- 1二次元好きの匿名さん23/02/22(水) 19:07:43
- 21/823/02/22(水) 19:07:58
吾輩はねこである。
名をエリザベート。黒の毛皮をかぶったねこである。吾輩にこの名をつけたのは、灰色のニット帽をかぶった鹿毛のウマ娘であった。しかしこのウマ娘は、吾輩にこう呼びかける。
「シシィ、腹減らしてねぇか?」
今日も今日とて灰色ニット帽のウマ娘は、気配を消して吾輩の前に姿をあらわす。その手には興味をそそられてたまらないビニール袋を持ち、樹木の根本で身体を休める吾輩の前に膝をついた。たしかにあの日、吾輩は『エリザベート』と名付けられたはずだった。長い名前である。しかし翌日、吾輩は『シシィ』と呼ばれていた。かと思えば『エリザベート』と呼ばれるタイミングもあるものだから、よくわからない。
しかしそんな謎もビニール袋から取り出された見慣れたパッケージの小袋を見れば、もはやどうにでもよくなる。おもむろに立ち上がるついでにしっぽをピーンと立てる吾輩を、ウマ娘は眉を下げ、すみれの瞳を細める。
「こっちは食後。先に飯を食え、飯を」
背の高い小皿に注がれるフードと、あたたかい水は、吾輩にとってご褒美である。……その後に待ち受けている『ちゅうる』なる液体も。 - 32/823/02/22(水) 19:08:42
吾輩はねこである。
名をパンジー。さまざまな土地を転々としたねこである。吾輩にこの名をつけたのは、黄色の耳飾りをつけた鹿毛のウマ娘であった。頭の大きな芦毛のウマ娘と、さわがしい黒鹿毛のウマ娘と一緒にいるところをよく見かけるこのウマ娘は、学園の端、ひともウマ娘もめったに立ち入らないその場所に来るなり、声をひそめて吾輩の名を呼ぶ。
「パンジー、出ておいで」
食後、『ちゅうる』も平らげ、陽のあたる定位置にてうとうとしていた吾輩がのそりと姿をあらわせば、鹿毛のウマ娘はほっとしたような顔をする。踏み荒らされていない芝生の上に腰かける鹿毛のウマ娘の膝の上が、この時間、吾輩の定位置となる。
「今日もご飯は食べたみたいだね。……誰があげてるか知らないけど」
膝に乗るやいなや両肢を伸ばしきる吾輩の腹を撫で、鹿毛のウマ娘は懐からブラシを取り出す。腹の毛並み、脇の毛並み、背の毛並み……鹿毛のウマ娘のブラッシングは、至福の時間であった。 - 43/823/02/22(水) 19:09:17
吾輩はねこである。
名をエリザベートもしくはシシィ。この地にきたばかりのころはやせ細ってはいたものの、ウマ娘たちの献身によりだいぶふくよかになってきたねこである。日々のブラッシングですっかり毛並みもやわらかくつやめき、ぽかぽかの太陽に輝かんばかり。黒の毛皮は夏になれば厄介なことこの上なかったが、寒い季節にはもってこいであった。
吾輩自身が途方もない温かさを感じているのである。ならば、必然的に──
「あー、あったけぇ……」
ニット帽のウマ娘は、吾輩をその腕に抱き、吾輩の首元に顔をうずめていた。吾輩はねこである。ねことはとけるものであると小耳にはさんだことがある。ところがとけそうになっているのはニット帽のウマ娘であった。すぅぅぅう、はぁぁぁ、と、ウマ娘が呼吸をするたびに、やわらかな首元の毛がなでつけられたり逆立ったり。
ねことは吸われるものであると小耳にはさんだことがある。つまり、吾輩は、吸われていた。
吾輩はねこである。そのため、ねこを吸うことがどのような意味を成すのかはわからない。ひとつわかるとするなら、ニット帽のウマ娘がひどくリラックスしていることだろうか。 - 54/823/02/22(水) 19:09:52
その時であった。
遠くから、聞き覚えのある足音がした。吾輩はねこである。エリザベートかつシシィであり、──パンジーでもあった。
「……」
「……」
いつものようにブラシを携えた鹿毛のウマ娘と、食後に長居をしていたニット帽のウマ娘が、対峙していた。吾輩をエリザベートもしくはシシィと呼ぶニット帽のウマ娘は吾輩を抱えたまま硬直し、吾輩をパンジーと呼ぶ鹿毛のウマ娘もまた、その場に立ち尽くしていた。
うららかな春の陽射しは吾輩の眠気を誘うほどに暖かかったが、ふたりのウマ娘の間には、まるで冬がぶり返したかのような緊張感がはりつめていた。
しかし、吾輩はねこのため、ウマ娘たちの事情は知ったことではない。
「ナォン」
鹿毛のウマ娘を呼ぶ。パンジーはここにいるのである。ニット帽のウマ娘も撫でてはくれるものの、ブラッシングのウマ娘の方が心地よい。吾輩の声に、ふたりのにウマ娘の間にただよっていた緊張感はゆるんだようだった。
「ねこ、吸うんだ」
最初に声を上げたのは鹿毛のウマ娘だった。しかしその声はいつもより少しばかりつんつんしている。
「まぁな。……アンタは?」
「アタシ?」
「ねこは吸うもんだろ」
対するニット帽のウマ娘はというと、もっともらしい口調ではあったものの、伝わってくる心音がせわしない。えぇ……? と、鹿毛のウマ娘が戸惑っている。ねこは吸うもの。どうやら吾輩の認識は間違ってはいなかったようである。 - 65/823/02/22(水) 19:10:37
吾輩はねこである。
かつての名は忘れてしまった。片耳の一部が欠けた、『地域猫』なるねこである。
吾輩のことを知っているのは、このふたりのウマ娘だけではなかった。吾輩はねこである。たくさんの旅をしてきたねこであるが、この場所にも縄張りを設定している。縄張りはパトロールしなければならないものである。そうなれば、ほかのウマ娘たちにも出会うことがあった。
ウマ娘たちは走っている。生きることが走ることと言わんばかりであった。しかしウマ娘たちは年若い乙女でもあった。
吾輩はねこである。ウマ娘たちと会話はできないが、声をかけられることがある。悩みを打ち明けられることもある。吾輩はそれに応えることはできない。ただ、そっと隣に寄り添い、腹を出し、喉を鳴らし、頭突きをする。
吾輩にできることといえば、それくらいであった。
吾輩はねこである。
ただのねこであった。特別なにかに秀でているわけでもない。
しかし、吾輩はねこであった。
ねことは、去り際を心得ているものである。 - 76/823/02/22(水) 19:10:52
毛皮の換え時か、はたまたまた別の去り際か。吾輩にはわからない。
その日、吾輩は、いつもの場所にもう戻らない決意をかためた。縄張りのチェックをしながら歩みをすすめる。すれ違うウマ娘たちが、吾輩の名を好き勝手に呼んでいる。
吾輩をエリザベートもしくはシシィと呼んだニット帽のウマ娘と、パンジーと呼んだ鹿毛のウマ娘は、あれから連立ってやってくることが増えた。鹿毛のウマ娘から『ちゅうる』をあたえられることもあった。ニット帽のウマ娘にブラッシングしてもらうこともあった。
鹿毛のウマ娘にも吸われた。「悪くないかも」そう言われたことは吾輩の誇りである。……もっとも、少しすれば忘れてしまうだろうが。
吾輩はねこである。ワン公とちがい、細かく嗅覚に秀でているわけではない。それでも吾輩はにおいをたどる。扉が開いた隙をついて建物内に侵入した。早足で階段を上がる。そうしてやがて、探していたにおいにたどりついた。
「ナァオ」
部屋の入り口で声をあげる。探しているウマ娘たちはここにいる。
「パンジー?」
「エリザベート……?」
聞き慣れた声がふたつ上がったあと、
「あーっ! ねこさんだぁ!!!!」
黒鹿毛のウマ娘がいななくように声をあげた。「チケットうるさい」すかさず鹿毛のウマ娘がにらんで、それから、ひそめた眉はそのままに吾輩を見る。ニット帽のウマ娘は部屋の奥まったほうにいた。位置的に近いのは鹿毛のウマ娘のほうだ。鹿毛のウマ娘の足元に向かう。するするとまとわりついて、両手をそろえて座る。 - 87/823/02/22(水) 19:11:39
「ナォン」
「えぇ……抱っこ?」
意思疎通はできたようだ。両脇に手を差し入れ、鹿毛のウマ娘は吾輩を抱き上げる。すぐさま腰のあたりを支えて背中をまるく。吾輩は鹿毛のウマ娘に抱き上げられるのが好きだった。
さて、次は。
「ォアーン」
抱き上げられたまま、部屋の奥にむけて身体を乗り出してみせる。吾輩の視線の先には、ニット帽のウマ娘がいる。顔はこちらに向けていないが、その耳はまちがいなくこちらに向いていた。
「ナカヤマ、呼んでるよ」
「……ハァ」
ため息をついたニット帽のウマ娘がこちらにやってくる。手が届く距離まできて、ニット帽のウマ娘は吾輩の眉間から耳裏までを指先でくすぐってくれる。
別れの時だった。しかし吾輩は、ヒトの言葉をつかうことができない。ウマ娘たちもまた、吾輩の言葉を雰囲気でしか理解できない。
「こんなところまで来るたぁ珍しいな」
「本当にね。どうしたんだろ、何かあった? ……ってわかるわけないか」
タイシン、ねこさんと知り合いなの?! 黒鹿毛のウマ娘がさわいでいる。落ち着けチケット、と、頭の大きな芦毛のウマ娘が制していた。どうかそのままでお願いしたい。
吾輩は、ふたりに別れを告げねばならぬ。
「ぅなん」
ニット帽のウマ娘を再び呼ぶ。「なんだぁ?」あきれたように肩をすくめるニット帽のウマ娘が顔を近づけてくれたから、もう一度身を乗り出した。鼻と鼻をぶつけあう。
それは、吾輩たちのあいさつだ。
鹿毛のウマ娘の腕の中、吾輩はうごめく。「ちょ、何?」なんとか鹿毛のウマ娘と向き合って、背を伸ばした。鼻と鼻をぶつけあう。 - 98/823/02/22(水) 19:12:36
