- 1二次元好きの匿名さん23/03/10(金) 17:47:02
空全体に茜色が広がっていて、その光に照らされながら、あたしはひとりトレーナー室で座っていた。何をするでもなく、ボンヤリと遠くを見ながら終わらせたくない日々に思いを寄せる。
長いようで短かった3年間を終えて、その後もあたしとトレーナーさんは、たくさんのレースを駆け抜けていった。いいことだけじゃなくて、辛いことや悲しいことだって沢山あった。それでもここまで走り抜くことができた。……走り抜いてしまった。
「もう少しでここともお別れなんだよね……」
あたしはもうすぐこの学園を卒業してしまう。そしてトレーナーさんは、ここでこのままトレーナーも続けていく。担当ウマ娘とトレーナーとの関係は終わってしまう……。
この学園で最後のあたしの誕生日を、トレーナーさんと過ごしたいって思ったのは。もしかしたら何かがあると信じられる場所だから。……あたしの想いが届くかもしれないと思ったから。
「あなたのことが好きです……。これからも一緒にいたいです……」
あたしの小さな言葉は、少しだけ部屋に響いてすぐに消えていった。相手のいない告白ほど虚しいものはない。締め付けられる胸の痛みが、改めてそのことを実感させてくれた。
ぶつからなければ始まらないのに、始めるための勇気が持てない。当たって砕けたときの痛みばかりを考えてしまって苦しい……。せめて、あなたから……あたしのことを求めてくれたら……。分かってる……そんなことするヒトじゃないって……。分かってるけど……。 - 2二次元好きの匿名さん23/03/10(金) 17:47:30
あたしらしくないことばかり考えて、不安と恐怖に包まれたときに、不意に扉の外から音が聞こえてきた。
「入っていいかな?」
「あ……は、はい!大丈夫ですよ!」
ゆっくりと開かれる扉から現れたのは、やはりトレーナーさんだ。少しだけ呼吸が速くなっていて、ここまで来るのに急いでいたのが分かった。
「すまない、君の誕生日なのに待たせてしまったね……」
「気にしないでください!待ってる時間も楽しかったですよ!」
そんなの嘘だ。苦しくて悲しくて仕方なかった。でも、そんな顔を……あなただけは……見せなくない……。下手な嘘をついてしまったことが、あたしの胸の痛みを強くした。
痛みを見ないふりをして立ち上がり、振り切るようにトレーナーさんに駆け寄った。
「言い訳になってしまうけど、これを取りに行ってたら遅くなってしまったんだ」
「あたしへのプレゼント……ですよね……。なんだか申し訳ないなぁ……」
「君へのプレゼントだからね。やっぱり良いものをと思うとどうしてもね……」
少し照れたように笑うトレーナーさん。その表情がこれから先、見られないんじゃないかと思うと、とても同じように笑うことなんてできなかった。
「でも、トレーナー室で良かったのか?せっかくの誕生日だから、ここじゃなくても良かったのに」
「何を言ってるんですか!ここだからいいんですよ!」
だって、ここにはミーティングしたり、マッサージしたり、お茶を飲んだり、お話したり……。トレーナーさんとの思い出が沢山ある大切な場所なんだ。ここ以外考えられない……考えたくない。
「ここだからあたしは嬉しいんです。それ以上のものはいらないです!」
そう言い切って笑って見せた。本当に上手く笑えたかな?……笑えたはずだ。いつものあたしはこんな感じのはずなんだ。 - 3二次元好きの匿名さん23/03/10(金) 17:47:57
「……本当に慎ましいというか何というか……」
「多くを求めるのは良くないです。これくらいでいいんです」
慎ましくなんてない。だって、この胸の中は、あなたへの想いで一杯になってて、溢れないように我慢してるだけだ。何かのきっかけがあればきっとすぐに溢れてしまう。
「今日くらいはいいと思うんだけどな……」
「……本当にいらないですよ」
本当に?本当に求めてもいいの?あなたが欲しいと望んでいいの?でもそれはだめだ、だめなんだ。このヒトはトレーナーで沢山のヒトを育てるんだ。あたしを見てほしいなんて、そんなこと考えちゃだめだ……。
「そっか……。せめて、これが君に気に入ってもらえたらいいけれど……」
「トレーナーさんがくれるものですよ!何だって嬉しいです!」
でも、これを受け取ったらもう会えないのかな……。それなら受け取らないほうがいいの?そもそも好意を隠してこのままありがとうなんて言えるの?分からない……分からない……分からないよぉ……。どうしたって勇気が出なくて苦しくて悲しくて……。
心と裏腹な自分に苛まれながら、トレーナーさんからのプレゼントを待つしか出来なかった。
「どうか受け取って欲しい」
手のひらサイズの箱から出てきたのは、緑に赤が混じっている宝石のペンダントだった。 - 4二次元好きの匿名さん23/03/10(金) 17:48:22
「これって……」
「ブラッドストーンのペンダントだよ。誕生石なこともあるけど、献身や勇気って意味があるから君にピッタリだと思ってね」
勇気。その言葉を聞いて、あたしはペンダントの入った箱を改めて見つめた。トレーナーさんが、このペンダントをあたしのために選んだのは、石言葉があたしらしかったからだと言ってくれた。
あたしらしさ……それって何だった?こんな風に迷うこと?違う。砕けることばかり考えて想いに蓋をしてしまうこと?違う。そんな後ろ向きなことばかり考えるのはあたしじゃない!あたしは……キタサンブラックは……!どんなことがあっても、前を向いて走り続けるウマ娘だ!トレーナーさんが信じてくれたあたしは、そういう皆を笑顔に出来るウマ娘何だ!
