【トレウマ/SS】ぱかプチヤマフェスタと春のあれこれ

  • 1二次元好きの匿名さん23/02/13(月) 00:05:50

    よくあるぱかプチに嫉妬したりしなかったりするナカヤマと性別不問のトレーナーの話。14レス。

  • 21/1423/02/13(月) 00:06:03

     暦の上で冬から春へと移り変われば、街をとりまく色もにわかに変わっていく。気温が上がれば凍てつく風はやわらいで、冬枯れしていた街路樹には、芽吹きを思わせる小さな膨らみがあちらこちら見えるようになっていた。
     空を仰げば不機嫌げだった雲間はどこへやら。春めく薄青の空を、ちぎれ雲がまったり気ままに泳いでいく。
     厚着をして身を縮めていたひとびとも、日差しの暖かさに触れればどことなく身軽になるというもの。
     視界を飾る花々が軽やかな春色に模様替えし虫たちが眠りから覚めるように、街もまた──冬まっただ中のころに比べると明るい活気にあふれつつあるようだった。

     それは、さまざまな音で騒がしいゲームセンターも同じであった。レースゲームやらダンスゲームやら季節に関わりのない筐体はさておき、プリ機のカーテンはカラフルなデザインのものに差し替えられ、空間のいたるところが見栄え良く華やかに飾られる。
     客の喋り声、ゲーム機のスピーカーから広がるいくつものBGM、プリ機のアナウンス、スロットがコインを吐き出し、ダンスゲームやら音楽ゲームやらの打音が響く。ゲームセンターにあふれる音は騒音といえば騒音であるものの、まざりあい凝縮されたひとつの塊のように思えなくもない──かすかに耳は絞るものの、ナカヤマフェスタの表情に不快感はない。彼女は基本的に静けさを好むウマ娘ではあったものの、喧騒を忌み嫌うわけではなかった。要は煩わされなければいいという話であり──この日、この時もまた、クレーンゲームの筐体に背を預け、彼女のレースにおける相棒たる担当トレーナーが果敢にプライズへ挑むのを横目に、自らのスマートフォンのディスプレイを親指で弾いていた。

  • 32/1423/02/13(月) 00:06:30

    「だ、駄目だ……」

     チープな三和音アレンジされた聞きなじみのあるメロディにかき消されそうなほど弱々しい声音で、トレーナーはうめく。『ビッグぱかプチコレクションVol.10 スプリングパーティー』と銘打たれたぬいぐるみのプライズは、ターフを模した緑のフェルトの敷き布の上、いくつかの山を築いていた。筐体内も桜やら花やらといった春を思わせる装飾がほどこされていたものの、いまにも肩を落とさんばかりのトレーナーの表情はいまだ真冬かなにかのようだ。
     LANEの遣り取りをスタンプで終わらせて、ナカヤマフェスタは首をめぐらせる。ビッグぱかプチコレクションはその名の通りMサイズ以上のぱかプチが取り揃えられているシリーズで、ぬいぐるみのウマ娘たちは春の花をモチーフとした衣装に身を包んでいる。たとえばサクラバクシンオー、サクラチヨノオー、サクラローレルはわかりやすく桜モチーフのミニドレスを。ニシノフラワーは色とりどりのデイジーが飾られて、ゴールドシップは赤白のチューリップ。桜は桜でも八重桜、ラナンキュラスにネモフィラ──ウマ娘ごとに異なる花と衣装デザインのラインナップの中に、スミレをモチーフとした衣装に身を包むウマ娘の姿がある。

    「ナカヤマ……」
    「手伝わねぇって言っただろうが」

     先程から彼女のトレーナーが挑んでは落とし挑んでは落とししているのが、そのスミレモチーフのウマ娘。迷子になった子犬かなにかのように眉を下げたトレーナーが困り果てたとばかりに見遣る教え子──ナカヤマフェスタのぱかプチであった。
     LANEで友人と遣り取りをしつつも、トレーナーの財布から投入口に百円玉が何枚消えていったか、ナカヤマは把握していた。このトレーナーはけしてクレーンゲームが下手なわけではない。技術的な面ではまだ伸びしろはあるし、妙に勘がいいせいで一度に複数個のぬいぐるみを掴むこともままあった。気が向けばコツを伝授することもある──それが、ナカヤマの担当トレーナーに対する印象だ。お目当てを引っかけて来ることができず困っていたら、条件次第で手を貸してやってもいい。いつもならそうとさえ考えているが、この日のナカヤマはそうやすやすと絆されることはない。

  • 43/1423/02/13(月) 00:06:45

     なにせトレーナーのお目当ては、教え子のぱかプチ。ナカヤマからすれば、自分のぱかプチである。自分自身のぬいぐるみを喜ぶタイプもいるとは把握しているものの、ナカヤマはそうではなかった。可愛らしくデフォルメされているとは思えど、自身のぬいぐるみを愛でる趣味はない。

    「たかだかぬいぐるみだろうが」
     
     掴みかけたぬいぐるみが重力に従ってアームからずり落ちれば、落下を察知したのか残念無念、とばかりの効果音がトレーナーに追い打ちをかける。重ねるようにして続く教え子の声音も容赦がない。
     でも……と、失敗を振り切るように独りごちて、トレーナーは財布から新たな百円玉を取り出した。

    「せっかくのグッズなんだ。取り逃したくないし」

     ナカヤマの様子が芳しくないことはトレーナーも気づいていた。彼女のデビュー時からともにここまで駆け抜けてきたのだ。ポーカーフェイスとは違うものの心情を表情で悟らせない心得があることも知っている。
     百円玉を投下する担当トレーナーを見、ナカヤマはあからさまにため息をついた。泣き落としに似た困り顔落としが効かないと見るや再び戦場という名のクレーン操作に舞い戻る。トレーナーの切り替えの速さは今に始まったことではない。それでも縋られた一瞬でにべもなく手助けを拒否した罪悪感が、けして存在していないわけではないナカヤマの良心をちくちくと刺した。過去の自分ならいざ知らず、時間の経過とはげに恐ろしいものだ。
     手伝うなりフォローするなりしたところで、ぬいぐるみを愛でるのは自分ではない。トレーナーもわかりやすく愛でるタイプではないのも彼女は把握していた。せいぜい、トレーナー室の一角に並べられる程度。実際、これまでトレーナーが入手してきたナカヤマフェスタのぱかプチは、本人の気性からは考えられないくらいにお行儀よく肩を並べ飾られている。そこに新たな衣装のぱかプチが追加される。ただそれだけのことだ。
     ゲームセンターの賑やかさをさして気にしないとしても、手持ち無沙汰で暇を持て余した状態ならば話は別というもの。連立ってスポーツ用品店へ赴いた帰りではあるものの、毒にも薬にもならない時間を過ごす意味を考え出すと、自然と眉がきゅっと寄る。

  • 54/1423/02/13(月) 00:07:00

     トレーナーを買い物に付き合わせたのは誰でもないナカヤマだった。ゲームセンターに寄りたいと言うから、そこで別れず付き合ってやると告げたのもまた、彼女自身であった。それゆえに、水を差すかのごとく文句を垂れるのは──昔のナカヤマなら躊躇うことなく出来ていたことだろう。

     筐体内のクレーンがレバー操作とともに再び動き出す。制限時間内なら何度でもアームの位置を調整できるタイプで、レバー横のボタンを押せば位置が確定されアームが降り、ぬいぐるみを掴む。位置確定が一発勝負ではない分、ぬいぐるみの配置も多少シビアであった。クレーンゲームに向き合う前、両替えした百円玉が財布の中で大分心許ない枚数になっているのをトレーナーもまた自覚していた。筐体から流れる軽快なメロディが今度こそはという心理にさせるも──

    「あぁ……」

     固唾を呑んでいたトレーナーの口からへなついたため息が漏れ出る。

    「そろそろやめとけよ。今が『機』じゃなかったんだろ」

     がくりと肩を落とす担当に引導を渡してやるのも、付き合ってやった者の義理だろうか。あきらめきれないとばかりのトレーナーの視線を受け、ナカヤマフェスタは肩をすくめてみせる。諦めの悪さはこのトレーナーの美点であったが、『機』を見定め進退を見極めるべく勝負師としてはまだまだヒヨッコ。かの怪鳥ほどナカヤマフェスタは親切ではなかったが、乗りかかった船でもある。
     しかし。
     教え子にたしなめられても、トレーナーの手は財布に伸びる。百円玉を一枚摘み、あきらめ悪くそれを投入しようとする。ここまで来たのだ。もうあと少しな気がする。ここで掴めればここまでのサイアクな状況も一気に晴れ渡る。──それは素人博徒の思考であった。

    「おい」
    「でも」
    「引き際を見誤るなって言ってんだ。大体──」

  • 65/1423/02/13(月) 00:07:18

     ナカヤマフェスタは、彼女にしてはめずらしく、渋面をあらわにした。無為な時間を過ごさざるを得なくなった憤りがそこにあった。あきらめの悪い相棒に対するあきれもそこにあった。そこまでして自身のグッズを入手しようとし、その熱意を隠すこともないあっぴろげなトレーナーに対する羞恥心もあっただろう。
     無為な時間は自業自得だ。あきらめの悪さは相棒の取り柄だ。そのお陰でナカヤマ自身も助けられたことはある。熱意は、いつものことといえばいつものこと。幾らあからさまにするのをやめろと言っても隠せるほどトレーナーは器用じゃない。
     ──ナカヤマフェスタは自身の感情や思考のラベル付けが不得意な方ではなかった。冷静さを見失ってしまわないよう、衝動だけで片付けてしまわないよう、自らを俯瞰で見遣り、噴きこぼれそうな鍋に差し水が出来る理性を常時持ち合わせていた。
     しかし、この時。
     喉元で燻っていた感情のうち、普段、彼女が敢えて見ないふりをしていたものが存在しており──

    「大体──アンタの目の前に、本人がいるだろうが」

     それは冬空の下、咲き誇るための準備をする、小さな芽吹きだったのかもしれない。

  • 76/1423/02/13(月) 00:07:32

    ***

    「……やった!」

     と──春一番が吹き抜けたような歓声が上がったのとMサイズのぱかプチが筐体端の開口部へ落下したのはほぼ同時だった。まるで小躍りでもするかのように喜んだのは、先程まで極寒とばかりの表情を浮かべていたトレーナー。眉を下げ、ウマ娘たちのような耳や尻尾があれば悲嘆に暮れる動きをしていたであろうトレーナーの様子は今や豪華絢爛春爛漫といった様相だ。これ以上軽くなる必要のなくなった財布をいそいそと懐にしまい──自分のかわりにクレーンゲームを操作した担当ウマ娘を輝く瞳で見遣る。
     成人しているにも関わらず喜びを隠すことのない子どもかなにかのような様子の担当トレーナーと対象的に、担当ウマ娘はというと。

    「……」

     たった1クレジットで担当トレーナーがあれだけ苦戦していたぱかプチを入手できたことを喜ぶこともできず、わずかに顔を俯かせ、場を弁えず頭を抱えてしまいたい衝動と戦っていた。

    「ナカヤマ、ありがとう! 君のおかげだよ!」
    「……あぁ」

     そりゃァ良かったな、と、続けるはずだった言葉は言葉にならないまま、ナカヤマフェスタの喉元でかき消える。膝を折り、足元の景品取り出し口に手を差し入れ、担当トレーナーのお目当てを取り出した。ここまでトレーナーが配置を動かしていたおかげでもあるものの、我ながら鮮やかすぎるアームの操縦技術だとナカヤマフェスタは自嘲する。スミレの花を模した提灯袖にすらりとしたシルエットのパンツスーツを身にまとう自らのぬいぐるみを見て、彼女はご機嫌なBGMに紛れてしまうほど小さなため息をつく。
     どうしてこうなった。刹那的に生きがちなナカヤマが自問自答まで至るのは稀有なことだった。後悔とともに身動きが出来なくなるのはただの無駄でしかない。後悔なんてする暇があれば反省に切り替えて次を見据える。無論、常にそれが完璧に出来ているわけでもないが、博打は一瞬の隙が命取りにもなりかねない。できるできないではなかった。やろうとするかやらずにいるか。──頭を振って自分のぱかプチを片腕で抱え、ナカヤマフェスタは立ち上がった。

    「他に用事は?」
    「目当てはそのぱかプチだったから、ミッションコンプリートだよ」
    「なら帰るぞ」

  • 87/1423/02/13(月) 00:07:49

     トレーナーに一瞥をくれることなくナカヤマフェスタは踵を返す。慌てたように追いかけてくるトレーナーの足音をゲームセンターの音の塊の中で聞き分けつつも、彼女は足早に出入り口の自動ドアを抜けた。一気に音圧が消え、聴覚が解放された気すらする中、にぎやかなアーケード街に視線をめぐらせる。どうせならもう一か所寄り道を、と先程まで考えていたものの、今の彼女の心境はそれどころではない。
     いつになくぶっきらぼうでいつになく感情が読めない教え子の様子を心配したトレーナーは、かすかに首をかしげその隣を歩こうとした。しかし、ウマ娘の健脚はそれを許さない。並び立とうとすれば一歩先を進まれる。こういう時は無理に踏み込むべきではない。教え子の取り扱いをすっかり心得ている担当トレーナーは、彼女の中で吹き荒れる嵐のような内心を気取ることが出来るはずもなく、上機嫌のまま一歩後ろに控えることを選ぶ。

     空の見えないアーチ屋根の下、鹿毛のウマ娘とその担当トレーナーが歩みを進める。通りすがるひとびとを器用に掻き分け進むウマ娘の尻尾は、いっそ不自然なほど左右に揺れることはない。灰色のニット帽からひょこりと出た耳もわかりやすく絞られることもない。その腕に自身がかわいらしくデフォルメされたMサイズのぱかプチを抱え、ナカヤマフェスタは帰路を行く。──ステージ上でしか見せない愛嬌のある表情を浮かべたぬいぐるみとは真反対の顔をして。

     まるで春の嵐のごとく、いまだナカヤマの心中は乱されたままだ。

  • 98/1423/02/13(月) 00:08:02

    『大体──アンタの目の前に、本人がいるだろうが』

     無謀な挑戦をやめることのないトレーナーを前にして、あの時、ナカヤマフェスタは間違いなく口を滑らせていた。募るフラストレーションに選別しきれなかった言葉がこぼれ落ちた。やらかしたと思ったところで後の祭りだ。ぬいぐるみなんて入手しなくとも、自分が目の前にいるじゃないか、なんて──まるでぬいぐるみに嫉妬でもしたかのような言い草で意思表示してしまった自分に、いつもならばそこそこの回転数を誇る思考回路がショートした。しかしギリギリの場数を踏んできたことが功を奏し、怯んだのはほんの数秒。トレーナーの返しによって開き直りか話を逸らすか思索を巡らせようとしたところで──ナカヤマフェスタは第二の動揺に襲われることとなった。

    『でも』と、トレーナーは言い募る。プラスチックケース越しのぱかプチを、名残惜しげに見つめながら。

     聞いてねぇのかよ。
     ナカヤマフェスタは博徒だった。トレセン学園へ生徒として入学してなお、裏路地を渡り歩き、無法者にあふれた賭場に身を寄せ、その身に燻る衝動を昇華させる日々を送っていたこともあった。自身の身体が本格化を迎えた後はあらかた足を洗ったものの、時折ふらりと遊戯と勝負に興じることもあった。
     しかし。
     ナカヤマフェスタはウマ娘だった。華奢な体躯も幼さの残る顔立ちも少女のそれであった。その思考は達観しすぎるきらいはあったものの、年相応な部分がないとは言い切れない。裏路地で自身に関わりのないはずの痴情の縺れに巻き込まれ持ち前の胆力で逃げ果せ、恋情を向けられることに対して忌避感を抱いたとしても──年頃の少女であることには変わりない。
     ここまで自身を導いてきた担当トレーナーに、懸想まではいかなくとも、それなりに心を寄せている自覚はあった。しかし心躍るレースを求め駆ける自分たちに『恋』だのなんだのを当てはめることに対しては二の足を踏んでいた。それが関係性が変わることへの躊躇いであるか、彼女は現時点で答えを出す気はない。
     それでも。
     それでもなお──意図しない言葉だったものの、後の祭りだと怯んだものの、トレーナーがその意味を深く考えなかったなら好都合ではあったものの──無反応なら無反応で、なにやら気に食わないのもまた、事実であった。

  • 109/1423/02/13(月) 00:08:21

     学園の敷地内に足を踏み入れるころには、空は少しずつオレンジがかり、足元につきまとう影も伸びつつあった。一歩だけ先を行く担当ウマ娘とトレーナーの距離感はゲームセンターを出たときから変わっていない。不可侵の一歩を忠実に守りながら、トレーナーは先を行く彼女の背中を、耳を、尻尾を注意深く観察していた。
     担当ウマ娘の機嫌がよろしくない。トレーナーがそのことに気づくのにそう時間はかからなかった。帰り道、話しかけても返事はとにかく上の空であり、とにかく隣を歩くのを嫌がった。かといってあからさまな苛立ちを見せてくるわけでもない。そこにあるのがどんな性質の怒りであるのかトレーナーに見極めることが出来ていなかったが、彼女がそれを自分に見せまいとしていることは想像にたやすい。
     ゲームセンターに寄りたいと提案したことがいけなかっただろうか。否、と、トレーナーは首を振る。それならわざわざ付き合ってやると言ってはこない。自分が彼女を模した新作プライズに用事があったように彼女もまたゲームセンターに用事を見出したのかもしれないと判断したが、ナカヤマはスマートフォンをいじっていただけだった。指先の動きが軽快だったから、おそらく彼女の敬愛する恩師──『先生』とも遣り取りをしていたのだろう。表情はいつものつんとしたものだが耳や尻尾が表情豊かに動いていた。表情を変える感情を注意深く選別する担当ウマ娘が見せるこういう無防備なところは、大変かわいらしい。
     それではクレーンゲームに手間取ったことがいけなかっただろうか。否──かどうか、現在のトレーナーには判断がつかなかった。あの時のナカヤマは、挑めど結果を出せない担当トレーナーに対し呆れ果てていた。トレーナーとて子どもではない。実家からの仕送りはないし、日々の生活は自らの給料で差し引いている。その中で、この日、使ってもいい金額を決め、それを両替した上でクレーンゲームに挑んだ。引き際を見極めるのに失敗した自覚はある。早いうちにゲームセンター店員に配置移動を頼めば良かったのかもしれない。必ず今日必要だったわけではない。担当ウマ娘の言うように、機会を改めた方が良かったのかもしれない。

  • 1110/1423/02/13(月) 00:08:34

     しかし、新作プライズを一発で掴みとったのは、ナカヤマフェスタ張本人であった。手伝わないと宣言していたにも関わらず。仏頂面で場所を譲れと言われて、目にも鮮やかなレバー捌きと空間認識力で獲物に向かってアームを広げた。あんなにも自分は苦戦したのに──やっぱりナカヤマはすごい。財布の軽さなんてもはやどうでもいいとくらいに身軽に喜んでいたら、さっさとその場を立ち去ろうとするものだから、慌てて追いかけて──。
     そして、今、トレセン学園敷地内、学生寮の前まで、トレーナーとナカヤマフェスタはたどり着いている。ナカヤマからのリアクションが特にないままだったが、連立って出かけたとき、トレーナーは彼女を美浦寮まで送っていた。会話もほぼない状態で一歩後ろを歩いていた自分が担当ウマ娘を寮まで送ったと言えるかはあやしいところだったが。

    「ナカヤマ」

     担当ウマ娘がいつもの別れ際と同じように立ち止まったため、トレーナーはそっとその背中に呼びかけた。なぜ彼女の機嫌がよろしくないのか結局見出すことは出来なかったが、リアクションもなく寮玄関へ吸い込まれていくことはなかったということは、いつものように別れの挨拶はこなしてくれる意思表示だと判断する。
     彼女の靴がアスファルトを踏んで、半ターン。本日の戦利品であるぱかプチはいまだ、ナカヤマの腕の中にある。

    「今日は付き合ってくれてありがとう」
    「……貴重な休日使って私の蹄鉄買い足しに付き合ったのはアンタだろ」

     鼻を鳴らすようにしてナカヤマは笑う。肩をすくめ、あきれたように。夕日のオレンジが彼女の顔を染め上げていた。

    「ゲームセンターとかも。ぱかプチ、取ってくれて嬉しかったよ」

     ぴくり、とも、ナカヤマは眉を動かさなかった。しかしトレーナーは気づかない。ぱかプチを抱える担当ウマ娘の腕に、かすかな力がこもったことに。

    「トレーナー室に寄って帰るから、飾っておくね」

  • 1211/1423/02/13(月) 00:08:58

     腕の中のぬいぐるみを渡すように言われ──ナカヤマフェスタは表情に明確な感情を乗せないまま、担当トレーナーを見遣った。トレーナーが担当ウマ娘の様子を気遣って声をかけてきていたことに気づかないほどナカヤマは愚鈍ではなかった。その物腰の柔らかさは基本的に敵を作らない。ゲームセンターでは自分がトレーナーをたしなめていたというのに、今は──立場が逆になっている。
     それはまるで、腫れ物に触るようにではなく、ナカヤマ自身がこうであることを尊重するかのように。
     そうであってもいいと甘えさせてくるのが、気に食わない。お行儀よくさせていた尻尾を振るうと、担当トレーナーは瞳を瞬かせたようだった。トレーナーは何か思考するかのように首を傾げる。

    「これを獲ったのは誰だったか」
    「ナカヤマだね」

     ワンプレイのための百円玉を投下したのはトレーナーだったが、制限時間内にクレーンを動かし目当ての獲得に至ったのはトレーナーではない。ナカヤマであった。
     担当ウマ娘が何かを遠回しに意思表示しようとしている。瞳の表情一つ、声音のニュアンス一つ逃さないように、トレーナーは目の前の担当ウマ娘に集中する。

    「そうだ、私だ。だから、」

     このぱかプチの処遇をどうするかも、私が決めて構わないな? 続いた言葉にトレーナーは目を丸くした。それは横暴とも言える物言いだった。積み重ねた百円玉の先にあった勝利であることを、担当ウマ娘が理解していないと思っていない。彼女なら百円玉を積み重ねずとも獲得できていた可能性は大いにあり得たが、それはあくまで結果論だ。

  • 1312/1423/02/13(月) 00:09:12

     つまり、ナカヤマの意向はそこにある。トレーナーがゲームセンターに付き合わせたことでもなく、目当てを獲得するまでに手間取ったことでもなく、──彼女自身のぱかプチに、何らかの腹積もりがある。
     一体何が? ナカヤマフェスタは自らのぱかプチに興味を抱いていないようだった。自身を象った人形をわかりやすく愛でるようなタイプではない。それどころか遠ざけがちなのは日頃、彼女を見ていればよくわかる。
     そんな彼女が、──手伝わないと宣言していた彼女が、ぱかプチ入手に協力したのは何故だったのだろう。トレーナーの思考は高速で回転する。どうしようもないトレーナーを見かねた行動だとばかり思っていた。しかしぬいぐるみは未だ、彼女の腕の中にある。これで満足か? くらいに投げやりに、あの時放ってきてもおかしくなかったにも関わらず。
     挙げ句の果てに、ぬいぐるみを渡すのを考えあぐねている……ように、トレーナーには見えている。
     いいよ、と、素直に主導権を譲り渡すべきだろうか。まず浮かんだ選択肢にトレーナーは内心で否を唱えた。ただぬいぐるみがほしいだけなら、こんなに遠回しな言い方をする必要はない。『これは私のだろう?』それくらい言っても何らおかしくはない。けれどナカヤマはこちらにも判断を投げかけた。何かを決めあぐねている? それとも、遣り取りの間に生ずるささやかな時間を必要としている? どちらにしろ、時間を稼いだ方が良さそうだという結論に達し、トレーナーは居住まいをただし、すっと瞳を細める。敵意はないのだと意思表示するように、やわらかな表情に見せられるように。

    「先生に贈りたくなった?」
    「確かに先生も欲しいだのなんだの言っていたが、……そうなら最初から最後まで自分でどうにかするさ」
    「お世話になってるのは自分もそうだから、別にいいのに」

     ナカヤマフェスタと出会った後、凱旋門賞出走に至るまで、彼女が敬愛する『先生』には、トレーナーもまた何かと世話になっている。先生の退院後、見舞いに行くかわりに直接会うことも増えた。いまや先生はナカヤマとともにレースを走ることにおいて欠かすことのできない存在だ。
     しかし、見当外れだったらしい。それなら、ナカヤマは、何を正解とするのだろう。

  • 1413/1423/02/13(月) 00:09:28

     注意深く、窺うように、トレーナーの視線が動く。耳。瞳。口。尻尾。何一つ反応を逃さないとばかりの意識の向け方に──ナカヤマフェスタは、詰めていた息を解放した。毒気を抜かれるとはこのことだ。いまやトレーナーの視線の先に、先程まで欲していたぱかプチは存在していない。
     その瞳は、まっすぐに、ナカヤマだけを映している。

    「ヘタクソ」
    「えっ?!」

     シンプルすぎる悪口にさすがのトレーナーもぎょっとしたようだった。何が? クレーンゲームの腕が? などと担当トレーナーはわかりやすく動揺しはじめた。クレーンゲームの腕は良くもなく、かといって悪くもなく。ビギナーズラックはそろそろ効かなくなる頃合いだろう──などという回答を、ナカヤマは心の内だけにとどめておいた。
     ゲームセンターにてナカヤマが口を滑らせた瞬間、トレーナーの意識はぱかプチに向いていた。やり場のない羞恥心を昇華させつつ、スルーされてしまったことが気に食わないながらも振り返って掘り起こされないようにするためには、トレーナーの目的を果たす必要があった。トレーナー自らの手で写し身のようなぱかプチを手に入れて欲しくなかったかと問われれば、ナカヤマフェスタはノーコメントを貫くだろう。
     ともあれ。
     トレーナーの視線は、いまやナカヤマのもとにある。

    「私にだってぬいぐるみを抱きしめて眠りたくなるような夜があるんだぜ?」
    「えっ!?」
    「冗談に決まってるだろ……信じるなよ」

     トレーナーの様子がぎょっとしたそれから驚きの色に染まるのを、ナカヤマフェスタはやれやれといった表情を浮かべ迎え撃つ。肩を竦めた、曰く有りげな薄ら笑いで。一見すればそれは小馬鹿にするようなニュアンスだったのかもしれないが、そのすみれ色の瞳は、雪解けを思わせるようなやわらかさであると──トレーナーは確信する。
     真意は掴めないままではあるものの、教え子の機嫌はそこそこのところまで回復したらしい。何が彼女の心を動かしたのかは分からないままのトレーナーだったが、ピリついていた態度をふっと緩めてくれただけでも、自然と安堵の息が落ちる。

  • 1514/1423/02/13(月) 00:09:41

     嘘か真か真が嘘か、ナカヤマフェスタはおぼろ雲のごとく掴みどころがない。担当ウマ娘がこのぬいぐるみに何を感じ何を思っていたのかは、トレーナーからすれば不透明なままだ。けれどそれでいい。このままナカヤマがぬいぐるみを──それこそ就寝のお供にするために必要とするのなら、トレーナーは快く渡すつもりでいる。最後に君が笑っていればそれでいい。──ナカヤマフェスタのトレーナーは、担当ウマ娘に心底惚れ込んでいる。相棒として。教え子として。
     ふっとナカヤマが吐息を解す。腕で抱えていたMサイズのぱかプチの胴体に両手を差し入れ、自らの顔前まで持ち上げた。トレーナーはそれをにこやかに見守る。己のぱかプチと見つめ合う担当ウマ娘の姿を見る機会がこの先あるかどうかもわからない。言葉にはしていないものの処遇をどうするか任せる意図は伝わっているはずだ。そして彼女はぬいぐるみと言えど雑な扱い方をしないのも、トレーナーは知っている。
     ナカヤマは自らのぬいぐるみに顔を近づける。まれにゴールドシップやシリウスシンボリとメンチを切り合っているのを見かける気がする。──ぬいぐるみにメンチを? しかし、額と額がぶつかりあうわけではなかった。
     ちゅ、と、色づきのないナカヤマの唇が鳴る。メンチではなかった。瞳を伏せて、ぬいぐるみにキスをした。何とも珍しい情景だとトレーナーは呆気に取られる。興に乗りさえすればファンに向けてウィンクもするし投げキッスもこなすウマ娘である。ぬいぐるみにキスを?

    「仕方ねぇからアンタにくれてやるよ」

     両手で抱えていたぬいぐるみの向きを変え、ナカヤマフェスタは腕を伸ばす。愛嬌のあるぱかプチが距離を詰めて、──トレーナーの唇を奪っていった。
     そのままぱかプチを押し付けて、ナカヤマフェスタは不敵に笑う。沈み行く夕日にそのかんばせは照らされて、頬が春めくように染まっているかは、彼女にだけしかわからない。

    おしまい

  • 16二次元好きの匿名さん23/02/13(月) 00:45:13

    ウマいですね。テンポがよくて、長さをちっとも感じさせない
    「ぬいぐるみのウマ娘たちは春の花をモチーフとした衣装に身を包んでいる」から続く華やかな衣装をまとうぬいぐるみを想像すると、物語が一気に色づいて、豊かな春のイメージが心に浮かぶようでした
    「それは冬空の下、咲き誇るための準備をする、小さな芽吹きだったのかもしれない」と心のうちを暗喩しつつ、それでいて「まるで春の嵐のごとく、いまだナカヤマの心中は乱されたままだ」とくる。そして最後に「頬が春めく」の一文があり、誰にもわからないようにひっそり開いて、しかし見事な花ぶりで咲いているスミレを思わざるをえません
    よいお話でした。ありがとうございました

  • 17二次元好きの匿名さん23/02/13(月) 07:36:09

    >>16

    ありがとうございます!

    14レス長いわ読みやすさなんて知るかってくらいの改行だったので、目を通して頂けて大変嬉しいです!

    春と花の情景についてはしっかり書いておきたい部分だったので、情景として想起できていたら幸いです……!

  • 18二次元好きの匿名さん23/02/13(月) 07:45:01

    しっかりと読み込んでいる感想の後に書くのは本当に申し訳ないのですが、すごくよかったです。
    情景が思い浮かぶ書き方で読んでいてワクワクしました。

  • 19二次元好きの匿名さん23/02/13(月) 17:16:01

    >>18

    申し訳ないなんてそんなこと!

    コメントを残そうと思って頂けたことが大変光栄です。

    良かった、の言葉で救われるやる気があります。読んでくださりありがとうございました!

  • 20二次元好きの匿名さん23/02/13(月) 18:10:44

    ちなみに作中の肩竦めヤマフェスタはこれのイメージです

    続きを生やせそうなので少し保守します

  • 21二次元好きの匿名さん23/02/13(月) 19:30:45

    いい…

  • 22二次元好きの匿名さん23/02/13(月) 22:09:47

    >>21

    ありがとう……!

  • 23続き23/02/13(月) 23:36:33

     春は、あけぼの。
     
     やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。

    ──かつて清少納言は春の趣を夜明けに見出した。少しずつ温む空気に固められた雪がじわりじわりと解けていくように、日の光は夜の帳をじわりじわりと天頂へ追いやっていく。影は光に侵食されて、夜を映した細雲が朝に映し変わる過程で、淡く紫に棚引くさま。
     春はゆるかやに訪れるのよ、フェスタと──『先生』は、かつてナカヤマフェスタに微笑みかけて、叙情的に歌ってみせた。冷たかった手指がいつのまにか温もりを得ているように。春はたくさんのものがゆっくりと芽生える季節である、と。
     しかし、ナカヤマフェスタは自虐する。そんな優しいものじゃない。春嵐、春荒、春疾風。うねりを上げて空を鳴らす、まるで烈風みたいじゃないか、と。

     月曜日。午前十一時のトレセン学園、とある教室。
     自習を言い渡された教室は、小鳥たちがティーパーティーでもしているかのような騒がしさに満ちている。日々をレースのために費やすウマ娘とて、普段の姿はヒトの少女と変わらない。流行りのファッション、ヘアメにドラマ、音楽、ウマスタ、ウマトック。教員に命じられた課題は脇に置き、各々盛り上がる華やいだ会話は、さながら色とりどりの花畑といった様相だ。
     しかし、賑やかな教室の一角、カーテンが引かれた窓際の一席。影の落ちるそこだけは、まだ春の訪れを知らないとばかりの雰囲気が漂っていた。

    「なんかさぁ~」

     隣席の椅子を引っ掛け座り、眼前に飾られた両手指をかざすのは、トーセンジョーダン。芝の中距離から長距離までをコンスタントに走る、カラフルな印象のウマ娘だ。語尾を間延びさせ少し溜めると、ちらり、と、机に突っ伏す灰色ニット帽のウマ娘を後ろ頭を見遣る。

    「ナカヤマってけっこーダイタンだよね?」
    「……うるせぇ」

     後席の机上に突っ伏し占領するのは、灰色ニット帽のナカヤマフェスタ。眠気に耐えかねて机に伏し寝する以外は大抵ふんぞり返っている彼女にしては珍しい。地を這うようなうめき声が友人に向けられるも、それを怖がるジョーダンではない。
     でもそうじゃん? 同意を求めるようにジョーダンが視線を送るのは、本来の席の主であるワンダーアキュートだ。

  • 24続き23/02/13(月) 23:39:13

    「でもジョーダンちゃん、ナカヤマちゃんって、ふだんから大胆不敵がお洋服を着て歩いているような気もするんじゃよね」
    「あー、たしかに? いやでもさぁ〜、さすがのダイタンフテキさんもトレーナーにキスとかする? しないっしょ。あたしダイタンフテキさんのことよく知らんけど。どこクラ?」

     トーセンジョーダンの声音は春の呑気そのものだ。まるで他人事とばかりのジョーダンの様子にナカヤマフェスタが「してねぇ」と呻けば、ワンダーアキュートがたしなめるようにニット帽ごしにナカヤマの頭を撫でる。
     トレーナーにキスをしたのはぱかプチヤマフェスタであって、ナカヤマフェスタではない。先程からいくらそう言っても、ジョーダンは聞き入れない。「でもそれってフィンガーキスってやつっしょ? こないだスイメモでやってたじゃん。加賀くんが光ちゃんに。栗東の談話室大騒ぎだったよ。ね、アキュートさん?」飄々とそう言うものだから、現在グダグダな状態に陥っているナカヤマに最早打つ手はない。朝から何やら様子のおかしいナカヤマを心配したアキュートにだけことのあらましを聞かせるつもりが、「何暗どした??」と寄ってきたお節介にも溢してしまったのが、そもそもの間違いだったのだろう。ナカヤマにとって、後の祭り以外の何でもなかったが。

    「ナカヤマちゃんは、バレちゃったかもしれないのに困っているのよねぇ」

     芝とダート、主戦場は違うもののナカヤマやジョーダンとはラチの向こうの同期であるワンダーアキュートは、ぽやぽやとした綿雲のような声音で言葉を作る。
     昨日、担当トレーナーとの外出の折から、ナカヤマフェスタの心中は思わしくない状態が続いていた。
     ゲームセンターでうっかり溢したぱかプチへの嫉妬。うっかり溢したのだからスルーされて好都合だったにも関わらず、それもそれで気に食わない苛立ち。──それらの嵐は、担当トレーナーの目がぱかプチからナカヤマ自身へ注がれたことにより一度落ち着いたはずだった。私だけを見ていろだなんて野暮なことを言わずとも、トレーナーはそうしてくれる。その事実にナカヤマはいい気になった。乗った興そのままに、ジョーダン曰くのぬいぐるみによるフィンガーキスをかましてやった。──あの嫉妬めいた言葉すら表面をなぞられただけだったのだ。どうせ意味なんぞ気づきやしない。首を傾げられて終わりだろうと。

  • 25続き23/02/13(月) 23:40:29

     無意識の言動を恥じる心を打ち消すには、意識的なそれで上塗りする。元よりそうなるつもりだと軌道修正して、傾く秤をイーブンに。
     しかし。
     唇を奪っていったぱかプチヤマフェスタを押し付けられた担当トレーナーは、あの日イチの驚愕を、その表情で表現した。息を呑み、目を見開いて、はっきりと言葉を失った。それは、どうせバレやしないだろうと高をくくっていたナカヤマの賭けに、敗けという現実を突きつけるのに充分すぎた。
     情の嵐というものは、こうも自分を無防備に、無警戒に、そして無鉄砲にしてしまうのだろうか──教室を埋める賑やかさに遠く耳を傾けながら、ナカヤマフェスタは毒づいた。

    「バカみてぇだろ。笑えよ、柄じゃねぇし滑稽だって」
    「こっけー……? ニワトリのこと? ウコケコッコッケーみたいなニワトリいたよね」
    「ジョーダンちゃん、それは烏骨鶏っていうのよ。黒いニワトリさんでねぇ」
    「あ、それそれ。ナカヤマ、ニワトリじゃないじゃん。それにダイタンだとは思うけど、笑うとこなくね? だって好きピなんでしょ、トレーナーのこと」

  • 26続き23/02/13(月) 23:40:54

     トーセンジョーダンは彩られた指先を天井の蛍光灯の光に照らす。ジョーダンのシンボルカラーと言える青と緑、それから今年のトレンドカラーの黄色、春らしい花のネイルシールとラメをそっ載せした指先は最高にカワイイ。
     ジョーダンはダイタンフテキがどこのクラスのウマ娘なのかわからない。ウコッケイが黒いニワトリだということもついさっき思い出した。眼下、アキュートの机に突っ伏しうごめくナカヤマは、確かに『柄じゃない』のかもしれない。いつだってナカヤマは迷わない。いつかの秋──菊花賞の後、悩めるナカヤマに遭遇したことはあったものの、ナカヤマはすぐさま走り出した。そう、ジョーダンは記憶している。眩しすぎる背中を伴って。

    「告らんの? そーゆー子けっこーいるって聞いたことあるよ」
    「なんでそうなる」
    「付き合いてーとか、そーゆーもんじゃねーの? あたしはまだよくわかんないけどさ」

  • 27二次元好きの匿名さん23/02/13(月) 23:42:27

    見てくれてる人いないかもですが、もう少しだけ続きます。
    続きは明日の夜にまた

  • 28二次元好きの匿名さん23/02/14(火) 01:08:59

    楽しみにしています
    ぱかぷちのお話は読ませていただきましたので、
    後編(?)は明日の続きが投稿されたら一気読させていただきたいと思います

  • 29二次元好きの匿名さん23/02/14(火) 03:33:42

    描写が丁寧でしゅき…

  • 30二次元好きの匿名さん23/02/14(火) 07:30:00

    >>28

    ありがとうございます……!

    続きがんばります!



    >>29

    ギャーッ!

    スレ立ってる間に描いていただく夢が叶いました……あああありがとうございます、かわいい……ありがとうございます……!

  • 31二次元好きの匿名さん23/02/14(火) 17:14:41

    続き待ち保守

  • 32二次元好きの匿名さん23/02/14(火) 17:14:42

    続き楽しみです!悩める乙女のナカヤマ可愛いぞ…

  • 33続き23/02/14(火) 23:56:28

     愛の告白をしないのかと事も無げに問うトーセンジョーダンにナカヤマフェスタの反応は半ば剣呑だ。占領されてしまった机には自習用の課題が置けない。そのため古典の教科書を膝上に乗せて、ワンダーアキュートはふたりの会話にそっと耳を傾けていた。
     ジョーダンが純粋な感想を放れば、ナカヤマが深みに嵌まる。それは普段の二人から考えると立場が逆転しているのだ。いつもなら言いくるめられるのはジョーダンで、言い募るのもジョーダンだ。ナカヤマは彼女をあしらったりあきれたり。しかし立場が逆転してはいるものの、ジョーダンはここぞとばかりにやり返してやるというわでもないらしい。言っていることはピントが少しずれていたりぼんやりしていたりするものの、やけっぱちになりがちなナカヤマに対して、フラットなコメントを送っている。

    「だってキスしたんじゃん? ぱかプチで」
    「声がでけぇ」
    「あたし、ナカヤマがなににキャパってんのかわかんない。好きなのになんで素直になんねーの?」

     好きなのに。ジョーダンが唇を尖らせれば、ナカヤマは半身を起こす。堪えきれなかった感情は、細い指先を握らせた。勢いよく机に振り下ろしそうになったところで、アキュートの手がそれを制す。
     ワンダーアキュートはさほど距離が近いわけでもないが遠すぎるわけでもない同期三人の潤滑油のようなものだった。「ナカヤマちゃん、落ち着いてちょうだい?」大丈夫よ、という気持ちをこめて告げれば、ヤマアラシのように気を逆立てていたナカヤマはバツが悪そうな表情を浮かべ、吐息する。
     険悪、とまではいかないものの、凍りついたかのような空気を破ったのは、──アキュートが膝上に置いていた古典の教科書を閉じた音だ。

  • 34続き23/02/14(火) 23:57:11

    「それじゃあ、行きましょうか」
    「アキュートさん? 行くってどこに?」

     楽しく自由に騒がしく。賑やかさに包まれる教室だった。ジョーダンが隣席の椅子を引っ掛けて来られたように、自席から離れている生徒も多い。同じく自習を言い渡された教室へ乗り込んでいる生徒も少なからずいるようだ。そのため、席を立ったくらいでは誰も見咎めない。
     丸い瞳をさらに丸めたジョーダンも。きまりが悪そうなまま目を眇めていたナカヤマも。相槌を打ち傾聴し、
    ずっと聞き役に徹していたアキュートが立ち上がるのを、つられるようにして見上げる。

    「だってあたしたちはウマ娘じゃないの。……こういうときは、走るのが一番じゃないかしら?」

     窓際に向かい、ワンダーアキュートはカーテンを開く。雨は降りそうになかったが、雲は重い。見下ろした校庭に空いているコースを見つけ、ダートウマ娘は、芝ウマ娘二人を振り返る。

