【SS】貝殻の中で、真珠は彩られる

  • 1◆zrJQn9eU.SDR23/04/16(日) 19:02:48

     そのトレーナーは、自分にあてがわれている部屋へ戻ろうとしていた。彼は真珠と言われる程の評価をある人物からされていた。
     ただ、当人自身はその意識はなかった。むしろその相手の方こそ真珠なのだと信じて疑わなかった。初対面から今まで、その考えは変わらない。

     自室のドアを開ければ、そこにはトレーナーをそう評するたった一人のウマ娘がいた。学園に属する生徒の中でも大人びた印象を与える、シーキングザパールだった。
     制服姿の彼女は本来の主を出迎える。態度だけを見れば、彼女が部屋の持ち主ではないかとふさわしい自信を溢れさせて。

    「あら、トレーナー。お帰りなさい」
    「ああ。ただいま」

     挨拶をしながら入ろうとしたトレーナーだったが、その動きを止めた。パールが机に広げていたものが目に入ったからだ。
     柔らかめのポーチに入っていたであろう品々は、彼のトレーナー業務には縁遠いものだった。彼女は化粧の最中だった。

    「あ、ごめん……」

     そう言ってトレーナーは部屋を出ようとする。しかし、パールは彼を止めた。

  • 2◆zrJQn9eU.SDR23/04/16(日) 19:03:24

    「ヘイ、トレーナー? 遠慮することなんてないわ。ここは貴方の部屋なのだから」
    「いや、その。失礼というか、迷惑じゃないか?」

     異性がメイクする場にいることに気が引けてしまう。レース前の準備の際も彼は席を外すよう努めていた。

    「ノープロブレム。むしろ私の方こそ迷惑じゃなくて?」

     パールの耳が少しだけしおれていた。自信に溢れている彼女だが、傍若無人なわけではない。それが分かるくらいには二人は付き合いがあった。

    「構わないよ。じゃあ、お言葉に甘えて」
    「こちらこそ、感謝するわ」

     少し奇妙なやり取りにお互いに笑いながら、トレーナーは自分の定位置に座った。今日は朝練以外に予定はなく、放課後の今急いでやることもないので自然と目はパールに向けられた。
     せいぜい乾燥防止のリップクリームくらいしか縁がない彼にとっては、化粧というのは物珍しかった。

    「そんなに気になるかしら?」

     どこかおかしさをにじませて、彼女は問いかけた。

  • 3◆zrJQn9eU.SDR23/04/16(日) 19:03:58

    「自分ではしないからな。パールはいつも?」
    「毎日はここまでしないわ。私の真珠のような輝きを保つために、少しだけ。今日は立つべきステージのために、試したいメイクがあったの」

     確かに、パールの化粧に気付くことはなかったなとトレーナーは思った。同年代より年上を思わせる彼女だが、意外にもメイクの彩りも香りも漂わせていない。
     持って生まれた肌質とでもいうのだろうか。色白な方の彼女の顔は、何も乗せなくとも輝いて見える。
     しかし、その輝きも遠目からでは小さく映るのかもしれない。それをカバーすることにも余念がない。彼女はいつだって、真珠を求めているから。

     立つべきステージ。その舞台は、レースとライブだろう。誰もが輝きたいがために目指す場所。あるいは、さらなる高みへという意味か。
     どちらにしろ、努力を怠らない彼女の行動の理由としては、納得がいくものだった。

    「素人には分からない世界だな……」
    「分からない? だったら、教えてあげるわ。この奥深く、ファビュラスな、貴方にとっての新世界を! ヘイ、カモン!」

     世界と聞いて居ても立っても居られなくなったのか、パールは近くへ呼び寄せる。大きく両手を広げてのアピールに苦笑しながら改めて近くに座り直し、トレーナーは邪魔をしない程度に質問をし始めた。
     手を、口を忙しく動かしながらも休めることはない彼女を、彼は見つめた。

  • 4◆zrJQn9eU.SDR23/04/16(日) 19:04:28

     パールは一見、大人のように思われる。そう抱かせるのも無理はないのだが、反対に学園に通う生徒という子供の印象を他人に与えにくい。
     一挙手一投足が彼女にとっての信念に基づいていて、それが大人と見間違わせるのだろうか。

     ただ、それは理由のひとつではあるのだろうが、やはり顔立ちが一番の理由なのかもしれない。
     化粧水、美容液、乳液、クリームとパールが説明してくれる中、彼女の肌にそれらが塗られていく。瑞々しさが一層際立っていく。

    「寮に帰るまで我慢できなかった?」
    「勝負服との組み合わせを確かめたかったのよ。思いついたら、朝練から持ってきてしまっていたわ」

     そう言って示される化粧品たち。確かに、ここには全身を映せる鏡がある。彼女の私物も多数置かれているから、彼は気付けなかった。
     下地、ファンデーション、コンシーラ、パウダー。終わりかと尋ねれば、これで最低限だという。彼にとっては驚きの連続だった。

     トレーナーにとって、パールは綺麗なウマ娘だった。神秘的な種族がそう見せるのか、或いは彼女がそう魅せているのか。
     彼女が外に見せる顔というのは、長年の経験に培われた結晶だ。訪れた海外の地、そこで交流した人々。それらが彼女を形作っている。

