ここに来ても

  • 1二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 10:26:13

    『しのぶれど 色に出でにけり わが恋(こひ)は ものや思ふと 人の問ふまで』
    (恋でもしてんのか? って誰かに問いかけられる程、私の感情は表に出てたってのか?)
    をうっかり地で行ってしまったナカヤマとトレーナーのお話が読めないかもしれないのですが、もし良かったら読みたいです。

    以下サンプルとなります。12レス。ご笑納ください。

  • 21/1223/01/15(日) 10:26:23

     窓だとか、鏡だとか、自分の姿が映るものの前をよぎる時、ふと脚を止めるようになった。

     視線の先の自分と目が合うのは、正直な話、あまり心地のいいモンじゃない。ま、別に苦痛って程の事でもないけどな。朝からそこそこの時間をかけて身支度をする同室ほど、鏡面の自分と向き合う時間は作らない。鹿毛の髪の癖の強さはいまにはじまった事じゃねぇし、コテだのヘアオイルだのを使って朝イチからキメる必要性を私は感じてなかった。どうせ午後からのダンスレッスンやらトレーニングでしっちゃかめっちゃかになるんだ、ただの徒労でしかないだろう? だったら最低限整えるだけでいい。……さすがの私でも前衛芸術か何かか? くらいの寝癖を直していかないほど恥知らずじゃなかったが。

    「ナカヤマちゃん、……どうかしたのかい?」

     ワンダーアキュートは秋の日の陽だまりのような声をしている。冬の気配が空気に残るせいかどこかひんやりした春の日だまりではなく、冬の気配はまだ遠く夏のかけらが空の色に交じる、秋の季節のそれ。
     角の取れたまるい声音は、まるで眠る私を優しく揺り起こすようにして、我に返らせる。

     まただ。
     また、──窓に映る自分の姿を、そして、その向こうにある景色を見遣っていた。

    「いや、何でもねぇよ」
    「ナカヤマちゃんは変に無理をする子じゃないから、問題ないのならいいんじゃけど……」
    「あぁ、問題ない。ほら、授業遅れるぜ」

     アキュートを立ち止まらせたのは誰でもない私だ。そんな自分を棚に上げても、アキュートは私を咎めることはない。促せばふたたび歩き出すその後ろ姿を追って、窓に映る自分と窓の外の風景から目を逸らす。
     窓の外、並び立つ建物の向こうに、一体何があるっていうんだ。ガラスに映り込む私はいつもとなんら変わりない。長袖の制服に身を包み、時たまシリウスにあきれられる化粧っ気のない顔をさらし、お気に入りのニット帽をかぶる。先程の授業中に突っ伏して寝ていたからだろう、普段なら気にならない前髪の歪みに軽く触れる。
     それは、お節介なクラスメートにすら気づかれない、かすかな歪みだ。

  • 32/1223/01/15(日) 10:26:36

    ***

    「あ、ナカヤマ、おっすー」

     雨の気配はないが、曇天。雲の薄い箇所から太陽の光が漏れ出て、かろうじて昼間の様相を呈している、そんな放課後。LANEで送られてきていたトレーニング指示を確認していたところ、聞き慣れた声が背中を叩く。振り返り確認するまでもない。スマホから視線を上げたタイミングで、ちょうど回り込んでやってきたのはトーセンジョーダンだ。
     梅雨の時期には二倍になりそうなボリューム感の二つ結びを揺らし、口元も覆わない大あくびをひとつ。随分とご挨拶だな。午後からの授業が実技からの座学だと緊張感が緩んだ放課後始まりはうっすらとした睡魔がつきまといがちだ。ついでににじんだらしい目の端の涙を指先で散らし、ジョーダンはちらりと私の手許を見たようだった。

    「ナカヤマ、外周あんの?」

     別に隠すものでもなかったため咎めることはしなかったが、トレーナーから送られてきたトレーニング指示を見た……わけでもなかったらしい。

    「ウッドチップ、坂路、誰か捕まえられたら併走」
    「ふーん、じゃあさ、併走のかわりに外周行かん? ウッドチップコースも坂路もいまいっぱいみたいなんだよね〜」

     そんなわけで各々柔軟運動で身体を解してから、肩を並べて校門を出る。

     スマホで利用状況を確認したところ、ジョーダンの言うとおり。今日は教官指導のグループ練が多いとは予想していたが、想像以上だった。利用者が多かろうと単独トレーニングならどうにでもなるが……利用者が多いからこそ、無駄に接触したり気移りしたりな、面倒なことも起こり得るものさ。
     かといって仲良しこよしで走るわけでもない。お互いに牽制し合いつつ、リズムの良いペースで走る。ウマ娘用レーンの隣を走るクルマに追いつき追い越されしつつも河川敷までたどり着けば、そこで一度クールダウンだ。

    「で?」
    「え?」
    「何か用があるんじゃねぇのか? トレーナーが出かけててさみしいから声をかけてきたってわけじゃないだろ?」

  • 43/1223/01/15(日) 10:26:49

     私の問いかけにジョーダンは丸い瞳を見開いて、わかりやすく視線を動かしてみせた。ここまでお膳立てしてやってんのに気づかれてないと思っていたなら大層めでたい……いや、こいつはこういうヤツだったな、と思い直す。
     ここまで動かしてきた下半身を中心に筋肉を程よく伸ばしつつ、待つこと一分ほど。あーだのうーだのとりとめのないうめき声を発した末に、ジョーダンはどこか落ち着きがない様子のまま、いつもはそこそこ回る口を、重たげに開いた。

    「や、今日さ、学園中のトレーナーがいないじゃん?」
    「そうだな」

     トレーナーズミーティングだったか──どうやら海外から名うてのトレーナー数名が招聘されたらしく、トレセン学園所属トレーナーは全員出席で意見討論会に出席しなければならなくなったらしい。ジョーダンのトレーナーも、私のトレーナーもだ。スマホにトレーニング指示が届いていたのはそれが理由で、個人練ではなく教官指導のもと、グループ練に参加する生徒もそこそこいるらしい。
     で、それがどうかしたんだよ。まさか、本当に、トレーナーが出かけてさみしいから声をかけてきたとでも言うつもりか?

