アンタ、彼女いたんだね……

  • 1◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:33:43

     土曜日ということもあり、少し街中へと出掛けていた折。

    「……トレーナー?」

     駅前の広場で、誰かを待っているように佇むトレーナーの姿が目に映る。駅の出入り口付近を見ているみたいだから間違いないはず。

    (誰を待ってるんだろ)

     気になりはしたものの、流石にトレーナーのプライベートにまで深く首を突っ込む趣味はない。それにアタシがそんな事をされたらイヤだし。
     だから声を掛けずに素通りしようと思ったものの。

    (綺麗な人……)

     出入り口付近から視線を前へ戻す前に、駅から出てきた一人の女性に目を奪われる。
     マットブラウンに染められた、緩くウェーブの掛かった髪は腰ほどまで伸びていて、身長は160センチ半ばくらいありそうな、女性にしては高めな印象。
     全体的には細身で華奢な雰囲気を与えるものの、女性らしさのある柔らかな曲線を描く体躯はまるで芸術品のよう。
     どこかの雑誌のモデルさんと言われても信じるくらいには整った容姿をしていると思う。
     少し離れた距離にいるアタシですら目を引いてしまうような容姿だからか、すれ違った人たちも思わず振り向いてしまっている。
     旅行カバンを転がしながら歩いていることからこの辺りに住んでいる人ではなさそう。
     そんな彼女は誰かと待ち合わせをしていたのか、手を振りながらある方向へと小走りで駆けていく。駅前で佇んでいた、トレーナーへと向かって。

  • 2◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:33:55

    (えっ!? うそっ!? トレーナーの待ち合わせ相手だったの!?)

     トレーナーも到着した待ち合わせ相手に気づいた様子。片手でひらひらと手を振りながら近寄っていく。

    (ど、どういう関係なの?)

     互いに破顔しながら数度言葉を交わしたかと思うと、駅に隣接してある駐車場へと向かって行く。
     トレーナーがさり気なく荷物を預かったものの、女性の方はそんな対応に慣れきった様子。

    (彼女、なのかな……)

     仲睦まじそうに並んで歩く二人を見ていると、妙な息苦しさを感じる。
     理由の分からない不快感に気を取られているうちに、二人の姿は雑踏の中へと溶けていった。

  • 3◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:34:08

     休日も開けて月曜日の放課後。
     トレーナーが綺麗な女の人と仲良さそうにしていた姿が、いつまでも脳裏に焼き付いて離れない。
     その時から感じていた心のモヤモヤも一向に晴れる気配はない。

    「ドーベル? 難しそうな顔してるけどどうかしたか? 分からない問題でもあったか?」

     今日のトレーニング自体はお休み。ただなんとなく、自室ではなくトレーナー室で、授業で出された課題をこなしてる。

    「別に……」

     トレーナーが誰と仲良くしていようがアタシには関係ない話。だからトレーナーに当たるのは間違っているのに、どうにもトゲのある言い方になってしまった。

    「そろそろ休憩したらどうだ? 俺もひと息つこうと思ってたし。そうだ! 昼飯食べに行った時にドーナツ買ってきててさ。それ食べないか?」
    「じゃあ、そうする……」

     確かにこの調子だと課題も捗りそうにない。お言葉に甘えて休憩を挟むことにする。

    「好きなの2つ選んでいいぞ」

     トレーナーの買ってきたお店の箱を開けると、6つのドーナツが入っていた。一人で食べるには明らかに多い。
     アタシにもあげる為、と考えれば自然かもしれないけど、今日に関してはたまたま訪れただけ。
     絶対にトレーナー室に来るという保証はなかったはず。それにアタシにあげる為なら3つ選んで、と言う可能性が高いと思う。
     だからこれはアタシじゃない誰かの為に買ってきた、と考える方が自然なはず。

    (やっぱり、昨日の綺麗な人……)

  • 4◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:34:18

     思い浮かぶのは、あの人がトレーナーの彼女という嫌な予感。……嫌な予感?
     別にあの人が彼女だとしても、アタシには関係ないはず。我ながらおかしな事を考えてしまった。
     まあいいや。折角食べてもいい、って言ってくれているんだからドーナツを2つ選ぶ。
     らせん状のドーナツにホイップクリームが挟んであるものと、8つの丸が輪になったようなもの。
     アタシがドーナツを選んでいるうちにトレーナーが紅茶を入れてきてくれた。