やっと目が覚めた。そうだ、この気持ちを隠したままお別れなんてしたくない!思い出に嘘をつきたくない!そして、この想いを……好きだって想いを伝えないと!
「トレーナーさん、ありがとうございます!凄く嬉しいです!」
「そうか……!気に入ってもらえて良かったよ!」
トレーナーさんからプレゼントを受け取る。トレーナーさん、本当にありがとうございます……。もうあたしは迷いません。どんな結末になったって、この気持ちのままに突き進んでいきます。だから、今度は……あたしの気持ちを……。
「……トレーナーさん。誕生日に変かもしれませんが、あたしからも、受け取って欲しいものがあります!」
「君が俺に?少し申し訳ないような……」
少し戸惑っているトレーナーさん。申し訳なくなんてないです。きっとあなたを困らせてしまうものに違いないですから。 - 5二次元好きの匿名さん23/03/10(金) 17:48:50
少しだけ目を閉じて深呼吸をする。……うん、心臓はドクドクとうるさくて仕方ない。止まりそうもないその音を聞きながら、手のひらに収まるあたしのプレゼントを、軽く握りしめる。……お願い、あたしに勇気を下さい!
「トレーナーさん。初めてあたし達が会った日のこと覚えてますか?」
「え?あぁ……覚えてるよ。俺からスカウトスカウトしたのが始まりだったよな。君の顔つきを見て、この娘だって思ったんだ……」
あたしも、あのときのことは今でも思い出せます。ダイヤちゃんに置いていかれたみたいで悔しくて、次こそは絶対って思って……。そんなときに声をかけてくれて……。
「あなたがあたしの心意気を買ってくれたから、今のあたしはあります。本当に感謝しています。トレーナーさん、あたしはあなたに、恩を返すことができましたか?」
「充分なくらい沢山貰ったよ。君がいてくれたから、ここまで来ることが出来たんだ」
そっか……。恩を返すことは出来たんだね……。だからこそ、本当ならこれで終わりにしなきゃいけない関係。これから言う言葉はあたしの我儘だ。でも、それでも、だからこそ。あたしらしさを貫くために……!
「トレーナーさんはこれからもトレーナーとして頑張っていくんですよね?」
「もちろんだ。それが俺の夢だからな」
「……それなら」
もう一度だけ深呼吸する。もう胸の音は不自然なくらい穏やかだった。
「その夢を……あたしも一緒に……支えてもいいですか……?」
言えた……!言えたんだ……!でも、ここで終わっちゃだめだ。想いはまだまだ足りない。ぶつけなきゃ、後悔しないように、すべてを!