    「アキュートさんがさ」
    「アキュート?」
    「ナカヤマが元気なさそうだから、様子を見てあげてーって言ってたの!」
    「は?」

     私の元気がなんだって?

     アキュートやらジョーダンほど活気にあふれたタイプじゃねぇのは自覚しているが、別段なにか憚りがあるわけでもない。体調も悪くない。……強いて言えば寒さか? 風の渡る河川敷は動いていないとクソほど寒い。

    「アキュートさんやさしいじゃん? 気のせいじゃん? って思ったけどさぁ」

     思ったけど、なんだよ。
     河川敷に群生する背の高い草を払うようにして、風が吹き抜ける。川面が小波立って、首元を寒風がかすめていく。
     おいおい、なんの冗談だ? ジョーダンのくせにジョーダンだって、くらい言うもんだと思っていたが、感情表現が素直でにぎやかな目の前のウマ娘は、眉を下げるばかり。

     なぁ、アキュート。それにジョーダンてめーもだ。
     アンタらには一体、何が見えてやがるんだ?

  • 54/1223/01/15(日) 10:27:02

    ***

     晩飯は魚料理をチョイスした。
     赤魚の煮付けはくったりほろほろの身具合で、淡白ながら染みた煮汁に米が進む。やっぱりこの季節はコレだよな。洋食か和食かを占うコイントスは、私に正解を示してくれた。
     風呂は夕食の前に終えていて、あとは野となれ山となれ。談話室のテレビには興味を引かれず自室に戻ったタイミングで、ポケットに入れていたスマホが振動する。

    『ミーティング終わった。今日トレーニング見られなくてごめん』

     LANEに表示された第一声がそれなもんだから、思わず息が解れる。
     べつに急遽決まったもんじゃあるまいし、今日の体調やら天気やら授業やらを加味したトレーニング指示もその詳細内容も、いつものように過不足はなかっただろうが。私のトレーナーはおそらく、この学園内じゃ私のことを一番よく知っている。少なくともその指示が大きく見当違いだったことはねぇだろ。

    『そんなことより喧嘩は売って来れたんだろうな?』

     部屋の扉を後ろ手で閉めて、そのまま背を預ける。海外からわざわざ呼び出されたトレーナーだ。ご高説を垂れられるだけじゃ物足りねぇだろ? 去年の秋、凱旋門賞で結果を残した私たちは、次の賭場を探している。国内専念もいいが、海を越えふたたびどデカい勝負に興じるのも悪くはあるまいよ。
     さぁ、次はどんな勝負を与えてくれる? 知らず口角が上がっていたのを自覚する。既読の表示。ほんの少しの待ち時間の間、私は背中からベッドにダイブする。
     次いで送られてきたのは、担当トレーナーがいかにも外国人めいた風貌の男とともにうまぴょい伝説を踊っている写真だ。
     
    『仲良くはなれた、かな?』

    「……ふ、」

    『今日の友は明日の敵ってか?』

    『寝首は掻くもの』

    『違いない』

     既読表示がついて、トーク画面はしんと静まり返る。時間的におそらくトレーナー寮に帰ってきたところだろう。人心地つく前にメッセージを送ってきたのがうかがえれば、呆れもするさ。アンタは本当に、いつだって私を一番に考える。手にしていたスマホを傍らに放り、次にスマホが振動するのをゆるり待とうとした、その時だった。

  • 65/1223/01/15(日) 10:27:15

    「しのぶれど 色に出りけり、──なんとやら、か?」
    「……は?」

     毎度毎度同室のシリウスシンボリは居丈高この上ない。私たちはいちいちただいまだのおかえりだの交わし合ったり世話を焼かれ焼き合うような間柄じゃないからな。ヒリついた勝負をするなら話はまた別だが──あぁ、外出時に出てくるくらいは言うようにはなったか。

     それはともかく、だ。
     いまこいつは、何と言った?

     私が部屋に戻るよりも先に部屋の明かりを灯し、机に向かっていたシリウスが、いつの間にやら回転椅子を回し、こちらを見遣っている。そこまではなんら問題はないさ。いちいち煽るような言い回しをしないと気が済まないのも平常運転。
     ただ。
     投げられる視線に揶揄の色が見えるのが、癪に障る。

    「続き詠んでみろよ。『先生』に習わなかったか? 」
    「──わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで、だろ。何だよ、藪から棒に」
    「いいねぇ、詠んでも自覚がないときたか」

     シリウスは心底楽しいと言わんばかりに脚を高く組み上げて両手を広げ肩をすくめる。私はベッドに仰向けの状態で、シリウスはベッドよりも背の高い椅子に座っているから、当然、自然と見下されることになるわけだが、──顎を上げたお得意のどこか高慢な様子は、正直なところいつも以上に含みがある。
     こうやって前置きもなく会話がはじまることなんて、それこそ日常茶飯事だ。安い挑発に乗るのもバ鹿らしい。けどな、どうしてか……盛大に水を差された不快感が沸き起こって、私は対峙するために身体を起こす。

    「寝惚けるにはまだ時間が早すぎないか?」
    「それはこちらの台詞だ、ナカヤマ。満腹で思考回路が鈍りでもしてんのか? あぁ、違うな、今日一日そうだったか」
    「……またそれか」

  • 76/1223/01/15(日) 10:27:26

     アキュート、それにジョーダン。思い起こせばどこかのタイミングで遭遇したゴルシの様子も若干ではあるがおかしかった気もしなくもない。あいつに関してはいつもおかしいが、おかしくなかったことがおかしかった。
     様子がおかしい、と、思われている。しかし私にはそんな自覚も認識も一切ないわけで。かといって、誰もどう様子がおかしいのか口にしない。……もっともアキュートやゴルシにはそもそも聞くタイミングはなかっし、ジョーダンに聞いたところで要領を得ないだろうことはわかりきっているが。
     なら、目の前の『先達』に教えを請うか? 冗談だろ。自分から玩具になりにいく物好きがどこにいる。……いや、この女に対してなら玩具になってもいいと乞い願う者もいるんだろうが。生憎、私にそんな趣味はない。

