【リコリコSS】ちさたき記念日

  • 1二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:34:08

    


     不安げな顔をした女の顔が、鏡に映っている。
     何日も、何週間も、何ヵ月も、ずっと前から今日この日のための準備をしてきて、覚悟もしてきた。それでも、いざ今日という日を迎えて、こんなにも恐ろしす足がすくむことだとは思っていなかった。
     心配なこともあるけれど、なんとかなるさと、当日の私がなんとかするさと、そう考えていた……ものの、けっきょく昨日は一睡もすることができなかった。
     朝からこうして鏡の前で何度も笑顔を作っては、ぎこちなさに歪む顔を眺めて、ああでもないこうでもないと、かれこれ二時間半。今まで自然な笑顔なんて意識したことなかったけど、自然に笑うってこんなにも難しいものなのか。
     そろそろ出掛けなければ、待ち合わせの時間に遅れてしまう。
     うじうじと、私らしくもない。

    「うー、あー……びしっとしろ千束……」

     両の頬をぱしんと叩いて、きつけをする。冷水でもぶっかけようと思ったが、メイクが崩れそうなのでやめておいた。その場にいけばノリと勢いでなんとかなるさ、うん、その時に全力で頑張る。頑張れ、私。
     何時間も見つめた鏡をもう一度見つめ、何度も直した前髪をもう一度ととのえる。


    「今日はやるぞぉ!」

     今日は大切な記念日、否が応でも気合いが入る。
     鏡の前で両腕をぐっとガッツポーズの形にして、自身を強く鼓舞し、今日の空の青さに負けないぐらい青臭い覚悟を抱えて、私は外へと歩み出た。

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

  • 2二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:34:26

    
     記念日というものに、人はどれだけの想いを込めるのだろう。
     千束に初めて今日が何の日か覚えているかと聞かれた時は、何か特別なことがあっただろうかと、十分ほど頭を捻ったが思い当たる節はないと答え、がっくりと肩を落とされたことを覚えている。
     正直に言ってしまえば、わたしはそういうことに、あまり興味がなかったから。
     けれど千束は、そうではなかったようで、今日の一日を大切に思っていたらしい。それは少し意外に思えて……千束はいつも前を向いているように見えたから、昔の事よりも今を、一時一瞬を生きているように思っていたから。しかし思い返してみれば、千束の人生には限りがあって、限りある時間の中でできた思い出は、千束にとっては最期まで抱えてゆくものとして、心の中に残り続けるものだったのだろう。そう考えると、思い出の一つ一つを大切に覚えていることこそ、千束らしいのかもしれない。普段はそんな態度、表には出さない人だけど。
     そんな千束が、今日この日に込めた想いは、一体どれほどのものだろう。
     わたしも、千束に言われてからは意識するようになった、今日の記念日。
     他の人は記念日というものをどれだけ大事にしているのか、それに疎いわたしが抱くこの気持ちが、一般的な人々が記念日へ抱く情念に足りているのか、待ち合わせの駅の前から、目の前を通りすぎる人々に視線を泳がせつつ、ぼんやり考えていた。
     後ろ手に抱えた紙袋の音が、「早く来ないかな」と、そわそわするわたしの心を急かすようにかき立てる。

    「ごーめん、たきな! お待たせ!」
    「いえ、今きたところです」
    「嘘つけ」

     素直に何分待ったと言えば、空気を読めと言われてから身に付けた待ち合わせの常套句。これはこれで据わった目で見られるのだから、待ち合わせというものは理不尽だ。遅れてきたのは千束なのに。

    「そんじゃ、いこっか」
    「はい……その前に」
    「んむ?」

     背中に隠していた紙袋を取りだし、正面に差し出した。意外そうな千束の顔に、してやったりという気持ち。なんとなく「勝った」と思った。

  • 3二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:34:42

    
    「これ、なに?」
    「プレゼントです、どうぞ」

     今までは毎回、千束から先に渡してきたから、今回はわたしが先。不意打ち気味のサプライズに赤くほころぶ千束の顔は、どんな花よりも美しく咲いている。

    「おぉ、おお……そっかそっかぁ、たきなから……」
    「開けてみてください」
    「ここで?」
    「はい、ここで。感想を聞かせてください。ほら千束」
    「わわ、わかったから、急かすなって……おほぅ、オシャレな箱」
    「どうですか?」
    「待ちなさいっての……」