    「1600メートル、左回り。ダートコース。昨晩の雨のせいで、重バ場かしら。……さて、ナカヤマちゃん、ジョーダンちゃん、何本やろうかねぇ?」

  • 35続き23/02/14(火) 23:57:41

    ***

     美浦寮前で担当ウマ娘と別れた少し後。まるでタイミングを見計らったかのように、夕風は乱雲を呼び込んだ。お世辞にも花曇りとは言えない曇天はあっという間に春を覆い尽くす。夏がまだ遠ければ、当然、降りしきる雨はいとも簡単に身体を冷やす。
     担当ウマ娘──ナカヤマフェスタが雨に降られることなく寮に戻れたことに安堵しつつも雨に降られたトレーナーは、気づけば朝を迎えていた。ベッドサイドの目覚ましが鳴って、脊髄反射のように意識が覚醒する。半ば無意識に目覚まし時計を止め、トレーナーは視線を泳がせた。
     わずかに開いたカーテンの隙間からは、晴れ間を感じさせない仄暗い光が入り込み、部屋の空気はつんと冷たい。ベットの足元には鞄が放られたままだった。寝間着を着ているということは入浴はこなしていたようだが、夕食をとった記憶をトレーナーは掘り起こすことができない。
     月曜日の朝。
     担当ウマ娘が同期の友人に誘われ、重馬場のダートコースを駆ける、五時間ほど前のことである。

     のろのろとベッドが抜け出し、トレーナーはカーテンを引く。少し冬に逆戻りしたかのような空がそこにあった。冷たい床を避けるようにスリッパを引っ掛けキッチンに向かう。シンクの中にカップラメーンの器があった。先日、担当ウマ娘がやってきたときに賭けで負けカップ麺を強奪された際、なんとか死守したうちの一つだった。どんな味だったかすら覚えていないが、夕食も摂っていたらしい。
     リビング兼ワークスペースを覗くが、流石に何か作業をした様子はなかったが──ローテーブルの上、Mサイズのぱかプチがお行儀よく座っている。……トレーナー室に寄って帰ると言ったものの、結局そう出来なかった証がそこにあった。

  • 36続き23/02/14(火) 23:58:20

     ぼんやりした頭を振り、学園に連絡を取った。担当ウマ娘たちが勉学に励む午前中は、時間の融通が効きやすい。午後から出勤すると伝え、トレーナーは寮を出た。雨露が溢れる木々を見遣りつつ、学園の敷地を出る。向かうのはアーケード街で、さらにその先に目的地があった。
     降水確率の低さをアピールする天気予報を信じ、傘を持たないまま街を進む。担当ウマ娘はいわゆる『晴れウマ娘』のケがあるらしく、彼女と赴いたレースは、バ場状態はともかくとして晴れた日が多かった。たどり着いた駅で視線を浴びつつも電車を乗り換え──

    「トレーナーさん、こちらですよ」
    「お久しぶりです、『先生』」

     かつて何度も足を運んだことのある病院の傍、小さなカフェの一席で、細身の女性が手招きをしている。いつか、病床でやせ細るばかりだった姿を思えば、──担当ウマ娘程関わりはないものの、涙腺に来るものがあった。まだ痩身なにのにはかわりない。しかし、ナカヤマフェスタが敬愛する『先生』は、病を乗り越えた健やかさを持って、そこに存在している。

    「こちら、お約束のぱかプチです」
    「気を遣われなくて良かったのに。……もしかして、取ってこられたばかりなんですか?」
    「袋を持ってくるのを失念してしまって。……雨が降らなくて良かったです」
    「フェスタは晴れを呼びますから。きっと、ぱかプチのこの子も、晴れウマ娘なんでしょうね」

  • 37続き23/02/14(火) 23:59:39

     オーダーを取りに来た店員に珈琲を注文し、トレーナーは小脇に抱えていたもののうちの一つを、『先生』に手渡した。アーケード街のゲームセンターが開店すると同時に飛び込み、先日と違い数クレジットで入手したそれは、スミレの花のモチーフ衣装のナカヤマフェスタ。愛おしげにその頭を撫でる『先生』を見、トレーナーは小さく息をついた。
     珈琲が運ばれるのを待ち、湯気で唇を湿らせた後、──トレーナーは意を決し、口を開く。
     話をするのは、昨日のこと。美浦寮前での別れ際。憚られる内容ではあったものの、包み隠さず言葉にする。ゲームセンターでのこと。帰り道。機嫌の悪さを隠されたこと。掴めないままいつもの彼女に戻ったかと思えば──ぱかプチ越しに口づけを受けたこと。

    「それで、お恥ずかしながら、彼女にどう接するべきなのか、……わからなくなってしまい」
    「そうですか……」

    『先生』は口を挟むことなく、ただ静かに、トレーナーの話を聞いていた。入院に伴い退職せざるを得なかったとはいえ、彼女は小学校にて数々の子どもを導いてきた『先生』であった。トレーナーよりも年上と言えどまだ年若い彼女に──ナカヤマが大切にしている『先生』に相談することだろうか。自問自答はあったが、昨晩自分がなにをしていたか思い出せないくらいに悩み通した後だった。
     午前十時のカフェに満ちるのは、ささやかな喋り声と、飛び跳ねるさわやかなピアノの音色だ。何かを考えるように瞳を伏せた後、『先生』は、トレーナーを真っ直ぐ見つめる。

  • 38続き23/02/15(水) 00:00:21

    「お悩みになっているのを理解した上で、お伺いします。トレーナーさん、あなたは、どのようなお立場でいらっしゃいますか?」
    「……私は指導者です。ナカヤマを、……彼女が走りたいように、生き続けることが出来るよう導くのが、役目だと思っています。でも、彼女は、ただのからかいや戯れで、あんなことをする子ではないと、思っています」

     ナカヤマフェスタは聡いウマ娘だった。
     ブラフが下手なトレーナーをからかうこともある。戯れに遊ばれることもある。昨日も静かにナカヤマの様子を伺おうとしたことを見透かされていた。挙句の『ヘタクソ』は記憶に新しい。
     しかしそこにはきつだって、踏み越えられない一定のラインが存在していた。
     騙されど、騙しきれはしない。トレーナーはそれを、自覚している。

    『先生』の指先が、ティーカップのハンドルを摘んだ。紅茶の水面が波打って、俯きかけたトレーナーは顔を上げる。

    「トレーナーさん、ご存じですか? フェスタは、……あの子、案外と、堪え性がないところも、……あるんですよ?」

  • 39続き23/02/15(水) 00:00:49

    ***

     昔の話をしましょう。と、『先生』は懐かしむように目を細める。傍らに座らせた教え子のぱかプチを、その優しい手で撫でながら。

     あれはまだフェスタが、わたしの父のレース教室に入る前のこと。すこしヤンチャな年上の子とつるむようになったフェスタを、私、追いかけ回していたことがあったんですよ。──歌うように軽やかに『先生』は口ずさむ。まだ元気だったころに! 茶目っ気たっぷりに笑って、柔和な表情に含みを持たせてくる。その雰囲気を、トレーナーはどこかで見たことがあった。

     ある日のことでした。細い道に入り込んでしまったフェスタを、わたしは見失ってしまったんです。ウマ娘ですし、すばしっこい子でもありました。……本当なら、追いつけっこないし、かんたんに撒けるのに。不思議ですよね? ──答えを求められるようににこりと笑われる。……ナカヤマフェスタも、そんな表情をすることがあった。トレーナーはそう思い至る。

     その日はヤンチャな高校生たちが、裏路地の大人たちを連れて、縄張り回りをしている日だったんです。だから、わたしが、彼らに絡まれてしまって。そうしたら、……フェスタったら、物陰から飛び出てきたんです。もうとっくにどこかに逃げてしまったと思っていたのに。『さっさと逃げるぞ、先生!』って! ──


     ──二人分の飲食代を払い、ゲームセンターでのもう一つの戦利品を抱え、トレーナーはカフェを後にした。窓際の席で『先生』がやわらかく手を振っている。それに会釈で応え、次第に薄くなりつつある曇り空の下、足を急がせる。
     時刻は午前十一時。電車に乗って、トレセン学園に戻る頃には、昼を少し過ぎるだろうか。

     道行く人にぶつかってしまわないよう、トレーナーは道を行く。いまにも駆け出しそうな、そんな歩幅の大きさで。

     ──走る。走る。春の晴れ間を見つけるために。

  • 40二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 00:08:17

    >>31

    >>32

    保守とコメントありがとうございました……全速前進したんですが終わりませんでした


    明日こそ終わらせます

    もし宜しければ見守ってやってください



    7時に自力保守できる予定なのですが、出先では規制されてることが多く19時保守が間に合わない可能性があります

    おそらく時間までに出先から帰って保守できると思うのですが、もしどなたか見ていらしたら19時までに保守れてなかった時にご協力頂けると嬉しいです


    恋する乙女ヤマにはなれど可愛くならなかったらどうしようと戦々恐々としつつ、本日はこれにて

    待ってくださる方、ありがとうございます

    クイズ神様にはまた改めてコメントさせてくださいませ……

  • 41二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 06:26:51

    続き期待してます
    保守です

  • 42二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 07:29:17

    保守

  • 43二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 17:34:45

    >>41

    ありがとうございます!

  • 44二次元好きの匿名さん23/02/16(木) 03:18:19

    タイムリミットです
    明日に持ち越します
    まだ待っていただけるようでしたら、明日こそ

  • 45二次元好きの匿名さん23/02/16(木) 06:11:59

    このレスは削除されています

  • 46二次元好きの匿名さん23/02/16(木) 06:46:43

    保守です

  • 47二次元好きの匿名さん23/02/16(木) 17:32:07

    >>45

    >>46

    寝坊して保守する余裕がなかったのでありがたいです!

