- 1二次元好きの匿名さん22/12/22(木) 23:12:35
- 21/622/12/22(木) 23:13:10
先月までのぬるい寒さは嘘のように消え、代わりに身を裂くような寒気が北風とともに到来した。
ましてや夜の寒さはたまったものではなく、町ゆく人は皆速足になっていた。
速足になっているのはキタサンブラックも例外ではない。
学校指定の紺のコートをきっちりと着こみ、吐く息を白くしていた。
時々吹く北風にキタサンは震えながら、彼女はある場所へと向かっている。
しばらく歩いていたキタサンは「湯」と書かれた暖簾のかかった建物の前で止まった。
キタサンはフーと息を吐くと、暖簾をかき分け中に入った。
中に入ると、番台で新聞を読んでいた老婆が顔を上げた。
キタサンの顔を見た女性は破顔して言った。
「あら、キタちゃん。いらっしゃい。よく来たねぇ」
「こんばんわ、女将さん。今年も来ましたよ!」
小銭を番台に置きながら、キタサンが答えた。
「キタちゃんはそんなに柚子湯が好きなのかい?若いのに珍しいねぇ。」
女将がこう言うと、あははーと笑いながらキタサンは返答した。
「昔から毎年は言っていまして。それになんか入らないと風邪をひいちゃいそうで」
「そうかい、ならゆっくりと入っておいで」
はい、と元気よく返事をしたキタサンブラックはそういうと脱衣所へ向かって行った。
キタサンブラックの家では、毎年冬至の前後は柚子湯と決まっている。
キタサンもこの時期には柚子がたっぷりと入ったお湯に沈められたものだ。
こうやって入っていれば風邪なんてひかない、というのが父親の言葉であった。
その甲斐あってか、キタサンブラックは柚子湯が好きである。
むせるような柑橘の香りとお湯にしみだしている柚子の成分が体をこの上なく温めてくれるのだ。
「ダイヤちゃんやスイープさんたちも来れればよかったんだけどなぁ…」
キタサンは荷物入れの前でつぶやいた。
彼女は行く前に友人たちにも声をかけていた。
しかし、サトノダイヤモンドからはトレーニングをしたいと言われ、スイープトウショウからは冬至の夜にしかできない魔法の準備で忙しいと断られてしまった。
ほかの友達にも尋ねてみたが、生憎一緒に来れる人はいなかった。
「寮の浴場に柚子を入れるのはダメらしいけど。今度寮長さんに聞いてみようかな?」
そういうと、キタサンブラックは浴場に行くための準備を始めた。 - 32/622/12/22(木) 23:13:32
──キタサンブラックが番台の女将さんと知り合ったのは2年前のこの時期であった。
その日、キタサンブラックはトレーニングのため、町でランニングをしていた。
ゴールとしていた神社まで走ったキタサンは、その鳥居のわきでうずくまる人影を見つけたのだった。
「あの、大丈夫ですか?」
キタサンはその人のそばに寄った。
どうやらうずくまっているのは老婆のようで、その横には一抱えもあるほどの段ボールが置かれていた。
「おばあさん?大丈夫ですかー?」
その声に顔を上げた老婆──銭湯の女将は弱弱しい笑みを浮かべながら言った。
「ウマ娘さん。心配してくれてありがとう。私はもう少し休めば平気だからね」
しかし、そういった矢先、女将は苦痛に顔をしかめて腰をさすった。
どうやら腰を痛めているようである。
その様子を見たキタサンはたまらず言った。
「あの、もしよければあたしが家まで送りますよ!」
その声に女将は驚いたような顔をして言った。
「気持ちはうれしいけど、そんなことしてもらったら申し訳ないよ」
キタサンは続けて言った。
「大丈夫です!あたしはお助けキタちゃんですから!」
そう言うとキタサンは女将を丁寧に背負い、段ボールを起用に尻尾に乗せると揺らさないようにゆっくりと歩いた。
寒い街で動けなくなり心細かったのだろう、女将は「すまないねぇ…」とキタサンの背の上で何度もつぶやきしまいにはぽろぽろと涙を流していた。
途中何度か女将に道を尋ねながら、この銭湯までたどり着いた。 - 43/622/12/22(木) 23:13:53
銭湯に入ると、キタサンは備え付けのタオルを広げ、そこに女将を横にした。
横になってしばらくして、女将がゆっくりと起き上がるとキタサンの方を見て言った。
「ありがとうね。ウマ娘のお嬢さん。おかげで助かったよ」
いいえいいえ、と少し照れながら言ったキタサンは老婆の持っていた段ボールを見て聞いた。
「ところで女将さん、この荷物は柚子が入っていますか?」
「よくわかったね、キタちゃん。どうして柚子だとわかったんだい?」
「ええと、箱の中から柚子の香りがしたので。もしかして、この柚子は柚子湯用のものですか?」
「おや?よく分かったねぇ」女将が少しびっくりした顔で言うと、キタサンはにっこりと笑った。
「はい!実家ではよくこの時期のお風呂に入れていましたから!」
聞くところによると、毎年この時期に柚子を買っている仕入れ先がなくなってしまい、ようやく別の八百屋から柚子を仕入れたものの、タイミング悪く配達できないと言われたそうだ。
仕方がないので女将さんが自分で運んだものの途中で腰を悪くしてしまい、うずくまっているところにキタサンが通りかかったらしい。
「そうなんですね。でも大事無くてよかったです!」
キタサンブラックは立ち上がり、言った。
「あたしはこれで失礼しますね。女将さんも無理しないでくださいね!」
そう言って出ようとしたとき、老婆が引き留めた。
