ここに来る前、いつもの鳴りを潜め真っ青な顔をしたシーキングザパールが、専任トレーナーに寄り添われて寮へ戻るのを見かけたから、恐らくは、室外トレーニング自体が禁止になっていることだろう。 - 3二次元好きの匿名さん22/11/13(日) 12:24:08
掌で賽子を転がす。丁半を予想する手遊びも、いつもならそう長くは続かない。手に馴染んだ賽子だ。どの面が出ているかの感触なんて、とっくのとうに覚えてしまっている。視界の端、雲間から閃光が走った。まだ軽い。心臓が跳ねるまでには至らない。けれど私も生物学上はウマ娘だ。本能的に揺さぶられる感覚が、かすかに身を震わせた。
「ナカヤマ、怖い?」
「あァ?」
「耳、絞ってるから」
全く無意識とは厄介なモンだ。書類仕事に夢中になってりゃいいものを、よりによってこのタイミングで顔を上げやがった。気怠さを装い顔を向けると、まっすぐな視線とぶつかる。眉を下げた、いかにも『心配してます』って表情も、見慣れたもんだった。すっかり同じ穴の狢となったトレーナーはちょっとのことじゃ動じなくなってはいるし、震えながらイイ笑顔でヒリつく賭けを仕掛けてくることも増えたけど、ま、本質的には心配性だ。
手にしていたペンを机に置くと、トレーナーは書類仕事から背を向けた。トレーナー室の端に設置してある小さなフードストッカーの前でしゃがみこみ、何やら物色している。その背中を無意識にじっと見つめてしまっていたことを自覚して、私は掌で賽子に意識を向け直す。 - 4二次元好きの匿名さん22/11/13(日) 12:24:53
「シリウスシンボリはいないの?」
「取り巻き集めて食堂でも占拠してんだろ」
「あぁ、彼女、優しいからね」
つうと言えばかあと言わんばかりにトレーナーは笑って、マグカップを二つ、電子レンジに入れた。ぴ、という電子音のあと、稼働音が部屋を満たす。
先程見たシーキングザパールのように、支えてくれる相手のいないウマ娘は、このトレセン学園に多数存在している。恐らくはこの嵐が逸れるか通り過ぎるかするまで、シリウスシンボリは取り巻きの恐怖ケアに勤しむことだろう。
丁、半、半、丁、半。白か黒かを予想する。怖い、怖くない、怖さが『悪くない』、怖くないのが『悪くない』。何がなんでも判然とした答えを出さなければ気が済まないわけじゃない。
けれど。
「はい、どうぞ。甘酒買っておいたんだ」
「……どーも」
レンジはいつのまにか回るのをやめていて、差し出されたマグカップから甘い香りが鼻をくすぐる。賽子をスカートのポケットに突っ込んでマグカップを受け取る。マグカップを包むようにして両手を添えると、熱すぎることもなくかといって温すぎることもない程よいぬくもりが掌に満ちた。
随分と冷え切っていたことを自覚して舌打ちしそうになって、そうしきれなかったのは、同じようにマグカップを手にしたトレーナーがソファに腰掛けたからだ。
ローテーブルの向かいにあるソファではなく、よりにもよって、私の隣に。 - 5二次元好きの匿名さん22/11/13(日) 12:25:34
「オイオイ、ちんたら休憩してる余裕なんてあんのか? 溜まってんだろ?」
「それはそう。でも、休憩は大事だからね」
ふう、と、トレーナーが湯気を飛ばす。そういえばあの電子レンジ、甘酒用のメモリがあった気がする。現実逃避しそうになるのを既のところで制止して、私は、投げ出したままだった脚を組み上げた。
どういうつもりだ? だとか、雷が怖いわけじゃない、だとか、口走りそうになる幾つかの選択肢を、喉の奥でねじ伏せる。耳だとか尻尾だとか、意識的にはどうしようもない部分は潔く諦めるほかなかった。現に私の耳は、先程ふたたび空を裂いた雷鳴に一周回るんじゃないかというほど絞られたし、尻尾はぴんと硬直した。
