ハクチカラ?

  • 1二次元好きの匿名さん23/03/26(日) 09:02:23

    日本ダービーや天皇賞、有馬記念を勝ったあと渡米して現地の賞金王ラウンドテーブル以下15頭を子供扱いしたことくらいしか知らないもん

    他になにか逸話があったら教えてほしいもん


    1959年 ワシントン・バースデー・ハンデ ハクチカラ


  • 2二次元好きの匿名さん23/03/26(日) 09:03:51

    日本競馬を変えた馬もん

  • 3二次元好きの匿名さん23/03/26(日) 09:06:54

    インドで種牡馬やってたもん

  • 4二次元好きの匿名さん23/03/26(日) 09:06:59

    ハクチカラの帰国後、日本に「モンキー乗り」が広まったもん

  • 5二次元好きの匿名さん23/03/26(日) 09:13:55

    ハクチカラ(56年世代・中央32戦20勝・海外17戦1勝・ダービー・天皇賞秋・有馬記念・ワシントンバースデイH)
    日本馬として史上初めて海外重賞を制し、顕彰馬にも選ばれた歴史的名馬。

    デビューから無敗の5連勝をするが、朝日杯では中央での宿敵となるキタノオーに敗れ2着。その後クラシック初戦の皐月賞は調整中のトラブルもあり12着と大敗したが、ダービーではキタノオーを3馬身差で下し優勝。しかし秋の菊花賞ではキタノオーに完敗。年末の中山グランプリ(後の有馬記念)もメイヂヒカリに完敗。やや不安定な成績で4歳を終える。
    5歳になると本格化。夏までに重賞3勝を挙げると、秋は目黒記念でキタノオーを、天皇賞秋では同期の皐月賞馬ヘキラクを下し優勝。年末の有馬記念ではオンワードゼアやラプソデーら後輩の強豪に完勝し優勝。この年の年度代表馬と最優秀5歳以上牡馬に選出される。
    6歳になった翌年以降は海外遠征を敢行。現地に長期滞在するという本格的な挑戦であった。しばらくは惨敗が続いたが徐々に成績を上げていき、7歳2月のワシントンバースデイHで当時の世界賞金王ラウンドテーブル以下を下し優勝。日本馬初の海外重賞制覇という偉業を達成した。その後7月のラストランまで6戦を走り切り、引退。
    引退後は帰国し種牡馬となり、晩年は功労馬として静養され、27歳まで天寿を全うした。

    中央・海外含め通算49戦21勝。中央での八大競走3勝を挙げた実績は無論、何よりも日本馬初の海外重賞優勝馬としてその名を永遠としている名馬。その功績により第1回顕彰馬選考会で即選出された。現在は海外での大レースに遠征し優勝する馬も数多くなったが、その歴史において最初の1ページを刻んだのは遥か60年以上前、この栗毛の馬であった。

  • 6二次元好きの匿名さん23/03/26(日) 09:55:06

    栗毛の国際派

  • 7二次元好きの匿名さん23/03/26(日) 10:05:06

    >>1

    子供扱いと言えるほど現地で強かったわけじゃないもん

    それでもあの時代に海外遠征をして勝利して無事帰って来れたそれだけで競馬史に残る名馬もん

  • 8二次元好きの匿名さん23/03/26(日) 10:06:49

    ラウンドテーブルがドベになってるけど何があったもんこのレース

  • 9二次元好きの匿名さん23/03/26(日) 10:12:26

    >>8

    レース中故障

  • 10二次元好きの匿名さん23/03/26(日) 10:13:57

    怪我の重さが全然違うけど
    ハクチカラがラウンドテーブルに勝った馬というなら
    オフサイドトラップはサイレンススズカに勝った馬ってこれからいうべきだな

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