(SS注意)『褒める』行為の効果論

  • 1二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 00:34:47

     褒める。
     単純な行為ではあるものの、難しく、そして重要なものになります。
     正しく褒めることが出来ればやる気に繋がり、パフォーマンスの向上も見込めるでしょう。
     とはいえ、ただ褒めれば良いというものではありません。
     言うタイミングを誤れば嫌みになります。
     言い方を間違えれば罵倒にすらなります。
     言う相手によって無礼にもなるでしょう。
     多感な年頃のウマ娘相手ならば、なおのこと、注意を払わなければなりません。
     本日はそんな褒め方について――――。

    「……わざわざトレーナー集めて聞く内容かねこれが」

     数か月に一度開催されるトレーナーの有志で開催される研究会がある。
     基本はトレーナー同士の情報交換が主だが、たまに講師を呼び講習会もする。
     普段は欠席しているが、どうしてもと同期に頼まれて、今回だけは出席したのだが。

    「あれどう考えて席埋めのためだよなあ……」

     トレセン学園の中庭、俺はベンチに腰かけながら配られた数枚の資料を見やる。
     講師の名前の横には元URAどうこうと大層な肩書が書かれていた。
     大人の事情、というやつなんだろう。
     話の内容は控えめにっても3時間費やす価値が感じられないものであった。
     少なくとも担当ウマ娘より優先するものではなかった、と大きくため息をつく。

    「ずいぶんと陰風な息吹ですね、トレーナーさん」

     言葉と同時に放たれる呼気が肌を撫でるような距離。
     背後から、ジャージ姿の担当ウマ娘、ヤマニンゼファーが顔を覗き込ませた。
     草原のような爽やかな香りに混ざる汗の匂い、少し心臓を跳ねさせながら、言葉を返す。

  • 2二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 00:35:06

    「……ゼファー? 練習はとっく終わってるはずじゃ」
    「はい。ですが、ひかたを浴びたくなりまして、探していたらトレーナーさんが」

     クールダウンついでに風を浴びてたら俺がいた、とゼファーは告げる。
     元々今日は軽いトレーニングの予定だったため、一人で練習するように指示を出していた。
     ふと、彼女は思い出したかのように、疑問を口にする。
     
    「そういえば、トレーナーさんこそ、お帰りは小夜風の頃合いだとおっしゃってましたが」
    「あー、ちょっと予定が繰り上がって、早く終わったんだよ」

     正確には予定をでっち上げて早めに抜け出してきただけなのだが。
     それを聞いて、ゼファーは嬉しそうに顔を綻ばせる。
     
    「今日はもう会えないと思ってましたから、花嵐の後に桜を見つけた気分です」
    「俺もゼファーに会えて嬉しいよ、今日は悪かったね」
    「いえ誰にでも風向きはありますから……隣、失礼しますね」

     そう言って、ゼファーは俺の隣に腰かけた。
     今日は強すぎず、冷たすぎず、心地の良い風が吹いてるのが俺にもわかる。
     流れる風を受けて、彼女は気持ち良さそうに目を細めていた。

    「ひより、ひよりです……ところで今日の用事はあまり良いものではなかったのですか?」
    「嫌なことだったいうわけじゃないけど、キミとの時間と釣り合うものではなかったかな」
    「あら、そう言っていただけるのは光風ではありますが…………その、資料が?」
    「今回の講習会の内容をざっくりまとめてあるものだね」

     ゼファーに資料を手渡した。
     彼女はと資料をめくると、何度も出てきて目に付いたであろう文字列を口にする。

    「褒める――――ですか」

  • 3二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 00:35:28

     意外なことにゼファーはその資料に興味を持ったようだ。
     彼女は資料を熱心に読み込む。大した内容ではない、彼女は頷きながら数分で読み終える。
     一息ついて、少しだけ考え込み、そして言った。
     
    「良く知る相手にこそ、褒めるのは難風になっていくのですね」
    「あー、その部分は確かにちょっと面白いなって俺も思った」

     知らない相手を褒める時は内容もある程度は雑で良い。
     相手も最初からお世辞だと思って受け取るため、そこに意思疎通の齟齬は発生しづらい。
     むしろ内容を気をつけなければならないのは、担当ウマ娘などの気心知れた相手。
     なまじお互いのことが理解しているため、誤解が生じる可能性が増えてしまう。
     故に。 