     ──が。
     今宵の天狼の王は大層ご機嫌が麗しいらしいぜ。無駄に長い脚を払ったかと思えば立ち上がり、一歩、二歩、三歩目でその片脚が私のベッドの上に乗り上げる。丁度、起き上がった私の太腿の真横。あぁ、これと似たような事例を知ってるよ。壁ドンってやつだろ? もっとも壁は近くもなんともないが、要は、相手の逃げ場を圧迫感とともに奪う行為だ。そのまま流れるようにして指先が伸び、私の顎をすくい上げる。腰を曲げ、シリウスの花のかんばせがぐっと近づいた。
     すわ接吻か? 普通ならそうだろうさ。この女はこうして戯れに距離を詰めて己の信望者たちを惑わすこともあるからな。だが私に対しては違う。赤く輝く瞳がつらぬくように注がれれても、慄く必要は一つたりともない。

    「部屋に帰ってからのテメーの表情に自覚はないのか?」
    「……は?」
    「ほら、もう一度諳んじてみろよ。しのぶれど?」

     わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで──

  • 87/1223/01/15(日) 10:27:39

    「──は、面白いことを言うじゃねぇか。誰に、だよ」
    「『誰』? さも思い当たる相手がいるクチだ」
    「……」

     シリウスとの会話において、主導権を握られるのは好ましくないのはわかりきったことだ。些細な言動が相手のイニシアチブにつながるのなら、それこそこらえる──『しのぶ』べき。ゆえに、シリウスの整えられた手指にいまだ囚えられたままの私は微動だにしない。ここで睨みつけでもしてみろ、罠にかかったとばかりの哄笑が降ってくるのは火を見るよりも明らかだ。

     けれど。
     ああ、──そうだ。

     誰のことだと問うたとき、誰かがこの心を過ぎったのは、──腹立たしいが、間違いのないことだった。シリウスは笑っている。夜空に煌々と輝く星そのものを思わせる笑みだった。軽く頭を振ると顎にそえられたままだった手指はいとも簡単に振り払うことができた。圧をかける必要がなくなり、スプリングがきしむ音ともにシリウスの片脚が床に着地する。
     さきほどまで寝転んでいたあたりで、スマホが振動した。ディスプレイは伏せられているため何を報せた振動なのかはわからない。

     わからない、が。

  • 98/1223/01/15(日) 10:27:54

    ***

     寮を出れば漂う冷気に思わず首をすくめた。裏起毛のスカジャンを羽織ってきて正解だったが、なんとも首元が心許ねぇな。指通りのよくなった髪で首元を覆うようにして、昼間と違い晴れ渡る夜空の下に一歩踏み出す。ブーツからショーパンの間の素足に寒さがしみたが、──いまはおそらく、しみるくらいがいい塩梅だろうさ。
     無意識に詰めていた息を吐くと、白い塊となって口元からこぼれる。髪が揺れれば鼻孔をくすぐる柑橘の香りは、シリウスの手によるものだ。

    『出かけてくる』と──あの後、まるで話を打ち切るようにして立ち上がったことに対し、シリウスは、私が想定していた反応を見せることはなかった。話はまだ終わっていないだとか、尻尾を巻いて逃げる気かだとか、その手の言葉が浴びせかけられることもなく──代わりに、腕を引かれた私は、そのまま先程までシリウスが座していた回転椅子に座らされた。

    『その適当なナリで行くつもりか?』

     常に手入れの行き届いた髪を誇るシリウスシンボリと違い、風呂に入り飯を食いあとは眠るまでの時間を過ごすだけの状態だった私の頭は、最低限、他の寮生に笑われない程度のクオリティ。いつものニット帽を被ってしまえばだいたいのことは隠せるのだからと頷くと、あからさまなため息をつかれる。

    『これから勝負しに行くんだろうが』

     そうしてシリウスがいつも使うヘアオイルで髪を整えられてから、放られるように部屋を追い出され──今に至るというわけなんだが。

    (勝負、ね)

     かけられた言葉を反芻する。勝負。同室との遣り取りにおいて劣勢だから逃げ出したわけではなかった。
     ただ、──行かなければならないと、思考よりも先に感情が疾った。それが勝負かどうかはまだ夜の暗がりの中だ。幸運にも美浦寮からトレーナー寮までに思考をまとめるだけの距離はある。

  • 109/1223/01/15(日) 10:28:12

    ***

    『吊橋効果を知っているな?』

     私の癖の強い髪を梳りながら、シリウスは言う。
     この女は一体、何を知ってやがるんだ。その裏にお節介な友人たちの姿が見える気がするが。もっとも、こいつがこう見えてお節介に当てられやすいのは、今にはじまったことじゃない。
     しかし、友人たちは誰一人として核心にたどり着けはしなかったはずだ。私自身ですらシリウスの言葉で暴かれることにより自覚に至ったんだ。
     じゃあなぜ、シリウスシンボリには理解ったのか。──それを尋ねたところで詮無きことかもしれねぇな。夜空に輝く天狼星は航海のしるべだ。シリウスもまた時折、まるで導くようにしてこちらを見透かしてくる。

     吊橋効果。言い得て妙で、なんならその通りかもしれない。
     私とあいつは──トレーナーは、そういう橋を渡りすぎた。出会いからしてそうだ。エルコンドルパサーの会見に乱入し退路を断った。ある夏には熊に追われ生と死の狭間で酩酊し、途方もなく低い可能性に賭け、凱旋門賞までの四年を駆け抜けた。私の心臓が強く脈を打つとき、隣には必ずトレーナーの姿があった。幾度も拳を合わせ、勝利の美酒に溺れた末の感情が吊橋効果よるものだと言われれば、──間違いではないのかもしれない。

    『だがな』
     シリウスは続ける。
    『いつだって正解を導いてきたのは、テメーの心臓の鼓動だ』

     恐怖を、緊張を、逆境を、不安を、脈打つ心臓になぞらえた。鼓動が薄い胸を叩けば生きていると実感できた。そうして、駆けて、賭けて、懸けて──

     そうして、私は、ここにいる。
     ここまでたどり着いている。

     息を吐く。肺の中はとっくのとうに夜気で満ちているはずなのに、いまだ白く立ち昇る。灯りの漏れ出るトレーナー寮の玄関前に立ち、私はスマホのディスプレイに指を滑らせた。

