- 1二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:39:10
あの日、私の罪が産まれた。
産まれないという、罪が。
産まれてしまったという、罪が。
あの子を奪った、罪が。
だから、新月の日、私は必ず会いに行く。
あの子の近くで話ができるうちに。
その輝きと心を通わせる。
場所に拘りはなかった。
星空が澄んで見えるのなら、どこでも良かった。
今日は浜辺へ行った。見渡す限り海しかないここなら、空の光は何人にも侵されない。綺麗に見えるのは間違いないとわかっていたから。
前にも来たことはあった。誰もいない浜辺で、独り、物静かに心を空に溶け込ませる。それができる空間だった。
だけど、今日は先客がいた。
ウマ娘。耳のシルエットから、それだけはわかった。
関わる気もないので、離れた場所で空を見上げることにした。
静かであれば、誰がいようと関係ない。私はあの子に近づける。
今日も、星の輝きは鋭かった。あの子の声が聞こえる。
「こんばんは。見えますか?」
視界に何かが入る。星の輝きを遮り、影となって。
すぐにわかった。先客だ。先にいたウマ娘が、私を覗き込んでいる。
…………あの子が遠ざかった。 - 2二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:39:47
「あなたの瞳に辻映り……おや? ご機嫌斜めでしたか?」
あなたのせいなんだけど。突然何?
言いたくなったけれど、言葉を飲んだ。
「アストンマーチャンです。よろしくお願いします」
自己紹介されても、困る。
邪魔された相手と仲良くするつもりにもなれない。
「放っておいて」
彼女にそう言い、距離を取ることにした。
追いかけてくるかと思ったけど、意外にも彼女はその場を動かず、海の方を見つめていた。
けれど、別に興味もない。
途切れてごめんなさい。話を再開しましょう。
あなたは、満足してくれているかしら?
私は、周りにいる騒がしい人達に囲まれつつも、レースでの結果は残せている。日本ダービー、誰もが認める栄誉。あなたへ捧げた最も輝く勝ち星。
まるで、あそこで強く輝く…… - 3二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:40:14
指差した空の下。海に立つ人影が見えた。
「えっ……?」
遠くからでも、耳があるのはわかった。彼女だ。先客が、海の中に歩みを進めている。腰のあたりまで海中に入ったまま。
「何してるの!?」
思わず飛び出し、大声を出した。
その声に彼女も気づいたようで、こちらを向き、進路を変えた。
波打ち際で立ち尽くしていると、何分も経たないうちに、近くまで来た。
「何、してたの?」
驚きと困惑から出てきた言葉だった。彼女の表情は変わることなく、笑顔のまま話す。
「マーちゃんは、海の声を聞いていたのです」
「海の声?」
「海は、たくさんの生き物が住んでいます。生き物が初めて生まれた場所も、海の中なのです。博識マーちゃんは色んなことを知っているのです」
「そうなの」
「つまり海は、生き物のお母さんなんです」
海は生き物の母……感覚的に、理解できる。たくさんの生き物が住んでいるから。それに、空にはあの子がいるから。生きることのなかった、あの子が。
「海の声は、お母さんの声なのです。マーちゃんは、たまに聞きに来るのです。海は命のお母さんなので、いろんなことを知っています」
「何が聞こえるの?」
「例えば……」
彼女は、下を向いた。笑顔も消えていた。 - 4二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:40:34
「今日、セミの金森さんが亡くなりました。カニのセサミンも、タヌキの金一さんも、亡くなりました」
「えっ」
驚いた。動物とはいえ、死者のことを聞いていたとは思わなかったから。思いの外、深刻な話になった。
「命は海にかえるのです。上流から下流に流される。それは誰にも変えられないのです。マーちゃんにも変えられないのです」
上流から下流へ……一方通行ということかしら。命は生き返らないと、そういうことかしら。
「でも、寂しくはないのです。彼らは生きていたことを覚えていてくれる人がいます。私も覚えています。彼らが存在したことは、確かなものになるのです。そうやって、命はつながります。えへん」
再び笑顔が戻り、胸をそらす彼女。
「それに、みんなお母さんのところに帰るのです。お母さんは温かく迎えてくれます。寂しくなんかありません」
亡くなった命は、お母さんのところに帰る……そういう考え方もあるのね。
「……そう。でも、少し違うわ」
「違うのですか?」
