【閲覧注意】目が死んでるボブ【加古川SS注意】

  • 1二次元好きの匿名さん23/03/11(土) 07:14:48

    12話で父殺しをしてしまったボブが、もしそのままフォルドの夜明けに拾われており、かつ誰にも身バレせずに済んだら、を仮想したSSです。以下は注意点です、

    ・加古川のボブ概念です。ソフィとノレアはまだ地球にいます。
    ・ソフィとノレアの動向に限らず、第2クールPVとは色々と内容が矛盾します。
    ・♂♂要素はありませんが、ボブがずっと打ちのめされた状態で進行していきます。
    ・物語は8割がたできておりますので、第2クールの情報を見ながら軌道修正とかはできません。

    上記説明で合わないと思いましたらブラウザバックをお願いします。
    だいたい半日~一日に4レス~6レスずつ投下していきます。一週間以内には終わる予定です。

  • 201_1/623/03/11(土) 07:15:16

    ノレア・デュノクが扉を開けると、ひときわ大きな背中がまず目に入った。
    部屋の真ん中に複数の机を固めて、椅子に座った大男が何やら作業している。その周囲に子供たちが群がって、何やら騒がしく声を上げていた。
    その一種異様な光景にノレアは一瞬言葉を失うが、すぐに気を取り直し、声をかける。
    「ボブ、ちょっと来て」
    ボブと呼ばれた男はノレアの方に振り向くと、無言のまま立ち上がった。

    「えっボブちょっと待ってよ、まだあぶり出しを描き始めたばっかだよ」
    「しょうがないだろ行かせてやれよー、オシゴトだろー」
    「ボブまだ居てよ、アタシきょうロウソクの係だからさ」
    「あぶり出しはまた今度でいいだろ。雑用の兄ちゃんは用があるんだって」
    「逃げんなボブー、勝負しろー」
    「じゃあな雑用にーちゃん。ちゃんと生きろよー」

    周囲の子供たちが一斉に声を上げるが、大男は黙ったまま手を降って別れを告げる。一人すばしっこい少年が横から走ってきて、転倒でも狙ったのか片足を差し出してきたが、それもひょいと跨いで、そのままノレアの前まで歩いてくる。
    まさに大男だ。ノレアにとっては文字通り見上げるほどの背の高さ。だが不思議と威圧感はまるで感じない。
    少女はじろじろと彼を見つめ、不審感を露わにして尋ねた。
    「……いつの間にこいつらからそんな懐かれるようになったの? 何か変なことしてない?」
    「懐く? 舐め腐ってるだけだろ」
    どうでも良さそうに返答する男の目は、確かに死人のように濁っていた。難民キャンプの子供たちに妙な真似をする気力どころか、生きる活力すら残っているように見えない。舐められているという解釈が正しいように思えた。

    ――まあいい。そっちのほうが好都合。

    ノレアは男についてくるよう促すと、そのまま校舎の外に出る。

  • 301_2/623/03/11(土) 07:15:38

    周囲に誰もいないことを確認してから、ノレアは車を指差した。
    「運転して。エアカーを操縦したことがあるなら簡単でしょ?」
    「……ん?」
    男が首を傾げる。
    彼に疑問を生じさせたのは、捕虜に車のハンドルを握らせるという行為か、それとも後部座席でぐったりしている赤い髪の少女の姿か、その両方か。
    疑われるのも当然の状況だが、ここは何としても押し切らなければ。
    ノレアは語気を強める。
    「早くして。ソフィが体調を崩したの。急いで街の医者に診せないと」
    すると男は素直に運転席のドアを開け、そこに大きな体躯を押し込んだ。ノレアは内心でほっとする。こんな最初の段階で銃による脅しに頼るのはさすがに避けたかった。
    「じゃあ出して」
    ソフィの隣に座ってからそう命じると、ボブは無言でアクセルを踏んだ。発進のハンドリングは意外とスムーズだった。このぶんなら目的の場所まで行くのにも支障はないだろう。
    いつでも懐の銃に手を伸ばせるよう気をつけながら、ノレアはソフィに寄り添った。少々長い旅になる。

  • 401_3/623/03/11(土) 07:16:11

    後部座席で揺られながら、ソフィ・プロネは朦朧としている。

    ――ノレアのやつ、本当に行くつもりなのかあ。案外こいつ賢くないんだよなあ。ま、そもそもこんな事態になったのは、あたしが賢くないのが原因だけどさあ。

    思考がとりとめもなく浮かぶ。目の焦点が合わない。車の天井をしばし彷徨ってから、視線は目の前の後頭部に止まった。運転座席でハンドルを握る赤い髪。つい二ヶ月ほど前に知り合った青年だ。

    ――こいつもあんまり賢くないよな。いや、不器用ってのかな。いや違うか。なんなんだろ、よくわかんない。よくわかんない、ヤツだった。

    青年と初めて出会ったのは、テロ活動のために乗っ取った輸送船。そのときの彼は、後ろ手に縛られた状態にも関わらず鋭い眼光でこちらの正体を問い詰めてきた。気概に満ちたその表情はソフィの目にも好ましく映ったものだ。いたぶりがいのある獲物として、だが。
    次に出会ったのは地球に戻った後。じっくり時間をかけて痛めつけてやろうと思っていたのに、何があったか、彼の目はほぼ死んでいた。
    本人は何も喋ろうとしなかったので兵士たちに聞いてみたところ、ドサクサに紛れてデスルターを奪って船外に逃走し、しかし途中で撃墜され、運良くオルコットに機体ごと回収されて戻ってきたのだという。
    喜劇映画のような間抜けぶりだが、本人にとってはそれどころではなかったらしい。撃墜されたときの恐怖で完全に心が萎縮してしまったのだ、という。
    「一回死にかけたってだけで、ここまで?」
    当時はそう首を傾げたものだが、他に納得できそうな理由もなかった。

  • 501_4/623/03/11(土) 07:16:38

    それからずっと青年の目は死に続けている。
    いや、段々とひどくなっているようにすら見える。
    命ぜられた作業は言われたとおりにこなすし食事も摂ってはいるようだが、自発的な行動はほとんどしない。何も無い時間はただ座っているか、横になっているかのどちらか。殴られようが何されようが全く反撃しないので、すぐに兵士たちの憂さ晴らしの的になった。毎日のようにそこらで絡まれ、殴られるか踏まれるかツバを吐かれるかしている。そこまでされて、ただ黙って従っている。

    ――ああ、死人になったんだなコイツ。貧民窟でよく見かけるような。

    心のなかでそう結論づけると、ソフィは青年への関心をあっさり失った。死体を足蹴にする趣味はなかったからだ。
    そこまで思い出したところで、彼女の回想は一旦途切れた。どういう経緯でこの青年に再び興味を持ったのか、その記憶が浮かんでこない。
    ここ一週間ほどはずっとそうだ。昔の記憶の喪失ならばよくある話だったが、今では最近の記憶すらあやふやだ。いずれ5秒前のことも思い出せなくなるかもしれない。

    ――そうなったらノレアが悲しむかなあ。いや、もう悲しんでるんだっけ?

    そんなことすら思い出せないまま、ソフィはまどろみに沈んでいく。

  • 601_5/623/03/11(土) 07:17:11

    青年がガソリン式の車に乗るのは初めてだったが、操縦にそれほど苦労はなかった。宇宙でよく乗っていたエアカーと要領は変わらない。道路には他の車輌も人影もなく、ノレアからの指示通りに車を走らせるのに何の問題もない。
    むしろ問題は、なぜ捕虜である自分に車のハンドルを握らせているのか――逃走しようとしたらどうするつもりなんだ?――、そしてなぜ後部座席でソフィがぐったりしているのか、だったが。
    どうでもいい、と青年は思考を打ち消した。考える気力もなかったし、このぐちゃぐちゃのシチューのような脳みそでは、どのみち考えなどまとまらない。

    ここ二ヶ月、ろくに眠れなかった。
    眠ろうとすれば必ず、父親の顔がまぶたに浮かんだ。

    「探したんだぞ……」

    家出した自分を探しに来てくれた優しい父。
    テロリストに捕まった自分を助けに来てくれた勇敢な父。
    その、最期の、顔。

  • 701_6/623/03/11(土) 07:17:30

    父を殺したのは、青年自身だった。
    眠ろうとすれば必ずそれを思い知らされる。

    目を開けていればいたで、労役に駆り出されるか兵士たちに殴られるかのどちらかなのだが、延々と父の最期の姿を見せつけられるよりは遥かにマシだった。
    少なくとも目を開けていれば、自分の愚かさがどんな結果を招いたのかを思い出さずに済む。

    捕虜生活が始まってしばらく経つと、自分がいま起きているのか寝ているのか、生きているのか死んでいるのかもはっきりしなくなった。だからこの二ヶ月間のこともほとんど記憶に残っていない。

    記憶にはっきりと刻まれているのは、兵士たちに殴られた傷の痛み。
    延々と繰り返される父の最期の姿。
    そして、助けを呼ぶ誰かの泣き声。……泣き声?

    何かを思い出そうとして、しかし頭の疼きに悩まされ、青年はすぐに思考を打ち消す。
    頭蓋の奥に細かい釘を何本も打ち込まれたようだ。何かを思考するたびにあちこちが疼く。思考にモヤがかかる。
    こんな頭では、何かを思い出すなんて無理だ。

  • 8二次元好きの匿名さん23/03/11(土) 07:20:24

    期待の保守

  • 9二次元好きの匿名さん23/03/11(土) 07:24:09

    期待

  • 10二次元好きの匿名さん23/03/11(土) 07:42:50

    加古川概念ボブ好きなので嬉しいです

  • 11二次元好きの匿名さん23/03/11(土) 08:00:28

    死体同然なのに子供からは割と好かれている……
    やはり兄貴体質で父性の男か

  • 12二次元好きの匿名さん23/03/11(土) 15:07:52

    このスレが最後の加古川ボブSSかもしれないのか……

  • 1302_1/623/03/11(土) 20:02:33

    街へ続く道路は閑散としている。大昔はこの道路は人と車であふれ返っていたというが、スペーシアンが富を収奪して宇宙に逃げてからは、車はおろかガソリンでさえ貴重品の部類だ。
    スペーシアンの歴史的犯罪性。ノレアの脳裏にそんな言葉がよぎる。それをそのまま罵倒に変えて眼の前の男にぶつけることもできた。
    が、さすがに今はそんなことで彼の機嫌を損ねるわけにも行かない。目的地はまだまだ先、この道路のはるか向こうだ。

    と、分かれ道が見えて来た。
    右が街へ、左が郊外へ。ノレアは即座に告げる。
    「左に行って」
    「……え? しかし」
    「左に行って」
    繰り返すと、男は黙った。
    もし彼がそのあとハンドルを右に切るようであれば、懐の銃を突きつけてUターンを求める必要があった……が、彼は指示通り左に車の進路を向けてくれた。

    ソフィと二人で見込んだとおりだ。最低限の判断力と操縦技術、そして命令に決して逆らわない従順性。この旅の運転手兼雑用係としてこの男は適任だ。もっともノレア当人としては、これほど体格のいいスペーシアン――何かの拍子に暴れだしたら鎮圧に苦労しそうな――を連れて行くのには不安があったのだが。
    「ま、ボブなら大丈夫だよ。年下相手なら絶対に手は出さないさ、あいつは」
    ソフィにそう太鼓判を押されたなら、ノレアとしても従う他はない。そして今のところその判断は正しかった。

  • 1402_2/623/03/11(土) 20:02:53

    ただ、まだ旅は半分も進んでいない。何のアクシデントもなかったとしても、途中で一泊した上で車を走らせ続けなければ目的地にはたどり着けない。その間ずっとこの男が従順に従ってくれればいいが、フォルドの夜明けの本拠から遠く離れれば離れるほど彼の気が変わる可能性は高まっていくだろう。

    ――やっぱりエサを与えておいたほうがいい。念には念を押さないと。

    ソフィには相談していなかったことだが、ノレアは心のなかで決意した。
    この旅を完遂することだけが、今の自分の望みなのだから。

  • 1502_3/623/03/11(土) 20:03:14

    まどろみから目覚めたソフィがちらりと横を見ると、ノレアが思い詰めたような表情をしている。
    彼女が何を考えているのか、なんとなくソフィにはわかった。ボブをいまいち信用しきれないのだろう。

    ――ったく、ノレアは頭いいけど頭でっかちなんだからさぁ。ボブはよく分からないヤツだけど、別に深く疑う必要なんてないのに。

    口を動かすほどの力が湧かないので胸中でそうつぶやいてから、はて、ではなぜ自分はここまで彼を信用しているのか、とソフィは首を傾げる。戦争を起こし、地球から全てを奪い、今もなおアーシアンを弾圧するスペーシアン。ボブだってその一人のはずだ。
    それなのにこいつは信用できる、と思ったのは……そこまで考えを進めると、記憶が一時的に戻ってきた。

    一旦は興味を失ったはずの青年にソフィが再び声をかけるようになったきっかけは、兵士たちの暴行の度が過ぎ始めたことだった。誰からも止められないと、虐待というやつは果てしなく醜くエスカレートしていく。酔った兵士たちが、常に無反応なボブの泣き顔を見ようとナイフを持ち出したところで、さすがにソフィも嗜虐心より不快感のほうが上回った。

  • 1602_4/623/03/11(土) 20:03:42

    「そんなやり方しか知らないの? あんたらは虐め方ってものがわかってないねぇ」
    兵士たちにそう吐き捨ててボブを連れ出すと、難民キャンプで遊ぶ子供たちの前に、ソフィは彼を引き出した。
    子供たちの注目がこちらに集まるまで待ってから、告げる。
    「このお兄さんはスペーシアンで、フォルドの夜明けのデスルターを壊した罪がある。だからお前らが罰を与えてやりな」
    ちょうど雨上がりで、土が濡れていた。だからソフィは子供たちに泥団子を作ってぶつけるよう指示した。もちろんボブには銃を突きつけ、動かないように命令した上で。
    「くらえスペーシアンっ!」
    「思い知れー!」
    無抵抗の目標を与えられた子供たちは、たちまち群がってボブに泥をぶつけ始めた。
    ボブに対してナイフを持ち出した兵士たちも、力ない子供たちに辱められるボブの惨めな姿を見て、納得と嘲笑を浮かべて去っていく。
    その日以降、ボブへの直接的な暴力は減り、代わりに子供を使った間接的な虐めが増えていった。

    ……あれ? ここまでだと別にあたしはボブを信用してないな。それから何があったっけ……?

    記憶をさらに掘り返そうとしたところで睡魔に捕まった。ソフィは再びまどろみの中に戻っていく。

  • 1702_5/623/03/11(土) 20:04:07

    ――左に行け?
    青年は首を傾げ、命令してきたノレアに聞き返した。
    モヤのかかったような頭でも、それが街へ向かう道ではなく遠ざかる道だということは判る。ソフィの容態がバックミラー越しでもただごとではないのも把握している。早く街の医者に診せなければいけないのではないか。左に行ってしまっては街から遠ざかる。
    「左に行って」
    ノレアから繰り返し告げられたので、青年は口を閉じ、ハンドルを左に切った。
    自分はもう、何に対しても逆らうべきじゃない。疑問を持たず、ただ言われたとおりにすべきだ。

    捕虜生活が始まった当初は、まだ逆らう気概は残っていたかもしれない。眠れないことに悩まされながら、労役をこなし、兵士たちの暴行に歯を食いしばり、脱出の機会を伺っていた。逃げれば一つ、進めば二つ。すがるようにしてその呪文を口の中でつぶやき、ありとあらゆる苦痛に耐えた。
    絶対に宇宙に帰る。帰って、そして弟に謝罪しなければ。たとえ弟から殺されてもいい。兄として、父の最期を伝えるという務めだけは果たさなければ。
    その一念が、青年を支えていた。

  • 1802_6/623/03/11(土) 20:04:25

    その最後の一念が消滅したのは、いつだったか。
    『ジェターク社がグラスレー社に買収されることが、正式に決定しました。宇宙開拓の黎明期から続く名門ジェターク社の、事実上の消滅です……』
    兵士たちが見ていたテレビから、ニュースキャスターの声が流れる。青年は愕然としてテレビに見入った。
    先のデリング総裁暗殺未遂事件に、ジェターク社のMSが大量に使われ、死亡した現CEOにテロを主導した疑いが持たれたこと。
    次期CEOと目されていた青年自身が行方不明扱いだったために、誰を次のジェターク社のトップに据えるかを早急に決めることができず、テロ疑惑への対応が遅れたこと。
    それが、ジェターク社の命運を決めた。決めてしまった。
    「……全部、俺のせいで……?」

    自分が父さんに逆らわなければ。
    自分が家出しなければ。
    自分が輸送船から逃げ出さなければ。
    自分が黙って父さんに殺されていれば。
    こんなことにはならなかったのに。
    父さんが大切に守ってきた会社を、弟の居場所を、潰すことになんてならなかったのに。

    すべてを悟った瞬間、青年の心は完全にへし折れた。
    いくら呪文をつぶやいても、もう心は微動だにしなかった。
    なぜ自分がまだ生きているのか、それすらもわからなくなった。

    ――あの泣き声が聞こえなかったら、俺はもう、この世にはいなかった。

    ぼんやりとそう自覚して、生ける屍は車のハンドルを握る。

  • 19二次元好きの匿名さん23/03/11(土) 20:29:43

    続きが楽しみだ。頑張ってくれ

  • 20二次元好きの匿名さん23/03/11(土) 22:03:54

    続きを正座待機

  • 21二次元好きの匿名さん23/03/11(土) 23:21:41

    楽しみにしてる

  • 22二次元好きの匿名さん23/03/11(土) 23:32:17

    いいね…
    こういうボブ浴びるほど見たい

  • 23二次元好きの匿名さん23/03/12(日) 08:14:00

  • 2403_1/623/03/12(日) 09:34:25

    ノレアはほっと一息つく。
    一日目の行程は無事に終わった。予め決めておいた宿泊場所、安心して一夜を過ごせる程度には信頼できる宿に、車が滑り込む。
    3つのベッドとシャワーを備えた部屋を借りると、ボブにその部屋までソフィを運ばせ、寝かしつける。
    運び込んだ荷物は最低限。三人分の着替え――ボブのものはフォルドの夜明けの備品をくすねた――と、貴重品入れ、そして自分の拳銃。それくらいだ。
    ボブに先にシャワーを浴びるよう指示してから、ノレアはソフィの服を脱がせ、手早く体を拭いていく。汚れと汗を拭って新しい服を着せ直す。すでに慣れっこだったので5分もかからなかった。
    ソフィがこんな風に不意に意識を失うことが増えたのは、ここ一週間のことだ。彼女の先が長くないことを悟ったのも同じ頃だ。そして、この旅に出ることを決心したのも。
    なんとしても、この旅を完遂しなければならない。そのためには。

    「……出たぞ。言われたとおり念入りに汚れを落としたが……」
    のそのそと男が部屋に戻ってくる。
    ノレアは顔を上げ、彼に告げた。
    「次は私がシャワーを浴びる。横にでもなってて。……言っておくけど、ソフィに変なことをしたら殺すよ」
    「何もしない。する気もない」
    無気力な男を横目に、ノレアはシャワールームに入る。

  • 2503_2/623/03/12(日) 09:34:50

    ――久しぶりだ。
    シャワーを頭から浴びていると、妙な感慨が湧く。魔女になる前の自分はこれで日銭を稼いでいたはずだが、そのあたりの記憶はもうおぼろげにしか残っていない。ただ、あのとき自分自身に言い聞かせていた言葉はよく覚えている。
    ――身体を売るだけ。心を売るわけじゃない。
    それで踏ん切りをつけると、ノレアはシャワーを止めた。手早くバスタオルで水気を拭うと、そのまま身体に巻き付ける。

    「契約なさい。私を一晩好きにさせてあげる。その代わり、明日一日は黙って私の指示に従って」
    バスタオル姿で部屋に入ると、ベッドに横になっていた男にそう告げる。
    彼の顔がこちらを向いた。が、その濁った目は何も映していないようだ。
    少しばかり苛立ち、ノレアは続けた。
    「理解できない? それとも、スペーシアンの女はこんなことはしないとでも言いたいの?」
    「…………」
    「ぜんぶ私に言わせる気? あんたはね、今から私を抱くのよ。その代わりに、あんたは明日一日だけ私の奴隷になる。どう、お得な契約でしょう?」
    ここまで説明してやっても、男の表情は動かない。その目は死んだままだ。
    だが彼は一つ嘆息すると、むくりと起き上がり、上着を脱ぎ始めた。

