私の青春時代の遊戯王の思い出を語るだけ

  • 1二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 15:19:42

     私が通っていた高校では、1日かけて様々なスポーツのクラス対抗戦を行うクラスマッチという行事があった。
     私が参加していた競技はハンドボールだった。しかし、私たちのチームは早い段階で敗退し、本来ならば他の競技に参加するクラスメイトを応援することになっていた。
     私が自分の教室に戻ったのは偶然だったと思う。もしかしたら応援前に水筒を取りに戻ったのかもしれないし、ただ休憩がしたかったのかもしれない。10年以上経った今となっては思い出せないが。
     教室に入ると、黒板の下で2人の男子が座り込んで隠れるように何かをしていた。そして、それを囲むように数人の男子が2人の手元を覗き込んでいた。
     彼らが何をしているのか、私は気になった。だから、つい私も彼らに近付き、手元を覗き込んでしまった。

     2人の男子は、床に直接カードを置いて、遊戯王をしていた。

  • 2二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 15:27:14

     私の家にも遊戯王カードはあったが、それは兄の物だった。遊戯王を遊んだことはあったが、それはさらに幼い時であり、ルールも理解していなかった。
     しかし、まさか学校で遊戯王を見るとは思わず、その懐かしさについ心が惹かれてしまった。
     確か、その時友人が使用していたデッキは「アンデットワールド」「カラクリマシンナーズ」「剣闘獣」あたりだったと思う。当時の私にはまったく知らないデッキだったが、それ故に新鮮で「自分もやりたい」という気持ちにさせられた。そして、その気持ちは私だけではなかったようだ。
     その日を境に、私の学年では遊戯王が大流行することになった。

  • 3二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 15:34:46

     休み時間になると、数人の男子生徒が黒板の下に集まって遊戯王を始めるようになった。
     ちなみに、どうして黒板の下なのかというと、私たちが通っていた学校は進学校であり、ゲームや漫画といった不要な娯楽品は基本的に持ち込み不可だったからだ。とはいうものの、おそらく、先生たちも遊戯王が流行してことに気付いていただろうが、そこまで厳しい取締りはなかった。
     私も友人からデッキを借りて遊んでみたが、ほとんどルールを覚えておらず「貫通ダメージは必ず発生する」「速攻魔法は相手ターンに手札から発動出来る」など勘違いも多かった。ちなみに、その時の相手のデッキはアームドドラゴンデッキだった。

  • 4二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 15:49:39

    教師に見つかって退学を取り消す代わりにデュエルする展開に期待。

  • 5二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 15:58:25

     ますます遊戯王にハマってしまった私は、ある日自分の家から遊戯王カードを全て持ってきた。とは言っても、当時持っていたカードは全て『キラカード』であり、数も小さいクリアファイルの半分ほどしかなく、ノーマルカードにいたっては1枚も持っていなかった。ちなみに、それらのカードは全て兄の物である。
     私は友人にそのクリアファイルを見せて、これらのカードを使ってデッキが作れるか相談した。
    「ほとんど禁止カードじゃん」
     友人の最初の言葉がそれだった。

     後日、友人がタダでカードをプレゼントしてくれた。青眼の白龍や仮面竜といったドラゴン族、それとドラゴンを呼ぶ笛だった。
    「腐るほど余ってるからあげる。それにロードオブドラゴン持ってたでしょ?デッキに入れてみたら?」
     何て優しいのだろうか。私はこれ以上ないほど彼に感謝した。実際に腐るほど余っていたのだろう。しかし、高校生にとっては出費を抑えられることが何よりもありがたかった。
     余談だが、この友人はクラスマッチに遊戯王をしていた1人であり、その後の高校生活で行動を共にし続けることになる。

     さっそく、貰ったカードにロードオブドラゴン1枚入れて、スリーブもせずにその友人とデュエルした。
     私の最初のデッキのコンセプトは、「リクルーターで耐えて、ドラゴンを呼ぶ笛で一気に攻める」だった。そして、友人のデッキは剣闘獣だった。
     結果は言うまでもないが、楽しかった気持ちに偽りはなかった。

  • 6二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 16:14:32

     しばらくして、私は友人たちと一緒に初めてカードショップに行った。

     そのカードショップの品揃えは、はっきり言ってあまり良くなかった。ストレージボックスはなく、ノーマルカードを1枚ずつ封をして展示してするような店だった。しかし、2階には非常に広いデュエルスペースがあった。それからというものの、私の学生生活は休み時間だけでなく、下校後も遊戯王に染まっていった。


