- 1二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:34:01
太陽が西に傾きつつある学園を、ひとり。とぼとぼとたどり着いた先は、三女神様の前。石像は毎日同じ表情を保っていて、どんなときでも動じることはない。その顔を見上げてから、うなだれるように泉を覗き込む。
「……どうしてアタシってこうなんだろう」
今日はオフの土曜日。トレーニングもなくて、トゥインクル・シリーズのファン向けの動画撮影があった。インタビューみたいな感じで、一対一でアタシが質問に答える形式。だけど、上手く受け答えができなかった。
これまでの握手会とかトークイベントでも緊張してしまって、素っ気ない対応になってしまうことは多々あった。だから、今度こそはと意気込んでいたけど。
「はぁ……」
ため息がひとつ。以前より良くなったとは言われた。けど、録画された映像を確認してみると、アタシはどこかぎこちない笑顔を浮かべていた。
インタビュアーは男の人だった。よく広報製作に携わっているベテランの人。見かけたことのある人でも、この有様だった。相手が女性だったらもっと上手に話せたのだろうか。でも、過ぎてしまったことはどうしようもない。次は上手くやってみせると、ぐにぐにと頬をこねながら、ふと。
「……世界中の男の人がトレーナーだったら」
水面が波立って、反射したアタシの顔も揺れる。もし、そんな世界だったら、少しはマシだったのだろうか。あるいは、そんな世界が実現したら、固くならなくて済むのかな。
人見知りな性格で、特に男の人が苦手。家族以外だと、トレーナーくらいしか自然な受け答えができない。彼のことも最初は警戒してたけど、いつしか心を開けるようになっていた。つっかけた態度を取っても、粘り強く、ずっと親身にしてくれたから――
「……いやいや、それはそれで無理」
一瞬本気で想像したけど、それを振り払うように頭を振る。いくら数少ない信頼できる男性だからって、あんな人がたくさん居たら、くたびれてしまう。ちょっとだけ笑みがこぼれたけど、やっぱりそんなのは無理。多分、心臓が保たないと思う。あれこれ細かいところにも気がついて、その度に先手を打つように手を回されるんだから。もはや、甘やかされてるみたいな感じ。そうやって大切に扱われるから、アタシだってなんか、変な感じになっちゃうんじゃん。 - 2二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:34:28
顔を上げて、ふう、と息をつく。変なこと考えてないで早く寮に戻ろう。予定がないというのも珍しいから、部屋でゆっくりしようと決めた。失敗を引きずるのもよくないし、こういう日にはしっかりリフレッシュするようにとも言われている。漫画でも読みながら、ティータイムにしよう。
足取りに幾分かの元気を取り戻し、校門を出ようとしたところで、横の広場に人影を見つけた。作業着姿で屈んでいて、片手にはいくつかの道具を握っている。その背中には馴染みがある。今日は会っていなかったけど、ほぼ毎日のように顔を合わせる相手。奇遇だな、と思いつつ、声くらいかけておこうとそちらへ歩み寄る。
「トレーナー、何してるの?」
膝に手をつき、少し腰を屈めて。手元では芝生を弄っているみたいで、手入れでも頼まれたのだろうか。トレーニングがない日に何をしているのかあまり見たことはなかったから、こんなこともしているのかと新たな発見。そのまま作業の様子を眺めていたけど……それにしても。
「ねえ、返事くらいしたらどうなの」
隣から話しかけたのに、彼はずっと作業を続けている。普段はちらっと姿が見えるだけでも、いちいち手を振ってくるような人なのに。無反応に耐えかねて、肩をゆすってみると。
「……え?」
目を丸くして、こちらを見上げてきた。
「え? じゃないでしょ。さっきから横に居るんだから返事くらいしなさいって」
思ったよりも不機嫌になっている自分に驚いた。勝手に眉が顰められて、耳も少し伏せられている気がする。けど、彼の表情は徐々に怪訝なものに変わってきて。
「あの……」
「あの、じゃなくて!」
「……人違いじゃないですか?」
「……は?」
何を言っているんだ。服装こそ普段とは違うものの、誰がどう見てもトレーナーではないか。癖のない髪も、腹が立つくらい整った二重まぶたも、端が少しだけ窪んでいる唇も。そして、彼が口を開けば、トレーナーの声が聞こえてくる。アタシが彼を間違えるなんて、そんなことはありえない。
「アタシのことバカにしてるの?」
「い、いえ、そうではなくて」 - 3二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:35:08
敬語で接してくるところが、また気持ち悪い。何かドッキリでも企んでいるのだろうか。『担当に他人のふりをして接したらどうなるか』みたいな。くだらなくて、本当に質が悪い。
イライラが募って、余計に眉が吊り上がる。すると、彼は慌てたようにポケットを漁って、一枚のカードを示してくる。
「すみません、こういう者でして、広場の整備を承ってるんですよ」
学園の入構証。ひったくるように手に取って、裏面を確認する。有効期限は問題ない。許可事由は整備工事。理事長印もあるし、サインもしてある。
「……どこでこんなもの手に入れたの」
「発注を受けたときに手続きしまして、作業員は全員持っているはずですよ」
まあ随分と手の込んだ企画だこと。首謀者は誰だろう。あとで洗いざらい吐かせて絞りに行かないと。その時はマックイーンとライアンに加勢してもらおう。アルダンさんとパーマーは時間が空いていれば。ブライトはあまりそういうのに向いてなさそうだけど、文句の少しくらいなら聞いてもらおうかな。
「……いま正直に話したら許してあげる」
一転して表情を緩めて、ね? と諭すように。でも、彼の表情の移り変わりを見ていると、本当に何も知らなさそうな様子。しらを切るのが上手なんて初めて知った。こうなったら根比べだと、意地になったところで。
「あー、お疲れ様ですー!」
目の前の彼は口を動かしていないのに。
遠くから、“トレーナーの声”が聞こえてきた。
「……えっ?」
目の前にいる人は、声がする方角に向けて手を掲げている。理解が追いつかないままそちらに目を向けると。
「向こうの作業終わりましたよー。こっちはどうですか?」
そっくりな姿かたちをした人物が、二人になっていた。 - 4二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:35:46
「あと向こうの一角で終わり。手空いてるなら頼んでもいい?」
「了解ですー。ところで……そちらの生徒さんは?」
何の問題もないように接している二人。耳に入ってくるのは、同じ声でなされる会話。口元を見ておかないと、どちらが話しているのかわからない。こちらに向けられた顔も瓜二つというか、不気味なまでに一緒のもの。同じ人物が、アタシに視線を向けている。
「えっ、あっ、あの」
異様な光景に頭が回らない。
「あー、多分人違いされてて」
「へえ、世の中には似てる人が三人いるって言いますもんね」
違う。人違いじゃない。アタシのトレーナー。間違ってない。なのに。
「おまけに不審者かと疑われちゃったよ」
「ここって女子校ですし、警戒されるのも仕方ないですよ」
トレーナーのはずなのに、アタシのことを知らなくて。同じ人物が二人いて。
「申し訳ありません、びっくりさせてしまって」
トレーナーの姿をした“誰か”が、申し訳なさげに頭を下げる。どうすればいいのかわからない。そうこうしているうちに、一人、また一人と同じ顔をした“誰か”が集まってくる。アタシを見る目の数が、四つ、六つ、八つと増えていく。その色が、ひどく無機質なものに見えて。トレーナーなのに、トレーナーではなくて。
「やっ、ちがっ、ごめんなさい!」
叫びながらカードを押し付けて、寮へと走り出した。悪い夢なら醒めてほしい。そう心に願いながら門を飛び出そうとして、通行人の視線が集まっていることに気が付いて。
文字通り、血の気が引いた。上半身から生気が抜けて、血圧が急降下していく。道路を歩くTシャツ姿の男性が、ランニング中の男性が、子ども連れの旦那さんが。皆、“誰か”の姿をしている。一様に同じ顔が、飛び出してくるウマ娘を見ている。 - 5二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:36:33
「なっ、いやっ……!」
得体のしれない“誰か”から逃れようと、急ブレーキをかけた。後ろに方向転換して、作業着の“誰か”を見てしまわないよう、広場から目を背けながら走り出す。
あれはいったい何者なんだ。鼓動は異常を刻んでいて、喉の奥から液体がせり上がってくる。トレーナーの姿をしているけど、トレーナーじゃない。レース前に心を落ち着けるために探す、あの安心する優しい顔。目が合うと、勇気を持てる微笑みを返してくれるあの顔。ふとしたときに思い浮かぶ、元気になれる顔。
それが、いまは恐ろしいものにさえ見えそうだった。
横目に見える校舎から色が失われていって、視界が暗くなっていく。だめ。気を確かにするのよ、メジロドーベル。アタシは強いウマ娘。彼だってそう言ってくれている。
グラウンドまで走ってくると、今日も生徒たちがターフを駆けている。いつもと変わらない景色に、ほっと胸を撫で下ろす。
吐き気と呼吸を宥めながら、コースへと近づいていく。ストップウォッチを片手に、トレーニングを眺めている人。あの人こそ、アタシのトレーナーだ。瞬きをして、横顔を何度も確認する。時間があるときは他の子を見ることもあるって言ってたし、今度こそ間違いない。ここにいたんだ、と反射的に駆け寄ろうとして――
「――違う!」
違和感に気付き、即座に脚の動きを止めた。彼は左手で時間を測り、右手にペンを持ったまま走りを見るのが常だ。なのに、あの“誰か”は右手にストップウォッチを握っている。
我に返り、辺りを見回して愕然とした。トレーナーの姿をした“誰か”が、そこかしこに存在している。でも、でも。
他でもない、たったひとりがわからない。
ずっと一緒に走ってきて、誰よりも近くで、アタシを見ていてくれた彼が。 - 6二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:37:37
「トレーナー、どこなの……っ!」
あれも違う、これも違う。手当たり次第に声をかけたけど、皆アタシのことを知らないって言う。トレーナー姿の“誰か”からの拒絶。本物の、アタシが知っている彼ではないとわかっていても、言葉を返される度にアタシの心が切り裂かれていく。
もしかしたら、本物の彼は――
弱気になった途端、目元に痛みが走る。ありえない現象が起きているのだから、何があってもおかしくない。
「……っ、やだ……っ!」
二度と会えなかったらどうしよう。見つけられなかったらどうしよう。本当は既に見つけていて、アタシのことを忘れてしまっていたのならどうしよう。
彼が居そうなところ。ここからすぐ行けるのはトレーナー室。休日だけど、何か仕事をしているかもしれない。
霞む視界のまま、上履きに履き替えて建物の中へ。たまにすれ違う男性も、“誰か”の姿をしている。でも、一人として気にかけてくる様子はない。端から見れば、生徒が廊下を走っているだけでしかない。
縋るような思いでトレーナー室の扉を叩く。返事はなく、磨りガラスの向こうは暗い。鞄の中から、預かっているスペアキーを探す。鍵穴に差し込もうとしても、手先ががたついてなかなか刺さらない。やっとのことで部屋へと入り、すぐさま電気を点けても。
「い、ない……」
整理整頓されたデスク。棚に詰まったファイル。チーフも一緒に撮った三人の写真。机に出しっぱなしの資料。
昨日、一緒に戸締まりをしたときの光景が、そのまま残っていた。
バッグが肩から滑り落ちる。よろめくようにソファに倒れ込む。大丈夫。まだ探していない場所はたくさんある。大丈夫、なんだから。
ポケットからスマホを取り出す。力の入らない指先でメッセージアプリを開く。だめだ。彼のアイコンがずらりと並んでいて、トーク履歴も全て一字一句同じになっている。どれが本当の連絡先なのかわからない。
トレーナー寮を探そうにも、どの部屋に住んでいるのかまでは聞いていない。片っ端からしらみ潰しにしても、出てくるのが別人だらけだったら、もう耐えられないかもしれない。第一、休日なんだからどこかに出かけている可能性もある。でも、街中で見つけるなんて、人が多すぎて不可能。
悲観的な考えばかりが頭の中を支配していく。絶望の手前まで追い詰められて、だんだん気が遠くなってきて―― - 7二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:38:26
「――ドーベル!」
慌ただしい足音が聞こえたかと思うと、トレーナー室に躍り込んでくる人物。服装は少し乱れているけど、背格好も、声色も、どれもが記憶の彼と同じ。だけど。
「こ、来ないで!!」
近寄ってくる“誰か”に対し、クッションを抱いて盾にする。伸ばした腕が震えている。
「……ドーベル?」
「アンタっ、誰っ!!」
アタシの言葉に面食らったような顔。ややあってから、困ったように眉尻が下げられる。
「どこの誰なの! 早く言いなさい!!」
心臓がどくどく鳴っている。全身の毛が逆立っているようにも感じる。耳も完全に絞られていて、何かと敵対するときの態度。
彼はそんなアタシの様子を見て、思案顔になっている。やがて、鋭い目つきになったかと思うと。
「――俺は! ドーベルの!! トレーナーだ!!!」
突然、大声を張り上げた。
「は!? ちょっ、静かにして……!」
「あ、ごめん……」
咄嗟に言い返したけど、アタシのこととなると突拍子もないことをしでかす人には心当たりがあった。こんなことを臆面もなく言える人も。 - 8二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:39:23
「……本当に、トレーナー、なの……?」
「そうだよ。……でも疑ってるのか」
彼は首をひねる。まだ信じきれないけど、この人こそアタシが知っている、本物のトレーナーかもしれない。アタシのことを認識して、話しかけてくれる人は初めてだったから。腕の強ばりが緩み、わずかに警戒感が薄れてくると、彼は手を叩いて。
「うーん……よし! 今からドーベルのことを俺にしか言えない内容で褒めよう!!」
「……は、え? 何言ってるの??」
「だって、そうすれば本物だってわかるでしょ?」
世紀の大発明でもしたかのような、得意げな顔。その勢いのまま、彼は捲し立てる。
「まず、ドーベルはものすごい美人! 耳のてっぺんからつま先まで――」
「そっ、そんなのはいいから! 見た目なら誰でも言えるでしょ!!」
「あ、そうかな。じゃあドーベルは絵が上手で――」
容姿について言われるのはあまり好きじゃないし、何より恥ずかしいから遮った。でも、ならばと言わんばかりに次のお題に移っていく。べじキャロリンの絵、弟妹のために描いた絵、少女テイストな絵のことまで。知っているはずのことだけでなく、いつ知られたかわからないことまで言い当てて、いちいち褒めてくる。
「それから小さい子の面倒を見るのが上手! この前親御さんから聞いたんだけどさ、保育士顔負けの腕前なんだって?」
「上手じゃないって、全然……」
いつの間にそんな繋がりを持っていたのだろう。余計なことまで聞いてないか、少し心配になる。
「他にはね、芯の強さは見習いたいくらいだよ。弱気に見えることがあっても、根っこの“メジロドーベル”であることは揺るがないよね」
「……アタシは、アタシだから。……アンタと一緒だったから、そう思えるようになれた」
「出会って間もない頃は『誰かみたいになりたい』ってよく言ってたけどさ、やっぱりドーベルはドーベルだよ」
本物かどうか疑っていたけど、それは徐々に確信に変わっていく。彼は柔らかな表情で歩み寄ってきて、アタシの前で膝をついて。 - 9二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:40:07
「そんなドーベルのことを誇りに思ってるんだ。何といっても――」
――ウマ娘なら、誰もが大切な人にそう言ってもらいたいと願う言葉。彼なら、アタシにしか言わない言葉。アタシなら、彼にこそ言ってもらいたい言葉。
目線を合わせて、じっと見つめてくる瞳。ずっと見ていたいのに、どんどん視界はぼやけていく。けど、その奥からは、アタシをいかに大事に思ってくれているかが伝わってくる。きっと、誰よりも。アタシのことを思ってくれている。
――やっと、たったひとりを見つけ出せた。
「……えっ? ドーベル!?」
「ぐすっ……とれー、なぁ……っ」
堰が切れたように、どっと感情が溢れ出した。不安と恐怖と、緊張と焦燥とがまぜこぜになったものが蒸散して、安堵が勢いよく流れ込んでくる。
「きづ、いたらぁ……っ、とれーなぁが、いっぱい、いて……っ」
「大丈夫、大丈夫」
「アタシ……っ、わかん、なくてっ……!」
身体をぐらりと倒れ込ませても。彼は優しく抱き留めて、慈しみの籠った手で頭を撫でてくれる。普段とは似つかわしくなく、しわの残っているシャツ。みるみるうちに、もっとしわくちゃになっていく。
暖かくて、ゆったりとした心音すら聞こえそうな胸の中。アタシが落ち着きを取り戻すまで、ずっと背中をさすってくれた。 - 10二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:40:46
「……ごめん。来ないでって言ったり、服、ぐちゃぐちゃにしたりして」
しばらく身体を委ねていたけど、いまの体勢を思い出すと、だんだんと平常運転に戻ってきた。目元を拭い顔を見上げる。うん。ちゃんと、トレーナーだ。
「別に気にしてないから平気だよ。しかし……どうなってるんだこれは」
彼はリモコンを操作しテレビを点けて、チャンネルをいくらか回す。アナウンサーも、時代劇の役者さんも、皆トレーナーの姿をしている。そして、誰もそれがおかしいものと認識せず、何の問題もないように振る舞っている。
「俺、変なことやったっけかな……」
ニュースを見ても、映像にも写真にもトレーナーの姿がある。スポーツ選手とか、政治家までが同じ顔をしていて、いまとなれば少し面白くも見えた。あと、どんな服装をしていても、まあまあ似合ってて格好いい。
「昼寝から起きてスマホを開いたらさ、毎朝鏡で見る顔がそこかしこに出てきてびっくりしたよ」
彼はしみじみと画面を見ている。アタシも改めて窓からグラウンドを確認してみた。生徒や女性トレーナーに変わった様子はない。トレーナー姿の“誰か”と、仲良さげに話している人も見える。
「慌てて外に出たら走ってるウマ娘を見つけて、ドーベルだって気づいてここに来たんだ」
一目見ただけでわかるなんて、って言おうとしたけど、普段から目ざといところがあるから当たり前なんだろう。それに、アタシだって彼のことは目に入ればすぐ見つけられるし。
「元に戻ってくれないと誰が誰だか全くわからなくて、ろくに生活もできないなあ」
彼はうんうん唸っている。アタシも困っちゃうよ、こんな世界。まるで、なんでもない日常のうち、男の人だけが全員トレーナーの姿になったみたいな―― - 11二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:41:34
「――え」
どくん。変な汗が背筋を伝う。
「どうかした?」
「えっ、いや、そんな……」
まさか、ありえない。こんな怪奇現象じみたことなんて。でも、そんなことは実際に起きていて。
「ドーベル?」
彼は心配そうに覗き込んでくる。でも、得られる情報を総合すれば。他の原因に心当たりもなくて。
「……これ、アタシのせいかも……」
わずかに俯いて、悪事を白状するみたいな言い方になっていた。実際には何も悪いことはしていないのに。……いや、悪いことかもしれないけど。
「ドーベルのせい?」
「……あのさ、今日インタビューがあるって伝えてたよね。……だけど、男の人が相手で、緊張して上手くできなくて」
「……うん」
「……帰りに三女神様の前で『世界中の男の人がトレーナーだったらよかったのに』って、言っちゃった……!」
彼は目をぱちくりさせる。ありえないけど、どう考えてもこれしか思い当たる節はなかった。三女神様の像にはいろいろな噂話がある。伝説みたいなものから、荒唐無稽なものまで。願いが実現した例として、毎日お祈りしていると、ある日突然これまでより速く走れるようになったというのは、よく聞く話。 - 12二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:42:10
「それが原因でこんなことになるかなあ」
「でも、撮影からトレーナーが増えるまでの間で何かって考えたら……!」
アタシだって、本当は信じたくない。速く走れるようになるのだって、その人のトレーニングが実を結んだだけだと思っていた。彼は天を仰いで考え込んでいるみたいだったけど、改めて視線をこちらに向けると。
「……ドーベルがそう思うんだったらそうかもしれない!」
やけに自信満々な顔を見せた。
「……そんな理由で鵜呑みにしていいの?」
「まあ実際、何か手がかりがあるかもしれないし」
彼は襟を整え直して、すっと立ち上がり。
「早速三女神像に行ってみよう。あ、その前に顔洗っておこうか」
そう言って、アタシに手を差し伸べてくる。こういう気配りができるのも、トレーナーだから。いつもはその手を取ることはなかったけど。
「……ん」
