- 1二次元好きの匿名さん23/04/02(日) 23:22:49
「──ということなんですよ! 分かりましたかトレーナーさん!」
「いや全く聞いてないが」
「フンギャロォ!?」
隣で未確認生物みたいな鳴き声をあげる担当を放置して、青信号の前で左折のウインカーをつける。広い道路に似合わず他に自動車の姿は見えない。トレセン学園から結構離れた片田舎なのだから当たり前と言えばそうか。
「そんなことしてるとトレーナーさんに不幸事が落ちてきますよぉ!」
「せっかくの休みの日に叩き起こされて、何かと思えばお告げがあった場所に行きたいから車出せって言われるより不幸なことがあるなら受けてみたいもんだな」
時間外労働だの折衝だのも無い久々の完全オフに鳴り響いた着信音。名前を見て完全無視を決め込もうかと数秒悩んだ。それでもまあ事件でも起きていたら大変だからと通話ボタンを押してみれば第一声が「パワースポットに行きましょう!」だったんだから。
「そ、そうは言っても車出してくれるじゃないですか」
「どうせ縦に首振るまで掛け直してくるだろ」
ふてくされたように返す。実際のところ、面倒くさいとは思っても断ろうという発想は出なかった。どうしてと言われても、出なかったんだから、仕方ない。
──200m先、信号を右折です。
カーナビの音声が会話を途切れさせる。多少は残っていた家々も見えなくなり、自然の中に置き去りにされたようだ。フクキタルの出した地名は調べても観光サイトすら出てこないような場所だったし、狐にでもだまくらかされている気分になる。 - 2二次元好きの匿名さん23/04/02(日) 23:39:14
それでもさらに三十分も走れば目的地には到着する。鬱蒼と生い茂った森、数台しか停められない小さな駐車場と、古臭い看板。山への入り口は霊験あらたかというよりはこれからホラー映画が始まりますよって言ってるみたいだ。
「ここから登りみたいですよトレーナーさん」
「そんなことだろうと思った」
キーを抜き、ペットボトルの入ったリュックサックを背負う。何があるか分からないから、非常用の道具は一通り持ってきた。
「大荷物ですねえ」
「フクキタルが軽装過ぎるんだよ」
重装備の自分と違い、フクキタルは普段どおりの私服だ。登山好きの人間見れば顔をしかめるかもしれない。山というより小高い丘程度のものらしいから杞憂ではあるんだろうが。
山に踏み入ると、葉っぱを踏むたびにサクリ、サクリと音がする。あれだけうるさかったフクキタルも静かになって、あと耳に届く音は鳥のさえずりと風くらい。ちょっと、不安になるくらいに静かだ。
「何処まで登るんだ?」
「頂上まで行きましょう」
流石は現役のウマ娘、自分が苦戦している山道をひょいひょいと登っていく。やっぱり自分の荷物は過剰だったらしい。ペットボトルの水を半分程飲み干して、フクキタルを追う。
程なくして頂上に着く。といってもたいしたものがあるわけではなく、休憩用のベンチと、誰が交換してるんだか分からない自動販売機。あとは百円で動く双眼鏡。パワースポットというには肩透かしだ。 - 3二次元好きの匿名さん23/04/02(日) 23:54:30
「さあ! ここから運気を集めますよぉ~」
フクキタルはそう言うが早いか、ベンチに腰掛ける。隣に座れと催促されたので、リュックサックを降ろして自分も並ぶ。朝早くに出てきたからちょうど昼前で、春の陽気がぽかぽかと心地よい。
フクキタルは目を瞑って運気を集めているようだった。しばらくすれば寝息かいびきを立て始めることだろう。唯一うるさかったのも居なくなって、本当に静寂に包まれる。
なんていうか、久々だ。最近はフクキタルの活躍に合わせて雑誌の取材とかの対応に追われることも多かった。もちろん本業をおろそかにするわけにも行かないから、トレーニングスケジュールの管理なんかは定時になってから家でやっていたし、その間もトレセン学園やURAとの連絡で、ひっきりなしに人の声を聞いていた。
そういえば、と自分のスマホを開く。圏外通知。電話が来ていたらと肝が冷える。まあ、いまさら気にしても仕方がないが。完全オフなんだ、通知くらい切っているんだろうと相手も考えてくれるさ。もしかしてフクキタルも、そんなつもりで連れ出してくれたのだろうか。
「まさか、な」
考えすぎだとかぶりを振る。それならそもそも、最初から掛けてくるなという話に落ち着いてしまう。
だけど、電話が掛かってきた時、自分も開いていたのはアドレス帳だった。誰に掛けようとしていたんだっけ。仕事先か、同僚か。それともフクキタルだったのか。 - 4二次元好きの匿名さん23/04/03(月) 00:11:32
「……トレーナーさん?」
いつの間にか眠ってしまっていたのだろうか。フクキタルの顔が目の前にあった。単に寝落ちただけだというのに、随分不安そうな顔をするもんだ。
頬に何かが触れている。なんだとその跡を辿ると、水滴だった。その雫は自分の目元から流れているようだった。どうやら、泣いていたらしい。何か、夢を見ていたような気がする。
ああ、そうだ。あまりに静か過ぎて、フクキタルも居ないような気分がして。自分一人残された夢だ。そして、フクキタルが泣いていた夢だ。自分が今まで見たこと無い顔をして、苦しそうに傷ついていた。
ふわあ、とあくびをして涙を誤魔化す。起きた時、目の前にフクキタルが居て安心した。もし、同じ夢を見て目が覚めた時にこいつが居なかったら。平気でいられただろうか。そう思うと、自然を手が伸びて、彼女の頭を撫でていた。
「ト、トレーナーしゃん!?」
「……ありがとうな」
連れ出してくれてありがとう。見付けてくれてありがとう。見付けるまで生きていてくれてありがとう。なんか幾つもの感情が綯い交ぜになって、うまく言葉にできなかった。ただ、必死に生きているこいつの役に立ちたかったのだと、それだけははっきり言葉に落とし込む事ができた。
「そろそろ昼か。飯、何食いに行くよ」
「へ、そ、そうですねぇ。というかトレーナーさん。撫でてくれるのは嬉しいですけどいつまで」
「ん、それもそうだな」
あっさりやめると物足りなさそうな顔をした気もするが、気付かなかったことにして。
こんな休日も悪くないと、大きく伸びをした。 - 5二次元好きの匿名さん23/04/03(月) 00:13:15
- 6二次元好きの匿名さん23/04/03(月) 00:35:15
雑な物言いや態度ではありながら心の奥にはフクキタルのことを大事に思ってるのが見えてほっこりするSSだった
すき - 7二次元好きの匿名さん23/04/03(月) 00:39:41
うめ……美味……
フクキタルは依存する側のようで、逆にこちらを依存させてくるのめっちゃ分かる - 8二次元好きの匿名さん23/04/03(月) 00:39:59
最後の部分にフクキタルへの絶大な思いを感じた
素敵だった