  • 5◆zrJQn9eU.SDR23/04/16(日) 19:04:58

     パールと契約するきっかけとなった、一歩踏み込んだ問いかけ。そこで見せた彼女の顔は、内に秘めていたものだった。
     それまで他と同じ彼女を見ていたのに、初めて見た彼女の顔。真珠が核にいくつもの層を重ねるように、彼女を構成する奥の核を垣間見た。

    「ここまでしっかりしたメイクは、注意されるかしら?」
    「大丈夫だろう。生徒会副会長だってしているし」

     チーク、ハイライト、シェーディング、アイブロー。肌だけではなく、それ以外にも彼女は手を加えていく。
     パールの顔は真剣だ。名前の通り、何かを求めることに手を抜くことはない。

     彼女が求める真珠は、様々だ。可能性と言い換えてもいい。生きる上で頑張ることを支えるささやかな希望。それを彼女は求めている。
     トレーナーが求められたのも、それが理由だ。彼女を輝かせる為、彼女が輝くことで誰かを照らす為に。

     そのことに彼は文句はない。トレーナーである以上、ウマ娘を支えることは当然だから。
     眉マスカラ、アイシャドウ、グリッター、アイライナー、マスカラ。化粧品たちもまた、パールを支える為の礎となっていく。

  • 6◆zrJQn9eU.SDR23/04/16(日) 19:05:29

     小さな手鏡で軽く確認すると、彼女は全身鏡の方に向かった。ちらりとトレーナーを見てきた顔は、赤みがかっている。彼からは彼女の横顔が見える。
     今のパールは、静かだ。太く張り上げる声も、大振りな仕草も、鳴りを潜めている。真珠が貝殻の暗がりの中で、自身を密やかに厚くさせていくように。

     このトレーナー室を利用するのは、彼と彼女だけ。誰も見ることがない彼女を、彼だけが見ている。彼女が真珠であるならば、自分は貝殻だろうか。トレーナーはぼんやりと考えた。
     この一面は、確かに彼女だ。輝きを磨き誰かに見られる前の、表に出る前のシーキングザパールの、核。
     彼女は今、世界という舞台から少しだけ降りている。世界にふさわしいものを、核の上に乗せていく。自身を彩り、自信を纏っていく。

    「……あら、忘れてたわ」

     パールは引き返してくると、口紅を手に取った。その口元は、何の色も付いていなかった。

    「あ……」

     思わずトレーナーの口から声が漏れていた。それに気付いた彼女が彼に視線を向ける。
     彼女に握られているのはリップ下地に、マット系という口紅だった。彼女の説明だと、濃い色を乗せるのだという。
     彼は、それが合わないように感じた。

  • 7◆zrJQn9eU.SDR23/04/16(日) 19:06:00

    「勝負服が赤いし、アクセサリーも赤いから、いや、素人の考えなんだが……」

     メイクの勉強もしていない者の意見が役に立つ筈がない。それでも、彼は直感を捨てられなかった。
     何にも彩られていない、彼女だけの唇が魅力的だと思ったから。
     彼の思惑を見通してはいないというのに、彼女は小さく笑うと、

    「そうね、なら……」

     リップクリームに手を伸ばし、口元に塗った。無色のそれは、彼女そのままを見せる。
     彼女が自身で彩った華やかさの中、唇だけが彼の望みを受け入れている。彼女が持つまっさらな色を残して。

    「これでどう?」

     トレーナーの目の前に立ち、見上げてくる。パールの顔に、唇にトレーナーは吸い寄せられる。
     窓の外はまだ日が沈んでおらず、差し込む光は二人の影を色濃く作る。あまりにも近しい距離はひとりだけを床に映す。
     近過ぎたのか、凝視しすぎたのか。彼女は少し離れる。そして、レース後によくやるように唇に指先を当て、彼に投げ掛けた。
     メイクのおかげか、その頬は染まっている。彼は何も言うことなく、彼女は何も言わなかった。

  • 8◆zrJQn9eU.SDR23/04/16(日) 19:06:31

     沈黙が部屋を暫し包み、やがてパールが着替えてくると言い出した。勝負服と合うかの確認だろう。
     部屋を出ようとする彼女を、トレーナーは呼び止めた。振り返る彼女に、彼は言った。

    「――――――」

     パールは目を見開いた。外ではいつも自分を崩さない彼女であり、人にそのような姿を見せることはない。
     しかし、ここは二人にとって内であり、トレーナー以外誰もいない。それを分かっている彼女は、彼に返した。

    「――――――」

     彼女の顔は、いつもと違う。メイクで彩られていることは確かだし、それが別の印象を与えていることも確かだろう。
     ただ、誰にも見せない彼女を彼には見せてきた。だからこそ、彼には等身大の彼女が映っていた。



     貝殻は真珠の輝きを見守り続ける。真珠も暗闇を不安に思うことなく、二人は委ね、委ねられる。
     二人の顔を見ることは誰にも出来ない。どのように彩られているかは、お互いだけが知っていた。

  • 9◆zrJQn9eU.SDR23/04/16(日) 19:07:01

    以上です。意外にもメイクしていない顔なんですよね。

  • 10二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 19:21:42

    👏

  • 11二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 20:10:48

    大人っぽーい

  • 12二次元好きの匿名さん23/04/16(日) 20:36:01

    幾重にも重ねられた美しい彼女のベールを剥いでいる様な、そんな背徳的な気分になり読んでいてドキドキしました 
    とても良かったです

オススメ

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています