Midnight Love Call[SS]

  • 1123/03/31(金) 23:59:27

    「雨、か」

    外は、冷たい雨が降る。

    夜から降り出した雨は強まることなく、しかし弱まることもなく、しとしと窓を叩いていた。
    日は沈んだというのに、月明かりがないのはそのせいだ。気分が沈んだままなのも……多分、そのせいだ。
    カーテンを開けてみても、見渡す限りの黒、黒、黒。それと、少し反射して見える自分の顔と、口元の小さな曇り。
    久しぶりの一人きりは、しかして望んだ程の心地よさはなく、部屋にはどこか、寂しさが満ちていた。

    「……不思議」

    私は、──アドマイヤベガは、一人が好きなのではなかったか。

  • 2123/04/01(土) 00:00:25

    いつもカワイイ同じ部屋の住人は、今日は遠征で不在。いつだかぶりに天体観測と行きたかったのだが、生憎の天気。
    本でも読もうか、と思うまではいいものの、何故か今日は、気分が乗らない。昨日まで躍起になって読んでいたあの本も、最近気になったあの本も、昔から何度も読み返すあの本も、全部全部、手に取る気がしなかった。
    私のどこかが、ささくれみたいになっていて、それに引っかかっているような、そんな感覚。
    何か落ち着かなくて、ふわふわのベッドで横になってみたり、立ち上がってうろうろとしてみたり、そして今、窓の外を眺めたりしていた。

    「少し、紅茶でも淹れてみようかしら」

    同室の後輩の、香港土産。何故中国茶じゃなかったかと聞くと、
    『アヤベさんって、どっちかというと洋風が好きそうだから』
    なんだと。まぁ、間違いではない。全く、気遣いができる後輩で、心底助かっている。イギリスの茶葉も、昔は中国から輸入していたようだし、本場の味……とも言えるのだろうか。

  • 3123/04/01(土) 00:01:15

    ティーパックを出して、お湯が沸くのを待つ。その間、少し、考えてみた。
    あの人のこと。

    ……多分、そうなんだろう。一番最初に出てくるということは、そういうことなんだろう。
    自分でも、驚いてしまう。
    人肌が恋しいの?同居人がいないから?それとも……彼が出張に出てるから?

    「本当、馬鹿げてるわ」

    一人呟きながら、沸いたお湯をカップに注ぐ。湯気が窓に反射しているのを、ぼんやり見つめていた。
    そう。馬鹿げてる。別に、彼はいつも私の側にいるわけではないし、それは普通のことだ。そもそも、寮はトレーナーと生徒別々にあるし、行き来もできない。夜は彼と会うことすら無かったのに。
    明らかに、今日は独り言が多い。
    ティーパックを取り出す。少し勢いをつけて、全てを腹の中に押し込むように飲んだ。

    「……苦い」

    それはもう、すごく。
    比喩とか、私の気持ちの代弁とかじゃなくて、単純に、驚くほど。
    ついてないと思う。もうこんな日は早めに寝てしまおうとも思う。
    ……しっかりしなさい。それができないから、こうして気分を落ち着かせてるの。
    と言っても、もうどうしようもない。打てる手は打ったのだ。そもそも、ふわふわの布団でどうにもならなかった時点で気づくべきだった。
    珍しく机に突っ伏して、どうしようと思い悩んだその時に、
    ふと、あるものが目に入った。

  • 4123/04/01(土) 00:01:55

    それは、固定電話。旧式で、いつのものだかわからないし、使ったことは無いけれど。電話線のしっかり通った、黒電話。確か、電波の不備や携帯が動かなくなった時の非常用だと聞いている。

    「──電話でも、してみようかしら」

    『あの人に』

    ……全部言う前に口をつぐんで本当に良かった。慌てて自分の頬を触る。私は何を言ってるの?レースも近くない、トレーニングも、あの人が書いてくれたメモ通りにやっている。体の不具合なんて全くなのに。なんの用事もないのに。
    あの人だって、きっと暇じゃない。私以上に疲れてるかもしれないし、もう眠ってしまっているかもしれない。
    そんな時、またも机の上、一枚の紙が目に止まった。それは、彼が泊まっているホテルの部屋の電話番号を書き記した紙。

