【トレカフェSS】きっかけ……ですか

1二次元好きの匿名さん21/10/30(土) 01:36:16

「そう、トレーナーを目指したきっかけ」

　URAファイナル優勝からも時間が経ち、騒がしかった毎日も落ち着いた頃。コーヒーブレイクの時間に彼は言った。マンハッタンカフェは二人分のコーヒーを淹れながら、西陽が指すトレーナー室の椅子に腰掛ける。

「どうぞ」
「ありがとう」

　枯れ枝のような腕でカップを受け取ると、シュガースティックを二つ、ミルクとシロップを一つずつ入れる。甘党な彼のお気に入りの飲み方だ。くるくるとマドラーを回す。
　カフェは何も入れずにそのまま口をつけた。マンハッタンブレンドの香ばしい薫りが鼻孔をくすぐる。

「それで、きっかけ……ですか」
「そう。すっかり忘れていたんだけど、この間ふと思い出して」

　彼が焼いてきたクッキーがテーブルに並んだ。ミーティング終わりに二人でとりとめもなく話す、至福の時間。

「昔さ、小学生の……二年くらいの時だったかな。変なウマ娘に会ったことがある。実家の近くに土手があって……なんだったかな、泣いてたか、我慢してたか。そこを歩いていて、前を見てなかったからぶつかってしまったんだ」

　今まで殆ど聞いたことのなかった彼の過去について、カフェは耳を澄ませた。相槌を打つのを忘れて、誤魔化すようにクッキーを齧る。

「見た目だけで言えば……カフェによく似ていたと思う」

　記憶が曖昧だけど、と彼は付け加えた。黒く長い髪に、真っ黒な勝負服。確かに、それだけ聞けばカフェと見間違える人も居るだろう。

「まあ、印象は全然違ったんだけど」
「そうなん……ですか？」
「うん、なんていうか乱暴で、こう、ガキ大将みたいっていうのかな。頭をぐわって、掴まれたんだよね」

2二次元好きの匿名さん21/10/30(土) 01:37:10

　大袈裟にジェスチャーをしてみせる。背の高い彼が、子供みたいに見えた。

「『ぶつかっておいてごめんなさいも無いのか？』ってドスの利いた声でさ」
「随分怖い方ですね……」
「まあでも、ウマ娘に本気で掴まれたら青痣じゃすまなかっただろうし、手加減はしてくれてたんだと思うよ」

　コーヒーを啜る。口直し、過去を語る。

「で、わんわん泣いちゃってさ。泣くな、って思い切り怒られたんだよね。それで相手も困って……」

　『背中に乗れ』とそのウマ娘は言った。

「で、おんぶされたら、そのウマ娘は土手を走り出してさ……うん、速かった、凄く。いつの間にか涙も止まってて」
「乱暴でも……不器用に優しい人だったんですね」
「そうだなあ……確かに優しい人だったんだと思う。なんだろう、ちょっとだけカフェのお友達にも似ているのかも……ぐうっ」

　ドンッ、と彼の体が揺れた。"お友達"が彼を叩いたのだろう。そのウマ娘と同類に扱われたのが気に入らなかったらしい。

「大丈夫ですか？」
「ああ……大丈夫」

　コーヒーが溢れなくて良かったと彼は笑う。

「それで……走り終わった後に、お礼を言ったら『走りたくても走れないやつも居る。だから、お前も今度は代わりに走れ』ってね。あの言葉が無かったら、今頃は医者だったかもなあ。実際なんで高校の担任にはなんで医学部目指さないんだって言われたし」
「その人が居たから……私もトレーナーさんに出会えたんですね」
「そうなる、かな」

3二次元好きの匿名さん21/10/30(土) 01:37:33

　照れ臭そうに笑う彼。カフェは胸の奥がずきりと痛んだような気がした。彼の思い出に、らしくもない嫉妬をしていた。

「トレーナーさん」

　だからだろう、おかしなことを口走ってしまうのは。

「もし、その人がトレセンに居たら、その人のトレーナーになっていましたか？」

　彼は突拍子もない質問に目を丸くして、しかしすぐに答えた。

「たぶんなってないんじゃないかな。俺はカフェのトレーナーだから」
「そう……ですか」

　顔を隠すようにコーヒーカップを持ち上げる。広角が上がっているのを見られたくはなかった。

　耳が赤く染まっているのは、彼からも見えていたのだが。