    「なるべくストレートな表現で、わかりやすく伝えましょう、だったかな」
    「ええ、覚えていたんですか」
    「そこに至るまで散々長話してたのに、結論はえらいあっさりだったから」

     大体話全体がそれの繰り返し、おまけで自慢話が挟まる。
     眠気を抑えるので精いっぱいだった、というのが正直な感想である。
     それをゼファーに伝えると、彼女はくすりと笑う。

    「ふふっ、トレーナーさんにとっては春風に誘われる内容でしたか?」
    「でもそんな内容だったからこそ、早めに切り上げて、今、キミと話せてる」
    「塞翁がウマ娘ですね、とすれば、この場の出会いは良き時つ風といえるのでしょう」

     彼女はそう言うと、資料を両手で持ち、顔の横で掲げるようにこちらへ向ける。
     その表情には何か期待するような、そして楽しそうな雰囲気が混じっていた。

    「トレーナーさん、この静穏を疾風にしてみませんか?」

  • 4二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 00:35:48

    「えっと、実際に褒めてみるってこと?」
    「はい、正風な褒め言葉は、相手にとって恵風となるということなので」

     一見すると、いつも通りの落ち着いた様子のゼファー。
     しかし、尻尾の方がパタパタトと揺れ動いており、強く望んでいるのが伺えた。
     そう考えて彼女の目を見てみれば、普段以上に輝いているようにも見える。

     ――――彼女が褒められることを望むとは、意外だった。

     あまり他人の評価などは気にせず、自分がどう在りたいかを重視する。
     それがヤマニンゼファーというウマ娘、だという思い込みがどこかにあったのかもしれない。
     彼女も年相応な少女だ、そういった面があったとしてもなんらおかしくはないだろう。
     なるほど、彼女の言う通り、これは良い機会なのかもしれない。

    「うん、じゃあやってみようか」
    「……はい!」

     そう言うとゼファーは花が開くような笑顔を見せた。
     ……もしかして俺は彼女をあまり褒めていなかったのだろうか。
     良いところは素直に伝えるようにしていたつもりだが、この反応を見ると、足りなかったかもしれない。
     とすれば尚のこと良い機会だ。
     彼女の良いところなんて星の数ほどある、言い始めれば何時間あっても不十分だ。
     手始めに、彼女の烈風の如き走りから言及しよう。
     そして俺は言葉を紡ごうとした。
     その直前である。

    「いつも、櫛風沐雨、帆風を送ってくださるところが、とても好風ですよ」

     ゼファーは真っすぐ俺を見つめて、そう伝えた。
     微風のような大きさの声、しかしその威力は突風のようだった。

  • 5二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 00:36:23

     あまりのことに、言葉を失い、思考が止まる。
     逆だった。彼女は俺に褒められることを望んでいたのではない。
     俺を褒めることを望んでいたのだ。
     やっと勘違いに気づいた俺を尻目に、彼女はぽんと手を叩いた。

    「なるべくストレートな表現で、わかりやすく、でしたね」

     うっかりしていた、と言わんばかりの表情。
     ゼファーは大きく深呼吸をする。
     そして、ゆっくりと言葉選びながら、先ほどの台詞を言い直す。

    「いつも苦労を惜しまず、私を支えてくれるところが、好きです」

     褒め言葉、というよりは好意を直球でぶつけられる。
     これはもはや精神的デッドボールといえるだろう。
     待て、待ってくれ。そんな俺の思いは、あまりの衝撃で言葉にすることができない。
      
    「ふぅ、少し頬に熱風が……ですが、言った私も白南風な心地になりますね」

     ゼファーは赤く染まった頬に手を当てる。
     だがその表情にはどこか満足気だ。
     そして、そのまま、俺の脳の復旧を待つことなく、彼女は言葉を紡ぎ続ける。