     そういうとこは変わらんなぁ、なんて小さくぼやく声が聞こえたが、どういうとこなのかはわからなかった。
     千束はブランド名の入った紙袋から取り出した箱を、潰してしまわないよう丁寧に開いていく。やがて出てきたのは、花びらの飾りがあしらわれた、シルバーのアンクレット。千束の手の平に乗ってキラキラと輝いている。
     それを見つめる千束の瞳も。

    「かわいい」
    「よかったです」
    「して、これは一体どういう理由のプレゼントかな?」

     千束は試すような顔で質問してくる。
     これに答えるのが、毎回のノルマだ。

    「今日はわたしたちが、交際を始めて四年目の記念日ですから」
    「あーそっかぁー、そういえばそうだったー」

     あまりにもわざとらしい、それでも嬉しそうな千束の態度。アンクレットを大事そうに両手で包んでくねくねと体を揺らしている。

  • 4二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:34:59

    
    「それ、ちゃんと着けてくださいね」
    「大事に使わせていただきますよー」

     さすがに往来のど真ん中ではよろしくないと思い、近くにあったベンチに腰を掛けて、わたしが千束の足もとに跪くようにして、その足首に装飾を付ける。
     背の低いヒールの上に、銀色の花びらが舞う。
     そっと足首を撫でて、付け終わったと千束に知らせると、千束はスカートがめくれない程度に足を持ち上げ自身の足首を確かめている。

    「ほほー、似合う?」
    「似合ってます」
    「んふー♪」
    「足枷みたいで」
    「……いやいや、それはないでしょ……」
    「また勝手な勘違いで傷心旅行でも行かれないようにって思って足にしたんですよ? 縛っておかないと、すぐどこか行くんですから」
    「あ……あれはぁ、そのぉ……すみませんした……」

     以前、浮気を疑われたことがあり、千束が黙って一ヶ月ほど消えたことがある。実際には、千束へのクリスマスプレゼントを買いに出掛けた際に、友人とたまたま出会って、プレゼントを買うという目的が同じだったので、参考にするために一緒に行動していただけだった。そのついでに友人にも感謝のプレゼントを買ったのだが、その場面を見られていたらしい。
     そしてその年は、千束の失踪期間の関係でクリスマスを一緒に過ごせなかったのだ。
     それを根に持っているわけではないが、気まずそうに目を泳がせる千束を見て、今回はこれで充分に楽しめた。

  • 5二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:35:15

    
    「では、いきましょうか」
    「ん、そうそう! 過ぎたことより今を楽しまないとね!」

     どの口が言うのか、つまんで捻ってみようかと思ったが、先ほどの分でよしとしておく。

    「千束からもあるんですよね? プレゼント」
    「あるけどもー……それはそん時になったら渡すからね」
    「わかりました、楽しみにしておきます」

     千束が忘れるとは思っていないが、念のために聞いてみると、どうやら今すぐ渡すものではないらしい。去年は夜景の見えるレストランで、ペアのピアスを貰ったのだった。それはわたしも千束も、今日のデートにしっかり付けてきている。わたしの右耳と千束の左耳に一つずつ。
     このピアス穴も、千束に開けてもらったもので、初めてのピアスも千束に教えてもらう形になった。千束には今でも時々、そうした初めての経験をさせてもらっている。
     ただ、わたしの時よりも、千束の方が穴を開ける時に怖がっていたのは言うまでもない。
     さて、今年はどんなプレゼントを貰えるのだろうか。
     手を引いてくる千束の指が離れないよう、わたしは自分の指を深く絡ませる。スベスベとした肌に触れる感覚を強く確かめながら、肩と腕がくっつくほどの距離で歩く。
     この歩きにくさも愛おしいと思えるようになって随分経ったなと、隣の笑顔を横目で眺めて思うのだった。

