【SS】OLアヤベさんと冬キャンの準備

  • 1二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 18:10:08

    「これで……終わりね」
     出来上がった報告書、プレゼン資料を2回ほど通して見た後。私は誰もいないオフィスの中でポツリと呟いた。
     見たくはないけど、改めて時計を見る。デスクトップの隅に表示された時刻は23時をまわっていた。やりすぎた。そう思う。
     でもこれくらいしておかないと後から困るのは私と部署のみんななのだ。
     後悔するくらいなら全力で、やれるだけやった方がいい。その考え方は昔レースを走ってた頃の習慣で、引退した後でも抜けることがなかった。

     パソコンを落として、戸締まりを確認して、フロアの電気を落として。すっかり慣れた最終退出の手続きを済ました。
     ピーというウマソックの警備がアラームオンになったところでほんの少しだけ気が緩んだ。

     そういえば警備会社ウマソックに就職した同級生がいたけれど、あの子は元気だろうか。今から仕事だったりするのだろうか。
     そんなことを考えながらビルの隙間から覗く夜空を見上げる。

     星は、見えなかった。

  • 2二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 18:10:36

     今勤めているところは別にブラック企業というわけでもない。今月の残業時間はたぶん80時間を超えただろうけど、それは稀なことで。ちゃんと残業代も出ていた。サービス残業なんてほとんどない。そこそこ良い給料も出ている。

     『これからちょっとずつ、君のやりたいことを探せばいい』
     彼が私に言ってくれた、懐かしい言葉がふと胸の奥から湧き上がってくる。

     あの子のために、それより何より自分のために貼りし続けて、それが終わって。その次にやりたいことは一応見つけたつもりだ。
     宇宙を、星の魅力を探り、それを世間に紹介する仕事。その仕事をこなせる日々に満足している。
     でも、これが本当に自分のやりたいことだったのだろうか。人気のそれほど多くない、酔っ払いだらけの電車に揺られてると、そんなことを考えてしまう。
     流れている街の明かりが鈍く映る。昔、夜に走ってた頃はもっとキラキラしていたはずなのに。
     残業が少ない時は家まで走って帰ってたのに、それも最近できていない。ちょっとお腹周りが膨らんできてる気がする。
     今月は星もちゃんと見れてない。

     ……認めたくないけれど、自分は疲れてる。
     それを実感せざるを得ない。

  • 3二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 18:11:36

    「ああ……ふわふわね。あなたはどうしてそんなにふわふわなのかしら」
     冷えた家に入ってエアコンをつけて、私は理性を緩ませて、少しだらしなくクッションに倒れ込んだ。
     かつての後輩が「これ、雑誌のお仕事で安く買えたんです! すっごく良かったんでアヤベさんにプレゼントしますね!」と送ってくれたクッションは確かに良いものだった。
     ウマ娘をダメにすると評判なのは伊達ではなかったらしい。
     前から気になってはいたけれど、実店舗に試しにいく時間がなくて購入をためらっていたのだ。

    「ふわふわ……ふわふわ……」
     もう一方の片手で、彼が就職祝いに贈ってくれたクッションを抱え込んだと思った頃。
     私の意識はどこかに落ちていった。



    『──お姉ちゃん、無理しちゃダメだよ。それから、明日の約束は忘れないようにね』
     そんな声を、聞いた気がした。

  • 4二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 18:12:24

     翌日の約束にはギリギリ間に合った。
     人気と評判のプラネタリウムプログラムに、彼と一緒に行く予定だったのだ。あの子の声がなかったら危なかったかも知れない。

    「ごめん、アヤベ。待った?」
    「大丈夫。私もいま来たところだから」
     いつもなら10分前には着いてる彼は、頭をボザボサなまま待ち合わせ場所に現れた。珍しい。

    「寝癖。直したら? それにすごい目の隈ね」
    「あ、ああ、ごめん。……目の隈についてはアヤベも同じじゃないか?」
     彼が待ち合わせの喫茶店の窓に映る自分を見ながら、髪を整える。
     そこに映る私の顔には目の隈は見えない。ちゃんとファンデで隠したつもりだ。
     でも、長い時間を一緒に過ごしたことがあるからなのか、彼に隠すのは難しい。

    「忙しいの?」
     言ってから気づいた。今は秋のレースシーズンだ。軌道に乗っている彼のチームからは毎週のようにレース、重賞に挑むウマ娘がいる。忙しくないわけがない。
    「まあね。トレーナー冥利に尽きるところではあるけど。アヤベの方は?」
    「……普通よ」
     私の返事に彼は何かを言いたそうだったけれど。
    「そろそろ行きましょう。プログラムが始まるわ」
     その口から何かが出る前に、私は喫茶店の椅子から立ち上がった。

  • 5二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 18:12:57

     プラネタリウムのプログラムは良かった……と思う。専用のクッションソファも悪くなかった。
     解説の声も落ち着いていて、リラックスできた。
     途中で彼が完全に寝ていたのはいただけないけれど。

    「アヤベ、寝ちゃってごめん」
    「はぁ……あなたはいつもそうね」
     この人は星にちょっと興味はあっても、たぶんウマ娘を眺めている方が好きなのだと思う。仕事バ鹿なのだ。
     そして、たぶん私も。

    「申し訳ないけど、よく眠れたよ」
    「そう」
     待ち合わせで会ったときよりも顔色が良い。きっと少し疲れが取れたのだろう。
     星を一緒に眺めるのも好きだけれど、それよりも一緒にいる人には健康であって欲しいと思う。
     昔、浜辺で日が昇るまで友人たちと過ごしたのを思い出す。
     頻繁に連絡が来るからわかっているとはいえ、みんな変わらず元気でいればいいのだけれど。