    「久し振りに食べるとやっぱり美味いな」
    「…………」

     美味しいはずのドーナツなのに、妙に味気ない。いや、味気ないというよりも味を楽しむ余裕がない。
     それくらい、昨日の出来事がどうにも引っ掛かってしまっている。

    (彼女がいるかどうか聞くくらい普通だから。普通のはず、なんだから……)

     そう。別にたまたま見てしまったからそれを聞くだけで。何もおかしい話じゃない。
     大体こんな事で調子を崩してるくらいなら、さっさと聞いて解決してしまえばいいだけ。

    「……あのさ」
    「なんだ?」
    「アンタ、彼女いたんだね……」

     たったそれだけの話なのに、何故かこの世の終わりみたいな声が出てしまった。

    「は? いや、いないけど」

     アタシの質問に対する解答は否定。けれど昨日の状況を考えるに、それ以外の可能性は思い浮かばない。

    「いいよ別に、アタシに気を遣って誤魔化さなくても。見ちゃったの、駅前で綺麗な女の人と待ち合わせしてたの」
    「え? そんな事……あ~! あの時か! なーんだ声掛けてくれれば良かったのに!」
    「出来る訳ないでしょ!? デート中かもしれないのにそんなこと!」

  • 5◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:34:29

     荷物が多かったから遠距離恋愛とかそんなところなんだろうし。余計に声なんて掛けられない。
     けれどそんなアタシの予想に反してトレーナーの口から出た答えは。

    「あの人、俺の姉さんなんだよ」

     完全に、予想外のものだった。

    「お姉、さん?」

     え? お姉さん? あの綺麗な人が? トレーナーの? というかお姉さんいたのトレーナー?

    「あれ? 俺、姉が一人いるって言ってなかったっけ?」
    「そんなの聞いたことない! 大体、歳の離れた弟妹はいないって……」
    「うん、歳の離れた弟妹はいないぞ? 俺と姉さん2つ違いだから歳近いし」
    「うそぉ……」

     確かに弟妹がいるか聞いた時のアタシは、自分の弟妹たちへの上手い接し方を知りたかったわけだからそれ前提で尋ねていた。
     ただその時のトレーナーの答え方が、兄弟姉妹が一人もいないみたいな言い方に聞こえて。てっきり今までいないものだと思ってた。
     そんな思考も手伝ってか、何故かトレーナーの家族の一人という考えが1ミリも浮かんで来なかった。いや、あんなに綺麗な人がお姉さんなのはそれはそれで衝撃だけど。

    「お姉さん……あの人が……トレーナーの……」
    「ごめん、絶対にどこかで話してると思ってた。自分でも今まで一回も話してなかった事に驚いてるよ」
    「……仲、いいの?」
    「そうだな。一般的に言ったらその部類になるのかな? 悪くはないぞ」
    「ふ~ん……お姉さん、どんな感じ?」

     お姉さんがいると分かった以上、どんな人なのかは気になる。
     今まで一切存在を知らなかったから、その反動もあるのかもしれないけど。

  • 6◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:34:42

    「どんな感じ……基本的に優しくて明るい人かな。あとちょ~っと頑張り屋過ぎるかなぁ」
    「どんなところが?」
    「なんというか、優しい人だからさ。気遣い上手なんだよ。だからそのせいで貧乏くじを引きに行きがちというか。もう少し手を抜いてもいいと思うんだけどね。……そう考えるとドーベルと少し似てるかもな」

     頑張り過ぎで、家族からももう少し手を抜いてもいいと思われるような人。なるほど、なんとなく人柄は分かった気がする。どうやら似たもの姉弟みたい。

    「それ、アンタもそうじゃないの?」
    「俺、ドーベルからそんな風に思われてたのか……?」
    「頑張り過ぎは実際そうでしょ?」
    「いや、君の為ならむしろ足りないくらいで」
    「そういうところ!」

     自覚がない辺りやっぱり人の事は言えないと思う、トレーナー。

    「ああ、あと。ドーベルのファンだよ、姉さん」
    「あ、アタシの?」
    「まあうちの家族全員だから姉さんに限った話じゃないけど」
    「それはそれでちょっと恥ずかしいんだけど……」

     ファンレターだってたくさん貰ってるし、アタシを応援してくれてる人が大勢いる事は知ってる。その期待に応えられるような走りをし続けたいとも。
     けれど身近な人にファンがいるとなると少しだけ話は別で。トレーナーの家族も同じようにアタシの事を応援してくれているのはなんだかむず痒い。

