- 1二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 22:31:29
「お帰りなさいトレーナーさん、風外でしたか?」
「ああ、ちょっと予約してたものの引き取りがあってね」
トレセン学園の昼下がり。
一時的な外出から戻ってきた俺は、担当ウマ娘のヤマニンゼファーの出迎えられた。
トレーナー室の鍵は当然彼女も持っているので、いない間も自由に出入りができる。
長椅子に腰かける彼女は、どうぞと温かい緑茶を机の上に差し出してくれる。
見越して準備していてくれたようだ。ありがたくそれを受け取り、向かい合うように座る。
「ありがとう、やっぱ寒いから助かるよ」
「暦の上ではもうすぐ春とはいえ、寒風ですからね」
「そうだね。ところで待たせちゃったかな、何か急用?」
「いえ、ひかたを求めて歩いていたら、たまたま。張り紙もありましたし……」
そう言ってゼファーは『外出中、すぐ戻ります』という紙を取り出す。
外出前にドアに張っておいたが、彼女が剥がしておいてくれたようだ。
――――会話してる最中、彼女の視線はチラチラと揺れ動いてた。
どうやら、俺が持ってきた見慣れないビニール袋の中身が気になっているようだ。
なんか可愛らしいなと思いつつ、袋の中身を机の上に出す。
「これの受け取りに行ってたんだよ。今日はアレだからね」
「……なるほど、恵方巻ですか」
ゼファーは珍しいものを見るように目を丸くした。
『七品目の海鮮恵方巻』と書かれたパックが2つ、普段ならまず手は出ないお値段である。
そう、今日は2月3日、立春の前日。いわゆる節分といわれる日に当たる。 - 2二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 22:31:57
彼女は恵方巻を手に取って、上から横からと見回している。
想像以上に興味津々な様子である、もしかして。
「……恵方巻って初めて見たとか?」
「あっ、失礼しました……実家でも豆まきはしてましたけど、恵方巻は食べてませんでした」
「まあここ最近盛り上がってきた風習みたいだしね」
「それにここまで貝寄せの風を感じられる太巻というのを実際に見たことがなかったもので」
ゼファーは恥ずかしそうに笑って、恵方巻を机に戻した。
確かに海鮮系の太巻ってあまり見る機会ないかもしれないな、回転寿司とかじゃまずないだろうし。
「父の実家の風習ということで節分にはくじらを食べてました」
「……そっちはそっちで初耳だなあ」
「廃棄などのニュースを見て時候の風に乗るのが嫌だっただけかもしれませんけどね」
「確かに廃棄とかが出るのは悪いことだとは思うけど実際足りないと足りないで客からは結構文句言われるから結局作らざるを得ないんだよ。本社も無理しないで売上確認しながら製造しましょうとか言ってくるけど指定されてる目標金額が明らかに矛盾してるしそもそも動向確認しながら製造量を調節する余裕なんて当日あるわけないって話で」
「……とても実感が籠ってますね、何か節分に悪風なことでも?」
「あっ、いや、ごめん。昔のバイト先で、色々と大変でね」
そもそも、購入してきたのがその時の付き合いからだ。
俺の地元はトレセン学園から車でそう遠くないところにあり、学生時代は近くのスーパーで働いていた。
寿司の製造部門で、普段は大した売上ではないのだが、特定の時期になると冗談みたいに跳ね上がる。
節分のその最たる日で文字通り桁が変わる。その時の淀んだ記憶がにじみ出てしまったようだ。
「八つ当たりみたいなことをしちゃったね……本当に申し訳ない」
「いえ、誰にでもそういう風向きの時はあります。むしろ珍しいトレーナーさんの顔が見れました」
そう言ってゼファーは許してくれてはいるが、こちらの気が済まない。
しばらく思考を巡らした後、一つの案を思いつく。
「お詫び代わりといったらアレだけど、これ一つ食べてみない?」 - 3二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 22:32:20
「……よろしいのですか? トレーナーさんが買ったものなのに」
「奮発して二つ買ったけど、思ったより大きくてね。食べてくれると助かる」
本当は昼に一つ食べて、夜にもう一つというつもりだったが黙っておく。
遠慮と興味、二つの感情の間に揺れ動くような表情のゼファー。
しばらくして、彼女は申し訳なさそうな言葉を紡いだ。
「……正直、2月の時候の風に興味があったので、お一つ頂きますね」
「うん、是非どうぞ。せっかくだし、ちゃんと方角も調べて食べようか」
「今年の恵方は、寿都のだし風が吹く方角でしたね」
そう言ってゼファーはドアがある方向を指さした。
