(ダイイチルビーSS)聖なる日には塩味を添えて

1二次元好きの匿名さん23/02/14(火) 18:13:05

(※舞台微ネタバレ注意)

　バレンタイン、放課後、校舎裏。

「おじょ……ルビー、来たよ」

　約束の場所に貴方は来る。

「ヘリオスさん。貴方に伝えたいことがあります」

　あの日、あの時から抱いていた想いを私は今、貴方に──

─────
　時は2週間ほど前に遡る。昨年のスプリンターズSにて左脚を骨折してしまったミラクルさんのお見舞いのために、籠に入れられた果物の詰め合わせを持って彼女の病室を訪れていた。

「いつもありがとう、ルビー。いつも来てくれてすごく嬉しいんだけど、次のレースに向けての練習は大丈夫？」
「抜かりはありません。トレーニングはプラン通り行っておりますし、今日は休養日ですので」
「そっか。それならよかった。次はヘリオスと走るんだったよね」
「はい。マイルCSでは苦汁を舐めさせられましたが、次走のマイラーズCでは必ずや勝利を掴んでみせます」

　昨年のマイルCSでは2バ身半ほど遅れての2着、次のスプリンターズSでは勝利を手にしたものの、彼女は出走せずに翌週の有馬記念へ向かい、距離適正外にも関わらず5着に粘り込む走りを見せた。そんな彼女と私が今年の開幕戦に来月のマイラーズCを選択したことで世間はライバル対決と騒ぎ、学園での彼女はいつも以上に騒々しかった。

「ルビーって、なんだか最近変わった気がする。ヘリオスへの態度とかレースへの姿勢とか」
「そう、でしょうか。特に変わることなく一族への務めを果たすべく、日々ただ邁進しているのみですが」

　確かにヘリオスさんには多少なりとも恩情は抱いている。幼き頃の記憶を思い出させてくれたこと、そのことでミラクルさんを救うことができたこと。おそらく彼女の言葉がなければ、スプリンターズSで勝利することもミラクルさんを救うこともできず、今も悲しみと使命に縛られ雁字搦めになっていたことは容易に推測できる。ただ入院中で学園にて顔を合わすことがないミラクルさんに推察されるほど、私は変わっているのだろうか。

2123/02/14(火) 18:13:36

「ううん、変わったよ。同室のおれが言うから間違いない。去年のマイルCSとスプリンターズSの辺りから」

　相変わらずヘリオスさんとは走る目的が違う。いわゆる「ノリ」と彼女が発するものも合うことはなく、以前と大きく付き合いが変化してはいない。トレーニングに誘われた際、予定が空いていればその範囲内で切磋琢磨、レースに向けて互いに己を高めあう。トレーニングが終われば各々気にかかった点を伝えあい、次のトレーニングの予定を確認して解散する。変わったところなど、いや、違う。

「彼女とのトレーニング……」
「ヘリオスもさ、今日は来てないけど頻繁に顔を出してくれるんだ。彼女にもたくさん友達がいるのに。そのときに彼女から聞いたよ。『ミラクルん、ちょい聞いてー！　最近のお嬢とのトレーニング、鬼楽しくてー！　激やば☆』って」

　『この話し方ちょっと照れるね』とミラクルさんが目を細めて笑う中、ふと考える。「華麗なる一族」としての使命を果たすために日々研鑽を重ね、トゥインクル・シリーズにて栄誉を掴む、その夢は変わらない。ただ空を覆っていた雲を散らして、その明るさをもって私を再び輝かせてくれた彼女に、私は十分な恩を返せているだろうか。彼女とのトレーニングはあくまで自身のため。であれば返したのは言葉ひとつだけ。彼女から受け取った恩と比べてあまりにも少なすぎる。

「ミラクルさん、少々相談に乗っていただいてもよろしいでしょうか」
「うん、なに？　おれにできることならなんでも聞くよ」

3123/02/14(火) 18:14:09

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「ガトーショコラ、トリュフ、クッキー……何を作ればよいのでしょうか」

