- 1二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 00:39:43
「アヤベさん、今年のバレンタインはどうするんですか?」
年始の忙しなさも落ち着いて、暦も2月に差し掛かったある日。トレーニング終わりにカレンさんは突然そんなことを言い出した。
「どうするって、何が」
「チョコレートですよチョコレート!甘くてカワイイチョコレートですっ!」
「それくらいは分かっているわよ。でも、私に何の関係があるの。そりゃあ、あなたみたいな子ははしゃぎたいでしょうけど」
友人や恋人にチョコレートを贈るバレンタインデー。大方どこかの製菓会社が始めたイベントでしょうけど、騒がしくなるし学園中が甘ったるい匂いになるので私はあまり好きではなかった。
去年もカレンさんに無理やり催事コーナーに連れていかれたけれど、色が多くて目がチカチカしたのを覚えている。────そういえば、あの人とやたら出くわした日でもあったっけ。
「そりゃあはしゃいじゃいますよ♪好きなヒトにチョコレートを渡せるなんてとっても幸せじゃないですか。アヤベさんにも試食手伝ってもらいましたよね?」
「ああ……あれは本当にまずかったわ。思い出すだけで吐きそう」
「分かってますよぅ~。あんなすごい顔したアヤベさん初めて見ましたから」
"ばえ"だか何だか知らないけれど、チョコレートに菊なんて入れるのは食への冒涜だと思う。
その後色々あって完成したらしいけど、渡した相手はちゃんと完食したのかしら。
「で、そのチョコレートがなんだっていうの?……友チョコだったかしら、そういうのをやりたいなら別の人を探すことを勧めるけど」
「え~?ここまで言ってもまだ分かりません?」
そう言って、カレンさんは私のすぐそばに顔を寄せてくる。
呆れたような声とは裏腹に、その表情はやけに楽しそうだった。
「……トレーナーさんに渡したりしないんですか、チョコレート?」
"トレーナーさん"と聞いて、脳裏に彼の顔が浮かぶ。見返りも何も求めず、ただ私についてくるおかしな人。
チョコレートを渡そうなんて、今まで考えたことがなかった相手。 - 2二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 00:40:03
「トレーナーさんに?欲しいだなんて言われてないわ」
「……おっと~?……あのですねアヤベさん。バレンタインチョコっていうのは、どんなに欲しかったとしても男の人からお願いなんてできないものなんです」
「どうして?」
「どうしてって……やっぱり、女の子の方から渡したいと思って貰えるのが嬉しいからじゃないです?カレン的にはお兄ちゃんからおねだりされれば喜んで渡しちゃいたいですけど……あっ、それは今は関係なかったですね」
「そうね、どうでもいいわ。続けて」
「む~……とにかく!"そういうの"を抜きにしても、普段お世話になっている相手への感謝の気持ちとして渡してみてもいいんじゃないですか?きっと喜んでくれると思うなあ」
「それは……そうかもしれないわ」
カレンさんの言っていることにも一理ある。
あの人には色々と借りを作ってしまっているし、クリスマスだってプレゼントを用意したのに向こうからもタオルを貰ってしまった。バレンタインならまさか向こうがチョコレートを用意なんてしないだろうし、気持ちだけでも返すにはいい機会かもしれない。
「前に行ったお店なら何か売っているかしら……」
「う~ん、ちょっと立派なのを渡すのもいいと思いますけど、カレンは手作りをオススメしますよ!気持ちを伝えるならそれ以外ないですって!」
「……そういうもの?」
「はい!カワイイハート型とか、カレンが持ってるものならお貸ししちゃいますよ」
「それはいい。自分でやるから」
手作りといっても、今まで料理らしい料理といえば簡単なサンドイッチくらいしか経験がない。不安がないわけではないけれど、インターネットで調べながら作れば人に見せられるくらいのものはきっとできるはず。
カレンさんみたいにおかしなアレンジを加えたりはしないし。 - 3二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 00:40:41
とはいえ、人に渡すものだから色々と気を遣う必要はある。あまり日持ちがするものでもないし、ナッツや果物を使う場合はアレルギーの心配も。
だから私は、トラブルを避けるために前もって伝えておくことにした。
「ねえ、トレーナーさん。アレルギーとか苦手なものはある?……来週はバレンタインでしょう」
「えっ」
驚いた様子の彼からは「まさか貰えるなんて思わなかった」なんて素っ頓狂な言葉が返ってきて。
学生にねだるのは大人としてどうかと思うけれど、まったく期待されていなかったというのもそれはそれでなんだか癪に障る。トレーナーさんとはもう数年の付き合いになるし、毎年この時期になれば浮ついた話が嫌でも耳に入るでしょうに。
とはいえ、手作りだからと変に気負われても困るからこのくらいの期待度がいいのかもしれない。
ひとまず好き嫌いや一般的なアレルギーはないことが分かったので、ある程度世間の流行なんかも取り入れて────とにかく、無難なものを作ってみることにした。
「おはようございます」
────かくしてバレンタイン当日。何がなんでもアレンジを加えさせようとするカレンさんをいなしながら無事にチョコレートを完成させた私は、包みを鞄に忍ばせてトレーナー室へとやってきた。
ドアを開けると、いつになく窓の外なんて見ていたトレーナーさんが勢いよくこちらを向いた。
「やっ、やあアヤベ!本日は、その……お日柄もよく?」
「……あいにくの天気だから屋内ミーティングに変更したと聞いた気がするのだけど?」
「あっ、それもそうだな!うっかりしてたよ、ハハハ……」
「……そう」
今しがたこの人が眺めていた鉛色の窓には、今も忙しなく雨粒が叩きつけられている。
────どう見ても挙動不審だ。何かあったのかもしれないけれど、心当たりはない。仮にあったとしても切り出せるかは分からないのだけれど。
「……とりあえずミーティングを始めましょう。その後練習場が空いていたら軽く運動くらいはしたいし」
「……うん、そうしよう。まずは金鯱賞を叩き台にしてきそうなメンバーなんだが────」
モニターのリモコンを手に取ろうとした瞬間、トレーナーさんがちらりと私の肩の鞄を横目に窺った。
あれ、と思ったけれどそれは本当に一瞬のことで。すぐにその視線は画面へと移る。 - 4二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 00:41:00
些細な仕草だからこそ、疑念を抱いている状況では逆に気になるもので。
鞄の中身を気にする理由。天気を間違えるくらいの動揺。今日はバレンタインデー。
「えーっと、次がクレイジー……イン、ラブ?で合ってるのか?」
────もしかして、チョコレートを気にしてる?