  • 6二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 00:36:46

    「では続きを。風のようにあろうとする私を否定せず、共に風になろうとしてくれるところが好きです」

     まずい、顔が熱い。口元が緩んでしまうのが止められそうにない。
     俺は表情を隠すべく、顔に手を当て――――ようとするが、手が動かせない。
     思考を見通すように、俺の手の上には、ゼファーは手が置かれている。
     そして足には彼女の尻尾がぐるりと巻かれていて、動くことができない。
     彼女は悪戯っぽく笑い、ぐいっと、その顔を近づけた。

    「ふふっ、ダメですよ? もっと、凛々しいお顔を、風に晒してください」

     言葉と共に発する吐息の熱さを感じられるような近さ。
     ゼファーの目が何かを見つけ、耳がぺたんと伏せられ、困ったような表情になる。
     何か身嗜みに問題があっただろうか。
     彼女は少しだけ沈んた声で、呟く。

    「目元に薄く隈が……私のための寝る間も惜しんでくださっているのは少しだけ黒南風です」

     置かれた手がぎゅっと握られる、その手はとても熱い。
     ぴったりと俺の足にくっついている、彼女の足もとても熱い。
     そしてその熱さは、微笑む彼女の口から、言葉に変えて、俺に向けられる。

    「ですが、それほどまでに想ってくださるところは、大好きです」

     これは色んな意味で、反則ではないだろうか。
     十数分後、その場にはぐったりする俺と、ツヤツヤと顔色を良くしたゼファーの姿があった。

     ――――正しく褒めることが出来ればやる気に繋がり、パフォーマンスの向上も見込めるでしょう。

     俺は、この部分の正しさを身に染みて理解することができたのであった。

  • 7二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 00:38:25

    お わ り

    今回は以下のスレのお題に沿ったSSです

    ちょっとばかり長くなったので別スレを立てました、ご了承ください

    舞台も始まったしこれからゼファーのSSが増えるんだろうなあ


    (ようやく分かったSSを書ける人は凄いのだ)5|あにまん掲示板「初めてSSを書いてみたら難しすぎて一作品完成させる事とすらできなかったのだ。スレでハートを50近く貰う人…pixivでランキングに乗る人は雲の上の存在なのだ」という初代>>1の嘆きに応え…bbs.animanch.com
  • 8二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 00:46:47

    これはいい風ですねぇ!グイグイくるゼファーは可愛いしタジタジになるトレーナーも可愛い

  • 9二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 00:48:19

    逆に褒められるほうだとは思ってなくて途中まで読んでた
    やられた感がした、いいssでしたまる

    あと風エミュが地味に難しそう

  • 10二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 00:55:07

    はぁ〜〜〜かわいい(かわいい)
    夜に良いもの見れましたありがとう

  • 11二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 01:59:01

    おつです。相変わらず良いゼファーを描かれる
    いつかの耳掻きの時のように逆襲されて真っ赤にな〜れ

  • 12二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 02:15:22

    >>5

    普段の言葉が分かりにくいと理解してるのも、普通に話すのも可愛い 好き

  • 13123/01/16(月) 08:19:32

    感想ありがとうございます

    >>8

    つよつよゼファーを主張していきたいと思ってます

    >>9

    あえてウマ娘が褒める形にしてみようというのが発端です

    >>10

    夜中の投下で読んでいただきありがとうございます

    >>11

    逆襲版も書きたいですがゼファーが褒められるくらいでたじろぐビジョンが見えない……

    >>12

    緊張する以外で風をなくすのはどうなのかと悩んでましたがそう言っていただけると幸いです

  • 14二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 08:24:10

    良き風使いだ…

  • 15二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 08:28:02

    相変わらずのお手前…見事です…

  • 16二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 09:24:03

    おお〜ええやん
    よくあるトレーナーが担当を褒め倒すヤツかな〜

    ニ゜ェ゜

  • 17二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 10:23:12

    >>13

    逆襲版、そういうのもあるのか!


    ゼファーをたじろがせようと走る姿とか能力とかをいろいろ褒めるけどどこ吹く風なもんだから、その内エスカレートしてきて可愛い容姿とか、勝負服は風を思わせる軽快さは素晴らしいけどセクシーすぎて他の人に見せたくなくなるとか、いけない思いが漏れ出しちゃったりするトレーナーさんを見てみたい。

    で、我に返ってセクハラかも?って慌てちゃうんだけど、まんざらでもないゼファーに余計ドキドキさせられて自業自得なところも見てみたい。

    イチャイチャしやがって!

