【SS/トレウマ】春の夜は永く

  • 1二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:54:54

    誕生日のお祝いにデートを所望したナカヤマとトレーナーのお話です。
    トレーナー性別不問。中性寄りに書いているので良い感じに変換してください。

  • 2二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:55:06

     定刻の十五分前に、待ちあわせ場所へたどりついた。四月がはじまったばかりの府中の空はあちこちで咲きほこる桜色を映えさせるかのように、薄青く晴れわたっている。
     数日前から気にしていた天気予報に大きな誤算がなかったことに胸をなでおろしつつ、万が一のことを考えショルダーには折りたたみ傘を忍ばせてある。もしも待ち人──担当ウマ娘にそれが知られたら『こんな日にまで仕事かよ』とあきれられてしまうかもしれなかったため、察されてしまわないよう、かばんの奥底へ。
     休養日だろうと平日だろうと学内だろうと学外だろうと、担当ウマ娘への献身はもはや、トレーナーにとっては矯正のできないクセのようなもの。それがなくても、急な春驟雨に年端もいかない少女が濡れそぼるのをだまって見ていられるような大人でもない。

     彼女は子ども。彼女は教え子。
     自分は大人。自分は指導者。

     ここしばらく何度も何度も心に刻んでいるそれを、トレーナーはあらためて胸の内で反芻した。常ならば意識などする必要もない、当然のことではあった。少なくとも担当ウマ娘と駆け抜けてきた最初の三年、そしてその後の一年において、あえて復唱をつづけなければならない事態に陥ったことはなかった。──なかったはずだったのに。

     ウマ娘は年若い少女である。純然たるアスリートであり、庇護しなければならない存在である。
     一方でトレーナーは年齢層はさまざまであったが成人であった。ウマ娘を守り、慈しみ、勝利へ導き誘い、心身ともに責任能力のある大人であることが求められる。

    「ごめんね、待った?」
    「待ってないよ、平気。それじゃ行こうか」

  • 3二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:55:18

     トレーナーが立つのは府中でも定番の待ち合わせスポットだ。そうなれば当然、同様に待ちあわせを行い連れ立つひとびとも存在する。そんなやりとりを見聞きするたび、トレーナーはびくりと肩を揺らしそろりとそちらを見遣り、みずからの待ち人ではないことを確認すると、ほっと浅く息をついた。
     春らしいやわらかな装いの女性を、恋人とおぼしき男性が手を引きエスコートし群衆の中へと消えていく。女性、男性、ウマ娘、少女、少年──この場の目的を果たし立ち去って行った組み合わせはさまざまだ。ついさすってしまった手指はまだもうすこし冷たいが、街は春の到来に少しずつ華やぎを取り戻しつつある。
     手首をかざし時刻を確認する。待ち合わせの定刻まであと七分といったところ。
     これから『デート』です! とばかりの連れ合いをまた一組二組見送って、そのたびにトレーナーは自戒か祈りかとばかりに担当ウマ娘と担当トレーナーの関係性における信念を反芻し、待ち人である灰色ニット帽のウマ娘が姿を現すのを待った。──待つつもりだったのだ。

    ***

    「なので、ハロンタワーまでどう行けばいいのか、教えてもらいたくってぇ~」
    「地図アプリもうまく読めなくてぇ」
    「連れて行ってくれません?」

     数分後、同待ち合わせスポットにて──すぐとなりのベンチにて繰り広げられている会話に対し、その鹿毛耳を絞りあげるウマ娘の姿があった。ヒトミミとはちがい、ウマ娘たちはその尻尾やよく動く耳で感情が明け透けになりがちだ。無論、耳の先から尻尾の先までその四肢と同じように完璧にコントロールできるウマ娘も存在しており、この鹿毛のウマ娘にいたっては耳や尻尾の動きすら周囲をだまくらかすのに利用することも少なくはない。
     絞り上げられた耳は、本来なら警戒であったり不満であったりの感情が乗せられる。傍目から見れば待ちあわせの相手が定刻通り姿を現さないことに対する苛立ちの表現と見られるだろう。しかしその実、ウマ娘の表情はいたって涼やかだ。すみれ色の瞳は手にしたスマートフォンのディスプレイを静かになぞっていたし、かわいらしいアクセサリーに飾られた尻尾もはげしく暴れることはない。
     ターコイズブルーの飾りのついた耳を絞り上げつつも、すみれ色の瞳のウマ娘は、となりのベンチの鼻につく声音にあふれるおしゃべりに耳をかたむける。

  • 4二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:55:29

    「すみません、待ち合わせをしているので、お連れするわけには」
    「そこをなんとか……っていうか大分待ってますよねぇ? お相手さん遅刻してるんじゃないですかぁ? 今日はもう来なかったりして?」
    「だったら一緒に遊びましょーよ、ね? ね?」

     その会話の中心人物──すみれ色の瞳のウマ娘・ナカヤマフェスタの担当トレーナーが声を上げている。言葉を額面だけでとらえるならば立派な断り文句であったものの、いかんせん、その声音は弱りはてすぎていた。その様子を好機と見たか、担当トレーナーを囲むヒトミミたちがわっと攻勢を浴びせかける。
     待ちあわせの時間まではあと一分ほど。友人とのLANEの履歴を確認したところ、担当トレーナーがこの待ちあわせ場所に到着してから十五分といったところだろう。『私に気づかない上にナンパされてる』グループLANEに実況めいたメッセージを放流すれば、は何それウケんだけどとばかりに連続スタンプがディスプレイに踊った。そのタイミングで──どこからか正午を、そして待ち合わせ時間を告げる定時放送の音楽が流れ出し──ナカヤマフェスタは小さく嘆息する。
     いつものように高く組み上げたかった脚は、穿いているのがミニ丈のタイトスカートである関係上、可愛らしくそろえなくちゃ駄目よ、と、お節介な友人から言いつけられていた。面倒臭いと思いつつも彼女は露出狂になるつもりはない。踵を鳴らし立ち上がる。踝丈のショートブーツだけはナカヤマの私物だ。逆に言えば、スカートも、いつもはニット帽の下に隠れがちなターコイズブルーの耳飾りと同じ色味のリブ編みボレロも、その下のブラウスも、友人たちからの借り物であった。おまけにトレードマークと化している灰色ニット帽をかぶっておらず、その癖っ毛すらサイドでゆるくまとめているとなれば──さて、トレーナーがこの待ち合わせ場所に到着してから今の今まで、すでに待っていた担当ウマ娘の姿に気づかずとも仕方がない、のかもしれない。

  • 5二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:55:40

     絞り上げた耳は隣のベンチのやりとりに聞き耳を立てているのを隠すため──表面上は。いつ気づくかなんてしょうもない賭けをしていたのはナカヤマ自身である。このまま担当トレーナーが厄介なヒトミミたちをどうさばくのかも見ものではあったものの、このどうしようもないお人好しはハロンタワーへの案内を切望するナンパ目的のヒトミミたちに連れ去られてしまいかねない──現に。

    「連絡を取ってみます。もし来れないようならご案内を」

     などと言い出して慣れた手つきでこの場にいないと思いこんでいる担当ウマ娘に電話をかけてくるものだから。
     嘆息ひとつ。スマートフォンが手のひらの内で震えたのを確認し、ナカヤマは着信を拾う。そして。