  • 2603_3/623/03/12(日) 09:35:19

    新しい服に着替えさせられたあたりで意識を取り戻したソフィは、手足が動かせない自分をもどかしく思いながら、内心でかなり焦っていた。

    ――ちょっと待ってノレア、本気? それ本気? そんなことやるって言ってなかったじゃん。で、本当にやるの? 今ここで? あたしがすぐ傍で寝っ転がってるのに? あたし意識あるよ? 身体は動かないけど耳はちゃんと機能してるよ? 背後から聞こえる相棒の喘ぎ声で悶々しろっての? それってアレだ、放置プレイってやつ? うわちょっと興奮してきた。じゃなくて、ノレアってそういう性癖? 見せつけたい願望があるの? 普段は堅物のくせしてなかなか変態だなオイ。

    目まぐるしく思考を働かせながら、しかし脳の別の部分は冷静に結論している。
    ボブは自分たちには手を出さない、と。
    彼にそれだけの信用を置ける理由を、ソフィはすでに思い出していた。そう、あれは……ボブを椅子代わりにして子供たちに食事をとらせていたときのことだ。
    その日の食事にはナジの菜園で取れたプチトマトが付いていた。あとから思えば、一つ丸ごとではなく二つに切って出すべきだったが。
    「……んぐっ!?」
    ボブの背中に腰掛けていた子供――ミハエルという少年が、誤ってプチトマトを喉につまらせた。地面に転がり、のたうち回る。ボブを見張っていたソフィは慌てて駆け寄った。スペーシアンのガキが何人死のうが心など傷まないが、さすがに彼女とてアーシアンの子供に眼前で死なれては寝覚めが悪い。
    ソフィはミハエルの背中を叩いて吐き出させようとした。が、上手くいかない。戦傷の応急処置なら慣れたものだったが、子供の窒息への対処は経験がなかった。
    やがてミハエルは白目を剥いて痙攣を始める。そのさまを見て、周囲の子供たちが恐慌に駆られた。何人かが声を上げて泣き始める。だがそばに大人は誰もいない。助けに来る者は一人もいない。
    「どけっ!」
    次の瞬間、ソフィは大きく跳ね飛ばされた。地面に転がったソフィが受け身を取って顔をあげると、大男が背後から両腕でミハエルを抱きしめ、拳で腹部を強く圧迫している。
    「何やってんだテメェ!」
    ソフィは反射的に銃を構えた。しかしボブはこちらに一切構うことなくミハエルを抱きしめ、何度も強く揺さぶっている。
    やがて、ミハエルの口からプチトマトが転がり出た。

  • 2703_4/623/03/12(日) 09:35:53

    その後もボブは、少年の呼吸の有無や体調をしっかり確認したあと、彼を医務室に送り届けるところまで完璧にやってのけた。その目は死んだままにも関わらず、だ。

    「なんで助けたの? アーシアンの子供を、スペーシアンがさ」
    医務室から戻ってきたボブにそう尋ねても、彼は無反応だった。ソフィは口調を強めて聞き直す。
    「あんたを椅子代わりにしていた子供をどうして助けたのかって聞いてるんだよ。それがスペーシアン流の博愛主義ってわけ?」
    どう皮肉ろうが、子供の命を救ってもらった時点でこちらの負けである。それを自覚しつつもソフィは聞かざるを得ない。
    ボブは数秒ほど無言だったが、やがてぽつりとつぶやいた。
    「泣き声が、聞こえたから。だから、助けなきゃと思った。それだけだ」
    これだけ傷ついて、これだけ侮辱されて、何もかも失ってもなお、そんな返答が出てくるのか。
    ならこの青年のお人好しは、何があろうと絶対に揺らがない。ソフィはこの時点でそう悟った。

    翌日、ソフィはボブを子供たちの前に連れ出し、宣言した。
    「このお兄さんは昨日、ミハエルの命を救った。よって罪一等を減じ、今後は罪人ではなく雑用係のボブになる。
     ……だからもうこいつに泥団子投げたり椅子代わりにするのは禁止ね。わかった?」
    「はーい」
    子供たちの唱和が響く。ミハエルの件はすでに難民キャンプの年少者全体に広まっていたらしく、ソフィの宣言はあっさりと承諾されたのだった。その後の子供たちは、ボブを対等に近い存在として扱うようになった。

    「なんでスペーシアンのあんたが、アーシアンの子供にここまでしてやるわけ?」
    ありあわせの材料で作ったベーコンのパイを子供たちに振る舞うボブに、そう聞いたことがある。
    完全に死んだままの目で、彼はぼそぼそと、こう言った。
    「たまには旨いものが食いたいってこいつらが言ったから。……その程度のこと、叶えてやらなきゃ可哀想だと思った」
    この青年は、そういうヤツだった。

    ――だからまあ、そいつはノレアを抱かないよ。年下相手にそんな気なんて起こせないさ。

    まどろみながら、ソフィは背後の相棒に心中でそう語る。
    睡魔の手が彼女を捕まえ、眠りの園へと引きずり込んだ。

  • 2803_5/623/03/12(日) 09:36:12

    「私を一晩好きにさせてあげる」
    バスタオル姿で戻ってきた少女からそう言われたとき、青年は確かに驚いた。ずっと動かなかった心が動揺するのを自覚する。もちろん劣情のためではなく、テロリストにしてガンダムのパイロットである彼女がそんなことを口にした事実に驚かされたのだ。
    「スペーシアンの女はこんなことはしないとでも言いたいの? ……あんたはね、今から私を抱くのよ」
    だがむしろ、表情は動かなかった。何歳も年下であろう少女がそんな提案をしてくること、そしてこの地球では恐らくこんな光景が日常茶飯事であること、その両方があまりにも痛々しい。こんな状況で提案に乗る人間がいたとしたら下衆を通り越してむしろ大物だと、皮肉ではなく青年は思う。
    ふと脳裏をよぎったのは、輸送船の先輩たちに連れて行かれた夜の街の光景。やたらと露出度の高い服の女性たちと先輩が繰り広げる下世話な会話を、少しだけドギマギしつつ隣で黙って聞いていたことを思い出す。そのときの経験は――いや、残念ながらこの場では役に立ちそうにない。
    「…………」
    少し考え、青年は上着を脱いだ。断りの理由が服の下にあることに気づいたのだ。
    「悪いが、今の俺は怪我人でね――お前たちのお陰で。だからそういうことはできん」
    全身あらゆる箇所に擦り傷切り傷内出血。テロリストたちに毎日のように殴られ続けた結果だった。最近はだいぶマシになったとは言え、癒えていく傷よりも殴られて増える傷のほうが多いことには変わりない。
    ソフィと違ってノレアはスペーシアンの捕虜たちを見物に来ることなどなかったから、彼のこの状態は予想外だったのだろう。息を飲み、青年の上半身を見つめている。
    「言っておくが、マゾの気もないぞ。だから肉体的接触なぞお断りだ、拷問にしかならん。今日のところはお引取り願う」
    「……」
    しかし、ノレアは黙ってこちらを睨みつけている。憎まれ口でも叩いてすぐに引き下がるかと思ったが、何が気に食わないのか、どうも感情を悪化させたようだ。青年は慌てて付け加える。
    「ああ、明日の件については別に構わん。というか、テロリストに一日殴られずに済むだけでもありがたい。お前の言うとおりに行動する」
    「…………」

  • 2903_6/623/03/12(日) 09:36:31

    「……どうした。何か気に触ることでもあったか?」
    「……そう。看病してほしいってこと?」
    「ん?」
    よくわからない返答に、青年は思わず真顔になる。しかしこちらの理解が追いつくのを待たず、ノレアは更にまくし立ててきた。
    「アーシアンの兵士に虐待されたから、だから同情して看病しろと。この私に、スペーシアンのことを慮れと言うわけね」
    「えー……と? いや別に、そんな望みは」
    「ええ、あんたの要求は当然よ。たとえスペーシアン相手でも捕虜虐待なんて恥ずべきだわ。それは私たちの落ち度。あんたの傷を癒やす義務はこちらにある。でもそれであんたに同情しろっての? そんなことをするくらいなら身体を売ったほうが100倍マシよ」
    「いや、だからだな。お前は別に同情なんてしなくていいし、俺の看病だってしなくていいんだ。あとそろそろ服を着てくれ」
    「看病するに決まってるでしょう。スペーシアンに借りを作ったままだなんて死んでもゴメンだわ。それと私の服の心配なんて余計なお世話」

    ……なんなんだ?

    正直、意味がよくわからない。だが憤る少女を拒否するほどの気力は、今の青年にはなく。
    結局その夜は、服を着直して車から応急箱を持ち出してきたノレアから、全身の傷をいじくり回されることになった。
    「っ痛! ……なあ、もうちょっと滲みない消毒液はなかったのか?」
    「贅沢言うな。さ、背中は終わり。じゃあズボン脱いで」
    「いや待て、そこはさすがに俺がやる」
    「スペーシアンに借りを作る気はないって言ったでしょう。黙って脱ぎなさい、ボブ」
    少女はずっと、不機嫌なままだったが。
    少なくとも傷の処置は、すべて丁寧ではあった。

  • 30スレ主23/03/12(日) 09:41:01

    ●業務連絡
    皆様、読んでいただきありがとうございます。励みになっております。
    ちょっと終章が苦戦しておりますので、時間稼ぎとして、今後は1日1回(基本的に深夜~早朝に投下)のペースで投稿させていただきます。それでも2週間以内には終わる予定です。
    その間スレを落とさないよう、適宜スレ主からも保守コメや返答コメを入れさせていただきます。

    第2クール開始までの間、加古川のボブを懐かしみながら続けていきたいと思います。よろしくお願いします。

  • 31二次元好きの匿名さん23/03/12(日) 10:14:02

    ソフィやノレアのような立場の子供を搾取してるのって結局のところ同じアーシアンじゃないか
    歴史的に地球が貧しくなったのはスペーシアンが作り出した構造だとしても、子供を守ってやらないのも、ガンダムを造って子供に戦わせるのも、アーシアンの大人がしていることじゃないか
    ノレアは「全部スペーシアンが悪い」と思い込まされているか、あるいはそう思い込まなければ耐えられなかったんじゃないかって思えるんだよな

  • 32二次元好きの匿名さん23/03/12(日) 10:17:16

    無理せず頑張って下さい
    楽しみに待ってます

  • 33二次元好きの匿名さん23/03/12(日) 10:55:24

    グエル……心が死んでいようとも他人のために動けるのか

  • 34二次元好きの匿名さん23/03/12(日) 11:50:53

    凄い…何となくで思い描いてた感じの加古川ボブとソフィノレにやっと出会えた気がする……

  • 35二次元好きの匿名さん23/03/12(日) 20:24:17

    保守

  • 36二次元好きの匿名さん23/03/12(日) 20:56:23

    待ってるぜー 結末が気になるからじっくり書いてくれー

  • 37二次元好きの匿名さん23/03/13(月) 00:50:39

    ところでスレ画のボブかわいいね

  • 3804_1/423/03/13(月) 05:25:16

    ノレアが目覚めてみると、隣のベッドで、相棒が意識を取り戻していた。
    「ノレアー、お腹空いた~ぁぁ……」
    とろんとした目で呑気につぶやくソフィの姿に苦笑しつつ、少女はベッドを離れる。
    と、同じタイミングで男がむくりと起き上がったのを目にした。その表情がいつもにも増して曇っているのが気になり、尋ねる。
    「あんた、ちゃんと眠れたの?」
    「……まあ、どうにか」
    「あんまり疲れがとれたように見えないのだけれど」
    「今日は、泣き声がいつもよりよく聞こえたから……」
    よく判らないことをぼそぼそつぶやく男に、ノレアは内心で不安を感じた。果たして最後まできちんと運転手兼荷物持ちを務められるのか、と。
    しかしここまで来てしまった以上、彼以外の代役を見つけることも困難だった。どうにか負担を減らしつつ頑張ってもらうしかない。
    「あんたは出発時間まで寝ていて。朝食は私が持ってくるから」
    そう告げて部屋を出ようとすると、男がベッドの上に座ったままで声をかけてきた。
    「なあ、ソフィを早く医者に診せなくていいのか? いやそもそも、なんでこんな場所まで遠出してきたんだ?」
    今までほぼ最低限の受け答えしかしてこなかった男が、急にそんなことを尋ねてきた。そのことにノレアの警戒心が灯る。一瞬、銃による脅しも脳裏をよぎる。
    が、結局ノレアは正直な返答を選ぶことにした。男の目はやはり死んでいる。強く言えば問題なく押し切れるはずだ。
    「医者に診せても無駄。ソフィはもうじき死ぬわ。ガンダムの呪いのせいでね」
    「……え? ちょ、ちょっと待ってくれ、確かに意識朦朧としている時間があるようだが、しかし」
    「身体的にはまだ無事よ。でも、一日のうちでまともな意識を保っていられるのは数時間かそこら。ここ最近のことを思い出すこともできなくなりつつある。つまり、もうソフィはパイロットとしては使えない。で、使えないガンダムパイロットはどうなると思う?」
    「…………」
    男は呆然としている。やはりソフィは、彼にガンダムのことを何も話してはいなかったようだ。
    ノレアは嘆息し、自分の相棒に待ち受ける運命を告げた。
    「交換。新しいパイロットがやって来て、ソフィは回収され、処分される」
    「処分。処分って……」
    「焼却処分じゃない? もしくは研究目的で解剖処分。少なくとも、処分対象となったパイロットを、私は二度と見ることはなかった」

  • 3904_2/423/03/13(月) 05:26:47

    事実を知らされた男は、軽くパニックになっているようだった。口を何度か開閉させ、そして意味もなく天井を見上げる。
    やがて男は、すがりつくような視線をこちらに向けてきた。
    「……そうか、だからお前は、ソフィを処分されないようにするために、こうして逃がそうとして」
    「違うわ」
    男の中に生まれたであろう儚い希望を、ノレアは一言で否定した。
    「逃げたって無駄だもの。どのみちソフィは長くない。少なくとも精神的にはすぐに廃人になる。この地球で廃人になるってことは、結局すぐに死ぬってことよ」
    「じゃあ……じゃあ、なんでお前はソフィを連れ出したんだ?」
    男の問いに、ノレアは少しだけ笑った。
    確かにこれは、誰から見ても嗤うべき理由だった。
    「約束したの。ガンダムの呪いで死ぬ前に、星の見える丘に行こうって。そして二人で死のうって」
    「星の……見える、丘……?」
    「ええ」

    単純で、つまらないことだ。
    まだソフィとノレアが魔女になる前の頃のこと。二人は少し遠出して山に登り、そこで一晩中、星空を眺めて過ごした。
    ただそれだけのこと。

    「魔女になる前の記憶は、私もソフィもほとんど残ってない。ガンダムに乗っていると、データストームの影響で記憶がどんどん曖昧になっていく。だから二人で共有できる記憶なんて数えるほど。
     で、そのひとつが、二人で星空を眺めて過ごした時間だった。だから死ぬ前に、二人でもう一度、一晩中星空を眺めたかった。
     それだけよ」
    ノレアはもういちど笑った。
    愚かで不合理な選択だと今でも思う。スペーシアンへの復讐を果たすために魔女になり、多くの命を殺めてきた自分が、こんな感傷的な死を選ぶなど馬鹿げている。
    だが、それでも。
    この世に残った最後の友人の死を、どうしても近くで看取りたかった。
    「幸い私たちには自決用の毒も渡されてるわ。万が一ガンダムごと鹵獲された時にデータを敵に渡さないためにね。それを使えば、ふたりとも苦しまずに逝ける」
    「…………」
    完全に黙り込んだ男を横目に、ノレアは部屋を出た。
    ソフィの最後の朝食を、取ってきてやらねばならなかった。

  • 4004_3/423/03/13(月) 05:30:01

    部屋を出ていく相棒の背中を、ソフィはぼんやりと見つめている。

    ――あーもう、ノレアもバカだなあ。真っ正直に全部明かすなんてさぁ。これじゃあ明日からまたボブが苦しむじゃん。ああそれとも、案外それが目的? サディストだねぇアンタ。

    身体はロクに動かないが、案外頭は働いた。まあ、あまり意味はなかったが。
    そしてのろのろと、ベッドの横の小机に手を伸ばす。そこにはテレビのリモコンが置かれていた。部屋を満たす重い沈黙をどうにかするつもりで、電源ボタンを押す。
    「デリング総裁がいまだ表舞台に姿を表さぬ中、グラスレー社はベネリットグループ内で大きな地位を占めつつあり……」
    朝のニュースが流れてきた。画面にソフィも知る顔が映る。
    「そのグラスレー社の現CEOのご子息として、学生の身分ながら大きな裁量を振るっているのが、シャディク・ゼネリ氏です」
    「あ、プリンス。へえ、あいつってそこまでベネリットに食い込んでたのかぁ」
    何の気なしに、そうつぶやく。
    と、不意に横から声がかかった。
    「……プリンス?」
    ボブの声だった。
    疑問、というよりは、単にソフィのつぶやきに反射的に反応しただけのようだったが。
    ソフィもまた、テレビに見入ったまま反射的に返答する。
    「うん。プリンス。あたしたちはこいつをそう呼んでる。何度かこいつから依頼を受けたよ。デリングをぶっ殺せってのもプリンスからだったかな。確かノレアがそう言ってた」
    そして内心で首を傾げる。あれ、これって機密事項だったっけ? どうも最近は理性のタガが外れがちだ。
    ふとテレビから視線を外して横を見やると、青年がこちらを凝視していた。
    目は死んだままだったが、口がぽかんと開かれている。
    やがて彼は唾を飲み込み、ゆっくりと尋ねてきた。
    「シャディクが、デリング総裁の暗殺を、お前たちに依頼した……?」
    「あ、えーと」
    ぼんやりとした意識の中で、今更ながらに自らの失言に気づく。一般人にこんなことを漏らしてしまうとは、これではノレアのことを笑えない。いやむしろぶん殴られる。
    「えーと……」
    ごまかしのセリフを求めて頭を巡らすが、こんな時に限って壊れかけの脳みそは上手く働いてくれない。

  • 4104_4/423/03/13(月) 05:30:32

    ボブが身を乗り出してきたとき、ソフィの頭は真っ白のままだった。
    「ソフィ、それは本当なのか?」
    「いや、嘘。冗談。だから忘れて」
    「頼む、教えてくれ」
    「ダメ。機密事項。いや、そうじゃなくてただの嘘。冗談だから」
    「ってことは、本当なんだな」
    「違う、嘘で冗談。そもそもあたしは詳しいことを何も知らないし」
    「ノレアのほうが詳しいのか?」
    「ノレアに聞くな! あいつ真面目だから、ボブが殺される!」
    自分でも驚くほど大きな声が出た。それはノレアに今更殺人などして欲しくなかったからか、それともボブに死んでほしくなかったからか、その両方か。
    ともあれソフィは、自分の声の大きさが、青年の疑念を確信に変えたことに気づく。
    ――あっちゃぁ……。
    頭を抱えたくなった。腕が上手く動かないせいでそれすらできなかったが。
    もうどうしようもないと腹をくくり、ソフィはベッドに寝転がったまま、真正面から青年を説き伏せることにした。
    「ボブ、聞いて。あんたはこの旅が終わったら解放する。捕虜生活に戻る必要はないの。で、旅の目的地から20kmほど離れたところに宇宙港がある。車と残った現金はあんたにあげるから、それをどうにかやりくりして、シャトルのチケットを買って宇宙に戻りな」
    「いや、待ってくれ、さっきの話を」
    「ダメ。さっきの話は墓場まで持っていけ。あんたみたいな善良な一般人が口にして良いことじゃない。あんただけじゃなく、あんたの家族や友人にまで迷惑がかかる。
     ベネリットグループに関わらなければ、テロなんかに巻き込まれずに過ごせるはず。だから、何も聞かなかったことにして生きてよ。
     ……お願いだから、ね?」
    スペーシアンが口封じで何人殺されようが良心など傷まない。だが眼の前の何も知らないお人好しが謀略に巻き込まれて死ぬのは、何か間違ったことだとソフィには思えた。だから誠心誠意を込めて頼み込む。
    それが通じたのか。
    「……わかった……」
    渋々といった態ではあったが、ボブは引き下がってくれた。ノレアが戻ってくる前に説得できたことに、ソフィは心から安堵する。
    「本当、頼むよ。あたしの失言であんたに死なれたら寝覚めが悪すぎる……あの世に寝覚めがあるかは知らないけどさ」
    下手な冗談を口にしてから、ソフィは目を閉じた。
    疲れた。少しばかり一休みしよう。

  • 42二次元好きの匿名さん23/03/13(月) 08:08:16

    魔女に……魔女たちに救いはないんですか……

  • 43二次元好きの匿名さん23/03/13(月) 14:50:45

    気になる展開だ

  • 44二次元好きの匿名さん23/03/13(月) 22:24:19

    保守
    雰囲気大好き ストーリーも楽しみ

  • 45二次元好きの匿名さん23/03/13(月) 22:34:32

    夜明けは来ると信じたい
    魔女達は星降る夜の中で眠ることを望んでいるとしても

  • 46二次元好きの匿名さん23/03/14(火) 01:01:51

    飛べる!
    踊れる!!
    エアリアルぅ~~!!
    ⊂( ^ω^)⊃

    保守

  • 4705_1/623/03/14(火) 06:03:58

    呆然としたまま、青年は無為に時を過ごす。
    ノレアが朝食を持ってきたときも。朝食を片付けるときも。宿を出てノレアたちの目的地に向かい車を走らせるときも。車内で昼食を取るときも。
    何か言う機会はいくらでもあった。しかし青年は口を閉じ、ただハンドルを握り続けた。

    実のところ、最近のソフィの変調には気づいてた。たびたび難民キャンプを訪れてはガンダムの戦果を子供たちに自慢する彼女が、ときどき漏らす単語――パーメットリンク、データストーム、そしてガンダムの呪い。それが彼女自身を少しずつ死に追いやっていることは、青年も薄々察していた。
    実のところ、弟の苦境は頭にあった。父と兄を同時に失い、そして会社をも失ったラウダがどれほどの針の筵に座らされるか、想像したことは一度や二度ではない。

    だが青年は何もしなかった。自責の念に押しつぶされたという理由で、ただ屍のように座り込み続けた。

    その結果がこれだ。
    この車を走らせた先で、ソフィが、ノレアが死ぬ。
    シャディクに乗っ取られるであろうベネリットグループ内で、ラウダは間違いなく、命の危機に晒される。

    何をすればいい。何ができる。ハンドルを握る青年がそう考えなかったわけではない。だが答えはすぐに同じところに行き着く。

    ――何もできない。

    ほんの一ヶ月前、ジェターク社が健在だった頃であれば、まだいくらでも手はあった。会社の力を利用して然るべき人や機関に連絡し、助力を乞い願うことができただろう。
    だが今、ジェターク社は存在しない。テロリストの親玉の会社に吸収されてしまった。
    そして家を失い、地球へ転がり落ちた青年に、頼れる先など存在しない。

    ――それでも、俺個人の力で……

    何度かそう考えた。だが一体何ができるというのだ。
    ソフィの身体を癒やす方法など自分は知らない。
    ジェターク社という後ろ盾を失った自分に、巨大企業の陰謀など止めようがない。

  • 4805_2/623/03/14(火) 06:04:31

    そして何より。

    『さっきの話は墓場まで持っていけ。あんたみたいな善良な一般人が口にして良いことじゃない。あんただけじゃなく、あんたの家族や友人にまで迷惑がかかる』

    ソフィの言葉が重くのしかかる。
    思えばつい二ヶ月前、自分の行動のせいで父は死に、ジェターク社は消滅した。
    今回もそうなるのではないか? たとえ弟たちにコンタクトを取ることができたとして、彼らが真相を知ったせいでシャディクに消されないという保証はあるのか?

    フロントガラスの向こうに夕日が沈んでも、青年は苦悩し続けることしかできない。
    周囲がすっかり夜の闇に墜ち、目的地のすぐそばまで車が至った頃、青年はようやく決心をつけることができた。
    何もしないという決心を。

    ――こいつらはテロリストじゃないか。クエタで大勢の人を殺した。それ以外にも沢山の人を殺してる。そんな奴らが死ぬなら、ただの自業自得だ。同情すらくれてやる必要はない。
    ――俺はもうベネリットグループともジェタークとも無関係の人間だ。名を捨て、アスティカシアを飛び出した時にそう決めたじゃないか。ならば今更ベネリットグループがどうなろうと、ジェタークがどうなろうと、どうでもいい。危険を犯して何かをする必要なんて無い。

    青年は必死に自分にそう言い聞かせた。
    そして笑みを浮かべようとした。卑怯者の笑みを。

    表情は動かなかった。

    泣き声はもう、聞こえなかった。



    ……旅の終着点に、車が辿り着いた。

  • 4905_3/623/03/14(火) 06:05:19

    車から降りたとき、周囲の光景に、青年は目を見張った。
    宇宙など生まれた時から見慣れていた。地上から見上げる夜空だって、ここ二ヶ月で何度も目にした。
    だが、この場所から見上げる空は違う。
    「地球が大昔、まだ繁栄していた頃から、ここは夜空を見る名所だったそうだけど……期待していた以上ね」
    後部座席から降りたノレアも、空を見上げて微笑んでいる。
    星々は宇宙で見たそれと違って、ひとつひとつがキラキラと瞬いていた。それは幾重にも連なる大気の層を星の光が通ることによる錯覚だと、知識では知っている。だが実際に目の当たりにすれば、全天を覆う無数の輝きに圧倒された。
    「私たちの記憶の場所には……私たちの故郷には、もう帰れないけれど。でも、ここなら充分、最期の場所として満足できる」
    そしてノレアは後部座席を指さし、眠るソフィを連れ出すよう青年に促す。
    青年は無言でソフィを背負い、ノレアとともに歩き始めた。
    丘の頂上、最もよく夜空が見える場所が、二人の最期の場所だった。

    ゆっくりと歩きながら、青年は思う。
    地球から見上げる宇宙は、まるで巨大な天蓋だ。広大な大地の上に無限に広がり、無数の輝きを放ちながら、人の矮小さを思い知らせるかのごとく頭上のすべてを覆う。宇宙開拓時代に人類が急ぐように地球を離れたのは、この重々しさから逃れるためだったのかも知れない。地上に残った人々は、この神々しく圧倒的な空を見上げ、何を思うのだろう。

    感傷に浸る間に、程なくその場所にたどり着く。
    ノレアは地面にレジャーシートを広げると、わずかに意識を取り戻したソフィを座らせ、その隣りに自らも腰を落ち着ける。
    少女は青年を見上げ、告げてきた。
    「さっきも話したとおり、あんたはもう自由。宇宙に帰るも地球に残るも好きにして。
     ……もういいわ、行っても」
    言われるがままに青年は踵を返す。10歩ほど離れたところで、ふと後ろを振り返った。
    ノレアとソフィが、肩を並べて地に座り、空を見上げている。ガンダムから降り、魔女でなくなった二人は、今はもう年相応の子供にしか見えない。
    そして夜空に包まれ、自らの死を静かに受け入れている。

    ――そうか。この光景は、お前たちの棺か。

    青年は悟った。

  • 5005_4/623/03/14(火) 06:06:00

    なんて美しい棺だろう。
    青年は羨ましくさえ思う。
    神々しく輝く空と、どこまでも広がる大地から祝福を受け、それと一体化し、無に還る。
    理不尽な短い生を強いられた末に、彼女らはそのような最期を選んだのだ。

    ――だったら、俺ができることなんて、何もない。何も……

    今度こそ青年は振り返らず、もと来た道を引き返す。







    「……うえっ」





    でも。
    泣き声が聞こえた。

  • 5105_5/623/03/14(火) 06:06:25

    青年は振り返る。
    幻聴ではなかった。
    少女が肩を震わせ、泣いていた。
    「……!」
    即座に駆け寄る。
    両肩を掴んで強引に揺する。
    「おい!」
    「…なっ、何よあんた!? いきなり帰ってくるな!」
    驚くノレアの表情は、夜の闇に隠れてよく見えない。だが鼻にかかったような声ではっきりと分かる。
    少女は泣いていた。死の恐怖に怯えていた。
    「怖いんだな!?」
    「こ、怖くなんかないっ! 離してよ、あっち行ってよ!」
    「死にたくないんだな!?」
    「死、死にたく……死ぬのが怖いわけじゃない、いいから離してっ、お願いっ」
    常に冷静だった少女は、今や完全に取り乱していた。幼児のように手を振り回し、いやいやと首を振っている。
    そんな彼女と押し問答を続けていると、横から声がかかった。
    「あー、やっぱりね。ノレアは命が惜しいんだ。……生きたがりなんだよ」
    ソフィだ。
    赤髪の少女は、狂乱する友人を見て笑っている。
    星の明かりしかない闇夜で、彼女の微笑みだけは、不思議とはっきり見えた。
    「ねえボブ、ノレアだけでも連れて行ってくれない? あたしと違って、もう少しだけ生きられるからさ。だから、人間らしい生き方をさせてあげて。ほんの少しでいいから、さ」
    「ちょ、待ってソフィ、そんなこと言わないでっ」
    「ねえノレア、今くらいは素直になりなよ。ここで死ぬのはあたしだけでいい。あんたはもう少しだけ生きなよ」
    達観したように話すソフィに、ノレアがすがりつく。
    大声で泣きじゃくりながら、少女は友人に懇願した。
    「やだっ、やだっ、そんなこと言わないでソフィ、置いて行かないで。私を一人にしないでよっ。
     お願い、まだ死なないでソフィ!」

    瞬間、青年は二人を両手で担ぎ上げた。両肩に一人ずつ乗せて、もと来た道を戻り始める。

  • 5205_6/623/03/14(火) 06:07:25

    「離せっ、離してっ。元に戻せっ、戻せったらっ」
    「ボブぅ。ノレアだけでいいってばぁ……あたしを連れてっても重いだけだってばぁ」
    少女二人の言葉を無視して、青年は走り始めた。

    まだだ。
    まだ二人は生きている。
    死を受け入れてなどいない。
    だったら、まだやれることはある!

    「ボブ~。なんかアテでもあんのぉ? ノレアだけにしとけよぉ、重荷を増やすなよぉ」
    「アテなんか無い! だが何とかする! お前は黙って休んでろっ!」
    大声で叫ぶ。
    闇に閉じ込められた世界の中を、青年は全力で疾駆する。

    夜空は相変わらず威圧的なまでに壮大で。
    大地はどこまでも広く。
    人間は矮小に地を這いずる。

    でも、それでも。

    「お前はまだ生きてる……まだ死んでないんだ。なら、まだできることはきっとある。だから」
    泣き続ける少女に――否、自分自身に向けて、青年は吠えた。
    「諦めるな! 逃げてもいい……けど、考えを止めるな! 受け入れるな! 絶対に、屈するなっ!」

    夜の片隅に、小さな泣き声が響く。
    この声だけが、いま青年が走る理由だった。

  • 53二次元好きの匿名さん23/03/14(火) 07:01:21

    折れた人間が立ち上がる瞬間は
    美しい

  • 54二次元好きの匿名さん23/03/14(火) 10:11:53

    泣いちゃった

  • 55二次元好きの匿名さん23/03/14(火) 10:19:33

    満天の星空の下で青年と魔女は再生への旅路を始めるんだ
    ベツレヘムの星が瞬いたんだ

  • 56二次元好きの匿名さん23/03/14(火) 10:52:11

    めちゃくちゃ面白い
    続きが気になる

  • 57二次元好きの匿名さん23/03/14(火) 10:56:09

    君よ気高くあれ

  • 58二次元好きの匿名さん23/03/14(火) 19:03:58

    ほしゅ

  • 59二次元好きの匿名さん23/03/14(火) 22:35:03

    ほしゅ ゆっくり書いてくれー 待ってるぜー

  • 60スレ主23/03/14(火) 22:51:25

    皆様、お読みいただきありがとうございます。
    現状、最終章を書くのに集中しており、返答ができず申し訳ありません。しかし感想はどれも励みになっております。本当にありがとうございます。

    物語はちょうど三分の一を過ぎたところです。ここまでは登場人物は3人だけでしたが、これから少しだけ増えていきます。
    特に理由がない限りは、このまま早朝に1話ずつ投下を続けていきたいと思います。

    明日は第6話「ミオリネ・レンブラン」の予定です。お楽しみに。

  • 61二次元好きの匿名さん23/03/14(火) 23:49:44

    文章がすごい好きです!
    続き楽しみにしてます

  • 62二次元好きの匿名さん23/03/15(水) 00:13:34

    社長が来んのか……興奮してきたな
    書く方に集中してくれた方が嬉しいっすよ のんびり保守りながら待ってます

  • 6306_1/623/03/15(水) 05:18:22

    宇宙港の近郊まで車を飛ばし、ノレアから渡された財布の金を使って信用できそうな宿を借り、二人をそこに放り込む。
    そのあとはどうにかネット環境を見つけて情報を探ったり、地球人の労働者たちの会話に混じって噂話を拾う。幸いにも、アスティカシア学園を飛び出してから輸送船での仕事にありつくまでの経験が大いに役に立った。

    そうして得られた情報は、予想とさほど変わらなかった。

    現在グラスレー社の主導権を握っているのは次期CEOであるシャディクであり、そしてその彼がベネリットグループの主流派に上り詰めつつある。
    他の御三家のうち、ジェターク社は子会社も含めてその大半をグラスレーに掌握され、残るペイル社は日和見を決め込んでいる。
    唯一グラスレーに真っ向から対抗しているのが、現総裁の娘であるミオリネだった。だが、意識不明のままのデリング総裁の影響力は少しずつ薄れ、また、彼女が保護する地球寮にもクエタ・テロに参加した疑いが持たれているため、日に日に天秤はグラスレーに傾きつつある。

    大まかにはこんなところだった。そしてこれ以上に詳細な情報は、この地球では得られそうにない。
    二人の少女の容態、特にソフィのそれは少しずつ悪化している。焦りを覚えながらも、しかし青年は情報を集め続けた。
    下手に動けばグラスレー社の人間に感づかれる。今はシャトルの乗客名簿もすべてチェックされているはずだから、迂闊にチケットを買えば身柄を押さえられる可能性が高い。
    自分だけ捕まるならまだいい。もし二人の少女を泊めた宿を突き止められたなら、ソフィは「回収」、ノレアはガンダムパイロットとして連れ戻されるだろう。それだけは避けたかった。

    そうして、宇宙港に来てから三日後。ようやく青年は朗報を引き当てた。
    ミオリネが先んじて購入していた地球のオフィスに、複数人の業者が出入りしているという。
    立場が悪化し、宇宙での居場所がなくなりつつある地球寮の人々が、安全を求めて一時的に引っ越してきたのかも知れない。しかもそのオフィスは、自分たちの宿からほど近い場所にあった。

    青年は意を決し、自らの幸運を信じて、オフィスの入る建物へ向かう。

  • 6406_2/623/03/15(水) 05:18:48

    オフィスの連絡先も調べてはいたが、それを使ってコンタクトを取ったところでただ怪しまれるだけだろう。悪ければグラスレーに嗅ぎつけられる恐れもある。青年はオフィス入り口の近くに潜み、地球寮の誰かが通りかかるのを待った。

    やがて見覚えのある顔がふたつオフィスから出てきた。一度見ただけで忘れようもない、ピンク色の巨大なシニョンを揺らす小柄な少女。そして対照的な印象の、青色の地味なショートカットの少女。
    今すぐにでも声をかけたい衝動を抑え、二人が人通りの少ない場所に入るのを待つ。目立つ場所での会話は避けたかった。

    「すまない、君たちはアスティカシア学園の生徒だね?」
    二人が裏路地に入ったのを見計らって声をかける。警戒心を与えぬよう、正面からゆっくりと近づきながら、かつ穏やかな声で。
    「俺はグエル・ジェ……」
    「クソスペの親玉がっ! こんなところまで追いかけてきやがったかぁぁぁ!」
    そしていきなり、棒状のもので太ももを殴られた。
    ――スタンロッド!?
    地面にくずおれながら、青年は驚愕する。いきなり逃げられるくらいは予想していたが、さすがに名乗りの途中で電気ショックを浴びせられるとは思わなかった。
    足の筋肉が一時的に麻痺し、青年は地面に這いつくばる。そこへロッドの殴打と踏みつけの雨が襲いかかった。
    「今更どのツラ下げて来やがった!? あーしらがテメェらのせいでどんな目にあったと思ってるんだっ!」
    ――しまった。
    ひとまず頭と首だけは腕でかばいつつ、青年は己の想定の甘さを後悔した。彼女らは学園で迫害を受けてここに避難して来たのだから、学生のトップに君臨していたこともある自分がいきなり姿を現せば確かにこうもなるだろう。かつての自分がそういう身分だったことを忘れていたのは、完全に失敗だった。

  • 6506_3/623/03/15(水) 05:19:12

    ――だが、逃げられるよりはマシか。
    背中に浴びせられる暴行に、青年はじっと耐える。少女としてはなかなかの筋力だがしょせんは軽量級、ここ2ヶ月大人から受けてきた暴力に比べれば大したことはない。それにたった一人で全力で殴り続けていたなら、1分もたたずに体力の限界は訪れる。
    「……もういいか? 話を聞いてもらいたいんだが」
    攻撃が数秒途切れたのを見計らって青年は立ち上がった。少女二人がぎょっとして後ずさるが、構わず続ける。
    「自己紹介の必要はなさそうなんで、すぐに要件を伝えるぞ。ミオリネと連絡を取りたい」

    二人への依頼は、意外なほど順調に進んだ。
    宇宙でテロリストに捕えられ、地球での二ヶ月間の捕虜生活の後、自殺しようとしたガンダムパイロット二人に連れ出されて脱出。振り返ってみれば随分と荒唐無稽な話であるし、実際にピンク髪の少女――チュチュの方は「ンなデタラメを誰が信じるかよ」と吐き捨てたものだ。
    だが、地味めな印象の少女のほうは違っていた。
    「貴方の目的は、そのパイロット二人の治療なんですね?」
    「そうだ」
    「……その二人の名前を、教えていただけますか?」
    「ソフィ・プロネとノレア・デュノク」
    その一言で、彼女――ニカ・ナナウラは何らかの確信を得たものらしい。チュチュの猛烈な反対を押し切り、自分をミオリネと会わせてくれると約束してくれた。
    裏に何か事情でもあるのかも知れないが、今はそちらを詮索している余裕はない。学園と地球寮の近況について、二人から駆け足で話を聞く。
    その中で一つ、気になる情報を得た。

    スレッタ・マーキュリーの長期不在。
    ある日母親とともにミオリネに別れを告げ、エアリアルとともに姿をくらませたまま、二週間以上姿を見せていないという。

  • 6606_4/623/03/15(水) 05:20:14

    「…………」
    胸がざわつくのを自覚する。しかし青年は自制した。スレッタ自身の安全を考えるなら、ベネリットグループの近くにいるよりは離れてくれたほうがずっといい。よほどのことがない限りモビルスーツで戦う機会など訪れはしないはず。
    以前の彼ならすぐにでも飛び出していたかも知れない場面で、青年は踏みとどまった。それは彼が、以前と同じではいられなくなったからだ。
    そして彼がこれから会う相手も、恐らくは。


    「お待たせしました、グエル先輩。ミオリネ社長はこちらです」
    2時間も待たされた末、ようやく社長室の扉が開く。
    数ヶ月ぶりの再開。しかし青年は、懐かしさは感じない。
    「お久しぶり。……ずいぶんと人相が変わったわね、アンタ」
    「お前もな、ミオリネ」
    ミオリネ・レンブラン。
    10年来の知り合いは、部屋の奥の執務机に両肘をつき、記憶のどこにも見当たらないほど冷徹な目でこちらを見据えていた。
    そして挨拶代わりとばかり、試すような口ぶりで告げてくる。
    「言っておくけど、ここにスレッタはいないわよ?」
    「ああ。ここに来る時にニカから聞いた」
    「……飛び出して行かないのね? 私に皮肉の一つも無し? 以前のアンタからは考えられない。それはなぜ?」
    「お前がここから飛び出していかないのと同じ理由だ」
    「……ふうん。そう」
    薄く笑うミオリネの目には、まだ10代とは思えぬほどの険がある。それはきっと、この2ヶ月間地球寮を守っていく中で刻まれたもの。
    自分自身の想いを封印し、孤独に己の責任を果たし続けた者の貌だった。

    ――大したヤツだよ、お前は。

    眼前の人間に、青年は初めて、心の底からの敬意を覚える。
    そして彼女には及ばぬまでも、今の彼にも責務があった。

  • 6706_5/623/03/15(水) 05:20:38

    青年は交渉を開始する。
    「俺の要求はニカに伝えたとおりだ。ガンダムパイロット二人の保護と治療を依頼したい」
    「無理ね。今のこっちに、これ以上厄介事を抱え込む余裕はないわ」
    即座に突き返される。しかしこの反応なら予想の内だ。青年は札の一つを切る。
    「見返りはある。彼女らはプラント・クエタのテロの黒幕を知っている。シャディク・ゼネリだ」
    二人に共通の知人の名前を出す。が、ミオリネの表情に動揺はない。
    ポーカーフェイスを貫く社長に、青年は言葉を続ける。
    「彼女らの証言があれば、ベネリットグループ内の主導権争いはお前に傾く」
    「その二人に証言させることはできるの?」
    「ああ」
    「……いえ、駄目ね。証言だけじゃ心もとない。物証はないの?」
    「今はない。が」
    一瞬だけ口ごもる。もう一枚の札は、実現できるかあまり自信がない。が、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
    「テロの実行犯を買収する。この二ヶ月で彼らの境遇を多少は理解できた。彼らは難民キャンプの生活環境の改善を望んでいる。交渉の余地は充分にある」
    「……へえ。私たちを襲い、大勢の人を殺し、ついでにウチのクソ親父に瀕死の重傷を負わせた連中に対して金を払えってわけね。それがアンタの提案?」
    ミオリネの視線が刃のように突き刺さる。だが青年は平然とその切っ先を受け止めた。
    「今のお前ならば、そんな手だって迷わず使うだろう? ミオリネ・レンブラン総裁代行」
    ミオリネは初めて表情を崩した。心底から嫌そうに唇を歪める。父親になぞらえられたことがよほど不本意だったのだろう。
    だがそれについては何も言わず、彼女は本題の話を続けてきた。
    「交渉はアンタに任せていいの?」
    「ああ。ノレアに窓口に立ってもらう」
    女社長が一つうなずく。こちらの提案に乗るという意思表示だった。

  • 6806_6/623/03/15(水) 05:20:56

    「要求はそれだけ?」
    「もうひとつある」
    青年は語気を強める。こちらもまた本題だった。
    もう一人、救わなければならない人がいる。
    「ラウダ・ニールと出会う機会を作ってもらいたい。あいつは今、シャディクの手の内だ。一刻も早く連れ戻す必要がある」
    「……難しいわね。買収したばかりのジェターク社の造反を恐れているのか、主要な役員はグラスレーの監視下で行動を制限されているわ。治安悪化に伴う警備強化という名目でね。私も何度か幹部の引き抜きを試みたけど、交渉に入ることすらできなかった」
    「それはラウダもか?」
    「ええ。警備という名の監視付きで自宅軟禁状態。通信はもちろん手紙すら検閲されてる」
    「……俺の弟を囚人扱いしやがって」
    思わず罵声が口から漏れる。が、怒りは一瞬で消え去った。
    青年は気を取り直し、女社長に要請を続ける。
    「申し訳ないが、なんとしても頼む。見返りとして、俺の操縦技術をお前に提供する」
    「アンタ好みのモビルスーツなんてここには無いわよ?」
    「それも何とかする。買収の網にかからなかった関連企業のうち、いくつかに心当たりがある」
    「あ、そ」
    女社長はそっけなくうなずいた。それが交渉成立の証だった。
    「有意義な話ができてよかったわ。ゆっくりとお互いの情報を交換したいところだけれど、これからまたリモートで別口の交渉が待ってるの。悪いけど、今日のところは帰ってもらえるかしら?」
    「それなら最後に、一言いいか?」
    「どうぞ」
    許可を受けた青年は、頭を下げた。
    「以前お前をトロフィー扱いしたことを心から謝罪する。温室を破壊したこともだ。
     ……お前は尊敬に値する人間だ、ミオリネ」
    女社長は今日初めて、驚きの表情を浮かべた。
    すぐに肩をすくめ、唇を釣り上げる。
    皮肉げではあったが、それは間違いなく、微笑みだった。
    「では私も、かつての私の暴言の数々を謝罪するわ。……見違えたわね、グエル」

  • 69二次元好きの匿名さん23/03/15(水) 07:06:35

    さらに続きが気になる展開に

  • 70二次元好きの匿名さん23/03/15(水) 09:48:12

    すごく面白いお話で楽しい…続きが楽しみ

  • 71二次元好きの匿名さん23/03/15(水) 17:24:48

    保守

  • 72二次元好きの匿名さん23/03/15(水) 23:49:48

    ほっしゅほっしゅ

  • 7307_1/523/03/16(木) 06:19:04

    アスティカシア学園に通うアーシアンたちが一時避難場所としたオフィスは、見るからに安物だった。鉄骨がむき出しになっているのを見るに、もともとは倉庫として作られたものだろう。広くはあるけれど、ところどころ天井が異様に低くなっていたり、不自然な形の部屋があったりして、あまり過ごしやすいように見えない。
    それでも、フォルドの夜明けが隠れ蓑にしていた難民キャンプに比べれば天国だ。少なくとも汚れや悪臭に悩まされない時点で、生活環境として比較にならない。
    そんなオフィスの片隅、休憩場所として割り当てられたテーブルで、ソフィは椅子の背もたれによりかかり、天井を見上げていた。
    「ふうむ」
    思考が整理できたので、少女は上半身を起こし、横に座る相棒に向き直る。
    「つまり、ここで暮らしているのは。
     スペーシアンに服従して宇宙の学校に通うアーシアン10名弱。ペイル社から出向してきたガンダムの研究者一名。フォルドの夜明けの元連絡係一名。以上?」
    「そうね」
    そっけなく応じたノレアを、まじまじと見つめる。
    「……大丈夫? 元連絡係一名以外、全員ノレアが嫌いそうな連中っぽいけど」
    「嫌いよ、元連絡係も含めて全員。虫酸が走る」
    「それでよく今まで問題を起こさずに済んだねぇ? ノレア」
    「その連中にあんたを治療してもらってたのよ。さすがに私だって大人しくもする」
    「理由はそれだけ? ホントにぃ?」
    ねちっこく尋ねてみると、相棒はぷいとそっぽを向く。
    彼女の視線の先には、見慣れた大きなガタイがあった。

  • 7407_2/523/03/16(木) 06:19:44

    その体躯の割にまるで威圧感を感じない青年は、フォルドの夜明けの元連絡係と会話している。
    「配達が来たぞ。工具の予備は倉庫に持っていけばいいのか?」
    「ええ、お願いします。ただパイプレンチはここに持ってきてもらえますか。水道の配管で修理したい箇所があって」
    「承知した」
    そして青年は大きな台車を押して歩き始める。

    昏睡状態だったソフィが治療のためこのオフィスに連れてこられてから、今こうやって意識を取り戻すまで、だいたい二週間ほどが経過していた。
    その短い期間で、ボブはすっかりこのアーシアンの集団に馴染んだようだ。そのさまは、難民キャンプで子供たちの面倒を見ていた頃と被って見える。

    ソフィはにやにや笑いを相棒に向ける。
    「大っ嫌いな連中に囲まれてもノレアちゃんが我慢できているのは、あの雑用お兄さんに泣いて頼まれたからかなぁ? かなぁ?」
    すると相棒は予想外の反応を見せた。
    そっぽを向いたまま、静かに首を振ったのだ。
    「泣いて頼まれたのなら、まだ良かったのかもしれない」
    「……ん?」
    「ボブがあんなふうになっているのは、捕虜になって絶望しているせいだと思っていた。でも、違った」
    「何言ってるの? ノレア」
    尋ねてみるも、ノレアは一人でじっと考え込んでいる。その視線の先で、ボブががらがらと台車を押していた。
    何かはぐらかされたような気もするが、それ以上話しかけられるような雰囲気でもなかったので、ソフィは相棒に付き合い、ボブの働く姿を観察することにした。

  • 7507_3/523/03/16(木) 06:20:05

    青年は台車からダンボールをひとつ下ろし、女生徒に渡している。
    「ニワトリの餌、ここでいいのか? なんなら畜舎まで持っていくが」
    「ああ、ここで問題ないよグエル。ただ、あとで畜舎のゴミ出しを手伝ってもらえると助かる」
    「任せろ」
    青年はうなずきを返すと、台車を押して別の机へ。
    キャップをかぶった男子生徒の前で止まると、より大きなダンボールを下ろす。
    「ヌーノ、お前の荷物だ。ここに置いていいか?」
    「サンキューボブ先輩。あ、それと、新しいアプリの導入についてプレゼンするんで、社長に時間取っといてもらえないスか?」
    「承知した。明日のリモートミーティングのときに伝えておく」
    次に向かった先には、アフロヘッドの男子生徒。
    「オジェロ、お前のだ。あと3日前の賭け金をそろそろ支払え」
    「えっ、いやぁ。もう少し待ってくれよぉボブ先輩。今ちょっと負けが込んでてさ」
    「一週間しか待たんぞ」
    さらにその先には、ふくよかな体型の女子生徒。
    「この道具は……サイクリングマシン? どこに持っていけばいいんだ?」
    「あそこの部屋がちょうど空いてるんで、そこにお願いしまぁす。今は迂闊に外出できないんで、運動不足解消のためのルームを作りたいんですよぉ」
    「……なるほど。トレーニングなら俺もそれなりに経験がある。俺も一枚噛んでいいか、それ」
    「わぁ、ボブ先輩が相談に乗ってくれるなら大助かりですっ!」
    女子生徒が満面の笑みを見せる。青年の方も、いつもの仏頂面の上に満更でもなさそうな笑みを浮かべる。

  • 7607_4/523/03/16(木) 06:20:37

    ――普通に会話できてるじゃん。何か問題あるの?

    ノレアが何にこだわっているのかがいまいち判らず、ソフィは首を傾げた。
    傾げついでに、ボブを観察していて生まれた疑問を、隣の相棒にぶつける。
    「学園の連中、なんでボブのことボブって呼んだりグエルって呼んだりしてるの? ボブって学園の外での偽名で、あいつの本名ってグエルなんだよね?」
    「……私がボブと呼んでたら、何人かが真似しだした。リリッケとヌーノとオジェロはもう完全にボブとしか呼ばない。たまにマルタンもそう呼んでる。グエル呼びだとなんだか萎縮するからって」
    「そうなの? よくわからない理由だね」
    「私だってわからないわ。ちなみにチュチュはクソスペ雑用係って呼んでる」
    「いくらなんでも言いづらくない? ソレ」
    どうでもいい返答をしつつ、なるほど、とソフィは思った。難民キャンプでもそうだったが、あの青年には他人から舐められる才能みたいなものが備わっているらしい。
    ついでに、もう一つの……というより、より本質的な疑問も口にする。
    「あいつホントにグエル・ジェタークなの? ジェターク社って言ったらベネリットグループ御三家のひとつ、スペーシアンの頂点じゃない。それがなんで台車かついで日雇いの兄ちゃんみたいなことをやってるのさ」
    「私だって今も信じられない。そもそも私たちに捕まったときもボブは輸送船の日雇いをしていた。そのボブが実はグエル・ジェタークだなんて、身分詐称だとしか思えない」
    「でしょ? ペテンだよペテン。詐欺に決まってる」
    するとノレアはこちらを向いた。心なしか憮然とした表情だ。
    「でもリリッケに過去の映像を見せてもらった。スレッタ・マーキュリーと決闘した後、ボブが求婚してた。雰囲気は今とまるで違ってたけど、あれは確かにボブだった」
    「……は?」
    ノレアが口にした単語に、ソフィは目を丸くした。

  • 7707_5/523/03/16(木) 06:22:20

    求婚? ボブが? スレッタお姉ちゃんに? マジで?
    「ええ~ぇ!? あたしもスレッタお姉ちゃんの映像を漁ったことあるけど、そんなん見たことないよぉ!?」
    「学外に配信されていない映像だって」
    「そんなんもあるの! わあ、それは見なきゃ。どんなツラして求婚したんだろあいつ」
    ボブがグエルか否かなんてことは途端にどうでもよくなった。知り合いが知り合いに求婚なんて、こんな面白いイベントはそうはない。きっと良いからかいのネタになるに違いない。
    勇んでリリッケのもとに向かおうとして、ソフィはしかし、立ちくらみに襲われた。
    「ほら、無理しない。まだ治療は途中なんだから。そろそろ医療研究室に戻りな」
    そう言うと、ノレアはソフィに肩を貸し、オフィスの奥へと引っ張っていく。ソフィが治療を受けるための部屋がそこに用意されている。
    二人で長い廊下を歩く。やたらと広さだけはあるオフィスだが、廊下は狭く、ひたすらに殺風景だ。

    ……周囲に誰もいなくなったタイミングを見計らった、のだろうか。
    ノレアが歩きながら口を開いた。
    「ソフィ。あんたがまだ昏睡してた時にね」
    「うん」
    「ボブの頸動脈にナイフを突きつけて、絶対に殺してやるって脅したことがあったんだけど」
    「……うん?」
    ソフィは少し考えこみ、そして相棒に聞き返した。
    「虫の居所でも悪かったの?」
    「まあ、そんなところ。で、ボブは私に、なんて返答したと思う?」
    「んー……」
    普通なら、この恩知らずの人殺しめ、とでも言うところだろうか。あのお人好しのボブでも、そんな馬鹿なことはやめろ、くらいは言うだろう。
    だがノレアの答えは、そのどちらでもなかった。
    「もう少し待ってくれ、弟を助け出せたら俺を殺して構わない、と言ってきたわ」
    「……カッコつけて?」
    「いえ、真顔で。借金の返済期限の延長を交渉するくらいの気安さで、ね」
    「…………」
    ソフィは得心した。ノレアが浮かない顔をしていた理由はこれだったのだ。
    ボブはまだ、壊れたままだ。

  • 78二次元好きの匿名さん23/03/16(木) 07:46:17

    ボブに……グエルに救いはないんですか……救われることを望んでいないんですか

  • 79二次元好きの匿名さん23/03/16(木) 15:16:09

    うわ、めっちゃおもろ…続き楽しみにしてます

  • 80二次元好きの匿名さん23/03/16(木) 16:02:41

    Bob, Quo Vadis ?

  • 81二次元好きの匿名さん23/03/16(木) 16:25:35

    三年はグエルよびが多いのかもね、同じ講義を受けたこともありそうだし

  • 82二次元好きの匿名さん23/03/16(木) 18:35:17

    ほしゅ!

  • 83二次元好きの匿名さん23/03/16(木) 23:00:30

    いつかモビルスーツにもまた乗るんだろうが、操縦は問題ないのか気になるな

  • 84二次元好きの匿名さん23/03/17(金) 00:26:34

    >>68

    こういうミオリネとグエルの和解というか互いを認め合うシーンは

    本編でも見たい 難しいのは分かってるが

  • 8508_1/623/03/17(金) 06:44:28

    ベルメリア・ウィンストン。彼女はペイル社でガンダムの開発に関わっており、その関係でデータストームによる人体へのダメージ、ひいてはその治療法についての研究も進めていたという。とはいえ、ソフィのレベルまで症状が進めば本来は手の施しようがないはずだった。
    しかし、クエタ・テロの際に負傷したデリングが懐に入れていたデータキーが、デリングを助けたミオリネの手からベルメリアの手に渡り、それが治療法を大いに進展させたらしい。ソフィの身体は少しずつ快方に向かいつつあった。

  • 8608_2/623/03/17(金) 06:45:00

    皮肉な因果のめぐり合わせに、ソフィは内心で運命を嗤う。テロリストの自分たちがこんな都合のいい幸運に恵まれるなんて、神とやらの目はずいぶんと節穴だ。テロに巻き込まれ、ずっとろくでもない目に遭い続けている者もいるというのに。
    「意識が回復したばかりなんだから、あまり歩き回るなよ」
    そう、ノレアが去ったあとで見舞いに来た、この青年のことだ。
    ソフィは彼を見つめ、そして別れ際の相棒の言葉を思い出す。

    「あんた、人の心の弱い部分を見抜くのは得意よね。その目でボブを見てあげて」

    ベッドの上に座り込んで、ソフィはじっと青年を観察し続ける。
    「ん? どうかしたか? ベルメリアさんはミオリネと打ち合わせ中だ。しばらくすれば戻ってくる」
    見当違いの言葉をかけるボブの顔色は、捕虜時代と比べれば確実に良くなっている。
    しかし。
    「……ソフィ?」
    「んー、なるほど」
    先程のノレアとのやり取りがなければ、気づかなかったかもしれない。
    ボブの目は、死んだままだった。

  • 8708_3/623/03/17(金) 06:45:24

    そしてソフィは直感する。これはもしかしたらヤバいかもしれない、と。
    「急いで確認したほうがいいかな。ちょっと荒っぽい方法だけど」
    唇をぺろりと舐めると、ソフィは脳裏に自らの愛機のコックピットの形を思い描いた。
    ガンダムで敵MSを叩き潰すときの感触を思い出す。たちまちどす黒い感情が心に満ちていく。
    眼の前の青年を追い詰める言葉が、自然と口から転がり出てきた。
    「ボブってさあ、スレッタお姉ちゃんに求婚したんだって? 好きだったんだね?」
    唐突にそんな話題を振られて、青年が軽く目を見開く。
    ソフィは間髪入れずに踏み込む。
    「そのスレッタお姉ちゃんはいま行方不明なんだって? それって多分、あたしと戦ったせいだよ。四週間前になるのかな? あたしとノレアはエアリアルと2回目の交戦をしたんだ。あたしは最初からパーメットリンク全開で、スレッタお姉ちゃんと全力で戦った」
    口の端が釣り上がる。胸のうちにあふれる黒い感情を、そのまま目の前の青年の心に注ぎ込む。
    「すごい戦いだった。いや、殺し合いだった。楽しかったよぉ。でもスレッタお姉ちゃんは怖かったんだろうねぇ。ちょっと涙声だったよ。だけどあたしは容赦しなかった。ノレアと二人で追い詰めた。もう少しでお姉ちゃんを殺せたんだよ。そう、この手でスレッタお姉ちゃんをね」
    青年の目が。
    死んだようだった瞳が、漆黒に揺らぐ。
    何の威圧感も感じなかった体躯が、威嚇する獣のごとく盛り上がる。みしみしと筋肉がこすれる音すら聞こえる。
    予想以上の反応に、ソフィは少しばかり驚いた。

    ――ガチ惚れじゃん。ちょっとマズったかな? ……まあいいか、最後まで行ってみよ♪

    次の瞬間に殴り飛ばされることをも覚悟し、ソフィはますます笑みを深める。
    そして、止めの一言を青年の心臓に突き刺した。
    「あのときは取り逃がしちゃった。でもねボブ、次に会ったら、あたしがお姉ちゃんを、絶対に殺るよ」
    青年の瞳に殺意が満ち、
    そして次の瞬間、それはどこかへと消え失せた。

  • 8808_4/623/03/17(金) 06:46:13

    ああ、そうなんだ。ソフィは確信を得た。
    真顔に戻り、青年に真相を告げる。
    「ごめん、今のは半分嘘。エアリアルと2回目の交戦があったのは事実だけど、ほぼ一方的にあたしたちが負けた。エアリアルから逃げるためにパーメットリンクを上げすぎたせいで、あたしは昏睡する羽目になったくらいだし。
     そんな感じだから、その戦いが、お姉ちゃんが行方不明になった原因かどうかは判らない」
    「……ソフィ! お前なあ! なんでそんな嘘を!」
    すぐに詰め寄ってきた青年の、再びもとに戻った瞳を見つめ、ソフィは答えた。
    「ボブの状態を確かめるためだよ。ボブさぁ、あたしを今、殺したかったでしょ?」
    「……いや、別に」
    「殺したかったんだよ。あたしへの殺意はきちんとあった。でもそれは消えちゃった。いや違う、ボブはぜんぶ自分自身に向けちゃったんだ」
    味方を誤射したり、守るべき対象を守りきれなかった兵士に、たまに見られる症状だと聞く。
    デスルターを盗んで逃げ出しただけのボブがなぜそんな状態に陥っているのかは気になったが、そのへんの詮索は後回しにすべきだろう。今重要なのは、目の前の青年が非常に危うい状態である、ということだ。
    「今のボブは、自分自身が許せなくて、無意識のうちに自分を殺そうとしているんだよ。誰かから悪意を向けられるたび、そして誰かへと悪意を向けるたび、それは心の中で自分自身への殺意に変換され、溜まっていく。で、それはいつか決壊する。
     ……いつ暴発するかわからない銃を持ち歩くようなものだよ。今のボブ、あたしよりマズいかもしれない」
    「…………」
    青年は否定も肯定もせず黙り込む。彼自身にも思い当たるものがあるのだろう、とソフィは推測する。
    「ボブもベッドで横になってなきゃいけない。ストレスとは無縁の環境でゆっくりしなきゃいけないんだ。ここに留まってプリンスと戦うなんて以てのほか。ストレスを溜め込みすぎて、いずれ自分で自分を殺る羽目になる」
    ソフィはそう提案する。
    恐らく効果はないだろうと思いながら。