アタシより一回り大きな手のひら。彼を絶対に見失ってしまわないように、確かにその手を握りしめた。 - 13二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:43:04
夕暮れが照らす一帯は、ほのかにオレンジに色づいている。繋がった二人の影が、長く地面に伸びている。三女神様の石像は、一人で見たときとは風合いが異なっている。光の当たり方が変わったからか、同じ像なのに表情が違っているみたいに見えた。
「何かおかしなところとかあった?」
像と泉の周りを探っても、何も違和感を覚えるようなものはない。綺麗に清掃された水場と、手入れの行き届いている植栽。ちらほら見える人影には、トレーナーに似た“誰か”も混じっている。
「ううん。毎日見る三女神様と変わらない」
泉が夕陽にきらめいて、神々しさを引き立てている。まるで、目の前に神様が降臨したかのようにも見える。
「ドーベルの言葉が原因だとしたら、今度は『元に戻してください!』ってお願いしてみる?」
「……そんなので解決するのかな」
「三女神様がこんな状況にしたのなら、本人なら戻せるかもしれないし」
お願いを何度も聞いてくれるほど、三女神様は親切なのだろうか。でも、アタシの思いつきでここに来たんだから、今度は彼のアイデアを採ってみようと思う。
隣を見て頷いてから、像に向き直る。目を瞑って、お祈りするときのように。
「……三女神様、お願いします。元の世界に戻してください」
そのまま、じっと数秒。口にしてはみたけど、何かが変わったのかはわからない。やっぱり違ったのかと、諦めようと思ったところで。
「ドーベル、もっと強く具体的に!」
横から彼の一言。加えて、「熱意が足りない」って、もっと大きな声で試してみるよう勧めてくる。
「じゃあ……三女神様、トレーナーが一人の世界に戻してください!」
「もっと心を込めて!」
腕を揺さぶられて、手を繋いだままだったことを思い出した。見ている人も居るかもしれないのに、と手をほどこうとしたけど、やっとのことで見つけた本人なんだから離したくない。離れたい、でも離れたくない。考えが行ったり来たりしている間にも、彼はアタシをおだててくる。 - 14二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:44:18
「ドーベルならできる!!」
「え、え? えっと、トレーナーはここに居るから増やさなくて大丈夫です!」
「もう一声!」
こんなところで熱血さを発揮しないでほしい。握った手に力が入る。汗とか出ていないか心配になった。すると、彼もぎゅっと手を握り返してくれて。
「三女神様にドーベルの本心を伝えて!」
アタシの本心。言ったところで意味があるのか疑問もあるけど、ここまで来たら。
「――アタシをわかってくれるトレーナーは! 世界に一人だけで十分なの!!」
言えるだけのありったけ。大きく息を吸いなおして。
「アタシが信じるトレーナーも一人だけ! 苦手なことも一緒に頑張れるから一人だけ居ればいいの!!」
しん、と辺りは静かになって。不安になって目を開ける。正面の三女神像に変化はない。近くに居た生徒たちは、大声を出したアタシを見ている。注目を集めてしまったけど、今はそれどころじゃない。後ろを振り返ると、ジャージを着た生徒が走っている。さらに遠くに目を凝らすと――見たことのある男性教員の姿が。
「ねえ! トレーナー!!」
やった、元に戻った! と手を引いて彼の方を向く。
「おお! 本当に元に戻った!」
グラウンドまで様子を見に行くと、男性トレーナーはもう彼の姿かたちをしていない。スマホを開けば連絡先も元通りだし、ニュースの写真もトレーナーだらけじゃない。昨日までと同じ、アタシが知っている世界とトレセン学園。 - 15二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:45:07
「よかったぁ……」
「いやー、本当にこれで解決するとは」
「……じゃあ、適当言ってたってこと?」
「ドーベルが言ったことだし、それでなんとかなる予感もあったよ」
アタシが言ったから乗ろうなんて、やっぱり変だよ。でも、それは彼の判断にそれだけアタシが存在してるってこと。なんだかちょっと嬉しいような気がして、頬がにやけてしまう。彼も同じようにニヤニヤしていて。……どうして?
