【SS】壜の中の鳥

  • 1二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 22:24:43

    「ふ~、ご馳走様!食べたいものを好きなだけ食べられるのって、なんだか幸せだなぁ……」
    「それはよかった」

     「気が向いたから」という理由で、まるで何かの記念日のように豪勢になったある日の夕食の席。
     テーブルを埋め尽くしていた大皿たちを空っぽにして、シービーは膨れた腹を軽く叩いた。
     にんじんハンバーグ、ナポリタン、ステーキ、餃子、更にはジャムをたっぷり塗ったデザートのケーキ────何割かは自分が食べたとはいえ、レースに出走するウマ娘の食事としては明らかにカロリーオーバーだ。 
     しかし今は口出しをせずに、少なくとも体型を大きく崩さない程度であれば許容することにしている。

    「なんだかごめんね?今日は全部アタシが作ろうと思ってたんだけど、結局キミに手伝ってもらっちゃって」
    「いいんだ。シービーがやりたいことをやるのを手伝うのが、俺にとっても楽しみだから」
    「あはは……」

     そう言うと、シービーは少し困ったように苦笑いした。近頃はあまり見なくなった表情だった。その顔を見て、ふと────もう数年前の、まだ契約する前だった頃の出来事を思い出す。
     なんとしてでも彼女の担当トレーナーになりたくて、彼女専用の蹄鉄やトレーニングメニューを贈ったこと。そして、そんな贈り物を「期待させたくないから」とやんわり断られたことを。

    「もう引退したんだよ、アタシ。そんなに気を遣う必要はないんじゃないかと思うんだけどな」
    「引退したからって走ることをやめたわけじゃないだろう?いつまでも走りを楽しんでもらうためにも、傍にいる以上は支えてあげたいと思うよ」
    「……相変わらずだなあ、キミは。そんな人に傍にいてもらえて、アタシって結構果報者なのかな?」

     ────担当契約を結んだウマ娘とトレーナーとが二人三脚で歩んでいく期間は、仲違いや故障に見舞われない最良の形であったとしても、デビューしてから引退するまでの数年間だけだ。
     現役を引退すれば契約は切れ、ウマ娘はトレセン学園を卒業して第二の人生へ。そしてトレーナーは次の担当ウマ娘を探すか、チームを持ってより多くのウマ娘を預かることになる。

  • 2二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 22:25:26

     だが、当然例外もある。人バ一体と呼ばれるほど分かちがたい繋がりを持ったコンビの場合、契約が切れたからといって赤の他人に戻ることはない。
     学園卒業後に元担当トレーナーのチームのサブトレーナーになったり、違う道を歩んだとしても定期的に連絡を取り合う者がほとんどだ。
     そして年に何人か、そんな結びつきが行くところまで行ってしまい、卒業後に────中には疑わしいこともあるが────恋人になってしまう、ということがある。何を隠そう、シービーの両親もそうだった。トレーナーと元担当ウマ娘。周囲の反対に遭いながら、駆け落ち同然で結ばれたという。

    「そんなに大した者じゃないよ、俺は。仮にそうだったとしても、それは俺の心を惹きつけてくれたシービーの魅力のおかげじゃないか。……それに、見ていないとなんだか心配でさ」

     そんな背景があったからだろうか。思えばシービーとは、現役時代から普通のウマ娘とトレーナーと比べて随分距離が近かった。
     お互いひとり暮らしだったこともあり、相手の部屋には度々訪れていた。その過程で彼女の両親とも顔を合わせることが多かったし、休日はいつも彼女が心のままに行く先へついて行くのが当たり前になっていて。当然トレーニング中も顔を合わせるわけだから、一緒にいない時間の方が少なかったような気がする。

     やがてシービーにもターフを去る日が訪れて、ふと今後のことについて聞いてみたことがあった。レース以外に何かやりたいことはないのか、とそんな感じのことを。
     すると彼女は当然のように「何も決めていない」と言った。いかにもシービーらしいなと笑いつつも、シンボリルドルフやカツラギエースといったライバルたちと鎬を削った日々を失い、放っておけば空っぽになってしまうのではないかと心配になって────思わず、そんな気持ちが声をついて出た。「卒業したら一緒に暮らさないか」と。

     大人の男が学生にそんなことを言うなんて、今思えば大問題だったと思う。でも、不思議とそのときは後悔などしていなくて────何より、当然のように首を縦に振ったシービーに、俺はいったいなんと言えばいいのか分からなくなってしまったのである。

  • 3二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 22:25:48

    「あはは、やっぱり心配?でも大丈夫だよ。アタシもさ、君といた時間の中でなんとなく……普通の暮らしっていうものにも馴染んできた気がするから」
    「だったら、いいんだが」

     最近、ふと今の関係について考えてみることがある。
     一緒に暮らさないかとは言ったが、恋人になろうとは言ったこともないし、当然言われたこともない。だが、ただのルームシェアというには俺たちは近づきすぎてしまった気がするのだ。
     シービーの両親からもそれとなく彼女との今後について聞かれることはあって、そしてそれをはぐらかし続けるのにもいずれ限界が来る。