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

  • 6二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:35:31

    
     今年のデートをどこで締めるのかは、もうずっと前から決めていた。
     一年目は夜の遊園地で観覧車の中からライトアップを眺めて、二年目は高級ホテルを取って贅沢なお泊まりをして、去年はレストランでプレゼントを送った後に延空木のライトアップを眺めた。
     そんなこんな、ロマンチックな演出を考えては実行してきた交際記念日のデートなのだが、実のところ今一つ「これだ!」という手応えを感じていない。
     なんだろう……確かにロマンチックなはずなのに、肌に合わないというか? たきなと過ごす時間は間違いなく楽しくて素敵な時間だけど、毎年そのデートの締めくくりよりも、その後の帰路でする他愛ない会話の方が楽しいと感じるのだ。
     だから今年は、そこに着目してみた。

    「ずいぶん移動しますね」
    「お楽しみ、ってとこかな~」

     電車の中、扉の前でたきなと隣り合って手を繋ぐ。周囲からチラチラと盗み見るような視線を感じるが、そんなものは気にせずに、ぎゅっと強く手を握る。たきなもまた、それに応えるように黙って握り返してくれるのが、私はたまらなく嬉しくて愛おしい。
     ただ手を握るだけのことが、何年経ってもこんなに心を暖かくしてくれるのは、きっとその相手がたきなだから。外を眺めるたきなの横顔を見つめて、そんなことを思う。
     そういえば、身長もいつの間にかたきなの方が高くなってしまった。外見も合わさって、周囲からはたきなの方が大人の色気があるともっぱらよく言われる。私の方がナイスバディなのに、納得いかない。
     ふとガラス越しに、たきなと目が合った。振り向いてにこっと笑うたきなの可愛らしい笑顔は、すっかり大人びたその姿を一段幼く見せ、普段とのギャップにドクンと胸が高鳴る気がした。
     この笑顔は何年経っても慣れない……というよりも、時間が経つほどに大人びて綺麗になるたきなには、年々威力を増す凶悪な武器になっているのではないかと思う。

    「──ズルいな」
    「何がです?」
    「ううん、なんでもない」

     たきなの耳に付けられたピアスにちょちょいと軽く触れると、たきなは目を丸くしてぱちくりさせる。可愛いリアクション。大人になっても、そういうところは本当に変わらないヤツ。

  • 7二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:36:07

    
    「ほら、もう着くよ」
    「あ、」

     降車駅に着いて、たきなが何かに気がついたように小さく声を漏らす。
     そうだろう、何故ならここは……

    「懐かしいですね」
    「さすがに覚えてたか」
    「忘れるわけないじゃないですか」

     駅から出ているバスもあったが、のんびりと時間をかけて歩きでやってきたこの場所は、いつかたきなを……DAへと復帰するたきなを送り出した、たきなが連れてきてくれた公園。
     二人で雪を見た、あの。

    「人のことを忘れっぽいみたいに言わないでください、記憶力には自信があります」
    「え~、でも私ばっかり覚えてることいくつあったっけ?」
    「それを千束は覚えてるんですか?」
    「や、数えてない」
    「わたしも同じです。忘れっぽいわけじゃありません」

     覚えておくほど意識するようなことではないと、たきなは主張する。
     たきなは時々、不意打ちのように心に刺さる言葉を繰り出してくる癖に、後から追求すると「そんなの知らない」とさっぱりぽっかり忘れているのだ。それでたきなと、あんなことを言った言ってないの水掛け論を何度繰り返したことか。
     逆に覚えろと言ったことは、めっちゃ正直に言われた通り一言一句忘れずに覚えている。そんなたきなの扱い方にも、もうすっかり慣れたものだ。

    「今の時期は雪、降りませんよ」
    「知ってるよ」
    「じゃあ、何を待ってるんです?」

     いつかと同じように、隣り合ってベンチに腰掛け、ゆっくりと時間がすぎるのを待つ。何を待っているわけでもなく、ただ静かに過ぎていく時間をぼんやりと過ごす。

  • 8二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:36:26

    
    「たきなは、これだとつまんない?」
    「いえ、千束と一緒ですから退屈ではありませんね。それに……」
    「それに?」
    「豪華なディナーもいいですけど、こっちの方が千束らしいと思います」
    「ん、私もそう思う」