    「もしもし? トレーナー? あぁ、私だ。──今、出てこられるか?」

     勝負だと、シリウスは言った。

     行かなければならないと、私の本能は告げている。

     誰かに察されてしまうほどの感情の正体は──私自身の手で暴いてやるのが筋ってものなんだから。

  • 1110/1223/01/15(日) 10:28:38

    ***

     ──しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで

     その歌が百人一首に採録されていると私に教えてくれたのは『先生』だった。
     巴里を愛し、歌劇を愛する先生は、授業でも授業外でも、私にたくさんの『言葉』を教えてくれたっけ。正直、羅生門あたりは小学生に読ませるもんじゃなかったと思うが、イレ込むと止まらなくなるのが先生の美点であり欠点でもある。……いつか、病院をこっそり抜け出して私のメイクデビューに駆けつけた時みたいにさ。ま、退院してそこそこ動けるようになった今でもそういうところは変わらない。
     
     繊細な音楽と物語による叙情を好む先生は、生徒たちに『言葉』を教えるのに長けていた。

    『ねぇフェスタ、あなたもいつか、すてきな恋をするかしら』

     病院の個室で大好きな歌劇を鑑賞したあと、窓の外を眺めた先生が言ったのは、いつのころだったかな。その視線を追いかけて、耐え忍ぶような裸の木々があったから、いまと同じく冬の季節だったかもしれない。

    『そういうのにさ、巻き込まれるのはごめんだぜ?』

     肩を竦めて返せば、先生は驚いたようにぱちぱちと瞳を瞬かせる。だってそうだろ、ウマ娘で、多少見目がいいってだけで声をかけてくるヤツは正直ごまんといるんだ。私を巡って勝手に勝負をしてたり、私に勝負を仕掛けて勝てば俺のものになれだとか、面倒臭いにもほどがある。ま、もちろん全て返り討ちにしてやったけど。
     先生は眉をさげて口許だけでかすかに笑う。瞳はすこし寂しげだ。

    『わずらわしくて、億劫なものかもしれないわ。それでもね、愛も情も恋だって、ひとを生かしてくれるのよ』

     先生はそう言って、まだ痩せて骨ばっていた手で、私の手を包み込む。
     それは途轍もない奇跡が起こる、だいぶ前の話だ。

  • 1211/1223/01/15(日) 10:28:53

    11

    「ナカヤマ、どうかした?!」

     トレーナー寮の玄関が勢いよく開かれた音で、私は現実に引き戻された。この感情の正体が明かされた暁には、先生にも教えてやらねぇといけないかもな? 矢鱈と興奮しそうな気もするが、──まずは、いかにも慌てて出てきましたとばかりのトレーナーに対峙する。
     と、言っても。……ノープランだわな。出たとこ勝負なんて言葉は私の辞書に存在しない。存在しなかったはずだった。ああチクショウ、割に合わない言葉が採録された瞬間に頭を抱えたくなってしまう。勝負ってのはよ、もう少し下準備が必要だ。わかってたはずなのに、理解していたはずなのに。

    「もしかして風呂上がりか?」
    「髪は乾かした後だったから問題ないよ」

     風邪は引かない、とばかりに握りこぶしを作るトレーナーの姿に、──どうしてこんなにも、心がざわめいてしまうのか。
     こっちはアポもなく訪ねてきたんだぞ。二つ返事で出てきやがって。風呂上がりなんだったらもう少し考えろ。そもそも業務時間外だろうが。
     それなのに。

    ──アンタは本当に、私のことを一番に考える。

     いつだってそうだ。どんなに私が理不尽な勝負を仕掛けても、まずは受け取って、一緒に走り出してから考えるんだよ、この阿呆はさ。心底イカれてやがる。

     思考が巡れば巡るほど、呼応するように心臓の鼓動も回転数を上げていく。

    「……あれ」
    「あ?」
    「オレンジ? レモン? 柑橘系の匂いがする」
    「……シトラス。髪だよ。シリウスの野郎にやられた」
    「ああ、だからいつもよりもまとまってるんだね」

     ──気づくなよ。気づいてくれるな。あァそうだな、シリウス、これは勝負。これは勝負だ。夕飯を選ぶみたくコイントスじゃ決められない。決められっこないさ。心臓がうるせぇ。血が巡って身体が熱を帯びている。無意識に握りしめていた掌は汗ばんで、さっきまで感じていた冬の寒さなんてとっくのとうに消え失せた。
     どく、どく、どく、と、心臓が脈を打つ。不安に、逆境に、緊張に、恐怖に打ち勝とうとするときのように。パブロフの犬か何かかよ。生きたいと、生きていると、心臓が叫んでやがる。

  • 1312/1223/01/15(日) 10:29:06

    「ナカヤマ?」

     尋ねる声は私を急かさない。何の用だとかさ、用がないなら解散だとかさ、そういう一言二言くらい、あったっていいもんなのに。

     ゲートが開くのを待っている。
     私が駆け出すのを待っている。
     いつもみたいに。いつものように。

     けれどいつもと違うのは、脈打つのは私の心臓だけってことだ。あァ、気に食わない。気に食わねぇよ。
     いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げる。安堵したような表情しやがって。軋んだ人形みたく腕を伸ばして、目の前のトレーナーの心臓あたりに手を翳す。
     ま、流石に驚くよな。だが知るもんか。厚手の衣服に隔てられ、心臓が跳ねる音は感じない。

    「今に見てろよ」
    「うん?」
    「……またアンタに教えてやるよ。……生きてる、って実感をさ」
    「新しい勝負でも思いついた?」

     白い息とともに語気が弾む。無邪気な顔をしやがって。
     
     あぁ、勝負。これは勝負だ。恋心を賭けた、生きるための勝負。生きるために駆ける、私だけの勝負。私の想いを懸ける、情の勝負。

     さぁ、開帳といこうじゃないか。



     幾多の星に見守られ、幕は切って落とされた。

  • 14二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 10:29:32

    ナカヤマさんはキャラストページで都々逸を詠む女かつ、先生との手紙の遣り取りがたいそう叙情的だったため、先生にいっぱいいろんな国語の授業を受けたに違いない……という気持ちで書きました。

  • 15二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 10:40:27

    素晴らしい。シェフを読んでくれたまえ

  • 16二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 11:55:44

    >>15

    シェフです……

    読んでくれてありがとう

    その一言で生き返りました!