「この子は昨日のバレンタ……バレンタインステークスを制していて……」
でも、期待なんてしていなかったみたいだし、現に昨日まで変わった様子なんかなかった。
そう、だからこれは見当違いな推察のはず。なのに、それなのに────
「……言いたいことがあるのならはっきり言いなさい」
さっきからこの人、説明はよく噛むし、どこか所在なさげに視線をさまよわせるし。
おまけにバレンタインという単語が出た途端に私の顔を見たりして────誰がどう見ても、思い切り今日のことを意識していると分かる。
気づかないフリにも限界が来たので仕方なく問い詰めてみると、トレーナーさんは気まずそうに頭を掻いた。
「あっ……え~っと、その……すまない。ミーティングに集中していなくて」
「それは分かっているわ。欲しいのは謝罪じゃなくて理由の説明なのよ」
「理由……理由、か。今日はその……バレンタインだよな?」
「ええ、そうね。朝から浮かれている子たちがたくさんいた。まさか自分のトレーナーまでそうだとは思わなかったけれど」
「いや、浮かれてたっていうか。先週アヤベからバレンタインの話があっただろ?そのときは嬉しいな、とは思ったんだが特別意識はしていなくて。……ただ、今朝目が覚めたら、なんだか急に緊張が」
「分からないわ……どうしてそうなるのか」
「いや、その……アヤベがどんなチョコをくれるのか楽しみだった、から」
ばつが悪そうに、それでいて照れ臭そうな、まるで子供のような顔。
本当ならミーティングが終わった後にさりげなく机の上にでも置いておくつもりだったのに。
「そんな風に期待されたら、後に引けないじゃない……」 - 5二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 00:41:22
鞄から出した包みを、目を合わせないようにしてそっと差し出す。
作るのに費やした、長くも短くもない時間に思いを馳せて。
「ハッピー、バレンタイン……」
「おお……」
「大したものじゃないから、そんなに大げさに受け取らないで」
「いや、でも嬉しくて。今、食べてもいいかな?」
「……どうぞ」
トレーナーさんはまるで天皇賞の盾を受け取るようなぐらいに緊張した面持ちでそれを受け取った。
そして、逸る気持ちを抑えているのか、少し震えた手がそっと封を開ける。
「星形のチョコか」
私は何も言わず頷いた。
星の形の小さなトリュフチョコが6つ。初心者にも作りやすい定番で、なおかつ単なる丸形では少し味気ないと考えた結果、選んだのがそれだった。
「いただきます」
「……ええ」
トレーナーさんはその中のひとつを口に含んで、2度、3度と味わうようにそっと咀嚼する。
大丈夫。カレンさんやトップロードさんに試食は頼んだし、口に合わないことはないはず。 - 6二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 00:41:56
やがてごくり、と喉が動いて、彼がゆっくりと口を開いた。
「……こんなに美味しいチョコは初めてかもしれない」
「そう……もっと食にお金を使った方がいいと思うわ」
「ホワイトデーはさ、3倍とはいかなくても見合うようなお返しを考えてみるよ」
「……気持ちだけで十分よ。別に、そんなつもりで渡したわけではないし」
そう、これはほんの気持ち。だから返してもらう必要なんてないのに。
「いや、アヤベは気持ちを形にして渡してくれたんだ。俺だって同じようにしたいな」
普段から私にどれだけのものを渡しているか、あなたはきっと知らない。
そうやって自覚がないからこそ、私のほんのささやかな返礼にも、しっかりとお返しをしようとしてくる。本当におかしな人。
「分かったわ。……お返し、楽しみにしてる」
どうせ返しきることができないのなら、素直に受け取っておくのがお互いのため。
普段なら絶対に浮かばないような考えに思い至ったのは、きっとチョコレートの甘い香りが心を乱してしまったから。そういうことに、しておく。 - 7二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 00:42:47
オワリ。一昨日から書いてたのでアプリのバレンタイン要素は(ないです)
エフフォーリア引退がつらい - 8二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 00:44:53
丁寧な描写で甘さがじんわりと伝わってくるようでとても良い…
- 9二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 00:45:50
アヤベさん…好き…
お互いを思いやる暖かさが素敵だ - 10123/02/15(水) 00:51:54
- 11二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 00:54:22
トレアヤのぎこちない距離感のアヤベさんは身体にいい
>どうせ返しきることができないのなら、素直に受け取っておくのがお互いのため。
ここすき
本人も無自覚にちょっと浮ついてるの可愛い
- 12二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 09:52:24
カレンチャンのアレンジの魔の手が迫る…!
2人してちょっと浮かれてるのしゅき - 13二次元好きの匿名さん23/02/15(水) 16:44:38
チョコ渡すアヤべさんはなんぼあってもいいですからね