- 1初めてのスレ立て22/12/20(火) 06:33:51
──ふぅ。
今日も一仕事終えて、息をつく。
缶ビールの蓋を開け、寝る前の晩酌を楽しむ。
──しかし、今日の相手は大変だったなぁ。
URAのお偉いさんへの取材。
ちょっと気難しい人らしく、一度へそを曲げると、次からは門前払いになるらしい。
幸い自分は気に入られたのか、大過なく仕事を終えることができた。
「そうか、君はあの子の世代か」
嬉しそうに、懐かしむように、そう語るあの表情。
そこで出た名前は、かつてともにターフを駆けた、遥か高みを駆けたウマ娘の名前。
どうやら件の人にとって、その子は思い出のヒーローらしかった。
「はぁ、またあの子の名前を聞くなんてね…。ま、ダービーウマ娘なんだから当然か」
そう言って、窓際に飾ったものを見やる。
それは、私が現役時代に使っていた蹄鉄。
擦り切れて、ボロボロで、古ぼけた、もはやゴミとも言うべきもの。
それでもそれは、かつて私が、あのターフの上を駆けた証。
あの頃、自分は大人になった気がしていた。
なんでもできる気がしていた。
目の前の道はどこまでも続いていて、そこを駆けていけるのだと思っていた。
その道の先は光輝いていて、いつしかそこに手が届くと、信じて疑わなかった。 - 2初めてのスレ立ては緊張するなぁ22/12/20(火) 06:34:09
◇◇◇◇◇
その日、そのレースは私にとっても特別なレースになった。
日本ダービー。
勝者は歴史に蹄跡を残す特別なレース。
そのレースを衝撃と共に駆け抜けた、一人のウマ娘。
前評判通りのその走りは、偶然そのレースを見た私の脳と心に焼き付いた。
そのウマ娘の走りは、私だけではなく、見に来たすべての人々を熱狂させていた。
周囲の人々のざわめきはまるでお祭りのようで、レースが終わった後も、ほとんどの人がレース場を離れがたく思っているようだった。
帰り道、みんな口々にその子の走りを口にする。その顔には笑顔が浮かんでいた。
例にもれず私もとても興奮していた。
「私もあんな風になれるかな?」
「頑張ればきっとなれるよ」
「うん!私頑張る!」
無邪気な私は、自分もあんな風になるのだと、あんな風に、飛ぶように駆けてみせるのだと、その時は無邪気に信じていた。
その日見た星空はどこまでも輝いていたのだ。
◇◇◇◇◇ - 3緊張すると、目が乾くなぁ22/12/20(火) 06:34:40
窓際に飾った蹄鉄を指ではじく。
──これは未練なのだろうか?
傍から見れば、そう見えるのかもしれない。実際に、友人にもそう言われた。
でも、自分は少し、違うと思う。
これは証。
私が走った、走り切った証。
自分を信じて、裏切られて、それでも諦めずに、信じ抜いた証なのだ。
それは、大人になっても、自分を勇気づけてくれる。
それ自身は、何も言わない、ただそこにあるだけのもの。
でも、それでも、擦り切れたそれは、ボロボロになったそれは、私の努力を何よりも雄弁に語ってくれる。
何かに失敗した時、それを見ればまた頑張る気になれた。
何かを後悔した時、それを見れば私は前を向けた。
何かを失ったとき、それでも自分にあるものを大切にできた。
私の心を癒してくれる、鈍色の塊。
既に輝きを失ったそれこそが、擦り切れそうな私の心を、あの頃のターフの上に、風に吹かれたあの頃に戻してくれるのだった。 - 4ゆるるん22/12/20(火) 06:35:01
◇◇◇◇◇
「どうした!もう限界かっ!?」
「まだ…やれます…っ!」
「そうだ!ライバルたちのタイムまでもう少しだ!ここで頑張れるかどうかだぞ!」
「…はいっ!!」
一緒に頑張った。
トレーナーさんの組んでくれるメニューは厳しかったが、それでも頑張れた。
・・・
「よしっ!ベストタイム更新だ!」
「…~~~ぃゃっったぁあ!!」
「よく頑張ったな。このタイムなら勝ちにいけるぞ。作戦も考えてる」
「まだまだ!本番までもう少しありますよね?なら、もっと追い込んで…」
「いや、ここからは疲れを取るのを優先する。追い込んで、追い込んで、その状態で、ここまでタイムを縮めれた。なら、疲れを取った状態でその走りができれば…」
「…あっ!!」
「わかったか。これから『仕上げていく』ぞ」
「はい!!」
いつだって勝利を信じて疑わなかった。
・・・ - 5ゆるるるん22/12/20(火) 06:35:19
『1着は──!その差は3バ身!圧勝です!』
後にダービーウマ娘となるその子との初対決は、G1に挑む前の重賞レース。
私は、その子の輝かしい才能を前に惨敗した。
「……うぐっ…ひっく…」
「…すまない」
「な…んで…とれ、なーさんがっ…あやまるんですかっ…」
「君なら勝てると思ってたからだ」
「じゃあっ…わたしが…ダメ、ってことじゃ…」
「違う!君はダメじゃない!…確かに、勝てなかったってことは、足りないことがあったってことだ。そして、それに気づけなかったのは、俺の責任だ!」
「違いっ、ます…!…だって、…トレーナーさん…練習メニュー…すごくて…私、いつも…きつかったけど…勝つって…勝ちたいってっ…。だ、から…頑張れて…」
「…」
「だから…私…それを証明するために…勝ちたいって…」
「…っ!!」
そう言って、二人で泣き明かして、再起を誓った。
結局、その子と対決できたのは、その一度きりだったのだが。
・・・ - 6ゆるるるるん22/12/20(火) 06:35:38
「はっ…はっ…はっ…」
息が乱れる。
最後の直線、足が止まりたいと叫んでるみたい。
(心臓が破れそうだ。でも、きついのは他の子だって同じはず。…それに、私はまだ頑張れる。だって、これまで、このために頑張ってきたんだっ!!!)