    「もしもし、ナカヤマ? いま──」
    「あぁ、待たせたな? トレーナー」

     まァ待ってねぇけどさ。なんならアンタより先に待ってたが。などという揚げ足取りを、ナカヤマは後回しにしてやることにした。

     さて。何やら押しの強い『ハロンタワーに行きたい』観光客にすっかり困り果てていたナカヤマフェスタの担当トレーナーはというと、スマートフォン越しの右耳側とそうではない左耳側からほぼ同時に聞こえてきた声に、さらに困惑をあらわにした。前方の視界は半円で自分を囲むようにバリケードを作る観光客たちの体でつぶされている。電話越しではないナカヤマの声が聞こえた気がする、と、視線をさまよわせ──そこでようやく、サイドに歩み寄る担当ウマ娘の姿を認識するのである。
     その時のトレーナーの呆けた顔と言ったら──ナカヤマにとっては後々、事あるごとに担当トレーナーをからかうためのネタとなり、担当トレーナーからすれば事あるごとに揶揄られる種となる出来事が誕生した瞬間でもあった。

  • 6二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:55:50

    ***

    「な、ナカヤマ……?!」
    「んだよアンタ、えらく遊び達者じゃねぇか」

     みずみずしい春空の下、まるで正義の味方の出現に安堵するかのようなトレーナーの表情を見遣り、ナカヤマは文句のひとつやふたつ垂れたくなるのを抑えた。いい大人がナンパへの対応に困ってんじゃねぇよ。と。
     さて、トゥインクルシリーズとは人気商売の側面も当然存在する。相手が自分のことを知っているにしろ、知らないにしろ──マスメディアに対し噛みついたことのあるナカヤマではあるものの、一般大衆に対してなげやりな態度を取るのは不利益にしかならない。

    「私のツレが世話になったな」

     大仰に肩をすくめて、まずは一言。これは軽いジャブのようなものだ。友人がゲーセンのパンチングマシーンに挑む際、調子合わせの準備運動にシャドーで放つようなもの。ショートブーツのつま先を一歩進めると、ヒトミミは石畳を鳴らして後ずさる。
     おいおいおかしいだろ、こちとら一時間近くマネキンの刑に処された上に柄を完全に捨てマ子にも衣装を地で行く愛らしいウマ娘だぜ? 見惚れられるならともかくビビられんのはおかしくないか? ──などという心にもない煽り文句は胸の内にとどめ、視界が広がったのをいいことに、ナカヤマはもう一列前に足を進める。担当ウマ娘の出現に取るべき態度に思いいたったのだろう。立ち上がろうとする担当トレーナーを制しその隣に立てば、ゆるりと腕を組み、じっくり、ゆっくりと観光客と名乗るヒトミミを眺めてやった。
     ナカヤマに極端な威圧の意図はない。記憶を引き出して、縄張りの中で見かけたことがあるかどうかを探るだけだ。府中の街中ともなればいつも出入りしている裏路地からは離れているものの、……相対するヒトミミたちは見たことのない顔だった。きな臭ささえなければ畑違い──つまるところ『こちら』に棲まうタイプの者ではない、ということだろう。

     それならば。

    「で、ハロンタワーだったか? すぐそこに交番があるから、そこで尋ねてもらえないか? 生憎、私たちはこれから楽しい楽しい『デート』に洒落込むつもりでね。ほら、……ひとの恋路の背を押すものは、ウマ娘の蹄鉄を拾う、って言うだろう?」

  • 7二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:56:01

     ウマ娘の使用済み蹄鉄は幸運のお守りになるとも言われている。
     そんな、小学校のころには習う有名なことわざを、ナカヤマは唄うように告げてやる。相手がカタギなら、必要以上の圧をかけるべきではない。それはナカヤマの信条でもあった。

     さて、そんな担当ウマ娘の言動に対し──一度取り戻した落ち着きはどこへやら、顔色と表情をぐるぐる変え始めたのは、彼女に守られるかのようにかばわれている担当トレーナーである。まさに百面相といったていで、何かを言葉にしようと口を開こうとするが、どうにもうまくいかない。

    『デート』

     いま、トレーナーの担当ウマ娘は『デート』という言葉を口にした。単語の甘さに対し、ナカヤマの声音は挑発でもするような有様だ。しかしそれは、いつもの語調とさして変わらないと言われればその通りである。『デート』などというこそばゆいフレーズであったとしても特段調子を崩すことはない。大変頼もしい限りであった。
     しかし。
     トレーナーは何度目ともしれない信条を胸の内で唱え直す。これは『デート』では、……つい口を挟みかけて喉奥で言葉が消えた。互いの関係性は脇に置いておくとして、この日この時間、連立って出かけるそれは『デート』であることにはかわらない。
     なぜなら──これは、つい先日誕生日を迎えた担当ウマ娘による希望なのだから。なにを用意すればいいのか悩む担当トレーナーに、担当ウマ娘は言ってのけたのだ。

    『それなら私をデートに連れてっちゃくれないか?』

     と。

  • 8二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:56:11

     観光客に対するナカヤマの攻勢は続いている。
    「ほら、そこに交番が見えるだろ。……いまお巡りが出てきたぜ。ちょうどいいんじゃないか? あァ、私が声をかけてやった方がいいか。どうやらアンタらはこのあたりに明るくないと見た。ハロンタワーまで連れて行ってやれないかわりに──」
     追い込むようにナカヤマが交番の方を指し示すと、『ハロンタワーへの案内を希望する』観光客たちは興醒めとばかりに肩をすくめた。勝負は決まったとナカヤマが口端を上げれば、まるで負け犬の遠吠えかなにかのように「お幸せに、ウマ娘さん」言葉を残して、それぞれ踵を返して散っていく。
     絡んできたヒトミミたちが交番とは別方向に消えていくのを見送って、ナカヤマは浅くため息をついた。さて、このクソボケトレーナーをどうしてやろうか……いまだベンチに座ったままの担当トレーナーを見下ろしたところで、その表情がえもいわれぬ状態のままなのに気づき──聡明な彼女は、その身をめぐる溜飲を下げてやることにした。
     軽く肩を回して、声音を整えるために咳払い。本来なら立場が逆だろうという疑問は見ないふりをして、ナカヤマは落ち着きのない担当トレーナーに、少女らしい手のひらを差し出してみせる。

    「ほら、行こうぜ。エスコートしてくれるんだろ? 『デート』にさ」

    ***

    『デート』『意味』──検索。
     それは、トレーナーの個人スマートフォンの検索窓に残るサジェストの一部である。
    『デート』とは、恋愛的な展開を期待する両者が日時や場所を決め逢瀬することであると、Wのつくフリー百科事典は言った。はたまた泉のつく辞典は、恋い慕う相手と日時を決めて会うことであるとのたまう。

  • 9二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:56:23

    「お昼──ラーメンで良かった?」

     それは、差し伸べられた手を取るには取って、引っ張られるように立ち上がったトレーナーが、一通りの感謝と謝罪を告げたあと──年頃の少女のように可愛らしくめかしこんだ担当ウマ娘に対して放った第一声であった。
     ひと悶着あったものの時刻は正午過ぎ。互いに腹の虫が騒ぎ始める頃合いでもある。話の流れとしてはさして不自然ではないはず。そう願いつつ、いささか緊張した面持ちでトレーナーは取ったままだったナカヤマの手を離す。
     ……あからさますぎなかっただろうか。春のやわらかな陽光に彼女の彩られたきらきらとつやめく指先はまるでトレーナーの眼を射るようだった。普段は地爪のままだというのに──不躾にならないようあらためて担当ウマ娘の姿を視界に収めれば、自然とトレーナーの居住まいもただされる。
     爪もそうであるが、ナカヤマは普段、飾り気の少ない格好でいることが多い。デニムジャケットに白いパーカー、黒のショートパンツ。それから踝丈のショートブーツ。色柄やデザインが多少変わることもあるものの、シンプルライクなのは共通だ。
     彼女の担当となってから休養日に連立って出かけることもあるが、よそ行きとばかりの服装をまとうナカヤマを見るのはトレーナーにとって初めてのことであった。ためらいのひとつもなく脚を出すあたりの全体的な露出度の具合はいつもと変わらない。しかし今日は、ディティールの可愛らしいボレロやらミニスカートだけにとどまらず──いつもの灰色ニット帽さえも取り払った、『女の子』とばかりの格好である。
     まるでモノクロの世界に色が差し込むような新鮮さは、トレーナーの平常心を吹き飛ばし、狼狽させるには充分だ。
     ゆえに。
     この『デート』がどの程度の『デート』であるべきなのか──トレーナーはいま一度、見直す必要があった。

