- 1二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 23:40:11
何故この僅か数秒のCパートを入れたのか、アジカンカバーで綺麗に締めているのでそのままでも良かったはず、わざわざ尺調整してまで入れたのはなぜか?
よく見る意見が「後藤ひとりの少しだけ成長した日常が続いていくことを表している」というもので、確かにそれもあるのだと思う
でもそれは「今日もバイトかぁ」という台詞から来る考察で、『転がる岩(ぼっち)』に当たる部分だと思う
そしてその台詞が発せられているスレ絵のカットは『君に朝が降る』に当たる部分で、二つ合わせて『転がる岩、君に朝が降る』を表現して終わったのではないだろうか
だがここで気になるのが、やはりなぜわざわざ尺を用意したのかという点
そして『転がる岩』は情景描写であるのに対し、『君に朝が降る』は台詞であるという点
ED曲を再び表現したのはなぜか?一体誰が少し成長したぼっちちゃんに朝が降っていることを知らせているのか?
それはきっとアニメ制作陣や原作者なのではないだろうか
これからもぼっちちゃんは沢山悩みながら転がり続ける、でも押し入れから一歩踏み出したその未来は"孤独も全て暴き出す朝"のように明るいものなんだよということを知らせている
だから転がり続けているぼっちちゃんに朝を降らせているのは、この作品を作りながらも彼女を愛している制作陣、そしてそれを見ている視聴者も一緒に転がり続ける彼女を愛して応援してほしいから、このシーンで終わらせたのだと思った
つまりこのシーンは我々からのぼっちちゃんへのラブレターみたいなものじゃないだろうか - 2二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 23:41:26
知らない知らない!!!!!
2期の匂わせだきっと!!!! - 3二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 23:47:59
ようは原作読んで一緒に転がろうぜってことか
- 4二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 23:50:26
バイトやめよう!!
- 5二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 23:51:07
- 6二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 23:51:55
産業
- 7123/01/13(金) 23:52:43
- 8二次元好きの匿名さん23/01/13(金) 23:59:54
- 9二次元好きの匿名さん23/01/14(土) 00:05:34
まぁ文化祭の魔法は解けて今日からまたバイトと練習の地味なバンド活動が始まるんだってことだろう
- 10123/01/14(土) 00:23:04
あと気になっているのが11話ラストのサブリミナル的な3カット
文化祭のステージ→スタジオ→玄関→押し入れの順番になってるけど、これ学校に近い方から遠い方へ移り変わってる
ぼっちちゃんの歩みを表現するなら普通逆だよね?あえて押し入れに戻っていってるのは何故なのか - 11二次元好きの匿名さん23/01/14(土) 00:36:35
- 12123/01/14(土) 00:46:48
- 13二次元好きの匿名さん23/01/14(土) 00:50:21
- 14123/01/14(土) 01:00:43
振り返りなら過去のシーンを切り取った方が分かりやすくない?
この場面ってステージにいるぼっちちゃんは知りえないし、神視点の視聴者だからこそ分かる情報だから、やっぱり何か視聴者に感じてほしいものがあるんだと思うんだよね
- 15二次元好きの匿名さん23/01/14(土) 01:12:48
本質は変わってないけど籠り切りのギターヒーローはもう居ない
- 16二次元好きの匿名さん23/01/14(土) 01:47:19
振り返ってみればぼっちちゃんの原点はここ(押し入れ)だ
しかし『今現在』彼女はそこにいない。なぜなら文化祭のステージに立っているから - 17二次元好きの匿名さん23/01/14(土) 01:58:44
ぼっちが何もかも諦めた世界なら、あの日あの時間にギターヒーローがいたかもしれない場所を映してる、って解釈したかなー。