  • 8908_5/623/03/17(金) 06:46:48

    そしてボブは、予想通り、首を横に振った。
    「……駄目だ。まだ、助けなければいけないヤツがいる」
    「でも、このままじゃ」
    「大丈夫だ」
    目を閉じたボブは、顔を上に向ける。
    それは遠い誰かを、否、遠い何かを思い出しているような仕草。
    「大丈夫だ。あの泣き声が、まだ聞こえてるから。だからまだ――それまでの間、俺は生きていられる」
    「……泣き声?」
    「ずっと聞こえてた。俺が自分のことを許せなくなってからも、ずっと聞こえて、俺をこの世にとどめてくれた」
    「幻聴?」
    「違う。記憶の中の声だ。俺の弟が、助けを求める泣き声」

    青年は語る。
    青年と弟が10にも満たぬ年齢だった頃、二人でチャンバラごっこをしていて、弟が青年の頭に傷を負わせたことがあった。
    何でもない傷だ。せいぜい全治3日といったところ。そもそも傷の責任は青年のほうが大だった。
    しかし彼らの父親はそう考えなかった。弟を激しく叱責し、さらには屋根裏部屋に鍵をかけてそこへ閉じ込め、食事を持っていく使用人以外は誰も近寄れないようにしてしまった。

    「屋根裏部屋から弟の泣き声が聞こえるんだ。俺はどうにかしてあいつのもとに行ってやりたかった。だから色々知恵を絞ったよ。木に登って行けないか、屋根伝いに行けないか。まあ、子供の力じゃどれも無理だったんだが。
     だから最後に、あいつにどうにかしてメッセージを届けることにしたんだ。きっと助けに行くってな。
     ……それは上手く行った。あいつは三日後に屋根裏部屋から解放されて、俺に礼を言ってくれたんだ」

    ボブはまぶたを開けた。
    死んでいた目に、ほんの少し、光が戻っていた。
    「ラウダ。俺の自慢の弟だ。
     あいつは今、あのときのように閉じ込められている。だから助けに行かなきゃいけない。今度こそ、俺の手で。
     そしてあいつを助けるまで、俺は死 ねない。絶対に死なない」
    自らに言い聞かせるように繰り返すと、ボブは立ち上がり、去っていった。

  • 9008_6/623/03/17(金) 06:47:22

    一人取り残されたソフィは、ベッドに横になり、つぶやく。
    「弟を助けるまでは死なない、か。でもそれなら、弟クンを助けたら、ボブはどうなるんだよ?」
    自分を殺したいと思っている人間が、やるべきことをすべて終えた後にどうなるか。
    想像するのは難しいことではなかった。
    ソフィはごろりと横に寝転がる。枕に顔を埋め、考える。
    そうすると、だんだんと腹が立ってくる。

    ――こんなのはあまりにも無責任だ。そうじゃないか?

    もう一度寝返りを打って、ソフィは天井を見上げた。
    「今でもスペーシアンは嫌いだ。別に何人死んだって心は傷まない。だけど」
    きっとノレアも、自分と同じ結論にたどり着いたのだろう。だから嫌いな人間に囲まれても問題を起こさなかったのだろう。
    ソフィは大の字になりながら、去っていった人に向かって宣言した。
    「死なせないよ。無責任にあたしを救っておいて、勝手に死ぬなんて許さない。あたしは絶対にあんたを生かしてみせる」

  • 91二次元好きの匿名さん23/03/17(金) 08:25:35

    心が死んでも誰かを助けたグエルだからこそ
    助けた人達に手で救われて欲しい、死が救いになってはならない

  • 92二次元好きの匿名さん23/03/17(金) 08:27:42

    今日も良いお話をありがとう

  • 93二次元好きの匿名さん23/03/17(金) 08:33:32

    魔女を救う聖者のボブもまた、ただの人間のグエルとして再生しなければいけないんだ

  • 94二次元好きの匿名さん23/03/17(金) 14:25:59

    グエルくんに幸せになってほしい……
    毎日楽しみにしてます!

  • 95二次元好きの匿名さん23/03/17(金) 19:00:12

    ほしゅ

  • 96二次元好きの匿名さん23/03/18(土) 00:26:57

    ほしゅ〜

  • 9709_1/823/03/18(土) 06:37:24

    ――やっぱりこの家、嫌いだなあ。早くイリーシャと交代したいなあ。

    定時連絡を終えて、メイジー・メイの気分は滅入っていた。ジェターク邸の必要以上に高い天井、意味もなく巨大な彫刻は、客に安らぎではなく威圧感を与えてくる。この屋敷での監視任務は憂鬱極まりない。

    ――監視対象も、ねえ。もうちょっと愛想よくしてくれたらカッコいいのに。

    メイジーは監視カメラの映像を見つめる。彼女の監視対象であるラウダ・ニールは自室の机に向かい、書類を黙々と片付けている。今日はずっとそれだ。さきほど部屋まで出向いてランチに誘ってみたが、そっけなく断られてしまった。
    できれば彼には、もっと自発的にシャディクの味方になってほしかった。いや、どう考えてもそうなるべきなのだ。テロ疑惑をかけられ、解散の危機に立たされていたジェターク社を土壇場で救った自分たちに恩を感じこそすれ、警戒する理由など無いはず。少なくとも表向きに見える事象に関してのみ言うなら、ラウダにとってのシャディクは恩人に他ならない。
    しかしグラスレーがジェタークを買収してからずっと、ラウダは憮然とした顔を貫き通している。笑顔を一切見せることなく、徹底的にビジネスライクに徹するその姿は、決してこちらに尻尾を掴ませまいとしているかのようだ。だからシャディクもわざわざ自分たちと諜報部スタッフを派遣して、彼を警備という名目のもとで監視下に置かざるを得なかった。

    ――なんでかなあ。ラウダ先輩が義理を通すべき相手なんて、もうこの世に居ないのにね?

    彼の父は死んだ。死体は回収されていないが、クエタ・テロで彼の乗機の爆散が記録されて生存の可能性は残っていないとみなされ、すでに葬儀も終えている。
    そして、彼の兄はラウダを裏切った。ラウダのもとに現れるのではなく、シャディクと敵対するミオリネの下についたのだ。

  • 9809_2/823/03/18(土) 06:37:47

    「君のお兄さんの生存が確認されたよ」
    数日前にシャディクがこの屋敷にやってきて、1枚の写真をラウダに渡した。恐らく地球のどこかでの隠し撮りだ。グエル・ジェタークと思われる男性が作業着を着て、大きな台車を押している姿が写っている。その隣にいるミオリネの会社の社員と何やら会話している。
    「残念ながら、グエルは自らの意志でそこに留まっている。そしてどうも引き抜き目的でジェターク社の関連会社や、かつての取引先に声をかけて回っているようだ。君の存在を無視してね」
    「…………」
    ラウダは無言で写真を凝視していた。その瞳には兄への憤りがあった、と思う。結局そのときも自分の意志を示すようなことは何も言わなかったから、確証はなかったが。
    もちろんラウダには、グエルがミオリネを通じて何度も彼と接触を持とうとしていた事実は知らせていない。彼の目からは、兄の今の姿は裏切りとしか映らなかったはずだ。

    ――あとひと押しで堕ちると思うんだけどなあ。何か手はないかなあ。この監視任務もいいかげん終わらせたいし……

    メイジーは思案する。とそこへ、来客を告げるベルが鳴った。
    来客を適当に追い返すのも彼女の役割だ。メイジーは立ち上がり、玄関へと向かった。

  • 9909_3/823/03/18(土) 06:38:10

    玄関に立っていたのは、いつもの女子生徒だった。
    ペトラ・イッタ。かつてグエルの取り巻きを形成していた、元ジェターク社幹部の子女。もちろん監視対象のひとりで、そもそも気軽に外出できないはずなのだが、監視役の人間が甘いのか本人のスニーキング能力が高いのか、何度かこの屋敷を訪れてはそのたびにラウダに会わせろとゴネてくる。
    「もうこんな状態が二ヶ月近く続いてるんだよ!? いいかげんラウダ先輩に会わせてよ!」
    「だ~め。まだ外出自粛要請は続いてまーす。ウチの役員をむやみに外部の人間と接触させることはできません」
    「わたしだってジェターク社の役員の娘だよ!?」
    「元ジェターク社の元役員、でしょ。でもグラスレー社の現役員じゃないから駄~目。残念でしたー」
    こうして問答を繰り広げるのもいい加減飽きてきた。ラウダがシャディクに忠誠を誓い、シャディクがラウダを信用するまでは、シャディクが信用していない人間をラウダに会わせるわけには行かない。それは自明の理なのに、なぜこの女子生徒はそれを理解できないのか。
    欠伸をこらえつつ応対していると、女子生徒は手包みを差し出してきた。
    「直接会えないって言うなら、せめてこれをラウダ先輩に渡してよ」
    「なにこれ」
    「パイの詰め合わせ。ラウダ先輩に食べてもらって、少しでも元気になってほしくて」
    視線をそらすペトラの表情を見て、メイジーは意外に思った。

    ――あれー? けっこう乙女チックな顔だね? もしかしてこの娘、グエルくん目当てじゃなくてラウダ先輩狙いだったの?

    そのシチュエーションに少しだけ心は動いたが、もちろん監視者としてこんなものをラウダに手渡すわけにはいかない。グラスレー社に反発する誰かが、中に秘密のメッセージを仕込んでいる可能性がある。
    三度目の「駄目」を口にしようとして、ふとメイジーは思いついた。
    この乙女の贈り物は、ラウダへの最後のひと押しに使えるかもしれない。

  • 10009_4/823/03/18(土) 06:38:38

    手包みだけを受け取ってペトラを帰らせたあと、ジェターク邸に詰めていたグラスレー社の諜報部スタッフにそれを渡し、中身を調べさせる。データを保存できそうな媒体がないか、包み紙の模様に紛れてこっそり暗号が記されていないかを徹底的にチェックさせる。
    程なく怪しいものが二つ見つかった。包み紙に貼り付けられていた一般タイプのデータキーと、パイの底に仕込まれた封筒。
    「ふふっ、残念だけどこれは没収だね」
    両方とも解析に回す。しかしパイのほうは、包み紙ごと綺麗に元に戻させた。メイジーはそれをラウダの元へと持っていく。
    「ラウダ先輩、ペトラ・イッタさんから差し入れです」
    「……ペトラから?」
    「はい。パイの詰め合わせって言ってましたよ」
    すでに中身を検査済みであることは口にせず、開封するようラウダに促す。
    包みを開けようとした彼の表情が少しだけ和らいだのを、メイジーは見逃さない。

    ――こちらも脈アリ。使えるね、これは。

    包みから中のパイが顔をのぞかせたタイミングを見計らって、メイジーは猫かぶりの声で静かに語りかけた。
    「ペトラさん、ラウダ先輩のことをとっても心配していましたよ。元ジェターク社の社員たちへの責任を一人で背負う先輩のことを」
    「…………」
    「できれば重圧を肩代わりしたいって。でも今の自分ではそれはできない。だからせめて、これを届けたいって」
    「…………」
    ラウダは無言で、パイの一切れを手に取った。まじまじとそれを見つめている。
    効果が出てるかな? いまいち読み取りにくい相手の表情を伺いつつ、メイジーは猫かぶりを続ける。
    「私たちも、ラウダ先輩の重圧を少しでも和らげたいと思っています。元ジェターク社の人たちの地位を少しでも引き上げたい。そのためにも、一刻も早く私たちでベネリットグループを掌握したいんです」
    「…………」
    「だからもっと、私たちに協力を――」
    そこまで言いかけたところで、ラウダが手に持つパイを一口かじった。

  • 10109_5/823/03/18(土) 06:39:05

    温めてもいないパイを、他人との会話中に立ったまま口にする。普段の彼ならば考えられない無作法だ。ラウダもすぐに我に返り、こちらを向いて謝罪してきた。
    しかしメイジーは相手の無礼を咎めることなく内心でほくそ笑む。この乙女の贈り物は、こちらの狙い通りにラウダの頑なな心を動かしたのだ。
    果たして謝罪を終えたラウダは、居住まいを正し、確認してきた。
    「これ、リビングで頂いてもいいかな」
    「どうぞどうぞ♪」
    もちろんメイジーは快諾した。

    ラウダがリビングに備えられた調理器でパイを温め直し、遅めのランチの準備を整えたころ、解析班からデータキーの中身、および手紙の調査が終わったと連絡があった。データキーにも手紙にも暗号らしきものは認められず。中身はただの励ましのメッセージ。
    「こっちも渡してあげればよかったね。ま、パイだけでも効果は抜群っぽいけど」
    こっそり仕込んだ監視カメラで、ラウダの様子を確認する。
    彼はパイを一つ一つ、噛み締めるように口にしていた。
    時に感極まったのか、目頭を手で押さえている。
    「ふふっ。ずっと一人で我慢してきたところに、女の子からの手作りのプレゼント。男の子には効くよねぇ、コレ」
    やがて食べ終えたラウダは、いきなり立ち上がりリビングを出ていく。監視カメラを廊下のものに切り替えると、自室の隣、すなわち兄の部屋に入っていく様子が見えた。
    メイジーの記憶にある限り決して立ち入ろうとしなかった場所に踏み込むと、ラウダは丁寧に整理された書棚に無造作に手を突っ込み、両手いっぱいにアルバムや日記らしきものを持って廊下に出ていく。
    「……え? 何をするつもり?」
    混乱しながらも、メイジーはカメラを切り替えてラウダを注視する。彼はリビングに戻ると、両手の書類をどさりとテーブルに投げ捨てた。そして部屋の真ん中、裸火の暖炉に火をつける。宇宙ではよほどの特権階級にしか許されない設備だ。
    「あ、これ、もしかして」
    メイジーがぽんと手を打つと同時、ラウダはテーブルの上の書類を暖炉に投げ込み始めた。今までずっと大切に保管していただろう兄の思い出を、次々に火にくべていく。
    「わあお♪ やることが極端だなあ、ラウダ先輩は」
    予想以上の展開を目の当たりにして、メイジーは手を叩いて喜ぶ。

  • 10209_6/823/03/18(土) 06:39:26

    ラウダはときおり手を止め、名残惜しげに書類の中身を確かめたり、アルバムの写真を見つめ直す。火にくべようとした紙片を見つめ、じっと見入ったりしている。
    けれども最後には未練を振り切るように、それらを暖炉に投げ捨てた。時間をかけて、その繰り返しを最後まで続けていく。
    まったくの他人事ながら、さすがにメイジーもその姿にはいささかの感動を覚える。おそらくは涙を流しながら、ラウダは兄への敬愛を捨て、ジェターク社のため、引いてはグラスレーのために我が身を投げうつことを決めたのだ。
    「いいねぇ。男の子だなあ」

    すべてを終えたラウダはリビングから出て、メイジーの前に立った。
    決意の表情で、告げてくる。
    「ジェターク家当主として、兄さん、いや、グエルに決闘を申し込む。彼に連絡を頼みたい」
    「はぁい、お任せください!」
    メイジーは再び快諾した。
    憂鬱な監視任務もやっと終わりそうだ。そして近いうち、兄弟の愉快な同士討ちを見物することができるだろう。

  • 10309_7/823/03/18(土) 06:39:49

    交渉が終わり、連絡用の部屋から青年が出ていく。その背中を見送ってから、ノレアはふと、背後を見た。
    通信端末の画面に、交渉相手――黒人の大男が映っている。彼は首を軽く鳴らし、肩の凝りを解していた。
    なんとなく気になり、ノレアはかつての上司に尋ねる。
    「……なぜボブを信じる気になったの? あんなスペーシアンの甘ちゃんを」
    「おいおい、なんだその言い草は。その甘ちゃんの側だろうが、今のお前は」
    呆れたような表情で、元上司――ナジ・ゲオル・ヒジャはたしなめてきた。
    まあ、たしかに彼の言うとおりなのだが。
    「でも事実でしょう。ぬくぬくとした環境で育って、食べるのに苦労したことのない、人の悪意をろくに見たこともない、典型的な天上人。貴方もそういうヤツは嫌いだったんじゃない?」
    「ま、好きか嫌いかで言えば好みとは言えんな。覚悟は認めるが、まだまだ勢いだけの青二才だ。交渉もヘタクソだったしな。駆け引きもブラフも何もなく、全部ただの真っ向勝負。お陰で逆にやりづらかったが」
    鼻で笑っておいてから、ナジは一拍置いて、付け加えてきた。
    「だが、あいつが二ヶ月間殴られ続けてもアーシアンのガキの面倒を見続けた、底なしのお人好しだってことは知ってる。嘘をつくことができないってこともな。賢いが他人を利用することしか考えてないヤツよりは信用できるだろうよ」
    「……そうね」
    ノレアは同意を返す。結局のところ、ナジがプリンスではなくボブを選んだ理由は、それに尽きるのだろう。
    そして、自分が今ボブの隣に立っている理由も。
    「プリンスの今の動き――地球と宇宙の対立をことさらに煽るやり方は、確かにアーシアンとスペーシアンの全面戦争を目論んでいるようにしか見えん。俺もそんな事態までは望んじゃいない。戦争になればまず間違いなく、この難民キャンプが真っ先に焼き払われるからな」
    パワーバランスを地球側に傾けることを目論むナジとしては、ボブが示した妥協案――難民キャンプへの支援の拡充と地球の再開発の推進、それで十分だったようだ。その代償として武装解除、および戦いの継続を望む兵士の退去という条件を飲んだとしてもだ。

  • 10409_8/823/03/18(土) 06:40:12

    「そういえば、私たちのガンダムはどうなったの?」
    もう一つ、気になっていたことを尋ねる。
    するとナジは意外そうな表情を浮かべた。
    「なんだ、アレに未練があったのか?」
    「まさか。今どうなっているかを知りたいだけ」
    「お前らが脱走した直後、慌ただしく回収されていったよ。どうも急いで他の場所に回す必要があったらしい。こっちには事情は全く話してはくれなかったがな、いつものように」
    つまりあの2機のガンダムは、別の魔女を乗せ、別の戦場に駆り出されるということだ。プリンスを退けることができたとしても、戦いはまだ終わりはしないのだろう。
    小さくため息をついてから、ノレアはモニターの向こうの上司に頭を下げた。
    「ありがとう。いろいろと迷惑かけたね、ナジ」
    「そんなことより、死ぬなよノレア。一段落ついたら、ソフィやボブと一緒にここに顔を見せろ。ガキどもも喜ぶだろうよ」
    「ええ。いずれ、必ず」
    そしてノレアは画面を切り、部屋を出た。

    部屋の外では、青年が別の連絡に捕まっていた。
    携帯型の通信機を耳に当て、聞き入っている。
    「……そうか。フェルシー、礼を言う。……ああ、お前も気をつけろよ」
    彼は通信機を切った。その横顔は、先程の交渉のときよりも張り詰めているように見える。
    ノレアが何事かと尋ねると、彼はこちらに向き直り、告げた。
    「ラウダが俺に決闘を申し込んできた。場所はジェタークが所有していた訓練場。邪魔も妨害もなしで、一対一の私闘だ」

  • 105二次元好きの匿名さん23/03/18(土) 07:13:02

    今ラウダはどういう心境なのか…続きが気になる…
    もはや最近の朝イチの楽しみになってます

  • 106二次元好きの匿名さん23/03/18(土) 07:28:53

    わくわくする
    明日が楽しみだ

  • 107二次元好きの匿名さん23/03/18(土) 08:20:39

    朝起きたらこのスレを見にくるくらい楽しみになっている

  • 108二次元好きの匿名さん23/03/18(土) 08:21:35

    面白い つーかグエルがミオリネ達と接触してんの速攻でバレてんのな

  • 109二次元好きの匿名さん23/03/18(土) 08:35:22

    >>108

    シャディクがミオリネを監視してないわけがないと思う

  • 110二次元好きの匿名さん23/03/18(土) 14:52:15

    グエルvsラウダか 互いの搭乗するMSが気になるとこだな

  • 111二次元好きの匿名さん23/03/18(土) 20:00:46

    ダリルバルデVSラウダ専用ディランザなのかな?

