【SS】むつの花

  • 1二次元好きの匿名さん22/12/08(木) 20:27:45

     その是非について、エアグルーヴは語る言葉を持たない。
     もともと、冬花壇は寂しいものだった。園芸品種の改良が進められ、寒空の下は彩られることとなる。現代の冬花壇は、本来ならば季節はずれの花が咲いていることも珍しくない。
     風情がないとする向きもあろうが、美しいもの、優れたものをより長く楽しもうとする姿勢は、有情としてごく自然である。そもそも植物は放埒にして奔放、ちょっと人の手に余るところがあり、前年は四季に従ったかと思えば、翌年は平気な顔をして逆らっていることも少なくない。変種の発見には事欠かず、ころころと姿を変えること甚だしい。だから固定された形を思い浮かべるのではなく、そのときどきの草花との出会いを大切にするのがよいのかもしれない。
    「見て、エアグルーヴ。パンジーがかわいらしく咲いてるわ。赤と、黄色と……ふふっ。なんだか見ていて暖かいわね」
     傍らに立っていたスズカは、そう声をかけてきたかと思うと、返事を待たずしゃがみこんで、花壇に手を伸ばした。
    「無邪気なものだ」ため息まじりにエアグルーヴは呟く。素直に心奪われているスズカを見ると、つい頬が綻んだ。
    「えっ?」とスズカが振り向いて、エアグルーヴを仰ぐ。「何か言った?」
    「なんでもないさ。……丁寧に手入れされているな。この時期、花弁を萎れさせずに咲かせるのは難しい」
     本来、パンジーは春を代表する花である。耐寒性の高い株の厳選と、暖冬の影響もあって、今ではこうして冷たい空気の中でも見る者の目を楽しませている。群がって花開く様子は、身を寄せ合うようでもあり、そよそよと揺れているところを見ると、やはり少し寒いのかもしれない。

  • 2二次元好きの匿名さん22/12/08(木) 20:28:25

     二人は緑地公園を抜ける。
     特に用事があるわけではない。ぶらぶらと歩いていた。
     スズカは伝統的なブラックウォッチ柄のフランネルシャツを着ており、これはなかなか年季の入った古着である。つくりが大きく、非常に厚手で、ちょっとしたジャケットのような頼もしさがあった。タイトなベージュのジーンズを合わせており、レトロなランニングシューズを履いている。三つ編みにされた長い髪は、二本目の尻尾が生えたようにも映った。活動的で、男性的な雰囲気をまとう。
     ひるがえって、エアグルーヴはスカートを穿いている。柔らかな曲線が足首まで描かれる、白のフレアスカートだった。ゆったりとしたボルドーのセーターを合わせ、髪を小さく結っている。女性的というより、やや少女然とした佇まいだった。実際少女だが。足もとは黒いブーツを選び、全体の印象を引き締めている。
     つい先日、互いに見立てた装いだった。今日はこれを着て外出しようかというのが、強いて言うなら二人の目的となる。どちらからでもなく提案し、近所を散策することに決まった。
     ケヤキ並木は、イルミネーションに飾られている。商店はクリスマス向けの広告を打ち出していた。道行く人の多くはコートをまとい、本格的な冬の訪れを感じさせる。
    「ケヤキの花が咲くまで、まだまだ時間がかかりそうだな」
     エアグルーヴが言うと、
    「ケヤキの花って……そういえば、どんなのだったかしら?」
     スズカは首を傾げた。
    「地味な花だからな。花弁もない。ぴんと来なくても無理はないだろう」
    「もしかしたら、ちゃんと見たことがないかも」
    「四月頃に咲く。冬が明けたら、観察してみるといい」
    「そうするわ。いっしょに見にいきましょうね」