    『何かあったら、ここにかけてくれ!いつでもかけて構わないからな!』

    「……そんなことも、言ってたっけ」

    携帯電話番号も知ってるのに。なんでわざわざホテルの方まで教えるのか。
    思ってる、そう思っているのに、
    その紙が、その数字の羅列が、すごく魅力的に見えて、
    つい、手に取った。

  • 5123/04/01(土) 00:02:59

    「……はぁ」

    吐息一つ。やっぱり、今日はおかしい。病気にでも罹ったみたい。
    そう、おかしかったのだ。それは、私だけじゃない。あの紙は、机の中に入れておいたはず。出した覚えなんてないのだ。
    そんなことに気づくはずもなく、
    私が私じゃないみたいに、
    いつの間にか私は、受話機を取っていた。

    ダイヤルを数字に合わせて、離す。合わせて、離す。私はこんな古い型のなんて使ったことないけれど、不便で、焦ったくて。
    こういうのもいいかも、と思う。
    全ての数字に合わせた後、発信音が変わるのを待っていた。
    コール音、コール音。三度目が鳴り終わる前に、待ち望んだ、鍵を開けるような音。

    「もしもし」
    「……私よ、トレーナーさん」
    「……!アヤベ!」

    嬉しそうな、心底嬉しそうな声が聞こえる。その声を聞いた時、私はふっと、我に返った。立ち返って、自分の気持ちを計り取る。
    まさか、声が聞けて嬉しいだなんて。
    息をついて出た微笑みで、私はやっと、観念した。
    えぇ、そうよ。私は、彼が恋しかった

  • 6123/04/01(土) 00:03:29

    「っと、もしかして、練習の不備か?まさか怪我とか……」

    彼の声色が、ころころと変化する。無邪気な声から、事務的な声、焦る声。

    「いや、そうじゃ、なくて」

    飲み干した紅茶に、手をかける。観念したから、自覚したから。次の言葉を紡ぐのも、思ったよりはかからなかった。

    こんな夜中に電話して、ごめんなさい。

    「──ただ、なんとなく声が聞きたくて」

    口につけたカップを傾ける。ほんの少しの残り滓が、唇の先を濡らした。

    「……そうか」

    その美しい声に、聞き惚れていた。

    あぁ、なんて罪深い。私がいつもの私のままだったなら、こうはならなかったのに。同居人が部屋にいたのなら、こうはならなかったのに。
    ──雨が降っていなかったのなら、こうはならなかったのに。
    本当、罪深い。
    仕事の邪魔になるとも思ったけど。
    私、やっぱりかけてしまった。

  • 7123/04/01(土) 00:04:00

    「……」

    私は、黙りこむ。今更になって襲ってきた後悔と、どうしようもない罪悪感。その二つに挟まれて、私は、黙りこむしかなかった。
    受話器の向こうで、彼はどんな顔をしているだろう。やっぱり、少しくらいは、むすっとしてるのかな。
    そんな私の沈黙を見かねたように、
    或いはただ、次の言葉を繋げるように、
    彼は言った。

    「嬉しいよ、アヤベ」

    ──いけない。いけないわ、トレーナー。そんな言葉を言わないで。
    あなたが私のトレーナーで、それ以上でないのなら、そんな言葉を言わないで。

    「……ありがとう」

    心をできるだけ空っぽにして、礼を返す。彼にだけは、この気持ち、伝わらないように。

  • 8123/04/01(土) 00:04:49

    一息吐いて、ふと考える。電話するところまでは良かった。ただ、伝えることがない。私の中で電話は、事務連絡手段でしかなくて、だから私は、何を話せばいいかわからない。人と雑談とか、立ち話とか、するたちでもないのだ。
    まして、トレーナーとなんてもっての外だ。プライベートで話す機会自体が、そもそも少ないのだから。
    こんな時、同居人のコミュニケーション能力が羨ましい。きっと頭をぐるぐる回転させて、面白い話の一つや二つ、すぐに出てくるんだろう。面白くない話だろうと、面白くしてみせるのだろう。
    かと言って、何も言わないのも気まずいだけだから……
    そう。その同居人の力でも借りようか。