  • 112二次元好きの匿名さん23/03/18(土) 21:53:07

    >>111

    グエルにとっての悪夢再来って意味でデスルターvsディランザソルかも

  • 113二次元好きの匿名さん23/03/19(日) 02:22:33

    加古川ボブSSは名作揃いで本当に素晴らしい

  • 11410_1/823/03/19(日) 06:08:28

    ジェターク家が所有しているモビルスーツ訓練場。
    個人所有だけあって学園の戦術試験区域よりは狭く、障害物も少なく、シチュエーションの変更も光量の調整くらいしかできない。つまり他者の妨害が入る余地がほとんどない。弟がここを決闘の場所に選んだ理由もそれなのだろう。
    「…………」
    コックピットのモニター越しに、青年は懐かしの場所を見渡す。
    アスティカシア学園に入る前、彼はここでモビルスーツの操縦訓練に興じた。何度も弟たちと一対一で戦い、操縦の腕を磨いた。父が用意してくれたその日々があったからこそ、青年も一度はホルダーの座に就くことができたのだろう。
    その父の残してくれた場所に立ち、父の残してくれたモビルスーツに乗って、いま青年は、弟と再び一対一の戦いを始めようとしている。あるいは殺し合いになるかもしれない戦いを。
    ルールは学園形式、すなわち相手のブレードアンテナの破壊による勝利。しかしお互いに賭けるものはなく、決闘委員会などの外部からの介入も、さらには立会人もなし。つまり、双方にルールを守らせる者は存在しない。たとえ過失で相手を死に至らしめたとしても、誰もそれを咎めはしないということだ。

    そんな形式であっても、断るわけには行かなかった。これが弟をシャディクの手の内から逃れさせる、最初で最後のチャンスかもしれない。

    「…………」
    青年はまぶたを閉じる。そうすれば今も、父の最期の姿が脳裏に浮かび上がる。あのときと同じ結果になるかもしれない。自分にとってか、弟にとってかは判らないが。

  • 11510_2/823/03/19(日) 06:08:53

    「進路上に障害物なし。格納庫、開けますよ先輩」
    ヌーノから通信が入る。ああ、と答えて、青年はディランザの歩行をスタートさせる。グラスレーに買収されなかった数少ない関連会社を周り、頼み込んで集めた部品でどうにか組み立てた機体だ。手に入れられない純正部品も多かったこの機体の整備と改修には地球寮が全面協力してくれた。とはいえ――当然と言えば当然だが――かつて自分が使っていた専用ディランザの性能には遠く及ばない。
    それでも青年は、モニターの向こうに映る人々に感謝の意を伝えた。
    「お前らのお陰でここまで来ることができた。行ってくるぞ」

    「気をつけて、グエル先輩」
    「グエル、ちゃんとラウダと話すんだぞ」
    「ボブ先輩の腕なら大丈夫ッスよ、きっと」
    「帰ってこないとこないだの賭け金は支払わないっすよ、先輩」
    「頑張ってくださぁい、ボブ先輩」
    「死ぬんじゃねえぞっ、クソスペ雑用係!」

    声援とともに格納庫の扉が開く。マゼンダに塗装されたディランザは、決闘の場に足を踏み入れた。

  • 11610_3/823/03/19(日) 06:09:17

    イリーシャ・プラノは気弱で心配性、おまけにミーティングのときも聞いてなかったり居眠りしていることが多くて、常にフォローが欠かせない。
    今日もまた、メイジーにおどおどと質問してくる。
    「ねえ、メイジー……どうして決闘の立会人が私たちだけなの? シャディクは? サビーナは?」
    「ミオリネが裏でコソコソ何かやってるから、それを探るために他のみんなは不在。昨日のミーティングでちゃんと言ってたよ? あと私たち、今日は立会人じゃなくて見届人の扱いだから」
    メイジーはいつものようにニコニコ笑顔で友人に説明した後、改めて戦いの場を見渡す。スペーシアンでも特別な階級にしか許されない広大な訓練場だ。ここで彼らは独占的に腕を磨き、格差を確固たるものにして世界に君臨し続ける。この仕組みごと根底から全部ぶち壊さなければ、アーシアンとスペーシアンの差は永遠に開き続けるだけだ。
    「きっとシャディクならこう言うね。うんうん」
    メイジーが一人うなずいていると、こちら側のモビルスーツ格納庫の扉が開いた。
    「おっ、来た来た。ラウダ先輩だ」
    自分たちの手駒となる予定の人間は、緑色のディランザに乗って現れた。

  • 11710_4/823/03/19(日) 06:10:11

    そこへ、不安げにイリーシャが話しかけてくる。
    「ねえ、メイジー。この決闘、やめたほうがいいと思う。……グエル先輩、強いし……」
    「イリーシャは心配しすぎ! ラウダ先輩だって強いし、それにあのディランザだってただのディランザじゃないもの」
    外見こそは通常のディランザだが、その中身にはジェタークとグラスレーの次世代モビルスールの技術が注ぎ込まれ、現行モデルを遥かに上回る高性能を持たされている。
    それにそもそもこの決闘は、ラウダの心を完全に兄から切り離すための儀式のようなものだ。万が一敗北したところで、弟の心が兄のもとに戻ることはない。自分たちはただ黙って成り行きを見守っていれば良いのだ。
    「でもメイジー。決闘中は無線で会話ができるし、それに接触回線を使えば、誰にも聞かれずに二人だけで話せるし……」
    「戦いながら対話するって? アニメじゃないんだから!」
    思わず鼻で笑ってしまった。アドレナリン全開の状態で言葉を応酬したところで、説得などという繊細な作業が成功するはずがない。それに、たとえ冷静な状態で会話ができたとしても、あの口下手のグエルがすでに覚悟を決めた弟を説得できるとも思えない。
    何も問題はないことを再確認して、メイジーは友人にもういちど笑いかけた。
    「心配なんてぜんぜん要らないよ、イリーシャ」

  • 11810_5/823/03/19(日) 06:10:46

    誰の合図も、前口上もなく、決闘は始まった。
    マゼンダのディランザを駆る青年は、遠方に緑色の機体の姿を認め、自らの機体に急加速を命じた。無線の届く距離まで接近し、回線を開く。
    「ラウダ! 聞いてくれ!」
    「…………」
    「ラウダ!」
    「…………」
    モニターとヘルメット越しの弟の、表情の機微はわからない。彼は無言でこちらを一瞥し、そして視線をそらした。
    するとラウダのディランザがライフルを横に捨て、大型のアックスを上段に構える。かかってこいと言っているかのように。
    「……そうか。接近戦でってことか。望むところだ」
    つぶやくと、青年も自らのディランザにライフルを捨てさせた。大型スピアを両手で構え、マゼンダのディランザはさらに加速する。
    間合いに入った瞬間、2機の同型MSは同時に、自らの武器を相手に向かって叩きつけた。
    2つの武器が衝突し、激しく火花を散らす。
    「……!」
    激突の一瞬で青年は理解した。弟の機体の出力はこちらを遥かに上回っている。まともに組み合えばすぐに潰される。
    それでも拮抗の状態を長引かせるべく、各部のスラスターを吹かして強引に鍔迫り合いに持ち込む。
    と、接触回線がつながったことを知らせるチャイムが鳴った。以後の会話はもう外部に聞かれることはない。青年は弟に向かってまくしたてる。
    「ラウダ! グラスレー、いや、シャディクはクエタ・テロの黒幕だ! そして、」
    話すべきことは山ほどあった。だがあまりに時間がない。説得などそもそも無理な話だ。
    青年は最初から弟に事実だけを伝えるつもりだった。だから躊躇なく、告げた。

    「あのとき父さんを殺したのは、俺だ」

    モニターの向こうの弟が、目を見開いた。
    口を二度開閉させ、そして、絶叫する。
    「何を言ってるんだ……何を言ってるんだ、兄さんっ!」
    緑のディランザが出力を全開にし、マゼンダのディランザをスピアごと振り払った。
    接触回線が、途切れる。

  • 11910_6/823/03/19(日) 06:11:20

    「わお♪」
    ラウダ機がグエル機を弾き飛ばすのを目撃して、メイジーは歓声を上げた。グエルはさすがに上手くダメージは逃して着地したが、両機のパワーが段違いであることは明白だ。
    さらには。

    『そんな、そんなデタラメを……そんなデタラメを言いに来たのか、兄さん!』

    ラウダの声は完全に裏返っていた。先程の鍔迫り合いのときにグエルが接触回線で何やら語りかけたようだが、説得どころか明らかに逆効果にしかなっていない。
    「うーん、初手バッドコミュニケーション。ホント残念なヤツだね、グエルくんは」
    にやにや笑いが止まらない。
    「ね、ねえ、メイジー……。やっぱり今からでも止めようよ……」
    イリーシャが腕を引っ張ってくる。たしかにこのままの調子だと、しまいには兄弟同士の殺し合いにまで発展しかねない。自分が決闘委員会ならこの時点で止めるべき案件なのだろう。しかし、
    「イリーシャ、わたしたちはただの見届人だよ。立会人ですらないの。だから止める権限も義務もないんだよ」
    友人を優しく諭してから、メイジーは見物を続ける。
    色違いの両機は、再びお互いに向けて突進し、激突していた。

  • 12010_7/823/03/19(日) 06:11:51

    マゼンダのディランザは、相手の獲物の間合いに入る直前に急加速し肩口でタックルを仕掛ける。しかしそれは相手に読まれて肩シールドに防がれた。結果として両機は押し合いへ転ずる。
    パワーに劣るマゼンダの機体は、相手の勢いを逃がすように左へと回りながら均衡を保つ。再び接触回線が開かれた。
    「あの日、俺はテロリストに拉致されていた。隙を見て連中の機体を奪い逃げ出した。そこへ、テロリストを倒そうとしていた父さんが現れたんだ」
    自機の体勢制御のために目まぐるしくレバーを操作しつつ、青年は弟へ語りかける。
    「父さんは俺の機体を敵だと誤認して、俺に襲いかかってきた。俺は相手の機体に通信を入れようとしたが、通信妨害のせいで駄目だった。結果、父さんと俺は戦いになり、そして俺は、父さんを殺した」
    フォルドの夜明けと交渉して入手した情報から、当時の状況をシミュレーションした結果だった。地球寮とも協力して、青年は自分がいかにして父親を殺すに至ったかを知ったのだった。
    「……そんな馬鹿な。そんな馬鹿みたいな話が」
    「本当なんだ、ラウダ。証拠もある。だから」
    「信じられるわけないだろう! 兄さん!」
    再びパワー差で跳ね返され、マゼンダのディランザは大きく体勢を崩した。だが間髪入れずにスラスターを吹き、後方へ逃れる。
    「……ラウダ……」
    「いい加減にしてくれ! そんなことが起こるはずがない! 嘘だと言ってくれ、兄さん!」
    弟の機体が、こちらに向けてアックスを突きつける。
    その彼にまだ告げていない事実がある。恐らく父はシャディクと共謀し、故意にプラント・クエタの防衛網に穴を作ったということ。父もまた、あのテロに加担していた疑いが濃厚であるということだ。
    だがそれは今必要な情報ではなかった。今裁かれるべきは、父ではなく青年自身だった。
    「本当だ。本当なんだ、ラウダ」
    兄の言葉が真実であると悟ったのか。
    モニターの向こうの弟の顔が、みるみるひび割れていく。唇が歪み、瞳は絶望に染まる。
    「……そんな……」

  • 12110_8/823/03/19(日) 06:12:16

    そして弟は、顔を抑え、怨嗟の声を上げ始めた。
    「あいつが……あの水星女が来てから、何もかもおかしくなった。あいつさえ、あいつさえ来なければ」
    「ラウダ、それは違う。スレッタ・マーキュリーは何も関係ない。
     俺が父さんと真正面から向き合わなかったことが。俺がお前と向き合わないままでいたことが、すべての原因なんだ」
    青年もまた、痛切な声で弟に語りかける。
    相手が納得してくれなくても仕方ない。だが、誤解したままで別れたくはなかった。そのためにこの決闘を受けたのだから。
    「学園から飛び出す前に……いやそれより前、学園に入学したあと、いつでもいいからお前ときちんと話し合っていれば、きっとこんなことにはならなかった。すべては俺のせいだ。だからどうか、俺以外を恨まないでくれ」
    「…………」
    「そして俺は、お前の命を助けたい。このままだとお前は」
    兄の言葉を断ち切るように、緑のディランザが、アックスを地面に叩きつけた。
    顔から手を話したラウダが、モニター越しに兄を見据える。

    「もういい。もう充分だよ、兄さん。もう終わりにしよう」

    そして弟は、宣戦布告するように、低い声で兄に告げた。
    「これで最後だ。決着をつけよう」
    緑のディランザが、大型のアックスを両手で構えた。腰だめの、横薙ぎの構え。明らかにブレードアンテナなど狙っていない。そのパワーで振り回せば、コックピットごと敵の機体を両断できるだろう。

    ――その構えは……そうか。ラウダ、それがお前の答えか。

    マゼンダのディランザもまた、大型のスピアを両手で構える。刺突の構えだ。一歩間違えれば、敵のパイロットに致命の一撃を与えうる。
    動きが止まったのは、ほんの一瞬。
    二つの機体は、再び同時に加速をかけた。

  • 122二次元好きの匿名さん23/03/19(日) 06:32:59

    ううう…誰も死ぬな……😭

  • 123二次元好きの匿名さん23/03/19(日) 07:37:01

    メイジーちゃんの性格が最悪で最高

  • 124二次元好きの匿名さん23/03/19(日) 07:45:27

    続きが気になる……

  • 125二次元好きの匿名さん23/03/19(日) 11:12:24

    ほしゅ

  • 126二次元好きの匿名さん23/03/19(日) 13:03:48

    >>115

    チュチュも応援してくれるのが実にいい

  • 127二次元好きの匿名さん23/03/19(日) 21:18:47

    保守

  • 128二次元好きの匿名さん23/03/19(日) 23:28:28

    機体ごしの会話、これぞガンダムよ!

  • 129二次元好きの匿名さん23/03/19(日) 23:36:43

    やはりグエルは自責思考全開だよね。父親に対してはもうどうしようもなかったと思うけど、そんなこと考えれるわけもないもんなあ。

  • 130二次元好きの匿名さん23/03/20(月) 01:51:27

    一気読みしました。ありがとうございます!

  • 13111_1/623/03/20(月) 06:14:54

    ラウダ機が横薙ぎにアックスを振り回した瞬間、グエル機が地面スレスレに、まるで前のめりに転倒したかのように身を沈めた。その体勢のままスラスターを全開にしてアックスの下を潜り抜け、ラウダ機の脚に片手でスピアの柄を叩きつける。
    「……は?」
    メイジーは口をぽかんと開けた。
    ラウダ機はパワー差でよろめくに留まるが、その隙にグエル機が腹ばいから一気に立ち上がり、同時にビームサーベルを引き抜く。抜き打ちの一撃は、あっけなくラウダ機のブレードアンテナを切断していた。
    「えっ、待って、これって」
    メイジーは狼狽する。さすがに今のは騙されない。あの動きは真剣勝負のそれではなく――
    「八百長じゃん!?」
    メイジーは叫び声を上げた。
    あんな大げさな動作はムービーの演出でしかありえない。ラウダは相手が地に伏せると見越して外れるようにアックスを振り回し、グエルは相手の武器を躱せると確信して身を伏せた。
    ラウダ機のブレードアンテナが地面に落ちるのを、メイジーは呆然と見送る。
    そんな彼女に、隣のイリーシャが声をかけた。
    「……最初からだよ、メイジー。二人とも、決闘が始まってからぜんぜん本気出してなかったじゃない……」
    「ちょっと待って、気づいてたのイリーシャ!?」
    「そりゃわかるよ。グエル先輩とラウダ先輩の戦闘、今まで何度も見返したもん……。だから止めようって言ったのに」
    そういえばそうだった。イリーシャは悪趣味にも熱心なジェターク家のファンで、暇があれば二人の決闘の映像をリピートする中毒患者なのだった。
    そして、あの二人が最初から手を抜いていたということは……

  • 13211_2/623/03/20(月) 06:15:22

    「は。は、ははははっ」

    決闘場に、グエルの安堵混じりの笑い声が響き渡った。

    「そうか、ちゃんと届いてたんだな、あのメッセージ。届いたとしても伝わらないんじゃないかって危惧してたんだが」
    「パイの包み紙に仕込んだ文字。9年前とまるで同じじゃないか。気づかないわけがない」
    「相変わらずの記憶力だなラウダ。ああ、記憶力と言えば、最後のあの薙ぎ払いもだ。ディランザでやるのは初めてだろうに、よく完コピできたもんだ」
    「いずれまた兄さんがやろうって言い出すと思ってたからね。だからひそかにディランザでも練習してたよ」
    「おいおい、俺だっていつまでもモビルスーツ戦であれをやるほどガキじゃないぞ」
    「どうだか」

    完全に打ち解けた声で、兄弟は無線による会話を交わしている。
    つまりこの二人は、最初から共謀して、自分たちを騙していたということ……?
    「そんなバカな!」
    メイジーは大慌てで無線機を掴んだ。二人の会話に割り込み、ラウダ機に呼びかける。
    「ラウダ先輩、これはどういうことです。グエルくんに決闘を挑んだのは、実の兄を倒してグラスレーへの忠誠の証とするためではなかったんですか? 貴方は私たちを裏切っ……」
    「グラスレーへの忠誠なんて言葉、一言も口にした覚えはないけど?」
    ラウダからの返答は、天王星の帯状風もかくやの冷ややかさだった。

  • 13311_3/623/03/20(月) 06:16:07

    「ジェターク社の社員の雇用をひとまず守ってくれたことには感謝している。でもそれだけだ。シャディクと心中するつもりなんて最初から無い」
    「なっ!? で、でもそれなら、何故グエルくんと決闘を……!?」
    「兄さんに直接会って真意を確かめたかったからだよ。兄さんが寄越したメッセージだけだと、さすがに細かい事情までは判らなかったから」
    「メッセージ……?」
    メイジーは記憶を手繰り寄せる。ラウダには兄からの連絡を一切許さなかったはず。メッセージなんて受け取れるはずが……
    あ、とメイジーは思い至った。ペトラの渡してきたパイの詰め合わせ。あれにグエルが何か仕込んでいたってこと……!?
    「でも中身はちゃんと検査させたし、暗号も見つからなかったし……諜報用の特殊塗料? いや、それだって検出できるはず……」
    「あぶり出しだよ」
    ラウダはあっさりと種明かしをしてきた。
    「果汁で紙に文字を描くんだ。そのままだと見えないけれど、軽く火で炙ればメッセージが浮かび上がる。秘密のメッセージをやり取りする時に、兄さんが昔何度か使った手だよ」
    ――そんな手で!?
    メイジーは歯噛みした。手段が古典的過ぎて検査範囲に入ってない。
    「まあ、あまり細かい文章は書けないんだけどね」
    「きっと助けに行く。シャディクはクロ。実際書けたのはこの2文だけだったが、ラウダならこれで充分だ。俺の気持ちくらいはきちんと伝わる」
    「フッ、当たり前だろ兄さん。いやむしろ、文章なんて無くてもあのパイの味だけで判るよ。昔兄さんが作ってくれた味だった」
    感慨深げな声でそう語る弟に、キモっ、などと正直に思ったりもしたが。
    さすがにメイジーも反省と後悔を噛みしめるほうが先だった。己の過去の企みは、明白にして致命的な失策だったのだ。