何を考えている? 注意深く動向を窺いたくなる内心を鞭でしばいて、平静を装いマグカップに口をつけた。やわらかな甘みと温かさが張り詰めていた緊張を解してくれることを祈りかけて、日和りかけた思考を否定した。
そうじゃない。これは、駆け引きだ。
隣に座る同じ穴の狢に弱さを見せたくない、とまでは言わない。無茶をするのと無理をするのは違うのだから。心の弱さすら加味してヒリつかせたいのは、今に始まったことじゃない。
心臓が燃えるように胸を叩く。全身の血が沸き立つような感覚は、大一番に相対したときのそれだ。トレーナーはわざわざ言葉を選んでいる。私から『怖い』という類の言葉を引き出すことが出来なかったからだろう。ご丁寧にシリウスの状況まで聞いてきたのは、ある種の意思表示だ。あのお節介な王様が、この状況で何をしているななんて、想像するのは容易すぎる。
トレーナー室に横たわるのは沈黙だった。雨音も風も先程に比べれば随分と弱まっている。視線を合わすこともなく会話を交わすこともなく、それぞれがそれぞれのマグカップの甘酒に舌鼓を打つ、が……。
トレーナーの手が、ローテーブルに放られていたテレビのリモコンに伸びた。再びテレビが騒がしく喋りはじめる。 - 6二次元好きの匿名さん22/11/13(日) 12:26:05
『──嵐はあと一時間ほどで通過するでしょう──』
果たして沈黙は破られた。居た堪れない勝負に勝ったのは、恐らく私だろう。知らず口端に笑みが浮かぶ。勝利とともに甘酒を呷る。どうだ、トレーナー、それ見たことか。勝負師としてはまだまだひよっ子。でも、まぁ、悪くない勝負だった──
「もう少ししたら散歩に出ようかな、美浦寮まで。ナカヤマも一緒にどう?」
「……勝手にすりゃいいだろ」
嵐は去った。絞られていた耳も突っ張っていた尻尾もやわらいだ。勝者は目に見えて明らかだ。
けれど、いまだ、私の心は鉄橋の上。綱渡りでもするかのように、ヒリついたままでいる。 - 7二次元好きの匿名さん22/11/13(日) 12:27:08
***
「ね〜ぇ、ナカヤマ、それってさ」
「ゴルシちゃん知ってるゾ☆ それは」
「……まさか自覚がないと言うんじゃないだろうな」
「あぁ、それは、脳内物質の化学反応によるものだねぇ」
「タキオンさん、茶化すのはどうかと……でも……」
「それは、恋!!! デスね!?」
「んなワケあるか」
丁、半、半、半、丁。掌中で賽子を遊ばせる。判然とした二択。明瞭にしたいわけじゃない。
万が一、そんな熱があるとしたら、まだ、燻らせたままでいい。刻まれていた情を明らかにするには、恐らくきっと、まだ早い。
終 - 8二次元好きの匿名さん22/11/13(日) 12:30:58
誤爆した某スレには深くお詫び申し上げます……
ナカヤマのシナリオを通してトレーナーLoveになるだろうかと審議した結果、頭の中のゴルシちゃんが「オメーそりゃ吊橋効果ってのがあんだろ」って言ってくれたので解決しました。常に吊橋効果だったな、ナカヤマシナリオ。 - 9二次元好きの匿名さん22/11/13(日) 13:56:38
このくらいの甘さが好きなんだ
- 10二次元好きの匿名さん22/11/13(日) 13:58:10
- 11二次元好きの匿名さん22/11/13(日) 14:02:30
ガチガチのトレLOVEはちょっと解釈違いだったからこれぐらいの絶妙な距離感堪らん……
素晴らしい作品をありがとう - 12二次元好きの匿名さん22/11/13(日) 14:13:26