トレーナーさんと取り組んだ練習メニューを思い出す。
いつだってきつかった。吐いた時もあった。
──でも、それでも!どんなトレーニングでも!!……負けた時ほど辛いときなんて、一度だってなかった!!!
「…ふっ!」
一つ息を入れて、最後の力を振り絞る。そして──私はゴール板を駆け抜けた。
『一着はレディオチューンっ!!コツコツと実績を積み重ね、とうとう重賞を初制覇!!』
「……ぜはーっ……ぜはーっ……」
座り込み、必死に行きを整える私に、トレーナーが駆けよってくる。
「…レディオっ…!」
「…はっ…ははっ…ごほっ…ふーっ…トレーナー…酷い顔…」
「だって…お前…」
「ははっ…はっ…ごふっ…ふふふっ…泣きそうな顔して…笑わせないでよ…」
「…お前だって、泣いてるじゃないか…」
「…ははっ…だから…笑ってるんだって…」
初めて重賞に勝ったその日、私は笑いながら泣いていた。
◇◇◇◇◇ - 7ゆるるるるるん22/12/20(火) 06:36:09
「結局、勝てた重賞レースはあれっきりだったなぁ」
今でも忘れられない、私が一番幸せだった時。
思えばあれから、ずいぶん時間がたった。
私は無邪気な子供から大人になり、今こうして故郷を離れて一人生活をしている。
レース関係の雑誌記者として、レース場や関係者のところを駆けまわる日々だ。
時折故郷に帰り、親には顔を見せている。
「早く安心させて欲しい」や「孫の顔が見たい」という親には申し訳ないが、私はもう少しこの生活を続けようと思っている。
結婚したくないわけじゃない。
結婚することで得られるものがたくさんあることなんてわかってる。
子供ができれば、子持ちにしかわからない幸福も苦労もあることなんて、わかってる。
それでも、私の「幸せの形」がなんなのかわからないまま、結婚で人生を決めてしまうのに二の足を踏んでいるのだ。
友人からは、「そんなことだと一生結婚できないよ?」と言われた。
そうかもしれない。
でも、それも自分で選んだ道だ。
そして、自分で選んだ道ならば、納得できると思っている。
あの時のように── - 8ゆるるるるるるん22/12/20(火) 06:37:00
◇◇◇◇◇
「本当…なのか…?」
「…はい」
その日、私はトレーナーさんに告げた。
「…私のピークは、もう…」
「…っ!」
あの日、最後のレースを終えた後、何かが砕ける音がした。
トレーニングでも、力が湧いてこない。
足が前に出ない。
食欲も落ちた。
"それ"は、逃れようのない事実として、私が夢見た道を塞いでしまっていた。
トレーナーさんがどんな顔をしているのかわからなくて、怖くなって、思わず目を向けてしまう。
初めて見る、トレーナーさんの、悲痛な表情に、後悔にもにた感情が私の心を締め付ける。
──あぁ、そんな顔で見ないで。私はもう……あなたと夢を見られない。
でも、これは私の責任だ。だから、私は私の最後を告げる。
「私はもう、レースを走るウマ娘としては、壊れてしまったんです…」
「…ぅぅっ…」
泣かせてしまった…。悪いのは私なのに、弱くて、ピークを過ぎた、走れない私。
「君と…もっと一緒に走っていたかった…」
「私もです…」
その日は、二人とも言葉少なだった。
・・・ - 9ゆるるるるるるるん22/12/20(火) 06:37:52
卒業後、最後にトレーナーさんと会った日、私たちは二人で、東京レース場を見に行った。
最後のレースも終わり、ほとんど人がいなくなったレース場。
かつてダービーを見て、ダービーを夢見て、そして最後まで届かなかった、この場所。
ダービーほどではないがそれなりに盛り上がったそのレース場は、やっぱりお祭りの後のようで。
誰もいなくなったレース場を、暗くなっても眺め続けた。
見上げれば、その星空は昔見上げたときと同じように輝いていて、それでも昔とは違って見えた。
トレーナーさんは何も言わないで、ずっと隣に居てくれた。
「っ……っ……ひっく……」
嗚咽が漏れた私を、トレーナーさんは優しくなでてくれた。
