- 1二次元好きの匿名さん22/12/17(土) 11:56:46
- 2二次元好きの匿名さん22/12/17(土) 11:56:57
トレーナー室に入って左手奥、カーテンが引かれた大窓の下に、楽園は存在する。
ファブリック生地の大きなソファは3way仕様で、リクライニング次第でベッドにもなる優れもの。カラーバリエーションは豊富だったにも関わらず選ばれたのはターコイズブルーで、もっと別の色があっただろうとぼやいた私に、担当トレーナーはきょとんとした表情を浮かべ、首をかしげて見せた。
『君が重賞を勝ってくれたおかげで購入できた備品なんだから、ナカヤマの勝負服の色がいいなと思ったんだ』
メイクデビューで注目のウマ娘を問うた際も疑うことなく『ナカヤマフェスタかな』などと宣うてきたトレーナーだ。担当ウマ娘を愚直に信じる姿勢は今に始まったことではない。あまりにも担当ウマ娘バ鹿すぎねぇか? などと思うこともあるけれど。
その日も窓際の楽園には、身を切るような寒さを感じさせない、あたたかな日差しが降り注いでいた。
昼休みを告げるチャイムが鳴ってから十五分ほどは経っているだろう。生徒や教員同様、学園に在籍するトレーナーもまた単位時間で動くことが多い。そのため、スケジュールさえ把握していれば互いの動きは推察しやすい。
──とは言え、だ。
「……いくらなんでも不用心すぎやしないかね?」
在不在、会議中などの根拠となるサインプレートは在室を示していた。施錠もされていないのなら、このトレーナー室は学内に向けて開かれている。もともと外出の予定も外部ミーティングの予定も聞いていなかった。そのため、トレーナー室に鍵がかかっているとはそもそも思ってはいない。
勝手知ったる導線で扉を開け、するりと室内に滑り込んだ私の視界の端に見えたのは、くだんのソファのリクライニングを倒しきり横たわるトレーナーの姿だ。
無意識に踵を鳴らさないよう歩を進めてしまったことに思い至れば、生み出す自嘲めいた嘆息は意識的なものになる。そこそこ整理整頓されたミーティングテーブルを通り過ぎ、資料やらタブレットやらコンビニの袋やらが散らばったままの執務机を迂回してたどり着いた楽園で、私のトレーナーは安らかな寝息を立てて、なんとも無防備な寝顔を晒していた。 - 3二次元好きの匿名さん22/12/17(土) 11:57:26
トレーナーという生き物は、往々にして自己犠牲精神で形作られている。
平日だろうと休日だろうと関係はない。プライベートも睡眠時間も削り倒し、担当ウマ娘の勝利への道筋を整える。
暇人か? いつかの問いかけに対するトレーナーの返事はこうだ。
『仕事であっても仕事でなくても、そうしたいから、そうしてるだけだよ』
ワーカーホリックであることは否定してくるから、私のトレーナーというヤツはたちが悪い。もっとも周囲の状況を聞いてみれば、どこもどっこいどっこいらしいがね。
スニーキングが功を奏して、眼下、自らの肘を枕とし寝こけるトレーナーに目覚めの気配はない。子どもか何かか? と問い質したくなるくらい無警戒な寝顔ではあるものの、陽の差す目元にはうっすらと隈が落ちている。執務机に投げ出されたままのコンビニ袋は昼食の名残りだろう。ウマ娘がそうであるように、ヒトも満腹になれば眠たくなるものだ。
とくに、程よく暖房が効き、太陽のぬくもりを享受できるこの場所で、寝落ちない方がおかしいというもの。
「おい、トレーナー」
背を丸めて膝を折り、目線を合わせて問いかける。もっともその瞳は閉じられているから、視線がかち合うことはない。
手を伸ばせば、髪にも、額にも、瞼にも、鼻先にも、頬にも簡単に触れられる距離感だ。
もちろん、──唇にも。 - 4二次元好きの匿名さん22/12/17(土) 11:57:50
「起きろー」
空調の稼働音だけが満ちる室内で、張り上げることのない声は当然、痕を残すことなくかき消える。掠れたささやきは眠るトレーナーの意識を揺らすことはない。
起きろ。起きろ。さっさと起きやがれ。
どく、どく、どく、と──先程までは静まり返っていた心臓が、薄い胸の下で主張をはじめる。ギリギリを攻める遊戯とも、すべてを擲つレースとも違う心臓のヒリつき方は、ここ最近覚えたものだ。
それが何であるのか自覚ができない程、私は鈍くはないけれど。
「──じゃないと」
どうなっても知らねぇぞ?
