- 1二次元好きの匿名さん23/03/07(火) 23:23:24
桜の蕾が少しずつ色付き、心地よい風が吹くようになったトレセン学園の一室で、ダイワスカーレットのトレーナーは空を見上げてため息をついた。
「大丈夫かな、スカーレット」
彼の瞳に映るのは、新たな春を間近に輝く青空────ではなく、重く沈み込むような曇天であった。剰え、トレーナー室の窓を雨粒が叩き始める。それを見てもう一度、ため息一つ。
トレセン学園のトレーナーである彼の脳裏に浮かぶのは、勿論担当ウマ娘の事である。先のレースでも見事一着を取ったスカーレットの疲労も考え、今日は午後からのトレーニングを休みにしていた。
何分、誰よりも”一番”を目指すスカーレットの事なので、この提案を断られたらどう理詰めを組んで休ませようかと考えていたが、流石にそれは杞憂に終わった。
とは言え、もしも帰って来た時まだ時間があったらその時は出来る事をしたい、と言って荷物と自前のトレーニング用品をココに置いていくあたり、流石はスカーレットとも思っていたのだが。
今日はスイープと出掛けると言っていたが、生憎の天気になってしまった。しかし、荷物を置きっぱなしにして寮に帰るわけにも行かないだろう。となれば、トレーナーとしてすべき事は一つだ。
彼はよし、と一声上げると、トレーナー室のエアコンの温度を上げ、その場を後にした。 - 2二次元好きの匿名さん23/03/07(火) 23:26:22
「お帰り、スカーレット。大変だったね」
「ホント、最悪よ! 折角のお出かけだったのに……」
雨に濡れながらも荷物を取りにトレーナー室に帰って来たスカーレットを、乾燥機から戻ったばかりの暖かくふわふわのタオルと、暖房の効いた部屋で出迎える。
春先とは言え、雨が降ると屋内も冷え込むので『節電を』と言う上のメッセージを今日だけは無視させて貰った。雨に濡れて帰って来たスカーレットの為ならば、お天道様のお咎めもないと信じたい。
「今度は天気予報にも気を付けないとな」
「そうね……後、こういう時『雨雲を吹き飛ばす魔法』を雨の中で唱え続けるスイープの動かし方も、ね」
そう言って困ったように笑うスカーレットに、その時の光景がすぐに目に浮かんでしまった彼も思わず苦笑いで応える。
今度、”使い魔”ことスイープのトレーナーに、その辺の事を聞いておいた方が良さそうだ。
「トレーナー、もう一枚タオルくれる?」
「ん、ああ」
スカーレットの求めに応じ、ふかふかのタオルをもう一枚彼女に────その時である。彼の視界に一瞬、困ったモノが映り込んでしまった。彼は咄嗟にそれを気取られないよう、あくまで自然に、流れるように目線をスカーレットに合わせ、タオルを渡す。
「ありがと」
「他に要るものがあったら遠慮無く言ってくれよ。例えば、昨日タキオンがここに置いていった紅茶とかな」
「あら、気が利くじゃない」
嬉しそうに笑うスカーレットに、彼は内心ホッとしながらケトルのスイッチを入れる。どうやら、彼がそれを見てしまった事は一先ず気取られてはいないようだった。 - 3二次元好きの匿名さん23/03/07(火) 23:30:41
中央トレセン学園の生徒というのは、当たり前の話だが全員ウマ娘……女子生徒である。それに対し、トレーナーの比率は男性の方が多い。しかし、ウマ娘とトレーナーが結ぶ絆は古くから語られる事であるし、共に夢を追うウマ娘とトレーナーの信頼関係の前では、性別の差など関係無かった。
とは言え、ウマ娘達も年頃の少女である、と言うのを、時折不意に実感する場面が訪れてしまうのが、この学園の若き男性トレーナー達が抱える悩みの種でもある。通りかかった教室から聞こえて来るそこそこ赤裸々な会話であったり、普段女性同士で過ごす事が多い故か注意されるまで気付かず奔放な姿勢をしていたり……トレーニングの時には微塵も気に留めない事が、不意を打って襲ってくるのだから、困りものである。
幾度となくウマ娘と確かな絆で結ばれてきたベテラントレーナーの領域になると、身体の成長に合わせてトレーニング用の下着をオーダーメイドで注文しに行く所にまで至るらしいが、生憎スカーレットのトレーナーはまだ新人、このような状況にはまだ不慣れであった。