    他にもシェフはいませんかね、いませんか……

  • 17二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 13:56:18

    ナカヤマってもしかして可愛い…?

  • 18二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 14:06:54

    最近はナカヤマSSが多くて嬉しいね
    スレ主さんの作品は心理描写が多めで丁寧なところが好き

  • 19二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 14:18:57

    シェフにチップを渡したいが手持ちの語彙が少なくてね……いいものを読ませてもらったよ

  • 20二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 14:26:24

    >>17

    👺

  • 21二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 15:06:38

    話の状況や心理状態を地の文でしっかりと書いて読ませる文参考になります。
    素晴らしい作品ですね。

  • 22二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 17:59:54

    >>17

    最高に可愛い女の子だよ!

    キャラストもサポカもかっ飛んでるけど、育成では可愛らしいところもちらほら見受けられます

    シニアJCとかプリティーどこいったくらいの言動するけど一周回って可愛いですよ(ろくろを回しつつ)

  • 23二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 18:08:35

    >>18

    そうなんです、ナカヤマSSが増えてて……嬉しいです!

    もっと読みたいのでここにくれば芸をしたんですがなかなか


    お褒め頂きたいへん光栄です!

    心理描写は不得意な方なのでそう言って頂けるととても嬉しいです。


    >>19

    い、いつでも募集してますので……!!

    いいものと言っていただきとても嬉しいです。

    ありがとう!


    >>21

    ありがとうございます〜!

    書きたいという気持ちに技量が追いついていないことがままあるので、上手くできてたら嬉しいです。

  • 24二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 20:06:30

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  • 25二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 20:07:05

    よかった…

  • 26テキ屋23/01/15(日) 20:58:12

    >>16

    (シェフの見事な作品に感じいった心のままに書き散らした駄文で良ければ)

    『ここに居るぞ!!』

    と言うことで祭り屋台のヤキソバ程度のクオリティですが返歌をお持ちしました

    投下させて頂きます

  • 27テキ屋23/01/15(日) 20:58:58

    恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか(どうやら私が恋をしているらしいって噂が立ってやがるぜ
    …そう自覚したのなんてつい最近なんだがな)

    病室のベッドの上に横になるこの人を見ていると、未だに不安になる
    もう病魔はこの人から去って行ってしまったというのに、またここに縛り付けられることになりはしないかと嫌な想像が脳裏をよぎるのだ
    明日をも知れなかった頃とは違い、淡いピンク色のパジャマに身を包んでベッドの上に自力で上体を起こして私と向かい合っている先生の姿が、却ってあの一番痛々しかった頃の焦燥を思い出させる
    そんな私の葛藤を見てとったのか、先生はころころと大分ふくよかになった頬をほころばせて笑ってみせた
    「単なる検査入院だもの
    再発していないかの確認をするだけなのだから、そんなに気負うことは無いのよ、ナカヤマさん」
    全くこんな簡単に感情を読まれるようじゃ勝負師を名乗れやしない
    少しの反発心が私にしょうもない減らず口を叩かせた
    「だからって必ず再発してねえって訳でも無いんだろ?
    油断大敵だぜ、先生」
    我ながら拗ねた子供以外の何者でもない、酷い言い草だ
    そんな失礼極まりない子供にも先生はいつものように穏やかな笑顔を向けてくれた
    「ええ、そうよ
    だから油断せずにこうやって検査して貰ってるの
    折角貴女たちのお祈りが通じて拾えた命だもの
    ァ、徒やおろそかにぃ、むざむざと生きることなどォ、出来ましょうかァ」
    えらく芝居がかった歌舞伎かなにかの口上めいた語り口に思わず吹き出した
    先生の目を剥いたわざとらしいしかめっ面に笑いが止まらなくなる
    そのまま二人、声を上げて笑い合う
    もうこの人は大丈夫なのだ
    そう思えることが涙が出そうなくらい嬉しかった

  • 28テキ屋23/01/15(日) 21:00:09

    ひとしきり笑った後、私は時間を確認して立ち上がる
    「それじゃ先生、そろそろ時間なんで私は帰るよ
    退院の時には親父さん来てくれるんだろ?」
    「ええ、そうよ
    だから今度の退院は私一人で大丈夫
    今日はわざわざありがとうね、ナカヤマさん」
    そう言って微笑む先生
    その口元が少々愉しげに吊り上がる
    「前の時みたいにトレーナーさんのハンカチを駄目にする心配は無いわよ?」
    …参った
    まさかこの人がこんな話を振って来るとは思ってもみなかった
    ガラにもなく自分が赤面しているのを自覚する
    前回の退院時、車椅子ではなく自分の足で病院の玄関からゆっくりと出てくる先生を見たとき私は自分を抑えられなかった
    堪えきれずに制服の袖で涙を拭う私を見かねてトレーナーが差し出してきた白いハンカチは、あっという間にぐしょぐしょになってしまった
    「先生にまでそんな事を言われるとは思ってなかったぜ…」
    そんなぼやきを聞いて先生は更に愉しげに切りこんでくる
    「あら?『私にまで』なんて言い方を貴女がすると言うことは、何かトレーナーさん関係で色々言われることがあったのね?」
    勘弁してくれ、どうしてこう、私の周りの連中は妙なところに目聡いんだ
    「先生、そんな事はどうでも良いだろ?」
    白旗を上げてベタオリする私に対して
    「まあ、何を言うのかしら
    私の可愛い教え子の恋路の行方が、どうでも良い筈が有るものですか」
    そう胸を張る先生の姿はまだ幼かった私に詩歌の世界の美しさについて語る時そのままだった

  • 29テキ屋23/01/15(日) 21:01:34

    「忍ぶれど、ね
    すてきなお友達と同室になれたのね、ナカヤマさん」
    先日の一件を洗いざらい白状させられ、耳を垂らして苦虫をかみ潰す私に先生は愛おしいものを見るような顔で微笑んだ
    「素敵、ねえ」
    あのいつもの威丈高な勿体ぶった態度を崩さない天狼星の王をそう評するのは、余程の節穴か余程のお人好し位のものだろう
    そう言い放とうとした私の鼻腔内に柑橘の香が鮮やかに蘇った
    シトラスが想起させるのは、私の事をいつだって一番に考える無邪気な顔で
    「貴女は平兼盛ではなくて壬生忠見だったのかしら?
    でも、それではいけないわねえ」
    結局ひとしきり話し終えるまで、私が先生の言葉を遮る事はなかった

  • 30テキ屋23/01/15(日) 21:01:49

    「よう、待たせたな」
    「構わないさ、先生と話がはずんでたんだろ?」
    病院のロビーでトレーナーと合流して駐車場へと向かう道すがら、先程の会話を思い出したので試しに聞いてみることにした
    「なあ、トレーナー」
    私の何気ない問い掛けに
    「なんだい、ナカヤマ?」
    普通に前向いて歩きゃ良いのに、わざわざ私の顔を見つめながら興味津々と言った風情で食いついてくる
    全く、私の事を優先しすぎてるとは思わないのかね?
    「壬生忠見って知ってるか?」
    そんな事を考えながら先程先生から聞いた名前を尋ねる
    「ミブノタダミ?
    あ、先生と歴史かなんかの話してたの?」
    ウマ娘の名前かと思った、と笑いながら答えるトレーナー
    「残念ながら知らないなあ、学生時代は世界史取ってたから」
    「そうか、なら良いんだ
    自分で調べてみるさ」
    力になれなくてゴメンね?と情けなさそうな顔をするトレーナー
    何も私のトレーニングプランを聞いてるんじゃないんだぜ?
    こんな世間話をアンタが気に病む必要なんか無いだろうに
    そう呆れる自分と
    こうやって私にすまなさを感じている間は、私がトレーナーの意識を独り占め出来ている
    そんな後ろ暗い喜悦を覚えている自分と
    どっちが自分の本音なのか私には判らなかった

  • 31テキ屋23/01/15(日) 21:02:31

    「ミブノタダミ、と」
    その日の晩、食事も風呂も済ませて後はもう寝るだけ、となった私は先生の謎掛けを解いてみようとスマホを取り出した

    『壬生忠見(ミブノタダミ)
    、平安時代中期の歌人。右衛門府生・壬生忠岑の子。父・忠岑とともに三十六歌仙の一人に数えられる。
    ~~~』
    予想通り歌人の話だったようだ
    しかし平兼盛と壬生忠見って先生は何を言いたかったんだ?
    そう訝しみつつ画面をスクロールさせた私は思わずスマホを取り落としそうになった

    『「天徳内裏歌合」で
    恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか(『拾遺和歌集』恋一621・『小倉百人一首』41番)
    と詠み、
    忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
    と詠んだ平兼盛に敗れたために悶死したという(『沙石集』)』
    思わず顔が熱くなる
    「先生、冗談キツいぜ…」

  • 32テキ屋23/01/15(日) 21:03:04

    恋すてふわが名はまだき立ちにけり
    人知れずこそ思いそめしか
    (「私が恋をしている」という私の噂が、もう世間の人たちの間に広まってしまった。他人に知られないよう、心密かに思いはじめていたのに)
    私も先生に色々と詩歌の事について教え込まれた身だ
    百人一首のメジャーな歌位は判るし意味も知っている
    つまりこれは、どう考えても私が自分の気持ちを自覚したことに対する先生からの発破掛けだった

    しかも壬生忠見は歌合、つまり和歌のコンテストで平兼盛の「忍ぶれど」に負けて悔しさのあまりに悶死したという
    これはつまり、先生は、シリウスが私より一枚上手だと言ってんのか?
    いや、そうではない
    先生はきっと
    『人知れずこそ思いそめしか』でも『ものやおもふと人の問うまで』でも『それではいけないわねえ』と私に言っていたのだ
    何とも皮肉の効いた事だ
    こいつはシャレがきつすぎる
    これはもう、私がトレーナーに勝負を仕掛けようとしているのに、その一歩目を踏み出しかねていることを完全に見抜かれているとしか思えなかった

  • 33テキ屋23/01/15(日) 21:03:38

    「どんだけ私のことよく見てるんだよ、あの人は」
    参った、完敗だ
    ぐうの音も出ない見事なロイヤルストレートフラッシュだ
    有り金全部を毟り取られたような妙に爽やかな敗北感と、ここまで言われたからにはすぐにでもトレーナーに『勝負』を仕掛けねば収まらないという昂揚感が私の胸を満たしていた

    その直後、スマホを相手に百面相を続けていた私を訝しんだシリウスに、笑顔で問い詰められた後のことは思い出したくない
    ただ、翌日から朝のヘアセットと寝る前のスキンケアが私の日課に加わる事となった
    それだけはシリウスに感謝している

  • 34テキ屋23/01/15(日) 21:06:40

    以上で投下終了です


    『忍ぶれど』があるなら『恋すてふ』がないのは片手落ちだろ!!というムダな使命感により勢いで書き上げました

    出来栄え的には平兼盛と壬生忠見になぞらえるのが申し訳ないクオリティの格差がございますが、笑って読んで頂ければ幸いです


    平兼盛と壬生忠見の解説については下記WIKIPEDIA(日本語版)を引用させて頂きました

    ありがとうございます

    壬生忠見 - Wikipediaja.m.wikipedia.org

    それでは失礼いたす

  • 35二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 21:23:25

    メチャクチャ深く掘り下げてるじゃないですか…!こんなこと返歌貰えるの羨ましいですね

  • 36テキ屋23/01/15(日) 21:46:21

    >>35

    ありがとうございます!

    ナカヤマさんは好きなんですがエミュが難易度高くて書くのはキツいですね

    >>1さんの傑作あってこその掘り下げなのでそこは最初に深読みできる作品を書いて頂いたおかげです

    ありがとうございます!