  • 18123/01/16(月) 11:05:09

    感想ありがとうございます

    >>14

    >>15

    そう言っていただけると書いた甲斐がありました

    >>16

    今回の仕掛けが上手く昨日したみたいで良かったです

    >>17

    お前ゼファーのSS書けください

  • 19二次元好きの匿名さん23/01/16(月) 11:40:04

    またいいものをお出ししてきたなあ!!
    いつもありがとうございます!!

  • 20123/01/16(月) 12:32:07

    >>19

    こちらこそ読んでいただきありがとうございました

  • 21123/01/17(火) 00:22:56

    続きのメドがついたので一回保守
    間に合わなければそのまま落とします

  • 22二次元好きの匿名さん23/01/17(火) 00:25:52

    おつ
    楽しみにしてるぜ

  • 23二次元好きの匿名さん23/01/17(火) 02:41:54

    強い…

  • 24二次元好きの匿名さん23/01/17(火) 09:52:30

    >>18

    すまない。風語も使えず、ゼファーもいない俺には無理な話だ…。

    誰か俺が毎日引いてる単発ガチャにゼファーをよこしてくれ…。

  • 25123/01/17(火) 11:47:39

    >>22

    まだ少しかかりそうだけど頑張りませう

    >>23

    素晴らしい絵をありがとうございます!

    美しい……

    >>24

    別パターンで書くからアニバでゼファー取って自分のアイディアは責任もって自分の手で形にしてくれ

  • 26123/01/17(火) 15:44:18

     研究会の後、ゼファーに褒め倒されて、醜態を晒してからの数日。
     俺は彼女に対して意識的に褒める回数を増やしていた。
     これに関しては『褒める』行為の効果がわかったため、そうしてるだけである
     散々辱められた仕返ししたいとかそういう意図は、全くない。
     とはいえ、その成果はあまり良いとはいえなかった。
     
    『ゼファー、今日の服、似合ってるね。とっても可愛いと思うよ』
    『ありがとうございます、先日買ったばかりの初風なので』
    『あー、そうなんだ』
    『トレーナーさんも、今日の服も似合ってて、私は好きですよ』
    『ん゛』

     効いてないどころか、見事にカウンターを貰うハメになった。
     嬉しそうな笑顔は見せてくれたし、その後も機嫌が良さそうだったので本来の効果はあったとは思うが。
     素直で気ままなゼファーに褒め言葉でダメージを与えようというのが無謀な話だったのかもしれない。
     いや、そもそもそんな意図は、全く、これっぽっちも、少しくらいしかないわけだが。
     そして研究会の記憶も薄れてきたある日の話。

    「あの、ゼファーさんのトレーナーさんでしたよねっ!?」

     放課後、廊下を歩いていた俺は見知らぬウマ娘に声をかけられる。
     ……いや、一度会った覚えがあるな。
     ゼファーと契約して間もない頃だ、確かこの子は。

    「うん、そうだよ。確か、ゼファーのクラスメートだったかな?」
    「はい! その、ゼファーさん見かけませんでしたか!?」
    「今日はまだ見かけてないけど……どうかしたの?」
    「そうですかあ……うう、どこにいるんだろう」

     それを聞いて、彼女は肩を落とした。

  • 27123/01/17(火) 15:44:37

     話を聞けば、急に配布されたアンケートをゼファーに渡し損ねたとのこと。
     彼女の手落ちで配るのが遅れてしまい、授業終了後即座に抜け出したゼファーに渡せなかったようだ。
     締め切りが明日までなので、できれば今日中に渡しておきたいのだとか。

    「先日トレーナーさんと一緒に探したところは屋上以外は行ったんですが……」
    「この時間なら屋上が一番居そうだと思うけど」
    「でも、確か工事か何かで今日から一週間立ち入り禁止じゃありませんでしたっけ?」
    「ああ、そういえばそうか」