「ええ。空は使命を果たした命が行きつくところ。亡くなった者は星になるの。あそこから、私達を見ている」
きっと、あの子も星になる。
夜空の星が最も輝く日、私の心にあの子の声が聞こえるから。
「たしかに、海と空は似ています。つながっているのかもしれません」
「そうかもしれないわ」
不思議と、悪い気はしなかった。
「あなたのお名前は?」
「アドマイヤベガ」
「なるほど。アドマイヤベガでアヤベさんですね」 - 5二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:40:48
彼女が浜辺に上がってから、お話をした。他愛のない話。お互いのレースとか、トレーナーの話。
「マーちゃんの夢は、ウルトラスーパーマスコットになること。そして、誰からも忘れられないウマ娘になることなのです」
「にしたって、あなたのトレーナーも相当変な人ね。銅像を作ろうとするなんて」
「マーちゃんの専属レンズとして、とてもがんばっています。アヤベさんのトレーナーさんも、変わった人ですね」
「そうね。よくわからない人よ。二人とも、案外似た者同士かも」
「マーちゃんとアヤベさんも、似た者同士です」
「うーん……それはどうかしら」
他人とのお話が長く続くのも、久しぶりな感覚だった。
「アヤベさん、マーちゃんを忘れないでくださいね」
急にお願いされた。自分が亡くなった時のことを考えているのかしら。
「忘れないって……別に忘れることもないでしょう。学園でも会うでしょうし」
「マーちゃんもアヤベさんのことを忘れません」
「…………そう」
それはどうでもいい。私は忘れられようと構わないのだけれど、忘れないのなら、それでも別にいい。 - 6二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:41:19
「写真を撮りましょう。マーちゃんとアヤベさんが出会った記念写真です」
喜々として提案する彼女に、渋々返事をする。
「ごめんなさい。私、写真はちょっと……」
「そうなのですか。それなら、これはどうでしょう?」
パシャッと、彼女は自分のスマホで写真を撮った。
そして、画面を見せてくる。
「空と海。アヤベさんとマーちゃんです。一緒に写せば、二人分になるのです」
私が見上げる空。彼女が見つめる海。この二つが写っていれば、たしかに記念写真と言えるかもしれない。
「そうね。じゃあ私も」
夜空に輝く星々と共に、静かな波をカメラに収めた。
「それでは、マーちゃんは先に眠りにつきます。おやすみなさい」
こちらに一礼してから、歩いていくマーチャン。彼女は、しきりに忘れる・忘れないということを口にしていた。そこに拘りがあるのかしら?
「あっ、そうです」
途中で立ち止まり、こちらに戻ってきた。
「これ、アヤベさんにプレゼントです」
何かを手渡される。いきなりだったので断ろうとしたけど、手触りに気を取られた。
「それでは、今度こそおやすみなさい」
そう言って、走って去っていった。彼女を追いかける気にはならなかった。
残ったのは波の音と、ぬいぐるみだけだった。 - 7二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:45:30
数ヶ月後。
私は罪を重ねた。
新月の日、あの子に会いに行けなかった。友人と呼べるような他人ができて、それにうつつを抜かして、あの子と向き合わなかった。自分の、自分だけの道を生きてしまった。あの子の道を外れてしまった。私の勝手を、してしまった。
それを境に、左足に痛みを感じるようになった。罪への罰だ。
しかし、立ち止まれない。生まれなかったあの子と、生まれてきた私。生きている者は、生きているうちにできることを全てやらねばならない。他の命を奪って生きている私には、尚更。
今日も、夜間トレーニングに行こうとしていた。
「アヤベさん、さすがに走り過ぎですよ! 今日は休みましょう?」
同室の子に説得される。
「放っておいて」
いつも通り部屋を出ようとしたが、肩をつかまれ引き止められた。
「ダメです! カレンは絶対に離しません!!」
「私に、構わないで!」
「変ですよアヤベさん! 毎晩外出して走り続けて! こんなこと続けてたらどうなるか、わかってるんですよね!?」
お互い、大声を荒げていた。いつも以上に強引に引き止めてくる。左足の痛みは、彼女にも気づかれていたらしい。
「なのにトレーニングばっかりして! ケガだけじゃなくて、レースに出れなくなりますよ! それどころか」
「関係ない! 放っておいて!」
「関係ありますよ! 一緒に暮らしてる人が、関係ないなんてないですよ! だからやめましょう! こんなこと!」
