- 1二次元好きの匿名さん23/03/06(月) 19:53:54
「『月が綺麗ですね』の返事ってさ」
ミーティングの後の何気ない雑談で、トレーナーさんがそうこぼした。
「『死んでもいいわ』だって言うよね?」
「二葉亭四迷がツルゲーネフの小説『アーシャ』の翻訳で「ваша(私はあなたのものよ)」をそう訳したと言われていますね。奥ゆかしさを加えた名訳だと思います!」
「そうそう。ただ、ロマンチックな告白の返しには合わない気がしててさ。俗っぽいというか、生々しいというか……」
「それでは、代わりの返事を考えてみませんか?」
結局、その日はピタッとはまる答えが浮かばなかったが、2人でああでもないこうでもないと推敲するのは楽しくて。寮に帰ってからライスさんにも同じ話を振ってしまったのだった。
なぜそんなことを思い出しているかと言うと、ちょうど今、ふたりきりで満月を見上げているからである。
海外遠征を終え、帰国して一息ついたころ、2人揃って「温泉へ行きたい」と言い出した。
行き先はもちろん、トゥインクル・シリーズで走った後に訪れたあの旅館。半分ずつサインした色紙が受付の壁の真ん中に飾られているのを見て恥ずかしくなりながら、あの日と変わらない名湯と食事を楽しみ、心も体もリラックス──
──は、できなかった。
イギリス行きの少し前から感じ始めた、あたたかい、淡い気持ちを形にする、絶好の機会なのではないか。そんなことが一度頭に浮かんでしまうと、顔が熱くなっていくばかりで、呼吸がレース直前のように浅くなっていく。隣に座るトレーナーさんの顔も見られなくて、私はかちんこちんに固まってしまっていた。
そんな時。
「──月が」
「え……?」
「月が……き、綺麗ですね……」 - 2二次元好きの匿名さん23/03/06(月) 19:54:32
私と同じくらい緊張した声で、トレーナーさんが消え入るように呟いた。一拍遅れて、脳が勝手に言葉の意味を翻訳し──
「えっ? え、えっ、えっと……」
完全にパニックになった目が、拠り所を求めて泳いだ先は、当のトレーナーさんの顔だった。いつも落ち着いて、私に勇気をくれる彼の目が、今日だけは迷子のように不安そうで。
「あ、いやっ、その、違うんだ。こんな風に言うつもりはなくて、じゃない、えっと、な、なんでもないから。ホントに月が綺麗だなっていう、それだけの……」
慌てて取り繕う姿は、まるで気持ちに急いで蓋をしているかのようで。トレーナーさんに出会う前の私に──「どうせ、できやしないのに」と諦めを口にして、何も思わなかったことにしようとしていた私に、重なって見えた。
あの日、抑え込もうとした気持ちを引っ張り出して、英雄譚を書く力をくれたのがトレーナーさんなら──今度は、私が。 - 3二次元好きの匿名さん23/03/06(月) 19:54:43
「つ、月が綺麗なのは……」
「えっ?」
「太陽がそばにいて、いつも照らしてくれるからです!」
震える彼の手を握り、言葉を紡ぐ。
「私、私──トレーナーさんが好きです」
ああ、言ってしまった。トレーナーさんの顔が驚きに変わる。
でも止まるな。今勇気を絞り出せなくて、何が英雄か。
「私の英雄譚を読みたいと言ってくれたトレーナーさんが」
あのノートの表紙に書かれた、力強い文字が脳裏に浮かぶ。
「こんな私を主役だって言って、背中を押してくれるトレーナーさんが」
ダービーに“英雄の剣”を取りに行った時、先に英雄譚へ書いてしまったトレーナーさんの、悪戯っ子のような表情がよぎる。
「『一人で背負わないでいい』『一緒に戦ってるつもりだ』って、私の隣に立ってくれる貴方が。諦めが悪いところに『惚れ込んだ』なんて言って、短所を長所に変えてしまう貴方が」
秋シニア三冠宣言を書き記したときの真剣な目が。渡英前に大胆なことを言ってきたときの、慈しむような笑顔が。
次々と溢れてくる思い出が、その分だけ気持ちを湧き上がらせる。
「どうしようもないくらい、好きなんですっ……!」
言葉に換えきれなかった思いが、目から零れそうになる。しかし二度まばたきして、まだだ、待てと涙を振り払う。
改めてトレーナーさんの目をまっすぐに見つめると、驚きの他に、なにか別の気持ちがあるのがわかった。その心がどうか私と同じであれと祈り、最後の一言を口に出す。
「私の──私だけの、英雄の語り部に、なっていただけませんか?」 - 4二次元好きの匿名さん23/03/06(月) 19:55:42すみません|あにまん掲示板ここに来れば「使い古された文学表現でプロポーズするトレーナーにストレートな告白でカウンターする」ゼンノロブロイのSSが見れると聞いたのですがbbs.animanch.com
面白そうなお題を見たけど書いてるうちに過去ログ行ってしまったので供養しました
- 5二次元好きの匿名さん23/03/06(月) 21:05:29
良い…