     少し前から告知されていたことだ、学園内の何カ所かにも張り紙が貼ってある。
     確か、実際の工事は明日からだったはずだが、色々の手間を考慮して今日から閉鎖とかなんとか。
     
    「屋上への階段には看板とかコーンはなかったけど張り紙ありましたし」
    「キミたち生徒の間でも結構話題になってたみたいだし、ゼファーも流石に行かないか」
    「……」
    「……」

     いや、どうだろう。
     時候の風には疎いと自分で言うゼファーだ、周囲の話題など把握してない可能性はある。
     そしてこの子の話によれば、まだ明確な立入禁止措置は取られていない。
     ふらりと入って「あら、今日は皆さん凪いでますね」なんて首を傾げながらのんびりしてる姿が容易に想像できる。
     全く同じ想像をしたのか、目の前の彼女は顔色を青くしていた。
     流石に一学生である彼女に立ち入り禁止の場所に行け、というのは酷だろう。

    「……俺の方で屋上見てみるよ、ニ十分後またここに来てもらっていいかな?」
    「はい、すいません……私がちゃんと渡せていれば、こんなことには」
    「気にしない気にしない、俺も今日は忙しいわけじゃないからさ」
    「でも」
    「誰かのために学園中を歩き回れるような心優しい子には協力してあげたくなるんだよ」
    「あう……で、でしたらお願いします、ご協力ありがとうございます……」

  • 28123/01/17(火) 15:44:58

     屋上への階段は、あの子が言う通り閉鎖されていなかった。
     ただ件の張り紙は複数枚貼られており、確かにいつもの人気を感じることはできない。
     階段を上がっていくと、扉は解放されていた。見れば、備え付けのロッカーから掃除用具が全て外に出されていたり、いくつかの工事のための道具が運び込まれていたりと、いつもと違う気配を感じ取ることは出来るが、知らなければ気にもならないかもしれない。
     屋上へ出ると、慣れた緑にも似た香りが、鼻先をくすぐる。

    「ふぅ、良い緑風です……ですが普段の饗の風の賑わいはどうしたのでしょう」

     心地良さそう風を受けながら、首を傾げるヤマニンゼファーの後姿がそこにあった。
     嫌な予感が的中したという想いといつもの彼女がいて安心したという想い。
     複雑な心境に小さく苦笑すると、耳をピンと立てて、彼女がこちらに振り向いた。

    「おぼせを感じてみれば、やはりトレーナーさんでしたか」
    「やっぱりここにいたか」
    「はい、今日もひより、ひよりです。トレーナーさんも風を?」
    「あー……お楽しみのところ悪いんだが、今日からしばらく屋上は立入禁止なんだ」
    「あら、今日は皆さん凪いでいますねと思っていましたが、そのような」

     驚きの表情を浮かべるゼファー、やはり気づいていなかったようだ。
     二人で屋内に戻ると、彼女は微かに顔を曇らせ、言った。

    「ですがお気に入りの場所に入れないのは、少しだけ黒南風です」
    「まあ一週間だけの我慢だからさ」
    「はい……あら、これは」

     ゼファーの耳がくるくると回る。
     そして、俺も遅れて気づいた――――階段から、静かな足音が迫っていることに。
     生徒が近寄らない以上、今、屋上に来るのは学園の教員などの可能性が高い。
     俺達が屋上に入っているのを見られるのはまずい。

    「ゼファー、こっちに……!」

  • 29123/01/17(火) 15:45:20

    「……確かに人の気配がしたのですが、誰もいませんね」

     屋上に向かう踊り場に現れたのは緑の制服に身を包んだ女性。
     トレセン学園理事長秘書、駿川たづなだ。
     その姿を、俺はその場に設置してある、空になっていたロッカーから眺めていた。

    「念のため、屋上の方も確認しておきましょうか」

     そう言って、たづなさんは屋上の方へ出ていった。
     戻ってくる階段を下りるまではこのままでいた方が良いだろう。
     共にロッカーに入っている、眼下のゼファーを気にしながら、小さく呟く。
     
