あの娘はアイカナといって

  • 121/11/18(木) 22:07:54

    私のウマソウルの半妹にあたる『オグリローマン』の幼名であって、「西郷どん」の二階堂ふみさんじゃないんだ。

    ◆知らなかったのか?


    私も知らなかった…

  • 221/11/18(木) 22:08:33

    父馬は、ミルジョージとともに日本のネヴァーベンド系種牡馬の先駆けになったとされる「ブレイヴェストローマン」

    母馬は、1996年NARグランプリ特別表彰馬を受けた名牝「ホワイトナルビー」(オグリキャップ号と同じ)


    北海道三石町の稲葉牧場で1991年に生を受け、幼名「アイカナ」と名付けられる。馬主はオグリキャップ号の初代オーナー、小栗孝一氏。

    93年に岐阜県笠松競馬場の鷲見昌勇厩舎に入厩、同年の7月28日にデビューし、6馬身差で圧勝(3歳ホ新馬 ダート800 安藤勝己)

    主戦の安藤騎手は「乗りにくい馬、怖がりというか敏感な気性。性格的にはキャップとは違っていたが、でも強い馬」と述べている。

    その後も勝ちを重ね7戦6勝(2着一回)の好成績を収めたんだ。

  • 321/11/18(木) 22:12:25

    翌94年、中央競馬栗東トレーニングセンターにて、兄と同じ瀬戸口勉厩舎に転厩。中央競馬初戦は芝1600のエルフィンステークス。

    当時は兄が残した競馬ブームが更に燃えており、観客の期待は当然高かった。

    鞍上が「オグリキャップと伝説を創った」武豊騎手である事から、中央馬主の資格を得た小栗氏の並々ならぬ意気込みも窺える。

    ところが一番人気で始まった本番、ローマンまさかの最下位におわってしまう。まるでプレッシャーに押しつぶされたかのようなレースぶりに皆驚愕する。

    ローマンの敏感で臆病な、他馬を異常に怖がる気性に加えて、初の芝レースという事もあり本領発揮できなかったんだ。

  • 4二次元好きの匿名さん21/11/18(木) 22:15:57

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  • 521/11/18(木) 22:19:24

    しかし一回のシンガリ負けぐらいで「怪物の再来」に期待するファンは、彼女を見捨てなかった。

    続くチューリップ賞は2番人気。


    陣営も中山遠征と重なった武騎手の代役に、エルフィンSで一着の田原成貴騎手に依頼する。


    本気だ…

    そしてレース本番、先行策をとった前走から一転、前有利の当時の中京コースで後方から追い込み、随一の末脚に賭ける策が光明を見出す。

    結果は半馬身差で惜しくも2着。だが、陣営に手応えを感じさせる走りだった。

  • 621/11/18(木) 22:24:21

    いよいよ次は初めてのG1「桜花賞」

    1番人気に推されたのは、阪神3歳牝馬S2着、エルフィンS完勝のローブモンタント。続いてフローラS勝ち馬ノーザンプリンセス、そしてオグリローマンという順。

    中央未勝利にも関わらず高い評価なのは、やはり「あの馬の妹」という期待がこめられてのものなのか。


    鞍上を武豊に戻し、ローマンの馬体も最高の状態に仕上げられた。

    しかしここで一つの不安要素が浮かんでくる。一枠一番を引いてしまったんだ。通常ならば有利な状況なのだが、他馬を怖がるローマンには密接する枠番は悪条件になる。

    もう陣営がやれる事はやり尽くした。瀬戸口調教師から全てを任された武騎手は一計を案じる。


    「スタートからしばらくは最内枠を利して先行する。やがて勝負所で下げて馬群の外へと持ち出し、末脚を爆発させる…」



    迎えた本番、『第54回 桜花賞』


    葦毛の兄と同じ地方からやって来た、「怪物の妹」がクラシックに挑む

    1994年 桜花賞(GⅠ) | オグリローマン | JRA公式


  • 721/11/18(木) 22:31:52

