【SS】アヤベさんは、カワイイっ!

  • 1◆zrJQn9eU.SDR23/02/28(火) 06:49:20

     寒気が頬を刺す季節。トレセン学園に通う生徒達も相応の格好をする。走れば体が暖まるとはいえ、ジャージで登校しようというような者はほとんどいない。ほとんど。
     学園指定の制服の上から、これまた指定のコートを羽織り。しかし、それでは防寒としてはまだまだ不十分。各々がマフラーや帽子等で更なる対策を取っていた。

     彼女も追加で対処したうちの一人。アドマイヤベガは手袋と耳カバーで補っていた。共通したデザインからして、セットが前提の代物だ。
     前者はまだしも後者では不足だと捉えられがちかもしれない。春夏秋冬を通して着用する者もいるそれは、どちらかといえば防音対策として取られるものだ。

     良くも悪くも敏感な耳が拾ってくるものが雑音となり集中し辛くなる。加えて、ダートを走る者であれば飛び散る砂の侵入防止としても取る対処法だ。
     ただ、アヤベにはこれらを選ぶだけの譲れない理由があったのだ。それは、二つある。

     一つ目は、手袋に星座が刺繍されているということだった。天上では小さめのそれも、手の甲を覆う程度にはっきりと存在を示している。
     こと座。星座である以上複数で構成されているが、そのうちの一つがベガ。ウマ娘である彼女にも冠されている織女星。

     名は体を表すというのか、アヤベは星が好きだった。手放しで喜べる理由だけではなかったが、それも今は昔の話。
     街中の売り場でそれを見かけると、そのまま通り過ぎるということは出来なかった。有り体に言えば、一目惚れだった。

     織仕事が定めの人物になぞらえた星が、織られた手袋。悪くない。同じ名前の自分が着けたっていい筈だ。
     誰への言い訳なのか心の中で呟きながら、彼女は気付いた時には既に手に取っていた。そこで初めて、耳カバーもセットであることを認めた。

  • 2◆zrJQn9eU.SDR23/02/28(火) 06:50:09

     頭は何も考えていなかったが、セットならこれも悪くないだろう。その場でそれぞれを試着してみると。
     アヤベの時は止まった。先程の言い訳も、そもそもそこの売り場は通り過ぎていただけであって別の目的があったことも、全て吹き飛んでいた。

     暖かかった。防寒着としての役目を果たし、彼女の体温を防護する。それは彼女の外だけではなく内までも包み込んで温かくしていた。
     そして、更に。これが何より彼女にとって、衝撃であり重要なことなのだが。何はなくとも欠かせない要素であるわけなのだが。

     二つ目は、ふわふわだった。柔らかいのは当然として、軟体のそれではなく気体が触れられるだけの質量を持ち得たような触感。
     子供向けの本にあるような雲の上を弾んで跳び、ベッドのように飛び込むかのごとき全身を包む抱擁感。

     包んでいるのは耳と手だけの筈なのに、アヤベはそれが紛れもなく真実だと断定していた。
     寮内の自室に布団乾燥機を持ち込み、寒さに対して死角はないと豪語する彼女は、その対策には少しうるさかった。いやかなり。というか、ふわふわに関して。

     内側はふわふわで手、耳全体を覆うことに余念がなく、外側もそれぞれの付け根を文字通りカバーするかのようにもこもこが。やるわね。
     一体誰と戦っているのかというような独白は、停止した彼女に躊躇いがちに声掛けする店員が現れるまで続いた。

  • 3◆zrJQn9eU.SDR23/02/28(火) 06:51:08

     そして、今。アヤベは学園から寮へ帰途についていた。最早購入は運命だったかというように、彼女に被さる桃色の星座。
     どれ程気に入っているかといえば、それまで冬場に愛用していたカシミヤのマフラーを忘れて収納したままであるくらいだ。
     時折彼女の鼻と口から漏れるむふー、という感慨に浸った声は、その名の通り心を天球に張り付かせていた。戻ってくる気配はなかった。

     そんな状態でも何度も通う道は慣れているのか、間違えることなく自室の前に辿り着く。そのままドアを開け、中へ。
     空白の空間ではなく、既に先客がいた。客ではなく、もう一人の部屋の主であるカレンチャンだった。

     アヤベと同室の彼女は、今日は一足先に帰ってきていたようだ。ドアに頭を向けてうつ伏せに画面を注視する姿は少々はしたない。
     しかし、それも自分に心許してくれている証なのか。そう考える彼女をカレンは迎える。