  • 13411_4/623/03/20(月) 06:16:38

    だけど、いや、待て待て待て。
    「じゃあグエルくんのアルバムや日記を燃やしたのは何なんです!? いえ、包み紙に火を当てる動作を誤魔化すためのフェイクだったってことはわかります! でもいくらなんでも思い出の品を燃やすなんて……!」
    「あのとき燃やしたのは観賞用のコピーだよ。本物は全て、専用の真空保管庫で保存してある」
    「ふっ。俺の弟の几帳面さを舐めるなよ」
    「ああああああ、なんなのよこの兄弟はもう!」
    メイジーは無線機を地面に叩きつけた。何よりも業腹だったのは、この脳筋兄弟に知恵比べで負けたということだった。
    屈辱のあまり地団駄を踏むメイジーを横目に、イリーシャが無線機を拾い上げた。恐る恐る話しかける。
    「あ、あの、わたしはイリーシャ・プラノです。ラウダ先輩、わたしからも質問していいですか?」
    「ああ、いいよ」
    「先程の決闘の最後の動きなんですけど、あれはあらかじめ打ち合わせたもの……ではない、ですよね? でも完全に息がぴったりでした。あれってどうやったんですか?」
    「うん、アレか?」
    イリーシャの質問に答えたのは、兄の方だった。
    「9年ほど前、サムライガンマンvs逆襲の鉄仮面軍団って低予算映画が放映されたんだ。まあ低予算だから色々とダメなんだが、アクションシーンだけは本当に良くてな。ラウダと二人で一時期ハマったんだ」
    「特に最後の、主人公とボスの殺陣のシーンだね。兄さんと何度も鑑賞したよ」
    「で、そのシーンを実際に真似して、二人で木の枝を持って何度もチャンバラしたんだ。俺たちがもう少し成長してからは、モビルスーツの模擬戦でも何回かやってみたことがある」
    「えっ、映画の殺陣の動きをモビルスーツに落とし込んだんですか? ……お二人とも、やっぱり凄い……」
    イリーシャが感動していると、無線機の向こうから兄の照れくさそうな声が届く。
    「まあ、そんな大したものじゃない。そもそも9年前だって、俺が伏せるタイミングをミスって頭にフルスイングを喰らったんだ。それで父さんが激怒してラウダを屋根裏部屋送りにしてな。弟には悪いことをした」
    「そんなことはないよ。あのとき兄さんがあぶり出しの文字で励ましてくれたこと、今でも覚えてる」
    「わあ……麗しい兄弟愛……」
    イリーシャはますます感動を深めた。これだからジェターク兄弟推しはやめられない。

  • 13511_5/623/03/20(月) 06:17:27

    「あーもう! 敵とイチャついちゃダメでしょイリーシャ!」
    メイジーが友人から無線機を奪い取った。兄弟に向けてまくし立てる。
    「ラウダ先輩、これからどうするつもりです? 今でもジェターク社の元社員は冷遇されているんですよ? 貴方が我々の元を去るというなら彼らの雇用は保証できません。貴方一人のワガママで、貴方たちを支えてきた社員の生活を台無しにするつもりですか?」
    「それは……」
    口ごもったラウダをかばうように、兄が前に出る。
    「それについてなんだが……どうやらミオリネが上手くやったようだ。むしろお前らのほうが、自分の今後を心配したほうがいいぞ」
    「……へ?」
    「今、ティルから連絡が入ったよ。ミオリネの告発が受理されたそうだ。クエタ・テロの真相に関する新しい証言と証拠が、説得力のあるものだと認められたようだぞ」
    「……!」
    もはやメイジーは反論するどころではなくなっていた。
    シャディクたちの妨害よりもミオリネの動きのほうが早かった。つまり、ベネリットグループの主導権争いでの敗北が決定したのだ。確かにジェターク社の元社員の雇用をどうこうする余裕など、もう自分たちにはない。
    「かっ、帰るよイリーシャ! こんなことしてる場合じゃないっ!」
    「えっ……? あ、うん、そうだねメイジー。早く逃げないと」
    メイジーは友人を促してから、決闘場を走り去る。
    イリーシャは名残惜しそうに2機のディランザに視線を送ったが、未練を断ち切って友人の後を追う。

  • 13611_6/623/03/20(月) 06:18:16

    去っていくシャディクの部下たちをモニター越しに眺めて、弟は兄に尋ねた。
    「あの二人を逃がしても大丈夫?」
    「……迂闊に追うのは危険だ。下手に追い詰めれば自爆攻撃を仕掛けてくるかも知れん。それに……」
    「それに?」
    「できれば殺し合いにはしたくない。素直にシャディクと一緒にどこかへ逃亡してくれれば、それが一番いいんだが」
    「……そうだね、兄さん」
    兄は戦いを忌避していた。その覇気のない声にラウダは胸を痛める。こんなのは兄さんらしくない。
    そして兄がそうなった原因は、間違いなく。

    『あのとき父さんを殺したのは、俺だ』

    兄の語ったその体験が、今も彼の心を蝕んでいるのだろう。その事実はラウダの表情を暗くさせる。
    ラウダ自身にとって父の死は、兄が生きて帰ってきたことに代わるほどの衝撃ではない。たとえ兄が自らの手で父を殺したのだとしてもだ。兄自らが自分にそう告白してくれたのだから、いくらでも受け止められる。
    つらいのはむしろ、父の死によって兄が変わってしまったことのほうだ。

    だが、それでも。
    「兄さん……会いたかった」
    それでもラウダの瞳からこぼれたのは、喜びの涙だった。
    長かった。
    父と兄を失い、何のために生きているのかを見失って、それでも会社に降りかかる苦難と戦い続けた。
    己の激情を理性で必死に抑え込み、ただひたすらに、事態の好転を待った。
    その孤独な日々が、やっと今、報われたのだ。
    「おかえり、兄さん」
    「……ただいま、ラウダ」
    モニターの向こうの兄に向かって、ラウダは泣きながら、微笑みかけたのだった。

  • 137二次元好きの匿名さん23/03/20(月) 07:08:21

    良かった
    とても素晴らしい

  • 138二次元好きの匿名さん23/03/20(月) 07:26:12

    今日の更新分も面白かった!
    イリーシャちゃんまさかのジェターク兄弟推しで草

  • 139二次元好きの匿名さん23/03/20(月) 07:42:40

    良かったあ

  • 140二次元好きの匿名さん23/03/20(月) 07:44:50

    イリーシャちゃんが技術と関係性込みで兄弟推ししてるのが可愛いね。後、常に冷静なのも素敵。

  • 141二次元好きの匿名さん23/03/20(月) 07:49:59

    >「あのとき燃やしたのは観賞用のコピーだよ。本物は全て、専用の真空保管庫で保存してある」

    >「ふっ。俺の弟の几帳面さを舐めるなよ」

    >「ああああああ、なんなのよこの兄弟はもう!」


    いやもうホントになんなんだよw

  • 142二次元好きの匿名さん23/03/20(月) 08:05:15

    ラウダくんを取り戻せて良かったなあ。でも、目的果たしたらグエルが無謀な行動に出ないか心配。
    ソフィとノレアは止めるの頑張って欲しい。

  • 143二次元好きの匿名さん23/03/20(月) 08:08:50

    さすがラウダ、ブラコンがカンストしている
    こんなん絶対兄さんを死なせないやろ

  • 144二次元好きの匿名さん23/03/20(月) 13:38:14

    89レス目、
    この時の2人の思い出があったからすれ違わずにすんだんだなあ
    アルバム燃やしたところで緊張したわ

  • 145二次元好きの匿名さん23/03/20(月) 14:12:23

    ほわほわしながら鋭いイリーシャほんと可愛い

  • 146二次元好きの匿名さん23/03/20(月) 19:12:20

    ソフィとノレアの見立てが確かならグエルはまだ壊れっぱなしだが……
    グエルに救われた者たちがグエルを救ってあげていただきたい

  • 147二次元好きの匿名さん23/03/20(月) 21:00:22

    ラウダがやっぱり兄さんのこと大好きで安心した!
    グエルは死なないでくれ……!

  • 148二次元好きの匿名さん23/03/21(火) 01:29:30

    切れ者だけど抜けてるメイジーと抜けてるけど切れ者のイリーシャの対比が良い
    ソフィもノレアもラウダも救ったグエルは幸せになれ…

  • 14912_1/823/03/21(火) 05:26:38

    戦争の危機はひとまず去った。
    グラスレーに巣食っていたシャディク一派は逃走し行方不明。グループ内の混乱も、ミオリネ総裁代行が中心となって動いたことでどうにか収まった。
    火種はあちこちに残っている。ベネリットグループの影響力は大きく低下し、宇宙の秩序は乱れつつある。アーシアンの複数のテロ組織をはじめ、現状に不満を持つ勢力もおおっぴらに動き始めているようだ。
    だが、一息つくだけの余裕が、やっと地球寮に生まれていた。

    そんなある日。
    青年は、医療研究室の真ん中に座らされていた。
    困惑気味に周囲を見渡してみると、左隣にはノレアが座り、真面目な顔で前を向いている。
    右隣にはソフィが陣取り、大口を開けてあくびをしている。
    「……なんなんだ? これは」
    「兄さんの治療だよ。大事なことだから、ベルメリアさんの話をよく聞いてくれ」
    背後に座るラウダが、これまた真面目な口調で告げてくる。

    ――治療?

    その単語に首を傾げている間に、青年の前方に立つ女性――ベルメリア・ウィンストンが、手にレジュメを持ったまま一礼した。
    「ではこれより、今回の実験の概要を説明します」

  • 15012_2/823/03/21(火) 05:27:15

    「人間をはじめとした一定程度に社会化した生物は、同族に対して自らの持つ情報を共有しようとする本能を持っています。ミツバチのダンスしかり、イルカのエコーロケーションしかり。同族に対してエサの場所や危険の存在を伝えることは、種の保存と繁栄に直結する。だから社会化した生物は、何か重要な情報を得たなら、可能な限りそれを仲間と共有しようとするのね」
    「……ぐー……」
    右隣でソフィが早くも居眠りを始めたが、青年はそれを無視してベルメリアを注視する。
    「人間も同じ。個体差はあるけれど、重要と判断できるような情報を知ったら、それを他人に伝えたい、共有したいという欲求が必ず働く。そして欲求が働くということは、その行動が阻害されたとき、ストレスを感じるということでもある。
     たとえば情報を伝達する手段がなかった場合。手段があったとしても伝える機会がなかった場合。手段も機会もあって伝えることができたとしても、伝えた相手がその情報を正しく受け取ってくれなかった場合。こういった状況が訪れると、人間はストレスを感じるわけね」
    「……痛っ」
    左隣のノレアが青年の背中越しにペンを投げつけ、ペンを頭にぶつけられたソフィが小さく悲鳴を上げた。
    青年は見なかったことにし、ベルメリアの講義を聞き続ける。
    「このストレスは、おおむね情報の重要度に比例して大きくなる傾向にある。大したことじゃないと判断した情報は、伝えられなくても記憶にも残らない。そもそも伝えようとすら思わない。逆に、命に関わるほどの情報を他人と共有することができない状況に置かれたなら、人は大きなストレスに晒され続けることになるわ」
    「つまり、人を殺したり、人に殺されそうになったり。そういう体験をしたのに、それを誰とも共有できない状況、ってことだね」
    ソフィが得意げな顔で補足してくる。
    今までの所業のせいで台無しだぞ、とツッコミを入れようとして、青年は思いとどまった。彼女が今口にしたことの重要性に気づいたのだ。

  • 15112_3/823/03/21(火) 05:27:56

    「人が死ぬような場面に遭遇して、けれどその情報をうまく他人と共有できない場合、その人間は大きなストレスを抱え続ける羽目になる、ってことか?」
    「そう。ちょうど今のあんたみたいに、ね」
    左のノレアも同意してくる。
    彼女はベルメリアから説明を引き継ぎ、続けてきた。
    「あんたが自分の父親と戦ったこと、そしてあんたの父親が戦死したこと。その事実についてはこの場にいる全員が知っている。でもそれは情報を共有したわけじゃない。ただ事実を知っただけ。だからボブはずっと記憶の影に苦しみ続けている」
    「それは……そうかも知れないが」
    「あんたはまだ、睡眠導入剤がないとまともに眠ることもできない。そうでしょ?」
    図星を指され、青年は黙り込む。
    ノレアの言う通りだった。今も目を閉じれば、父の最期の姿がありありと脳裏に浮かんでくる。薬を使わなければ意識を眠らせることができない。
    だが、もうどうしようもないことだ。青年と父親の戦いの場面は誰も目撃していない。誰とも共有できないあの記憶は呪いと化し、生涯にわたって青年の心を蝕み続けるだろう。
    「そこでこいつの出番だよ、兄さん」
    青年の背後でラウダが立ち上がる。彼はいつの間にか白いヘルメットを被り、右腕全体を覆う白い手甲のようなものを嵌めていた。
    「それはなんだ?」
    「ガンダム社が試作したGUND医療装置。乱暴に説明すれば、限定的なテレパシーを実現するアイテム、ということらしい」
    「テレパシー? そんなことができるのか?」
    驚いていると、ベルメリアが苦笑しながら説明を加えた。
    「テレパシー自体はそれほど大したことではないわ。宇宙開拓時代より前には実用化されているし。ただし、脳に電極を埋め込むような侵襲式の方法でないと高い精度が出ないという難点を解消できなくて、あまり普及しなかった。
     これはその難点をGUND技術を用いて克服したもの。手のひらを相手の頭部にあてると、脳波を読み取って自分の脳に直接伝えることができる。つまり相手が脳内で強くイメージした映像を、自分の脳内に高い精度で再現することができるのよ」

  • 15212_4/823/03/21(火) 05:28:23

    ラウダが前方に回り込んできた。兄の目を真正面からのぞき込む。
    「これを使えば、いま兄さんを苦しめる記憶を自分も共有することができるはず。今日の実験はそれが狙いなんだ」
    決然とした表情のラウダに、兄はたじろいだ。
    待て。待ってくれ。あの記憶を――死に行く父の光景を、弟にも見せろというのか?
    「駄目だラウダ、そんなことをお前にさせるわけにいくか。あれは俺の罪だ。俺一人が引き受けるべきものだ」
    「兄さんの罪じゃないだろ。正当防衛は罪じゃない。たとえ罪だとしても、兄さん一人で引き受けるものじゃない」
    「駄目だ、そんなことまでお前に背負わせられるか。あれは、あの光景は、俺が墓まで持っていく。兄としてその程度のことは――」
    「いい加減にしろ! それで誰が幸せになる!? それが何の解決になるんだ!」
    激昂したラウダが、兄の胸倉を左手でつかみ上げる。
    激怒する弟の顔。何年も見たことがないその表情を目にして、兄は絶句する。
    そこへ、両隣からさらなる追い打ちが飛んだ。
    「ボブはそういうところが本当にダメだよね。あんた一人で抱え込んでもストレスになるだけだって、ベルメリアがそう言ってたじゃん」
    「一人の苦しみは仲間全体で肩代わりする。一人の喜びは仲間全体で分かち合う。これは遥か昔から伝わる兵士の常識。あんたもパイロット志望ならそう習ったはず」
    ソフィが呆れたように肩をすくめ、ノレアはたしなめるような目でこちらを見つめる。
    「ラウダさんには、この実験の危険性についてあらかじめ説明させていただいています。それでも彼は被験者になりたいと希望してくれました。どうか、この治療を試していただけませんか」
    ベルメリアが頭を下げるに至り、兄は観念するしかなくなった。
    一つ息をついてから、弟に顔を向ける。
    「わかった。あの記憶を、お前と共有する」

  • 15312_5/823/03/21(火) 05:29:06

    手甲に包まれた右手を、ラウダが青年の額に当てた。
    「兄さん。辛いかもしれないけれど、強くイメージして。そのときに出る脳波を、この装置が拾うから」
    「……ああ、わかった」
    覚悟を決め、青年は瞼を閉じる。ただそうするだけで、脳裏に父の姿が浮かび上がる。父の声が響き渡る。
    「探したんだぞ……」
    いつものとおりの光景。
    その光景の向こうに――
    「え?」
    父の奥に、弟の姿が見えた。自分と同じように父を見つめる、弟の顔が。
    あわてて瞼を開ける。父の姿が消えた。弟の姿は――瞼を閉じる前と同様、目の前にある。
    その瞳に、涙が光っていた。
    「……父さん……」
    悲しみと、無念と、そして、喜びと。あらゆる感情がないまぜになった表情で、ラウダが目を閉じる。
    「……そうか。最後はちゃんと兄さんのことを心配してくれたんだ。そうか……」
    ラウダの今の感情を、他人が推し量ることはできない。だが兄は確かに実感した。
    父の死を、弟に伝えることができたのだと。

    ――ああ。やっと……

    兄も目頭を押さえた。あふれ出る涙をこらえる。
    「実のところ、父さんについてはあまりいい思い出がないんだ。それにたぶん、あの人は沢山の人に迷惑をかけていた。
     ……きっと、あのときのテロも、父さんが……
     でも、それでも、俺は父さんが好きだった。好きだったんだ……」
    「わかるよ、兄さん。
     もっと家庭を省みてほしかった。もっと自分たちを見てくれって思った。ちゃんと話を聞いてくれって思ってた。
     いい父親じゃなかったかも知れない。いい人間でもなかったかもしれない。でも、それでも」
    「ああ。確かにあの人は、俺たちのことをあの人なりに愛してくれてたんだ……」
    虚しさと、苦しみと、感慨と。
    無数のものを二人で共有し、兄弟はただ、涙を流したのだった。

  • 15412_6/823/03/21(火) 05:29:32

    そして、昼食を挟んで2時間後。
    「実験はまだまだ終わってないよ!」
    「次は私たちの番ね」
    再び医療研究室に戻った青年を、二人の少女が挟みこんだ。二人とも、先程までラウダが付けていたのと同じ装置を身に着けている。
    白いヘルメット姿の少女二人を交互に見やってから、青年は半眼で告げた。
    「その姿はなんだ。何の情報を共有するつもりだお前ら」
    「お、なんか声にドスが効いてきたね。昔の自分を取り戻しつつあるって感じ?」
    「生意気な態度ね。ボブのくせに」
    「質問に答えろ」
    重ねて尋ねると、ソフィがにやりと笑みを浮かべた。
    「もちろん捕虜時代の記憶さ。あれもボブにとっては強いストレスになってるはずだからね」
    「テロリストに殴られ続けるなんて体験は、ふつうの人間には正しく受け止めることはできない。だから私たちの出番」
    真面目な顔でノレアも続ける。ヘルメットのせいで珍妙な光景になっているが。
    青年は歯をむき出しにした。
    「お前らにだって伝えられるか! あんな酷い記憶を!」
    「おやおや。ヌルい環境でぬくぬく育ったスペーシアン様が、ちょっと痛い目見たくらいでエラそうに言ってくれるねぇ」
    「私たちの味わった境遇に比べれば比較にならない。不幸自慢で私たちに勝てると思わないことね」
    「何のマウントを取ってるんだよお前らは!?」
    大声でツッコミを入れるも、二人の少女は止まらない。白い手甲を掲げつつじりじりと近寄ってくる。ヘルメット姿で。
    こいつら本気だ。悪寒を覚えた青年が後ずさる。
    そんな彼の前に、横からさっと人影が現れた。
    「待て、お前たち。兄さんの記憶を無理やり覗き見るなんて真似は許さないぞ」
    頼れる弟は、兄に近づこうとする少女たちに厳しい視線を向ける。

  • 15512_7/823/03/21(火) 05:30:13

    「ほ~う。裏切るつもりか弟クン」
    「この装置の発案者は私たち。制作にも協力した。あんたはこの実験に参加しただけ。なのに自分だけボブの記憶を共有するなんて、図々しいにも程がある」
    「兄さんの同意を得てからにしろと言っているんだ。兄さんのプライバシーを無許可で侵害しようとするんじゃない」
    正論を盾に兄を守ろうとするラウダに対し、ソフィが邪悪な笑みを浮かべた。
    するすると彼の右側にすり寄り、小声で告げる。
    「じゃあ弟クンは見たくないんだ。今まで知らなかったお兄ちゃんの一面を。お兄ちゃんのプ・ラ・イ・ベートを」
    「…………っ!!」
    ラウダの目が見開かれる。
    なにやら葛藤し始めた弟の左隣に、今度はノレアが忍び寄る。
    「好きな人のことって、色々知っていたいものよね。他の誰も知らないことを、自分だけが知っている……独占できる。今はその絶好の機会」
    「……くっ! やめろ魔女ども、悪魔の誘惑をささやくな……!」
    ラウダは両耳を手で抑え、本気で苦悩し始めた。
    今まで知らなかった弟の一面を目の当たりにし、兄はあっけにとられる。

    ――ラウダ? ラウダ? 悩むところなのか、そこ? 俺のプライベートなんか知ってどうするんだ、ラウダ?