     私のデッキも少しずつ強化されていった。展示されているカードを全て確認し、自分のドラゴン族デッキの強化にならないか真剣に考えた。

     そして、私はノーマルのリビングデッドの呼び声(100円)、神竜ラグナロク(150円)、融合(100円)、スーパーレアのマテリアルドラゴン(300円)を買った。さらに、変色した竜魔人キングドラグーンを交換してもらったことで、私のデッキは融合軸ドラゴン族デッキとなった。

  • 7二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 16:16:52

    見てるぜ

  • 8二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 16:17:39

    当時の懐かしのカードを思い出しながら語ってるのいいわね

  • 9二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 16:32:50

     そのカードショップで、私の交友関係が大きく広がった。高校時代に部活をしていなかった自分にとっては、他校の友人や年上の友人というものにしばらく縁がなかったが、これも遊戯王のお陰である。

    ※これから友人が増えていくため、『友人』表記だと混乱するかと思い、彼らが当時使用していたメインデッキ名を付け加えようと思います。もちろん、使用デッキは変遷していきますが、それはそれで楽しんで貰えたらと思います。
     ちなみに、『友人』はこれから友人(剣闘獣)くんです。

  • 10二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 16:47:08

     ついに、ショップ大会に参加することになった。周りは剣闘獣やドラグニティ、代行者といった強力なデッキの中、私は【キンドラマテリアル】で挑んだ。
     1回戦負けしてしまったが、かえってその結果が私に火をつけた。このデッキで1回戦突破したいと…。

     今まで貰ってもほとんど使わずに預けていたお小遣いを銀行口座から引き出した。遊戯王Wikiでカードやデッキ構築を調べた。品揃えがいいカードショップに行って、パーツを3積みするようになった。
     その結果、私のデッキは大きく強化されたのだった。

  • 11二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 16:49:14

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  • 12二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 16:58:20

    そろそろカードの精霊と出会う頃かな?

  • 13二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 17:00:47

    ああおれの青春…

  • 14二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 17:01:05

    剣闘獣出てるならレダメも出てるんじゃないだろうか?
    歳が近そうで親近感が湧く

  • 15二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 17:05:40

    (その1)
    融合が、未来融合と龍の鏡になったことでディスアドが軽減された。

    (その2)
    伝説の白石やドレッドドラゴンが採用されたことで、新たにシンクロ召喚が導入された。

    (その3)
    調和の宝札とトレードインにより、デッキ回転率が向上した。

    (その4)
    リクルーターやサーチャーと相性が良い強制転移の採用で、搦手も出来るようになった。

    (その5)
    これが1番の強化点!FGDの採用!
    当時、米版のゴールドシリーズ(缶に入ってた)が販売され、私は1つ予約した。
    販売当日、長蛇の列を待ってから受け取り、友人と一緒に開缶すると、お目当てのFGDと海馬プレマを当てることが出来たのだ!この時の興奮は今でも覚えている。

    強化されたデッキで私は毎週ショップ大会に友人たちと参加し、1回戦負けし続けた。

  • 16二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 17:09:56

    初戦敗けでも足しげく通い続けててほんとに遊戯王好きなんだなってのが伝わる

  • 17二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 17:17:20

     まだショップ大会で未勝利だったが、私は新しいデッキが作りたくなった。別にドラゴンデッキに飽きた訳ではないが、私の性格が「とりあえず色んなものを触ってみたい」というものだった。

     そして、私はユベルデッキを作った。
     GXは見たことない。そもそも当時の私は遊戯王アニメを見たことがなかった。どうしてユベルにしたのかというと、ブルーアイズとはまったく異なるデッキになりそうだという新鮮さを感じたからだ。そして、何よりデッキパーツが安かったからだった。

     終末の騎士やダークグレファーでユベルと魔族召喚師を墓地に送り、思い出のブランコやリミットリバースのコンボでユベル第2形態に進化、相手が攻めあぐねているところをブラックブルドラゴやザ•カリキュレーターの高打点で一気にライフを削るコンセプトだった。

  • 18二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 17:24:44

     ある時、私はいつものドラゴン族デッキではなく、ユベルデッキでショップ大会に臨んだ。
     当時は遊戯王ブームで、定員48名に対して毎回50人以上集まるほどの人気だった。もちろん、その時はみんな真夏にマスクなんてしていなかった。

     1回戦、相手が何のデッキかはもう覚えていない。しかし、勝ったのだ。勝ってしまったのだ。私の初めてのショップ大会は相棒のドラゴンではなく、ユベルによって与えられたのだった。

     それからは、第1のデッキ【ドラゴン族】と第2のデッキ【ユベル】を持ち歩くようになった。

  • 19二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 17:35:28

     余談だが、初めての2回戦の相手は覚えている。【デュアルヒーロー】だった。

    ●マッチ1戦目
    相手「ミラクルフュージョンを発動します」
    私 「どうぞ」
    相手「チェーンしてデュアスパを発動します」
    私 「はい」
    相手「ユベル2を破壊してシャイニング召喚」
    私 「ユベル3を召喚します」
    相手「タイミング逃してるから出来ませんよ?」
    私 「??」

    ●マッチ2戦目
    相手「トリシューラで場のユベル2と墓地のユベル3を除外します」
    私 (ユベル3は1枚しか採用してない…)

     ボロ負けでした。

  • 20二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 17:58:38

     負け続けたドラゴン族デッキはとあるカードとの出会いにより1回目の『産業革命』に至った。

     そのカードとは、レッドアイズ・ダークネスメタルドラゴン(韓版)。

     以前から存在自体は知っていたが、ショップには売り切れか1000円以上で売っていたため手が出せなかった。(当時の私は1000以上のカードを買わないよう意識していた)。
     それを友人が持っていた!私はすぐに友人(シーラカンス)にレダメが欲しいことを伝えた。
    「今は日版しか使わないからいいよ」
     そして、私はレダメを1枚友人(シーラカンス)から500円位で購入した。
     1枚手に入ると3枚欲しくなってしまうものである。それから日も経たないうちに米版のレダメを1枚(800円位)とターミナルのノーレアレダメを1枚(1000円)を買い揃えることになった。

     そして、私のドラゴンデッキはひとまず完成したのだった。
    1.未来融合で素材を墓地に送り、融合や龍の鏡でキンドラを融合召喚
    2.キンドラの効果でレダメを融合特殊召喚
    3.レダメの効果でマテドラを特殊召喚
    4.王宮のお触れをセットしてターンエンド
     これが当時の黄金パターンだった。

  • 21二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 18:07:10

    2009~10年くらいの環境か 懐かしいな
    当時のトップはインフェルニティだったけど高額デッキだったから学生環境だと安くて強い剣闘とかストラク組が流行ってたね

  • 22二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 18:27:04

     そして、運命の時が訪れた。
     その時の相手は有名なCSプレイヤーだった。友人たちから「〇〇さんが相手じゃん!今日も負けだな」と煽られていたような気がする。
     ちなみに、相手のデッキは覚えていないが、「AVトークン」と言いながら裸の女性が写った遊戯王風カードを使われて、内心ひいたことは覚えている。
     マッチ1戦目はお触れが刺さり、1本先取することが出来た。
     そしてサイドチェンジとなったが、私には秘策があった。私のメインデッキの罠カードはお触れ3枚のみだったが、サイドカードには汎用罠が15枚入っていたのだった。私はお触れや調和、トレインなどの15枚とサイドの罠カードをバレないように少しずつ入れ替え、お触れ型から罠型へとチェンジした。
     マッチ2戦目、私が3伏せした時に周りがちょっとざわついた。CSプレイヤーは「なにそれー?」と笑った。返しのターンで奈落の落とし穴を当てた時はしてやったりと思った。
     私の未来融合はしっかりサイクロンで妨害され、しばらくお互いに攻めきれない状態だった。
     しかし、ついに私の右手が光り始めた!3積みしていた龍の鏡を引き続けたことで相手の妨害も尽き、2戦目も勝利することが出来たのだった!
    「龍の鏡はつえーわ」
    CSプレイヤーはそう笑い、その後会うたびに「ドラゴン族の少年」と声をかけられるようになった。

  • 23二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 18:37:06

     2回戦の相手は黄泉帝だった。
     同じ学校に友人(黄泉帝)がいたため、相手の動きは何となく分かっていた。何より、キングドラグーンの対象耐性が帝の効果に刺さっており、1戦目はなんなく先取出来た。

     問題は2戦目だった。
    「次元の裂け目を発動します」
    「えっ!?」
     私は思わず声を上げた。相手の黄泉帝はサイドチェンジで次元帝になっていた。
     私のメインデッキには、未来融合へのチェーンサイク対策のサイクロンが入っていたが、黄泉帝ということもあり抜いていたのだ。その結果、私はろくに戦うことも出来ずに2戦目を落としてしまった。

  • 24二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 18:40:42

    うわなっつ
    帝は結構コンボパーツって概念が薄いからサイドを大胆にいじれるんだよね…

  • 25二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 18:48:07

     3戦目、1度抜いたサイクロンはもちろんフル投入し直した。
     しばらくお互いに大きな動きはなかったが、中盤に私は未来融合を引くことが出来た。
     相手は2伏せ、私の手札には取っておいたサイクロンが1枚。未来融合にチェーンマクロされた時に狙い撃ちするのが安定だが、神の宣告が伏せてあったら意味がない。
     私は長考した。相手もたぶん私の意図が分かっていたのだろうか、ちょっと緊張しつつも待ってくれた。
     しばらくして、私は先にサイクロンを発動することにした。
    私 「サイクロン!」
    相手「ブラフでした」
    私 「未来融合!」
    相手「マクロコスモス(爆笑)」
    私 「ひえ〜(爆笑)」
    周り「(爆笑)」

     負けました。

  • 26二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 19:02:44

     2回戦で負けて悔しい想いをしたものの、ドラゴン族デッキで勝ててとても嬉しかった。
     それからも色んなデッキ、色んな相手と対戦し、色んな思い出があります。
    ・あるところのショップ大会は店舗の駐車場で開催され、机がざらざらしていた。
    ・エクシーズ登場時に代償ガジェが流行。
    ・リビングデッドでガイザレスの効果が発動出来ることを知って驚く。
    ・テスト期間中に放課後もデュエルしてたら他クラスの先生からテスト期間終了後までデッキを没収される。
    ・チェーンバーンをマテリアルドラゴンでメタる。と思ったらラヴァゴにリリースされる。
    ・修学旅行でも遊戯王。新幹線でも宿泊先でも遊戯王。
    ・友人(インティクイラ)が遊戯王にハマって部活を辞める。
    ・大雨でもカッパ着て自転車でカードショップに行く。
    ・文化祭を抜け出してショップ大会に参加。
    ・授業中はノートにひたすらデッキ構築。その結果成績急降下。
    ・FGDもレダメもブルーアイズもオネストにことごとく返り討ち。当時の1番嫌いなカードはオネスト。
    ・友人(パーデク)が飲食店でデュエルしてたら怖い人に絡まれて揉め事になった。
    ・ゼアルにハマる。

  • 27二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 19:13:46

     そして2度目の『産業革命』訪れた。
     ストラクチャーデッキ『ドラゴニックレギオン』の発売である。

     看板モンスターのライトパルサーは公開時にキャノンソルジャーループで注目されていたが、いざ発売されるとタイミングを逃すようになっていた。
     私の周りではそのせいであまり注目されていなかったが、ドラゴン族使いの私にとってはそれでも一気に強化パーツが増えて嬉しかった。ついでにレダメが3枚とも日版になることが嬉しかった。

     ストラク販売後、私のデッキはキングドラグーンとマテリアルドラゴンが引退し、代わりにライパラとライロパーツが採用された。

     今まで本当にありがとう、キングドラグーン、マテリアルドラゴン。

     ちなみに、ちょっと前に開闢が禁止から制限カードになったのも追い風となっていた。

  • 28二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 19:22:58

     結論から言うと、カオスドラゴンはクソ強かった。カオスドラゴンで初めて挑んだショップ大会で3位になることが出来たのだ。
     場にレダメやライパルといった大型をいとも簡単に展開し、除去や墓地肥やしはライラやライコウが活躍した。開闢とソーサラーの強さは言わずもがな。
     今まで「勝てたら嬉しいな」だったのが「優勝したいな」になるほどのデッキパワーの跳ね上がり具合だった。
     しかし、これだけでは終わらなかった。

  • 29二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 19:38:23

     しばらくして聖刻が登場した。
     聖刻の存在を知ってすぐに私はグスタフマックスを買いに走った。その時の私は、既に金額を気にしないようになっていた。
     発売前に友人(インゼクター)に聖刻の強さとカオドラとの相性の良さを力説していたが、彼はグラフに夢中だった。

     そしてパック販売後、私たちは収録されたカードの強さに全員驚いた。
     私はアトゥムスに驚いた。「レダメがすげー簡単に出るわ…」
     友人(インゼクター)はグルフに驚いた。「先行1ターン目から動けるようになったわ…」
     他の友人もナイトショットやカードカーDに驚いた。

     しかし、満場一致で度肝を抜いたのはガイアドラグーンだった。
     実際、周囲のカードショップではガイアドラグーンが最も高額だった。

  • 30二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 19:41:45

    このレスは削除されています

  • 31二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 19:43:23

    はー良い雰囲気

  • 32二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 19:54:15

     それからというものの、大会に参加すれば高確率で上位に躍り出るようになった。
     友人(インゼクターA)や友人(インゼクターB)、それに友人(インゼクターC)達と毎週のように、というよりもほぼ毎日デュエルしていた。

     友人(パーデク)と友人(マシンギア)に誘われて、初めて個人CSに参加した。
     しかし、誘った本人がドタキャンしたため、当日3人チーム戦なのに私1人になってしまった。幸いにも1人で来た人が他にもいたため、急造チームで大会に参加することが出来た。チームメイトはジェムナイトと次元ラギアだった。チームメイト(ジェムナイト)はジェムナイトフュージョンを発動するたびに増Gを食らっていたのが記憶に残っている。
     戦績としては全敗はしなかった…と思う。

  • 33二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 20:08:08

     その後、オピオンにメタられたりしながらもひたすらカオスドラゴンを愛用し続けたが、ついに未来融合が禁止、レダメが制限になってしまった。
     しょうがないとは思いつつも、今まで楽しんでいた動きができなくなったことにガッカリし、カオドラへの愛着が下がってしまったことは否めなかった。
     今までライバルだったインゼクターもダンセルとホーネットが制限になった。環境が変わり、ワンキルからアド重視になっていったように感じた。

     しかし、それ以上に大きな事件がやってきてしまった。

  • 34二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 20:12:08

    何だこいつら!?


  • 35二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 20:16:42

    何で生まれてきたのかがわからない。


  • 36二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 20:22:02

     私の友人たちどころか大会参加者もほとんど征竜に染まっていた。後は神判かオピオンだった。本当にそれしか見なかった。
     カオドラでは勝てなくなった。征竜の継戦能力についていけなくなった。ゴッドジョウゲンシステムとゲーテが突破出来なくなった。オピオンを元々キツかった。

     私はカオドラをサブデッキとし、新しいデッキを模索することにした。

  • 37二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 20:31:14

    そっか征竜この時期かぁ…

  • 38二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 20:50:02

    いちいち友人(デッキ名)表記なのが頭の中遊戯王しか詰まってなさそうで凄い好き

  • 39二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 21:04:15

     私は考えた。
     私の周りの環境は征竜、神判、ヴェルズ、炎星、ヒロビ、兎ラギアといっとところだった。

     私はせっかちだ。だからコントロールは無理だ。
     私は大型モンスターが好きだ。だかり切り札は欲しい。
     私は展開が好きだ。だからワンショットキルルートは欲しい。

     悩んだ末、私はTGジャンドを作ることにした。

  • 40二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 21:14:43

     TGのサーチ・ドローによる継戦能力とジャンドとストライカーやワーウルフの展開力を組み合わせたデッキだった。最初はハルバードキャノンをエースにしてたが(安かったから)、途中からクェーサーがエースになった(ハルバードが弱かったから)。

     ジャンクシンクロンがマストカウンターだったため、リカバリーのリビングデッドを何枚入れるか悩んだ。中盤以降は強いが、初手に来た時と遅さが目立つ…結局、フル投入することになったが。
     モンスター・魔法・罠の枚数や種類、カオドラのようなぶん回しではなく、準備してからの展開型だったため構築は非常に悩んだ。EM1は特に入れたり抜けたりしたカードだった。