    「あっ、アヤベさん。おかえりなさ~……」

     出迎えの言葉は尻すぼみに消えていった。それどころか、向けられた笑顔は徐々に真顔になっていく。
     何か顔についているのだろうか。アヤベが自分の頬に手を当てていると、きらりとレンズが彼女に向けられた。刹那、浮ついていた織姫は地に落ちた。

  • 4◆zrJQn9eU.SDR23/02/28(火) 06:51:59

     カレンはウマスタグラムで活躍している為、写真を至るところで撮っている。ただ、それは自らのみが被写体がほとんどで、他人が写る場合には必ず許可を求めていた。
     同室になって間もない頃にアヤベも持ち掛けられたが、余裕がない頃というのも相まってぴしゃりとはねのけると素直に従っていた。

     後に申し訳なくなり、謝罪してたまに写る程度には彼女の態度も軟化していた。とはいえ、相手の嫌がることはしないのは相変わらずだったというのに、今のカレンは何なのか。
     そこでアヤベは、はたと気付いた。今の彼女は、余所行きの格好のままだ。つまり、ふわふわを身につけたまま。

     カレンの言う"カワイイ"だとかおしゃれに疎い方のアヤベでさえ、これらの可愛らしさは認める程のものだ。朝から騒がれることが明白だったので、最近は中等部の彼女よりも早めに出てから着けていたのだ。
     ふわふわにまみれてアヤベはそのことを失念していた。そんなうっかりが生じるくらいには気を張り詰めていないという証拠なのだが、この数瞬で頭脳をフル回転させている彼女がそれに気付くことはない。

     どこまで脳組織を働かせても彼女にとっての危機が避けられるわけはなく。カレンはレンズを通して光を集めに集めた。自分が常日頃求める"カワイイ"を。
     内蔵されたシャッター音が連続で響く。何をされているのか現実に追いついたアヤベは、ようやく我に返る。

    「や……やめなさい!」

  • 5◆zrJQn9eU.SDR23/02/28(火) 06:52:54

     数分後、部屋には息切れをしているアヤベと不満そうに頬を膨らませているカレンの姿があった。
     散々にもめたことは前者の脱ぎ散らかった手袋や耳カバーが物語っている。その持ち主は、今の季節同様の温度の視線でルームメイトに問いかけた。

    「それで……どういう、こと……なのかしら?」

     ふてくされている張本人はそのままの態度で答えた。

    「ぶーっ、確かに許可を取らなかったことは謝りますけど。あのアヤベさんが"カワイイ"を実践してたら撮るのは当然じゃないですかー」

    「あの、って何よ。あの、って。それに、カレンさんは"カワイイ"のでしょうけど、私がそんなことはあり得ないわ」

    「……そんな、こと?」

     部屋の温度が急に下がったように感じた。アヤベの冷たい視線よりも更に底冷えのする何かが、目の前のカレンから向けられる。数分前と同じく、眼差しを受ける彼女の思考をが停止する。
     崩れた姿勢だったカレンはベッドから下り、カーペットが敷かれた床に正座する。そのまま無言で同じく崩れていたアヤベに、正面を示した。何を、と反論も出来ずに彼女は大人しく従った。
     ややあって、可憐さの欠片もない真顔で口が開かれた。

  • 6◆zrJQn9eU.SDR23/02/28(火) 06:54:02

    「いいですかアヤベさん。そのおめめでよーく自分を見てください。今のアヤベさんはカワイイんです。"カワイイ"の実践者です。"カワイイ"の伝道師です」
    「いえ、かわいくな」
    「じゃあカワイイアヤベさんがカワイくない手袋、カワイくない耳カバーを着けてたって言うんですか」
    「いや、私がかわいくな」
    「ならカワイイ手袋とカワイイ耳カバーを着けたアヤベさんがカワイくない? いいえそんなことはありません」

