- 1二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 17:30:54
- 21/823/02/26(日) 17:31:09
「ナカヤマってさ、バレンタインデーのチョコはお菓子の会社のいんぼーだろ、とか言うと思ってたわ」
それはとある同期ウマ娘の、バレンタインデーにおける私に対する印象だ。陰謀なんて単語よく知っていたなと返したらそんくらい知ってるし! と、ふくれっ面されてしまった。恐らく漢字では書けないだろうなと思いつつ、いらないなら無理に食わなくていいと渡したばかりの『友チョコ』を取り上げようとしたら「ぜってーイヤだし!」と断固拒否された。
『友チョコ』といってもたいしたもんじゃない。実家のチビたちがリクエストしてきたチョコチップクッキーを、知人・友人用に取り分けたものだ。なんならチョコレートですらない。美浦寮のキッチンで作ったそれは、掌ほどの透明袋に入れられていて、ピンク色のマスキングテープで封をされている。
同期のウマ娘──トーセンジョーダンもそのピンク色かつファンシーなハート柄の止めテープが気になったんだろう。えも言われぬ顔をしたから、私の名誉のために言っておいた。それは、セロテープで済まそうとした私に対する、サクラローレルのお節介だぜ、なんてな。 - 32/823/02/26(日) 17:31:24
「隠し味はコーヒーかしら? シンプルなようでいて、手が込んでいるわねぇ」
それはある同期ウマ娘の、バレンタインデー用に私が作った『友チョコ』に対する感想だ。いつもなら大根のぽりぽりさんが詰められたタッパーに並ぶ一口サイズのアップルパイを振る舞われつつも、教室でお互いの『友チョコ』に舌鼓。どちらもチョコですらないが、バレンタインデーの贈り物なんてそんなものだ。
「どの口が言うんだか」酸味が程良く効いて甘さが後に引かない、冷めても軽い食感はそのままの一口サイズアップルパイなんて、手しか込んでないだろうが。私の舌を唸らせることが出来たのに気づいたのか、ワンダーアキュートは満足そうに瞳を細める。「だってこのクッキー、あえて二度焼きもしてるでしょう?」
私が台所仕事に覚えがあることを知らない美浦寮生は、寮のキッチンに立つ私を見て、あからさまにギョッとする。ま、その気持ちもわからなくないぜ? 一時までは授業はサボる夜遊びもする教官たちと揉め事を起こすなんていうわかりやすい問題児。君子危うきに近寄らずとばかりに遠巻きにするのも当然の話。避けられることは痛くも痒くもないし、こちらとしては慣れたもの。作ることができてせいぜい小鍋をそのまま器にするインスタント麺くらいには思ってるんだろうし、その印象のままで構わない。世の中には知らなくていいことだって存在するわけだ。
しかし、料理に明るいこの同期は、たった一口で色々と見透かしてくるから、本当に厄介なもんだ。それをネタに遊んでこないのは幸いではあったがね。 - 43/823/02/26(日) 17:31:43
バレンタインデーという年に一度のイベントを、製菓会社の陰謀だとは特に思ったことはない。好奇心旺盛な妹弟たちが毎年のように手製をねだってくるのも慣れたもんだし、作ること自体はてんで億劫じゃあない。贈る対象によってどう仕込みを変えるか考えるのも楽しい時間ではある。行きつけの店の男連中に欲しがられるのを躱すのは面倒ではあるが、それひとつで積もるかすかな塵のような借りが返せるなら悪いことでもないだろう。
──要は、バレンタインデーに贈るチョコレートもしくは相当品を用意することは、私を極端に暗澹とさせることはない、ってことだ。私の見た目や素行がそう思わせないのか、驚かれることもたびたびあったが。
それはさておき。
夕方──休養期間中ゆえに久々に訪れたトレーナー室にて、私がまともなバレンタインデーの贈り物を用意してきたことに驚き、手作り? 既製品? どちらでも嬉しいよと騒いだ挙句、そのチョコレートを私に総取りされたトレーナーは、そりゃァもうわかりやすく打ちひしがれていた。ミーティングテーブルに突っ伏しうめく姿はとても成人の姿にゃ思えない。「どうして……」と宣うが、正直それはこっちの台詞だぜ? アンタに贈ったはずのチョコレートが、私の手元に戻ってくるなんて、大番狂わせにも程がある。もっともここにジョーダンでもいれば『手加減しなかったナカヤマのせいじゃん?』などとあきれたように言い放つんだろうが、……勝負は勝負、手を抜くなんて私じゃないだろ?