　ミラクルさんに相談に乗ってもらってから1週間、彼女がいない寮の部屋で携帯を片手に一人物思いに耽る。トレーニングが終わり、本日課された課題も片付けたあとの眠りにつくまでの時間で私はヘリオスさんへの贈り物に頭を悩ませていた。

「思いきってデパートに買いに……いえ、それでは心が籠もっているとは到底言えません。感謝を伝えるのであれば手作りが最適……」

　今までバレンタイン、いや誰かへプレゼントを贈るという行為においてここまで思い煩うことはなかった。お母様やお祖母様への誕生日における贈り物も考えこそすれ苦慮はしなかった。

『それなら今度のバレンタインでチョコを渡せばいいんじゃないかな』
『チョコ、ですか……』
『ヘリオスは絶対喜んでくれると思う。どうかな？』
『ありがとうございます。少し考えさせていただきます』

　ミラクルさんと交わしたあの日の会話を思い出し、反射的に頷いてしまったことを今になって若干後悔する。あのときは悩むことなくすぐに決まるものだと少し高を括ってしまっていた。現在の窮状など想像もしていなかった。

「今日はこの辺りにして寝ましょうか……」

　携帯の画面を消し、部屋の照明を落とす。自身のベッドに柄にもなくばたりと倒れ込むと、そのまま目を閉じ今日のトレーニングのことを思い出す。

『お嬢お嬢お嬢〜！　今日も末脚やばよりのやば☆　なんだか調子上がってんね！』
『レースが近づいてきていますから。ヘリオスさんも変わらず好調なようですね』
『お嬢と併走だし当然っしょ！　あっ、トレーニング終わりのツーショキメない？』
『そちらは結構です。この辺りで失礼いたします』
『やっぱりソルティー……』

4123/02/14(火) 18:14:39

　芝の上に崩れ落ちる彼女をちらりと見やり、トレーニング場をあとにするいつもの情景。ただそこになぜかヒントが隠れているようなそんな気が……

「ソルティー……塩……そういえばそのような物が……」

　ガバっと起き上がり、暗い中携帯の画面をつける。素早くある文字列を入力すると、1000万件を超える検索結果が画面に表示された。

「これなら……」

　いくつかのサイトを開きレシピを保存する。そして明日のスケジュールに買い物の予定を入れ、今度こそ眠りについた。

(あと1週間……それまでに完璧な物を……)

─────
　翌日の放課後、朝のうちにまとめておいた買い物メモを見て学園近くのスーパーマーケットで材料を買い込む。調理器具は寮の調理場で借りるとして、調味料を含めて材料は自ら購入する必要があった。調理の技術に関しては幸いにも幼い頃から家で学んでいたこともあり、特に心配することはなく作業に取りかかることができた。

　ただ作業中に一つ懸念することがあるとすれば、

『ねえ……華麗なる一族が誰にチョコ作るんだろ？』
『あれじゃない？　去年レースで怪我した……』
『同室って話だしもしかして……！』

　などという根も葉もない流言飛語が飛び交っていること。作業の際に耳に入ればそちらの方をひと睨みにして静かにさせることもできるのだけど、自身がいない場でされると対処のしようがなかった。まあ14日を過ぎれば自然と終息していくはずだから、鎮火に躍起になることもなく私は淡々と試作を重ねていった。しかしもちろんそのような噂は、友人関係が広い彼女の耳にもやがて入ることとなり……

「ね、ねえ、お嬢……」
「何か？」
「バレンタ……ううん、なんでもない……」

　といった会話がバレンタインデー前日まで幾度となく交わされた。その度に彼女の耳と尻尾は萎れ、トボトボと大樹のウロの方へ向かって歩いていく姿が見られた。

5123/02/14(火) 18:15:08

(可哀想？　いえそのようなことはありません。当日正面から感謝の念を伝えさえできれば……)