     今までドラマチックでロマンチックなデートに憧れて真似してみたけど、結局しっくりくるのは背伸びしない等身大のままの千束。
     これだという手応えは感じないけど、これが私だという実感は強くある。

    「お、そろそろ時間かな~」
    「時間……? 九時ですね」
    「雪は降らないけど……たきなさんに贈り物はありまぁす。はいこれ」

     脇に置いたバッグの中から、手の平に収まるほどの小さな箱を取り出して、たきなに手渡す。
     どうやってプレゼントを渡そうかというシミュレーションを何ヵ月も前から幾度となく繰り返してきたが、やはりその場になってしまえばなんのことはない、さんざん妄想してきたシチュエーションも台詞も全て捨てて、こんなにあっさり手渡してしまえる。

    「開けてもいいですか?」
    「うん、むしろ開けてほしいし」
    「では」

     たきなは受け取った箱を一切の躊躇もなくパカッと開く。もうちょいワクワク感とか出してほしかった。ただ、そんな気持ちも、箱の中身を見るたきなの顔を見て満たされた。
     ハッと見開かれた大きな瞳と、ポカンと開いた小さな口。何年も側にいればわかる、たきなの輝いた表情。それを狙って引き出せて、なんとなく「勝った」と思った。

    「これ、指輪……ですよね」
    「あー、まあ、そうね。指輪だね」
    「二つ」
    「うん、たきなと……私の、お揃い」
    「つまり?」

  • 9二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:36:43

    
     いや、そう追求されるとなると、さすがに、あっさりとは、いかない。
     いや、わかるでしょ、普通、言わなくても、どういう意味か。

    「えっとねぇ……見ての通り指輪だよね」
    「そうですね」
    「だからその、つまりはさ」
    「はい」
    「…………け、……んん同棲しない?」

     よし、言いきった。
     恥ずかしくなってきて、たきなの顔は見られないけど、私は頑張った。

    「……はぁ……まあいいですけど」
    「お、おぉ? あっさり……」

     こっちは結構な一世一代の覚悟ぐらいな気持ちと言っても過言ではなかったのだけど……。

    「同棲ならしたことあるじゃないですか、またしようって何度も千束から言ってきて」
    「あ、あぁ……うん……そだね」
    「それで」
    「うん?」
    「この指輪は?」

     横目でたきなの方を見ると、悪戯っぽく口の端をつり上げた表情がこちらを覗いているのが見えた。
     こいつ、わかってて聞いてる。同棲したい理由も、指輪がどういう意味なのかも。
     上等だ、それならハッキリさせちゃろうじゃないか。

  • 10二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:37:00

    
    「それは、その、つまり、アレだよ」
    「あ、このブランド、いま調べたら有名なところなんですね」
    「…………」
    「この形は永遠を意味するとか」
    「……らしいね」
    「千束は、どうしてこれをわたしに?」
    「……どうして、だろうね……」

     それからしばらくの間、私が言葉を形にできるまでの間、たきなの質問攻めは続いたのだった。

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

    「ということがありましたね」
    「なんでそういうことはしっかり覚えてるの」
    「記念日を覚えておけと言ったのは千束ですよ」
    「内容まで事細かに覚えてなくていいのよ、五年も前のことなんて」
    「ふふっ、じゃあ覚えておきます」
    「こんにゃろう……」
    「それで、今年はどんなプレゼントを用意してくれてるんですか?」
    「ふふん、今年はなんと……」



    END.

  • 11二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:38:07

    いい夫婦の日短編です

  • 12二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:40:22

    いいものをみた……

  • 13二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:40:45

    良いちさたきでした…ありがとう…

  • 14二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:42:12

    うーんいいちさたき!健康にいい

  • 15二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:47:18

    よきちさたきだ……

  • 16二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:48:09

    9年は一緒にいたってことか

  • 17二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 21:53:17

    長く過ごしてきたのが分かるような穏やかで甘い雰囲気が文章から伝わってくる……!幸せな気分にしかなりようがないssだよこれ!

  • 18二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 22:07:19

    身長逆転やピアスみたいな要素がさらっと入ってるのもいい…

  • 19二次元好きの匿名さん22/11/26(土) 22:26:45

    どちらとも「勝った」って思うの思考が似てきてる感じがして良き

オススメ

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