チーフ、なんて言うかな……

  • 1◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:37:12

    【ふみだす一歩でとどく距離】

     外の空気はまだ少し冷たいものの、暖かな日差しが春の訪れを感じさせる季節。通い慣れたここに……トレーナー室に来るのも、今日で最後になる。
     扉の前で一呼吸置く。気分はレース前、ゲートが開く瞬間を待っている時かのように緊張している。
     それも無理もない話で、だってアタシは今日ここで、どうしてもトレーナーに伝えたい事があるから。

    「と、トレーナー!」

     控えめなノックの後、部屋の主に向けてかけた言葉は思いのほか大きくなってしまった。「はーい」という聞き馴染んだ返事の後、トレーナー室の扉が開かれる。

    「いらっしゃい。……取り合えず、中入る?」

     まるでアタシが来ることを分かっていたように、驚いた様子もなく微笑まれながら迎えられる。

    「じゃあ、そうさせてもらう……」

     一応はここで話すのも最後なわけだし、一言二言喋ってお別れ、というのも寂しいからお言葉に甘えさせてもらう。
     中に入ってテーブルの方に掛けると、程なくしてアタシの分の紅茶と共にトレーナーが向かい側に掛ける。

    「まずはドーベル。卒業おめでとう」
    「ん、ありがとう」

     今日、アタシはトレセン学園を卒業した。式では思い出が込み上げてきて泣いちゃったけど、気分はやっぱり晴れやかだった。

    「ドーベルがもう卒業か~。本当に、時が経つのは早いね」
    「おじさんみたいな事言わないでよ。まだまだ若いでしょ、アンタも」
    「君の担当をし始めた頃は俺もまだ新人のペーペーだったし、お兄さんって言われるくらいの年齢だったとは思うけどね。流石にそろそろおじさんって呼ばれる年齢になりそうな自覚はあるよ」

  • 2◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:37:31

     アタシがトレセン学園を卒業するという事は、つまりはそれだけ歳を重ねた訳で。
     なんとなくアタシは、アタシを担当し始めた頃のトレーナーに近づけたと思っていた。
     けれどトレーナーだって同じだけ進んでいるのだから。結局のところ、アタシとの間にある年齢という壁は越えられないのだと。そんな事を感じてしまう物言いだった。

    「あ、アタシからしたら、アンタはお兄さんくらいなんだけどっ」
    「あははっ! ドーベルからそう言ってもらえるのは嬉しいね」
    「アタシとの年齢差は変わってないんだから。普通でしょ」

     そう、変わっていない。その差は、ひとつも。

    「そうかな? あ~、でもそうかも。俺もドーベルの事は初めて会った時の印象が強いし。あの頃は随分嫌われてたなぁ」
    「別に嫌ってた訳じゃなかったから! ただチーフから新人トレーナーがサブトレーナーに就くとは聞いてたけど。アタシが男の人苦手、って知ってるのに男の人だったからビックリしてただけで……」

     冗談交じりの声音からも、本当に嫌われていたとは勘違いされていないだろうけど。若干不本意ではある。

    「ごめんごめん、流石に意地の悪すぎる冗談だったな。君が無暗に誰かを傷つけるような子じゃないのは、十分知ってるから」
    「まったく……」

     紅茶をひと口含み、一息つく。確かに、最初の頃は避けてたけど。でも今となってはすっかり打ち解けていて。アタシの男性への苦手意識も随分とマシにはなってきている。
     そう思うと、自然と言葉が滑り落ちた。

    「でも、アンタがトレーナーで良かった」

     普段だったら誤魔化していたかもしれない。でも今日は卒業式があって、トレセン学園の生徒とトレーナーとして過ごすのは最後だから。
     こんな日くらいは、素直に喋ってもいいのかもしれない。

