【SS:マーチャン・スカーレット・ウオッカ 「おかえりなさい、私の勿忘草」】

  • 11/923/05/01(月) 04:29:19

     ――――はじまりは、ひとりのウマ娘が海に還ったその夜から。

     もう、だれもその名を思い出すことはなくても、それでも日々は変わらず続いていく。

     けれど、ダイワスカーレットとウオッカの日常はそうではなかった。
     ありていに言えば、絶不調のスランプに陥ることになる。
     体調自体は問題ない。トレーニングを重ねるごとに積み重なるデータの数値は確かに上昇を示している。

     それでも、そのスペックに見合った結果が出づらくなった。
     どうしてか、ふたりが争うレースではその傾向がとても顕著に現れていて。

     併走しても熱い競り合いができずにどちらかがガクンと脱力してしまうのだ。
     無気力になるわけではない。むしろ感情の方は激しく荒れ狂う。
     けれど、心の隅っこで笑っている"誰か"のことを考えると、レース中であっても涙が出そうになって力が抜けてしまうのだ。足がくずおれそうになる。

     その原因が、"誰か"の姿が。何度考えても、どうしてもわからない。

     お互いの実力が落ちているわけではない。お互いの存在が疎ましくなったわけでもない。お互いに張り合いが無くなったわけでもない。
     それでも原因がふたりの併走にあるというのなら。と、スカーレットとウオッカは同じレースで勝負することをやめた。
     別々のレースに出る方が、まだまともに走れるから。ここに居ない誰かのことを、思い出さずにレースに集中できるから。

  • 22/923/05/01(月) 04:30:39

     ――――そんなふうに別々の道を歩んで、どこかのレースで、そこそこに連対を重ねて。そうして久しぶりにふたりが交わる、秋の天皇賞にて。

    「俺を相手に、軟弱な走りをするんじゃねえぞ」
    「は? 自分のことを棚に上げてどの口が言うのかしらね」

     ウオッカの言いたいことが、スカーレットにはよくわかる。走るのを止めてしまいたくなるほどの「何か」が起こることを怖れている。
     それでもふたりは軽口を叩き合う。ライバルだから。これが怖いというのなら、あの子が独りで海に溶かした孤独の深さはどれほどのものだったろうか。
     そんなふうに時間が経って"誰か"のことがチラついても、なんとか走れるようになるまでにはなった。
     なによりライバルとの久しぶりの対戦というものは。お互いにどれだけ成長したのか。現在の強さを見せつけるモチベーションとなって。

     ウオッカと離れてスタート位置に着く。スカーレットは一瞬、うつむき、集中して。
     ……ライバル。そう、もうひとりのライバルにも、情けない姿を見せたくはないから。
     ゲートが開いて、飛び出した。

     レースの主役は、やはりスカーレットとウオッカの二強に。
     互角に競り合うふたり。脱力感は発生しない。強くなったお互いの実力が誇らしいと思えるくらいに。
     これなら、いける。

     さあ、魅せようぜとウオッカは笑う。
     勝つのはアタシだと、スカーレットは応える。

     そうして勝負どころ。最終コーナーを越えて、その後ろ。

     ――――自分たちに次いでコーナーをくぐる、ピッチ走法の足音をふたりは聞く……。

  • 33/923/05/01(月) 04:32:08

     実況の声が微妙に戸惑っている。けれど大きな混乱は無い。
     確かに出走登録はされていた。過去の戦歴も記録されている。前触れ無く乱入してきたわけではなく、最初から出走の資格を満たしてあなたは傍で走っていた。
     けれど観客も、実況も、アタシたちも、誰もそのウマ娘の名前を捉えられない。ノイズが走るように。靄がかかるように。
     ■■■■■■■■■が走っているなんていう些末事を、この世界は意に介さない。

     ああ、誰からも忘れられても、たったひとりで――――

     ふたりを追い越し駆けていくウマ娘。あたしたちのもうひとりのライバル。そんな彼女をスカーレットとウオッカは思い出せない。
     思い出せないことが苦しくて、悔しくて、泣きそうで。膝が砕けそうになるあの感覚。
     ああ、そういえばこんな感じだったなあとスカーレットは思う。
     ウオッカと一緒のレースを避ける、とすんなり決まった理由は、まさにこれのせいだったから。 

     レースの途中で走る力を奪ってくるなんて。

    「とんだ反則、じゃないのよあの子……!」

     それでも意地を張ろうとする。喰いしばる歯とは裏腹に、脚に力を込めても。

    「――独りじゃムリだ。いけ」

     このままではふたりともが心くじけて共倒れになる。決断はウオッカのほうが早かった。独りで走るアイツを、独りにしない。
     俺が負けるのは悔しいけどそれでもいい。"アイツ"の影を想って泣き苦しむ回数は、お前の方が多かったから。
     だから今回は託す。譲ってやる。
     みっともないとは思わない。諦める自分が未熟だとも思わない。
     だって、力を奪うよりも。

     ――――力を与えるほうが、カッコいいに決まってるだろ?