　周りに影響されることなく試作を重ねていき、バレンタインデー当日の朝、ついに会心の出来ともいうべき品が完成した。

「これならば……！」

　確かな確信を胸にあらかじめ用意をしていた可愛らしい包装に包む。そうして調理場から部屋に持ち帰ると、溶けないように一旦保冷バッグに移し替える。そして放課後まで溶けないように保冷剤も一緒に詰め込み、通学カバンとともに学園の教室まで持ち運んだ。当然渡す際の紙袋もあらかじめカバンの中に忍び込ませておいて。

(あとは時間と場所をヘリオスさんに伝えるのみ。何も支障はございません)

─────
　ただその約束は先に彼女の方からなされることとなる。

　それは通学途中のこと。寮から学園まで一人で歩いている最中、後ろからいかにも緊張しているとの声で彼女の方から話しかけられた。

「ね、ねえお嬢。おはよ！」
「おはようございます、ヘリオスさん。なにやら声が震えているようですが」
「え、マジ！？　やっぱりお嬢にはバレバレなんかぁ……」
「それで何かご予定でも？　なければ私の方から……」

　そう話を切り出そうとした刹那、彼女に右手を掴まれ立ち止まる。幸運にもそれほど強い力で引かれたわけではないから、体勢を崩してチョコを粉々にする事態には至らずに済んだ。

6123/02/14(火) 18:15:44

「あ、あのさ！　今日の放課後、校舎裏に来てくんない？　渡したいモン、あるから」
「……承知しました。それではまた放課後に」

　私の方から指定しようとしていた場所を先に取られる形で彼女と約束することになった。今日という日だから、彼女の渡したい物はある程度予想はつく。その種類が何なのか気になるのみ。

(全ては放課後。それまでは静かに待ちましょう)

　今歩いている通学路ということもあり、当然私たち2人の会話の様子を見ていたトレセン学園の生徒が数多くいる。周囲で口々に何かこそこそと話されている中、私は顔色一つ変えることなく再び歩を進めた。私の出自から周囲でこのようなヒソヒソ話をされることは日常茶飯事だったこともあり、今更意に介するまでもなかったから。

─────

　そして迎えた放課後、私たちは約束の場所で2人まっすぐに向き合っていた。2人とも何かを後ろ手で隠しながらも互いに瞳を逸らすことはない。ただそこには静かな緊張感のみが漂っていた。

「「あの……」」

　そんな緊張感を打破しようと互いが口を開いたのはほぼ同時。本来なら躊躇することなく踏み込んでくるはずの彼女が、この瞬間だけは私に続く言葉を譲ろうとした。しかし私はそれを拒否し、約束してきたのはそちらからだと彼女の方から先に言うよう背中を押した。

「ヘリオスさんから誘ったのですから貴方から言うべきでは？」

　ただそれは私の方も二の足を踏んだことをバレないように押し隠した方便にすぎない。いつもならもう一度同じ問答がありそうなところが、今日は止まることなく思惑通り話は前へと進んだ。

「あのさ……今日バレンタインじゃん？」
「そうですね」
「よかったらこれ、おじょ……ルビーの口に合ったらって思って……」

　そう言って彼女が差し出してきたのは著名なスイーツ店の紙袋だった。贈答品として受け取る機会の多いブランド名に一瞬目を見開く。

7123/02/14(火) 18:16:19

「ありがとうございます。このお店のお菓子は私も気に入っていますからありがたく頂戴いたします」
「マ……？　受け取ってもらえっか鬼ぶるってたけど、お嬢がテンアゲならおけまる！」

　先程から一転していつもの調子を取り戻す彼女。私はこれで任務完了とばかりにこの場を去ろうとする彼女の手を取り、隠していた紙袋を胸の前に差し出した。

「えっと……お嬢……これは？」

　今目の前で何が起こっているのか目を白黒させている彼女へ私は一気呵成に感謝の言葉を伝える。

「昨年のマイルCSにおいて激励をいただき誠にありがとうございます。あのときの言葉で私は心の奥底に眠っていた幼き頃の記憶を思い出すことができ、結果的にスプリンターズSにてミラクルさんを助けることができました。ただ近頃振り返った際、貴方への感謝、恩返しが不足していることに気づきました。頂いたもの以上はおろか、同等のものさえお返しできておりませんでした。それを今日バレンタインに合わせて私の気持ちをお渡しいたします。どうか受け取っていただきたく」

　届けたい想いを全て吐ききりひと息をつく。一度二度大きく息を吸ってから目の前の彼女の様子を見ると、私が渡した紙袋を持って硬直していた。

「ヘリオスさん？」
「……はっ！？　もしかして夢！？　ウチ知らんうちにヘヴってた！？」
「いえ、現実ですが」

　私の言葉で我に返った彼女は何度か目をパチパチさせたかと思うと、自身の頬をつねったり顔をペタペタ触ったりして、これが現実の出来事かどうかしきりに確認していた。

「てことはマジでお嬢からバレンタインのチョコを……」
「ですからそうですと申し上げています。それで一つヘリオスさんにお願いがあるのですがよろしいでしょうか。難しいとのことであれば結構です」
「いやいやいやいや！　お嬢のお願い断るとかなしよりのなしっしょ！　それでお願いって？」

8123/02/14(火) 18:17:03

　普段の私、しかも彼女相手になど絶対にしないであろうお願い。それは……

「食べていただけませんか？」
「えっと……ここで？」
「はい。是非感想を教えていただければ次回に活かせるかと思います」

　深々と頭を下げて頼み込む。

「おけまる……って言いたいとこなんだけど……その前にパシャってウマスタ載せてい？」
「ご自由にどうぞ。私もせっかくですからヘリオスさんに頂いたものを撮らせていただきます」

　撮影場所を探していると、少し歩いた先にベンチを見かけたのでそこに置いて撮影会を始める。互いに何枚か撮ったあとに改めて彼女にチョコを食べてもらうことにした。

「もぐもぐ……えっ、ちょっちソルティー！？　チョコなのに！？」
「塩生チョコ、というそうですよ。いつも貴方が私におっしゃるみたいに、ふふっ」

　そう、今回作ったのは溶かしたチョコに塩を混ぜて固め、できた生チョコの上にココアと粗塩を乗せて作った塩生チョコ。普段の私に対する彼女の言葉から着想を得た一品は、手前味噌ながらチョコのコクと甘さが引き立ったものになったと思う。

「せっかくですからヘリオスさんから頂いたものをここで食べてもよろしいでしょうか？」
「あ、うん、煮るなり焼くなりお嬢の好きにしてくれておっけーだし！」
「それではいただきます……んっ、甘さの中に混じるビターな味がとても美味しいですね。ヘリオスさんもお一ついかがですか？」

　そう言って個別に包装されたチョコを一つ剥いて彼女の口へと差し出す。またもフリーズした彼女だったが、今度は早急な再起動を行い、私の指からそのまま口にチョコを頬張った。

「ちょいビターっけど、お嬢はこれ好きなんよね？」
「はい。これぐらいの苦味があった方が口に合います」
「ならウチも頑張って好きになる！　お嬢のしゅきぴを分かるようになりたいし！」
「なるほど……」

9123/02/14(火) 18:17:36

　彼女の言葉を正確に理解できているとはあまり思っていないが、私と同じものが好きになりたいと言っていることだけは分かる。であれば……

「それではヘリオスさんからも食べさせていただいてもよろしいでしょうか？」

　はしたないことは分かっている。ただ今だけは、周りに誰もいない今ならば。

「……そマ？」
「嘘はついておりません」

　周囲をチラチラと見やってから手元の生チョコを指でそっと掴み、そっと私の口元へと寄せる彼女。私はそれに合わせて口を開き、ぱくっと食べた。

「あーん」
「あーん……んっ、時間が経過しても美味しいですね」
「そりゃそうっしょ！　やっぱりお嬢の作るチョコしか勝たん！」

　これからはもう少し塩加減を控えめにしてもいいかもしれない。せめて周りの目がないときぐらいはカカオの量も減らして、肩の力を抜いて寄り添いあって。そしていつか──

　──バレンタイン、それは気になる人との距離を縮める日。躊躇う背中を押してくれる不思議な日。