  • 3二次元好きの匿名さん22/12/08(木) 20:29:06

     商店街を歩いていると、花屋が目に入った。
     エアグルーヴはつい立ち止まり、スズカも続いた。冬だから品切れを起こすというようなことはなく、店先は色とりどりの花で飾られている。
     客の出入りと従業員の仕事の邪魔にならないよう、注意しながら二人は店の前に立った。
    「あれは?」
     目を惹くものがあったらしく、スズカの声は少し上ずっている。彼女の人差し指の先には、背の高い鉢植えが並んでいた。
    「ああ」とエアグルーヴは感心する。「カンランだな」
    「かんらん」
    「東洋ランの一種だ」
    「ラン?」スズカは首を傾げた。「あれもランなの?」
    「西洋ランとは、ずいぶん趣が異なるだろう」
     エアグルーヴが答えると、スズカは鉢植えに寄っていく。
     その反応も無理からぬことで、鉢仕立てに咲くカンランは、いわゆるランのイメージとは離れている。派手さはなく、目立つ花弁は三枚のみで、これらが風車の羽根のように細く伸びる。中心にも花弁があるのだが、きわめて控えめに丸まっていた。
     色変わり種は多いが、そのどれもが淡く渋い。むしろまっすぐに伸びた一本の茎と、鋭く生える葉を賞じるものであったらしい。
    「華やかさは物足りないかもしれんが、少し荒っぽい花つきにこそ魅力がある」
     ドレスをまとった貴婦人に対する、着物をたすき掛けにした女傑といったところか。野性味があり、原種の力強さを残している。寒の時期に咲くので寒蘭といい、数こそ少ないが冬に咲く花もまたある。

  • 4二次元好きの匿名さん22/12/08(木) 20:29:49

     商店街を離れ、住宅地に差し掛かる。
     生け垣や庭木が目についた。ちらり、ちらりと目を遣ったところ、こだわりを持って整える家もあれば、植物の生命力に任せているような家もあり、ひとつとして同じ庭はない。
    「エアグルーヴと歩いていると、退屈しないわね」スズカが言った。「花にとっても詳しいから。見たことがない花はもちろん、見覚えがあるけど名前を知らない花でも……いつもいろいろ教えてくれる」
     素直な賛辞はくすぐったいものがあり、ついつい反発してしまいがちになるエアグルーヴだが、今日はそうでもない。いつもより鷹揚になっている自分を感じた。
     気持ちをおおらかにさせるものはなんだろうか──そう考え、やはり花に思い当たる。あるいは、屈託なく花を愛でる友人の姿に、毒気を抜かれてしまっていた。そしてもしかすると、このふたつはエアグルーヴの中で重なり、分かちがたいものとなっている。
     笑顔と花は、実によく似ている。
     住宅地も中心部から遠ざかると、古い家屋が並んだ。そのうちの一軒は、低い塀の上から、赤い蕾をつけた枝を覗かせている。一本の枝に鈴のような小さな蕾がいくつも並ぶ様は、楽器のスレイベルを思わせるものがあった。
    「これは?」スズカが訊ねる。
    「アセビだな」エアグルーヴは答えた。
     退屈しないと言われたとなると、豆知識のひとつでも披露すべきか。エアグルーヴはそう考え、
    「アセビの花は変わり者でな。早いものでは春に蕾をつけるのに、咲くのは冬になってからだ」
     と続けた。
    「せっかちなのかしら」とスズカは言う。「むしろのんびり屋なのかも」
    「どう書くか知っているか?」
    「漢字で? 知らないわね」
    「あとで調べてみろ。私たちにも少し関係がある。……ああ、間違っても食べるなよ」