    「ほら、最近リニューアルオープンしたラーメン屋、ナカヤマ行きたがってたでしょ? 予約が取れたから」

  • 10二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:56:33

     つい考えこみがちになるのを取り繕うように、トレーナーは個人スマホにブックマークをしておいた店舗ホームページにアクセスする。誕生祝いに『デート』を所望されてから、考えに考えて絞り込んだお出かけ先の一つであるラーメン屋は、かつて細い通りに軒を連ねる知る人ぞ知る名店だった。全国区のワイドショーで取り上げられてから一躍有名となり、年季の入った店舗を引き払い、街中に移転している。
     街中に店を構えたことで店舗の雰囲気が洗練され、客層もがらりと変わってしまったようではあるが、味が変わっていないのは調査済み。メニュー、リニューアル前と変わってないよ、と続けつつ、トレーナーは個人スマホをナカヤマに差し出す。
     見定めなければならないことがあるのだ。いまは少しでも、担当ウマ娘の気を逸らさなければならないところであった。

    『デート』『とは』──検索。
     トレーナーはあらためて状況を振り返る。百科事典は恋だのなんだのを謳うが、いまや友人同士で出かけることすら『デート』と表現するような時代だ。ゆえに、トレーナーもまた『デート』という言葉そして行為の意図を浅く見積っていた。──さすがに本来の意図であるわけではないだろう、と。そんなわけはないだろう、と。
     それは、『デート』という冠のついた、いつもと何ら変わりのないお出かけでしかないのだと。
     それゆえのラーメン。待ち合わせ場所にたどりついたナカヤマが、いつもと同じ様子のつもりでチョイスしたラーメンだ。
     しかし実際はどうだろう。担当ウマ娘は──クセの強い髪はやわらかく巻き、見るからに手間暇かけた出で立ちで、この場所に存在している。
     いつものように、どのそこへ付き合え、だとか、どこそこに着いてきてくれ、だとかではない。
     ナカヤマはあえて、今日の約束を『デート』と表現したのだと──そして、着飾り方がいつもの『お出かけ』ではないと主張せんばかりに。

  • 11二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:56:48

     しかし一方で、担当ウマ娘は駆け引き上手のからかい上手だ。そして無類の勝負好き。この『デート』も、誰かとの賭けの対象になっている可能性は充分考えられるのである。
     もしくは、ただのたわむれ。
     もしくは、ウマ娘であって猫のような彼女の、ただの気まぐれ。
     そうであって欲しい。トレーナーは強く噛みしめる。差し出したスマホを受け取り、店舗外観やらメニューやらを覗くナカヤマは、トレーナーにとって大切な教え子だ。初めての担当で、初めての重賞もG1も海外遠征もともに走り抜けた、かけがえのない相棒だ。素直じゃない彼女が面と向かって親愛を意思表示してくることはほとんどない。しかしそれらは、ちょっとした仕草や言動からでも充分垣間見ることができる。
     勝ち気そうな表情やそれに違わぬ強さの中に、ひどく脆く繊細で年相応な面があることも、トレーナーは知っている。
     それを年長者として守り導いてやるのが、指導者の役目であれ。それがトレーナーの信条だ。
     たとえ、この『デート』が担当ウマ娘にとってどのような意味を持っていたとしても、──まだ年若く未来のある、彼女のために。

    「予約まで取ってくれるとはな。やるじゃないか」

     ナカヤマフェスタは笑う。
     いつもは眼光鋭いすみれ色をやわらかく和ませて。薄く色づいた唇に優しさを乗せて。
     それはまるで一輪の花のようで、容赦なくトレーナーの胸を殴ってくるものだから。

     ナカヤマフェスタはトレーナーからすれば『戦友』だった。しかし彼女とからすれば──?
     もしもこれが本来の意味での『デート』だとしたら──担当ウマ娘の情が、いつの間にかそう変化しているのなら。

     なにはともあれ、愛らしく着飾っていたとしても、昼食の店舗選びは間違いではなかったらしい。
    『デート』での食事のチョイスにラーメンがそぐわないわけではない。しかしそれを適していないと評価する者も少なからず存在していると多少なりとも聞いてはいる。
     さきほどから緊張が張り詰めては緩み、張り詰めては緩みの繰り返し。心身ともに若干疲労してきていたものの、──彼女との『デート』は始まったばかりであった。

  • 12二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:57:00

    ***

    "担当トレーナーと、その担当ウマ娘が恋仲となることはそうめずらしいことではない。"

     トレセン学園入学後、まことしやかにささやかれていたそれが冗談でも嘘でもなんでもなかったことを知った時、ナカヤマフェスタは正気を疑った。常日頃から自身の正気を疑いがちなナカヤマであるものの、さすがに狂気の沙汰にもほどがあるんじゃねぇか。と──
     ナカヤマ自身、他人の恋だの色だのにラインストーン輝く爪の先ほどの興味も抱かなかったし、裏路地に長く居着いていたせいでラーメンに添えられた味玉のように良心がかたより気味である自覚もあった。それでも、教育機関における教師と生徒の恋愛関係が倫理に反すると取り沙汰されることは知っているし、恋に恋する年頃の子どもを食い物にしかねない状況には眉をひそめる。無知は罪だ。誰しも最終的に自分を守ることができるのは自分だけ。しかし子どもは大人の手で守られてしかるべきで、良き方向に導かれなければならない。……はたしてそれが『良き方向』かどうかは審議が必要かもしれなかったが、ナカヤマもまた裏路地にて一人で生きてきたように見えて、年長のひとびとに遠く守られてきていた自覚くらいはある。
     もっとも、恋仲と言えど暗黙のルールとしての『節度』は存在しているらしく、そこかしこで治安の悪い乱痴気騒ぎが跋扈しているわけではないらしい。そこは、難関とも言われるトレーナー職に就き、なおかつ、ウマ娘たちへの献身と親愛が強く求められる狭き門をくぐり抜けてきた精鋭たちだ。本能を剥き出しに年頃の少女たちを手篭めにしてやろうなどという煩悩はそもそも持ち合わせていないのかもしれない。

  • 13二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:57:12

     それはさておき、『デート』である。

    「はぁ~旨かったなァ……」

     特製塩ラーメン、メンマとわかめとチャーシュー大盛り、味玉追加に替え玉ひとつ、ライス中。いつもならニンニクががっつり効いた特製の羽根つき餃子も注文していたところだったが、ナカヤマはメニューをなぞるだけにとどめた。それらをしっかり腹におさめると、とてつもない充足感が体に満ちる。ウマ娘は食欲旺盛な種族だ。すべてがすべてそうではなく、ナカヤマもどちらかといえば多くは食べない方ではあったものの、それでも醤油ラーメン一杯にとどめた向かいのトレーナーよりはよく食べた。
     汗をかいたお冷を煽ると、しょっぱさに侵食された口内にミネラルウォーターの甘さが満ちていく。通りにあったころはライムの香りなんてしなかったのにな? 店主も色気づきやがって──などとからかいまじりのボヤきが口をついて出そうになったナカヤマであったが、それは常時稼働中の友人たちとのグループLANEに流すだけにとどめた。……トレーナーは待ち合わせ時から変わらない困惑をを貼り付けたまま、担当ウマ娘の食事内容を専用アプリに入力している。強張った表情は時おり大きく揺らぎ、気合でも入れるかのごとく改められる。しかししばらくすると弛緩するかのように眉が下がり、瞳に不安がよぎる。担当トレーナー自身は取り繕うことが出来ている、その内心を表情に出さないようその場逃れが出来ていると考えているのが、ナカヤマからすれば丸分かりであった。