  • 44/923/05/01(月) 04:33:52

     もつれそうになって。ぐらりとくずおれそうな膝。そんなスカーレットを、ウオッカが横から支えて。
     隣のウオッカへ視線を向ける。けどスカーレットはウオッカの顔を見ることは出来なかった。バシン、と背中を押された。痛みとともに、身体はウオッカより前へ。
     前に押し出されたスカーレットの身体。ウオッカを抜いて2位。振り返らない。感謝の言葉を口にする暇などない。するべきことはただひとつ。

    「行け! スカーレット――――!」

     その声を背負って、前方。アタシのもうひとりのライバル。■■■■■■■■■。
     彼女の姿を強く睨みつけた。アタシたちから走る力を奪い去っていくさびしい後ろ姿。
     けれどスカーレットの背中に残るてのひらの熱は消えない。脚が、心が、熱に押されるように。力を取り戻して加速する。

     ダイワスカーレットが、先頭を走る■■■■■■■■■へと追いすがった。
     強い足音。トップへと併走する。■■■■■がアタシへ視線を送ったように思う。驚いていてくれたら、うれしい。

     お互いに一歩も引かない競り合い。
     まだ、あなたを思い出せない。それはほんとうに申し訳ないけれど。ほんとうに苦しいけれど。ほんとうに泣きたくなるけれど。

     それでも、それでも、それでも。

     前を向くんだ。一番は、アタシ。
     ウオッカの想いも、あなたが抱え続けていたさびしさもぜんぶ、ぜんぶ抱える一番になって。

     ――――そうしていちばんになったら、海に行こう。

     ゴールが迫る。

     かなしみを終わらせて、海へ行こう。

     あと、一歩。

     ともだちといっしょに、海へ行こう――――

  • 55/923/05/01(月) 04:37:14

     息を乱して。鼓動は早鐘のようにうるさくて。肌に昇る体温は熱く。
     上体をかがんで膝に手を置いて。いまにも倒れてしまいそうな疲労感のなかで、ダイワスカーレットは歓声を聞いている。

    「勝ったわ」

     審議のランプが灯っている。レースの真っ最中に、一瞬だがウオッカとのもつれ合いがあった。意図的な接触や斜行だと判断されたら、反則で着外になる。
     端からは、走りながらスカーレットが横のウオッカに寄りかかったようにも見えるだろうし、直後にウオッカがスカーレットの背中をぶっ叩いたようにすら見えただろう。走行妨害で永久追放なんてことになるかもしれない。

     ――――あるいは、この世界はこれにも目隠しをしてくれているだろうか。


     それでも、スカーレットは。スカーレットとウオッカは確かに先着した。ふたりを覆い潰そうとするかなしみの向こう側へ走りきった。
     それでよかった。あなたの孤独を分かち合うのは、アタシたちがずっとずっと望んでいたこと。

     それでも何か問題が起こったとしても、どうせ――――

    「責任とってよね」

     ――――ぜんぶ、この■■■■■■■■■のせいだと言い張ればいいだけの話で。

     友だちを苦しくさせて哀しくさせてさみしくさせて。
     走る力を奪おうなんてこまった反則を仕掛けてきたのは、そっちが先なんだから。

  • 66/923/05/01(月) 04:38:19

    『ス■ー■■ト』

     声が聞こえる。姿がぼんやりなら、声もぼんやりでほんとうに困るとスカーレットは苦笑する。
     ざらっとしたノイズのようで、ふわっとした雲のようで、そのかたちを正確に捉えることはできないけれど。

    「まあ、今回はアタシたちの日だったんじゃない?」

     こちらに歩み寄ってくるウオッカに横目に視線を送りながら、そう言葉を投げかけた。

    『■オッ■』
    「おう、よく聞こえねーけど、わかるよ。しんどかったな」

     ――――しんどかったな。いままでのことも。このレースのことも。

     ■■■■■は首を振って、目を伏せた。
     アタシたちに何をどこまで話せばいいのか、つかみかねているようで。


     そんな■■■■■にウオッカは笑う。

    「またやろうぜ。今回は譲ってやったけど、次は負けねえからな」
     
     ……そうだ、もう、アタシたちの力を奪う空虚な哀しみは、この脚で壊してしまったのだから――――

    「何度やってもアタシが勝つけどね」

     ――――だから、やっとあなたの名前を思い出せる。
     何度だって、この脚で。あなたと走ることができる。

  • 77/923/05/01(月) 04:39:11

    「マーチャン、強かったわよ。アタシたちだってトレーニングは積んできたはずなのに。あなたの走りは、もっとすごかった」

     ふたりがかりで、やっと勝てたくらいに強いもうひとりのライバル。
     呼びかけられたマーチャンは驚いたように目を見開いて。

    「……スカーレット?」
    「うん、ちゃんと聞こえるわよ、マーチャン」
    「……ウオッカ」
    「ああ、やっとはっきり見えるようになったぜ。マーチャン」

     答えるアタシたちに向かって、アストンマーチャンは穏やかな微笑みを見せて。

    「わたしは、お友だちに……、ライバルに、こんなにも恵まれていたんですね」

  • 88/923/05/01(月) 04:40:01

     アタシたちにとってたしかな輪郭を取り戻した彼女をぎゅっと抱き寄せる。
     そのぬくもりに、涙がこみ上げてくる。

    「あなたがいなくなって、アタシたちがどれだけ大変だったか……!」

     言いたいことはたくさんあるはずなのに、言葉にならない。

     覚えていなくても。思い出せなくても。
     それでも、それでもつらかったんだから……!

    「残されるってのも、つらいもんだったんだぜ?」

     泣くアタシと、鼻をこするウオッカ。アタシたちのことばにマーチャンは。

    「ありがとう。ウオッカ、スカーレット」

     アタシを撫でながら、彼女は言う。

    「マーチャンは、ここに居ますよ。ずっと」
    「うん……! うん……!」

     その声に、アタシは何度も頷くしか出来なくて。

    「また、次、ぜひ、戦いましょう。いっしょに――――」
    「ああ!」

     勇ましく走り続けるウマ娘のその声に、ウオッカは力づよく頷きを返すのだった。

  • 99/923/05/01(月) 04:41:28

     ――――そうして世界は、何事も無かったかのように元の色を取り戻して。

     ある日の、ひとつのトレーニングの風景。
     砂の足跡をさらう波。空の色を映して青く輝く海のそばで。

     ウマ娘の影がみっつ、楽しげに走り続けている――――

     END.

  • 10二次元好きの匿名さん23/05/01(月) 04:43:22

    10レス目ほしゅ。
    読んで頂き、ありがとうございましたもん。

  • 11二次元好きの匿名さん23/05/01(月) 10:56:12

    こんな人の目に触れない時間帯にこんなものを

  • 12二次元好きの匿名さん23/05/01(月) 10:58:01

    素晴らしい…

  • 13二次元好きの匿名さん23/05/01(月) 11:14:57

    え、すき…

  • 14二次元好きの匿名さん23/05/01(月) 16:58:28

    泣くでしょこんなの

  • 15二次元好きの匿名さん23/05/01(月) 20:17:17

    もっと人の目に触れて欲しい

  • 16二次元好きの匿名さん23/05/01(月) 20:29:19

    どうか行かないで!
    マアアアアアアアア(慟哭)

  • 17二次元好きの匿名さん23/05/01(月) 22:37:30

    素敵な作品をありがとう

  • 18二次元好きの匿名さん23/05/01(月) 22:57:42

    残された側の視点から見たおぼろげなマーちゃん概念か!
    とても良きでした

  • 19二次元好きの匿名さん23/05/01(月) 23:16:29

    バッドエンドを覆すウオダスが捗る

  • 20二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 00:05:46

    マーチャンシナリオはほんとうにさあ

  • 21二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 00:22:33

    昔のkey作品の二次創作の流行は

    「本編では選んだヒロインのシナリオはハッピーだとしても
     選ばれなかったヒロインはそのまま放置されてバッドエンドだと推測される」

    ところから全員が救われてる世界を書くのが流行だったけど
    そんなのを思い出しました

  • 22二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 06:13:06

    消えないで…

  • 23二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 07:50:59

    朝の通勤中に泣かされたんですが
    ありがとうございました

  • 24二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 19:14:30

    もっと読まれてほしい

  • 25二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 19:44:07

    マーチャン育成したら懐かしくなってkeyのゲーム引っ張り出してまたプレイしたよ

  • 26二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 23:49:41

    ウオダスなら世界に抗ってもしょうがない

  • 27二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 23:59:58

    ありがとう
    こんなにも美しい世界を見せてくれて本当にありがとう

  • 28二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 00:15:02

    勿忘草(ワスレナグサ)の花言葉

    「真実の愛」「誠の愛」「私を忘れないで」

    ああ……

  • 29二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 00:40:08

    もっと評価されるべきでは

    いや人の目に触れないことも計算してるのかこのSSは……?

  • 30二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 08:51:10

    ありがとう
    なんて素敵な物語

  • 31二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 16:04:06

    ありがとうございます
    ありがとう…

  • 32二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 20:45:42

    なにこれ…すき…

  • 33二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 23:12:38

    不思議な経緯で消え去るマーチャンがいるなら
    不思議な経緯でマーチャンが呼び出されてもいい
    そういうSSでした

  • 34二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 00:31:06

    誰かに刺さって残って欲しいSS

  • 35二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 04:26:51

    尊い
    ただ尊い…

  • 36二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 15:52:10

    余韻が残る作品でした

  • 37二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 01:41:54

    なんて素晴らしい…

  • 38二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 02:39:45

    このSSを見つけられてよかった
    ありがとうございました

  • 39二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 06:52:02

    ただただ手を合わせたい
    拝みたくなる「世界」でした

  • 40二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 16:10:35

    すき

  • 41二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 16:56:07

    SSの絵師様! SSの絵師様じゃないか! すきです!

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