     シービーはきっと、いつまでもここにいてはくれないだろう。自由を愛する彼女のことだ、何か心惹かれるものが見つかれば、すぐにこの部屋を飛び出していく。
     それを止めるつもりはないし、止める必要もない。彼女が幸せの青い鳥ならば、俺はその止まり木でいい。エゴのために相手を壜の中へ閉じ込めておくほど、狭量ではないのだ。

    「でも、染まりすぎないでくれよ?皆が愛する、夢を見させてくれるミスターシービーは、誰よりも自由でなきゃいけないんだ」
    「分かってるよ。アタシがアタシである以上、そこは変わらないかな。これからも従えないものには従わないだろうし、好きなものは好きでい続けるつもり」
     
     きっと、初恋だったのだと思う。あの日、雨の中を駆ける彼女を見てから、心はずっと同じものを映し続けていた。彼女自身を理解するためならどんなこともした。
     隣で夢を見ることを許されて、いつの間にかずっとその場所にいられることを望んでしまっていた。だが、その願いがミスターシービーの自由を脅かすのなら。
     チョコレートに思いを託すことしかできなかった少女たちのような、彼女にとっての心の錘にはなりたくない。

    「……ねえ、トレーナー。実は伝えたいことがあってさ」

     さよならだけが人生。ならばまた来る春はなんだろう。

  • 4二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 22:26:09

     理解者なんてものは現れないと思っていた。実際、本当にアタシを理解してくれている人は世界のどこにもいない。
     今目の前にいるトレーナーだってそう。アタシが見ている景色と、彼が見ている景色は絶対に同じにはならない。何故ならアタシはミスターシービーで、彼は彼でしかないから。

     じゃあ、なんでトレーナーは他の人と違う気がするんだろう。考えてみる。
     まず、彼はとても優秀で優しい。でも、スカウトを断ってきたトレーナーの中に同じような人はきっといたはず。彼だけが特別なわけじゃない。それじゃ何が違う?答えはもう分かっていた。

     契約を結んだ日、「君は夢を見せてくれるウマ娘なんだ」とトレーナーは言った。彼がアタシの走りの中に見出したのは、見ている景色への共感でもなければ神話のような栄冠でもない。もっとかたちの違うなにか。
     この人とならやっていけると思った。自由と夢、利害の一致。アタシと彼はお互いが求めているものを持っている。それはパズルのピースみたいにピタッと合わさったんだ。

     そうやって心地いい追い風に吹かれて、夢中になって走り続けて、いつしかアタシにも愛するターフを離れるときが来た。
     もちろん、引退したからって走ることを辞めるわけじゃない。でも、自分の思い通りに体が動いて、何不自由なく走れる時間というのには限りが来ていたから、心の区切りというものが必要だった。
     アタシにとって人生とは走ることで、自分が走れなくなった後のことなんかまったく考えていなくて。これからどうしようかって思っていたところで、トレーナーが突然言い出した。「卒業したら一緒に暮らさないか」って。

     嬉しかった。もう走りを通して夢を見せることはできなくなったのに、彼はアタシを諦めないでくれたから。これからもアタシには帰る場所があるんだって。
     その一方で、申し訳ない気持ちにもなった。アタシは縛られることが嫌いだし、それはこれからも変わることはないはず。でも、寄り添ってくれるトレーナーのことを離したくないと思ってしまった。これからの関係はきっと、アタシが求めているフェアなものでなくなってしまう。

  • 5二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 22:26:28

    「でも、染まりすぎないでくれよ?皆が愛する、夢を見させてくれるミスターシービーは、誰よりも自由でなきゃいけないんだ」

     染まったんだよ、アタシ。まっさらだった心に、キミの色が混ざってしまった。
     キミはどうなの?キミの心はアタシの色に染まってくれた?

    「分かってるよ。アタシがアタシである以上、そこは変わらないかな。これからも従えないものには従わないだろうし、好きなものは好きでい続けるつもり」

     キミが壜の蓋を閉じてさえくれれば、アタシはきっと不自由も愛せるはずなのに。
     でもキミは、蓋を閉じるくらいなら窓からそっと逃がしてしまう。バカ正直で不器用だから。

    「……ねえ、トレーナー。実は伝えたいことがあってさ」

     ならいっそ────どこまでもアタシに自由を与え続けるなら、いっそキミが。

    「アタシはキミのことが────」

     ケーキに塗ったジャムの壜が、ごとりとテーブルに落ちた。

  • 6二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 22:27:27

    オワリ。スレタイは寺山修司先生の作品より拝借。

  • 7二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 22:37:59

    うわあミスターシットリだ!

  • 8二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 23:19:21

    良いもの読ませてもらった
    ありがとうそれしか言う言葉が見つからない

  • 9二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 23:45:30

    こんな良い物を読んだのに 良さを述べる語彙力が無い

  • 10二次元好きの匿名さん23/02/26(日) 23:57:36

    自由人と思わせておいて何事にも責任を求める不器用さと重さが好き

  • 11二次元好きの匿名さん23/02/27(月) 11:10:14

    すき…

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