- 1二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:10:26
- 2二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:12:34
オイオイちゃんと食洗機で洗ったでしょうが
無理です - 3二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:14:01
子供の頃は滅茶苦茶好きだったんだぁ
今見ると色々気になってしまうのは大人の悲哀を感じますね - 4二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:14:33
不衛生なネズミが美味しい料理を作るからこそイーゴの名文が輝くよねパパ
- 5二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:14:45
アメリカはネズミとチーズ作る映画作ったりとそこまで気にしないんだ
- 6二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:15:38
うむ…名言を越えた名言なんだなァ…
評論家とは気楽な稼業だ。
危険を犯すこともなく、料理人たちの必死の努力の結晶に、審判を下すだけでよい。
辛口な評論は、書くのも読むのも楽しいし、商売になる。
だが、評論家には、苦々しい真実がつきまとう。
たとえ評論家にはこけ降ろされ、三流品と呼ばれたとしても、料理自体の方が、評論より意味がある。
しかし、時に評論家も冒険する。
その冒険とは、新しい才能を見つけ、守ること。
世間は往往にして新しい才能や創造物に冷たい。
新人には味方が必要だ。
昨夜、私は新しいものに巡り合った。
思いもよらない作り手による素晴らしい料理を味わえたのだ。
作品も、その作者も、美味しい料理についての私の先入観を大きく覆した。
これは決して大袈裟な表現ではない。
まさに衝撃だった。
かつて私は、「誰にでも料理はできる」という、グストーシェフの有名なモットーを嘲笑った。
でも、ようやく彼の言いたかったことがわかった気がする。
誰もが偉大な芸術家になれるわけではないが、誰が偉大な芸術家になってもおかしくはない。
グストーのレストランの新しいシェフは、恵まれた環境に生まれ育ってはいない。
だが、料理の腕において、フランスで彼の右に出るものはいまい。
近いうちにまた訪ねるとしよう。
今度はもっとお腹を空かせて。
- 7二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:16:01
キリューにレストランは無理です
変なおにぎりしか作れませんから - 8二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:17:23
原文は知らないけどかなり翻訳にセンスを感じられて好感が持てる
- 9二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:17:26
この文で失脚してしまった訳だけど本人は以前より楽しそうに料理を食べているのでまぁ良いんじゃないかと思うそれがボクです
- 10二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:19:25
雷味のキノコソテー食わせろ
- 11二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:20:01
あのラタトゥイユ実にうまそうなんだ
大好きだわこの作品 - 12二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:21:57
後から知ったけどラタトゥイユは肉じゃが的な料理らしいんだよね。失礼じゃない?失礼を超えた失礼
- 13二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:22:02
- 14二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:24:22
わ、私はこの映画を見てラタトゥイユを作った過去があるんだっ!
トマトって凄いぜェ 料理下手が何してもだいたい美味しくなるんだからな… - 15二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:30:19
喰わせろ 早くラタトゥイユを喰わせろ