念のためスマホの方角を示すアプリで確認をすると、彼女の指差す方角が南南東を示していた。
流石というかなんというか。
「今年の恵方を向いて丸かぶりをする……でしたか?」
「恵方を向いて願いを思いながら丸かぶりして、最後まで無言で食べると願いが叶う、だったかな」
「ふふっ、意外と条件が難風ですね。具材もいわれがあるんでしょうか?」
「七品目ってのが七福神に因んでるって聞いたことはあるけど……」
「中身に関しては恒風ではない、と?」
「まあアボカドとか入ってるの売ってたりするし、そうなんじゃない?」
最近だと黒毛和牛とか入ってるのも見たことあるしなあ。
作る側からしてみると七品目の恵方巻は百歩譲って仕方ないとしてそんな思いつきで増やさないで欲しいんだけどね。やめろ複数の具材を組み合わせるタイプの太巻を何種類も取り入れようとしないでくれ、切らないと見分けがつかないのも多くてミスの原因になるし、そもそも個店の冷凍庫のキャパはそんな大きくないんだ、入れるとこないんだよ。そのくせ予約限定の商品の材料をギリギリの量で送ってくるのは何なんだ、ぶっつけ本番なのに完璧な歩留まりで作れるわけないだろうが。
「……トレーナーさん?」
「あっ、すまない。時間も勿体ないし、早速食べようか」
心配そうに見つめるゼファー。
俺は過去の怨念を振り払い、食事を勧めるのであった。 - 4二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 22:32:42
「豊穣の風に感謝を、いただきます」
「いただきます」
俺とゼファーは長椅子に隣り合って座り、ドアの方向を向いて手を合わせた。
恵方巻を手に取り、一度眺める。シャリが周囲をしっかりと囲んでいて、丁寧に巻かれている。
まぐろ、真鯛、海老、帆立、いくら、サーモン、かに、玉子、キュウリ。
俺はゼファーの健康と活躍を脳裏に思い浮かべながら、恵方巻にかぶりついた。
…………うん、美味しい。それぞれの具材が美味しくて、その、調和が、美味しくて、うん。
まあ好適品なんてこういうもんだよねと思いながら、横に視線を動かす。
「あー……えっと……」
恵方巻を両手に、口を開いたまま困惑しているゼファーがいた。
何度か、口に入れようとしてその大きさに躊躇して一旦距離を取る、を繰り返していた。
量そのものはウマ娘にとっては大したものではないだろう。
しかし、一口で丸かぶりをするという条件においてはこの恵方巻はなかなかのサイズ感を誇っていた。
ましてや恵方巻初体験の女の子であれば、気後れするのも無理はない。
「すぅ……ふぅ」
深呼吸。ゼファーは意を決したように、恵方巻を見つめ直す。
そして彼女は、恥ずかしそうに目を細めつつ、その小さな口を大きく開いた。
黒い海苔で巻かれた太い巻物を華奢な両指で支え、あどけない口元で咥えこもうとしている。
なんだろう――――とても見てはいけないものを見ている気がする。
恵方巻があとわずかで彼女の口内に侵入するといったところで、ぴたりと動きが止まった。
彼女は顔を染め上げながら、困ったような表情でこちらを見た。
「あの……あまり見つめられると、頬を温風が撫でてしまいます……」
無言で視線を逸らした、食べてる最中は無言じゃないといけないからな、うん。 - 5二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 22:33:00
「ご馳走様でした。饗の風で満たされてしまいますね……七品目以上入ってませんでした?」
「お粗末様でした。多分、七品目は海鮮の方にかかってたんじゃないかな」
お互いに食べ終えて、緑茶を飲みながら一息。
とりあえずゼファーも満足してくれたようで何より。良い土産話が出来た。
「食品廃棄や地方の風物詩を軽視してる気がして敬遠してましたが、悪くないものですね」
――――ヤマニンゼファーは風土ロスを気にしてたんだな。
と、脳内の七冠ウマ娘がドヤ顔で言い放った気がするが無視をする。
ゼファーはお腹をさすりながら、俺に対して礼を述べた。
「トレーナーさんのおかげでまた見ぬ風に出会えました、ありがとうございます」
「大袈裟だよ。そのうちきっと食べる機会はあったと思う」
「それでも今日、風流を感じられたのは貴方がいたからです……トレーナーさんとしては複雑な思い出みたいですが」
「あー……うん、良い経験ではあったし、楽しいこともあった、トータルで見れば――――」
今尚親交のある仕事仲間、朝5時からクソ寒い中店が開くのを待たされる経験、当日になって発覚する準備漏れや発注ミス、作業場内に響く不平不満、計算が合わない材料、迫る開店時間、埋まらない売り場、出た先からなくなっていく商品、手伝いもしないくせに口だけは出してくる店長、今日はアレないのーと無茶振りかましてくる客、めざしという名前の魚があると勘違いしてて無駄にした時間、上手くいったときの達成感、上手くいかなかったときの徒労感。