  • 41二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 21:25:29

     下級TGは破壊されたらサーチが出来るが、それがわかりながら破壊してくる相手はほとんどいない。だから、墓地肥やしはシンクロ素材として送るかEM1で送りつけて自分で破壊する必要があった。
     EM1はどのモンスターでも問題ないが、シンクロ素材として墓地に送る場合、ストライカー+ワーウルフでは相手依存であること、そしてクェーサールートに繋げ辛い欠点があった。だから、サイバーマジシャン+ラッシュライノは痒い所に手が届く組み合わせだった。
     先行1ターン目はサイマジと手札のライノでグラディエーターをシンクロ召喚。グラディエーターは破壊されればドローすることが出来、放置するには地味に打点が高い。墓地のサイマジはジャンクで蘇生でき、効果が無効になっても手札のライノとシンクロ出来るルール効果を持っている。まさにデッキの潤滑油だった。

  • 42二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 21:30:16

     TGを愛用するようになってから、ひたすら環境デッキに挑み続けた。カオドラほどの爆発力はないものの、安定感と対応力、そしてクェーサーという切り札を持つ良いデッキだったと思う。

     長い付き合いだった。本当にお気に入りのデッキだった。3DSのデュアルカーニバルを買った時、最初に作ったデッキでもあった。

     しかし、お別れの時がどうしても避けられなかったのだ。
     大学受験のシーズンになったから。

  • 43二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 21:34:41

    うおおおつらい・・・

  • 44二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 21:42:34

    にしても話の流れが分かりやすく、かつモノローグなのに書き手の感情が良く伝わるいい文章だな>>1

  • 45二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 21:44:21

     これからはあくまで私の意見でしかない。だから、人によっては私のことを甘ったれと思うかもしれないが、どうかご理解いただきたい。

     2年生までは朝8時半から夕方4時までの6時間授業だった。
     3年生からは、朝7時から1時間朝課外が加わった。6時間目が終わると、その後の2時間分夕課外があった。土曜日も同じだけ休みだったものが平日と同じ時間授業をプラスされた。
     他のみんなはついていくことが出来た。しかし、私はダメだった。ロングスリーパーだった私は、土日は15時間程寝ていたが、課外授業の追加で睡眠時間が削られてしまった。それに、授業の内容も理解できないし、興味も一切湧かなかった。
     それが原因かはわからないが、体調不良は続いた。夜中に理由もなく泣くことがよくあった。幻覚や幻聴が増えた。小便が4日出ないこともあった。

     不登校になり、親から病院に連れていかれ、自律神経失調症と診断された。

  • 46二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 21:46:58

    つらい・・・>>1たいへんやな・・・

  • 47二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 21:50:14

     他のみんなは出来るのに、出来ない自分が申し訳なかった。幸い、親も先生も理解があったため、私はひたすらベッドで眠り続けた。
     カードを触る気力もなかったし、友達どころか誰にも会いたくなかった。これではいけないと思って家を出る日もあったが、学校に行く途中に力尽きて道端に座り込み、警官に声をかけられた時もあった。
     ガラケーすらも重かったから携帯をまったく弄らなかった。2ヶ月くらい、ひたすら眠り続けたと思う。その間、一切遊戯王カードを触らなかった。毎週観てたゼアルも見なくなった。

  • 48二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 21:55:54

     夏から秋にかけて、少し快復した気がした。だけど、学校に行きたくなかった。一度楽をしてしまうと、なかなか大変なことをする気力が出ないのかもしれない。

     しばらく無気力で携帯をいじり続ける日が続いた。そんなことをすると余計に生活バランスを崩すことはわかっているはずなのに、それでも楽な方へ楽な方へ進み続けた。

     そして、私はある動画サイトで『それ』に出会ったのだった。

     そのアニメは『キルミーベイベー』。

  • 49二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 21:56:40

    なんてこったキ⚫ガイだ!

  • 50二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 21:57:07

    キルミースレじゃったか・・・

  • 51二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 22:02:34

    流れ変わったな

  • 52二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 22:03:16

     なんとなくキルミーを観ていた。本当になんとなくだった。偽やすな回で思わず笑った。数ヶ月振りに笑った。最終話まで観てとても満足した。久しぶりの気持ちだった。

     それからは、寝る時は毎日キルミーを流しながら寝ていた。大体2話分くらい流すと眠るようになれた。起きたらキルミーを1話分観るようにした。

     しばらくして、それまで頭の中でグルグル回っていた将来への不安や現状の不満が薄くなっていった。流石に0にはならなかったが、それで十分だった。

     秋から冬にかけて、学校に行けるようになった。最初は昼休みを過ぎてからの登校だったが、いつの間にか朝課外に出ることも出来る様になった。

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  • 53二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 22:11:21

     流石に休み過ぎたため、冬休みは補習授業を受けるようになった。説明会に行った時、思ったよりも補習授業の出席者が多くて驚いた。

     補習授業は休まなかった。課外授業も全て受けるようになった。

     そして、久しぶりにカードショップに顔を出した。

    友人(征竜)「おっ、久しぶりじゃん。遊戯王辞めたかと思った」
    私「疲れてたから来れなかっただけ」
    友人(HERO)「へえ」
     
     その後はいつも通りデュエルして、遊戯王の話をして帰った。
     流石に毎日ショップに行くことは出来なかったが、土日のどちらかは遊べるようになった。

  • 54二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 22:20:12

     それから、センター試験が終わるまで自分なりに勉強した。
     点数が良かったのは国語だけだった。数学はダメだった。数IAはまだマシだったが、数ⅡBはちんぷんかんぷんだった。階差数列で躓いてしまって以降苦手意識を持ってしまったのだ。
     地理の授業は面白かったけど、中々理解は出来なかった。地理専攻のテスト対抗戦で、自分1人でクラスの平均点を下げていた。
     生物は生理的に無理だった。胚の分裂の写真を見るとぞわぞわして集中出来ず、その範囲の期末テストは100点満点中5点だった。
     英語もだめ、倫理や政経もだめ。

     しかし、もう逃げる余裕はなかったから勉強し続けた。朝起きてキルミーを観て登校、朝課外、授業を受けて夕課外、帰ったら宿題をしてキルミーを枕元に流しながら就寝。
     非常に安定した生活サイクルだった。

  • 55二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 22:21:46

    やっぱキルミーはひとをすくうんやなって

  • 56二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 22:33:02

     私の志望校はセンター試験の点数のみで合格の可否が決定するところだった。
     だから、センター試験だけを目標にしていた。
     センター試験当日、会場のトイレにある手洗い場の自動センサーが故障して水が止まらないというアクシデントがあったが、それ以外は良好だった。
     たしか、国語の第1章が鞘がどうとかという話で、第2章がスピンスピンスピンとかいう内容だった気がする。流石によく覚えていない。

     センター試験が終わると、自己採点で生徒は学校に集まった。
     国語は110/200だった。点数が低いと感じたが、その年の国語は難しかったらしく、高得点だったらしい。
     生物は80/100だった。かなり高得点だと思う。
     英語は160/200だった。苦手教科の英語でこれだけの点数が採れたのは今でも信じられない。
     地理、倫理、政経は覚えていないが、並以下だったのは間違いない。
     数ⅠAも覚えていない。しかし、数ⅡBは忘れられない。5/100だった。

  • 57二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 22:38:21

    スピンスピン懐かしすぎるな
    受験版が阿鼻叫喚と化してた気がする

  • 58二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 22:45:34

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  • 59二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 22:49:17

     自己採点の結果、高得点と低得点が非常に極端だった。
     しかし、志望校は全教科参照ではなく、高得点4教科のみを参照とする方式だった。正直、数ⅡBのせいで全教科参照する大学に受かる気がしなかったので、志望校が最初で最後のチャンスだと思っていた。

     そして、合格発表。私は1人で大学へ行った。着いたら偶然友人(非デュエリスト)がいた。「一緒に見ようぜ」と言われたから発表まで一緒にいることにしたが、本当は1人で見たかった。落ちた時が怖いから。

     合格者の番号が公開された。あった。私の番号があった。だけど、まだ喜ぶわけにはいかない。友人の結果を聞かないと。
    「俺受かった!そっちは?」
    「ない」
    「えっ?」
    「俺落ちた…」
    「…まだ後期試験があるから、頑張って!」
     それしか言えなかった。

     本当はシミュレーションしてたんです。
     もし受かったら、脇目も振らずにはしゃいじゃおうと思ってたんです。落ちて泣いてる人いるかもしれないけど、頭おかしい人になってはしゃぎたかったんです。
     でも無理でした。流石に落ちた友人(非デュエリスト)の前では無理でした。もし友人(征竜)や友人(HERO)だったら「運命力が足りないわ(半笑い)」とか言えたかもしれないけど、流石に無理でした。
     本当ははしゃぎ回って目立ってテレビ局に声かけられてその日の夕方ニュースに映っちゃおうなんて思ってたけど、大人しく帰りました。

     帰って報告して、両親は喜んでました。

  • 60二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 22:52:46

    このレスは削除されています

  • 61二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 22:53:48

    懐かしいなスピンスピン。てかその頃遊戯王ってそのあたりだったんだ…。
    浮かれてはしゃぐことなく友人を思いやることが出来てすごいです。

  • 62二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 22:55:43

     それから、高校を卒業するまで、大学生になっても遊戯王はしばらく続けていた。
     しかし、ある時気づいた。ショップ大会の参加者が少ないことに。
     高校生時代は定員オーバーの50人が当たり前だった。今は8人も集まらなかった。
     それに、友人の何人かは働き始めた。進学した友人たちも大会に来なくなった。
     大学1年生の夏、高校時代の遊戯王仲間と会わなくなった。
     もう辞め時だと思った。私はスリーブを全て捨てた。3パック買ったブルーアイズのスリーブも全て捨てた。持っていたカードは全て売った。

  • 63二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 23:00:20

     もう高校時代の熱意はなくなってしまったが、完全に離れてしまったわけではなかった。ゼアルは最後まで観たし、アークファイブは9話くらいまで観た。映画も観て、Switchの遊戯王もダウンロードした。
     大学の同級生に誘われてちょっとだけ復帰したがすぐに辞めてしまった。あの時ほどの熱意がなかったから。

  • 64二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 23:14:42

     なんやかんやありつつも大学を無事卒業して、就職も出来た。
     そんなある日、突然友人(征竜)からメールが来た。
    「今度の休み暇だったら会わない?」
    「いいよ」
     久しぶりだからと意識することもなかった。高校生時代と同じくらい軽い気持ちで返事した。

     その日は友人(征竜)の家に初めて行った。私を含めて5人で遊んだ。しかし、みんな遊戯王は辞めてしまった。
     どうやら、他の4人はずっと付き合いがあったらしい。話を聞くと、相当頭が悪いことをしていたようだ。その4年間、一緒にいなくてよかったと思った。
     どうして今まで疎遠だったかというと、お互いに特に理由はなかった。強いて言うならばなんとなく。また、どうして久し振りに遊ぶことになったかと言うと、それもお互いなんとなくだった。
     約4年ぶりでも関係性は変わっていなかった。相変わらず気の置けない関係で、お互いにネタにしつつも一線を超えない(たぶん)。
     それから、たまにカラオケ行ったり、晩御飯食べたり、バーベキューしたり、ボーリングもした。
     コロナ禍になってからほとんど会っていないし、連絡もとっていないけど、たぶん大丈夫だろう。
     もしかしたら変わってしまったかもしれないけど、今まで遊んだ思い出が変わることもないし。

  • 65二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 23:27:22

     たまに、知人と「あの時勉強してたら」みたいな話をすることがある。
     もし、私が勉強をしっかりしていたら、おそらく遊戯王はしていない。もしかしたら、今よりも給料が高くて仕事内容も楽な会社で働いていたかもしれない。しかし、あの3年間の遊戯王漬け生活は間違いなく存在しなかった。

     「高校生の時何してた?」と聞かれた時、私は「遊戯王しかしてなかった」と答える。
     事実、家では1人で2人分のデッキを回し、授業中はノートにデッキ構築を書いて、放課後はカードショップでデュエルをしていた。それも、ほぼ毎日。
     客観的に見ると、つまらない高校時代かもしれない。しかし、社会人になっても遊べる友人に出会える人生はこの「道」だけだったかもしれない。

     私の青春は『遊戯王』だった。遊戯王をしていなかったら別のもっと良い人生があったかもしれない。だけど、今の人生で素晴らしい友人たちに出会えた。
     だから、私の青春時代は「私にとって」良い時代だったと思う。

    終わり

  • 66二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 00:34:58

    すげぇ面白かった

  • 67二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 02:49:48

    このイッチ昔遊戯王の掲示板かなんかでデッキレシピ上げたり小説書いたりしてたんちゃうか
    遊戯王しかやってなかったわりに文章うますぎ

    ちなみに俺は世代一個違うけど被ってるとこもあってなんか泣きそうになったよ…
    ありがとうなあ

  • 68二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 08:01:26

    放課後先生に注意されながらも19時くらいまで教室で遊戯王やってたあの頃の記憶

  • 69二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 18:03:18

    T C G狂いだった事のある全ての人へ届けたい良スレ

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