「あたしの夢は、あなたと一緒だったから叶えることが出来ました。分からないことや悩むこと、出来ないことも沢山あったけど、あなたがいたから解決できました。
沢山あたしのことを支えてくれたあなただから……あたしは……好きになったんです……だから!あなたとこれからも一緒にいたい!隣を歩きたいんです……」
それがあたしの全てだった。何もかもを言い切ることが出来た。また胸の音が跳ねた気がした。 - 6二次元好きの匿名さん23/03/10(金) 17:49:16
言い切った後、辺りは静寂に包まれていた。それは一瞬だったのだろうか、それとも長い時間だったのか。その静けさを断ち切ったのは、トレーナーさんだった。
「……そうだったんだな。君が俺のことをそんな風に……」
その言葉を言ったとき、トレーナーさんの顔は下を向いていたから、表情を読み取ることが出来なかった。
「君とは長いこと走り続けてきたけど、俺は気づかなかったよ……。大切なパートナーのことを何も分かってなかったんだな……」
それは違います。そう言いたかったけど言えなかった。今のトレーナーさんの言葉を遮ってはいけない。どこかでそれを感じ取ってしまった。
「いつだって君は真っ直ぐで、優しくて、皆を照らす光で……。そんな君だから俺も……いつしか……。そうか……気づかなかったんじゃなく……」
何かを呟く声は、あたしへの言葉ではなく、自分の中の何かを確かめるような言葉みたいだった。変わらず下を向いたままのトレーナーさんを、あたしはただただ見守るしかなくて……。その一瞬がとてつもなく長く感じた。
「キタサンブラックさん」
「は、はい!」
不意に呼ばれたあたしの名前。そんな風に呼ばれることなんてなかったから、凄く……胸が……ドキドキする……。そんなあたしの様子なんて露知らずで、トレーナーさんは話を続けようとしている。
「君と過ごした日々は色々なことがあったね。その日々は、今までは考えられないことばかりで、何もかもが新鮮だった」
「大変じゃなかったですか?」
「大変なこともあったけど、その経験した全てが、今では良い思い出になってるよ」
あたしもそうですよ。お助け活動を一緒にしたり、お祭りでにんじん焼きを食べたり、お化け屋敷に行ったり、マッサージしたり……。その沢山の経験と思い出が、今のあたしのあなたへの溢れる想いに繋がってるんだ。 - 7二次元好きの匿名さん23/03/10(金) 17:49:48
「良いことも悪いことも沢山あったけど、どんな日々も君がいたから何だって楽しかった。君が一緒だったから前を向いて歩けた。
いつしか君の存在は、俺にとってなくてはならないものになってたんだ」
噛みしめるように続けるトレーナーさんを、あたしは見ることが出来なかった。だって……次に続く言葉なんて……もう一つしかない……。本当に?本当にいいんですか?胸が痛くて仕方ない。顔が熱くて仕方ない。前が……何も見えなくて……。
「俺も君のことが大切なんだ。君がいないことなんて考えられない。そんな大切なことにやっと気づいたよ。こんな俺で良かったら、これからも隣で一緒にいてほしい」
きっとトレーナーさんは手を伸ばしていたんだと思う。でもあたしにはそれが見えなかった。だってその言葉を聞いた瞬間、トレーナーさんのことを抱きしめていたのだから。
嬉しいです。ありがとうございます。そんなありふれた言葉は、沢山思い浮かんでいた。でもそんな意味のある言葉は、あたしの口から出てくることはなかった。だってあたしは……あたしは……。
「……っ……ぅ……ぁ……」
嬉しくて、胸が一杯で……。溢れる涙が言葉を表に出すのを邪魔していたから。そんなあたしを優しく抱きしめ返してくれたトレーナーさん。すごく暖かくて、心地よくて、幸せな気持ちに包まれた。
「ありがとうキタサン」
「…………はぃ……!」
トレーナーさんを抱きしめ返して、トレーナーさんの顔を見ようとする。涙で濡れて前が見えない。きっと不格好な笑顔だったと思う。でも、この日初めて心の底から笑うことが出来た。
春は別れの季節であり出会いの季節でもある。あたしとトレーナーさんは、トレーナーと担当ウマ娘の関係から別れてしまった。けれど、新しいパートナーとしての関係へと変わっていった。この関係がこれからも続いていきますように。そう願いながら、今はその暖かさに身を任せるのだった。 - 8123/03/10(金) 17:54:51
まずはお誕生日おめでとうございますキタサンブラックさん。
いつも真っ直ぐで明るくて優しいキタちゃん。思い悩むこともあるけど前に向いて進むことができるそんな姿に皆が惹かれるんだと思います。
アニメ3期も決まって凄く嬉しかったです。これからも色んなキタちゃんが見られるのが楽しみです。
自分もこれからもキタちゃんを魅力的に書けるように頑張りたいです。
改めておめでとうございます。 - 9二次元好きの匿名さん23/03/10(金) 17:55:35
- 10123/03/10(金) 17:56:45
- 11二次元好きの匿名さん23/03/10(金) 20:52:58
いいssやこれは…
- 12123/03/10(金) 21:44:24
- 13二次元好きの匿名さん23/03/11(土) 06:08:11
age
- 14二次元好きの匿名さん23/03/11(土) 07:18:07
- 15123/03/11(土) 08:03:35