優しくなでてくれるこの人の手が好きだった。
トレーニングでは厳しいけれど、それをやり遂げた時に見せてくれる笑顔が好きだった。
レースで負けた時、一緒に泣いてくれるくらい寄り添ってくれるところが好きだった。
私が重賞に勝った時、くしゃくしゃに泣いちゃう優しさが、大好きだった。
この人と、もっと勝ちたかった。
この人を、ダービートレーナーにしたかった。
いつしか私の夢は、二人の夢になっていたのだ。
でも、私は子供で、この人は大人で。
トレーナーさんは、これからもたくさんのウマ娘を導いていくのだ。
そして、私はもうレースで走れないのだ。
だから、私の初恋も、かつて見た夢も、全部この場所に置いていこう。
・・・ - 10ゆるるるるるるるるん22/12/20(火) 06:38:08
「トレーナーさん、今までありがとうございました」
全ての気持ちを置いてきた私は、すっきりした気分でそう言えた。
「レディオ…。俺の方こそ、ありがとう」
「これからも頑張ってくださいね。私はこっちで就職するつもりなので、その内また会いに来るかもしれません」
「…そうか。レディオも頑張ってくれ。応援してるよ」
「ふふっ…トレーナーさんの応援があれば百人力です!」
「ははは」
二人で笑い合う。よかった。最後はやっぱり笑顔がいい。
「それじゃあ、ありがとうございました。失礼します」
「あぁ、気を付けて。またな」
「はい、また」
そうして私は、思春期の少女から、少し大人になったのだった。
◇◇◇◇◇ - 11ゆるるるるるるるるるん22/12/20(火) 06:39:00
あれから、トレーナーさんも頑張ってるらしい。
何人か重賞に勝った子もいるくらいだ。
それを見ると、嬉しさと寂しさと悔しさと、ない交ぜになった気持ちを覚える。
──結局、私はその器ではなかったのだ。
大人になり、それを理解し、受け入れるまで、何年もかかった。
『重賞に勝てるだけでもすごいんだ』
人々はそう言う。
それが悪意ではなく、良かれと思って言っていることはわかる。
中には1勝もできずに引退する子だっている厳しい世界だから。
それでも頑張ったことは尊いのだと言ってくれる。
ありがたい話だ。
でも、それが何の慰めになるというのか。
私たちは、いつだって1番を目指して走っている──走っていた。
たった一人の勝者になるために、私は走っていたのだ。
なりたかった。あの日見たウマ娘のように。皆に夢を見せるようなウマ娘に。
立ちたかった。あの日見た星空のように、キラキラと輝く舞台の上に。
なりたかった。いくつもの時代を作った、たくさんのウマ娘たち、その一人に。 - 12ゆるるるるるるるるるるん22/12/20(火) 06:40:49
──ふぅ…ちょっと、感傷に浸っちゃったかな…
あの子の名前を聞いたからだろうか。
懐かしさの余り、昔を思い出し過ぎた。
そろそろ眠らなければ、明日の仕事に差し障る。
メイクを落とし、シャワーを浴びて、布団に入る。
明日の仕事は今日の取材の内容をまとめて記事を作る所からか。
締め切りも近いし、あまりのんびりはできないかな・・・。
そんなことを考えていたら、気づけば私は眠っていた。
・・・
夢を見たあの頃から何年もたって、私は大人になり、それは遠い記憶の出来事になった。
どこまでも道を駆けていけると信じていたあの頃に、もう還ることはできない。
今の私には何が本当の幸せかもわからないけれど。
これからも、私はこの世界で生きていくのだ。 - 13チョコラテ・イングレス22/12/20(火) 06:46:07
以上です。
「壊れかけのRadio」聞いてたら書きたくなったので書きました。
ウマ娘に限らず、スポーツの競争の世界って厳しいですよね。
でもだからこそ、例え望むような結果は残せなかったとしても、それでもその時は確かに頑張っていたのであれば、きっと前を向いて頑張っていけるんじゃないかな、頑張っていって欲しいなぁ、と思っています。