  • 7◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:34:52

    「身内にトレーナーやってる人がいる家族はどこもそんな感じだと思うけどな? 自分の家族が担当してる子を応援するでしょ、やっぱり」

     アタシはレースをする本人だから、家族が応援してくれるのはそれはそうなんだけど。
     そっか。トレーナーの家族からしてみれば担当ウマ娘が応援する子に当たるのは当たり前の話ではあるのか。

    「あっ、そうだ。ドーベルさえ良ければなんだけど。会ってみるか? 姉さんに」
    「えっ? 迷惑じゃないかな……」
    「いやいや、むしろ全然。さっきも言ったけど姉さんドーベルのファンだし。逆に姉さんが迷惑かけないか心配なくらいだ」

     正直に言えば、会ってみたい。なんとなくの人柄は分かったけどやっぱり漠然としたもので、具体的にはイメージが出来ていないし。
     トレーナーはアタシのお父さんと会った事があるけど、アタシはトレーナーの家族の事をあまり知らないから。

    「じゃあ……お願い」
    「オッケー。姉さんには夕食を食べる時にでも伝えるから。今日の夜にはLANEで伝えるよ」

     どんなお姉さんがいたらトレーナーみたいな男の人になるんだろう。そんな純粋な興味で、申し出を受け入れた。

  • 8◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:35:02

     翌日。トレーニングを早めに切り上げて喫茶店へと向かう。お姉さんは先に入って待ってるみたい。
     店内へと入り待ち合わせている事を伝えると、お姉さんが掛けている席へと通された。
     最初に見掛けた時は遠目で見るだけだったけど、近くで見るとより一層美人であることを実感する。
     トレーナーにとってはお姉さんである事実が未だに信じられない。

    「……わぁ、間近で見ると凄く美人」

     席に着くなりお姉さんがポツリと零す。美人に美人と言われてしまい、思わず照れてしまう。それはアタシの台詞だったんだけど……。

    「じゃあドーベル。伝えてたとは思うけど改めて。俺の姉です」
    「ど、どうも。弟くんの姉です」
    「め、メジロドーベルです」
    「取り合えずなにか注文しようか? ドーベルは?」
    「じゃあ……ミルクティーで」
    「姉さんも飲み物切らしてるしついでに何か頼んだら?」
    「う~ん……ホットチョコレートにしようかな」
    「甘党だなぁ相変わらず」

     注文を取りまとめたトレーナーが自身の飲み物と適当な軽食を合わせて店員さんに伝える。
     どうしよう。飲み物を待っている間が気まずい。
     会話は途切れちゃったし、十歳近く歳の離れているお姉さんと何を話せばいいのか分からない。

    (トレーナー!? なんとかしてよ! アタシが人見知りなの知ってるでしょ!?)

     助け舟を求めるようにトレーナーに視線を送ると、肘でお姉さんを小突いた。
     いや、お姉さんに喋らせるんじゃなくて、アンタが喋って場を回して欲しいんだけど。ほら、え~、みたいな顔してるし。
     けれどトレーナーの言っていた通り、気遣い屋さんだからか、何を喋ろうか逡巡する素振りを見せたあと口を開く。

  • 9◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:35:12

    「……ご趣味は?」
    「いや、お見合いじゃないんだけど?」

     お姉さんが折角勇気を振り絞ったみたいなのになんで潰すような事を言うの!?

    「姉さん、なんでそんな緊張してるんだ?」
    「だってだって! 有名人が目の前にいるんだよ!? 緊張くらいするよぉ!」

     忘れがちだけどそうか。一応有名人という分類になるのか、アタシ。
     トゥインクルシリーズを走るウマ娘は学生という立場もあって、プライベートなどは学園が守ってくれているけど。
     それでもファンが向ける感情は、テレビに出ているような芸能人へ向けるものと似ているのかもしれない。

    「いや有名人と言ってもまだ学生だし、それに俺の担当だぞ?」
    「弟くんにとっては担当ウマ娘かもしれないけど私にとってはテレビの向こう側の人なの! それにドーベルちゃんすっごく美人だし可愛いし……」
    「ぷっ……ふふっ、ふふふふふっ!」