    収集がつかなくなりつつある事態を収めたのは、この実験の責任者の声だった。
    「おふざけはそこまでにしておきなさい。グエルくんに新しいトラウマを植え付けることになるわよ? 貴方たち」
    ベルメリアの一言で、ラウダは正気を取り戻した。ソフィはちぇ、と舌打ちして引き下がり、ノレアは憮然としながらもヘルメットを外す。
    青年は安堵し、そして眼前の3人の良識について、少しばかり疑いを深めることになったのだった。

  • 15612_8/823/03/21(火) 05:32:41

    実験が終わり、5人が医療研究室の後片付けをしていると、唐突に扉が開かれた。蹴り開けられたのかと見紛う乱暴さで。
    5人ともがあっけにとられているところへ、怒鳴り込むような勢いでミオリネが入ってくる。女社長はつかつかと部屋の中央まで歩み寄り、前置きなしで告げてきた。
    「エアリアルの情報を掴んだわ。あちこちの宙域で戦闘に介入して、ガンダムを狩ってる」

  • 157スレ主23/03/21(火) 05:33:20

    皆様、お読みいただきありがとうございます。感想に返答ができていませんが、とてもとても励みになっております。

    さて、いよいよ最終章……なのですが難航しており、土曜日あたりまで投下が難しそうです。申し訳ありませんがしばらくお待ちいただけると幸いです。スレの保守作業はこちらでさせていただきます(手伝っていただけると嬉しいです。感想いただけると更に嬉しいです)。

    これだけだとなんですので、ちょっとだけ制作裏話。
    このお話を思いついたのは、EXPOのイラストに描かれていたソフィとノレアでした。魔女になる前と思われる二人が夜空を見上げる光景をどうにか物語にしたい、と思っていたら、妄想があふれてこんな感じに。自分でもちょっと驚きです。
    第2クールPVは不穏な感じですが、この二人はもちろん、可能な限り多くの登場人物が幸せな結末に至ることを祈っております。

    なお、今回のお話に出てくる情報共有に関するストレス云々の件ですが、元ネタは文献ですが、7割がた私の想像による作り話ですのでご注意を。

    それでは、また。

  • 158二次元好きの匿名さん23/03/21(火) 07:49:48

    最近の朝の楽しみでしたので続きをのんびりお待ちしてます
    たまに保守しますねー

  • 159二次元好きの匿名さん23/03/21(火) 13:37:26

    阿吽の呼吸だったジェターク兄弟かっこよかったです

  • 160二次元好きの匿名さん23/03/21(火) 13:54:37

    >>157

    クオリティ高くてずっと楽しみにしてます

    女の子に舐められるボブは実に良い…

    気長に待ってますー

  • 161二次元好きの匿名さん23/03/21(火) 21:26:27

    保守

  • 162二次元好きの匿名さん23/03/22(水) 02:34:36

    保守よいしょ
    すごい読み応えある~~

  • 163二次元好きの匿名さん23/03/22(水) 07:50:53

    ほっしゅほっしゅ

  • 164二次元好きの匿名さん23/03/22(水) 18:13:18

    保守るぜ!

  • 165二次元好きの匿名さん23/03/22(水) 19:24:13

    楽しみに待つ!ほしゅ

  • 166二次元好きの匿名さん23/03/22(水) 23:42:57

    楽しみに待ってます。

  • 167二次元好きの匿名さん23/03/23(木) 05:42:13

    グエル生きろ…

  • 168二次元好きの匿名さん23/03/23(木) 12:37:50

    シャディクとガールズはこのまま退場なのだろうか? メイジもイリシャも好きでまた会いたい気持ちもある··· スレ主勝手だけど!! どんな結末でも楽しみにしています!

  • 169二次元好きの匿名さん23/03/23(木) 22:34:04

    保守

  • 170二次元好きの匿名さん23/03/24(金) 01:01:36

    熱い展開、シリアス展開の合間にラウダの様子がおかしいと安心するな

  • 171二次元好きの匿名さん23/03/24(金) 06:37:13

    保守

  • 172二次元好きの匿名さん23/03/24(金) 15:11:51

    続き楽しみにしています。
    保守

  • 173スレ主23/03/24(金) 20:52:21

    火曜日に連絡したとおり、明日土曜日の早朝に第13話を投稿いたしますので、それまで保守作業は不要です。ご協力いただいた皆様ありがとうございました。また、感想や期待の声を寄せていただいた皆様、本当に励みになりました。

    このスレッドだけでは最後まで書けそうにないので、190レスを超えそうになったら次スレッドを建てさせていただきます。予めご了承ください。

    また、相変わらず返答ができず申し訳ありません。現在エピローグを書くのに集中しております。すべて終わりましたら返答に入りたいと思います。よろしくお願いします。

  • 174二次元好きの匿名さん23/03/25(土) 05:02:19

    期待の保守

  • 17513_1/923/03/25(土) 06:29:49

    作戦前の休憩時間が終わりに近づいている。そろそろパイロットスーツに着替えようと、ノレアは腰を上げた。
    ついでに、ブリーフィングの内容を反芻する。

    ――まず第一に、エアリアルは戦闘中のガンダムを狙い、襲いかかっては破壊する。そんな辻斬り行為を繰り返している。そして戦闘宙域周辺の施設の監視カメラを確認する限り、戦闘のたびにパーメットスコアが上昇していると思しき形跡がある。
    「スレッタが学園に転入してからずっと、エアリアルは決闘を繰り返していた。そして戦うたびにパーメットスコアを少しずつ上げていた。これは、学園に残っていた決闘のデータの分析結果からもはっきりしてる」
    ミオリネの説明を、ノレアは思い出す。
    「スレッタのお母さんが私に別れを告げたとき、もうここでの戦いは充分だと言っていた。今にして思えば、決闘ではこれ以上パーメットスコアの上昇は見込めないから、実戦で上げるって意味だったのね」
    内紛は収まったものの、ベネリットグループの影響力は大幅に落ち、グループの力によって押さえつけられていた不満があちこちで噴出している。テロ行為すら何度か記録され、その中には地球圏にばら撒かれたガンダムによると思われるものもあった。
    それらの戦闘に介入することができるなら、確かにこの状況は、エアリアルに実戦経験を積ませる絶好の機会だ。特にGUNDフォーマット同士での戦いは共鳴現象を引き起こし、パーメットスコアの上昇を誘発するらしい。ガンダムだけを狙い他のモビルスーツを無視しているのはそのためなのだろう。

  • 17613_2/923/03/25(土) 06:30:17

    ――第二に、エアリアルは自身の11基のガンビットを用いて、かなり遠方までの電子機器と「繋がる」ことができる。
    「クエタ・テロの再現シミュレーションから得た結論よ。エアリアルがノレアたちのガンダムと戦っている最中に、スレッタはニカたちの無事をエスカッシャンを通じて確認したと言っていた。二つ以上離れた区画に停泊している船の無事を、ね。プラントの監視設備をジャックして見ていたとしか思えない」

    ――第三に、エアリアルのガンビットには、独自の「意志」がある。
    「既存の概念とは別物の技術で成り立つAIなのか、人間の魂を封じ込めたのか、新種の精神生命体なのか、それはわからない。決闘のデータとソフィの証言しか判断材料がないから、正体までは不明。でもエスカッシャンのあの動きは、操縦者とは別の意志でも持っていなければ説明できないと分析結果が出た」

    聞けば聞くほどデタラメな話だ。
    今のエアリアルはガンダムとの実戦を通じ、かつて自分たちが追い散らされたときよりもさらにパーメットスコアを上昇させているはず。さらには電子機器と「繋がる」能力とガンビットの独自意志により、不意打ちもほぼ不可能。おそらく現行のモビルスーツでは、エアリアルを鹵獲するどころか太刀打ちすることすら困難だろう。
    対抗手段があるとすれば消耗戦。大物量をぶつけることで連戦を強いてエネルギー切れに追い込むくらいだが――
    「大規模に部隊を動かせば、どう隠蔽したところで事前にエアリアルに伝わる。その時点で逃げられたら作戦失敗。有効な手とは言い難いわ」
    つまり、もしスレッタ・マーキュリーが大人しく言うことを聞いてくれない場合は、あらゆるモビルスーツを上回る性能を誇るエアリアルに少数部隊で挑み、鹵獲にまで持ち込むしかない、ということだ。

  • 17713_3/923/03/25(土) 06:31:13

    ――戦いになれば……普通に考えて勝ち目はない。自殺行為ね。

    そこまで思考を巡らせて、ふとノレアは、つい2ヶ月前のことを思い出した。
    星の見える丘で自殺しようとしていたところを、ボブに無理やり止められ、強引に担ぎ上げられ、昏睡状態のソフィとともに宿の一室に放り込まれたときのことだ。
    あのときノレアはしばらく呆然自失していたが、一日目の夜にボブが外から返ってきたとき、突然我に返った。

    ――よくも。よくも!

    座っているボブの背後に忍び寄り、服の下に隠し持っていたナイフを取り出し、怒りと憎しみのままに首筋に突きつける。
    「あんた、人の命を救ったとでも思ってるの!? スペーシアンらしい自己満足よね、本当! 気まぐれに他人の人生を弄んで、善行を積んだつもりで笑ってる……そこが、その傲慢が一番許せない!
     絶対にっ! 絶対にあんたは殺してやる!」
    力が入るあまり、途中から刃は首を浅くえぐっていた。血が流れ出、ナイフを伝う。

  • 17813_4/923/03/25(土) 06:31:47

    その状況で、ボブは身動きすらしなかった。ただ煩わしげに、嘆息する。
    「……ああ、うん。
     ちょっと待ってくれ。今、ソフィを治療してくれそうな会社に接触を図ってるところだ。あそこはガンダムの開発部門も買収してたし、受け入れてもらえると思う。だからそれまで、俺を殺すのは待て」
    「ふざけるな! そんなもの、そんな都合のいいものがっ」
    「あるんだ。この近くの空きオフィスを最近借りたのも確認した。その伝手でどうにか連絡を取ってみる」
    その時点で、激情に駆られていたノレアも気づく。首筋をナイフで抉られる真っ最中だというのに、眼前の男は脱力したままだ。声もいつもどおり、何の感情も乗せないぼそぼそ声。

    命の危険など一切感じていない。いや、命に危険が及ぶことを一切気にしていない?

    男の異様さに圧され、ナイフをわずかに引く。血に汚れた刃が宙に浮く。
    ボブは静かに振り返り、死んだままの目をこちらに向けてきた。
    「ソフィを受け入れてもらったら……弟も助け出さなきゃいけない。そっちは……上手くいかないかも知れん。
     だが、まあ、弟を助け出すまでは待て。それが終わったら、俺を殺してくれて構わん」
    「……自分の命なんか惜しくないって、そう言いたいの?」
    「…………」
    男から返答はなかった。だが、なんとなく言いたいことはわかった。
    殺してくれたほうが楽だ、と。

  • 17913_5/923/03/25(土) 06:32:27

    2ヶ月前と同じ大きな背中を見つけ、それが一人で椅子に座って休憩しているのを確認し、ノレアは静かに忍び寄った。
    首筋に軍用ナイフを突きつけ、口を開く。
    「弟を助けだしたら、殺してくれて構わない。そういう約束だったわね? 
     もう期限は過ぎてる。殺していい? ボブ」
    「……!」
    ボブはびくりと身をすくませた。全身を硬直させ、前を向いたまま口を開く。
    「あー、そういえば、そういう約束をしたな、お前と。
     ……悪いが、もう少し待ってくれないか?」
    「どれくらい?」
    「まずこの作戦を終わらせて、帰って、ラウダに遺言を書いて。それに地球寮の仕事の引き継ぎもして。ジェターク社の始末についてのミオリネとの交渉もまだ途中だったか。ジェターク寮のあいつらにも別れの挨拶……」
    「何十年かかるの? それ」
    「一ヶ月、いや、二週間あれば済ませられる、と思う」
    そこでボブは、顔をうつむかせた。
    絞り出すような声で、尋ねてくる。
    「……まだ、殺したいか。俺を」
    「まだ憎しみは、消えてはいない」
    「……俺を殺したあとも、スペーシアンを殺すのか? お前は」
    「あんたを殺したなら、そうするわ」
    「…………」
    真剣に悩み始めたボブを見て、ノレアはナイフを引いた。放っておくと、この場でこちらを巻き込んで無理心中を図りかねない。
    ナイフをホルダーにしまい込む。
    「でも、どうやら、あんたを殺すのはもう無理。だから約束はなかったことにしていいわ」
    「……え?」
    ぽかんと口を開けて、ボブはこちらに振り返る。
    その目がもう死んでいないのを確認してから、ノレアは告げた。
    「まだ自分の命をどうでもいいと思ってるようなら、ソフィを連れて逃げ帰ろうと思ってたけど。心配はなさそうね」

  • 18013_6/923/03/25(土) 06:33:13

    「……試したのか? 俺を」
    「自殺特攻に付き合うつもりはないの。少なくとも、今の私は。
     だからボブにその意志がないのを確認しておきたかった」
    そう言ってやると、ボブは唇を歪めた。怒りの表情を浮かべ、まくしたてる。
    「お前といいソフィといい……! 人を試すのは構わんが、もう少し穏当な手段を使えよ! 俺じゃなきゃ本気で嫌われるぞ!」
    「あんた以外に使うわけないでしょ。こんな手」
    「なおさらタチが悪いぞ!」
    とうとう立ち上がり、顔を真赤にして怒鳴るボブを、ノレアは見上げる。
    2ヶ月前にはこの体躯に、何の威圧感も活力も感じなかったものだが。
    「お前らはいずれ社会復帰プログラムを受けるんだからな、少年兵用の! その時も今みたいな態度だったら、いつまで経っても合格できんぞ!」
    「そうなったら、ソフィと二人で寄生生活ね。あんたの家で、死ぬまで」
    「そんなこと許すはずがないだろうが、俺はともかくラウダが! あいつ本当に厳しいんだからな!?」
    「うーん。弟くんを篭絡する必要があるってことね。彼の好みとか教えてくれる? ボブ」
    「やめろ! 俺の弟におかしな真似をするのは許さん!」
    今のボブは活力の塊だ。口下手だが感情豊か。あの捕虜生活の時が、本当に人生の例外だったということだろう。
    ソフィが気に入るのも判る。そしてたぶん、自分自身も。
    「死なないでね。ボブ」
    「……なんだ、急に」
    いきなりテンションを落とされて戸惑うボブに、ノレアはくすりと笑いかけた。
    「言いたかっただけ。じゃあ、また」
    「……ああ」

  • 18113_7/923/03/25(土) 06:34:49

    エアリアルの次の出現場所、すなわちガンダムが参加する戦闘が起こりそうな宙域は、推測で割り出すしかない。
    テロ組織やそれに準ずる組織の水面下での動き。人や部隊の移動。補給活動の活発化。ミオリネが強引に買収したグラスレーの諜報部隊がフル稼働した結果、割り出されたのがこの宙域だった。そして果たして、付近で戦闘が起こっている旨の通信を傍受することに成功した。
    複数のガンダムを中核とする部隊と、魔女狩り部隊との戦闘。ガンダムを狩るには絶好のシチュエーションだ。

    「結局、スレッタ・マーキュリーの母……プロスペラは、パーメットスコアをそんなに上昇させて何をしたいのかしらね」
    戦闘宙域へと向かいながら、コックピットの中でノレアはつぶやく。駆るのはペイル社のザウォート。かつて彼女が乗っていたガンダムに比較的近い特性を持つ高機動モビルスーツだ。
    「今の段階でさえ広範囲の電子機器と繋がることができると言うなら……いずれエアリアル1機で人類の持つすべての電子機器を掌握できるのか? そうなれば全人類を監視下に置くも同然ってことじゃないか」
    通信で答えてきたのは、ボブの弟であるラウダだった。彼が駆るのは無論、ジェターク社のディランザだ。
    「電子機器だけで済めばいいけどね。ひょっとすると、人の魂すべてと繋がって洗脳するのが目的かもよ?」
    ホラーじみた軽口を叩くのは、グラスレーのハインドリーに乗るソフィだった。もっとも彼女の場合、前回のエアリアルとの戦いの時にガンビットに宿る「何か」と接触しているので、ただの与太と切り捨てられない。
    「……あいつの母の目的が何だろうと、どうでもいい。確認したいのはあいつ自身の意志だけだ」
    低い声で告げたのは、ボブだ。まだ商用化されていない赤いモビルスーツに乗り、3機の真ん中を飛ぶ。
    進むに連れ、周辺に少しずつデブリが増えていく。モビルスーツの残骸だ。

  • 18213_8/923/03/25(土) 06:35:08

    そして、もっとも戦闘が激しかったと思われる宙域を過ぎる。魔女狩り部隊はすでに撤収したのか、影も形も見当たらない。
    「……っ」
    不意にノレアの視界の隅を、カーキ色のパーツが流れていった。
    はっきりと視認できたわけではない。だがあの色は確かに、かつての彼女自身の乗機の色だ。
    自分以外の魔女が乗せられて、そして恐らく、この戦場で散ったのだろう。
    「…………」
    その魔女と自分との違いは何か、と自問する。殺した人間の数の差か、日頃の行いの差か。

    ――違う。運の差だけ。

    たまたまソフィと一緒に心中を決意し、その手伝いにたまたま身体のでかいお人好しを選んだ。そのお人好しが、たまたま度を越えたお人好しだった。そんな幸運に恵まれただけだ。この戦場で命を散らしたのが自分自身だとしても何もおかしくはない。
    その幸運の意味は、まだよくわからない。意味なんて無いのかもしれないし、大きな意味を持つのかもしれない。
    だがまずは、生き延びることだ。この作戦を生き延びることができたなら、幸運を得た意味を考える時間もできるだろう。

    と、赤いモビルスーツ――ダリルバルデから通信が飛ぶ。
    「ラウダ、打ち合わせどおりここで待機だ。後詰めを頼む」
    ラウダの役目は、撤退となった場合の支援、および、主力が撃墜された場合の機体回収。決して安全ではない。場合によっては主力より重要で危険な役目だ。
    それでも、兄が弟を納得させるのは時間がかかった。「駄目そうならすぐに逃げる」と繰り返し説得して、ようやくこの役目を引き受けさせたものだ。

  • 18313_9/923/03/25(土) 06:35:46

    エアリアルが居ると思われる位置へ向かうのは、3機になった。パイロットは奇しくも、かつて地球で旅をしたときと同じメンバー。
    そのまま1分が経過した頃、目的と思われる場所を視認した。宇宙の一角を、青い光が支配する宙域。
    「圧倒的だね……」
    ノレアはつぶやく。
    青い光の正体は、エアリアルの周囲に広がるガンビットだった。近づけば近づくほど、それはまばゆい輝きを放ち、見るものの視界を覆っていく。

    ふと、あの夜の光景を想起する。
    天蓋のように頭上を覆う夜空が、視界いっぱいに神々しく輝きを放ち、人の矮小さを思い知らせたあの夜を。

    そしてその中心に、怪物と化しつつあるモビルスーツが鎮座している。
    エアリアルは自らも青い光を放ち、こちらを待ち構えていた。
    「……どうする? ボブ」
    念のため、通信を入れる。答えはもう、決まっていたが。
    「打ち合わせ通りだ。まず確認する。あいつがいま笑っているのか、泣いているのかを」
    そしてダリルバルデは一機、エアリアルに向けて飛んでいく。

    「ま、そうよね。結局どんな状況でも、あんたの根っこは変わらない」
    ノレアが笑うと、ソフィが混ぜっ返してきた。
    「たぶんあいつ、泣いてるノレアを迎えに来たときと同じ感覚だよ?」
    「さすがに求婚までした相手だから、完全に同じではないだろうけど。
     ……でもきっと、今あいつを動かしているのは、あのときと同じ行動原理」

    だから、あのときと同じ結果になればいい。
    心からそう祈りつつ、ノレアはソフィと別れ、自分のポジションへと向かった。

  • 184二次元好きの匿名さん23/03/25(土) 06:54:15

    うわぁ、待ってました!!! ボブとノレアの会話大好きです!

  • 185二次元好きの匿名さん23/03/25(土) 06:55:55

    ボブ!いやグエル!!活力取り戻せてよかった!

  • 186二次元好きの匿名さん23/03/25(土) 16:47:56

    危険な役目を頼むとはグエルのラウダへの信頼MAX

  • 187二次元好きの匿名さん23/03/25(土) 20:48:01

    グエル率いるラウダソフィノレアの三社量産機小隊とかワクワクするな

  • 188スレ主23/03/26(日) 03:21:37

    次のお話で190を超えるのが確実になったので、次スレッドを建てました。

    【閲覧注意】目が死んでるボブ【加古川SS注意】Part2|あにまん掲示板12話で父殺しをしてしまったボブが、もしそのままフォルドの夜明けに拾われており、かつ誰にも身バレせずに済んだら、を仮想したSSです。前スレはこちら。https://bbs.animanch.com/b…bbs.animanch.com

    次の第14話もこっちに掲載しております。


    こちらのスレッドの残りは、雑談などでご自由にお使いください。

    お付き合いいただきありがとうございます。

  • 189二次元好きの匿名さん23/03/26(日) 05:30:25

    ラウダ戦ではディランザンだったのがダリルバルデに変わるの熱い!

オススメ

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