「お嬢さん、お礼替わりじゃないけど、これをいくつか持っていってくれないかね」
そう言って、先ほどの木枠から柚子を3つ4つビニールに入れて手渡した。
「こんなにたくさんいただけませんよ。大したことをしたわけじゃないんですから」
「いいえ、もっていって好きに使ってちょうだい。どうせ毎年余るんだから」
何度か押し問答を繰り返した後、ようやくキタサンが折れた。
「分かりました。柚子、ありがとうございます!」
そう言うと、キタサンは笑顔で出て行った。
これ以来、キタサンとこの銭湯の女将との交流は続いている。
一緒に切り盛りしていた旦那はすでにおらず、子供もすでに独り立ちしているらしい。
そのせいか、女将さんはキタサンが来ると嬉しそうにしている。
キタサンも話をすることが楽しく、季節の節目に顔を出し、このように風呂につかりに来ているのであった。 - 54/622/12/22(木) 23:14:08
「ふう。温まった」
キタサンは浴場から出て、髪を乾かしている。
これから帰るときに湯冷めしないよういつも以上に丁寧に乾かしていた。
いまだ体に残る柚子の香りと成分がのってキタサンの体をめぐっているような気になっている。
キタサンの体は芯の芯から温まり、少し汗ばんでいるようでさえあった。
キタサンはもう一度タオルで顔をぬぐうと、荷物入れにタオルをほおりこんだ。
そのまま、荷物をしまったキタサンは脱衣所を出て、女将のいる入口へと向かって言った。
「出ましたよ~。今年もありがとうございます」
キタサンブラックは着替え終わると、番台でテレビを見ていた女将さんへ声をかけた。
「はいはい、キタちゃん。今年はどうだったかい?」
「今年もよい香りでした。体もポッカポカですし!」
そういうキタサンの顔は、来た時より血色が良くなっていた。
「そう、よかったよ。ところでキタちゃん、そこの自販機で温かいものを買ってきてくれないかい?」
そう言うと、キタちゃんの分も、とレジから2本分の飲み物のお金をキタサンへ渡した。
少し戸惑いながら、キタサンは自販機まで向かうと、お茶を買い、一本を女将へ手渡した。
ありがとう、と言った彼女がお茶を開けたのを見たキタサンもお茶を開け、しばらく二人は黙って飲んでいた。 - 65/622/12/22(木) 23:14:24
おもむろに口を開いたのは女将だった。
「実はねキタちゃん、来年にはこの銭湯は畳もうと思っているんだよ」
えっ、と声を上げたキタちゃんに女将は続けて言った。
「私も喜寿を過ぎてねぇ。それにこんな銭湯に今どきくる人はほとんどいないのよ」
「そんなことないですよ。あたしはとても落ち着きますし」そう言うと、女将は目を細めてつづけた。
「ありがとうね、キタちゃん。でも、私の体ももう動かないし。そろそろ潮時なのよ」
そんな、と言葉を続けようとしたキタサンは口をつぐんだ。女将の目はいつになく本気であった。
「この銭湯を始めて随分経つけど、最後にキタちゃんみたいな子と会えて本当に良かったと思っているのよ」
そう言うと、女将は横に置いてあったビニール袋を引き寄せた。
「今年の余った分の柚子。キタちゃんが好きに使ってちょうだい」
ビニール袋には大玉な柚子がぎっしりと入っていた。
例年余ったものをもらっていたが、今年はいつもの倍は入っているようで、キタサンはかぶりを振りながら答えた。
「こんなにもらえませんよ。女将さん」
「いいのよ、キタちゃん。私からの餞別だと思って、ね」
そう言うと女将は柚子の入った袋をキタサンへ手渡した。
「今度の日曜はキタちゃんの大舞台でしょ。私も楽しみにしているからね」
キタサンはハッとした。いままで女将の口からレースの話が出たことはなく、興味がないものだと思っていたのだ。
「こんなとこに住んでいたのに、ウマ娘さんたちのレースに今まで興味がなかったけどね。キタちゃんと出会ってから少しずつ見始めてね」
女将は微笑みながら言った。
「さすがに中山まで行くことはできないから、テレビ越しに応援しているよ。」 - 76/622/12/22(木) 23:15:01
夜風さえ凍るような夜の街をキタサンは歩いていた。
来るときのような冷えは感じず、柚子の残り香が温かみを帯びているような気さえした。
学園へ帰れば明日から大レースに向けた最後の調整に入る。そこから余裕は一切ない。
今年はライバルのサトノダイヤモンドも親友のスイープトウショウも憧れのトウカイテイオーも出ることが決まっている。
今までとは比べ物にならないほど勝つのは大変だろう。
しかし、応援してくれる人がいるなら、レース前の苦労も激戦の予感もまた気持ちを奮い立たせるカンフル剤になる。
柚子の入ったカバンの重みを肩に背負いながらキタサンはつぶやいた。
「有マ記念、たのしみだなぁ。女将さんも見てくれるらしいし」
その言葉を聞いていたのは雲とやせ細った月だけであった。
──冬至が去り、有マ記念がくる。
(了) - 8二次元好きの匿名さん22/12/22(木) 23:23:05
いい雰囲気だ…よかったで
- 9二次元好きの匿名さん22/12/22(木) 23:32:42
良かったです
初投稿とは思えないくらい描写がしっかりしててすごくすごいです
紹介スレで指摘もとのことなので1点だけ
地の文でキタサンブラック・キタサン・キタちゃんで表記ブレしてるのが気になるかなーくらいですね - 10二次元好きの匿名さん22/12/22(木) 23:35:13
キタちゃんに柚子ってなんか似合うな〜
ほっこりするお話で好き