    本日中にこそキメます

  • 48続き23/02/16(木) 22:49:48

    ***

     走る。走る。走る。
     まとわりつく寒さを掻き分けるように。重い砂を蹴り上げて、ウマ娘たちは腕を振る。
     芝ウマ娘といえど、トレーニングの一環としてダートコースを使用することはある。ダートコースで目標とするレースに関わる微調整することも少なくはない。
     しかしそれはあくまでも数百メートルの往復であったり、部分的な使い方に過ぎない。スタートからゴールまで、ペースを作りペースを読み合い競り合い駆け抜けるとなれば、芝、そして中距離を主戦とするウマ娘からすれば、たまったものではない。

    「さぁさぁ、もう一本!」
    「ちょ、アキュートさん、ペース早すぎん?! あたし1800以下走ったことないんだって!」

     ゲートの用意は出来なかったため声合図で、一本、二本、三本。クールダウンは入れるものの、断続的に行われる小規模擬レースに対し、まず音を上げたのはトーセンジョーダンだった。そもそもあたし、なんで巻き込まれてるん? と首を傾げつつその場のノリでジャージに着替えてしっかり柔軟体操をしてからきっかり三本目。ついにジョーダンは白旗を上げた。
     そもそもジョーダンは来る春天へ向け身体を作っている最中である。3200メートルとは1600メートル2本分であると豪語したウマ娘もかつていたが、ジョーダンはあくまでトーセンジョーダン。ミドルディスタンス芝適正、長距離レースに挑む前のウマ娘であった。

  • 49続き23/02/16(木) 22:50:05

     もちろんワンダーアキュートもそのあたりについては把握している。むりむりとふわふわのツインテールをぶんぶん揺らすジョーダンを見遣り「付き合ってくれてありがとうねぇ」と声をかけると、

    「それじゃあ、スタート合図をお願いできるかい? ……さ、ナカヤマちゃん、もう一本よ」

     言葉なく肩で息を整えるナカヤマフェスタの背を押した。ナカヤマもまた基本的には中距離戦に特化しているが、メイクデビューだけは1600メートルを走り抜いている。それを知った上でのアキュートの提案であるか否か、ナカヤマには分からない。ただひたすらに、走る。息を整える。蹄鉄で砂を削る。メイクデビュー前、エルコンドルパサーと対戦した折り、トレーナーからピッチ走法のトレーニングを提案されたことを思い出していた。ナカヤマが得意とするストライドが大きめの走りではない。足の回転数を増やし、コーナーを抉るようにして詰めていく。
     
    「もう一本?」
    「ったりめぇだろうが!」

     走り慣れた距離を征くアキュートはやわらかな様子にそぐわぬスパルタだった。まるで挑発されるかのように問われればナカヤマは吼えるように答える。「もうそろそろお昼だしあと2本くらいにしとけ〜?」どこからかスタート合図の旗を持ち出してきたジョーダンが、校庭を見渡す時計をさししめした。十一時四十五分。片付けや着替えなどを加味すれば頃合いとも言えた。
     旗が振られ、ナカヤマは砂を掻く。耳の奥で鼓動が鳴っている。何も考えず、ただ脚を動かした。心臓を鳴らし、血を巡らせた。息を吐き、息を吸い、息を止め、走る。走る。走る。

  • 50続き23/02/16(木) 22:50:25

    ***

    ──気づかねぇのかよ。

     すべての始まりは、矛盾を描く不満だった。ぱかプチばかりに目を奪われやがって、と。大量生産のぬいぐるみに嫉妬した挙句のやらかしをトレーナーに気づかれなかったことは、ナカヤマにとって好都合この上なかったのだ。
     トレーナーに向ける『その感情』に、ナカヤマは名前をつけることを厭った。幾多もの戦場をともに切り開いてきたトレーナーに心を寄せていることなんて、知らせる必要はなかった。
     それなのに彼女の感情は矛盾する。
     私を見ろ。心が叫ぶ。
     トレーナーの視線をぬいぐるみから引き剥がした後も、彼女は逸る気を抑えられなかった。──彼女の『先生』がそう称したように、堪え性なく昂ぶりそのままに、勝負に出た。この感情をぶつけたところで、どうせ気づくはずがない。ここまで気づかなかったのだから、と。
     しかし、ぬいぐるみごしの口づけに、トレーナーは意味を見出してしまった。トレーナーが気づかない保証など、どこにもなかったそれは、誤算と呼ぶには些か拙い。

     素直になれとジョーダンは言う。気づかれたいのか気づかれたくないのかわからない、と。
     バレてしまったから困っている、と、アキュートは言う。その感情が白日の元にさらされることをおそれていると言わんばかりに。

    「──怖いんだよ、私は」
    「ナカヤマ?」

     差し迫る時間を前にして、最終戦。溢れた言葉を聞き逃さなかったトーセンジョーダンが、スタートの旗を振る手を止めた。ワンダーアキュートもスタート姿勢を緩め、立ち尽くす同期の友人の元へ歩みを進める。
     年相応の少女の拳を握りしめ、ナカヤマフェスタは強く瞳を閉じる。その瞼裏に浮かぶのは、ブラフが下手で、どこか抜けていて、どこか無防備で、無警戒で、無鉄砲で……そのくせイカれている、どこかの誰かの姿だ。

  • 51続き23/02/16(木) 22:51:06

    ***

    『昨晩、フェスタから電話をもらっていたんです』

     優しい昔話の後、『先生』は眉を下げ、トレーナーに微笑みかけた。あの子には秘密にしておいてくださいね、と前置きしたあと、水温の下がった紅茶にそっと口をつけ、やわらかな口調はそのままに、再びいまだ血の気の少ない唇を開く。

    『どうして電話をかけてきたのか、教えてはくれませんでした。ただ、あの子は傷ついていた。……トレーナーさんのお話を聞いて腑に落ちました。あの子はきっと、大切なものを壊してしまいそうになって、それを嘆いていたんだって』

     トレセン学園への帰路を急ぎながら、トレーナーは『先生』との遣り取りを、何度も、何度も反芻する。
     トレーナーはヒトだった。ウマ娘のような高度な心肺機能はない。ペースを考えず駆け出したところですぐ息を切らした。歩行者信号が赤く灯りクルマの動きが忙しなくなれば、つんのめるようにして足を止める。

    『大切なもの……』
    『あなたのことですよ、トレーナーさん』

     お気づきでなかったんですか? そのいたずらっぽい調子は、彼女の教え子が時折見せる様子と、よく似ている。

    『わたしも、あの子に大切にされていたから。わかるんです。フェスタはいつだって、わたしを振り切って逃げられたはずなのに、あの子はそうしなかった。ここにいるぞと尻尾の先を見せつけて、わたしに追いかけさせて、捕まえられたふりをする。わたしが追いかけて来られなければ物陰に潜んで、様子をうかがって……。でも、わたしは、いつかあの子の前で、壊れてしまいそうになったでしょう?』

  • 52続き23/02/16(木) 22:52:03

     それはトレーナーがナカヤマフェスタとともに走り始めて、二年目の秋のことだ。皐月賞、日本ダービー、菊花賞。今でこそ定期検査で病院通いをするほどまでに回復した『先生』だったが、当時は重い病との戦いに疲れ果て、その命は風前の灯火そのものだった。
    『先生』に希望を抱かせるために世論を煽り敵に回しながらレースを駆け抜けたナカヤマフェスタもまた、そこで、どう抗っても変えられないとばかりの運命に、力なく膝をつきかけた。
    『先生』に生きる希望を抱かせるために走り続けたのは、果たして意味があったのか、と──意味なんてなく、運命とはただ無情なものだったのではないか、と。
     しかし。紡いだ一縷の希望は、やがて、途方もない奇跡を生んだ。幾つもの希望を背負い、『先生』を連れ、ナカヤマフェスタは凱旋門賞へ挑む。
    『奇跡の物語』ナカヤマ自身がそう称した凱旋門賞までの遥かな道のりは、トレーナーの記憶の中、いつまでも鮮やかなままだ。

     奇跡の果てに病魔を克服し、未だ全快とはいかないものの、生き続けることの叶った『先生』は、教え子のぱかプチを慈しむように見つめている。

    『大切なものがまた壊れてしまうかもしれないのが、怖いんです。それなのにあの子ったら、堪え性がないから。自分の心に正直で、いつでも生きていたいから、心が逸ってしまう。あの子はウマ娘だから。走るのが大好きで、──心を止めていることなんて、できやしないから』

  • 53続き23/02/16(木) 22:52:47

     自宅のあるトレーナー寮に帰らず、トレーナーはトレーナー室へ足を向ける。休憩時間を報せるチャイムはすでに鳴り響き、午前中の授業を終えたウマ娘たちが昼食を求め移動する頃合いだ。
     場にそぐわないゲームセンターでの戦利品を小脇に抱えたナカヤマフェスタの担当トレーナーは、学内にてすれ違う生徒たちから奇異の視線を注がれていた。なんだろうあれ……どういこと? 遠くスマホのカメラを向ける生徒もいたかもしれない。
     しかし、ここまでの道のりでもその手合の視線を受けていたトレーナーに死角、もとい、恥じらいは存在しない。
     風紀委員や学級委員長に指摘されないよう、廊下はなるべく早足で。そうして自らの根城へたどり着いたそのタイミング。……トレーナー室の扉の前に、トレーナーにとっては見慣れすぎたウマ娘の姿が見えた。

    「ナカヤマ」
    「……よぉ」

     一触即発──とまではいかなかった。それぞれ昨日の出来事に頭を悩ませていたことを、お互い知るはずもなかった。それでも一瞬、担当ウマ娘と担当トレーナーの間に生まれたのは、ぴんと細い糸が張り詰めたかのような緊張感だった。
     しかし肌を切るかのような息苦しさは、ナカヤマフェスタが怪訝とばかりに眉をひそめることで、ふっと弛緩する。

    「なんだそれ」

     指し示されるのはトレーナーが小脇に抱えていた、ゲームセンターでのもう一つの戦利品──ゲームセンターから『先生』と待ち合わせていたカフェまで、そしてカフェからの帰路、ひとびとの視線を集め続けた──品のいいコートを羽織るその姿に似合わない、にんじんの巨大ぬいぐるみである。

    「にんじん、かな」
    「見りゃわかるよ。なんだァ? 優雅にゲーセンにでも行って来やがったのか?」
    「まあそんなとこ。部屋の鍵開けるから持っててくれる?」
    「……あぁ」

     ナカヤマのぱかプチを『先生』に渡した帰り道。空は雲に埋め尽くされていたものの、結局、あわててコンビニに飛び込んで傘を買うような事態は起こらなかった。そのおかげでぴんしゃんとしたままのにんじんを担当ウマ娘に押し付けて、トレーナーは部屋を解錠し、扉を開け放つ。
     ナカヤマとはあくまでトレーナー室前で遭遇しただけだ。巨大にんじんぬいぐるみを押し付けたものの、彼女が入室するかの判断は任せ、影が落ち肌寒い室内の照明を、空調を、寒がりの担当ウマ娘のために、手際よくつけていく。

  • 54続き23/02/16(木) 22:53:33

    「ナカヤマ、お昼は食べた?」
    「ああ。午後一でダンスレッスンが入ってるから軽くだが」
    「焙じ茶でいい?」
    「……任せる」

     ケトルのスイッチを入れて、その足でスティックタイプの焙じ茶とそれぞれのカップを用意する。湯が湧くのを待つ間に着ていたコートを脱いだあたりで、巨大にんじんぬいぐるみを抱えたナカヤマが後ろ手にトレーナー室の扉を閉めた。「座って」トレーナーが促せば、彼女にしては珍しく神妙な様子で──にんじんぬいぐるみを抱えたまま、ソファに腰を掛ける。

    「さっき自習だったから、ダート走ってきた。……後で内容LANEで送っとく」
    「了解。放課後のトレーニングにも加味するね。あとそれ、君にあげようと思って、獲ってきたんだ」
    「は?」

     普段よりも些か機敏に室内を動き回るトレーナーを無意識のうちに目で追いかけていたナカヤマは、伝えられた事実に彼女らしからぬ間の抜けた反応を溢した。執務机のノートパソコンが開けられ、電源が付けられた音が鳴る。ケトルに呼ばれたトレーナーはプラスティックマドラーで湯と粉末焙じ茶をかき混ぜつつ、面食らう担当ウマ娘ににっと笑顔を向けた。

    「眠れない夜もあるって言ってたし」
    「そうとは……言ってねぇだろ」

     昨日の荒唐無稽な戯言か。ナカヤマフェスタはその時の状況を思い起こす。言ったのは、ぬいぐるみを抱きしめて眠りたくなる夜もある、などというただの冗談。親元から離れた寮生活のため、ぬいぐるみと同衾する寮生もそこそこ存在していたが、ナカヤマはその範疇にない。
     しかし。ふわりと──胸中きらめいた感情の名前を、そのまま表情に出すのは憚られた。そのせいで酸っぱいものでも食べたような顔をすれば、あれ? と、トレーナーがすっとぼけた声を上げている。差し出された温かなカップを受け取りつつ、ナカヤマはにんじんぬいぐるみをそっと、ソファの腕置きとの間に置いた。空いた隣のスペースに、自らのカップを手にしたトレーナーが躊躇うことなく腰掛ける。

    「抱き枕にならないかなと思ったんだけど」
    「……チッ」
    「それ何の舌打ち?!」
    「思わせぶりなことしやがって、の舌打ちだよ」
    「思わせぶりって」

  • 55続き23/02/16(木) 22:54:37

     何か言い募ろうとするトレーナーを制して、ナカヤマはカップの中で湯気を立てる水面に行きを吹きかける。一瞬でも喜色が滲みそうになったことなど言うのは憚られるどころの話ではない。昼食を終え、トレーナーの姿を求めてトレーナー室まで足を運んだのは、与えられる温もりを享受するためではない。
     ナカヤマには伝えるべき言葉がある。伝えなければならない言葉がある。それを言葉にするために、今、彼女が必要とするのは後ろ髪を引くような温もりではない。

     動き出した空調に、どこかしら騒がしい廊下。締め切られたままのカーテンの向こうからも生徒の声が聞こえてくる。
     それは沈黙だっただろうか。それとも、静寂だっただろうか。思わせぶりに期待してしまった面倒な心ごと飲み込むように喉元に熱を落とし、口を開いたのはナカヤマだった。

    「なぁ」
    「うん」
    「……昨日のことだが」

     ナカヤマフェスタはけしてお喋りではなかった。かといって寡黙というわけでもない。必要なことであれば口にする。その場で必要だと思わなければ、言葉を作ることはしなかった。必要以上に口数を嵩ませることはないが、自分の言葉を持つ少女だった。
     おかしな間を作らずとも、言うべき言葉を選び出すのに手間はかからなかった。
     伝えるための言葉は用意してきていた。しかし、喉の奥、何かが邪魔をしているようで、続きを連ねることができないでいる。

    『でも、止められないんでしょう?』

     ワンダーアキュートはそう言って、ナカヤマの背を叩いてくれた。自身のトレーナー直伝の気合い入れだと曰わり。

    『変わりたくないんなら、素直にそう言えばいいっしょ?』

     トーセンジョーダンはそう言って、ナカヤマの両頬を引っ張った。そんなおかしな顔をしていたのかと聞いたところ、返ってきたのは『ふだんの仕返し!』だったため、後で覚えてろよと睨んでおいた。

     友人たちの激励を思い返し、息を吸う。息を吐く。そうして、ナカヤマは、トレーナーの視線を絡めとる気概で、ゆっくりと顔を向ける。

  • 56続き23/02/16(木) 22:55:20

    「……昨日のことを……私の選択を、なかったことにはしない。既に賽は投げられた。だから、言う。……私は、アンタに、懸想している」
    「……うん」

     きっとこの場にジョーダンがいたのなら『けそう……メイクのこと?』だとか気の抜けた空気にしそうなものではあった。それからアキュートに意味を聞き『好きって言えし!』とあきれられるだろうことも、想像に容易い。
     しかし、担当トレーナーには伝わるのだ。ナカヤマがどんな言葉繰りをしても、必ず最後には、自分の意図を酌み取ってくれる。静かに頷かれ、心臓がどくりと大きく高鳴った。その声音にどのような感情が乗っているのか、いつもなら探るところだった。
     しかし、今のナカヤマにはそれが出来ない。続く反応を待ちそうになって、都合の良い自らの心情を殴りつけるように頭を振った。
     まだ、何も伝えていない。
     まだ、主導権は渡してはならない。

    「だが、別にアンタに選択を迫るつもりはない。……身勝手なことを言うが、アンタには、変わらないでいてほしい」

     ぬいぐるみ越しとは言え、──気づかれたくて、気づかれたくなかった恋情は、トレーナーの前に晒された。

     それでもなお、変わらないで欲しい。

     それは、吹き荒れる嵐に抗いつつもナカヤマが出した答だった。返事を綴ってくれるな。それは願いで、それは自らを子どもの立場に置いた、ただの甘えだ。投げつけた感情を見てみぬふりをしてくれと──希う。ひどい子どもの我儘だ。大人だの子どもだの、いつもは考えることもないくせに。

     けれど、……思いを寄せる相手の傍で走ることが出来なくなる。変わってしまう可能性に、──少女は怯えている。

  • 57続き23/02/16(木) 22:55:43

    まるで告解かなにかのような言葉を、トレーナーは静かに聞いていた。先程まで真っ直ぐこちらを見つめていたすみれ色の瞳は、言葉が連ねられるたびに沈み、やがていつしか睫毛の影が落ちるほど。
     冷静で、ドライで、当然気も強くて、いつもどこか斜に構えて、目的のためなら雌伏すらこなす。かと思えば突然大きな花火を咲かせ、喝采を上げる。スリルを好み、勝負を嗜む無法者。トレセン学園に通う年頃の愛らしい少女たちと比べれば、ナカヤマフェスタは異質側にいる。クラスメイトからは近寄りがたいと囁かれ、裏路地の不良たちにはいらぬ因縁をつけられる。
     それでも。楽しければ笑う。腹が立てば怒る。……悲しみは心で堪え、喜びを涙に変える。大胆不敵に見せかけて、愛する者に対しては誠実で──細やかな情を繊細に紡ぐ。
     それはまるで、冬を超え、春に芽吹く花のような。
     いつも風を切る肩は、本当はひどく華奢だった。
     幾多の希望が積まれた背中も、本当はひどく小さかった。
     手慣れたように賽を転がす手指も、重ねた年齢ぶんだけのいとけなさを残しているのも、トレーナーは知っている。

    「そうだね。きっと、……変わらない」

     どうかあの子に、誠実なままでいてください──『先生』の言葉は、願いの響きをしていた。ぬいぐるみ越しの口づけを揶揄いでも戯れでもないと信じ、真剣に向き合おうとしたそのままで、と。誠実かはわからないと溢せば、『先生』は優しく首を振る。
     あなたがフェスタに誠実でいてくれようとしたから、わたしに相談してくださったのでしょう、と。

  • 58続き23/02/16(木) 22:56:43

     ナカヤマフェスタは教え子だ。トレーナーにとってそれは覆さない大前提であった。覆してはならない大前提であった。たとえ、その一時の衝動に、……自分でも気づかなかった情が目覚めたとしても。彼女が教え子である限り、トレーナーは変わらない。
     けれど、──生まれた情も、おそらくきっと、変わらない。それだけ自分は、彼女を──ナカヤマを見守ってきた。見つめてきた。ともに歩んで、ともに駆けて、笑い合い、慈しみ合い、たくさんの時間を過ごしてきた。
     それが愛と呼べるものなのか、トレーナーには分からない。けれど、積み重なったそれを切り捨てるには、とっくのとうに手遅れだ。

    「変わるわけがないよ」

     言い聞かせるように、言葉を一つ。

    「記憶が飛ぶほど、君の気持ちにどう応えればいいのか、悩んだんだ」

     伝えられるように、言葉を一つ。

    「だから、……そうそう変わってたまるものか」

     三つ目の言葉を綴れば、俯いていたナカヤマが、ゆっくりと顔を上げた。意味を咀嚼するのに時間がかかっているのだろう。「は?」と困惑だけ声に乗せ、すみれ色の瞳を狼狽させる。

    「つまりさ、君風に言うなら、……懸想していたのは同じだった、ってこと」

     奇しくもそれは、同期の少女から一縷の希望を与えられた時と同じ風な語り口。

    「だから、……勝負をしない? ナカヤマ」
    「勝負?」

     勝負。それは、本来のナカヤマフェスタがひどく高揚し、心を踊らせるキラーワード。
     トレーナーからもたらされた言葉の意図を掴めないまま惑っていた少女の瞳に、かすかな炎がよみがえる。

    「君がレースを引退して、学園を卒業するその日まで、……絶対に、君になびかない」

  • 59続き23/02/16(木) 22:56:59

    ***

     強い風が、トレーナー室の窓に吹き付けていた。かすかな隙間から風が入り込み、締め切られたままのカーテンを揺らしている。
     まだ開花にまでは至っていないが、桜が咲いていれば一撃で桜吹雪を作り出してしまうほどの、春嵐。

     なびかない、とは、どういうことだ?
     ナカヤマフェスタは敏い少女だった。最初の一言でありとあらゆる可能性を脳裏に並べ、ただしい意図を探ろうとした。けしていい風ばかりに取らないように。おかしな勘違いをしないように。いつかトーセンジョーダンに言われた『アンタ風に言えば』と同じ言い方でもたらされた事実を噛み砕くのには時間を必要とした。正確に言えば未だ意図を探りきれていない。表面だけで読み取ってはならないと思いつく限りの理由を並べる。その作業が終わる前に告げられた勝負に、今度こそナカヤマの思考回路はぱたりと動きを止めた。
     ナカヤマちゃん、落ち着いてちょうだい? 脳内でアキュートが握り拳を作る。もう一度、最初から。最初から、トレーナーの言葉をなぞり直す。──掴んだ選択をなかったことには出来ないが、変わらないでいてほしい。ナカヤマはそう願ったはずだった。今のまま。担当トレーナーと担当ウマ娘のままで。
     変わるわけがない。トレーナーがそう答えたとき、一丁前に胸が軋んだ。望んだ答だったはずなのに、いざ突きつけられると決意とは随分と脆いものた。そう自嘲すらした。けれど。
     変わるわけがない。続いた言葉のその意図は、……ナカヤマが引き寄せた意図と大きく違っていた。いつのまにか聞き心地のよくなっていた声音に、形作った言葉に、ナカヤマは呆気にとられた。投げられた賽がおかしな軌道を描いている。ファンブル? 盤面がひっくり返る。牌を切れ。コマを並べ直せ。今すぐに! 思考を回転させて、ただしい意図を引き寄せる。
     同じように懸想している? それって好きピどーしってことじゃん! 脳内のジョーダンが騒ぎ出したのを追い払った。どくん、と、また一つ心臓が騒ぎ出す。
     壊れるのを恐れた。
     変わらぬことを願った。
     けれどそこにあった情は──とうにかたちを変えていた。

  • 60続き23/02/16(木) 22:57:44

     それはさておき。

     このクソボケは、先程何と言った?
     聞き捨てならないことを抜かしやしなかったか?

    「おいおい待てよ、前提がおかしかねぇか?」

     先程までのそこにいた手弱女のようなナカヤマフェスタは、すっかり姿を消していた。お帰りはあちらですお嬢様。丁重にお帰り頂いて、ナカヤマは手の内に抱えていたカップを勢い良く呷った。空になったそれを勢いそのままにテーブルへ叩き置く。まるで丁半でも張るかのように。

    「私がアンタに飽きないとでも言いたげな口振りだな。なびかないと言うくらいだ。そうじゃないとは言わせねぇぜ?」

     さまざまな原因に惑わされはしたものの、今のナカヤマの頭は、いつも以上に冴え渡っていた。なびかない。それは、いくらナカヤマが懸想をしたとてトレーナーは振り向くことはないという意味だ。ナカヤマフェスタが現役を終えターフから去り学園を卒業するその日まで。
     しかしその勝負が成立するためには、ナカヤマが担当トレーナーを想い続けていなければならない前提がある。飽きることなく、いまだ見えない未来まで。
     もともとこの担当トレーナーはおかしな度胸だけは人一倍。突然たまげたことを言い出すこともけして少ないわけではない。
     人が変わったかのように──正確に言うならば元の調子を取り戻しつつあるナカヤマに、担当トレーナーは怯むことはない。

    「勿論、飽きさせないように努力はしてみるつもりだよ。具体的なビジョンはないけれど……そもそも、君のことをまだ生かし続けるつもりだし」
    「──は!」

  • 61続き23/02/16(木) 22:58:22

    ナカヤマフェスタは片拳で手を打った。声が張りを取り戻す。どくどくと、鼓動が薄い胸を叩いている。騒ぎ出す。踊るように。ひとつ息をするごとに、何かが生まれ変わる心地さえしていた。──私は、嬉しいんだ。ナカヤマは目を逸らしていた感情に、ついに名前をつけた。心が踊る。駆け出したっていいくらいだった。しかしここでフォールドするのはまだ早い。そう自覚すれば、ナカヤマの瞳に走るのは勝負師の光だ。
     心が通い合っているのなら、秤はイーブン。何を恐れることがある。

    「勝負をする価値がなくなったと思ったら、下りてくれたって構わない。君が最後に笑ってくれているなら、それで充分だしね。その時の勝負は、不戦勝で君の勝ち」
    「アンタが私に飽きる可能性だってあるだろうが」
    「残念ながらそれはないよ。君に飽きない自信だけはあるからさ」
    「おいおい年端もいかないガキ相手に、随分とご執心じゃねぇか。イカれてやがんのか?」

     ああ言えばこう言う。眉を下げるのはトレーナーの番だった。先程までのしおらしい様子はどこへやら。不安げな風情はどこへやら。もうすっかり普段のナカヤマフェスタそのものだ。年端のいかないガキと他人事のように言ってはいるが、まごうことなきナカヤマ本人のことである。冷静沈着なナカヤマはどこへやら、振り切れたテンションの理由が嬉しさによるものだということをトレーナーはわからない。
     けれど、そこにいるのは、ずっとトレーナーが見つめてきたナカヤマフェスタだった。
     そのすみれ色の瞳は、ぎらついている。それはまるで水を得た魚のよう。雲間に射す光のよう。

    「だから卒業するまで時間がいるんでしょ。……それに、イカれてる人間に懸想してる君に言われたくないなぁ」

     飄々と突きつけると、ナカヤマのよく回る舌が引っ込んだ。勢いを殺す術はまだトレーナーの手にあるらしい。

  • 62続き23/02/16(木) 22:58:37

    ***

    「勝負条件をおさらいしよう。トレーナー、アンタはこの勝負、何をもって勝利とする?」

     わざとらしい咳払いを一つ、ナカヤマフェスタは問いかける。飲み込まれてしまわないよう、スカートのポケットから取り出した賽子を手のひらの上で転がして。

    「君が心身ともに大人になって、その情が一時の熱ではなかったと確信できるまで。君になびかなければこちらの勝ち」
    「大胆不敵な悩める乙女が手練手管で迫ってきたら、一体どうするおつもりで?」

     悩める乙女と手練手管は共存してもいいのか否か、野暮な指摘はさておいて、トレーナーの答えはただひとつだ。

    「耐えるよ。迫られるってことは勝負が出来てるってことだしさ」
    「修行僧かよ」

     トレーナーとて下世話な意味ではいい年齢とも言えたものの、覚悟を決めたトレーナーが並大抵のことで揺らがないのは、ナカヤマもよく知るところである。
     ならば自分は。挑まれた勝負に勝利するための条件は? ナカヤマは思い巡らせる。途中で飽きれば不戦勝。しかしそれは共に走り続けられないことを意味している。今更共に走るのを辞めようなんて思うほど飽きる出来事が起こるだろうか? それなら在学中に、トレーナーをなびかせて、奈落の底まで落としてみせる? しかしこのトレーナー、困ったことに、とっくのとうに落ちている。

  • 63終わり23/02/16(木) 22:59:02

    「私の負け筋がないじゃないか」
    「勝ち筋がないよりいいじゃない」
    「そうは言ってもな。……で、勝負の開始はいつからだい? 私たちのレースにはスタート合図が必要だろう?」

     それならば、と、トレーナーは室内の時計を見遣る。あと数分で午後の授業の予鈴が鳴り響く。予鈴とともに開帳を決めるも、ナカヤマはいまだ、釈然としないままだ。
     こちらにばかりリスクのない勝負を挑まれても、ちっとも熱くはなれやしない。
     勝負としてみて見れば、燃え上がれるはずもない。不満げに口を尖らすナカヤマだったが、次の瞬間、ふたたび息を呑むこととなる。

    「君が卒業してからも、君のことを生かしてみせるから、……その時は、どうか隣で笑っていて欲しいんだ」

     予鈴が鳴るまであと三分。
     勝負が始まるまであと三分。
     賽子で遊ぶナカヤマの手をそっと取り、トレーナーは真っ直ぐ彼女を見つめてみせる。担当ウマ娘のすみれ色の瞳は驚きにまたたいて、まごつくように呼吸をひとつ。

    「それ、プロポーズか何かじゃねぇか?」
    「何かも何も、そのつもりだけど」

     春の嵐はおさまらず、強い風は雲間を割って、淡い青空を覗かせる。にわかに外は明るくなるが、カーテンが引かれた室内はわずかに影が引いたままだ。
     蕾がやわらかく綻ぶように、すみれの瞳はまるみを帯びる。勝負の始まりまであと数秒。

     その口づけが遠い未来へつながる約束になるかは、──すみれの花だけが知っている。

  • 64二次元好きの匿名さん23/02/16(木) 23:05:32

    スミレの花言葉は「謙虚」「誠実」「小さな幸せ」

    そして交際0日プロポーズはヘキです。よく考えると最初にここで書いたナカヤマとトレーナーのお話も交際0日プロポーズでした

    【SS】酔狂すぎる告白【トレ×フェスタ】|あにまん掲示板 指輪を買うのははじめてではなかった。bbs.animanch.com

    待ってくださっていた方々に待っててまあまあ良かったと思って頂ける出来となっていますように

  • 65二次元好きの匿名さん23/02/16(木) 23:12:17

    >>29

    そして改めまして素敵なイラストを描いていただきありがとうございました……!

    あのよくわからん描写のスプリングパーティー衣装(捏造)ぱかプチまで……!!

    へにょったお耳とナカヤマさんの表情が可愛すぎて震えました……本当にありがとうございます。嬉しいです……!

  • 66二次元好きの匿名さん23/02/17(金) 06:14:06

    大長編お疲れ様でした
    ぱかぷちからこんな大きなことになるとは思っていませんでした
    凄く良かったです、また作品を期待してもいいですか?

  • 67二次元好きの匿名さん23/02/17(金) 07:42:30

    >>66

    読んでくださりありがとうございました!

    蛇足で長いし誰にも触れられず落ちたら寂しいなと思っていたので嬉しいです……!




    本当はこのあとに続くはずだったエピソードのために書いてたはずなのに膨らませすぎてそこまでたどりつきませんでした……

    また懲りずにナカヤマのお話を書くと思うので、ご縁ありましたらぜひ、目を通して頂けると幸いです!

  • 68二次元好きの匿名さん23/02/17(金) 08:36:43

    完結お疲れ様です
    ナカヤマ可愛い!トレーナー格好いい!

  • 69二次元好きの匿名さん23/02/17(金) 18:26:11

    >>68

    ありがとうございます!

    ナカヤマ可愛くなってましたか……?! 最後どう足掻いてもアレになっちゃったんで不安でしたがそう思って頂けていたら幸いです!

  • 70二次元好きの匿名さん23/02/18(土) 02:54:37

    備忘録的な小ネタ


    ダート1600メートル左回り重馬場?

    チャンピオンズミーティングアクエリアス杯

    ナカヤマさんを連れていきたいのにマイル1ダート2つぼみマミクリが光ってくれません……


    最近書いた雰囲気が近いやつ

    ここに来ても|あにまん掲示板『しのぶれど 色に出でにけり わが恋(こひ)は ものや思ふと 人の問ふまで』(恋でもしてんのか? って誰かに問いかけられる程、私の感情は表に出てたってのか?)をうっかり地で行ってしまったナカヤマとトレ…bbs.animanch.com

オススメ

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