  • 37二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 23:04:40

    スレ主SSに胸を打たれつつ、お求めということなので素晴らしい作品への返礼として投下する。

  • 38二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 23:05:32

    「ねえ、フェスタ。知っているかしら」

     ロマンチストは問いかける。夢を見るにも似た声色で。
     人ってね、と。つづられた言葉への返答を探して、迷って。転がり出たのは結局、「へぇ」なんて簡易な相槌。
     それなのに、何が面白かったというのだろう。ふわりふわりと、先生は笑った。初春の野草がほころぶように。少女をも思わせる甘色を、瞳の中に宿らせながら。

  • 39二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 23:07:00



    「……何か悩んでる?」

     ナカヤマ、と。耳に馴染んだ呼びかけに顔を向けて、数秒。は、と。場に落ちた気息が自分のものであったと認識してから、また数秒。
     なんたる失態。勝負師の名折れ。それとも、数年も共にあればこそか。目ざといお人好しゆえだろうか。
     ふつふつと、雲が浮上する。トレーナーの眼差しに。顔色に。ああ、そうだ。いつまでも驚愕を晒したままでもいられない。ようやくとばかりに思い出す、ポーカーフェイスの作り方。口端を上げて、うかがうように見遣って、尻尾をふるりと揺らして、それから。

    「……そう見えるのか?」

     見える、と。眼前の顔が頷くより早く、目の色がはっきりと答えていた。同時に、らしくない私の反応が心配だ、とも。
     ああ、そうだろうな。そうだろうとも。らしくないなんて、私自身が痛感している。
     勝負の世界じゃ、相手を揺り動かすなんざ日常茶飯事。吹っかけるのも、流すのも、幾度も経験を積んできた。……だというのに。今の、私は。

    ──今のあなたは、きらきらとしているもの。

    「顔色が悪いってほどじゃあないけど……最近ぼんやりしているような、何か悩んでいるような気がして……」
    「…………」
    「……ナカヤマ?」

     想起した女声を追うように、私を案ずる声が重なった。私を、案じている。聞くだけでわかる。見るだけでわかる。いいや、わざわざ見聞きしなくとも、私はコイツを知っている。
     このトレーナーはいつだって、私のことを案じている。考えている。私が夢を叶える助けをすると、私を“生かす”のだと言って。そんなコイツが次になんと言うかなど、考えずとも明らかで。

  • 40二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 23:07:19

    「何か悩みがあるのなら、教えてほしい」

     私の力になりたいから。

    「ナカヤマの力になりたいから」

     やりたい賭けがあるなら手伝うし、

    「やりたい賭けがあるなら手伝うし、」

     自分にできることなら、なんでも……、

    「自分にできることなら、なんでもするから。もちろん、無理には聞かない……」
    「…………ククッ」
    「えっ」
    「ハハハハハッ! アンタのわかりやすさは相変わらずだな!」

     ほら、実に呆気ないストレート勝ちだ。面白い具合にイカれてはきても、根っこの部分は変わりゃしない。なんにでも首を突っ込みたがるお人好し。ブラフなんかはてんでダメで、すぐさま顔に出しやがる……。

    ──あなたのそんな顔を見るのは、久しぶりね。

     ……いや。そうだ。そうだったな。
     顔を正面へと向ければ、見慣れた両の目と視線が交わる。眼差しだけじゃない。ソイツはいつでもまっすぐだ。言葉も、思考も、行動も。

     どくん。
     心臓が跳ねて、じわり。じわりと。気がそぞろになりかける。少し前に耳にした、先生の声が脳裏に浮かぶ。
     ……まったく。顔に出しているのは、どっちの方だってんだ。

  • 41二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 23:08:09



    「手を伸ばしたら自分の宝物が消えちゃうかもって思っている、そんな顔」
    「……え」
    「でも、あの頃と全く同じではないわ」

     ほほえむ先生を見つめ返すも、その笑みの崩れる様子はない。先生は何を言っているのか。首を傾げれば、「だって」と。優しい鈴の音が続きを鳴らす。

    「今のあなたは、きらきらとしているもの」
    「……そりゃあそうだろうさ」

     小学生の時とは違う。何も知らなかった頃とは違う。身を震わせる場所があり、心を滾らせる勝負がある。地獄まで一緒に行くなどと言い放つ相棒がいて、最後の瞬間まで、まだ見ぬ果てへと駆けている。そんな毎日に、何を腐ることがあるだろう。不服に思うことがあるだろう。……これ以上、などと。望むことがあるだろう。

    「……ふふふ」
    「……何がおかしいんだよ、先生」
    「ねえ、フェスタ。知っているかしら」

     夢を見るような目。花を愛でるような声。画面向こうの華やかな舞台について語る時のような、あの顔で。楽しそうに。それはそれは楽しそうに、先生は言った。

    「人ってね。恋をすると綺麗になるのよ」

     どくん。
     心臓が跳ねる。汗がにじむ。熱が高まる。一瞬、ほんの一瞬だけ、くらりと。2文字がぐるぐる脳裏を巡って、回って。……何を。何を、言われた。こい。コイ。……恋。
     へぇ、と。返したつもりの声は、どのように聞こえたのだろうか。先生は「大丈夫よ」と笑う。ロマンだとか宝だとか、夢だとか恋だとか、そんなものを無邪気に愛する少女のように。ふわふわと笑って、口にする。

    「だって、フェスタが選んだ人だもの」

  • 42二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 23:08:48



     恋、などと。
     そんな砂糖菓子みてぇに甘ったれたもの、自分には不要だとばかり思っていた。ギラギラとヒリつく刺激に満ちた世界の中には生じもしないものだと、さも当然とばかりに見なしていた。……だと、いうのに。
     情とは、なんと厄介なものか。
     人を輝かせたかと思えば、曇らせもする。湧き上がって、燃え上がって、自然体の膜さえ溶かしちまう。
     そして、ソイツが溶かしちまうのは自分自身だけじゃない。積み上げてきた時間。構築してきた関係。そういったものすら、あえなく壊してしまう力がある。知人。友人。担当。……相棒。
     もしも。もしも、私の選択によって。踏み込みによって、その関係が崩れたら? 手の中から、消え失せてしまったら?

