【ss】"貴方は特別な人"

  • 1二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:45:33

    『トレーナーさんは、お菓子いくつ欲しいですか?』

    忘れもしない、あの日言われたあの言葉。
    クラシックを控えた担当のスーパークリークは、俺に「一番見たいものは何?」と聞かれた際そう聞き返した。
    突拍子も無い返答に最初は困惑したが彼女の話を聞くにつれ、その意味を理解していった。
    彼女の実家は託児所で、子供たちにお菓子をあげるとみんな笑顔になったという。彼女はそんな笑顔の瞬間が嬉しくて、「一番大事なもの」だと言った。
    そんな彼女が、お菓子はいくつ欲しいと俺に聞いてきた。一番見たいものは何か、その答えだった。
    じゃあ俺は、一体いくつのお菓子をお願いすればいいのだろうか?

    俺は最初に「一つ?」と聞いてみた。
    すると彼女は「一つだけですか?」と聞き返してきた。
    なので「二つ?」ともう一度聞いた。
    今度は「4月と5月に一つずつでは足りないのでは?」と言ってきた。

    ――4月と5月? 一体何の事だろうと、最初は首を傾げた。だけど職業柄、その二つの月の意味はすぐに分かった。それに伴い「お菓子」が何を意味しているのか理解する。
    お菓子とはそのまま意味ではない。トレーナーもウマ娘も、レースに関わる者ならば誰もが憧れるアレのことを指していた。
    だったら、次に答える数字は決まっている。
    俺は元気いっぱいに、「三つ!」と答えた。

    『そうですよね、三つ欲しいですよね』
    『私も同じ気持ちです。お姉さんも三つあげたいって思っているから――』

    こうして彼女は、クラシックでの目標を掲げた。目指すは三つの勝利、三つの冠。
    だけどそれは、自分自身の為じゃない。
    トレーナーとして日が浅く、自信が持てなかった俺に勇気を与える為。俺の喜ぶ笑顔の為だった。

    『じゃあトレーナーさん。三つ、約束しましたからね』
    『今はあげられませんけど――絶対』

    彼女に強く刻まれた、絶対の約束。それは彼女を更に強くする……はずだった。

  • 2二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:46:05

    『トレーナーさんにあげたかった、皐月賞とダービー……』
    『三つ……三つ絶対あげるって約束してたのに……!』
    『うう、ううう……うわぁあああああん!』

    三つのお菓子が――揃うことはなかった。

  • 3二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:47:29

    2月14日、バレンタイン。人が人にチョコを贈る日。
    その由来は古代ローマにおいて皇帝クラウディウス2世が行っていた結婚禁止の政策に対し、密かに結婚式を執り行っていたキリスト教司祭であるヴァレンティヌス。彼は皇帝に逆らった罪として処刑されてしまう。
    そんなヴァレンティヌスの行動を讃え、彼を聖バレンタインとし、彼が処刑された2月14日を聖バレンタインの日としてお祈りするようになったという。
    それが現代において恋人の日として広まり、チョコレートなどのお菓子を贈るイベントとして生まれ変わっている。そこにはヴァレンティヌスの守った自由な愛が確かに残っていた。
    しかしバレンタインは、何も恋人や恋慕する人だけのものではない。日頃お世話になっている人や友人など、更には性別も関係無くお菓子の渡し合いが行われている。
    当然そんなドキドキな日ともなれば、女子校であるトレセン学園も浮足立つ。
    試しにキーボードを打つ音を止め、瞳を閉じて耳を傾けてみると、トレーナー室の外から生徒たちの弾んだ声が聞こえてくる。
    勿論バレンタインの話題だ。レースで走る彼女たちも年相応、普通の女の子と変わらない。
    そんな彼女たちの話し声を聞きながら、俺は仕事を続けていく。
    するとトレーナー室の扉が、トントンと優しく叩かれた。

    「トレーナーさん、失礼しますね~」

  • 4二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:48:11

    ガチャ、と入ってきたのは担当のスーパークリーク。その手には綺麗な包装をされた箱、それが何なのかはすぐに分かった。

    「クリーク、それってもしかして……」
    「はい! お待ちかねのバレンタインのお菓子ですよ~♪」

    やっぱり、俺へのお菓子だ。
    自惚れではないけど、こうしてクリークが何かくれるのは分かっていた。だってもう何年も共に走っている、トレーナーとウマ娘なのだから。
    俺は自分が女性にチヤホヤされるタイプじゃないとは思っているが、これだけは絶対に貰えると思っていた。

    「楽しみにしてたんだ。 "何チョコ"」
    「ふふ、それ懐かしいですね」

    それに彼女とのバレンタインはこれで二度目だ。俺は去年も彼女からチョコを貰っている。
    それは渡した本人も名前が分からないチョコ。義理ではないのは当然として、本命という言葉でも表せない程の想い――クリークはそれをどう呼べばいいか分からず、渡すその時まで悩んでいた。
    そこで俺が「何チョコでもいい」と助言し、わざわざ名前を付ける必要は無いという形で落ち着いた。俺たちの関係を、たった一言で言い表せる言葉などないのだから。
    これが去年のバレンタイン。あのやり取りからもう一年も経つと思うと、時の流れが早く感じられた。
    冒頭ではバレンタインの歴史を長々と語り、まるで傍観者気取りをしていたが、クリークからのプレゼントを本当に楽しみにしていた。

  • 5二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:49:01

    「開けても?」
    「勿論! トレーナーさんへのお菓子なんですから♪」

    彼女からの許可を得て、俺は誕生日プレゼントの箱を開ける子供のようにワクワクしながらその中身を見る。
    箱の中には更に小さな箱が三つ入っていた。その箱を開けると更に――なんてふざけたことを考えてしまう。

    「これはマカロンとクッキーと……マドレーヌ?」

    その三つの箱にはそれぞれ別のお菓子が入っていた。
    一つはマカロン、もう一つはクッキー、そして最後に花の形をしたマドレーヌ。どれも可愛くて女の子らしい、バレンタインのお菓子にピッタリだ。
    それにしてもどれも美味しそうだ。見るだけでも食欲がそそられる。

    「じゃあ、いただきま~……えっ?」

    そうして食べようと手を伸ばしたところで、折角のお菓子をクリークに箱ごと奪われてしまう。そして悪戯気な笑みを浮かべて、俺の手がギリギリ届かない位置でお菓子を見せびらかしてきた。

    「トレーナーさん、一つ聞かせてください。
    ――お菓子いくつ欲しいですか?」

  • 6二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:49:40

    クリークは優しくそう聞いてきた。まるで俺を試すように。それを聞いた俺は少し間を置いた後、その質問の意図に気づいて思わず笑みを零してしまう。
    何故三つ用意したのに、わざわざ個数を聞いてきたのか。勿論彼女が俺に意地悪しているわけではない。彼女は俺がどう答えるか分かった上でこんなことを聞いてきたのだ。

    「……一つ?」

    だったら俺もこの可愛らしい茶番に付き合うとしよう。
    俺の答えにクリークは最初は予想外といった表情を見せたが、俺のわざとらしい笑みを見てこっちが何を考えているかすぐに察したのだろう。嬉しそうな笑みを浮かべて、乗っかってくる。

    「ふふ、一つだけですか?」
    「じゃあ、二つ」
    「本当に、二つでいいんですか?」

    予め考えられた台本の台詞を読み合うように、ゆっくりと会話を繋げていく。その時の俺たちはお互いに噴き出すのを堪えていた。
    そして彼女が最後の台詞を言ったところで、待ってましたと言わんばかりに俺が元気よく答えた。

    「――三つ!」
    「……はい♪ 欲張りさんなトレーナーさんには、三つともあげちゃいます!」

    そう言って彼女は、再びお菓子の箱を俺に手渡してくる。
    それを俺が受け取ったところでしばらく見つめ合った後――我慢できなくなり、クスクスと笑い合ってしまう。

  • 7二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:51:15

    そう、これはクラシック目前の彼女とのやり取り。
    忘れもしない、俺がスーパークリークというウマ娘を深く知った日の出来事。そして彼女と共に誓った、成し遂げられなかった三冠の約束。
    それを丁寧に再現したことと、その懐かしさに笑ってしまう。

    「ははっ、懐かしいなぁ」
    「そうですね。あの日と比べてトレーナーさんも成長しましたよね」

    すると彼女は椅子を運び、俺と対面するような形で座る。
    聖母のような優しい眼差しで俺を見つめながら、お菓子の箱を持つ俺の手をそっと握った。彼女の暖かさがゆっくりと伝わってくる。

    「トレーナーさんがお菓子を三つ欲しいって私にねだってくれた時……とっても嬉しかったんですよ。
    これからもどんどん欲張りさんになってくださいね。貴方が欲しいもの、私が全部あげたいんです♪」

    俺とクリークは、もう三冠を取れない。二人の約束を果たすことはできない。それは悲しくて、辛いことだ。
    だけどあの日、彼女に促されたおねだりは自分を成長させてくれた。ならあの日の約束だって、決して無駄じゃない。

    (欲張り……か)

    彼女は俺にもっと欲張りになれと言う。こう言うのもなんだが、彼女の走りはもう完成されたと言っても過言ではない。俺が望めば、どんなレースでも勝ってくれる。俺はそう信じていた。今なら三冠も……っと、いくら欲張りといってもこれは流石にデリカシーが無い。
    一体自分は何が欲しいのか、そう考えて真っ先に思い浮かんだのは――目前にもある、彼女の朗らかな笑みだった。

  • 8二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:51:45

    「トレーナーさん、お口を開けて?
    私の気持ちが詰まったお菓子。たくさん焼きましたから。いっぱい食べてくださいね♪ まずはどれから食べたいですか?」

    お菓子の箱を再度見せ、摘まむ予備動作をした指を三種類のお菓子の上で周させる。どうやら彼女が食べさせるのは決定事項らしい。
    マカロン、クッキー、マドレーヌ。この三つを改めて見つめる。彼女の事だ、どのお菓子も死ぬ程美味しいのだろう。数だって十分にある。
    ちなみに余談だがバレンタインで送るお菓子には花言葉のように意味があることがある。最近ではその渡すお菓子によって、渡す相手への想いを間接的に伝えるのが主流だ。
    この三つのお菓子を見る限り、多分クリークはお菓子言葉に拘っていないだろう。俺は偶然言葉の意味を三つとも知っていた。

    "一体何が欲しいか"――このお菓子を選ぶことが、俺の答えだった。

  • 9二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:52:14

    「じゃあ、マカロンかな。君から一番貰いたいのは」
    「……? マカロンですね?」

    あの時の彼女の問いのように、直接的な意味は避けて抽象的に答える。案の定俺の言っている意味が完全には理解できず、彼女は戸惑いながらもマカロンを摘まんだ。
    「4月と5月に一つずつ」とあの時のクリークはヒントをくれたが、俺は何も言わないつもりだ。
    この後俺の言動を不思議に思ってバレンタインのお菓子言葉を調べた時、彼女はどんな表情を浮かべてくれるのだろうか。
    ――"クッキー"だと駄目だ。もっと深い関係になりたい。
    ――"マドレーヌ"もいいけど、今一つ物足りない。
    今の俺の気持ちを表すなら、"マカロン"が最適解だった。だけどそれも、所詮はただの言葉と意味に過ぎない。
    何故なら俺とクリークは、月並みの言葉で言い表せる程軽い関係じゃないのだから。

    「はいトレーナーさん、あ~ん♪」
    「あーん」

    彼女が摘まむマカロンを、俺は口を大きく開けて迎い入れる。
    サクサクという音がした直後に、甘い味が口いっぱいに広がった。

  • 10二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 22:59:27
  • 11二次元好きの匿名さん23/03/02(木) 23:07:35

    貴重なクリークSSありがてぇ

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