そして、それに輪を掛けて厄介な状況が一つあった。
「うひっ! 冷たっ!?」
「何よ、情けない声出して」
「スカーレット!? 濡れた服で何を……」
「要るモノがあったら遠慮無く言ってくれて良いんじゃなかったの? まだ濡れてるから、ちょっと借りるわね」
「タオルならそこに積んであるんだけど……」
顔と身体はそのまま、タオルの積んである方を指差してみたが、不意を打って彼を抱きしめたスカーレットはそのまま彼を離そうとしなかった。彼の耳に、ふふん、と言う得意げな声が普段よりずっと艶を伴って襲いかかる。
「これなら、透けた服越しの下着を見なくて済むでしょ?」
彼は思わず掌で顔を覆った。そう、スカーレットはそういった新人男性トレーナー特有の悩みを即座に見抜いてくる上、その羞恥心をいたずらっぽく撫でてくる事がある。しかも、トレーナーのスカーレットへの好意を見抜いた上で、だ。
顔から火が噴き出しそうになるのを必死で抑え込み、何とか早くなった鼓動と乱れそうになる息を整える。 - 4二次元好きの匿名さん23/03/07(火) 23:36:01
「あのな、スカーレット……着替えるなら、しばらく外に出てるからさ」
「アタシは別に構わないわよ」
「俺が困るんだよ。あと、ちょっと密着しすぎ」
「そう? 最近はトレーニングの時とかこういう距離感で話すじゃない」
「それはトレーニングの時だからであって……」
彼としては、スカーレットの気分を害する事無く何とかこの部屋を脱出したいのだが、この状況では余りにも分が悪い。結局、背中からスカーレットに抱きしめられたまま、タオルの積まれた机の方に向かう。
「はい、タオル。いい加減にしないと風邪を引くし……あと、そろそろ離れて貰って良い? 言いづらいんだけど、色々と当たってるから」
背中に抱きついたスカーレットにタオルを差し出しつつ、彼なりに思い切りよくこの状況を打破しようとしたのだが、それに対して帰って来たのはスカーレットお得意の、ふふん、であった。
「何言ってるの? 当ててるのよ」
「なっ……!?」
その言葉に思わず振り返り、彼はようやくスカーレットと顔をわせる事が出来た。想像通りの得意げな笑顔は、少し冷えた身体のせいか紅潮した頬とまだ濡れている髪と相まって、思わず息を呑むほどだった。
雨に濡れたまま抱きしめる両の手に、自分も両の手で応えられたらどれだけ良いだろう。それでも────
「……スカーレット」
彼女は、大切な担当ウマ娘なのだ。如何に好意があろうと、互いの距離感は大事にしないといけないし、何よりも濡れた服と身体のままで、これからも一番を目指して走る身体に何かあってはいけない。律するように彼女の名を呼ぶと、彼女もまた、小さく頷いてから再び彼と向き合った。
「……髪、もう少し拭いてくれる? そうしたら、着替えるわ」
その言葉に、ようやく彼自身の心も凪いだような気がした。まだ温もりの残るタオルで、綺麗な髪が含んだ雨粒をそっと拭っていく。自身を包み込むタオルと、タオル越しの彼の手の温もりに包まれて、スカーレットは心地よさそうに微笑むのだった。 - 5二次元好きの匿名さん23/03/07(火) 23:40:36
「それじゃ、寮に戻るから。色々助かったわ、ありがと」
「うん、脚下には気を付けて。また明日」
柔らかな表情でトレーナー室を後にするスカーレットを見送りに部屋を出たときには、雨はすっかり上がっていた。
着替えを終え、アグネスタキオンから貰った紅茶を煎れて、身体を暖めながらしばし談笑。お出かけは中止となり、事前に持ち込んでいたトレーニング用品も結局臨時休業となったが、暖かい部屋でのティータイムは良い息抜きになったようだ。
「ねえ、トレーナー」
「ん?」
雨雲の切れ間から夕陽が差す廊下に立って、スカーレットが不意に真っ直ぐ彼に向き合った。それまでとは違う真剣さを纏った緋色の瞳に、彼の瞳にも緊張が宿る。どんな言葉を投げかけられるのか、スカーレットの唇が動くのを待った。