    「……ナカヤマ」

     自分にできることなら、なんでもするから。トレーナーの目は言っている。ナカヤマの力になりたいから。そう言って、案じて、私の答えを待っている。私を“生かす”と言うトレーナーは。私と駆けようとする大バカは。……ソイツは。ソイツが。望むことが何か、など。

    ──大丈夫よ。だって、フェスタが選んだ人だもの。

     そうだ。そうだな。そうだった。私はとうに知っている。ただ惑って迷って怯えては、二の足を踏み続けていただけだ。敗北を思って尻込みして、それでいったい何になる。勝負にはアクセル以外、要りはしない。派手にトばして、燃やして、ぶち込んで。それでこそ、滾る勝負ってもんだろう。その感覚のたまらなさを、アンタはわかっているだろう?

    「どうやら私は、アンタのことが好きらしい」
    「へぇ、ナカヤマが…………、…………え」
    「アンタ、言ったよな。最後まで私に付き合うって」

     問うのならば答えよう。忍びきれぬ熱情を。猛ってやまない感情を。
     崩れるのならば、抱えてやる。逃げるのならば、捕えてやる。
     今更後悔すんなよ。その選択肢を選び取ったのは……他でもない、アンタだぜ。

    「んじゃ、そういう意味で……私と“付き合って”くれよ、トレーナー?」

  • 43二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 23:09:09

    おしまい

  • 44二次元好きの匿名さん23/01/15(日) 23:13:27

    >>43

    ナカヤマの解像度が高い!

    言葉の緩急が凄い!

    とても良い物を見せて頂きました


    最後の狩猟本能全開でトレーナーを捉えにかかるナカヤマさんが最高にイキイキしてて好き

    やっぱりこの人は攻めてる時が一番か輝いてますね

  • 45123/01/16(月) 00:16:15

    >>25

    ありがと~~~~~~!!!!! HAPPY!!!


    >>26

    ウワーーーーッ!!! 恋すてふ! 返歌ありがとうございます……うれしい……うれしすぎて何度も読み返してたらこんな時間になってしまいましたで候。

    しのぶれども好きなんですが恋すてふも良いですよね、良い……耳垂れヤマ苦虫潰しフェスタあまりにも可愛いですね……

    私ごとなのですが、実はあんまり「可愛いナカヤマ」を書くのが上手ではなくて……頬は染めない照れない可愛いことも言わないナカヤマしか書けないのもあって、可愛いヤマフェスタを拝見するとそれはもう小躍りします。一歩目踏み出しかねているのあまりにもかわいい。見抜いている先生解釈ドドドドド一致ですありがとうございます……先生なら絶対見抜いた上で発破かけますよねええ……先生にもですし、シリウス、アキュート、ジョーダン、ゴルシといった近くにいる存在(アキュートは完全に自分の好みのあれですが)にはバレバレになってるナカヤマはたいへんかわいいと思っております。

    大事な人たちに弱いナカヤマからしか摂れない栄養素がここにありました……。ヘアセットとスキンケア日課にしはじめるナカヤマさんでもう一本くらい書けそう……。

    恋するナカヤマさんさいっこうにすごくすごい勢いで良いですね、ありがとうございます……本当に……ありがとうございます……!!!


    >>35 >>36

    とってもとっても嬉しいです!

    ここにくれば芸で盛り上がるスレッドを見つめつつも、自分でやってもああはならないだろうなと思いつつの>>1だったのでいま最高に幸せな気持ちです。

    ナカヤマさんは台詞は完全に男言葉にてしまえばいいんですが、いかに勝負やら賭けごとやらを配置するかが難しいですよね。自分はついついナカヤマさんの心のやわらかい部分を注視して書きがちなので、そのあたりいつも忘れてしまいます……。

  • 46123/01/16(月) 00:17:14

    >>37

    ワ~~~~~~~~~~~~ッ!?!?!? 増えてた!??!?!? お求めでした!!!! ありがとうございます……!!!


    "初春の野草がほころぶように。少女をも思わせる甘色を、瞳の中に宿らせながら。"


    これ、これですよ。先生ってこれですよね……? あまりの解像度に赤べこみたくうなずいてました。ここがあまりに好きすぎてさっきからずっと眺めています。

    トレーナーのこと理解しきってるナカヤマさん、輪唱みたく先読みしてるのあまりにも尊い。でも関係性が変化する事に対して不安になっちゃうナカヤマさん、あまりにも愛しい。恋をしてきらきらする描写むっっっっっっっっちゃくちゃ好きなので噛みしめるようにしています。

    そして悩みに悩んだあとはアクセル全開になるのほんっとナカヤマって感じで……年相応の女の子でありギャンブラーであるこのバランス感覚、最高です。ついつい自分はナカヤマの年相応の女の子部分ばかり書きたくなってしまうのと、告白シーンを書くのがあまり得意ではないので、告白した……ナカヤマさんが告白した……ありがとう……と天を仰ぎました。本当にありがとうございます。可愛いヤマフェスタとイケ散らかしてるヤマフェスタが同時に摂取できて今夜はいい夢が見られそうです……。

  • 47123/01/16(月) 00:27:59

    最近書いたやつも投下しておきます。

    【SS/トレウマ】ナカヤマさんの耳掃除|あにまん掲示板ナカヤマに膝枕で耳掃除してほしかった。可愛いナカヤマはいません。bbs.animanch.com

    上記を書いた時も返歌ならぬ返礼をいただきまして……今回も自分じゃない方が書かれたナカヤマさんのSSを拝見でき、本当に幸せな気持ちで一杯です。

    >>27テキ屋さんも>>37さんもありがとうございます。

    読んで下さった方、ハートぽちして下さった方にも感謝です。

    ありがとうございました!


    でもまだうっかり恋心駄々漏れがちヤマフェスタを書いて下さるシェフは募集中です。

    基本的にはポーカーフェイスなんですが思いも寄らない感情ゆえにうっかり駄々漏れするナカヤマは可愛いと思うんですよね。

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