    「……これは、私の独り言。つまらない話かもしれないけど……聞いてくれる?」
    「時間がないなら、切ってもらって構わない。眠たいなら、今すぐ寝なさい」

    私からの、最後の忠告。こんな馬鹿げたこと、鼻で笑ったっていいのだという、悪く言うなら、保険。

    「ありがとうアヤベ。気遣いありがたいところだけど、時間はあるし、眠くもない」
    「──君の話が、聞きたいよ」

    ……必要、なかったけれど。

    「……わかったわ」

  • 9123/04/01(土) 00:05:32

    「そうね、これはついさっきの話だけど……あなた、私の同室の娘は知ってる?」
    「うん、カレンチャンだろ?」
    「そう。彼女が、香港土産に紅茶を買ってきてくれたのよ。それを……さっき飲んだの」

    経緯は伏せた。言う必要がないと思ったのもそうだし、何に焦っていたのかすらわからない気持ちを言語化するには、私の語彙力は貧弱すぎたからだ。

    「ふんふん」
    「……すごく、苦かった。不味くはないのだけれど、すごく苦い」
    「……あらまー」
    「カレンさんの料理が……その、あまり上手じゃないのは知っていたけれど。彼女が選び間違えるとも思えないし……あなた、香港の紅茶は特別苦いものとか、そういう話、聞いたことある?」

    これは、本当に知りたいことだった。彼女は何を思ってこの紅茶を送ってきたのか。これがゴールドシップさんからの贈り物とか、そういうことなら分かるのだけれど、他ならぬ彼女のことだ。だからこそ、迷宮入りが見えているのである。

    「香港か……遠征先によく選ばれるところだから、少し調べたことはあるけど」
    「……紅茶……あ」
    「『香港式ミルクティー』って言うのは聞いたことがあるな。確か、紅茶にエバミルクを入れて飲むんだとか。それ用の紅茶なんじゃないか」

    そう聞いて、手元の紅茶パックの沢山入った箱を見る。

    「──はぁ」

  • 10123/04/01(土) 00:06:01

    思わず、ため息が出る。箱にはでかでかと、紅茶にエバミルクを注ぐ絵が描いてあった。しかも、彼女による付箋も。
    『そのまま飲むと苦いので、無糖練乳を加えて飲んでくださいね♪』
    と。
    情けない。さっきの私はこんなのを見落とす程、周りが見えてなかったということ?
    雨の音と、電話のノイズが、どちらも遠くに聞こえる。『私が私でないみたい』というのは、実に的を射た比喩だったらしい。自分自身にこんなにも呆れ、驚いたのは初めてのことだ。

    「──今調べたけど、香港式はそのままだとすごく渋いらしいよ。やっぱり、その紅茶……」
    「いえ、もう大丈夫。……パッケージにも描いてあったわ。見落としてたみたい。大きく描いてあったのだけれど」
    「おぉ、珍しいな、アヤベが凡ミスだなんて」
    「……そうね。本当に珍しい」

    彼は少しからかうような、本当に驚いているような口調で返す。多分、両方だったんだろう。私も、別に機嫌が悪くはならない。冗談だとわかっているから。

  • 11123/04/01(土) 00:06:34

    「そっちは、どう?何か変わったことはあった?」

    紅茶の話題も終わったし、なんともなしに聞いてみる。別に意味はない、知っても知らなくてもいい話。

    「いや、相変わらず。トレセンにいる時とやってることは同じだよ。やる場所が地方か中央かだけ。そっちは?」
    「私も、相変わらずだったわ。『あなたのトレーニングメニューのおかげ』って言えばいいのかしら?」
    「ははは、お世辞でも嬉しいよ」
    「……そう」