     なにはともあれ、『デート』である。

     トレーナーの財布から繰り出される諭吉を見送って、二人並んでラーメン屋を出る。通りにあった頃とは違う、客層が若返ったことによる雑然とした耳障りの悪さから解放されれば、ずっと絞られがちだったナカヤマの耳はようやく和らいだ。
     見上げた空は変わらず晴天。街中も街中で騒がしいものではあったが、まだ局所的でないだけマシだというのがナカヤマの見解だ。対するトレーナーはというと、やはり落ち着きはないまま。まるで堂々巡りでもしているかのような有様に──担当ウマ娘は、あからさまにため息をついてみせた。

  • 14二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:57:42

    「トレーナー」
    「……」

     いつもの様子も形無しの、うわの空。
     担当ウマ娘が耳を絞っていようがため息をつこうが気づけない。追い詰めているのは自分であることを棚に上げつつ──ナカヤマはさらにもう一手を繰り出すことにした。

    「ぼーっとしてんな……熱でもあんのか?」

     手を伸ばし、指先でトレーナーの額に触れる。担当トレーナーが何に対して憂いているのか、手に取るようにとまではいかない憶測に過ぎないものの、ナカヤマはおおよそ正解を引き当てられる自信があった。ともにターフを走り抜け、信頼と親愛を寄せた相手だ。言動も仕草も考えのクセも、勝負師の観察眼を持ってすれば想像に難くない。
     一方、少女のやわらかな手のひらに触れられぐっと近づいた距離にトレーナーは大きく息を呑んだ。避けるように仰け反りかけて脳裏に過ぎるのは、トレーナー課程にて必修科目である『ウマ娘心理学』──我の強さと平時の落ち着き、そして度胸には定評のある担当ウマ娘とて、年頃の少女である。感受性が豊かで夢見がちな思春期の少女である。それにくわえて担当ウマ娘の愛らしい風貌はトレーナーの裡の懸念を加速させるに容易い。これが本来の意味での『デート』の可能性があるのなら、なおさらだ。
     そこにもし、──信頼や親愛から変化した恋愛感情が生まれているのだとしたら、あからさまな距離の取り方は、目の前の少女を傷つけかねない。どれだけ傷ついてもしぶとく奮起してきたナカヤマではあるものの、……恋とは、触れれば傷つきかねないやわらかな花のようにできているものなのだから。
     既のところで踏みとどまって、トレーナーはナカヤマの為すがままに任せる。もしかすると知恵熱くらいは出ているかもしれなかったが「……ないみたいだな」届いたかすかなやわらかさが含まれた声音は、彼女が時おり口にする弟妹に対するそれか、はたまた、また別の温度感に値するものなのか。
     ナカヤマの手が遠のいていく。「君をエスコートできるか心配で早くから目が覚めてしまって」行き届かないトレーナーの言い訳は完全に嘘というわけでもない。
     そして、相棒の誤魔化しを見破ることができないほどナカヤマは鈍くはなかったが、今は敢えて見ないふりをしてやった。その上で流れるような手つきで財布すら満足に入らない小さな鞄から彼女が取り出すのは、いつも口にしているスティックタイプのキャンディである。

  • 15二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:57:52

    「これでも食ってしゃっきりしとけ。……デートを昼飯だけで終わらせるわけじゃないんだろ?」

     カラフルな包装が取り払われて、手ずから差し出されたそれを、トレーナーは鋼の意思のもと、言われるがまま与えられるがまま口に含んだ。
     喉に、そして鼻孔に薄荷の香りが通り抜けていく。

     彼女は子ども。彼女は教え子。
     自分は大人。自分は指導者。

     トレーナーは思考する。思索する。担当ウマ娘を大人として導くことができるように。彼女が道を違えてしまわないように。
     ──自らも、踏み出してしまわないように。

     そしてナカヤマもまた、取り出した無色透明なキャンディを、舌先でぺろりと舐めるのだ。

     担当ウマ娘に対し、もはやある意味恋煩いとも言えるそれを、ずっと言い聞かせなければならないほどまで追い詰められている担当トレーナーを試すかのように、そのすみれ色の瞳を細めながら。

  • 16二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:58:06

    ***

     さまざまな思惑が飛び交う『デート』はその後も、表面上はつつがなく進行した。買い食いをしながら並木道を歩き、美術館か博物館かをコインで決める。そもそもの選択肢から、いつものナカヤマなら『ここで私を楽しませられんのか?』とばかりにトレーナーに対して煽るような視線を送ってくるが、思いのほか素直にコインのお導きに従った。
     ふだん刹那のヒリつきを好むナカヤマとて芸術的なものに対する興味がないわけではない。それは歌劇を始めとした『動』が導き出す琴線に響くことが多いだけの話だ。ギャラリーアテンダントの代わりにたどたどしくあれやそれやを解説するトレーナーは、担当ウマ娘がつまらなそうにしていないのを垣間見てほっと胸を撫で下ろす。

     そうして夕刻。
     他愛もない勝負や賭けを挟みながら過ごした時間のその先──空にかかる薄雲がうっすらと色づきはじめる頃合い。
     担当ウマ娘に連れられて、トレーナーは傾斜の緩やかな山道を進んでいた。山道と言えど本格的な登山というわけではない。山全体が自然公園として手入れされているため、道行きも易しい。視線を遣れば雑木林の向こう、オレンジ色がにじむ街並みが見下ろせた。

     そろそろ帰寮するか、はたまた夕食を見繕うか──そんな話になったとき、行きたい場所がある、と意思表示したのはナカヤマだった。昼からこの時間まで、担当ウマ娘は文句のひとつも言うことなく担当トレーナーにエスコートされ続けていた。彼女が静かすぎるのはかえって末恐ろしいものだったが、ナカヤマフェスタは気に食わなければきちんと言葉にする娘だ。ここまで駄目出しのひとつもないということは、満足度はさておき納得の上のことである──と、担当トレーナーはとらえている。心半分はそうであってほしいという願いではあったが。
     そんな彼女がこの日、はじめて要求らしい要求を口にした。「もちろん!」と場所がどこかも聞かず食い気味にトレーナーが答えれば、その勢いにナカヤマは面食らって「がっついてんじゃねぇよ」と小さく肩を揺らしてみせる。
     そうして、彼女の歩調に合わせるように街中を突っ切り、通りを抜け、山際から整備された遊歩道に入り、いくつかの分かれ道を選んだ先──広がっていたその光景に。
     トレーナーは思わず息を呑んでいた。

  • 17二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:58:17

    「綺麗なもんだろ」

     シイやカシ、コナラなどの雑木のアーチを抜け、上空から見れば円く切り取られているかのように整地され開けたその場所は、いわば行き止まり。まだ冬の色を捨てきれていない雑木の渋色の幹や葉を背後に、鮮やかなまでに咲き誇るいくつもの桃色の花群は、この場に誘われたひとびとの視線を奪うにたやすい。
     そしてそれは、ナカヤマの担当トレーナーもまた例外ではなかった。呆けたように魅入られる担当トレーナーを横目にとらえ、ナカヤマは鼻を鳴らす。
     
    「桜……?」
    「も、あるが、アンタの視線を奪っているのは桜じゃない」

     夕風が走り雑木林がささやけば、植樹されている何株かの桜も呼応するように揺れる。枝先から伸びる花柄が長いぶん、釣り下がる桜は風にそよぎやすいのだ。咲き誇り役目を終え宙を舞う薄桃や白の花弁がトレーナーの視界をよぎる。ナカヤマのショートブーツの踵が、日が暮れるにつれて薄く影を潜めはじめた草生す地面を軽く蹴り歩き出すのを、トレーナーはぼんやりと見送った。いまだ見慣れない背中ではあるものの、よく知る背中が遠ざかり、──さきほどまでトレーナーの視線を釘付けにしていた花木の前で立ち止まる。
     木登りするには頼りない細い枝と華奢な幹。こまかな枝の先、ふたつずつほころぶ桃色を、薄い若葉が支える。
     絢爛の桜ではない。けれど梅ほど楚々とはしていない。目にも鮮やかではあるものの、どこか小粋で匂い立つそれは。

    「花桃だよ」
    「はなもも?」
    「観賞用に品種改良された桃の花さ」

     ナカヤマの腕が伸び、比較的低い位置に広がる枝を撫でる。爛漫に咲く桜にくらべれば濃い色合いの花は花弁が何層にも重なり膨れ、ぽってりとした形をしていた。「八重咲き?」ぽつりとこぼれたトレーナーの言葉を拾い上げ、ナカヤマは頷いてみせる。太陽が夜に傾きはじめ昼のプリズムめいた明るさが弱まりつつあるためか、彼女の飾られた爪は昼間ほどまばゆくは見えない。
     しかし、その指先がそっと花に触れ、ナカヤマのすみれ色の瞳がかすかに細められたのを見、トレーナーはふたたび言葉を失いかけた。

  • 18二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:58:30

     ウマ娘のほとんどは生まれつき整った姿形で生まれてくる。顔つきや雰囲気の性質は多種多様ではあるものの、おしなべて彼女たちはうつくしい。どんな凶悪な表情をしていても、煽るような色に染まっていても、悲嘆に暮れていても、端麗さで満ちている。──当然、花を愛で微笑みを浮かべていても。
     トレーナーは息を呑む。彼女が秘めるうつくしさには慣れたつもりだった。極端な言い方をすればウマ娘であふれるトレセン学園はひとのかたちを為した美の坩堝とも言える。見慣れたからとて魅力的に思えなくなったわけではなかったが、胸をつき瞳を灼くような新鮮な鮮烈さを感じ難くなりつつあったのは事実であった。
     いつも跳ねっぱなしの眉を下げ、つねに凛とした風情をまとう瞳の色をやわらげた、ほんのたまにしか見せない穏やかな表情は、担当ウマ娘にしてはめずらしい。
     ゆえに、担当トレーナーは、鳩尾を殴られた心地になっている。そのうつくしさと、静謐をたたえた可憐さに。胸倉を掴まれたように心臓がひとつ跳ね上がり、高まった緊張はやがて弛緩する。

     一陣の夕野分。
     吹き荒れた嵐が残していったのは、舞い散る桜と──花桃の枝先から離れ振り返り、トレーナーを真っ直ぐに見つめる少女の姿だ。

    「ナカヤマ」

     トレーナーはいつものように、担当ウマ娘の名を呼んだ。いつもの距離感で。おのれは担当トレーナーであり、彼女は担当ウマ娘である。いつものように呼べていたはずであった。

    「なんだい、トレーナー」

     対する担当ウマ娘もまた、いつもの距離感で呼応する。幼いころから健全とは言い難い遊び場で観察眼を磨いてきた彼女には、呼びかけられたその声音がトレーナーの思惑通りになっているか否かを仔細に読み取ることができた。
     その上で、担当トレーナーのまなざしを迎え撃つ。

    「教えてほしいんだ。今日の『デート』を、君がどうとらえているかを」

  • 19二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:58:41

    ***

    『想い』は力だとは言うけれど、その『想い』とやらはひどくあいまいなカタチをしている。
     目に見えなければ当然、触れることもできない。けれどそれらに背中を押されたことがなかったかと問われれば、ナカヤマフェスタは首を振る。まるで質量が存在しているような『心』に『想い』が満ちあふれて、たとえば勇気に、たとえば希望に、たとえば情に変化する。見えもしない、触れられない、ただ感じるだけ、杳として不透明で雲をつかむようにおぼろげで、それなのに『べつのカタチに変わっていく』のが手に取るようにわかるのだ。

     最初の三年間、そして、凱旋門賞を獲るために駆け抜けた十ヶ月。帰国後、今日までの半年弱。
     ただの担当ウマ娘と担当トレーナーからターフを駆け抜けるための相棒へ変わり──想いを向け情を抱き心を寄せるようになったのは、いつのことだっただろうか。思慕の丈を語ろうとしたみずからの唇を、ナカヤマはそっと押しとどめた。
     立ちはだかるのはいっとう節度のある『大人』といういきものだ。陥落を目的とするならば思考する隙を与えてはならない。──あのときああしていれば『勘違いさせずにすんだのに』だとか、こちらが積み上げてきた情をまるでなかったことにできたような塗替えを許してはならなかった。
     ウマ娘とは走るいきものだ。おなじひとのかたちをしているが、耳や尻尾が異なるだけでこんなにも生き様や沸き起こる本能が違う。走り出したウマ娘は止まらない。ゲートが開けばゴール板まで走り切る。ウマ娘とはそういういきものだった。
     ナカヤマは花桃の幹にみずからの背を預けた。ささくれにリブ編みのカーディガンがひっかからないか危惧したのは刹那のことだ。

    「常世の春ってのは一瞬だ。こうして桜がいともはかなく散るように、いつまでも花盛り、というワケにゃ、いかないだろう?」

     芝居がかった物言いはナカヤマの癖のようなものだった。愛らしくめかし込んではいるものの、両腕を広げ肩をすくめる仕草はいつものナカヤマそのものだ。ただの前口上に見せかけて意図を仕込みがちなのもいつものこと。問いかけに対し首肯しつつ、トレーナーは注意深く担当ウマ娘の様子をうかがう。
     桜が咲けば桜は散る。春とはそういう季節だ。出会いと別れや成功と失敗、勝利と敗北。それらを桜が咲き散る様子になぞらえることは多い。

  • 20二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:58:51

     トレーナーの言葉を待っているのか、はたまた次の句がまとまらないのか、ナカヤマは今日何度か塗り直していた淡色の唇をかすかに開いては閉じる。
     そして、綻ぶ日を待つ花の蕾のようにきゅっとつぐめば、やがて、浅く吐息した。
     ためらい──ナカヤマにしてはめずらしく、言葉を迷わせている。彼女らしさにあふれる端書までは想定通りだった。トレーナーに意図汲ませて、誘導させるための仕掛けを、ナカヤマは投げていた。
     しかし、言葉を発するタイミングを見極めているうちに、担当トレーナーを真っ直ぐに見据えていた視線が行き場を失った。薄い胸の奥で心臓が嫌な拍子で騒ぎ出すのをナカヤマは自覚する。拳をいつのまにか固くにぎれば、手のひらにネイルチップの先端が食い込んでいた。薄く汗がにじむ。──痛みで、生まれた惑いを吹き散らそうとした。

     恐怖も焦りも不安も勝負の前ではけして悪くない感情だった。心臓がヒリつけばヒリつくほどナカヤマの頭は冴えていた。胃の腑が冷えて吐き気を催す不快感や押し潰されそうなプレッシャーを生という快楽に塗り替える。ナカヤマフェスタはそうして走ってきた。そうしていくつもの勝負を獲ってきた。
     後が無ければ無いほど燃え上がる。ナカヤマはいつだって自分自身をそう仕向けてきた。それは、今日という日も同じのはずだった。

