- 1二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 01:39:58
- 2二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 01:40:36
人には誰しも『新人』の時代はあるものだ。
あたらしい靴を履く。
身を包むのはおろしたてのスーツ。
髪はしっかり撫でつける。
メモを取るためのバインダーノートを抱き込んで、伝えられることがらを一つも逃さないように、しかし相槌を打つのも忘れない。
ほぼミミズがのたうち回るような文字を走らせつつも、与えられる情報を一心不乱に吸収しようとする。
ファン感謝祭や聖蹄祭、ハロウィンなど、トレセン学園の門が外部に向けて開かれるそのタイミングは、トレセン学園のトレーナーを目指す学生たちのオープンキャンパスの場でもある。
十一月も末となれば、今年最後の志望生だったのかもしれない。話を聞き終わり、丁寧にお辞儀をし、トレーナー室を出てから廊下の角を曲がるまで何度も何度も頭を下げつつ去っていった若者の姿を見ていると、思いを馳せてしまうのはつい数年前の自分のことだ。
あの頃はまだ『新人トレーナー』としてトレセン学園に籍を置いたばかり。人事課の勧め通り、中堅クラスのトレーナーに弟子入りし、サブトレーナーとして業務をこなしていくビジョンもあったものの──『彼女』いわく『最悪で最高』の出会いののち、三年間を血眼で走り抜けてしまえば、もう『新人』なんて名札は、返上しなければならないだろう。 - 3二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 01:41:12
「今ので最後か? ご苦労なことで」
室内に戻ることなく見送りスタイルのまま立ち尽くしたついでに思い出に浸っていれば、注意散漫にもなるものだ。
背中に投げかけられたダウナーなトーンに肩をそびやかし振り返れば──そこには、いつものように感情の読みづらい不敵な笑みを浮かべたウマ娘──ナカヤマフェスタの姿がある。
感情が読みづらいとは言えど、デビューからずっと担当し続けてかれこれ五年目に突入もすれば、ささやかな変化くらいぴんとくるものだ。
ナカヤマに促されトレーナー室に戻り、いつものようにケトルに水を満たしつつ、ナカヤマの様子を窺う。
「コーヒーにする? 紅茶もあるよ」
「……どちらでも」
「そういえばさっきの学生から差し入れてもらったコーヒーがあるから、それにしようか」
「……へぇ?」
ぴしり、と、空気が凍ったように感じたのは、気のせいであってほしい。ナカヤマのささやかな変化には気づけるようになってきている故に、それが現状最大級の地雷であったことを認識するのに、秒も必要ない。
ナカヤマは怒っている。いや、怒っていると表現するのは語弊があるかもしれない。なぜなら、水を満たしたケトルをスタンドに置き振り返れば、おそらく、ナカヤマは笑っているからだ。目は笑わせないまま、口端を上げて。
先ほどまではせいぜい『不機嫌』くらいの調子だった。考え事を脳裏で巡らせる時に口数が減るのは彼女も同じ。何か腹に据えかねることがあったのかもしれないが、それをコントロールしようとしている、そう感じていたし、おそらく間違ってはいなかっただろう。感情を無闇矢鱈と表現する子どもっぽさを、彼女はとうに捨ててきている。
もっとも、自分にわかるのは、ささやかな変化だけ。そのささやかさから逸脱してしまえば、──あとはもう、問いかけるしか道は残されていなかった。 - 4二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 01:41:53
「ナカヤマ、なにか怒ってるよね?」
ケトルをスタンドにセットし、意を決して振り返ると、彼女の表情はおおむね想像通りのものだった。怒りか苛立ちかと言われれば後者だろう。問いかけながらもその原因を考える。
先ほどトレーナー室の前で声をかけられた時点で、ナカヤマの虫の居所は悪いようだった。また賭けにでも負けてしまったのかもしれないが、それを八つ当たりとして向けてくるようなタイプではないのは、経験上理解している。
体調不良だろうか。しかし彼女の顔色はいつも通り。毎朝の体調報告にも問題はなかった。お腹がすいている? たしか六時間目の授業は持久走だったはず。いつも口元で転がしている飴も見当たらないから、糖分不足の可能性も──と、そこまで考えて、先ほど踏んでしまったらしい地雷を思い出す。
コーヒー。けれどナカヤマはコーヒー嫌いではない。いつぞのファン感謝祭以来交流の続くマンハッタンカフェの部屋でおいしいコーヒーをごちそうになっていると小耳に挟んでいる。
それではいったい、何が、彼女をいまの彼女たらしめているのだろう。
「そうだな……」
怒っているのか。その問いかけに対し、ナカヤマにしてはめずらしく、視線を下げた。いつもならぶつかりあうことに恐怖すら感じないとばかりに視線を投げてくるにもかかわらず、だ。
その苛立ちや怒りには、迷いがある。めずらしくも逡巡させるようななにかが。
何か思考するかのように視線をめぐらせ、何か声に出そうとするかのように唇を言葉の形に変えたあと、ナカヤマは、ふ、と、息をつく。
「なぁ、トレーナー」
「なに?」
「私と賭けをしないか?」 - 5二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 01:42:35
いいよ。と、ためらう間もなく返すのもすっかり慣れたものだった。ナカヤマとの賭けはそれこそ日常茶飯事で、もはやルーティーンの一部と表現しても、おそらく過言ではないだろう。
おそれのひとつもない即答に、ナカヤマの表情がかすかに緩む。彼女が彼女の中で渦巻く怒りを昇華させる術が賭けならば、それに付き合うのが担当ウマ娘に対するトレーナーというものだ。
「ルールは簡単だ。アンタはその眼を閉じて立っているだけでいい。おっと、バランスは崩さずに、だぜ?」
「わかった。勝敗の条件は?」
「私がいいというまで眼を瞑っていられたら、アンタの勝ち。……私がいいという前に目を開けてしまったら、私の勝ち。アンタが勝てばご褒美をやるよ。私が勝てば……そうだな、腹が空いてしかたない。このあと街に繰り出して、私に何か奢るっていうのはどうだい?」
「いいよ」
睡眠不足と寒さと空腹は生きとし生けるものたいがいの敵だ。空腹に難ありの自覚があっただろうことに安堵しつつ、言われた通り、目を瞑る。少しだけ脚を開きバランスを確認したところで、ナカヤマの革靴が床を鳴らした。
こつ、こつ、と、聞こえてくる足音とともに、空気が動くのを感じる。賭けや勝負の誘いに即答できるようになったとはいえ、緊張しないわけではない。耳の奥で鼓動が鳴っているかと思うくらい、心臓がヒリついてくる。
一歩、二歩、三歩。ナカヤマの足音が止まる。経験上、このあと聞こえてくるのはマジックインキの蓋を開ける音か、もしくは──想定を脳裏にめぐらせた矢先だった。 - 6二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 01:43:16
だらりと重力に引かれるままにしていた両腕が、内から外に押し出されるようにしてかすかに浮いた。そして次の瞬間──思わず目を見開きそうになるのを、既のところでこらえる。
「まだだ。まだ目を開けるなよ」
聞こえてくるのはかすかにくぐもったナカヤマの声だ。それもそのはず。目を瞑っているため正確な状況は把握できないものの、ナカヤマの両腕が、背中に回っていた。
つまり、これは。
(抱きしめられている……?)
ならば次に警戒すべきはジャーマンスープレックスだろうか。いや、あれはバックハグから繰り出されるはずだから、ベアハッグか?! 見た目は少女、膂力や腕力は人間を大きく上回るのがウマ娘。──いや、さすがに宣言なくプロレス技をしかけてくるようなタイプではない。
つまるところ、気が動転していた。ナカヤマは一言も喋らない。ベアバッグのように回した両腕に必要以上の力をこめることもない。抱きしめられている感触は、見た目のとおり華奢で、眼を瞑っていなければ普通の少女のようだと思ったかもしれない。
両腕はなにかを求めるようにときおりかすかに力がこもる。額をこすりつけられているような、頬ずりをされているような身動ぎには、さすがに心臓が大きく鳴った。……おそらくそれが聞こえてしまったのだろう、ナカヤマが肩を揺らす気配がする。 - 7二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 01:43:52
時間にしておそらく一分も経過していないだろう。ナカヤマの両腕が離れて、おたがいの体の間で生まれていた温もりが消える。
「ナカヤマ、」
「まだだ、……もう少し」
秘密の共有でもするかのようなささやきとともに触れられたのは頬だった。つんと冷えた指先に、自らの頬の、顔の赤さを自覚する。ひとしきり頬や耳を撫でられたのち、彼女の気配が近づいてきて──
唇に触れた感覚に、さすがに目を見開いた。同時に二、三歩身を引く。ふらつかなかったのは幸運だった。そして、目の前に広がっていた光景に、心底、胸を撫で下ろす。
ナカヤマフェスタは笑っている。唇に見立てた二本の指を揃えて、愉快だと言わんばかりに。 - 8二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 01:44:52
「というわけで、私がいいという前に目を開けたアンタの負け、で、差支えはないな?」
「……」
「おいおい、そう不貞腐れるなよ」
スタンドに置いたばかりのケトルから水を抜いて、所定の位置に戻す。今日はオープンキャンパスの学生を受け入れる予定にしていたため、トレーニングは自主練としていたから、これから外出することについては差し支えはない。なにを強請られるのか想像はつかないが、財布の中身も潤沢とは言えずとも、ナカヤマくらいの胃を満たすなら充分すぎるだろう。
ナカヤマは先ほどまでの不機嫌ムードはどこへやら、すっかりご機嫌をキメている。
「不貞腐れてはないよ、ただ、……」
「アンタは目を瞑っていたから、何も知らない。何も見えていなかっただろ?」
言葉にしようとしたことを先回りされた気がして、思わず眉をひそめる。教師と生徒、教え子と生徒、トレーナーと生徒。その果にあるのは未成年ナントカ……から目を逸らしてもいいとばかりの物言いだった。驚きと動揺でやめるよう諭すことができなかったことも事実のため、うまく言い返すことができないまま。
確かに、絆が深まるにつれて恋人関係に発展するトレーナーと担当ウマ娘もいるにはいるため、……問題のない範囲で情を交わし合うこともあるにはあるらしいけれど。
「でもやっぱり良くない。いくら勝負のためだからって」
「……勝負だけのためだけだと思ってんのか?」
「え」
机の上には、オープンキャンパスの生徒が持ってきた土産のコーヒーが入った包装が置いたまま。フードストッカーに仕舞おうと手を伸ばすが、そのまえにナカヤマの手により取り上げられる。
「わからないなら、これは没収だ」
「ええ……」
「精々頭使って考えな。ほら、さっさと行くぞ。何にすっかなァ、おでん屋台も捨て難いか、回転寿司の気分でもある」 - 9二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 01:45:36
ナカヤマの尻尾が揺れている。上機嫌に。ふりふりと。口元は、駆け引きを愉しむような笑みが刻まれて。
「もしかして、ヤキモチ?」
「……ハハッ。アンタ、顔真っ赤だぜ?」
図星をつけたのかどうなのか、本音なのかどうなのか、真意や意図はいずこにあるか。それはこちらの台詞だと言い返すのはやめておく。
早く行くぞ、なんて声とともに先に部屋を出るナカヤマの後ろ姿は、──年相応の少女のように見えた。 - 10二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 01:47:00
***
おしまい。
ナカヤマに ヤキモチ焼いて ほしかった
凱旋門賞後なら充分ありだと思ってます。 - 11二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 02:16:52
良かった
もっとくれ - 12二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 02:32:48
良かった
- 13二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 03:10:02
ちょうど探してた
ありがとう - 14二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 04:45:37
ナカヤマはもっとこういうのがあってもいい
- 15二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 04:49:06
ナカ焼きもちフェスタ良かったです
- 16二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 07:40:42
- 17二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 08:52:11
あ゙ぁ゙~ナカヤマが可愛いんじゃあ~
- 18二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 09:27:25
中山~、食事行こうぜ!
- 19二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 17:16:43
- 20二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 17:18:08
眠気と時間にスレ落ちに勝てたら続きを書きます。
- 21二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 19:42:14
- 22二次元好きの匿名さん22/11/30(水) 22:45:40
まってる
- 23二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:37:48
整いました。
*注意*
トレーナーに若干自我がある
ナカヤマの育成前提なところがある
本格化の終了を感じさせる描写がある
スノースマイルいいよね
甘めのはまた書きたいので、いただけた期待はその時にお返しできればと思います。
最後のくだりだけ書きたかったはずなのに - 24二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:38:54
ありがとうございました! という威勢のいい挨拶に背を押され、非接触タッチセンサー式の自動ドアをくぐると、外はすっかり暗くなっていた。
あのとんでもない賭けに負け、学園を出たのが夕方五時を回ったくらい。この時期となるとすっかり日も暮れかかり、空の明るさより街灯のまぶしさが目立つ頃合いだ。他愛もない話をしながら肩を並べて15分ほど、たどりついたのはファミリー向けの回転寿司屋──1時間も滞在すれば、くすぶっていた太陽も完全に落ちきって、空はすっかり夜をたたえている。
「ナカヤマ、お待たせ」
「ん。ごちそうさん。旨かったぜ」
「それはよかった」
会計が終わるまで中で待っていればよかったのに。そう言いかけたところで、帰るかとばかりにナカヤマが踵を返す。出入り口近くにあるレジ前は待合室も兼ねている。空席待ちの客で席はちらほら埋まっていたが、待つのに難儀するほどではなかっただろう。
ナカヤマは極端に人混みを嫌うタイプではなかった。路地裏の喧騒にまみれた居酒屋やら定食屋に入り浸ることができるくらいだ。騒がしさすら余興として楽しんでいる節もある。
もっとも、ウマ娘であることには変わりないから、さまざまな音には敏感ではあるはずだったけれど──『そういう意味ではない』──それは、ここ数ヶ月、ナカヤマの様子からうかがい知ることができた。
だから、言わない。言わず、そのコートの背を追いかける。前の家族連れの会計を待って、二人分の食事代を──かつて財布から消えていった金額よりも減りつつある支払いを終えるまで五分ほど。その間にすっかり冷えてしまったらしい。ナカヤマはすんと鼻を鳴らす。 - 25二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:39:56
「クソ寒ぃ。雪にはまだ早いだろ」
「まだ降らないみたいだけどね、気温だけなら、もう冬だ」
オープンキャンパスにやってきた学生たちを迎えるために、トレーナー室の暖房は普段よりも強めに設定していたし、あんなことがあったら血は巡り体感温度もストップ高。コートと財布とスマホしか持ち出さなかったのを少しばかり後悔する。マフラーを持ち出せていたら、身をすくめて歩く隣の相棒に巻きつけてやれたのにと思えど、ないものねだりをしても仕方がない。
ふぅ、と息を吐き出せば、間を置かず白く凍って散っていく。息を吸えば帰り際に飲み干したあがりの温かさがあっという間に冷やされる。時期的にも、雪はまだもう少し後のはずだが、頬をなでる風は凍てついて、むき出しの肌はみるみるうちにやわらかな温もりを失っていく。
それはきっと、隣を歩くナカヤマも、同じだろう。
「ねぇ、ナカヤマ」
「ん?」
「さっきのことなんだけど」
「ん」
回転寿司屋を出てトレセン学園手までは、行きと同じく徒歩で15分。ウマ娘用レーンの向こう、ヘッドライトまばゆいクルマが何台も走り去る。自分たちが住処であるトレセン学園に帰るように、1日を終えた人々がおのおの帰路につく。そんな時間帯でもあった。クルマの排気音に『聞こえなくても』仕方がない。それならそれで再度問いかけるほど、肝要なことでもなかった。
けれど、ナカヤマの耳は、騒がしさを選り分けて、問いかけを拾ってくれる。 - 26二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:41:13
「どうしてあんな賭けに出ようと思ったの?」
もしかしてヤキモチ? その問いかけにナカヤマはついぞ答えることはなかった。たしかに、少女らしいなめらかなラインの頬はうっすら紅潮していたし、オープンキャンパス生にかまけてしまっていたのは事実だ。
ヤキモチ、なんて言葉が転がり落ちたのは、確証があったわけではない。あの、いろいろとすれすれな賭けがその手の仕返しであったのなら、……もしかすると、ひょっとしたら、可能性は低いだろうが、と幾つも重ねなければならないほどの低確率。『阿呆かアンタは』と一掃されてもおかしくはなかったのに。
返ってきたのは是とも非ともつかない、曖昧な打ち返し。
「アンタは悪魔の誘惑に負ける心配がない、って話さ」
「ゆ、」
誘惑?! これまたとんでもない単語が飛び出してきて、思わずむせた。立ち止まり咳き込むと足を止めたナカヤマがあきれたように眉をよせる。けれどその手は背に伸びて、いたわるようにさすってくれる。
何台かのクルマや通行人を見送ってようやく落ち着いたころ、肩をすくめてナカヤマは続ける。
「近い未来、アンタのもとに、新しい担当ウマ娘がやってくるだろ? 仮にもこの私を導いたトレーナーが……『恋する年頃の娘』のアプローチにそう簡単にオチてもらっちゃ、困るからなァ」
テストだよ。ただの。ぼそりと呟いて、ナカヤマはふたたび歩き出す。しかしその歩みはけして早いものではない。一歩一歩を確かめるように、一歩一歩を惜しむように、……まるで、追いつくのを待つかのように、ナカヤマは先を行く。
一気にもたらされた情報に溺れてしまいそうだったが、頭を振った。表情を隠すように背を向けるナカヤマを、追いかける。 - 27二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:42:13
「……誘惑の真似?」
「残念ながら色恋ごとには無縁でね。試すには物足りなかったかもしれないが」
「フィンガーキスまがいはなかなか」
「あれはシリウスの野郎の真似さ。余計なもんを見たとは思ったが、存外、役に立つもんだな」
「えぇ……」
シリウスシンボリの素行についての話は聞いているものの、なんとも持て余す情報を仕入れてしまった。惑ったところで、そうじゃない、と首を振る。
いま聞くべきは、いま話すべきは、いま問いかけるべきは、もっと別にある。
ナカヤマは、オープンキャンパス生に、何を重ねたのか。何に対して苛立ち、何に対して逡巡し、あんな賭けを提案して、消え入るように──テストだと呟いたのか。
「ナカヤマ、待って」
「何だよ」
「……話を、しよう」
ナカヤマは振り返る。街灯の下、すみれ色の瞳は、凪いだような静謐をたたえている。 - 28二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:43:13
***
「ココアじゃない方がよかったよね」
最寄りの小さな公園のベンチに座っているようナカヤマを導いて、自販機に寄った。缶のホットドリンクは定番のコーヒー、ココア、それからお汁粉。コーヒーのチョイスは夕方のこともありためらったものの、甘いものを避けがちなナカヤマを温めるのなら、コーヒーがベストだろう。その想定が功を奏してか、引っかかることなく彼女は缶コーヒーを受け取ってくれる。
念のため買っておいたホットココアは自分で開けて、すっかり冷えきった唇をしめらせた。ナカヤマの隣に腰かける。重ね重ねマフラーを持ってこなかったことが悔やまれる。トレーナー室に帰ってから話をすれば良かったけれど、今を逃してしまえば、機会は失われてしまう。そんな気すらしてしまったのだ。
ナカヤマと出会ってから、無我夢中で走り抜けた3年。それから、彼女の『先生』を連れ、トレセン学園史上最高の結果を出した凱旋門賞。そこからちょうど、一年とちょっと。同期たちとともにナカヤマは走り続けている。特に仲の良いトーセンジョーダンはレコード勝ちを納めた前年秋の天皇賞のような激走は叶わなかったが春の天皇賞では好走し、ワンダーアキュートもまた破竹の勢いでダート界を賑わしている。
本格化の長さは、ウマ娘によって違う。細く長く走り続けられる者もいれば、一瞬の煌めきを刻みつけターフを去る者もまた、存在する。
誰しも、終わりは、存在する。 - 29二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:44:05
「……ナカヤマが、食べられなくなってきてるのには、気づいてたよ」
「……」
たとえばオグリキャップ。たとえばスペシャルウィーク。彼女たちのように、ナカヤマは『食べる』ほうではない。ウマ娘なりに必要カロリーも食欲も人間の比ではないが、それでも多いとは言えない。
走るためには、走り続けるためには、エネルギーを蓄えなければならない。ワンダーアキュートのように極限まで研ぎ澄ませる者もいるが、ナカヤマはそうではない。
以前と同じように、食べられなくなる。それが何を意味するのか──それは、トレーナーである自分以上に、ナカヤマこそが自覚していることだろう。
『近い未来、アンタのもとに、新しい担当ウマ娘がやってくるだろ?』
まるでなんということもないとばかりに告げられた言葉を思い出す。担当ウマ娘を複数持つ予定はなかったし、ナカヤマの担当を外れる予定もなかった。それなのに、どうして、彼女がそれを口にしたのか。
来年か、再来年の春か、トレセン学園はたくさんの『新人』であふれるのとだろう。新人トレーナーに、夢と希望を抱いて入学してきたウマ娘たち。
けれど、そのとき──ナカヤマはトレセン学園にいない。『相棒』たる彼女の元トレーナーには、代わりに新たな担当ウマ娘がついている。
そんな未来を、ナカヤマは見てしまったのかもしれない。
「でも、ナカヤマが走りたいって思う限りは、……君のトレーナーであることを、やめるつもりはないから」
「……衰えて、見苦しい姿を晒してもか?」
「ナカヤマの心臓が吠えたがる限りは、ずっと。君が勝負にならないほどまで衰えても、君が諦めない限りは、心臓を燃やし続けようとする限りは、手を尽くすよ。言ったよね、地獄まで一緒に行くって」
ホットココアはとうに飲み干して、傍らには冷えきった缶が佇んでいる。ナカヤマはコーヒーを開けないまま、手のひらで弄んでいるようだった。しかし、忍び寄る冷気に、おそらくもう温もりを保ってはいないだろう。 - 30二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:44:54