    「たづなさんだったら素直に謝るべきだったな……ゼファー、大丈夫?」
    「はっ、はい、流石に狭いですけど、なんとか」

     緊張した様子のゼファー、まあいきなりスニーキングミッションさせられたらそうもなる。
     幸い、このロッカーは比較的広めで、何とか密着することなく潜んでいられる。
     接触を避けるため、自分の手は上に挙げたのも功を奏した。
     それに、掃除用具入れのはずなのになぜか匂いとかが全然しない。
     もしかしたら、掃除用具を出したのではなく、新品を搬入して入れる前なのかもしれない。
     運が良いやら悪いやら、そう考えていると、ゼファーは沈んだ声で呟いた。

    「すいませんでした、私のせいで、このようなあからしまに」
    「ん……いや半分くらいは俺の判断ミスだから、気にしなくとも」
    「ですが、もっと私が周囲の風に、気を配っていればこんなことには」

     ゼファーは顔を俯かせた。きっと、俺に迷惑をかけてしまったと考えているのだろう。
     俺は小さく笑うと、彼女の耳に顔を近づけて、小さな声で囁いた。

    「気にしないで、俺はキミのそういう気ままな、風みたいなところが好きなんだから」

  • 30123/01/17(火) 15:45:47

     だからいくらでもそういう面を見せてくれて構わない。
     そんな想いを乗せて、以前ゼファーから貰ったような褒め言葉にした。
     まあ彼女のことだから軽く微笑みながら、あっさり受け止めるのだろうけど。

    「ひゃっ……あ、そ、それは東風、ですね、あっ、ありがとうございます」

     ゼファーはびくりと震えて、顔を赤らめ、目を丸くして俺を見上げた。
     ……予想外の反応だ。
     今まで頑張って歯の浮くような言葉を伝えてみたが、こんな反応は得られなかった。
     その時と今この状況で何が違うのか。
     俺は一つの結論に至り、彼女の耳元に、もう一度言葉を向けた。

    「もしかして、耳元で囁かれるのに弱い? ゼファーは弱点も可愛いね?」
    「ふあっ、あっ、かっ、かわいいだなんて、そんな」

     少しだけ悶えて、ゼファーは頬の朱色を更に濃くし、瞳を潤みを増していく。
     なるほど、通常時は褒め言葉をすんなり受け止められるが、耳元で囁くことによって精神的防壁を飛ばし、そこで初めてダメージを与えられるようになるのか。一回目は強制敗北させられるタイプのボスキャラみたいだ。
     へえ、ふぅん、そっかあ。
     邪な気配を察知したのか、彼女は耳を手で塞ごうとする。
     だが、狭いロッカーの中では腕を下げた状態で入ってしまった彼女は、腕をそこまで上げられない。
     何度か動かそうと試みた後、彼女は仕方なく両耳をぺたりと伏せた。

    「……」
    「……」

     これ以上は、凪ですよね? そう言わんばかりに目で訴えかけて来るゼファー。
     俺はそれを見て、優しく微笑んだ。
     ほっと一息つく彼女――――の伏せられた耳を、俺は軽く摘まんだ。
     ウマ娘の耳に入る力はそこまで強くはなく、俺の力でも簡単に持ち上げることができた。

  • 31123/01/17(火) 15:46:11

    「なっ……トレーナーさん……!?」
    「この間のお出かけで来てた服、とても綺麗で似合ってたから、また見せてほしいな」
    「んんっ、耳の中に煽風が……この状況で褒められるのは、しろは……あなじ、です……!」
    「それじゃ、たづなさんがいなくなるまで手持ち無沙汰だから、練習させてよ」
    「……練習?」
    「褒める、練習。今度は俺が褒めていくからさ」
    「まっ、まってください……!」
    「キミの走る姿は疾風のように激しくて格好良くて、とても素敵だよ」
    「やっ、ダメ、ダメですったら……!」

     その後、たづなさんが立ち去る数分間、俺は小さな声でゼファーの魅力を囁き続けた。
     褒める内容については何時間話そうが尽きないのだが、いなくなったらロッカーにいる意味がない。
     足跡が完全に聞こえなくなったのを確認して、俺達はロッカーから離脱した。
     いや、実に清々しい気分だ。
     誰かを褒めるという行為は、確かにパフォーマンスの向上に繋がる。
     今後も是非実践していこうと心に決めた。