「――――まあそんなことよりさ」
「あっはい」
「ちゃんと願い事は出来たのかなって」
「ええ、心配は凪です。願い事は神渡しに乗せて」
かなり無理のある話題逸らしに対しても柳に風。
ゼファーは胸に手を当てて、想いを巡らすように願いを言葉にした。
「私とトレーナーさん、周囲の皆さんが順風満帆に過ごせますようにと、しっかりと」
彼女のその言葉を聞いて、自分の方の願い事に穴があったことに気づいた。 - 6二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 22:33:20
「そっか、そうだよな」
「……なにか変風なところがあったでしょうか?」
「俺の方がね。自分のこととか、周りの皆のことと考えるのをすっかり忘れてた」
「といいますと」
「ゼファーのことしか考えてなかったよ、キミに何か言うどころじゃなかった」
「……っ」
担当ウマ娘の方がちゃんと周りのことを考えてる、では笑い話だ。
たかが恵方巻の願い事とはいえ、こういった部分はしっかりとしないといけない。反省点である。
ゼファーから呆れられてしまうな、と思っていたのだが、反応が返ってこない。
ふと見れば、彼女は何故か反対方向を向いてた。
そしてそのまま、咳払いを一つ。
「……本当、おかしな方ですね、トレーナーさんは」
「ははっ、面目ない」
「ですが安心してください。私が、トレーナーさんの分まで、しっかりと願いましたから」
ゼファーはこちらへと向き直り、頬を少し染めながら、表情を緩ませる。
そして、両手をそっと俺の手の上に置いた。その手は少し熱くなっていた。
彼女はじっと俺を見上げながら、言う。
「ですから、今年も一年――――」
彼女の言葉にふと思い出す。
節分とは、旧暦における大晦日である。
とすれば恵方巻にかける願いとは、この一年にかける誓いといえるのかもしれない。
「――――共に、まことの風となってくださいね、トレーナーさん」
勿論、と俺はゼファーに笑みを返しながら、誓いを告げた。 - 7二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 22:33:36
お わ り。
この話はフィクションで作中の体験談は全て架空の物となっております。
何故この時期に節分の話を? と思うかもしれませんが後一週間もすると、理由はわかりませんが節分とか恵方巻という文字を見るのも嫌になるからです。 - 8二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 22:35:41
スレタイからするとこの後トレーナーはデザートにゼファーを…?
- 9123/01/13(金) 22:39:15
- 10二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 23:00:53
風使い……またいいものをお出ししてきたなぁ!
- 11二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 23:04:49
エミュ超うまいの尊敬するわ
耳かきとかVSと同じ人? - 12123/01/13(金) 23:28:55
- 13二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 23:42:50
- 14123/01/14(土) 01:08:01
なんででしょうね(目逸らし
- 15二次元好きの匿名さん23/01/14(土) 08:02:51
専門外の質問ですがゼファーが恵方巻を食べるシーンはえっちなのでは?
- 16二次元好きの匿名さん23/01/14(土) 08:15:53
- 17二次元好きの匿名さん23/01/14(土) 08:18:55
ゲーム内に謎小物として恵方巻きが実装されるのか…?
- 18二次元好きの匿名さん23/01/14(土) 10:10:30
普通にアプリで出て来そうなイベントっぽい内容やった…、これが風使いの実力…!
- 19123/01/14(土) 13:44:03
- 20二次元好きの匿名さん23/01/14(土) 17:50:44
最近SS書き始めて投稿はまだしてないですが
書くだけでも大変なのにエミュ難度高いゼファーを違和感なくてしかもいいものを書けるのは本当に凄いです
これからも応援しております。 - 21123/01/14(土) 19:35:51