そして。
ナカヤマは大きく息をついた。呼吸の方法を思い出したかのように、息を吐いて、息を吸う。コーヒー缶をコートのポケットにしまうと、ゆらりと立ち上がった。
街灯の下にあるベンチとはいえ、夜の暗がりには変わらない。太陽の下と違い、その表情を確実に識別することは難しいだろう。
それでも解る。
ナカヤマフェスタは、笑っている。
静まり返っていた瞳が、ふたたび、ざわついている。 - 31二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:46:05
***
「私らしくなかった。ったく、……みっともねぇな」
「シニア級の春あたりでもそうだったし、いまさらだよ」
「あ?」
公園への寄り道を終えて、二人でふたたびの帰路につく。聞き捨てならなかったのか剣呑な反応が返ってきたが、すぐに思い出したらしい。
「そういやそうだったな。凱旋門賞に向けて、その時出来ることをやって……、勝つための尽力を怠って、勝てなかったら『先生』が生きてくれることをあきらめる前に間に合わせるためにだから仕方ねぇだとか、中途半端な生温いことを言って」
「でもナカヤマは勝負に勝った。『先生』を連れて凱旋門賞に挑んだ。結果だって──」
「なぁ」
「うん?」
トレセン学園到着まであと5分といったところか。続く言葉を遮るように、ナカヤマは立ち止まる。つられて立ち止まり、振り返ると、まっすぐな視線とぶつかった。
夕方のように逡巡することはない。唇にうっすらと笑みを浮かべた、それは、いつもの──
「手出せ」
「うん??」
差し伸べられた少女の手に、望まれるまま手を重ねる。突拍子のない勝負を挑んでくることの多いナカヤマだ。疑問を抱くのもいまさらすぎる。いまさらすぎる、が。
「っし。帰ろうぜ。寒くて仕方ねぇ」
取られた手が握られた。おたがいに冷えきった手だ。そこまではまあある話だ。……いや、ない。トレーナーと担当ウマ娘はこんな風に手をつながない。つながなかった、はず。
それに加えて── - 32二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:46:41
「あの、ナカヤマ」
「んだよ」
「なぜ、自分のコートのポケットに、手を」
「私のコートのポケットじゃあぶれるからに決まってるだろうが」
「えぇ……?」
確かに学園指定のコートはスリムなシルエットで、ポケットの容量はそこまで大きくなさそうだ。なるほど、ナカヤマがこちらのコートの……そこそこ深くて大きなポケットを選ぶのも致し方がない。
致し方がない。……本当に?
つながれた二人の手は、まとめてコートのポケットに。ナカヤマが歩き出せば、引っ張られるように歩き出さざるを得ない。
「ジョーダンが言ってたんだよなァ」
「トーセンジョーダン?」
「手袋ない時、好きピの手をコートのポケットにお招きするんだとか」
「すきぴ? すきぴって何?」
「でも私のコートじゃ覚束ない。なら、アンタのコートのポケットに、お招きしてもらうしかないだろ?」 - 33二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:49:50
***
一歩一歩を確かめるように。
一歩、一歩を大切に、踏みしめるように。ときに足を止めながら、ときに嘆きを振り払い。肩を並べて進んでいく。凍てつく夜を越え、すみれの花咲く春に向かって。 - 34二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:53:45
***
おしまい。ナカヤマの心情なので書けませんでしたが、衰える自分を見られたくない乙女心(?)だとか、凱旋門賞でトレセン学園史上最高の結果を出したトレーナーのままで次に向かってほしいだとか、そういうのがあるといいなってやつでした。
ナカヤマってさ、
さも自分のことじゃない風に言いつつ自分のこと言いそうだよなって。『恋する年頃の娘のアプローチにそう簡単にオチてもらっちゃ、困るからなァ』とかね。 - 35二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:55:39
- 36二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:56:18
ええやん(ええやん)
- 37二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 01:58:38
- 38二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 02:05:05
- 39二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 02:07:56
続ききてんじゃーん!
- 40二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 08:02:05
- 41二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 09:28:04
- 42二次元好きの匿名さん22/12/01(木) 09:38:50