    オグリローマン、1着。

    ハナ差の2着に同じ葦毛のツィンクルブライド、さらに1馬身1/4離れた3着に田原騎手のローブモンタント。


    後に武騎手は「オグリキャップのファンが応援していたんでしょう、当日は3番人気。でも、まさか勝つとは思っていませんでした。」と振り返り、

    陣営関係者も「あの時は、目に見えない力が働いたような気がしました。」と述べている。

    ファンの期待を背負い、兄が実現できなかったクラシック勝利を、小栗氏が決意した中央での夢を、見事叶えたオグリローマン。


    桜舞う阪神競馬場に二度目のオグリコールが鳴り響いた。

  • 821/11/18(木) 22:39:30

    そして全てを出し尽くしたのか、続く優駿牝馬で1番人気のローマンは


    嘘のようにボロ負けした────


    以降武騎手や田原騎手が鞍上でも、出走したレースは精彩を欠き一度も掲示板に乗ることはなかった。

    翌年1月に脚部骨折したことで、「怪物の妹」は引退、中央を去ることになる。



    通算成績 15戦7勝 主な勝ち蔵 『94年 桜花賞』

  • 921/11/18(木) 22:41:23

    引退後は、生まれ故郷の稲葉牧場で繁殖入りし、16年間に計10頭の仔らを出産。

    中央重賞こそないものの、地方での活躍馬を送り出した。

    頭の良い馬で、ファンが訪ねてくるのをちゃんと理解しており、呼ぶと反応して近づいてくる。

    一方で馬に対してはきついところがあり、キリッとしたボスのような存在だった。

    何故か直仔である娘達(オグリロマンスやチジョウノテンシ)が、他の馬に対して威張り始めるらしい…。

  • 1021/11/18(木) 22:46:26

    2015年2月半ばから右トモ(後躯のうちの腰部)が不自由になり、ゴロを打つと自力で立つのが難儀になるほど老いたローマン。

    3月3日の朝、牧場の人が飼い葉をつけにいくと、馬房の中で彼女は横たわっていた。


    そしてその日のうちに、牧場の人々が見守る中息を引き取った。   馬齢24歳

    関係者の方が語るには「スーッと、本当に静かに逝きました」と穏やかで安らかな最期だったという。


    地方競馬出身馬としては、初の桜花賞制覇。クラシック全体で見ても史上6頭目であり、牝馬では昭和26年にキヨフジがオークスを勝って以来43年ぶり、2頭目の快挙だった。

    2016年に桜花賞で勝利などの活躍をして地方競馬全体を盛り上げた功績が認められて、NARグランプリの特別表彰馬に選出された。


    そしてオグリローマンの血は今も脈々と受け継がれている。

  • 1121/11/18(木) 22:48:48

    いかがだったろうか

    本当は「アイカナの由来」や「幼い頃の話」「田原騎手のローマン評」「桜花賞の陣営コメント」など紹介したい事があったが、見つけられなかった…(情報お持ちの方教えてください)


    小栗氏は最後まで『恋馬』キャップ号と共に夢を果たすことは叶わなかった。
    だがローマン号がG1を勝利した事で、どれだけの幸福感をもたらしてくれたかは想像に難くない。

    長々と書いたが、兄とはまた違う『名馬 オグリローマン』に興味を持っていただけたならとても嬉しい。
    読んでくださって、ありがとうございました。

  • 12二次元好きの匿名さん21/11/19(金) 06:54:49

    なぜレスがついてないのか

  • 13二次元好きの匿名さん21/11/19(金) 06:56:11

    >>9

    母親にイジメられたオグリローマンの悲しき過去…

  • 14二次元好きの匿名さん21/11/19(金) 07:59:42

    Up

  • 15二次元好きの匿名さん21/11/19(金) 10:17:29

オススメ

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