  • 5二次元好きの匿名さん22/12/08(木) 20:30:37

     そろそろ引き返そうかと提案したのは、やはりどちらからでもない。
     来た道をそのまま遡っても、見える景色は違っていた。午の前後を跨いでみれば、影の向きも変わる。花の表情もまた同じことで、光がどう当たるかによって、その咲きぶりは異なって見えた。飽きることがない。
     ふたたび公園に足を運び、温かい飲み物を持って、ふたりはベンチに腰掛けている。
    「ところで、朝は何を考えていたの?」
     ぽつりとスズカが口を開いた。
    「朝?」とエアグルーヴは傍らの友人を振り向く。「なんのことだ?」
    「ほら、あれ」
     スズカが指し示したのは、手入れの行き届いた花壇である。
    「……ああ」エアグルーヴは午前中のやり取りを思い返した。「昔の冬花壇は、もっと寂しいものであったらしい」
    「寂しいって……咲く花がなかった、とか?」
    「そうだ。少なくとも、今ほど豊富ではなかったと聞く。その是非について考えていたんだ」
    「一年中花を楽しめるのは、いいことじゃないかしら?」
    「しかし、四季折々の景観というものがある。お前にもわかるはずだ。毎日同じ時間に走っていても、季節ごとに見える景色は変わるだろう」
    「……そうね。確かに、冬には冬の景色があるわ。冷たくて澄み切った空気が、火照った体に気持ちいいの」
    「それと同じだ。たとえば──」
     今度はエアグルーヴが指を差した。スズカがそこへ視線を送るのがわかる。夏に比べれば弱々しいが、それでも日差しが強くなる午後、太陽の光を浴びる一本の古木は、朝とはまた異なった表情でふたりの前に立っている。
    「──的歴と咲く梅の花などは、寒空の下だからこそ、凛として美しいのかもしれんな」
     もし熱波の中に咲く梅があったとして、悪いというわけではない。ただ、ウマ娘に脚質とバ場の適性があるように、花にもまた、最も魅力的に咲き誇る季節がある。

  • 6二次元好きの匿名さん22/12/08(木) 20:30:58

     日が傾きはじめ、気温はぐんと落ち込んでいった。
     空には灰色の雲が薄く漂っている。吐く息は白く、
    「次にこの服を着るときは、もう一枚上着が必要ね」
     というスズカの言葉があり、エアグルーヴはまったくだと頷く。
     日を追うごとに、寒さは厳しくなっていった。もうじき、本格的な冬が訪れる。今このときに吹く凍える風などは、それを先取りしているようで──ぶるり、とエアグルーヴは体を震わせた。
    「冷えるな」
     スズカもまた、同じ気持ちであったらしい。即座に首を縦に振り、ふたりの思惑は一致した。やや急ぎ足で寮へと戻る。
    (何を以て正解とするのか)ふと、エアグルーヴはそう考えた。(その判断は、慎重に下されなければならない)
     方向を転換することで、結果を残すウマ娘がいる。
     自らの性質と素質が噛み合っていたから、ひたすら邁進するウマ娘がいる。
    (──セオリーに逆らって、咲き誇る花もある)
     エアグルーヴは隣を歩くスズカを見た。視線に気付き、スズカはエアグルーヴに笑いかける。裏がなく、ひたすらにまっすぐな表情だった。
    「よかったな」
    「……何が?」
    「なんでもない」
     トレーナーという助けを借り、多くのウマ娘が本来あるべき走り方に背いて、それでもなお人びとを魅了する友人を傍らに──いったい、どうして季節はずれの花を否定できるだろうか。エアグルーヴは、やはり語る言葉を持たなかった。
    「……あっ!」
     普段は囁くようなスズカの声が、澄んだ空気の中に、はっきりと響き渡る。何事かとエアグルーヴは彼女の視線を追った。細い顎を上向きに、はるかな空を見上げてみせる彼女に倣うと、冷たいものが頬に触れた。
    「雪」
     自然と足を止めている。灰色の空からちらちらと舞うのは、知らない者のない冬の花だった。
     寂しいはずの冬花壇を、季節はずれの花が彩る。そこに振りかかるむつの花を見て、エアグルーヴは今という時代の景色を胸に深く刻み込んだ。
    「どんな花も、負けず劣らず美しい」
     そこに重ねているのは、スズカに限らず、思い思いに咲き乱れる学友たちである。

  • 7二次元好きの匿名さん22/12/08(木) 20:33:39
  • 8二次元好きの匿名さん22/12/08(木) 20:49:18

    会話が花ですごく豊かになる……小さい時はあまり興味なかったけど、知らないのは勿体なかったですね
    「六花(むつのはな)」とも呼ばれる雪、話の締め括りにピッタリです
    とても良いお話でした

  • 9二次元好きの匿名さん22/12/08(木) 21:18:55

    >>8

    花はいいですよね

    子どもの頃は何もかもが新鮮で、目につくものがすべてだったからこそ、大人になって改めて見据えるものに、不思議と魅力を感じます

    馬もそうでした


    読んでくださってありがとうございました

  • 10二次元好きの匿名さん22/12/08(木) 21:42:52

    いい…しみじみとしてそれでいて二人の関係があったけぇ…

オススメ

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