    別に、お世辞だけじゃないのだけど。

  • 12123/04/01(土) 00:07:24

    「こっちは雨だけど、トレセンの方もそうか?」
    「えぇ。しとしとという感じだから、明日には止むと思う。……先に言っておくと、トレーニングには支障なかったわ。6時くらいに降り出したの。おかげで、天体観測は中止だけどね」
    「天体観測……できなかったのか。まぁ、この空じゃなあ。俺は、雨って嫌いだよ」

    天体観測。その言葉の重さを、彼はわかっている。わかっているからこそ、茶化さず、けれど重くも返さず、なるべく、触れないようにしてくれる。その細やかさは、私も楽だった。できればそれを日常でも発揮してほしいものだと思えるくらいには、救われていた。

    「私も……そうね、雨は嫌い」

    呟いて、空を見る。やっぱり、星は見えない。あの子の声も、聞こえない。

  • 13123/04/01(土) 00:08:14

    私は、雨が嫌い。
    あの子が、感じられなくなるから。真の意味で、私は、孤独になるから。
    もう、私の中にはいないけれど、空を見ればいつでも会えるはずのあの子と、会えなくなるから。
    今更、罪過などと言うつもりはない。償いなどとも言うつもりはない。あの子がそんなことを望んでないのは、"あの子自身"から聞いたのだ。
    だから、これは私の我儘。あの子と居たいという、私の願い。
    ──私は、案外寂しがりやなのかもしれない。

    「あなたに今日電話したのも、寂しかったから、なのかも」
    「……」

    心の声が、漏れ出す。
    別に止める必要もないから、放っておいた。

  • 14123/04/01(土) 00:11:28

    心の中を、俯瞰する。本当に寂しかっただけならば、彼である必要は全くないのだという事実を、そうかと言った感じで飲み込む。
    そんなことにも、もう、とっくのとうに気づいていた。

    だから、やっぱり、最初に思ったことと変わらなくて、
    私は、
    『彼が恋しかった』のだ。

    ──誰かが、私じゃない誰かが、その言葉を許容する。肯定する。
    『やっと、気づいた?』
    と、からかうように。おどけるように。

    部屋の中は、雨の音と、私の吐息だけ。
    続く言葉を紡ごうとしても、どうにも、うまく行かない。
    口がぱくぱくと動いて、何も言わないまま。
    言いたい言葉が、言えないまま。

    「……私」

  • 15123/04/01(土) 00:13:50

    「肩が、少し冷えてきたから。青いセーターでもかけてくるわ」

    違う言葉が溢れ出す。
    知らない言葉が溢れ出す。
    あーあといった風に、がっくり肩を落とす誰か。
    『いいところまで行ったのになー!』
    ……いい?それって、下世話っていうのよ?

    確かに、違う言葉に、なってしまったけど。

    ──でも、

  • 16123/04/01(土) 00:14:24

    「──そのまま切らずにいて。お願い」

    「今夜は、ずっと話していたいから」


    まだ、それでもいい。
    いつか、彼に言えたら。
    それでいい。
    今は、このくらいで。


    外は、冷たい雨が降る。

  • 17123/04/01(土) 00:15:21

    おしまい!
    夜の電話っていいよね!

  • 18二次元好きの匿名さん23/04/01(土) 00:16:25

    あぁ〜素直アヤベさん特有の湿り気モイスチャ〜

  • 19二次元好きの匿名さん23/04/01(土) 00:16:34

    大変いい距離感でござんした
    アヤトレは寂しい思いさせた責任取らないといけないね?

  • 20123/04/01(土) 12:14:30
  • 21123/04/01(土) 12:17:59

    今回も、ある曲をモデルに書いてみました
    わかる人は歌詞がどこに盛り込まれてるか探してみてね!
    (タイトルそのまま検索すれば出てくるけど……)

  • 22二次元好きの匿名さん23/04/01(土) 23:34:23

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