  • 3◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:38:15

    「アタシさ、男の人と上手くやっていけるのかな、って最初は凄い不安で仕方なくて。別にアンタと喋んなくてもどうにかなってたし、それで良かったんだけどさ」
    「そうそう。だから俺って嫌われてるのか……? って勘違いしたんだよ。俺が配属されてすぐの模擬レースの時にドーベルがあがり症で、特に男が苦手って初めて知ってさ」

     出会った頃はなんで男の人を選んじゃったの? って、正直思ってた。
     でも実際はチーフなりに考えていて、アタシとトレーナーだったら上手く折り合うのが分かって選んでくれてたんだな、って。今なら分かる。

    「でもチーフが倒れた後はそうも言ってられなくて。恩返しする為にはなりふり構っていられなかったから。そんなこと気にする余裕もなかったとは思うんだけど」
    「あの時は俺もチームの引き継ぎで手間取ってて、どうしてもドーベルに向き合う時間が取れなかったからな……。ちゃんと寄り添ってあげるべきだったとは思うけど、あの時の俺にはあれが限界だった」
    「うん、分かってる。ほったらかしにされてる、って思ってた訳じゃないし、勝手に追い込んでたのはアタシだから。……ねぇ、あの時アンタ、アタシになんて言ったか覚えてる?」
    「当然だよ。だって、何度だって言ってきたからな。メジロドーベルは強いウマ娘だ、って」

     幾度となく、アタシはその言葉に支えられてきた。デビューする前から、引退するその時まで。
     いや、もしかしたらこれからもずっと支え続けられるのかもしれない。

    「そう。最初はこの人はアタシの何を知ってるの? なんて無責任なことを言うんだろう、って。そう思ってた」
    「まあ確かにあの頃は新人もいいところだったし、あんまり説得力なかったよな」

     生意気にもアタシは新人だったトレーナーに強い、って言われてもお世辞としか思えなかった。
     ただの励ましの、上っ面の言葉だって。どれだけ努力したって、本番では観客の目線が気になってどうしようもなくなり、全て水の泡になる。
     何度もそれを経験してきたアタシにとっては、なんの慰めにもならないはずだった。

    「うん。もしもアンタがベテラントレーナーだったらあんな愚直な事は言われなかったと思う。……アンタが新人だったから。他の子と比べずに、アタシだけを真っ直ぐ見てくれたから。だからあの時の言葉で救われたの」

  • 4◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:38:40

     でも、ちゃんと届いた。この人は本当にアタシのことを強い、って信じてくれてるんだって。
     レースでの走りだけじゃない。レースに懸ける想いを、見てくれて。自分は弱いままだと、自己嫌悪で溺れていたアタシを引き上げてくれた。
     もしかしたら。トレーナーと出会えなければ、ずっとアタシは自分に自信が持てないままだったかもしれない。

    「だから、アタシと出会ってくれてありがとう」

     多分少し恥ずかしい事を言ってると思う。でもこれ以上に相応しい言葉は、アタシの中では見つからない。
     だってトレーナーと出会えなかったら、今のアタシは存在しないんだから。

    「それは俺のセリフだよ。こんな輝かしい成績を残した子を担当出来ただなんて、本当に幸せ者だよ、俺は」
    「それはアンタのおかげでもあるでしょ?」
    「確かに指導する立場ではあるし、レースの展開とかもかなり研究してきたつもりだから、全く影響してないとは言わないぞ? だけどやっぱり結果が出せたのは、間違いなく君がひたむきに頑張ったからだよ」

     ウマ娘によっては自身でトレーニングの方向性や、レースプランをきっちり練ることが出来るのかもしれない。
     ただアタシはそうもいかなくて。特にレースプランに関してはトレーナーに大いに助けられた。
     アドリブが苦手なアタシにとっては、卓越した展開の読みと、その上で取るべき策を決め打ち出来るトレーナーがいなかったら、いくつかのタイトルを落としていたとしても不思議じゃない。