「いいの! 私がいいって言ってるでしょ!」
「アヤベさんがよくても、私がダメです! アヤベさんにいなくなってほしくない!」
「私なんか……」
「えっ?」 - 8二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:46:45
「私なんか! いなくなればいいのよ!!!」
思い切り体を振り払いながら、私は叫んでいた。
「なんで、なんでです……?」
うろたえ、声が震えている彼女。それを見て、思わず動けなくなった。
「なんでそんなこと、言えるんです……? 自分が、いなくなればいいなんて……!」
「…………行かなくちゃ」
「待って! アヤベさん、本当に」
彼女の言葉を遮り、私は部屋の外へ出た。
そうして、無我夢中で走っているうちに、左足が痛み始める。
今までよりも激痛で、思わずその場に倒れ込む。
ザラザラした肌触りの地面。
暗いこともあり、辺りをよく見ず走っていたが、そこは砂浜だった。
体の緊張がほつれ、起き上がりたくなくなった。私は、そのまま砂に横たわっていた。
夜空には、淡い星の光が点在していた。
音がする。
低く響く、波の音。
「あなたにも、聞こえますか?」
誰かから声をかけられた。聞き覚えのある声。
「聞こえますか? 波の音が」
すぐに思い出した。あの時、海で会ったウマ娘。名前は……
「はい、アストンマーチャンです。これはこれは、アヤベさんではありませんか」
彼女の顔が見えた。笑顔だった。純粋な顔。心配なんて感情は、微塵も持ち合わせていないみたい。
「……何か用」
「マーちゃんは聞こえるのです。波の音が。アヤベさんにも、聞こえるのでしょうか?」
波の音? それは、海の近くなのだから、聞こえるけれど……
「波は、今日も誰かを呼んでいます。スズメのピースケと、クワガタの大宮さん、それと……」 - 9二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:46:57
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- 10二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:47:49
「アドマイヤベガ」
命は海にかえる。上流から下流に流される。
その人生を全うし、息ができなくなった者は
波の中へ、包まれていく。
やがて、それは空に上がり
光り 輝き
生きている者を見守るのだろうか。
ああ。
今更冷静になった。私は、このまま死ぬんだ。
死のうとしているんだ。
…………でも、それもいいのかもしれない。
『それができないって言うのなら』
『せめて、私と同じところまで堕ちて来てよ、お姉ちゃん』
それが、あの子の望みなら。 - 11二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:48:12
「海にかえったみんなのこと、マーちゃん忘れません。アヤベさんのことも」
優しく見える笑顔を、こちらに向ける彼女。
「いい。忘れて」
「いいえ、マーちゃんは忘れません。マーちゃんだけじゃないです。アヤベさんを知る誰もが、生きていたことを、忘れません」
「そういうのは、いらない」
私のことなど、忘れていい。
私は、いなければいいんだ。
私がいなかったら、あの子は、みんなは。
「私の命は、あの子のものだから」
あの子に、全てを捧げる。ようやく、叶うんだ。ようやく、償えるんだ。
「……? おや? アヤベさんではないのですか?」
突然、彼女の表情がキョトンとする。
「私じゃないわ。私は、もういない。どこにも」
それがいい。それで、いい。
足の痛みが、意識が、遠のいていく。
「おかしいです。波が変わりました。迎えに来たのは、×××××××――――」
『オペラオーより前に行けた。トップロードさんに追いつかせなかった』
『私の、勝ち――!』 - 12二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:49:25
『1着デごーるイん! 見事勝利しタノは『×××××××』! 菊ノ花ヲ制しマしタ! 祝福の歓声ガ京都れーす場に轟いテオりまス!』
夢。39回目の、菊花賞。あの子が走る夢。私は、そこにはいない。いらない。
私じゃなければ、こうなっていたはずの、世界。
私が走っていなければ……
『あははっ――あはははははっ! 最っ高の気分! ああ、本当に……』
あの子が走っていれば、絶対に。
『本当に、楽しかったんだよ』
『二人で一緒に走って。小さい時も、トゥインクルシリーズも、いっぱい走って』
『二人だった時間が、一番楽しかった』
……え?