     凄く美人だから、なんだか近寄りがたい雰囲気を感じていたけど、思っていたよりもずっと可愛らしい人だったみたい。

    「あっ、笑われた! 変な人だって思わないで!」
    「一応言っておくけどいつもはこんな人じゃないんだよ。姉さん初対面の人とも普通に話せるだろ? なんで?」
    「私だって普段テレビで応援してる子が目の前にいたら緊張くらいします~!」
    「あのっ、いつもこんな感じなんですか?」

     同僚の女性トレーナーと喋ってる姿を見かける時はあるけど、その時はもうちょっと他人行儀な感じだから、女の人と自然体で喋っている姿を見るのはなんだか新鮮で。
     というかいっつも気遣い上手なのにお姉さんと一緒だとかなり鈍い気がする。お姉さんが気付くから油断してる、って事なのかな?

  • 10◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:35:22

    「えっ? いつもは違うよ? だって普段はこんなに意地悪じゃないのに……」
    「意地悪してるつもりはないんだけどなぁ」
    「だったら弟くんがちゃんと喋って! 場を回して!」
    「そうそう。この中で共通して面識があるのはトレーナーなんだからね? なんとかしてよ」
    「えっ、俺のせいなの?」
    「そうだよ!」
    「当たり前でしょ?」

     うん、間違いなく油断してる。だって普段なら絶対に場を回す側だもの。
     お姉さんが回してくれるでしょ、っていうちょっとした甘えが感じられる。こういう部分を見ると本当に弟なんだな、って思う。

    「え~……まあ、この通り姉さん結構なドーベルのファンでさ。昨日の夜もお話ししたい事たくさんあるんだ~! って言ってたから、話してくれるだろ、って思ってたんだけど」
    「本人を目の前にしたらダメでした……」
    「だそうだ」

     勢いで喋っていると緊張もほぐれたみたいで。いい感じに場も温まってきた頃にちょうど注文も届いた。

    「あっ、ごめん。つい普段の呼び方でドーベルちゃんって呼んでるけど大丈夫だった?」
    「あっ、はい。アタシはそれで」
    「ドーベルちゃんも敬語じゃなくて大丈夫だよ? 初対面だし、慣れないかもしれないけど」
    「じゃあ、そうさせてもらいま……そうする」

     トレーナーの家族とはいえ、初対面の相手だからタメ口には若干の抵抗があるけど。
     他人行儀なのもそれはそれで違う気がしてお言葉に甘えさせてもらう。

  • 11◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:35:37

    「聞きたいんですけ……聞きたいんだけど。トレーナーって子供の頃はどんな感じだったの?」
    「待ってくれドーベル、そんな事聞かなくていいから」
    「弟くん? う~ん……今とあんまり変わらないんじゃないかなぁ」

     恥ずかしい過去を赤裸々に語られると思っていたのか、トレーナーの表情はどこか安心したものに。

    「あれ、そうなの?」
    「あっ、でも昔はお姉ちゃんって呼んでくれてたのにいつの間にか姉さんに変わったよね。どうして?」
    「流石にいつまでもお姉ちゃん呼びは恥ずかしいだろ」
    「え~。あの頃は可愛かったのになぁ」

     アタシの弟や妹も今はお姉ちゃん、って呼んでくれているけど、大きくなったらそう呼ばれる事もなくなるのかな……。
     妹の方はずっと呼んでくれるかもしれないけど、弟の方は男の子だし、トレーナーと同じように変わっちゃうのかも。

    「そうだ! ドーベルちゃん、試しに私の事お姉ちゃんって呼んでくれない?」
    「いや、何を頼んでるんだよ姉さん」
    「お姉ちゃん?」
    「──っ!」

     お姉ちゃん呼びに特に抵抗はないから別に構わないんだけど。実際に呼んだ途端、心臓を抑えるような仕草を見せたかと思うと身悶えし始めた。

    「私もドーベルちゃんみたいな可愛い妹が欲しかったなぁ!」
    「い、いもうと……!?」

     義妹に欲しい、って事はそれはつまりトレーナーのお嫁さんになるという訳で……!?