    「アヤベも、もしかして、寝てた?」
     彼が恐る恐る聞いてくる。なんでこの人はすぐ気づくのだろうか。
    「……ええ」
    「そうか。顔色が良くなってるから良かったよ。プラネタリウムは……ちょっと残念だったけれど」
     どうやら私も同じだったらしい。
     似たもの同士なんてことで、喜べるわけじゃないけれど、どこかおかしくて。
     私達はお互いに少し微笑んだ。

  • 6二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 18:13:34

    「アヤベの仕事は、いつまで忙しいんだ?」
    「年内いっぱいはこんな感じかしらね。年末には収まると思うけれど」
    「そうか。俺も有馬を終えれば一段落って感じだよ。1月はちょっとマシになるかな」
     クリスマスソングが流れ始めた街を二人で歩く。
     クリスマスを祝うことなんて忘れてた。彼にとっては最後の大詰めの時期が多いし、私もここ数年はクリスマスなんてものを祝った覚えがない。

     去年の彼へのプレゼントには何を選んだだろうか。ちょっと記憶が曖昧になっていることにゾッとする。
     こんな風に日々に疲れて。物事を忘れていくのは怖い。
     そんな私の手が、ふいに握られて。少し引っ張られた。
     その温かさが心に差し込んだ冷たさを消す。

  • 7二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 18:14:04

     彼はキャンプ用具店の前に立ち止まり、そこを眺めていた。
    「暇になったらさ、キャンプにでも行かないか。冬は空が澄んでるって言うし」
    「寒いわよ」
     キャンプ用具店に入っていく彼についていきながら、私は冬用シュラフ(寝袋)を手に取った。
     値札が示す価格は7万円。高い。でも今の稼ぎなら買えないわけじゃない。

    「だからいいキャンプ用具揃えてさ。ぽっかぽかに温まりながら、アヤベに星の話を聞かせて欲しい。きっとアヤベの説明なら寝ることもないし」
    「そう」
     どういう意味で言ってるのだろうか。
     でも悪くない意味じゃない、と思う。

    「幸い今年はチームのみんなの成績が良くて、懐が暖かい。ちょっとした衝動買いでも余裕だ」
     そう言って彼は小型ストーブを「お、軽いな」と言いながら手に取る。1万2000円。
     意外と安いのかもしれないけれど、一回しか使わないなんてことを考えるともったいない。

  • 8二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 18:14:33

    「衝動買いでなければ、いいわね」
    「それって、買ってキャンプに行こうってこと?」
    「せっかく買ったものを一度しか使わないなんてもったいないわ。ちゃんと選んで、長く使う気があるなら……いいんじゃないかしら」

     これから貯金が必要になるかも知れないのだ。お互いに。だから末永く使えるものが良い。
     ……ずっと、使えればいい。

    「じゃあしっかり選ぼうかな」
    「そうして。私も選ぶから」
    「来年、楽しみだな」
    「ええ。そうね」

     そして私達はあれこれ言いながら、キャンプ道具を選び続けた。

    おしまい

  • 9二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 18:15:25

    元々このスレに投稿しようと思ってた辻SSなのですが、長くなったので単独で投稿しました。


    仕事疲れた💢💢もう帰る💢💢|あにまん掲示板ふわふわのお布団で寝るもん💢💢bbs.animanch.com
  • 10二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 18:17:16

    あ、誤字……
    「でも悪くない意味じゃない、と思う。」

    「でも悪い意味じゃない、と思う。」でした
    すみません

  • 11二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 18:18:48

    良いSSでした。二人仲良くふわふわに包まれながらキレイな夜空を眺めていてほしい。

  • 12二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 18:23:43

    よかった

  • 13二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 18:58:17

    こういう不器用な付き合いいいよね

  • 14二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 19:17:46

    きぶりあの子?

  • 15二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 19:34:39

    冬キャンプはいいぞ!
    寒いから焚火がより心地いいし羽虫もいない、晴れなら場所によるけど星もきれいに見えるからアヤベさんにはお勧めだ

    テントや寝袋で寝るのは女性にはハードル高いならグランピングやロッジを提供しているキャンプ場使うのもありだから、アヤベトレは存分にOLアヤベさんとキャッキャウフフしろこの野郎!

  • 16二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 19:52:37

    感謝します

  • 17二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 23:52:48

    素晴らしい

  • 18二次元好きの匿名さん22/11/25(金) 00:31:55

    劇的に偶然再会するんじゃなくずっと一緒にいた感じの関係、いいね…

  • 19二次元好きの匿名さん22/11/25(金) 01:00:18

    >>2

    あの子のために、それより何より自分のために貼りし続けて、


    これ走り続けてのタイプミスかな?


    それはそれとして素晴らしかったぞ

  • 20二次元好きの匿名さん22/11/25(金) 07:45:15

    これはもう付き合ってますね!?
    とても良かった…

  • 21二次元好きの匿名さん22/11/25(金) 12:27:36

    警備会社ウマソックとかむっちゃ頼れそう
    この世界は会社とかの前にいる警備員は武術経験があるウマ娘達が多そう、絶対強い

  • 22二次元好きの匿名さん22/11/25(金) 20:46:54

    アヤトレ忠告しておいてやるが、テントでのうまぴょいは気分盛り上がってもやめておけ
    テントは防音皆無だし、テント内にライトがあると姿まで外に影絵となって丸見えなんだ

  • 23二次元好きの匿名さん22/11/25(金) 21:22:11

    良いものを読ませてもらった

  • 24二次元好きの匿名さん22/11/25(金) 22:36:33

    距離感好き。いい関係が築けてる

  • 25二次元好きの匿名さん22/11/25(金) 23:18:36

    >>24

    素敵なイラストありがとうございます!

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