『お姉ちゃんと、走っていた時間。ライバルと競い、風を受けて、芝の匂いを味わって。最高に幸せ!』
私は、まだここにいるの? - 13二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:50:43
『お姉ちゃんにね、罪なんてないの。だから、謝ることなんて何もないよ? 生まれてこれなかったのは残念だったけど、今はそれでよかったって思うんだ』
待って、私に話しているの? 私に罪がないと、なんでそんなこと……
『ずーっと! お姉ちゃんと一緒にいれたから! お姉ちゃんのよろこびと、私のよろこび。重なって、心地良かった……!』
一緒に、いれたから……? あの子は、ずっと私と……
『だから、ありがとう! お姉ちゃん!』
『これはそのお礼。お姉ちゃんについた足枷は、私がもらっていくね』
もらっていく……?
『そう、もらっていく。ごめんね。もうお別れなの』
お別れ? 待って! あなたが行く必要はない! 私が! 私が行く!
『お姉ちゃん、見て? 後ろ』
後ろ……? あっ…………
『元気でね』 - 14二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:51:21
「……ベ! アヤベ!」
うるさい声。重い瞼を開けると、そこにはトレーナーさんがいた。
ここはどこだろう……?
「トレーナーさん、私……?」
「アヤベが倒れてたって聞いて、それで近くにいたウマ娘が病院に運んだとかって、緊急入院になってさ」
なんとなく状況を思い出した。
そして、あの子がいないことも。
「トレーナーさん……消えちゃったの」
「えっ……?」
「あの子が。妹がっ、消えてしまった……!」
涙が止まらず、泣き続けてしまった。トレーナーさんにしがみつき、長い間。
埋まらない心の穴を、必死にかき集めた。でも、妹の欠片すら残っていなかった。残っているのは、あの子が確かにいたという思い出だけ。 - 15二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:53:29
数日後、退院することになった。ただ、妹がいなくなり軽くなってしまった体には、上手く力をこめられない。それでも、歩くだけのことなら。
その日の夜。あの浜辺に行くと、先客がたくさんいた。
「あ! アヤベさん! こっちこっち!」
トップロードさんが手招きする。ドトウとオペラオーもいた。
「あのぅ、オペラオーさんからの招待状、アヤベさんももらったんですよね?」
そう。奇遇なことに、この浜辺が招待状の指定先だったのだ。
「招待したオペラオーちゃんが寝ちゃってますけどね」
「オペラオーさんが寝る前に、私達は日が明けるまで一緒にいろと言っていて……でも、他のことはよくわからなくてぇ……」
人を集めておいて先に寝てしまうというのは、なんとも迷惑というか。本当に人騒がせな人。
「う~ん、せっかくですし何かお話しましょう、アヤベさん」
「話って、何を」
「アヤベさんに何があったのか、とか。どんな覚悟を背負ってたか、とか」
トップロードさんがしきりに話しかけてくる。気を遣わせているかもしれない。
「……それを言って、どうなるの?」
「どうなるかは、話してみないとわかりませんよ?」
「うっ……」
しかし、理解などしてもらえないだろう。私とみんなとでは、いろんなものが違う。
それでも、今は言わずにいるための力さえ残ってなかった。
「私、何もなくなっちゃった。妹のために走ってきたのに、妹が心にいたのに、いなくなって」
「……そうなんですね。それで?」
「わからなくなったの。これからどうしたいか。今までは、妹のため、妹の代わり、妹が取るはずだった栄光を捧げるために尽くしてきたけど、今はもう……」
「なるほど……」
しばらく沈黙が続いたが、それを破ったのは聞き覚えのある声だった。 - 16二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:54:23
「アヤベさんは、ちゃんといます」
振り向くと、そこにはアストンマーチャンがいた。
「もういないと言っていましたが、やっぱりまだいます。マーちゃんにはわかります。アヤベさんは、今もまだ、アヤベさんのままだと」
「それって、どういう……」
「アヤベさんの大切な妹さんは、アヤベさんが覚えていてくれます。それは、とっても幸せなことなのです」
「あ……」
『命は海にかえるのです。でも、寂しくはないのです。彼らは生きていたことを覚えていてくれる人がいます。私も覚えています。彼らが存在したことは、確かなものになるのです。そうやって、命はつながります』
ようやく彼女の言ったことの意味が理解できた。
生きていたことを覚えていれば、あの子の存在は消えない。いなくならない。
それに、確かに残っているものがある。
あの子といたからこそ、残ったものが。
「あの子が残してくれたもの、私の体、私の左足。ここまでにできたライバル、そして……」
「レースのたのしさ。走ることのよろこび」
全部、あの子からのプレゼント。妹から私への、願い。
使命、償い、しがらみを解いて走っていい。
それが私にとってどれほど重要になるかはわからない。
けれど、皐月賞、日本ダービーの熱を、また感じてみたい。
これが、今の私にある思いなんだ。
「私、走る。これからも。あなた達と」 - 17二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:56:31
「……それなら、よかったです。 でも、いつかは私も、アヤベさんを追い越しますから!」
「私も、あ、アヤベさんとまだまだ走りたいですぅー!」
「それでは今から競走しよう! 太陽が昇った瞬間、誰が先頭で照らされるスタァとなるか、ボクたちで競おうじゃないか!」
突然、オペラオーが起き上がって走り出す。
「あ! 待ってくださいぃー!」
「負けませんよー!」
トップロードさんとドトウも走り出していく。
「アヤベさんは、走らないのですか?」
そう聞いてきた彼女も、走っていない。
きっと、今日はここで別れることになる。
「マーチャンさん」
「なんでしょう?」
「ありがとう。私をつなぎとめてくれて」
それだけ言い残し、私も走り出した。 - 18二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:58:20
月日は流れ、ファン感謝祭の日。
オペラオー達との綱引きを終え、私はあるウマ娘を探していた。
しかし、資料を見ても名前が載っていない。
あれほど人に覚えてもらおうとする彼女が、参加しないとは考えられない。
ましてや、当日に体調を崩して欠席するならまだしも、どのブースやイベントにも参加登録されていないというのは不自然だった。
一体、何があったのかしら。
彼女のトレーナーにだけでも会って、事情を確かめたかった。
「ちょっといい?」
感謝祭の実行委員に話しかける。
「今日参加予定のウマ娘って本当にこれだけなの?」
資料を見せて確認する。
「……ええ、これで合ってるかと思います」
「その、誰か足りない人はいないかしら?」
「足りない人って?」
「それは……」
その時、私の中で異変を感じた。
「えっと……それは……あれ?」
彼女の名前を思い出そうとした。だけど、出てこない。十秒、二十秒、長い間考えても出てこない。一文字も。
いや、そんな人物は本当にいた? どんなウマ娘だった? 最初から、私の思い違い?
「うーん……一応、会長に確認しましょうか?」
「あ、いえ、大丈夫」
「そうですか。それでは」
実行委員は走り去っていった。 - 19二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 13:59:06
冷たい感覚が、こめかみから顎へ伝っていく。
気づかないうちに、私は冷や汗をかいていた。
理由はわからないけど、居ても立っても居られなくなり、とにかく探し始めた。
会場内の人混みをかき分け、回れるところは全部回った。
でも、見つからない。きっと、出会えていない。
翌日、私はトレーニングを休みトレセン学園の敷地をくまなく探した。
ウマ娘なら、学園内にいるはず。
グラウンドでトレーニングしている子達、校内にいる委員会の子達、大樹のウロ、体育館、トレーナー室。そして、学生寮。
探し回ってけれど、見つからない。
特に寮なんて、ひとつひとつの部屋を回れば必ず名前を見つけるはずだけど、それでもわからなかった。
「え? 最近いなくなったウマ娘? いや、4月に入ってからは誰も寮を出てないなぁ」
フジ寮長に聞いても、心当たりはなかった。
「いなくなったウマ娘? アヤベと仲良さそうなのは……オペラオーに、ナリタトップロード、メイショウドトウ、ハルウララ、カレンチャン……あとサイレンススズカとか? あ、違う人? じゃあわからないな……」
トレーナーさんに聞いても、心当たりはなかった。
「うーん、いなくなった人なんていないと思いますよ? 先にお風呂行ってきますね」
カレンさんに聞いても、なかった。
本当に私の思い違い……?
でも、あの時かいた冷や汗は……?
自分の椅子に腰かけ、じっと考える。
もし、そのウマ娘と私が出会っていたなら、もし関係がある子なら、私の手元にも何かしら残っているはず。
そう思い、スマホの写真を見返した。
……星空の写真ばかりで、思い出せそうなものはない。
仕方ない。他人を写真に撮るなんてやってこなかったもの。 - 20二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 14:00:00
と思っていたら、一枚だけ引っかかる写真を見つけた。
海。いや、別に変ではない。夜空と一緒に海を写していた写真だ。
でも、なぜ一枚だけ、海を写したのかしら?