  • 12◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:35:49

    「可愛くない弟で悪かったな」
    「違う違う! そういう意味じゃないってば! 妹が居たら服の貸し合いっことか一緒にお洋服買いに行けたのかなぁって」
    「洋服買いに行くのは俺も付き合わされたけどな?」
    「えへへ……。だって荷物持ってくれるんだもん」
    「ドーベル? 顔真っ赤だけど大丈夫か? ちょっと店内が暑いか……?」
    「あっ、やっ、その……な、なんでもない。大丈夫」

     トレーナーの一声でようやく現実に戻ってこれた。そうだよね!? 義妹って意味な訳ないよね!?
     アタシったらなんて早とちりをしちゃったんだろう。そんなことあるわけないのに。
     大体アタシは大人の人として尊敬してるけど別に男の人としてトレーナーが好きな訳じゃ……。

    「そういえばドーベルちゃんも弟と妹がいるんだよね? どんな感じ?」
    「えっと。寮生活で会う機会はどうしても少ないけど、帰ったら抱き着いてくれて可愛いかな。トレーナーが担当に着いたばっかりの頃はまだまだ小さくて、寮に帰る時にぐずられたりもしたけど」
    「あれ? ドーベルの弟妹って今いくつだっけ」
    「今? 今年で──」

     その後もトレーナーが軽食として頼んでいたケーキを口にしつつ、会話に花が咲いていた頃に不意にトレーナーの携帯が鳴る。

    「あれ、学園からか……ごめん、ちょっと席外すよ」
    「は~い」

  • 13◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:36:01

     トレーナーが席を離れた事を確認した後、お姉さんが少しだけ真剣な表情を浮かべる。

    「ねぇ、ドーベルちゃん。違ったら適当に流して欲しいんだけど……」

     言おうか言うまいか。そんな逡巡が感じられる表情をしながらも、意を決したように口が開かれる。

    「もしかして、弟のこと好きだったりする?」

     弟。まあ、家族だし当然好きではある。ただそれは弟に限った話じゃなくて妹もだけど。
     ん? いやいやいや、話の流れ的にアタシじゃなくてどう考えてもお姉さんの弟の事でしょ。
     だとするならトレーナーを指している事になる。好き? トレーナーのこと? アタシが?

    「なっ……!? えっ……!?」

     待って待って待って待って!? そんな事気にしたこともないし、アタシだって知らない!
     というかわざわざ聞いてくるって事は、初対面の人にそう思われるくらい分かりやすい態度を取ってる、ってこと!?

    「あ〜違うの! ごめんね!? 私別に弟を盗るな〜! とかそういう事を言いたいわけじゃなくて! むしろドーベルちゃんみたいな子にだったらどうぞどうぞというか!」

     お姉さんは完全にアタシがトレーナーの事を好きな前提で話を進めているけど、アタシの方はそれどころじゃない。

    「ち、ちがっ! アタシそういうんじゃ……!」
    「あれ? 別に弟の事好きじゃないの? うそ、やっぱり私の早とちりだった……?」

     きっと、そうに違いない。だってアタシは恋愛対象としてトレーナーを見た事なんてないはずだから。

    「語弊は若干あるけど、多分。男の人って意味では。意味では……」

  • 14◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:36:11

     けれどどうしてか。否定の言葉を口にしようとするも。

    「意味ではっ、好、きじゃ………」

     何故だか嘘を吐いてしまうような気がして、憚られて仕方がなかった。

    「~っ! わ、分かんない」
    「よ、余計な事言っちゃったかな……?」

     そもそもの話、アタシは男の人を恋愛的な意味で好きになった事がないから、自分が恋をしているのかどうか判別しようがない。

    「その……どの辺がそう見えるの?」

     だったら、そう見える本人に聞いてみた方が早いかもしれない。

    「えっ? う~ん……弟と話してる時のドーベルちゃん、なんだか女の子の顔してるなって思ったから」

     女の子の顔? 流石にそれだけだとふわふわし過ぎていてよく分からない。

    「それにドーベルちゃんみたいな可愛い妹が欲しかった、って言った時の反応が変だったから。こんな子が妹だったら楽しかったんだろうな〜、くらいの気持ちで言ったんだけど、どうにも義理の妹的な意味で受け取ってたみたいだし」

     確かに、勝手に変な意味で勘違いをして、顔を真っ赤にしていたのは事実。
     アタシがトレーナーの事を好きだからこそ、先走った事を考えたというのは理由として納得できる。

    「ドーベルちゃんは最近弟を見ててなんか変だな~、って思う事はない?」
    「最近……」

  • 15◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:36:24

     ある。それこそ駅前でトレーナーとお姉さんの待ち合わせを見かけた時に、胸を締め付けられるような焦燥感を覚えた。
     彼女なのかもしれない、って。それに対して嫌な予感だとも。