     今日の『デート』をどうとらえているか? トレーナーの問いかけに対するナカヤマのシンプルな回答はこうだ。『そんなの勝負に決まっている』出会って二年も経っていない小娘に道行きを賭けるクソ真面目でクソボケだからこそ、恋情を向けたとしても丁寧に躱される可能性が高いことをナカヤマは理解している。
     思春期の気の迷い。恋の高揚感にあられもなく陶酔しているだけ。寮住まいである以上、家族よりも長い時間を過ごし、行動を共にしているのだから、勘違いしてもしかたがない。
     まるで教科書にでも掲載されているかのような言葉を連ね、膨らみきった想いをもともとあってはいけなかったもののように扱われるのが関の山。世の中には担当トレーナーと担当ウマ娘で節度ある交際をしているペアもいるものの。

  • 21二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:59:03

     勝ち目が有るか否か──もしそう問いかけられたとすれば、ナカヤマは逆張りもせず後者にすべてをベットするだろう。その勝ち筋はぴんと張られた絹糸よりもか細く弱く、──桜ははかなく散っていく。鮮明すぎるビジョンは早々に諦観すら覚えてしまうほど明瞭だ。
     しかし、ナカヤマフェスタはウマ娘だった。
     想いが、欲が、情が、彼女を走らせる。それが止められないのはナカヤマ自身も自覚するところ。芽生えた想いは、あふれた気持ちは、変化した情は、そう簡単には止まらない。止められない。

    「……なァ、トレーナー」

     バレンタインデーやホワイトデーを経てデートに連れて行けと告げたときのトレーナーの反応は、勝利への筋書きを完全にあきらめなければならないものではなかった。あの瞬間、トレーナーを見上げ挑むように唇端を上げたナカヤマは、トレーナーにとって担当ウマ娘ではなくなっていたはずだった。
     ゆえに、ナカヤマは駒を進めることにしたのだ。恥を忍んで友人たちから愛らしく着飾るための知恵を得て、『デート』に臨んだ。最初こそどうしようもないトラブルがあったものの、今日一日、言葉で、態度で、仕草で、トレーナーの理性を突きつづけた。
     この身に燃え上がる恋慕の情で、『大人』である相棒を焼き尽くすために。そのために罠を敷き、仕掛けを施した。攻勢に出た。
     いつの間にやら恋をしていたと。柄にもなくアンタを慕っているのだと。勢いのまま攻め立てて声も言葉も思考も奪って、陥落させるつもりで。

     ──しかし。

    「……春の絢爛に見劣りしないように着飾ってきたつもりだが、アンタの視線は奪えなかったか?」

     ナカヤマの唇からこぼれたのは、あまりにも頼りない、──それこそいつもの彼女からすれば柄じゃない、まるで枯れ尾花に怯える子どものような、年相応の少女のそれであった。歌劇のように声を張ることもままならない。舞台俳優がするように朗々と、余裕を持って、伝えるべきことばを用意してきていたはずだったのだ。
     ことばだけではない。声音も表情も、取り繕えていたか定かではない。これじゃまるで、ラーメン屋で平素を演じきれていると過信していたトレーナーと同じだろ──さて、ナカヤマの自嘲の引き合いに出されたトレーナーはというと、担当ウマ娘の唇からこぼれたあまりにもたよりない問いかけに、おのれの失態を自覚した。

  • 22二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:59:16

    「ごめん」

     どんな言葉から広げてもいいわけにしかならなかったため、トレーナーが開幕から繰り出すのは謝罪であった。

    「とても可愛いよ、ナカヤマ」

     ナカヤマフェスタの担当トレーナーは真摯な人間であった。担当ウマ娘のために必要とあらばなんだってできる。素面で言うには多少の羞恥心が沸き起こる言葉であったとしてもてらいなく形にすることができた。

    「待ち合わせのとき気づかなくてごめんね。君はいつも可愛いけどいつもと全然違ったし」

     視線を奪われなかった? そんなわけがなかった。昼からずっと担当ウマ娘の変身具合に対してトレーナーは毎時新鮮に実感を抱いていた。
     先程こそ花桃に引き寄せられたものの、彼女の静かに変わる表情に、いつもとは違うそのはかなげな立ち姿に、どこか拗ねたような、それでいて不安を帯びた様子に釘付けられていた。

    「本当に可愛い。今さらになってごめん。髪、結んでるの新鮮だね。巻いてると大人っぽいよね。それから」
    「待て。もういい。そこまで言えとは言ってないだろうが!」

     まるでマシンガンかなにかのようにとめどなく撒き散らされる賞賛に耐えられなくなったのは当のナカヤマである。そういえばこのトレーナー、こういう奴だった。
    「いやでも」まだ言い足りないとばかりに戸惑った様子のクソボケトレーナーは、熱を帯びはじめた頬を手で隠し顔を逸らすナカヤマを見、頭を振る。お洒落をしてきた相手を褒めることなく完全スルーしてしまった罪は重い。
     たとえばこの『デート』にどんな意図があったとしても、この日のために準備されたあれこれに気づかないのは罰されてしかるべき。
     トレーナーはすぅと息を吸う。言い足りないのではない。言わねばならないのだ。

  • 23二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:59:26

    「ネイルはトーセンジョーダンにしてもらった? ラインストーンのせいかキラキラしてる今日の君がさらにまぶしく見えたよ」
    「……ッ!! いや、だから」
    「メイクもかわいい。マスカラ、グリーン系なんだね。君の瞳の色もあいまって、本当にすみれの花みたいだ。それから……」

     トレーナーは言わなければならない。花よりも華のような装いが、ナカヤマにとって意識的であるならば。……褒められなかったことに対してどこか傷ついたような様子を見せられてしまったのなら。
     年相応の少女が抱く『デート』の意図に応えることができない代わりに。せめて。

    「ショートパンツとミニスカート、丈は似たようなものだけど雰囲気変わってくるよね。いつもの君もすてきだけど、今日の君はいっとう愛らしいよ」
    「ああ、もう!! やめてくれ!」

     昼夜兼行とばかりにあふれる賞賛に、ナカヤマはついに声を荒げた。なりふり構わずトレーナーとの距離を詰める。褒め言葉に底がないのか? わんこ蕎麦食ってんじゃねぇんだぞ!? しかしナカヤマが音を上げてもなおトレーナーは止まらない。
     止まらない。だから、ナカヤマはトレーナーの襟元を──胸倉をつかみあげた。そうして力任せに引き寄せれば、トレーナーの瞳が大きく見開かれる。

    「頼むから黙ってくれよ」

     声を、言葉を、ナカヤマは奪うのだ。みずからの唇をもって。

  • 24二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:59:37

    ***

     どうして担当ウマ娘が、桜ではなくわざわざ花桃を選んだのか──トレーナーは普段以上に思考回路をフル回転させ、答えを探り続けていた。この自然公園は桜の名所でもあり、花見客も多く訪れる、と解説してくれたのはナカヤマだ。もう少し上がればつねに桜がうつくしく散るようなスポットもあるのだと。
     しかしトレーナーが導かれたのは桜のもとではなかった。桜と雑木をバックダンサーに据えた、花桃の庭。
     散り際すら艶やかな桜ではなく、桜よりも派手さは劣るが枝に寄り添い咲きほこる、八重咲きの桃の花。風の煽りをくらいやすい桜にくらべれば、花盛りの頃を過ぎてもまだ耐えられる、桃の花。