吾輩はねこである。
気ままな放浪旅のねこ。いつかは別れも来るものだ。
ありがとう、吾輩をエリザベートもしくはシシィと呼んだウマ娘。
ありがとう、吾輩をパンジーと呼んだウマ娘。
吾輩はねこである。
一週間もすれば忘れてしまうかもしれないが、しばらくはきっと、ふたりのことを忘れまい。 - 109/823/02/22(水) 19:12:46
吾輩はねこである。
かつて、エリザベートもしくはシシィ、パンジーと名をつけられた、ねこである。
あの後、部屋に緑色をしたヒトがやってきた。たづなさん、と呼ばれたヒトは、ほっとしたような表情で吾輩とふたりのウマ娘に駆け寄る。
「探していたんです。このねこさん、引き取り手が見つかったんですよ!」
「本当に?」
「どこにだい?」
「お年を召したウマ娘さんたちの暮らす、街の福祉施設です」
どうやら毛皮の換え時ではなかったらしい。
キャリーを持ってきますね、と去っていく緑色のヒトを見送って、鹿毛のウマ娘の手が吾輩の頭を撫でる。
「……もしかしてお別れしに来てくれたとか?」
「さてね。それにしては出来すぎてはいるが」
ニット帽のウマ娘の指先が、吾輩の喉元をくすぐる。ごろごろ。知らず喉が鳴り響く。
そうして吾輩はキャリーに入れられ、終の棲家へ運ばれて、めでたく『イエネコ』となった。
吾輩はねこである。去り際ほどしか予感ができない、ただのねこである。
そのため、旅立つ吾輩を見送ってくれたふたりのウマ娘がどんな言葉を交わしたのか、本来は知る由もない。
「……なんでエリザベート?」
「あいつ、いろんな場所を転々としてきてたみたいだったろ。旅人となればエリザベートしかあるまいよ。……そっちは? どうしてパンジーなんだい?」
「あの子の眼、黄色いパンジーみたいだったでしょ。……それで。黄色いパンジー、つつましい幸せ、って花言葉だし」
吾輩はねこである。
旅の末、つつましやかな幸せを手に入れた、黒の毛皮のねこである。
おしまい - 11二次元好きの匿名さん23/02/22(水) 19:13:57
素晴らしい、ただその言葉しか出ない
- 12二次元好きの匿名さん23/02/22(水) 19:14:46
9レスでした
猫の日だったので猫吸いする猫好きウマ娘たちのお話を書きたかったのでした。
エリザベート(エリザーベト)はこちら
エリーザベト (オーストリア皇后) - Wikipediaja.wikipedia.org宝塚歌劇団でも公演がありますね。
- 13二次元好きの匿名さん23/02/22(水) 19:25:18
ナカヤマSSを沢山書かれている方とお見受け致します。
私、貴方様のファンです!(違ったら申し訳ございません)
今回もほっこりする、けれどちょっとお別れにしんみりするネコとナカヤマのお話、とっても素敵でした!
個人的には頭突きをする〜の下りでクスリと笑ってしまいしました!
猫の日にピッタリの魅力的なSSでした! - 14二次元好きの匿名さん23/02/22(水) 19:32:44
とても心が暖かくなる内容で且つ、こう言う視点から見るウマ娘の世界もあるのか、と勉強になりました
ありがとうございました - 15二次元好きの匿名さん23/02/22(水) 19:37:29
お疲れ様です!
いつもの方ですよね?いつも応援してます!
暖かい話でいいですね - 16二次元好きの匿名さん23/02/22(水) 23:57:51
読んでくださりありがとうございます!
そう言っていただけてうれしいです~!
ナカヤマと一緒に09年同期SSも書いてる輩でしたら自分ですね……!
ねこはけっこう頭突きしてくると思ってます……そしてなんだかとっても嬉しいお言葉をいただいてしまいましたよ……?! ありがとうございます、光栄です……! これからもそう言っていただけるようなものが書けたらなと思います……!
モブ娘目線であったり非トレーナー目線のSSもあるので、おうまさんたちもわりと好きめなねこ目線にしてみました!
タイシンもナカヤマも育成で猫のエピソードがありますし……!
良い感じのお話が書けていたらなによりです!
ありがとうございます!
いつものヒトかもしれませんね!(?)
今日は寒かったのでほっこりしたお話が書きたかったのでした……!
- 17二次元好きの匿名さん23/02/23(木) 07:30:36
- 18二次元好きの匿名さん23/02/23(木) 18:12:20
猫の日!そういうのもあるのか
好きだけどあんまり近寄ってくれないから、こんな話は大好きです - 19二次元好きの匿名さん23/02/23(木) 21:06:10
- 20二次元好きの匿名さん23/02/23(木) 23:28:41