タイルの床に片膝をつく。床暖房は設置されていないから、つんとした冷たさが膝を起点に頭のてっぺんまで走り抜けた。身震いに唇が歪む。ソファに手を付き身を乗り出すと、かすかにスプリングが軋んだ音を立てたものの、それすら眼下のトレーナーの眠りを妨げる要因にはなり得ない。
いい加減起きてくれ。
言葉に『しない』願いは、喉の奥で、静かに、熱く渦巻くだけだ。 - 5二次元好きの匿名さん22/12/17(土) 11:58:22
***
「──ッ……!!」
声なき声、および、声にならない悲鳴を耳にするのは、経験上よくあることだった。遊戯盤の向こう、勝負師としての分別がある者ほど敗北の瞬間に取り乱すことはない。見苦しく騒ぎ立てることなく、息を呑み、静かに現実を受け入れる。
もっとも、私の耳のすぐそばで上がった声なき声は、勝負師の分別とはまた違う、すさまじい動揺を孕んだものだ。かたむけた額の向こう、トレーナーの心臓の鼓動が激動している。
──どうかと思うくらい容易く、私はトレーナーの懐に潜り込めていた。これがただのソファなら二人が横たわる面積は存在しない。しかし、リクライニングでベッドにもなるソファならどうか。
……結果はご覧の通り。脚を絡めるまでは自重したが、ぴったりと寄り添って眼を瞑る。心音は気を落ち着かせるという俗説の通り、二つの鼓動のリズムが溶け合うのに、そう時間はかからない。
優しい日差しの下、そんな状態で、おそらく10分弱。分かち合い生み出さる温かさに瞼が重くなりだした頃──何をしても目覚めなかったトレーナーが、覚醒した。力なくソファベッドに預けられていた全身が針金を通したかのように硬直し──悲鳴めいた声を上げるのを既のところで留めたらしいその事実に、私の唇は知らず笑みを描く。
それでも担当ウマ娘を寝かせたままではいられないと判断したのだろう。次いで聞こえてきたのは、なんともささやかでひそやかなものだった。 - 6二次元好きの匿名さん22/12/17(土) 11:58:50
「ナカヤマ、……ナカヤマ、起きて」
起こす気あんのか? トレーナーが体を起こせばソファベッドはそれなりに軋むだろうし、耳元で声を張れば一発だ。担当と担当ウマ娘という立場を一切考慮しない『悪いウマ娘』を叩き起こすのは、酷く容易く至極簡単。
では何故そうしないのか? そこに下心が一切無いことを私は知っている。
何せこのトレーナーは、弩級の担当バ鹿だから。……あァ、いっそ腹立たしいくらいにな。
「おーい、ナカヤマ? 起きて……」
ほとほと途方に暮れたとばかりの懇願に、私は耳を貸すことはない。あと少し、もう少し。せめて昼の終わりを告げる予鈴が鳴るまでは、テリトリーで一番温かな場所を陣取る気まぐれな猫を演じさせてくれやしないか?
あと少し。もう少し。
その手が体を揺らすまで。 - 7二次元好きの匿名さん22/12/17(土) 11:59:45
おしまい。
ナカヤマはウマだけど野良猫。
心地のいい場所を知っているといいな。 - 8二次元好きの匿名さん22/12/17(土) 12:05:05
言葉にしない願いを行動に移しちゃう悪い野良猫ナカヤマかわいい。
良いSSでした…… - 9二次元好きの匿名さん22/12/17(土) 12:12:38
- 10二次元好きの匿名さん22/12/17(土) 12:15:51
大事なことを言い忘れていた
【SS】ヤキモチ焼いた|あにまん掲示板トレーナー(性別不問お好きなように)と、ヤキモチを焼くナカヤマのお話。bbs.animanch.comこの時の追加SSを甘くできなかったことに対するリベンジです
当時期待してくれた方がまた目を通してくれるかはわからないけど、期待に応えられているといいな
- 11二次元好きの匿名さん22/12/17(土) 12:16:40
ナカヤマフェスタの育成シナリオを読み切った自分にタイムリーなSSだ
ナカヤマフェスタはトレーナーをもう逃がす気はないからな - 12二次元好きの匿名さん22/12/17(土) 12:28:12
いいですねえ
- 13二次元好きの匿名さん22/12/17(土) 14:52:37
- 14二次元好きの匿名さん22/12/17(土) 14:52:55