    「それにチーフがいなきゃ担当することもなかっただろうし。俺の方こそ、あの時チームを去らずに、俺を選んでくれてありがとう」
    「それはアンタがチーフに勝利を届けるために協力してくれたから。義理としては当然でしょ?」

     他のトレーナーと上手くいく保証もなかったし、それにチーフが選んだトレーナーでもある訳だから。義理としても、理屈で考えても当然の選択だったと言える。

    「いや、そうだけどさ。でもその後他の経験豊富なトレーナーに師事する選択肢だってあった訳で……」
    「……これ、キリがなくない?」
    「……そうだな」

     感謝の押し付け合いが始まるも、きっとお互いに譲る気がない。いや、ある意味では譲り合ってる形なんだけども。

  • 5◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:38:58

    「じゃあ全部チーフのお陰って事でいいんじゃないか? 実際そうだし」
    「うん、確かに。チーフがいたから、今があるんだもんね」

     チーフがいなければアタシはそもそもトレーナーが就いていたかも怪しいし、トレーナーだってサブトレーナーとしてチームに配属されなかったんだから。
     チーフのお陰で巡り会えた教え子同士。アタシたちの関係で、一番しっくり来るのはやっぱりこれなのかもしれない。

    「そうだ! 今度一緒にチーフに会いに行かないか? 俺は無事ドーベルが卒業した事を報告しに行きたかったし。ドーベルも居たほうがチーフも喜ぶだろ」
    「いいね。アタシも久し振りに会いたいな。電話ではたまに話す機会があるけど、直接会って話す機会ってないから」
    「じゃあ俺の方からチーフには聞いてみるよ。都合がいい日が分かったらまた教えるから」

     その後も一時間ほど、思い出話に花が咲いた。別に今生の別れになるわけじゃない。
     でも今ここで、学園での思い出を振り返りたかったのは、きっとアタシだけじゃない。
     注ぎ直された紅茶もとっくに飲み干してしまった。名残惜しいけど、そろそろここを去らなきゃいけない。
     先延ばしにしていたつもりじゃない。だけどいざこの気持ちを伝えなければいけないと思うと、今しかないという警鐘と、怖いという不安。
     板挟みにされた心が圧迫感を感じるも、なんとか口を開くことが出来た。

    「あのさっ、トレーナー」
    「なんだ?」

     まるでレース場の坂を駆け上がった後のように心臓の音がうるさい。拍動で喉が震えそうになる。
     緊張のせいでカラカラと渇く口内で、言葉を上手く発せる自信がない。
     この緊張から逃げたい気持ちが、心に臆病風を吹かせる。

    (どうせ、トレーナーとアタシの距離は埋まってないんだから……)

     さっきの会話で突きつけられた、埋めることの出来ない年齢差。
     きっと今この想いを伝えたって、トレーナーにとっては少し歳の離れた、ただの元担当ウマ娘。アタシの気持ちが届く勝算は、限りなく薄い。

    (いや、でも。直接は言えなくても、知ってもらわないと、何も始まらないから)

  • 6◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:39:14

     不安に押し潰され萎んでしまった勇気を、少しだけ振り絞る。
     今、届かなくてもいい。いずれ、届けば。だから一歩だけは、今踏み出そう。

    「あのさ……言葉だと言いたいこと、ちゃんと言えるか不安だったから。手紙、書いてきたの」

     我ながら自分のことを信用してないな、と思う。でもそんな自分に助けられたのも事実で。
     消極的とも言えるかもしれないけど、今は用意周到だった事に感謝しておこう。

    「嬉しいな……今、読んでも?」
    「そ、それはダメ! アタシが帰ってからにして!」

     直接伝えるのが怖いから手紙も書いておいたのに、今読まれたら意味がない。

    「そっか。じゃあ帰ってから読ませてもらうよ」
    「うん……」

     これで、良かったんだ。アタシが一歩近づいたと思っても、トレーナーだってその分進んでる。
     だから、これは仕方がない事で。二歩目はまだ、アタシからは踏み出せない。