ふと、海の香りがした。机の横に置いた棚の中。そこに、答えがある気がする。
開けた時、記憶がよみがえった。
ぬいぐるみ。彼女の。赤い勝負服、頭にある小さな王冠。
そう、彼女の名は、アストンマーチャン。
思い出した。そして、胸騒ぎが止まらない。
すぐに外出届を書き、私は外に出た。
たどり着いた先は、例の浜辺。
そこに、見覚えのある光景が広がっていた。
「何してるの!?」
遠くからでも、耳があるのはわかった。彼女だ。海の中に歩みを進めている。腰のあたりまで海中に入ったまま。
思わず飛び出し、大声を出した。
その声に彼女も気づいたようで、向きを変えた。
しかし、こちらに歩いてくる様子はない。
「何をしているの!?」
再び叫ぶ。それ以上、行かせてはいけないと、私の心が警鐘を鳴らしている。
彼女の方に走って向かうと、小声で何かつぶやいていた。聞き取れないような声だったけど、何を言っているのか、わかってしまった。
「さようなら、アヤベさん」
その言葉が発せられた瞬間、いつもは星が輝く明るい夜空が、真っ暗に変わった。 - 21二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 14:01:02
「マーチャンさん! どうして!?」
呼び止める声に対して、彼女はうっすらと笑顔を浮かべているように見えた。
「マーちゃんは、いなくなります」
「いなくなる……?」
「おかしいとは思っていました。春といつも以上に仲良くなれず、波の音がいつまでも聞こえていました」
「春? 何を言ってるの!?」
「そして、マーちゃんは誰からも消えてしまいました。だから、仕方のないことなのです。これ以上は、いないことと同じなのです。上流から下流へ、誰にも逆らえない流れに、マーちゃんも巻き込まれるのです」
下を向き小さく語る後ろから、全てを覆ってしまうような大波が見えた。
「だけど、マーちゃんのこと、忘れないで」
「待って!」
波打ち際まで走り、手を伸ばす。
しかし、波は、全てを飲み込んでしまった。
もう、彼女の姿はない。
また、なの?
また、いなくなるの?
また、私は、失うの?
『命は海にかえるのです。でも、寂しくはないのです。彼らは生きていたことを覚えていてくれる人がいます。私も覚えています。彼らが存在したことは、確かなものになるのです。そうやって、命はつながります』
『アヤベさんの大切な妹さんは、アヤベさんが覚えていてくれます。それは、とっても幸せなことなのです』
違う…… - 22二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 14:01:49
「違う!!!」
私は、無我夢中で海の中へ入っていた。
足、腰、水が服に染み込んで、重く、冷たい。進むのがつらい。苦しい。
それでも、私は歩みを止めない。止められない。
「あなたは、私が助けるから!!」
水深が深くなっていく。既に水は首まで来ていた。
「だから、いなくなったりしない!」
頭も耳も海に覆われた。それでも、進む。
「あなたはまだ、私と、ここにいるから!!」
流れに飲まれず、逆らい続け。彼女の姿を見つけた。
「マーチャンさん!!」
手を伸ばし、腕を掴んだ。思い切り引き寄せ、来た方へ戻る。
波が引いていく。再び、正面から水が流れ込んでくる。今までよりも、力強く。
「どう、して……?」
目を見開き、戸惑う様子の彼女。
「マーちゃんは海にかえる運命なのです。このままだとアヤベさんも……」
「死なない! 私もあなたも!」
「うれしいですが、いいのです。マーちゃんは、アヤベさんが覚えていてくれれば、それで大丈夫です。忘れられなければ……」
「違うのよ! あなたが死んだら意味がない! だってあなたは、生きているから!!」
「えっ……」
「私は、あなたに生かされた! だから今度は! 私があなたを!」
足に力を入れ、踏ん張り続ける。しかし、水の勢いは増していき、どんどん進めなくなっていく。
「ありがとう、アヤベさん。でも、ごめんなさい」
彼女が腕を解き、私の背中を押そうとしていた。
「だめ!」
考えるよりも先に、私は彼女を抱きしめていた。
「離さない、絶対!」
しかし、流れは逆らえないほど強く、私ももう歩くことができない。
足が、浮いていく。沖の方に流れている。
意地を張っていたけど、このままじゃ本当に二人とも…… - 23二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 14:03:00
「アヤベさーーーん!!!」
誰かの声が響く。同時に、目の前に何かが落ちてきた。
「つかまってください! はやく!!」
腕を伸ばし、なんとかそれをつかんだ。体をそちらへ寄せていく。
どうやら、浮き輪のようだ。