     アヤベが終える前にことごとくを割り込んで言わせないカレン。有無を言わせない迫力はかつてのアヤベを上回っていることに、当の本人は自分の過去のことながら気付けない。

    「その手袋といい耳カバーといいお店でまず星座に目を引かれたんですよね。アヤベさん星が好きですからね惹かれたことはすぐに分かりました」
    「おててもお耳もあったかくして鼻歌でも歌ってきたんじゃないですか。カレンがまだ寝てると思ってたまに歌ってるの知ってますよ綺麗な声で気持ちよさそうですよね」
    「それで玄関からここまでずーっと着けてたってことは中身ふわふわなんですよねアヤベさん。布団乾燥機のごーって音に耳をぴこぴこさせてますもんすごく好きなんだなーって分かります」
    「外にもふわふわが付いていてもうふわふわまみれじゃないですか。いつものマフラーも大人っぽくて似合ってますけどそのピンクもすっごく似合ってて」
    「あの、外のはもこもこ……」
    「分かりましたからちょっと静かにしていてください」

     ささやかなこだわりは無慈悲に切って捨てられた。

    「そんな"カワイイ"でいっぱいのアヤベさんは"カワイイ"以外に言う言葉はありません。いいですかアヤベさん。"カワイイ"とは誰もが心に秘めていて誰かを幸せにできる煌きで永遠に追い続ける夢なんです」
    「カレンの"カワイイ"は私からみんなへ送る愛ですけどアヤベさんの"カワイイ"はアヤベさんから送る愛なんです。あなたの人生が"カワイイ"で満ちますようにって聞いてますかアヤベさん」

  • 7◆zrJQn9eU.SDR23/02/28(火) 06:54:52

     結局カレンの説教、もとい"カワイイ"の布教は長く続き、自らの可愛らしさの披露を聞くという精神的な、それを正座のままでという肉体的な疲労にアヤベが降参することで終わった。
     ぴんと背筋を伸ばしたまま見据えるカレンから、脚の痺れで逃れられないアヤベは渋々言葉を零し始めた。

    「カレンさんの……言うことは、分かったわ。私が買ってきた手袋と耳カバーは"カワイイ"もので、その、それを着ける私も……ねえ、やっぱり」
    「アヤベさん」
    「……わ、私も、かわ、かわ……"カワ、イイ"ということを、とても認めたくないけれど、たくさんカレンさんが教えてくれて……もう色々と限界で、あ、ちが、そうではなくて」
    「と、とにかく、"カワイイ"ことを……自ら進んで言うことは限りなく有り得ないに近い遠く遠く離れたものであることは本当なのだけれど」

    「………………私は、"カワイイ"」

  • 8◆zrJQn9eU.SDR23/02/28(火) 06:55:45

     羞恥か苦痛か、あるいは両方か。顔を赤らめたアヤベは小さく呟いた。そんな彼女に相対するカレンの視線は変わらない。
     揉み合っている時の言い合いで、アヤベがこの数日隠していたこともばれている。さっきまでの時間がまだ続くのか。彼女は終わりを求めていた。
     限界に近い彼女が知覚できない時間が流れた後、カレンの表情が変わった。

    「うーん、まだまだ"カワイイ"がいっぱいでないですけど、今日はこんなところでいいです。もういいですよ、アヤベさん」

     それを聞いて、アヤベは力が抜けた。姿勢を維持することが出来ずに、カレンの膝に倒れ込む。

    「やーんっ、アヤベさんたらカワイイっ。カレンの"カワイイ"も、たっくさん取り込んでくださいね」

     涼しげに微笑んで、落ちた星を可憐さの権化はいつまでも愛でていた。

  • 9◆zrJQn9eU.SDR23/02/28(火) 06:56:38

     翌日から。

    「ねえねえアヤベさん。昨日がアヤベさんの"カワイイ"の第一歩なら、今日は二歩目に行きませんかー? ファッションとかー、メイクとかー、やることはいっぱいですけど今日はー……」

     カレンチャンの大攻勢が始まった。彼女にとっての推しの背中を押す姿は、やはり何も言えない迫力がある。

    「やめ……やめなさい!」

     それでも負けじと抵抗するアドマイヤベガ。可憐さに押し負けるかどうかは、別のお話。

  • 10◆zrJQn9eU.SDR23/02/28(火) 06:57:29

    以上です。コラボイラストを見て書いていましたが、2月ぎりぎりになってしまいました。

  • 11二次元好きの匿名さん23/02/28(火) 07:03:37

    めちゃくちゃカワイイ!!!!!

  • 12二次元好きの匿名さん23/02/28(火) 07:06:28

    恐ろしやカレンの姐御
    それはそうとカワイイアヤベサン!

  • 13二次元好きの匿名さん23/02/28(火) 18:26:27

    保守

オススメ

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