    「じゃあ、そろそろ行くね。タイキたちと卒業祝いで食事をする約束もしてるし。帰って支度しないといけないから」
    「ああ。元気でな?」
    「うん。……じゃあね」

     チーフに会いに行く約束もしてるのに。「またね」の言葉は、出てこなかった。

  • 7◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:39:54

    ~Trainer's View~

     仕事を終え、自室のリビングでひと息つきながら。頭に過ぎるのは、トレーナー室を出る前の彼女の声音と、表情。
     上擦った声と紅潮した頬から、並々ならぬ覚悟を持って何かを告げようとしているのはすぐに分かった。

    (まあ、俺の早とちりみたいだったけど)

     あの瞬間、もしかしたら告白されるんじゃないかと思った。
     しかし実際に受け取ったのは告白ではなく、お礼の手紙。もちろんトレーナー冥利に尽きるし、嬉しい事この上ない。
     期待していたのだろう。彼女から、告白してくれることを。

    (いや、これでいいんだ。ドーベルにもっと相応しい人がこの先現れたって不思議じゃないんだから)

     ドーベルが俺に対して信頼とは違う、思慕の情を抱いている事にはなんとなく気づいていた。だからなのかもしれない。
     好意の返報性と言えばいいのだろうか。俺自身もドーベルに対して担当ウマ娘以上の感情を抱くようになっていた。

    「はぁ……俺は学生じゃないっていうのにな」

     コーヒーをひと口飲みながら、思わず苦笑が零れてしまう。
     傷心に浸るくらいなら、トレーナーから告白するべきではないという建前など無視して、俺の方から告白しておけば良かっただろう。
     いつから自分はこんなに臆病になってしまったのだろう。チーフに一緒に会いに行く約束もしているし、今生の別れだった訳でもない。
     それでもなぜか、ドーベルが自分の手の届かない所へ行ってしまったような、そんな錯覚に陥ってしまう。
     俺から一歩踏み出せば、なにか変わっていたのだろうか。

  • 8◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:40:05

    「らしくないな、全く……」

     独り言ちながら、風呂に入る準備をしようとリビングにある給湯のスイッチを押す。
     湯船にお湯が溜まるまでの間、ドーベルから受け取った手紙を読もうとカバンから取り出した。
     淡いピンク色の封筒を傷つけないように丁寧に開けると、中には二枚の便箋が入っていた。
     手紙にはトレセン学園で、二人三脚でトゥインクルシリーズを駆け抜けてきた事への思い出と、そのお礼。
     今日トレーナー室で聞いた内容と似ているが、それでも改めて文として伝えられるとまた別の嬉しさが込み上げてくる。
     しかしながらその内容は一枚目で終わる。伝えたい事が一枚で納まり切らなかった訳でもないのなら、何故手紙は二枚あるのだろう。

    「マナーとしての白紙? いや、うっすらと文字が透けて見えてたしそれはないよな」

     二枚目の便箋には何が書かれているのかと。一枚目の便箋を裏に重ね二枚目を読み始める。

  • 9◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:40:34

    『トレーナーへ。
     
     もしも直接伝える勇気が出なかったら。
     緊張で上手く気持ちを話す事が出来なかったら。
     そう考え筆を取りました。
     きっとこれを読んでいるという事は、卒業式の日、アタシは勇気を出すことが出来なかったのでしょう。
     だから、手紙にて。この想いを綴らせてください。


     アタシは、あなたの事が、一人の男の人として好きです。
     トレーナーと出会うまでは男の人が苦手で。
     アタシが男の人を好きになるなんて漫画のような夢物語だと思っていたのに。
     気付けば、あなたの気遣いに。
     誰よりも真っ直ぐ、アタシの事を信じてくれるその瞳に。
     いつしか心惹かれていました。