    「――――とっても爽籟なご様子で、何よりですね、トレーナーさん」

     普段より少し低めに響く、担当ウマ娘の声。
     恐る恐るそちらを見ると、ぺたんと女の子座りでへたり込むゼファーの姿があった。
     呼吸は荒く、目尻には雫が溜まり、顔は紅葉のように染め上がっている。

    「……大丈夫かな?」
    「どこかからのたま風のおかげで腰が抜けてしまいました、ようずです」
    「……とりあえず、移動しようか、足を前に出せる? 体育座りみたく」
    「えっ? えっと、こうでしょうか……ひゃっ」

     俺は、彼女の脚と背中の下側に腕を通し、そのまま抱き上げた。
     以前彼女に抱き着かれた時も思ったが、とても軽い。

  • 32123/01/17(火) 15:46:28

     同年代のウマ娘の平均値からかけ離れてるわけではないのに、何故かそう感じる。
     腕の中のゼファーはしばらく複雑な表情をしていたが、やがて大きくため息をついた。
     仕方のない人ですね、という言葉が聞こえるような、そんな笑みを浮かべる。

    「それじゃあ、よろしくお願いします」
    「うん、任された」
    「ふふっ、いつもより視線が高くて、何か、光風の心地です」

     俺は宝物を運ぶように慎重に、ゆっくりと階段を下りていく。
     廊下の手前には、来る時になかった看板などが設置されていた。たづなさんかな。
     ふと、思い出したようにゼファーが問いかけてくる。

    「そういえば、どのような風向きで、私を探しにいらしたのでしょう?」
    「えっ……あっ、まずい」

     そうだ、ゼファーのクラスメートの子と合流しないといけないんだ。
     今時計を見ることはできないが、二十分はとうに過ぎていた。
     まだ待ってくれているだろうか……そう思いながら、俺達は廊下へと出た。

    「ゼファーさんとトレーナーさん! こっちからたづなさんが来たんで心配しましたよ……って、ええ!?」
    「あっ」
    「あら」

     クラスメートの子は口に手を当て、信じられないようなものを見る目で驚きの声を上げた。
     そら探していたゼファーが抱きかかえられた状態で出てきたら、心配もするか……。
     俺は遅れてしまった謝罪を口にすると、慌てふためきながら、彼女は言葉を返す。

    「だっ、大丈夫です! 誰にも二人の関係は言いません! 私、そういうの嫌いじゃないからっ!」

     とのこと、なんのこっちゃ。

  • 33123/01/17(火) 15:46:47

     後日談。
     まず、屋上にいたことに関してはたづなさんにバレていたらしく、後日遠まわしに注意を受けた。
     相手がわかっていたから見逃してくれたようだ……姿も見ないでわかるのすごいなあの人。
     また、ゼファーは例のクラスメートと話す機会が増えたらしい。
     進展がどうこうと向こうが話しかけてきてくれるそうだ、レースの話かな。
     
    「それで、ゼファーさんは、トレーナーさんとどこまで行ってるのかな?」
    「先日、実家の方に一緒に行っていただきましたよ」
    「おっ、親紹介済なの……?」

     ある時、ゼファーとそのクラスメートが会話してる場面に出くわした。
     先日のこともあるし、声をかけようかと思った矢先。

    「そういえば、ゼファーさんのトレーナー、素敵な人だね」

     いきなり俺自身の話になり、言葉が詰まった。
     ゼファーはその言葉に嬉しそうに反応する。

    「はい、出会ったばかりの私にも帆風を送ってくださった、凱風のような人なんです」
    「うん、とりあえず褒めてるのはわかるよ、私のことも、褒めてくれてさ」
    「……はい?」
    「心優しい子で応援したくなるって。ちょっと照れちゃった」
    「…………」
    「あっ、いけない、先生のところ行かなきゃいけないんだ! ゼファーさん、またね!」