「引っ張りますからね! もう少しです!」
浮き輪にはヒモが巻き付けられている。それを手繰り寄せているようだ。
波も弱くなっていき、ゆっくりと、砂浜の方へ近づいている。
助かった……そう思いつつ、油断はしない。浮き輪を離さないよう、腕の力を緩めずにつかまり続けた。
数分後、私達二人は浜辺に着いた。
「何してるんですか二人とも!?」
浮き輪を投げ引っ張ってくれたのは、カレンさんだった。
「どうして、ここに?」
「お風呂上りに、アヤベさんが外出しようとしてて、嫌な予感がしたから追いかけたんです! そしたら、海に入っていったから! すぐに海の家で浮き輪を借りてきて!」
カレンさん、普段では見られないほどの焦りっぷり。
「ありがとう。助かったわ」
「もう! 溺れてる人がいても、自分で助けに行っちゃダメですよ!」
「ええ。反省してる」
普段なら、こんな無茶はしなかった。一人で対処しようとはしなかったはず。でも、今日は違った。一秒でも早く行かないと、取り返しがつかなくなる。そう思ったから。 - 24二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 14:03:30
「マーチャンさんはどうして海に入ったんです?」
カレンさんの質問に、マーチャンさんもゆっくり答える。
「マーちゃんは、世界から忘れられたのです。海にかえる時は、運命で決まっているのです。きっと、今を生き続けたとしても、すぐに私は消えるのです。また忘れられ、海にかえるようになるのです」
「だから、自ら死を受け入れたんですか?」
「はい。ウルトラスーパーマスコットにはなれなかったですが、それが運命。覚悟を決めて、流れに身を任せるつもりでした」
「だからって、そんなこと……」
「でも、運命は変わりました」
「え?」
「アヤベさんは、私のことを覚えていてくれました」
「あっ……」
確かに、私が思い出さなければ、マーチャンさんは海の中から戻らなかったかもしれない。
しかし、運命を変えたなんて……そんな大それたことではないと思うのだけれど。
「ですね! 私もなぜか忘れてましたから……ごめんなさい、マーチャンさん!」
「いいのです。カレンチャンさんもお優しいです」
彼女は、上を向いていた。
「マーちゃんは、もっと生きてみようと思います。流れに逆らえてしまったので。きっと、アヤベさんがいれば生きていけると思うのです」
「……!」
思わず視線を逸らしてしまう。自分でも、口角が上がっているのを感じた。
「ありがとうございます、アヤベさん。アストンマーチャンを、見つけてくれて」
「…………そう」 - 25二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 14:05:45
大作だ…
いい… - 26二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 14:06:01
あれからしばらく経ったけど、私とアストンマーチャンさんは、今もトゥインクルシリーズに挑戦中。順調に勝ち星を上げている。お互いに知名度も上がってきており、最近グッズも販売された。
あの一件以来、マーチャンさんと時折会うようになった。
向こうから誘ってくる。大抵は、一緒にぬいぐるみを見に行く。
グッズに興味がある彼女と、ふわふわしたものが好みな私。話は多く交わさないけれど、楽しい時間を過ごしている。
今日も、学園近くの販売店にぬいぐるみを見に行った。
「ふわふわのアヤベさん、買ってしまいました。マーちゃん、大事にします」
「ええ。ありがとう」
「アヤベさん」
「何?」
「今夜、海に行きませんか?」
「……今日は新月なのね。気を遣わせてごめんなさい」
「たまたまなのです。行きましょう」
彼女が誘ってくる時は、新月の日が多い。
そして、一緒に海へ行き、星を見る。
「もー、遅いですよ! マーチャンさん! アヤベさん!」
「夕食の用意もしてあります! 外で食べるご飯もおいしいですよ!」
今日もまた、先客がいた。それも4人も。
「テーブルまで持ってきて……キャンプでもしてる気分なのかしら」
「みんなでプチキャンプでしょうか。マーちゃん楽しみなのです」
「ええ、そうね」
大勢で見る夜空も、案外悪くないと思った。 - 27二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 14:28:00
素晴らしいSSだが一つだけ言わせて
マートレ何やってんだお前ぇ! - 28二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 15:12:54
言われてみればアヤベさんとマーチャンって結構合うね…
いいもの読ませてもらいました