「アタシが……もしも、卒業式が終わったら、まず一番にアンタの所に行く、って言ったら、アンタはどうする?」
その言葉の意味を、彼は瞬時に理解した。だからこそ、即答するのではなくゆっくりと、胸いっぱいに詰め込んだモノを深呼吸と一緒に吐き出して、しっかりと緋色の瞳を見据える。
「……勿論、誰よりも速く、一番にスカーレットの許へ駆けて行くよ。約束する」 - 6二次元好きの匿名さん23/03/07(火) 23:43:53
彼の言葉に、スカーレットは一瞬惚けたような表情を浮かべたが、それはすぐに彼女らしい力強い笑顔に変わった。そこに、ほんのりと紅潮した頬の色を添えて。
「……言ったわね? 忘れたら承知しないわよ?」
「ああ、勿論。何せ、俺にとっての”一番”はとっくの昔に決まっているからな」
「ふふん、よろしい! じゃあね、トレーナー。また明日!」
そうして駆けて行く彼女の姿が見えなくなるまで見送って、彼はふう、とため息を一つ。
常日頃から自分の同期トレーナー諸兄がウマ娘との距離感についてああでもない、こうでもないと悩む声を聞くが、果たして今の自分にそういったことを一緒に悩む資格はあるのかと思う。
初めての担当ウマ娘にこれ程までに惹かれ、剰え未来を予約するなんて。
それでも、あの去り際に振り向いた時の、雨上がりの夕陽を纏ったスカーレットのキラキラ輝く夕焼け色の笑顔は、間違い無く今までで一番美しく、魅力的な笑顔だった。
これから先、ずっとあの笑顔を見せてくれる彼女と共に歩んできたい。これは、紛れも無く自身の想いに違いないのだ。
「……よし!」
夕焼けを浴びて、彼は一声自身に鞭を入れる。そうして机に付いた彼は、ずっと先の未来の為にまずは休み明けのトレーニングメニュー作成に取りかかるのだった。 - 7二次元好きの匿名さん23/03/07(火) 23:47:59
以上です。ありがとうございました。
「当ててんのよ」からトレーナーとの距離をガッツリ詰めてくるダスカを書いてみたかったのですが、ダストレはそこで慌てるような男じゃないと思い至った結果、ちょっとマイルドな仕上がりになりました。
いつかダスカで一つ書きたいと思っていたので、そこは満足しております。 - 8二次元好きの匿名さん23/03/07(火) 23:49:32
- 9二次元好きの匿名さん23/03/08(水) 00:06:20
良いSSだった
このダスカとトレーナーは卒業直前にはほぼ公認カップルになってそう - 10二次元好きの匿名さん23/03/08(水) 00:36:50
ダスカは全部分かった上でそういう事言うし聞いてくる
勿論想定通りの答えを返されて嬉しそうに笑うんだ - 11二次元好きの匿名さん23/03/08(水) 00:50:53
スカーレットも強いけどダストレも強いからな
ずっとニヤニヤ読んでた - 12二次元好きの匿名さん23/03/08(水) 07:34:07
言質取ったからってここからぐいぐい距離詰めてグッドエンドで乙名史さん呼ぶ頃には既に熟年夫婦みたいな距離感になってそうなダスカとダストレ。
個人的には全然アリだと思います。 - 13二次元好きの匿名さん23/03/08(水) 12:04:13
皆様、読んで頂きありがとうございます。
こちらこそありがとうございます!
その内ウオッカを筆頭に知り合いが誰も距離感にツッコミを入れなくなると思います。
ついでに新入生達の脳もバグを起こすと思います。
将来「愛してる」に「知ってる」とか言いながら微笑むダスカとかもいて欲しいです!
勝負服、お出かけ、やる気ダウンイベント等々、このトレーナー強いなと思う場面が滅茶苦茶多くて、アプリ始めてダスカシナリオばっかりやってた頃は「コイツ本当に赴任したばかりの新人か?」と思ったものです。
「あれ知らない?」「二段目の引出しに入れておいたわよ」「ああ、あった。ありがとう」って感じの会話を目の前で繰り広げるダスカとトレーナーを見て宇宙猫になってしまうダストレにスカウトされた後輩モブウマ娘になりたいです。