「な、何よ。何が面白いわけ?」
「ドーベルも大胆なこと言うなって」
「大胆なこと?」
そんな変なこと言った覚え――
「まず、インタビューの帰りに『世界中の男の人がトレーナーだったら』なんて言ったんでしょ?」
――しまった。気が動転するあまり本人に言っちゃったんだ。
「それに、さっき三女神像には『トレーナーはここにいる一人だけで十分だから他は要らない!』って」
「そんなこと言ってない!」
「そうかなあ? 本心だから三女神様が元に戻してくれたんじゃないのかな~?」
「じ、じゃあ全部忘れて!!」
ずっと握っていた手を離す。顔が熱くて、彼のことを見ていられない。ああもう、どうしてトレーナーってこうなんだろう。 - 16二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:46:03
「……でもさ」
たまに意地悪してくるのも、彼らしくて。
「アタシのトレーナーはアンタしかいないっていうのは、本当だから」
ちらりと表情を窺うと。
「俺にとっての一番もドーベルだからね」
いつもの、アタシのトレーナー。平気でもじもじするような台詞を言うんだから。
しっぽが大きく揺れる。気づかれてないといいけど、彼のことだから多分見逃していない。だって、こうして優しい笑顔を見せてくれるんだもの。
「さ、疲れたしどこかにご飯でも食べに行こうか」
歩き出す彼の隣に、何も言わずに寄り添って。これだけでもちゃんと汲んでくれるから、トレーナーはアンタしかいないって思う。
たったひとり、アタシのトレーナー。これからもずっと、傍にいてほしいな。 - 17二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:55:12
みたいな話が読みたいので書きました(リスペクト)
- 18二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:55:26
いつも思うんだけど本当に発表する場所があにまんみたいな掲示板で良いのか心配してしてしまうほどにすごい熱量だ…
- 19二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:56:32
良かった…
- 20二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 20:56:45
女トレ版を所望
- 21二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 21:00:09
前作
13センチメートルの架け橋|あにまん掲示板「ねえトレーナー! ポッキーゲームというものをしてみましょう!」 昼休みも終わりかけた頃。トレーナー室の扉が勢いよく開けられるとともに、ファインは弾む声色で捲し立てた。「あー……ファイン、こんにちは」…bbs.animanch.comネタ元はわかるだろうけどホーム画面のボイスです
当初はもっと怖い話にする予定で、オチも“トレーナーが三女神像の前で『ウマ娘が全員ドーベルだったら』と冗談を言ってしまう”という後味微妙な構想だったんですね
それがラブコメの血が騒いだ結果、起承転結にさらに転結を加えたような一万字越えのこんなものが出来上がりました ここに上げてないもの含めて過去最長 なんで?
- 22二次元好きの匿名さん22/12/04(日) 21:44:49
良いもの見れた
- 23◆y6O8WzjYAE22/12/04(日) 23:33:22
ドーベルで書いたら最後の一文書かなきゃいけない縛りでもあるんですかね?(困惑)
世にも奇妙な物語みたいで良いお話でした。
私にはそこまでドーベルに酷いこと出来ないので……。