     ──散りたくない。桜のように散ってたまるものか。
     それは、そんな、意思表示だ。

     それは、彼女と長きに渡り時間をともにしたからこそ、トレーナーがたどり着いた答だった。

     担当トレーナーの口から矢継ぎ早に溢れ出ていた賞賛は、たがいの唇がやわらかく重なることで断ち切られるように終息した。勢いよく掴んだために強くシワの寄った襟元を解放したナカヤマは、眉をひそめ目を眇める。心臓は、動揺と羞恥とこれから下されるであろう裁決へのヒリつきがぐるぐると混ざりあったような音を立てている。頬の熱さだけが触れ合った行為の喜びを主張していた。
     一方のトレーナーはムードもへったくれもなく、なおかつ月9のドラマでしか見たことがないような口づけを食らったことに対して茫然と──していたわけではなかった。バツが悪そうに顔をしかめ地面に視線を投げた担当ウマ娘に対して、静かな視線を据えていた。もちろん驚いていないわけではなかった。褒めるのを止めようとしてくる気配があったのには気づいていた。まさかこんな実力行使になるとは思わなかったけれど──デートの意図を理解してしまった以上、『トレーナーとして』担当ウマ娘に対して取ることのできる態度は、たったひとつだ。

  • 25二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:59:49

    「こういう意図だよ」

     それは、花吹雪にまぎれてしまいそうなほど小さなつぶやきだった。

    「気のせいでも夢でも幻覚でも勘違いでもねぇよ」

     一息つく間もなくナカヤマは続ける。トレーナーの逃げ場を封じるかのように。

    「私はアンタに恋をしている。正気なんて忘れてね──全くもって狂気の沙汰だろう? 私のような悪童が、……いっちょまえに、ガキみたいに、……こんな」

     ナカヤマは理解していた。
     担当トレーナーの口から、『デート』にどのような意図があるだとかを問いかけられた時点で、勝敗は見えていた。担当トレーナーがそういう大人であることはわかっていたし、それが担当トレーナーにとってのナカヤマを大切にする方法であると。
     それでも引き下がることはできなかった。けして手応えゼロだったわけではないのだから、散ってたまるものかと──。臆病なのか鈍感なのか無自覚なのかまではナカヤマにはわからない。しかし担当トレーナーにとっての自分が、学園の生徒でもなく、担当ウマ娘でもない存在──ひとりの少女として映っていることがほんのときたまあることに、ナカヤマは気づいている。

    「本当にバカみたいだ。どっかの誰かさんがちっとも褒めやしなかったのが、ぶっ刺さってやがんだよ。おかしいだろ。どう足掻いても、笑えねぇ」
    「笑わないし、……それについては猛省してるよ。もう少し褒める?」
    「……同じようにキスされたいならどうぞ?」
    「それはダメ。……ごめん」

     俯いていた顔を上げてふたたび胸倉を掴んでやろうとナカヤマが手を伸ばせば、トレーナーは静かに首を振ってみせた。もう二度とおなじ風にはならないように、やわらかな肌を押しとどめる。担当ウマ娘の眉間に皺が寄る。威嚇でも威圧でもない、それはまるで、ひどい強がりだ。
     年相応の。思春期の。いつもの強さからかけ離れた、恋情を持つ少女のそれを、強がりきれずこぼれ落ちたやわらかさを──担当トレーナーは、やさしく踏みにじらなければならない。やさしく諭して、やさしく拒んで、無防備な表情を捨て去り声を張りなんてことないとばかりの演技を作らせなければならない。
     世間を知りすぎたがゆえにどんな判決がくだされるのかを理解している少女に。長く共に歩んできたからこそ、ナカヤマはみずからのトレーナーを理解しているのだから。

  • 26二次元好きの匿名さん23/04/15(土) 23:59:59

    「もっと君が飄々としていてくれたら、よかったんだけれど」
    「そうするつもりだったさ。……キスだってアンタからさせるよう仕向けるつもりだった」
    「そしたらもっと毅然としていられたよ。……でも、難しいね」

     おそらく意識的にコントロールしていたのだろう。わかりやすくへこたれはしなかったナカヤマの耳がぴんとまっすぐに立ち上がった。しかしすぐさま力を失う。流れるようにして鋭い視線がトレーナーに突き刺さる。早く終わらせてくれと言わんばかりに。期待させるなと言わんばかりに。
     いつもうっかり弄びがちであることに対する仕返しのたぐいだろうか。それともおかしな同情か──つきりと痛む心をかばうようにして、ナカヤマは胸前で拳を握りこむ。日が暮れはじめ、夜をまとう野分が木々をすり抜けて梢をざわざわと揺らした、そんな頃合いだった。
     そっと、なにかを確認するかのように、トレーナーが口を開く。

    「……上手くやれてるひともいるんだよ。恋心っていうのはさ、モチベーションアップに有効だ、って言われているし。さすがに推奨はされてないけど、……担当の感情コントロールも、トレーナーが力を尽くせることだから」

     節度ある交際。
     それは、裏路地の爛れた痴情の縺れをいくつも見かけたナカヤマからすれば、とてつもない夢物語のように思えた。だからこそ狂気の沙汰だと断じていた。それでもいいと思える日が来るなんて、想像もしないまま。節度がどの程度までカバーされるかは一考の余地があったけれど。

    「上手くやることを、考えはしたんだ。でも、やっぱり無理だと思う。──今でさえ、君にこんなに夢中なんだから」

  • 27二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 00:00:10

    ***

    「……あ?」

     恋する乙女というものはげに恐ろしきものである。視野が狭まり思い込みが激しくなり妄想は大爆発。何も乙女に限ったことではなく、理知冷静な性質であろうとも恋情の前に脆くも屈しているのを見かけたことのあるナカヤマだ。なんにせよ恋は劇薬、恋は蠱毒。それゆえに、みずからのトレーナーに恋をしてしまった自分もまた、どれだけ取り繕おうともそうなってしまう可能性は充分にありえる。そう、彼女は自戒していた。
     募る苛立ちを隠そうともしなかったナカヤマの表情は、その両耳に届いた言葉に剣呑、なおかつ怪訝な色を灯した。こんなナリでもこんな中身でも恋に感情思考を支配されても仕方がない。ひとの本能に紐づくものなのだから、いくら斜に構えていようともどうしようもないときはどうしようもない。
     そのため、──ナカヤマは、聞き間違いのたぐいであると判断した。恋する乙女の耳とはたいへん厄介なもんだよ、そう内心で毒づきながら。
     ところが。

    「君に触れることを自分に許したら、どうなってしまうのかもわからないし」

     冗談の冗の字も見えない聞こえない感じない追撃に、ナカヤマは耳を疑った。
     
    「……。トレーナー」
    「なに?」
    「私は、『君の想いを受け入れることはできない』とかなんとか、そう言われるだろうと思っていたんだが」
    「それはそうだけど」
    「そうなのかよ」なんでだよ。なにがどうなったらこんな急転直下の会話になるんだ。山あり谷ありどころじゃない。アスコットレース場じゃねぇんだぞクソ。行ったことねぇけどさ。──ボケてボケてボケ倒すトレーナーに対してツッコミ役に回るのはあまりに分が悪すぎる。不測の事態にナカヤマは思わず頭を抱えた。今から私はフられるハズだろ。なんで口説かれてんだよ、と。
     困惑する担当ウマ娘をよそに、トレーナーはいたって真面目でいたって本気である。なぜならこのトレーナー、頭につくのが恋であろうと愛であろうと──とっくのとうに、担当ウマ娘への情で焼き尽くされているのだから。
     やさしく諭して、やさしく拒んで、やさしく踏みにじる。己の信条のもと、どれだけの愛おしさを抱えているか、あますことなく伝えないはずがない。一向に冷静さを取り戻せないナカヤマに対して、トレーナーはただただ真剣そのものだ。

  • 28二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 00:00:21

    「君の気持ちはとてもうれしかった。……でも、君の想いを受け入れることはできない」
    「一言一句同じにして二度刺ししてくんじゃねぇよ」
    「一度目はナカヤマの発言だよ。でも、その言葉を口にするのは君じゃないから。こちらなんだ。君が言ったわけじゃない」
    「……責任の所在をはっきりさせる、ってか」
    「君を守るのは、トレーナーとして、それから大人としても、大切な役目だと思っているから」

     ナカヤマのトレーナーは躊躇わない。
     どれだけ担当ウマ娘を愛おしいものだと認識しても、個人としての情を脇に置き、大人として、トレーナーとして存在することに、爪の先ほどの躊躇いはない。
     ナカヤマのトレーナーはためらわない。
     ナカヤマを愛おしいものとして大切にすることに、爪の先ほどのためらいもない。

    「それに」

     少しずつ、少しずつ、日は暮れていた。雑木林は影に染まり、桜は薄ぼんやりと佇んで、花はきらびやかさを失っていた。
     穴場らしく誰も訪れることがなかったこの場所で、お互いの表情すら翳りはじめた暗がりで、担当トレーナーと担当ウマ娘は対峙する。

    「君のことしか見えなくなってしまったらダメなんだ。……きっと、君のレースにも君との勝負にも君の賭けにも、……君の心臓を打ち鳴らし続けることにも、支障が出てしまうから」

     担当トレーナーからたウマ娘に届いた想いの丈を、その意味を、ナカヤマが噛み砕こうとしたその瞬間。
     花桃の庭は、やわらかな光に満ちあふれる。

     ライトアップ、と、思わずといった風にこぼしたのはトレーナーだった。数株の桜をあおるようにして、スパイクタイプのライトが光を放つ。視界の端、影を引き連れ広がったまろやかな光に、ナカヤマは体ごと振り返る。
     花桃もまた、光を受けていた。桜とは違い温かみのある光を受け、よりいっそうあざやかに、そこに佇んでいる。
     まるでこの庭の主役であることを誇るように。

  • 29二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 00:00:39

    ***

     素直で、従順で。
     可愛らしくて、扱いやすくて。
     堅実で、まっすぐて、ひたむきで。
     そんなウマ娘は、トレセン学園をさがせばごまんといる。

    「どうしてアンタは……そうなんだよ」

     瞼をとざし、花桃を隠し、ナカヤマは強く、強く拳を握りしめる。

     素直でもなく。従順でもなく。
     可愛げなんてあるはずもなく。扱いづらさはデビュー前の教官や他トレーナーもさじを投げるほど。
     心臓の鼓動を感じたくていつだって綱渡りをしたがるのは、堅実だなんて言えるはずもなく。まっすぐさも、ひたむきさも、ただしく語られる姿ではない──暴れウマ娘。
     ナカヤマフェスタは、そんなウマ娘だ。そしてナカヤマ本人にもその自覚がある。
     ナカヤマの胸の奥、心らしきかたちのないそれが、幾多の感情でふくらんでいる。
     レースに勝負に賭けに、ナカヤマが走り続ける意味を理由を価値を、トレーナーは理解している。そうでなければ二人はここまで走り切ることができなかった。幾多の情を分かち合わなければ、凱旋門賞で結果を残すところまで駆け切ることはできなかった。

    「なんで、……そこまで、私なんかのためになれるんだ」
    「君と一緒にここまでたどりつけたから、かな」

     ナカヤマのトレーナーは躊躇わない。まるで担当ウマ娘を見透かすように、その惑う背中に声を届ける。

    「君の想いを受け入れることはできないけれど、君が愛おしいのは嘘じゃない。……君が思いっきり楽しく走ってくれるのが、何よりの願いだから」

     ナカヤマのトレーナーはためらわない。しかし、残酷なまでの綺麗事は、ナカヤマの心をかき乱す。

  • 30二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 00:00:52

    「春宵一刻値千金なんて今だけかもしれねぇだろうが。本格化には終わりがくる。来年の私は、花盛りじゃいられない。もはや鑑賞用にすらなれないまま、枯れ果ててるかもしれない」
    「君が走ることに満足出来るまでは手を尽くすよ。でも……もしどうにもならなくなった時、君が許してくれるなら──」

     どうかその時に、君を手折らせて欲しいんだ。

     背中越しに聞こえたそれに、少女はそっと、瞳を開ける。視線の先、桜に守られるようにして咲き誇る花桃を見つめたあと、ナカヤマは一歩だけ、脚を踏み出した。軸足にしてUターン。
     彼女の心はいまだかき乱されたまま。泣いていいのか怒っていいのか笑っていいのかもわからない。
     ただひとつわかるのは、咲き時を終えひそやかに散り落ちたとしても、この物好きは、そばにいる気らしいということだけ。

    「トレーナー」
    「なに?」
    「倒れそうだから少しの間、胸を貸せ」
    「え?」

     胸倉は掴まない。ナカヤマは無防備すぎるその腕の中に飛び込むのだ。

    「……少しだけだよ」
    「はは。やなこった」

     重なる影を見守るのは、優しい夜と春の絢爛。
     せめてあと少しだけ。春の夜が更けるまで。

  • 31二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 00:03:22
    【トレウマ/SS】ぱかプチヤマフェスタと春のあれこれ|あにまん掲示板よくあるぱかプチに嫉妬したりしなかったりするナカヤマと性別不問のトレーナーの話。14レス。bbs.animanch.com

    こないだもおんなじような話を書いた気がしますがヘキなので仕方がないんです。


    ナカヤマは梅か桜か桃のうちなら桃が似合うよねというやつでした。

    桃の花言葉のひとつ「私はあなたのとりこ」かわいくないですか?

  • 32二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 00:29:54

    お互いに情緒を掻き乱される2人の描写、丁寧な地の文、セリフまわし全て見事なり…

    ああ〜〜〜きゅんきゅんするんじゃあ〜〜〜!
    こんなん読んだ後に寝れないよお

  • 33二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 00:34:57

    読ませて頂きました 
    トレーナーの優しい言葉も、ナカヤマの切実な言葉も、お互いを大切に思っているが故の言葉だと思うととても切ないものがありました 
    素敵なお話をありがとうございました 

  • 34二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 02:54:37

    切なさを感じるけれど想いが強いからこその言葉には胸を打たれますね
    ここまでのお話を書き上げるのは大変だったと思います
    お疲れ様です
    今回のお話も良かったです

  • 35二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 09:27:04

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  • 36123/04/16(日) 19:06:39

    >>32

    ワーッ!!!

    嬉しい感想ありがとうございます……!

    ナカヤマのアプリ内トレーナーはこのくらいわけのわからんことをしそうですし、それでナカヤマがかき乱されてたら最高だなって気持ちで書きました! 情緒を乱し合うふたりはいいものです……。



    >>33

    お読みいただきありがとうございます!

    まあなんだかんだで卒業後にはくっつくんだと思います!

    お互いがお互いをわかりすぎてるからどうにもならん二人だといいなと思ってます!

    最終的にはハッピーエンドです!



    >>34

    お読みいただき感謝です!

    これ当初はホワイトデーのお話だったんですよね……なのでそのくらいからずっと書いててぜんぜん進まなくてやっとこ出すことができました……!

    そのお言葉でとっても救われます。

    ありがとうございました!

  • 37二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 23:51:28

    長かったけど良かったよ

  • 38二次元好きの匿名さん23/04/17(月) 07:31:33

    >>37

    お読みいただきありがとうございます!

    自分でも長すぎだなと思ってましたが有難いです!

  • 39二次元好きの匿名さん23/04/17(月) 17:36:19

オススメ

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