     そう言ってクラスメートの子は立ち去って行った、声をかけそびれてしまったな。
     彼女と話すのは別の機会にするとして、今はゼファーに声をかけることにした。

    「やあ、ゼファー。あの子とは仲良くしてるみたいだね」
    「………………」

  • 34123/01/17(火) 15:47:04

     謎の沈黙。
     こちらを見てはいるのだが、何の返事がない。
     ゼファーは怒っているような、困っているような、そんな表情を浮かべていた。
     そんなあまり見ない彼女の様子に困惑していると、足にベシッと衝撃が走った。
     大した痛みはないが、驚いてその衝撃を起こしたであろう存在に視線を向ける。
     激しく揺れるゼファーの尻尾。

    「……えっと、ゼファー?」
    「あら、失礼しました。今日は私の尻尾が嵐のようになってますね、何故でしょうか」
    「何故なんだろうね……」
    「ところでトレーナーさん」

     ゼファーの耳は絞られている。
     珍しく眉を逆ハの字にして、若干語気を強めて彼女は言った。

    「褒めるのは良いですが、誰彼構わず吹いていくのは、悪風と変わらないと思います」
    「別に色んな人を褒めてるわけでは……いやすいませんでした」
    「誤解や勘違いを生みかねません、そうなってしまいえばせっかくの恵風も陰風です」
    「はい」
    「ですから」

     反論を許さない張り詰めた空気が瓦解する。
     正直ちょっと怖くて見れていなかったが、それを期に再度彼女に視線を戻す。
     ゼファーは頬を微かに赤くして、目を逸らしていた。
     やがて、片耳だけピンと立てて、俺の顔に近づいて言った。

    「貴方がたくさん褒めるのは――――私だけにしてくださいね?」

  • 35123/01/17(火) 15:48:33

    お わ り
    思いの外時間がかかってしまい失礼しました
    ご都合主義が過ぎる気もしますが三女神の導きでしょう多分

  • 36二次元好きの匿名さん23/01/17(火) 16:02:07

    次の講演のテーマ決まりましたね
    『ウマ娘は耳が弱い』

  • 37二次元好きの匿名さん23/01/17(火) 16:36:03

    実質うまぴょい
    推せる〜

  • 38二次元好きの匿名さん23/01/17(火) 16:38:12

    やり返そうとするトレーナーさん! あなたはエロです!

  • 39二次元好きの匿名さん23/01/17(火) 17:22:13

    独占風…!そういうのもあるのか!

  • 40二次元好きの匿名さん23/01/17(火) 17:41:12

    またまたいいものをお出ししてきたな…しゅき

  • 41123/01/17(火) 20:48:10

    感想ありがとうございます

    >>36

    これはノーベル賞もんですわ

    >>37

    どうみても健全うまぴょい要素は一切ない、いいね?

    >>38

    邪な気持ちはなくただ褒めてるだけだからセーフ

    >>39

    ウマ娘は大なり小なり独占欲持ちだというのが私の見解です

    >>40

    少し強引なところもありましたがそう言っていただけると幸いです

  • 42二次元好きの匿名さん23/01/18(水) 00:12:30

    こんなんもうギルティでしょう。
    お互いに引けなくなって耳元で誉め言葉を囁き合う勝負とかやって欲しい。

  • 43二次元好きの匿名さん23/01/18(水) 00:28:53

    豪風が吹き荒れる…

  • 44123/01/18(水) 06:37:40

    感想ありがとうございます

    >>42

    どうみても健全無罪ですよ

    >>43

    結局二人ともつよつよなんですよね

  • 45二次元好きの匿名さん23/01/18(水) 06:49:57

    三女神の引き合わせはハマるともうヤバいね

  • 46二次元好きの匿名さん23/01/18(水) 07:02:07

    問題はこの女神のマッチングアプリ性能が最強というね

  • 47123/01/18(水) 07:03:40

    >>45

    あの神様良縁コンサルタントみたいなもんですからね

  • 48123/01/18(水) 07:06:20

    >>46

    やっぱりトレセン学園は婚活会場だった……?

  • 49二次元好きの匿名さん23/01/18(水) 07:51:59

    三女神様のお導きなら仕方ないな!

  • 50123/01/18(水) 08:05:59

    >>49

    自分で書いときながら便利な言葉だなて思いました

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