     
     返事はなくても構いません。
     ただ、せめて気持ちだけでも知っておいて欲しくて。
     この胸の内をあなたに伝える事だけは、許してください。』

  • 10◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:40:45

    「こ、れはっ……」

     バクバクと、心拍数が上がっていくのが分かる。
     確かにお礼の手紙は入っていた。しかしその裏に忍ばされた、もう一枚の想い。
     ラブレター……いや、恋文と言った方がいいだろうか。どうやらあの時俺が感じ取ったものは早とちりでもなかったらしい。

    「なんてものを渡してくれたんだ、ドーベルはっ」

     否が応でも頬が熱くなっていくのが分かる。
     まだ言葉で伝えてくれたほうが、こんなにも照れることはなかっただろう。
     こんな事ならドーベルの静止を振り切って、あの場で読んでしまった方が良かっただろうか。
     いや、流石にそれは彼女が怒るか。直接伝えられないから、こうして手紙という方法で想いを伝えてくれたのだから。

    (今は……21時か……)

     友だちと卒業祝いに食事をすると言っていたが終わった頃だろうか。あるいは食事が終わっていたとしても二次会の最中かもしれない。
     ああ。こんなにも早く気持ちを伝えたいのに、彼女が今どうしているのか分からないのがもどかしい。
     今電話を掛けるのは流石に迷惑だろう。気づいてくれと祈りながら、LANEを開いてドーベルへと向けてメッセージを打ち込む。

    『食事が終わった後でいいから会えないか?』

  • 11◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:40:57

    ~Dober's View~

    「あれ? トレーナーからLANEだ……」

     みんなとの食事の後、そのまま流れでカラオケで二次会となり、それも終わって解散となった。
     取り敢えずお屋敷の人に連絡をして迎えに来てもらおうと、スマホのロック画面を開くと、一番最初に飛び込んできたのはトレーナーからのLANEの通知だった。

    「1時間くらい前か……」

     内容は『食事が終わった後でいいから会えないか?』。理由は書かれていない。なにかしらそう思わせる出来事があったのだと思う。

    『ごめん、食事の後二次会があって今気づいた』

     取り敢えず返事のメッセージを送ると、すぐさま既読の文字がついた。

    「うそっ、アタシの返事をずっと待ってたの?」

     その後ものの数秒で返事が来る。

    『今どこにいる?』
    『○○駅前のカラオケ』
    『今から会えるか?』

     お屋敷の人には遅くなることを伝えておけばいいし、トレーナーが来るまでに掛かる時間は宿舎からと考えるとおおよそ30分程度。日付が変わるまでにはお屋敷に帰れるはず。

    『大丈夫だけど。どこで待っておけばいい?』
    『身体冷やさないところに居てもらえれば。近くに着いたら改めて連絡するから』
    『分かった。じゃあとりあえず駅の構内で待ってる』

  • 12◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:41:13

     ひとまずメッセージのやり取りが終わる。でもなんで急に会いたいなんて送ってきたんだろう。頭の中で理由を探ると答えはすぐに出てきた。

    「も、もしかして。手紙、読んだから?」

     だとすると、トレーナーが会いたいと送ってきたのは、直接会って返事を伝えたいから。そうとしか考えられない。

    「ど、どうしよう……心の準備が……」

     直接伝えることが出来なかった時点で、トレーナーの胸の内に秘めておくだけで済まされる事も覚悟していた。
     もし振り向いてくれるとしても、遠い未来の話だとも。
     座って待っているだけじゃどうにも心が落ち着かなくて。
     せめて頬の火照りだけでも冷まそうと、構内から出て夜の空気に当たりに行く。

    「ドーベルっ!」
    「えっ──」

     近くに着いたら連絡をするって言ってたのに。
     不意打ちのような呼びかけに驚きながら振り向くと、走りながらこちらに向かって来るトレーナーの姿が目に映る。
     そのままアタシの前で止まると思いきや、走ってきた勢いを利用して抱き寄せられ、アタシとの距離は完全に埋まった。
     突然の抱擁に驚き、少しよろめきながらも抱き留める。

    「好きだ、ドーベル。俺も、君のことが」

     ああ、やっぱり。告白しても断られるだけなんじゃないか、って不安で仕方なかったけど。
     本当はちゃんと両想いだったんだ、アタシたち。こんな事ならあの場で告白しても良かったかもしれない。

  • 13◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:41:24

    「あ、アタシも……」

     手紙では伝えたけど、言葉では伝えられていなかったから。今度こそ自分の口でトレーナーに言葉を伝える。
     そのまましばらく抱き締め合っていると、なんだか少し息苦しい。
     想いが通じ合って胸がいっぱいだから? いや、多分違う。単純にこれは──。

    「ちょっと苦しいんだけど」
    「ああっ!? ごめん!」

     トレーナーの抱擁は、結構力任せだった。でも加減が出来ないくらいに余裕がなかったんだと思うと、それはそれでなんだか嬉しい。
     手紙にアタシの気持ちを綴ったのは、知っておいて欲しかったから。
     いずれは振り向いてほしいと。そう思っていたけれど、まさかトレーナーもアタシのことを好きでいてくれたなんて思ってもみなかった。
     トレーナーから解放され、お互いに向き直る。

    「手紙、読んだの?」
    「ああ。それで居てもたっても居られなくて」
    「別にLANEでも良かったのに」
    「いや、流石に礼儀と言うかさ? こういうのをLANEで伝えるのは……あ~、違うな……」

     頭を掻き少しだけはにかみながら、アタシの事を真っ直ぐ見据えて告げられる。

    「俺が、直接伝えたかった。俺も同じ気持ちだよ、って」

  • 14◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:41:39

     ああ、そっか。アタシ一人で距離を埋める必要なんてなかったんだ。
     アタシたちが互いに一歩ずつ踏み出せば、手が届く距離にいた。なのに一人で埋めようとしてたから、届かない距離だと思ってた。
     気持ちが通じ合ったことへの高揚感も落ち着いてきて、次第に周りの様子も頭に入ってくるようになってきた。
     なにやらアタシたちの方を見ているような……?

    「──~っ! ば、場所変えない? その……周り、すっごい見られてる……」
    「え? あっ……そ、そうだな! というかドーベルはこれから帰る予定だったんだよな!? 送ってくよ!」

     駅前の往来でこんなことをしていれば注目を集めてしまうのは当然で。
     その場から逃げ出すように、トレーナーの乗ってきた車でお屋敷へと送ってもらう。

    「……チーフへ報告することがひとつ増えちゃったな」

     そういえばそうだ。ふたりでチーフに会いに行く約束をしてるし、流石に交際を始めたことを言わない訳にはいかない。

    「そ、そうだね……チーフ、なんて言うかな……」

     教え子ふたりがくっ付いたことに対してどう思うんだろう。
     アタシたちふたりの相性がいい事は分かってたとは思うけど、それはウマ娘とトレーナーとしての話で。決して恋愛的な意味ではないだろうし。
     しかもチーフはアタシが男の人を苦手なのを知ってたし、それで初めて気を許した人をそのまま好きになりました、っていうのはあまりにも単純すぎやしないかな……。

  • 15◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:41:54

    「祝福してくれるとは思うけど……。俺、怒られないか? 大丈夫か?」
    「流石に大丈夫でしょ? 告白は一応アタシからな訳だし、ちゃんと卒業してからなんだし」
    「そうだといいんだけどなぁ……」
    「もう、アンタにしてはやけに弱気じゃない? しっかりしてよ」

     チーフに怒られやしないだろうかと怯えるトレーナーに苦笑が零れる。
     アタシ、アンタがチーフに怒られてるとこなんて見たことないし、アタシも怒られたことなんてないんだけど。
     あの優しいチーフが怒るとは想像しにくい。

    「そ、そうだよな! 付き合い始めたばっかりなのに悲観的になるのも違うよな!」
    「つ、付き合い……そうだよね、付き合い始めたんだもんね……」

     少しずつだけど、これからは恋人同士となることがじんわりと胸の中に染み渡っていく。
     きっとこれから、こんな感覚をたくさん経験していくのだと思うと、こそばゆくも、どこか心地よく感じた。
     やがてお屋敷の前に到着して、今日のところは解散となる。

    「卒業旅行とかもあるだろうし、落ち着いたらまた教えてくれ」
    「うん、分かった。なるべく早めにする。それじゃあ、またね?」

     トレーナー室を出る時に言えなかった言葉は、今度は自然と音に乗った。
     だって既に、アタシたちは恋人同士なのだから。

  • 16◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 22:42:10

    みたいな話が読みたいので誰か書いてください。

  • 17二次元好きの匿名さん23/03/08(水) 22:42:37

    15レスに渡ったお話を我々に書けと!?

  • 18二次元好きの匿名さん23/03/08(水) 22:42:46

    >>16

    すでにあなたが書いています

  • 19二次元好きの匿名さん23/03/08(水) 22:45:36

    溶けそう
    サイン下さい

  • 20二次元好きの匿名さん23/03/08(水) 22:46:31

    あなたが昔書いたものを置けばいいんじゃないかな?

  • 21二次元好きの匿名さん23/03/08(水) 22:47:35

    >>16

    そこにないならないですね

    両方の視点から書かれるのすごい好きなので、

    読み終わってからトレ視点出てきてガッツポーズしました

    正統派で甘酸っぱいトレベルをありがとうございます……

  • 22二次元好きの匿名さん23/03/08(水) 23:21:05

    ~Chief's View~も待ってます

  • 23二次元好きの匿名さん23/03/08(水) 23:33:00

    私くらいになるとスレタイを目にしただけで「おや~? 新作かな~??」と気づくわけですね
    いつも打率が高くて素晴らしい

  • 24◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 23:35:27

    卒業シーズンですね、という事で卒業ネタでした。
    卒業式に告白するのはセーフでしょ、という謎理論のもと書きましたがちょっと変化球気味な方法にしたいな、という事で恋文で伝える形になりました。
    結果的にかなり明るい終わり方に。書く前はしっとりした話になると想定していたので、かなりさっぱりした話になったな~、と他人事のように思っています。

    ただ最近告白ばっかさせてるような気がするのは反省気味です。
    おかしいですね……私、くっ付く前のもだもだしてる期間が一番好きなはずなんですけどね……。

    ここまで読んでいただきありがとうございました。

  • 25◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 23:36:27
  • 26◆y6O8WzjYAE23/03/08(水) 23:40:06

    >>19

    サインはないです

    そのまま溶ければいいんじゃないですかね



    >>21

    今回に関しては恋文を読ませる、という視点がどうしても必要だった為、心情を描写したいというよりも話の流れ的に必須事項でした

    嘘つきました

    お互いに一歩ずつ歩み寄って距離が埋まるという話だったので普通にトレ視点の心情が欲しかっただけです

  • 27二次元好きの匿名さん23/03/09(木) 10:08:43

    チーフへの報告とホワイトデーもくれ…くださいいいい!!!

  • 28二次元好きの匿名さん23/03/09(木) 11:15:50

    良すぎて壁殴っちまった

  • 29二次元好きの匿名さん23/03/09(木) 21:06:41

    ドーベル好きとしてはこのお話に◎をつけて後世に広めていきたいですね

  • 30二次元好きの匿名さん23/03/10(金) 05:35:07

    age

  • 31二次元好きの匿名さん23/03/10(金) 17:21:34

    最高でした、また頼みます

  • 32二次元好きの匿名さん23/03/10(金) 23:13:06

    >>28壁ドンニキおてて大丈夫?

オススメ

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