    「お姉さんとトレーナーが待ち合わせしているところを偶然見ちゃって。その時になんだか嫌な気分になって。もしかしたら彼女かもしれないって考えちゃうと、どうにも落ち着かなくて」

     でも、確かに。トレーナーの事が好きならばそんな感情にも説明がつく。だって、彼女がいたらアタシの恋は報われない訳だから。
     自分ではまだ気づいていなかっただけで、無意識では好きな人を奪われてしまうと嫌悪感を抱いてしまっていたとするなら得心が行く。

    「お姉さんだ、って分かったら妙に安心しちゃって。……やっぱり、そういう事なのかな?」
    「そっかぁ。私が決めちゃうのはダメだと思うから、ドーベルちゃん自身に判断して欲しいけど。私から見たらそう見える、っていうのは本当だよ?」

     アタシが、トレーナーの事を好き、かぁ。
     心のどこかではこの人の事を好きになるのは自然な事で、当然の帰結だという事をとうの昔に理解していたのかもしれない。
     自身の恋心を受け入れるのに抵抗はなかった。

    「……多分、好き、で合ってると思う。自分では気づけなかっただけで」
    「そうだ! LANE交換しない? 弟のことなら詳しいし、力になれると思うから」
    「うん、お願い」

     幸いにも、実のお姉さんという心強い味方も出来た。
     一人で気づいていたとしてもどうすればいいのか分からなかったと思うから、ある意味ではこのタイミングで気づけて良かったんだと思う。
     ちょうどLANEを交換し終えたあたりで、電話で席を外していたトレーナーが戻ってきた。

    「LANEの交換? 随分意気投合したんだな」
    「まあね。中々帰ってこないから弟くんのケーキも食べちゃおっか? って話してたところだよ?」
    「あ、あげないぞ!?」

     気が付けば随分と長居してしまっていた。トレーナーがケーキを食べ終えるのを待ってからお店を出て。学園近くまで戻って来てトレーナー宿舎の前で別れる。

  • 16◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:36:34

    「お姉さんっていつまでこっちにいるの?」
    「明日のお昼には帰る予定だよ」
    「そっか……じゃあ見送りにはいけないか」
    「トレーニングの時間と被ってるんだったらずらしてあげられたんだけどな。授業は仕方ないさ」

     折角仲良くなれたのに、すぐにお別れはちょっと寂しい。時間が許すのならもう少しだけ話をしていたかった。

    「またすぐ会えるよ! ほら、しょぼくれた顔をしてたら折角の美人が台無しだよ?」

     うん、そうだよね。連絡先だって交換したし、またこっちに来た時に会えるんだから。こちらに駆け寄って来て耳元で囁く。

    「弟とのこと、私は応援してるからね」

     忘れそうになっていたけどそうだった。今回はお姉さんだったから良かったけど、本当に彼女が出来る可能性はいくらだってあるんだし。
     あんまりうかうかしていられない。自分の気持ちを知ってしまった以上、ちゃんと振り向いてもらえるように頑張らなきゃ。