広げられたキッチンペーパーの上、積み上げられた円形のチョコレートを摘んで一口。ポーカーチップを模したコイン型のチョコレートはビターテイストの私好みに仕上げてある。スイートとミルクの二色展開で、表面の刻印もそれなりに凝ったはずなのになァ。渡された箱を開け、丁寧に詰められたコイン型チョコを見るや勝負の気配を勝手に察したトレーナーにも罪はあるとは思わないか? 結果──私のコイン型チョコを賭けたポーカー勝負は全戦全勝私の完勝。トレーナーは見るも無残な素寒貧。まさか贈り物を奪い返す羽目になるなんて、流石の私も思わない。 - 54/823/02/26(日) 17:32:33
「トレーナー」
口内でチョコレートを溶かしきって、カードをケースに仕舞いつつもミーティングテーブルを挟んで向かい側のいい大人にため息混じりに呼びかける。のっそりと起き上がるさまは、私の目に分かりやすく疲労を見せていた。その傍らにも広げられたキッチンペーパーにはチョコレートの欠片のひとつもなく、それを見るやトレーナーは心底残念とばかりに肩を落とす。
やれやれ、まるで私が弱いものいじめでもしてるみたいじゃないか。──もっとも、コイツのコンディションを見極めなかった私にも落ち度はあるかもしれないな。年度末まで一ヶ月を切ったせいか、ここのところトレーナーは事務仕事に追われている。それに加えて休養明けからの私のトレーニングプランを計画し、春先の遠征準備をこなしつつ、最新のスポーツ工学栄養学トレーニング論を学ぶ講習会に参加して……となれば、目の回るような日々を過ごしていることは想像に難くない。実際、この部屋を訪れた時も、トレーナーは目を回し気味だった。資料やらノートパソコンが広げられているデスクの上には派手な見た目のカフェイン飲料が並び、目元に濃い隈をへばりつかせ、やたらとハイテンションで対応し……なんて、一見すりゃバカでも惨状は分かるってもんだろ。惜しむらくは私も浮かれバカだったってところだが。……この手の贈り物なんて、作る以上は相手の反応を多少なりとも期待するもんだろう?
さておき、今の私が出来ることはひとつだ。勝負中のハイテンションはどこへやら、すっかり反動にやられているぼんやり眼のトレーナーは、カードケースをスクバに仕舞う私の指先を追いかける。立ち上がりコインチョコ一枚をふたたび口に含んた私は、担当トレーナーに宣告を下した。
「片付けといてやるからさっさと帰って寝ろ」
ってな。 - 65/823/02/26(日) 17:32:45
「まだ今日やっておきたいことが」
「それは、やっておきたいことだろう? 私との勝負をする余裕はあると見た。緊急じゃないってこった。違うか?」
言い募るトレーナーを横目に、私はとっ散らかったデスクへ向かう。休養期間中はしばらくLANEのみの連絡に留めていたから、ここまで惨憺たる有様になっているとは思わないだろ。出しっぱなしの文房具を一纏めにして、散らばった資料は山ごとに角をただす。
机の乱れは心の乱れとはよく言ったもんだ。開かれたままのパソコンは書きかけのメールやら入力しかけのページやらがないかを確認して、電源は落とさずスリープ状態にした。資料もそうだが私には判断できないものもあるからな。
デスクの端に追いやられたコンビニ袋を引っ掛けて小さなゴミを突っ込んでいく。中身? 菓子パンやらサンドイッチやらの空袋だってのはお見通し。こっちの食生活には口を出すのに自身の食生活は疎かにしてやがる。……また自室のカップ麺狩りにでも赴かなきゃならないかね?
最後に空のエナジードリンクをまとめて掴んでトレーナー室の端にあるミニキッチンのシンクに置けば、それなりに片付いたとは言えるだろう。シンクの中には洗えていない来客用のコップやら皿やらが残っていたから、そこにも手をつけるかと巡らせたところで──先程から背後が物音一つ立っていないことに、そろそろ目を向けることにする。
振り返れば、先程まで勝負の行われていたミーティングテーブル。この部屋のあるじは帰宅の準備をすることもなく、パイプ椅子に腰掛けたままぼんやりとこちらを見遣っている。
「……ったく、目ェ開けたまま寝てやがんのか?」
「……、ご、ごめん」 - 76/823/02/26(日) 17:33:04
平謝りするその姿は、まるで緊張の糸でも切れたかのような有様だ。動く気力もまるでないとばかりの様子は、気付けの一つや二つ必要としてそうな気配すらする。これはこちらが思うよりもずっとお疲れのよう。一度手を洗ってミーティングテーブルまで戻り、私が座っていた側に積まれたコイン型チョコを見遣る。気付けには刺激物。甘味、特にチョコレートは、刺激物に相応しい。
勝負は勝負だ。賭けの対象となったチョコレートは私の元に戻ってきた。それなりに手を込めて、食う姿をまあまあ想像しながら作ったそれだ。
──勝負をするんだ。どうせなら勝ち取れよ。私から奪ってみせろ。だなんて、一瞬でも期待した自分がいたことは、嘘じゃない。果たして結果はご覧の通り。落胆と苛立ちと、……素直に返してやれない自分への感情を、怒涛の片付けで昇華した。それも、嘘じゃない。
「……ほら、一枚やるよ。これ食って帰れ」
積まれたコイン型チョコを摘む。デーブルを回ってその口元に差し出すと、眼下、パイプ椅子座ったままのトレーナーはわかりやすく狼狽した。固く口を結び小さく首を振り、視線を泳がせたあと、両手で口元を隠しす。
「それは君の取り分だから、貰えない」
なるほど? 口を開いたが最後、私にチョコをねじ込まれると予測していたらしい。いい読みだよ。喋り終わると同時に両手がどけられる。
「私の取り分だから私の自由にしていいんだろうが。……そもそも、アンタのために用意してきたのになァ?」
「……、……」
「腹話術やるならもっときっちりやれ。聞こえねぇ」 - 87/823/02/26(日) 17:33:17
情に訴えかけても駄目ときた。こういう時だけとんだ石頭だ。もごもご喋られてもわかんねぇよ。意固地なトレーナーに少しずつ腹の虫が剣呑に疼き始める。癪に障るとはこのことだ。
そのくせ。
指先の熱で溶けかけたチョコレートを自分の口に放れば、……あからさまに眉を下げ、無念とばかりにするものだから。
半歩。踏み込むように足を進めれば、互いの足がぶつかった。重心を後ろに倒したのは無意識だろう。パイプ椅子が耳障りに軋むから思わず耳を絞る。かといって、その程度じゃ怯むに事足りない。片腕をトレーナーの後ろ首に回して引き寄せたところで、憐れな被食者はようやく状況に気づいたらしい。もう片手で頬を撫でる。少し痩せてんな。私のために無茶しやがって。腹の奥で膨らむのは苛立ちだけじゃない。正反対の情と衝動。視線を合わせる。目が見張られて、制止のために口が開かれる。そこが勝負の狙い目だ。
──私の舌の上のチョコレートが、完全に溶け切ってしまうその前に。
こうまでさせたアンタが悪い。
なァ、流石にそう思わねぇか? - 98/823/02/26(日) 17:33:31
いくらガキみたいにテーブルに突っ伏し意地を張っても、曲がりなりにもトレーナーは『大人』というやつだった。熱と甘さを伝えたところで肩を押されて剥がされる。
「食えたな? 目も覚めただろうし帰れ。施錠までしといてやるから」
「ナカヤマ、……君は」
もっとも動揺は最高潮だったらしい。それきり何も言えないまま。隈なんて目じゃないくらい顔を赤くしているのを見れば……もう一歩、踏み出してみたくもなっちまう。
そう、例えば?
「それとも何かい? 腰砕けのトレーナーは、私に送り狼をご所望で?」
「……っ?!」
ああ、その衝撃の表情たるや!
頭が上手く動いていないらしい。ほら立て、帰れと急き立てて、コートと鞄を押し付ける。残念ながら今のアンタじゃ今の私に勝てないぜ? 背を押し部屋から追い出せば、どうにも笑いが溢れ出た。あぁ、こりゃあ、明日以降、冷静になったアイツからのお説教は確実だ。
これだけで落とせるなんて最初から思っちゃいないが、幕は切って落とされた。
扉の向こう、歩き出す音は未だない。まだ呆然としているのか、なにか思うところがあるのか、はたまた。
なぁトレーナー、聞こえてるなら聞いていけ。こうなったのもアンタのせいだ。アンタは落とし前をつける必要がありゃしないかい?
「……どうか、私に勝ってみせてくれよ?」
落とすのもいいが落ちるのも乙なもの。仕込みは多少雑にはなったが、気持ちを贈る愛の日から始まる駆け引きは、いま、動き出したばっかりだ。
終 - 10二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 17:35:29
- 11二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 17:53:45
ナカヤマカッコいい……好き……
- 12二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 18:51:31
- 13二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 20:00:35
良かったです
- 14二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 20:06:24
お疲れ様です、良かったです!
- 15二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 21:39:33
- 16二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 23:01:37
正直、トレーナーが全部スッた時から「やれーっ!やれぇーっ!」と思ってたので結末にヨッシャ!でした
- 17二次元好きの匿名さん23/02/27(月) 07:36:58
- 18二次元好きの匿名さん23/02/27(月) 18:55:19【トレウマ/SS】ぱかプチヤマフェスタと春のあれこれ|あにまん掲示板よくあるぱかプチに嫉妬したりしなかったりするナカヤマと性別不問のトレーナーの話。14レス。bbs.animanch.com
前作です。
此度も楽しんでいただけていますように。
- 19二次元好きの匿名さん23/02/27(月) 21:03:39
読ませていただきました
こう言ったお祭り事を大切にしそうなナカヤマが素敵です…
送り狼されたい…
素敵なSSをありがとうございました - 20二次元好きの匿名さん23/02/28(火) 07:36:26