    「ドーベルに何言ったんだ?」
    「う~ん、ないしょ!」

     宿舎へと入ろうかという時、こちらに振り向きお姉さんが小さく手を振ってくれる。

    「じゃあ、頑張ってね! ドーベルちゃん!」

     何の変哲もない応援の言葉は、トレーナーにはひとつの意味でしか聞こえなかったかもしれないけど。
     アタシには、確かにふたつの意味で聞こえていた。

  • 17◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 20:36:49

    みたいな話が読みたいので誰か書いてください。

  • 18二次元好きの匿名さん23/01/09(月) 20:37:51
  • 19二次元好きの匿名さん23/01/09(月) 20:38:39

    ご馳走様です

  • 20二次元好きの匿名さん23/01/09(月) 20:41:59

    ガールズトークでしか得られない栄養がここにある

  • 21二次元好きの匿名さん23/01/09(月) 20:54:58

    順調に外堀を埋めにいってますね…

  • 22二次元好きの匿名さん23/01/09(月) 20:59:10

    時々だけど少し気の抜けた所を見せちゃう辺りが、等身大の青年って感じがしてね、良いよね…

  • 23◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 21:06:13

    ベルトレ♂の女慣れっぷりを考えると絶対姉か妹いるよね?というネタでした。
    ベルトレ♂に姉がいそう派が割といるっぽいのと、個人的にもそもそもベルトレ♂が兄よりも弟かなぁ……という感じがしたので姉持ちという事にしました。
    姉の人柄を書く上で参考にしたのは当然のようにベルトレ♀です。わざわざドーベルからの美人評を入れたのも育成で実際にそう思われているからという理由。
    そもそもドーベルがベルトレ♀相手だと異常に慣れた妹ムーブをしてくるので、ベルトレ♀が姉っぽい、というのが原因かもしれませんが……。
    やってる事はいつぞやあった姉弟、兄妹でトレーナーやってる概念の亜種みたいな雰囲気かもしれないですね。
    あとは少女漫画における、ヒーローにめちゃくちゃ美人なお姉さんがいる、という鉄板ネタな気がします。

    正直書いている途中で(これ面白いの……?)と死ぬほど疑問に思いながら書いていたので面白いのかどうかが本当に分かりません。
    ここまで読んでいただきありがとうございました。

  • 24◆y6O8WzjYAE23/01/09(月) 21:09:25
  • 25二次元好きの匿名さん23/01/09(月) 21:13:07

    めちゃめちゃすき

  • 26二次元好きの匿名さん23/01/09(月) 21:33:55

    「六個のドーナツから二つ」で深読みしちゃうのすき かわいいね♡

  • 27二次元好きの匿名さん23/01/09(月) 21:52:43

    オイオイ…悲恋モノか?珍しく…

    んなわけなかったぜ!いつも通りのゲロ甘助かる

  • 28二次元好きの匿名さん23/01/10(火) 07:46:53

    あげ

  • 29二次元好きの匿名さん23/01/10(火) 09:55:27

    ええやん…

  • 30二次元好きの匿名さん23/01/10(火) 09:55:45

    ヒーロー側に美人の姉がいてヒロインが気に入られたり自覚させられたり外堀埋められたり少女漫画の鉄板コンプリートしていくの好き

  • 31二次元好きの匿名さん23/01/10(火) 10:05:44

    Q:神を見たことがありますか?
    A:このスレで見た

  • 32◆y6O8WzjYAE23/01/10(火) 22:03:18

    致命的なミスを見つけたのでちょっとだけ保守らせてください……!

  • 33二次元好きの匿名さん23/01/10(火) 22:22:32

    しゅき

  • 34二次元好きの匿名さん23/01/10(火) 22:37:20

    このレスは削除されています

  • 35二次元好きの匿名さん23/01/10(火) 22:39:14

    >>34

    酉付けミスってますかね、もしかして…

  • 36◆y6O8WzjYAE23/01/10(火) 22:40:25

    >>35

    本当ですね……!ありがとうございます!

  • 37◆y6O8WzjYAE23/01/10(火) 22:41:01

    ※再掲

    レス番3、4あたりで昨日の人とか昨日の状況と書いておりますが、あの時の、あの日の、と読み替えていただければ……。
    それとレス番16でベルトレ姉が駆け寄ってくる際の地の文がだいぶ雑になっておりますが
    「何かトレーナーには聞かれたくないことがあったのか、お姉さんがこちらに駆け寄って来て耳元で囁く。」
    がちゃんとした文章です。

    渋の下書きを丸コピして掲示板用に切り分けているんですけど、その後に読み直してちょっと訂正入れてたのをすっかり忘れておりました……すみません。

  • 38◆y6O8WzjYAE23/01/10(火) 22:53:30

    >>30

    ヒーローと一緒に歩いてる美人は大体姉という超お約束に従った形のお話ではあるんですけど、果たしてウマ娘をやってる層にこのネタが伝わるのか謎ですね……。

  • 39二次元好きの匿名さん23/01/10(火) 23:13:01

    いつもクオリティ高くてすごい
    過去作でも思ったんですが恋心を自覚する瞬間の描写、何度読んでも良きです

  • 40◆y6O8WzjYAE23/01/10(火) 23:25:28

    >>39

    話の山を作る上でどうしても何かしらの大きな感情の動きが必要だったのでまたもや使ってしまったんですが、出来るだけ前に使った作品とは違った印象を与えられていたら嬉しいですね。

  • 41二次元好きの匿名さん23/01/11(水) 00:01:06

    >>40

    またこの感じか、みたいには全然ならないのでとても楽しめてます!

    次回作も心待ちにしています

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